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例によって例の如く補遺です。当日の記念乗車券です。普段はワンマン運転で1本の列車には乗務員は運転士1人ですが、この日は乗客を捌くため、別に車掌役の乗務員が2人乗り、運賃授受及び案内、記念撮影役をこなしていました。(かく申す私も、錦町駅で他の乗客からシャッターを押して欲しい旨依頼され、協力しました)次はこの日のお土産品の中から2種類。まずはこのお菓子↓山あいの田舎町(失礼!)にしては、鄙にも稀な(ごめんなさい!>関係各位)、お洒落なお菓子でした。比較的甘さを抑えた上品な味でした。次いでこのお菓子↓これもわさびが程よく効いて、頗る美味でした。うむむむむ…侮り難し錦町。今回の反省点!記念運賃5円は魅力的ではあったものの、裏を返せば普段見向きもしない層をも惹き付けてしまうので大混雑になる事。予想し得たのだから敢えてこの日を外すと言う選択肢も視野に入れるべきではなかったのか?老母が同行していなかった事は寧ろ幸いでした。(車内の混雑振りはとてもじゃないけど年寄りに席を譲るどころじゃない騒ぎでした)おそらく普段の日にはそこまでは混まないと思われます。一方、車窓には結構桜並木らしいものも見られました。これは今度季節を選べば車窓を楽しめそうです。是非また日を改めて探訪してみたいものです。
2008年02月29日
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錦町駅です。今回の新車導入を大々的にアピールしてありました。今回の錦川鉄道の新車導入は地元沿線自治体(もっとも、今は全区間岩国市内ですが)にとっても歓迎すべき事となり、様々なイベントが開催されていました。といってもささやかな、しかし素朴な手作り感のある催し物でした。お汁粉や地酒の振る舞いサービスがあったのですが、お汁粉は既に完売。地酒は…生憎下戸の私には無縁のものです。錦町は静かな山里です。実は義姉の実家が此処からほど近いところにあります。特設売店でお土産を幾つか購入し、折り返しの列車を待ちます。今度の列車は2両編成とのこと。どうやら先程のNT-3002+NT-3003が折り返してやってくるようですね。しかし今朝ほどのダイヤの乱れをまだ引き摺っていて、到着は遅れるとの事でした。所定時刻よりおよそ20分遅れて、やっと列車が到着しました。NT-3003「こもれび」号が先頭で入線して来ました。列車が到着した頃には既にホームは押すな押すなの大賑わい。下車客と乗車客が錯綜し大混雑。首都圏辺りでは日常的な光景ですが静かな山里には時ならぬ騒ぎです。下車客を降ろし、一旦ドア閉め。列車は停止位置を移動して、今度は乗客を受け容れます。始発駅から乗車したら?普通は座れるものですが…乗り込む前から座席は全て埋まり、運転席後の通路にやっと立ち位置を確保するのが精一杯でした。到着こそ遅れましたが、今度は定刻に発車しました。再び北河内駅です。この駅の岩国側には長い高架橋があります。今朝お世話になったNT-3001「せせらぎ」号です。この日はNT-3000三姉妹が1日頑張っていました。錦川鉄道公式サイトによると、3月に4人目の妹…ちゃう(笑)、4両目が登場する由。これは楽しみです。再び川西駅にて下車。列車を見送ります。当初はこのまま岩国まで出て、山陽本線経由で帰ろうか?とも思っていたのですが、途中でやはり乗降に手間取ったのか?川西駅到着時には多少遅延が出ていました。万が一接続が間に合わなかったら?一抹の不安がよぎり、結局このまま岩徳線列車を待ちます。そして、帰宅の足としてお世話になったのがこの車輛でした。この列車、このあと実は櫛ヶ浜駅停車中に、後着の山陽線下り列車に先発されてしまいました。もっとも、その列車は徳山駅で少々停車し、この岩徳線列車の到着を待っていました。6日間に渡った探訪記、お付き合い御精読有難う御座いますm(_ _)m
2008年02月28日
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北河内駅を発車した列車は一路、錦町駅を目指します。段々谷が深くなり、川の両岸には平地が殆ど見られなくなってきます。列車のスピードが落ちました。おや?前方に見えるは速度制限標識。え?時速15キロ制限?深い渓谷なればこそ、自然環境も厳しく、岩日線時代からしばしば水害・土砂災害に見舞われていました。建設年度がもう少し遅ければこのような環境なら長大トンネルをぶち抜いて対処したものと思われますが…元は沿線の鉱山からの貨物輸送が視野にあり、そしてまだ内燃車輛、それも機関車に関しては黎明期とあっては、勢い、蒸機運転を考慮せざるを得ず、あまり長いトンネルは得策ではなかったものと思われます。(そういえば当時、此処を走ったのはどんなカマだったのでしょう?間違ってもC62やD52の入れる規格ではありません。おそらくC11クラスかと推測します。旅客列車に関しては最初から全列車気動車だったものと思われます。)付かず離れず錦川に沿って進みます。川の向こう岸に集落が見えます。駅へのアクセスは?立派な人道橋が架けられていました。錦川水系は古くから水資源開発が行われています。上流にある菅野ダム・向道ダムは岩国市民・周南市民の水瓶として、また水力発電のエネルギーとして利用されています。山沿いの隘路を辿り、定刻より20分以上遅れて、列車は錦町駅に到着しました。以下 次号(笑)
2008年02月27日
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北河内駅ホームから撮影しました。錦川鉄道は単線ですから、上下の列車の行き違いは停車場でないと不可能です。所定ダイヤでは対向列車はすぐにやって来る筈…だったのですが…普段のこの鉄道からは予想だに出来ない、夥しいまでの乗客の殺到に対応が間に合わない?岩国行き対向列車は中々やって来ません。乗客達はホームに降りて記念撮影、完全に観光列車化していました。(勿論、途中駅での乗降もありました。物見遊山気分で来た人が多いのは確かですが、いつもどおりに、所要があるから乗っている人も当然います。そういう立場の人には全区間均一5円と言うのは嬉しい事でしょう。唯一面白くない人がいるとすれば?2月23日が有効期間内に入ってしまう定期券を所持している人でしょうか?(^^);散々待たせて…もとい、満を持して(?)、対向列車がやって来ました。こちらは2両編成。先頭のピンク色のクルマは桜の花びらのイラストがお洒落なNT-3002「ひだまり」号、2両目のグリーンのクルマはカワセミのイラストがキュートなNT-3003「こもれび」号です。何とも賑やかなカラーリングですが、緑深い長閑な山里を、可愛らしいイラスト入りの列車がトコトコ走る姿は何とも微笑ましく、見ているだけでもほのぼのとしますね。無事交換が終わり上下の列車は其々目的地を目指して発車します。以下 次号(笑)
2008年02月26日
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錦川鉄道は元々国鉄岩日線として、1960(昭和35)年、まず川西~河山間が開通しました。その後河山~錦町間が1963(昭和38)年に開通、以北は山口線日原駅まで延伸する予定で、岩日北線として工事が継続されていました。しかし元々さして多くない沿線人口にモータリゼーション、更には道路整備=何しろ山口県の走路整備状況は全国屈指の充実振りですから=が進み、河山にあった鉱山の操業停止に伴い貨物輸送の廃止などもあって収支は悪化、折から国鉄財政の危機的状況化もあって延伸工事はご多分に漏れず凍結、既存区間も第2次地方交通線に認定され鉄道としての存続も危ぶまれてしまうようになってしまいました。一時はこのまま廃線か?と思われた岩日線でしたが、第3セクター錦川鉄道として生まれ変わりました。かつては複数の市町村を経由していましたが、平成の大合併により、全区間が岩国市内となりました(旧玖珂町や錦町が岩国市?何だかピンと来ません。旧小郡町が山口市・旧小野田市と旧山陽町が一緒になって山陽小野田市・旧鹿野町・旧熊毛町が周南市…ってもまだなじめません。それ以前に我が町の周南市という呼称自体、油断すると間違えそうです)。さて、最初の駅は御庄駅。山陽新幹線の新岩国駅とは目と鼻の先で、連絡駅になっています。しかし…何故新岩国駅開業時に、両駅を一体化しなかったのでしょうね?国鉄時代からお互い疎遠な関係=岩日線ダイヤが新幹線接続を意識していなかった=でした。もっとも、もし此処が新岩国駅になっていたら?おそらく川西~新岩国間のみはJRが継続し、錦川鉄道は新岩国~錦町間のみにされ、更に経営環境が悪くなっていた可能性もあります。一概に良し悪しは言えませんね。列車は、車窓に錦川を見ながら進みます。岩国市街地では緩やかに流れる錦川ですが、遡っていくうちに段々川幅も狭く谷も深くなっていきます。途中駅停車中に見かけました。白い花が可憐です。梅の花でしょうか?この辺りはまだ多少は平地もあり、田園が広がっています。北河内駅に到着しました。沿線唯一の列車交換可能駅です。ここで対向列車を待ちます。以下 次号(笑)
2008年02月25日
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錦町行き列車の到着までおよそ20分。ホームで列車を待ちます。向こうの山の山頂近くに見えるのはおや?お城?岩国城です。すると、この方向を見透かせば錦帯橋があるはずですが…家並に遮られ見えません。さて、所定の発車時刻になりましたが未だ列車が来ません。5円で乗れるとあっては普段クルマで移動し、ローカル鉄道など見向きもしない層がわんさか押しかけたのか?さっきの列車も立錐の余地も無い程混んでいましたからさては乗降に手間取ったのか?或いは接続列車が遅れていてその待ち合わせで遅れたのか?やっと列車がやって来ました。おや?歩道橋に何やら絵が見えます。錦帯橋への案内看板でした。水色ベースに鮎のイラストが涼しげなNT-3001「せせらぎ」号です。車内は…まるで首都圏重通勤線区の朝の時間帯の如し。着席など夢のまた夢、立っているのもやっとなほど。それでも、お互い体が触れ合うほどとまではいかないのは幸いでした。首都圏在住時代は通勤時に当たり前に体験した混雑ですが、この田舎では久々の体験です。首都圏や大都市圏、或いはこの近くでも可部線利用者なら、この程度の混雑は慣れているでしょうが、この辺りの人々はおそらくその経験は殆ど無く、また車輛自体も詰め込みの効く103系やE231系と言った類の車種ではないため、どうしても乗降時間がかかり、列車は更に遅れを増幅させて発車します。いざ、錦町へ。以下 次号(笑)
2008年02月24日
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実際の探訪日より随分と遅くなってしまいましたがこれはデジカメを持たず、このご時世銀塩フィルムを使うカメラしかないためDPEの必要があるためです事の起こりは数日前のテレビのローカルニュースでした。1987(昭和62)年04月01日に発足した第3セクター錦川鉄道が発足20周年及び新型車輛導入を記念し、2月23日は特別謝恩価格全線均一5円で乗車可。乗客には記念乗車券を配る!との報道がありました。これまでは仕事の関係で中々土日のイベントには参加できなかったのですが、今回は幸か不幸か当日はフリーです。そこでこの機会にまだ未乗だった同鉄道の「乗り鉄」をしようと言う事になりました。当初は老母も誘ったのですが、直前になってドタキャン(笑)。よって久々に1人で出掛けました。徳山駅09時47分発岩徳線岩国行きキハ402081車中の人となり出発。幸い好天に恵まれ幸先良いスタートです。岩徳線はその昔、柳井経由の山陽本線をショートカットする形で開業し、開業と同時に山陽本線となった関係で、古くからある駅はいずれも長いホームと待避線有効長を持っています。実際、私がまだ10代だった頃までは1日2往復でしたが在来一般型客車10両編成の輸送力列車も走っていました。また、軌道構造も特甲線規格で、C62の入線も可能だった由。惜しむらくは途中の欽明路トンネルが蒸機運転と複線化にはネックであったこと、沿線人口や輸送人員も柳井経由の方が多かった事により、柳井経由の方が複線化され再びそちらが山陽本線になり、岩徳線は再びローカル線に格下げになりました。かつて「あさかぜ」計画時には、岩徳線経由での運転も視野に入れられていたそうですが…しかし、今の岩徳線にはその面影はありません。多くの駅は交換設備や側線も撤去され棒線駅化、長いホームは列車の停まる僅かな部分のみ嵩上げされているものの端っこは草生し、線路の剥がされた側のホームは朽ちかけています。並行する国道2号線は往復4車線の区間はクルマがすいすいと流れ、対面交通区間も一般道路の法定上限速度(時速60キロ)が許容されここでも速いペースで流れます。キハ40では太刀打ちできそうにありません(キハ126なら或いは…?ですが…)。それでも唯一の救いは、単行とはいえ車内にそれなりに乗客の姿があることで、玖珂駅からは立ち客も出ました。さて、1時間少々走って川西駅。ここが岩徳線と錦川鉄道錦川清流線との接続駅となりますのでここで下車します。川西駅です。ホーム1本の棒線駅です。実は分岐ポイントはこの駅から数百メートル徳山寄りの、トンネル1つ向こう側にあります。駅のホームから見た岩国市街の風景です。風が強い日で遠くで砂塵が巻き上がっています。錦川鉄道の列車が到着しました。定刻より10分以上遅れていました。この列車が岩国駅で折り返して来るのが、これから乗る列車です。以下 次号(笑)
2008年02月23日
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実際の書き込みは1日遅れてしまいましたが…2月22日。一体いつ、誰が決めたのか?この日は「ネコの日」なのだそうです。何故?2月22日“2”が3つ並ぶところから「にゃんにゃんにゃん♪」という語呂合わせで「ネコの日」なのだそうです。いやいや…なんともはや(^^);ではイヌの日なんてものはあるのか?と思って検索したら?ありました(^^);1月11日か?と思ったら11月1日である由(出典はこちら)。え?違う?そう仰る方もいらっしゃるでしょうね。本来「イヌの日」と言えばこちらの、「戌の日」の事の筈ですから。それにしても1年365(今年は366)日。人類の長い歴史の上で毎日何がしかのドラマがありエポックメイキングな出来事がありますから何らかの記念日になるのも無理からぬもの。色んな記念日があるものですね。はい、別に意味はありません。単にネコの日にこじつけました…(だってブログに画像がないと寂しいですから…)(^^);追記改めて検索したらこの「ネコの日」、制定されたのは1987(昭和62)年。JRグループと同い年なんですね(^^);
2008年02月22日
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はい、タイトルどおり、例によって例の如くです。フォトアルバム容量捻出のための画像リサイズです。今回対象としたのは2006(平成18)年10月09日付発言の添付画像です。当時撮影した写真です。日付はチェックしていませんが、確実なのは1984年12月~1985年03月の間です。この頃はまだまだ新進気鋭だったEF651098号機ですが、このカマは既に鬼籍に入ってしまいました。これは先行列車を牽引し、EF81-300(若しくはEF30)にバトンを渡しホッと一息ついているEF65PFです。画像ではナンバーが判別し辛いのですがEF651111号機です。いずれの画像も余白部分はトリミングしてあります。
2008年02月21日
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一応完結した筈の九州鉄道記念館探訪ですが、もう少しだけお付き合いの程m(_ _)m九州鉄道記念館のオリジナルステッカーです。モデルを務めるのはエントランスの「顔役」、59634号機です。こちらはパンフレットの表紙です。ここでもやはり表紙を務めるのは59634です。また時候が良くなった頃に再訪したい場所です。できれば門司港レトロ地区とあわせて堪能したい場所ですね。(それは良いとして…働き口を何とかしませんと…)
2008年02月20日
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はい、例によって例の如し。補遺です(てなこと補遺補遺…もといホイホイ書くか?>オレ。え?ホイって積車重量25トンの一等車じゃないのかって?そんな事仰るアナタは「鉄」界でも重症の部類。お医者様や草津の湯ではもう治りますまい…って他人様の事とやかく言える立場じゃない私です)記念館探訪は無事終わり充実した満足感がありました。唯一残念なのはフラッシュの調子が悪くこれを用いた撮影が出来なかったこと位です。この記念館にはカフェと売店がありました。カフェの方は利用できませんでしたが、売店には色々興味深いグッズが並んでいました。親不孝などら息子を待つ老母にせめて何かお土産でも…ん~700系携帯ストラップ?ダメダメ、あの婆さんは一応「堅気」です。古今の名列車の生写真?却下。SL型チョ○Q?お子ちゃま相手じゃないんだから…で結局、お菓子になりました(何のひねりもないオーソドックス過ぎるチョイスですが…)門司港レトロバナナ餅です。3箱セットで販売されていました。門司港レトロチーズ&チョコケーキです。そして、門司港浪漫蒸しけえきです。購入したのは上の3種類。合わせて1,575円とリーズナブルな点が嬉しいところです。え?味ですか?それはもう…美味!単純素直に掛け値なしに正直に申し上げます。いずれも美味しいお菓子でした。ほんに…九州良かとこ。食いもん美味くて人情厚かけん、皆さん来んしゃい!(^o^)/今度クスリ切れたらまた鉄道利用で行こうかしら?(^^);
2008年02月19日
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九州鉄道記念館エントランス部分です。59634が迎えてくれます。入館してまず圧倒されるのは、九州の鉄路を駆け巡り、人々の日常の足として、また物流の大動脈として、日々の暮らしを支え地域経済の発展に寄与した「古武士」達。59634・C591・EF1035・ED721・キハ0741・クハ481-603・クハネ581-8そして石炭車の面々です。美しく整備されたその姿はまるでいつでも本線復帰できそうなほど。キハ0741・クハ481-603・クハネ581-8は車内も見学できます。59634です。エントランスの一番手前に鎮座しています。C591です。東京直通特急のヘッドマークも誇らしげに力走したカマです。そのC591のキャブのプレートです。EF1035です。関門海峡の渡し守でした。ED721です。九州電化の立役者でした。キハ0741です。閑散線区の近代化に貢献しました。クハ481-603です。全国を駆け抜けた485系特急型電車です。でもこのクルマ、元はロザ車だったものをハザに改造したもののようです。窓周りにタネ車の面影が残っていました。展示館内部も充実しています。館内はお世辞にも広いとは言えませんが、展示内容は的を得ており好感が持てます。館内の一端には鉄道系博物館の「お約束」(笑)模型大パノラマ運転場があり、九州を走る代表的な列車たちが次々走ります。接触不良対策か?編成各車輛間を繋ぐコードが貫通路を通っているのが見えてしまうのは画竜点睛を欠いているのかそれともご愛嬌か?(って、重箱の隅を突くな!>オレ)ここは見学者が自分で運転できる車輛があり、パノラマ運転終了後に操作ができます。その車輛が嬉しい事に急行色の475系!子供の頃から学生時代まで何かと世話になり馴れ親しんだクルマです(九州地区のクルマはもとより、北陸地区でもこの一党には世話になったものです)。操作している瞬間、多分子供に戻っていた自分を思うとちと気恥ずかしいものもあります(いい年こいたおっさんが…何をやってんだか?)この日は2階ギャラリーで写真展も開かれていました。良き時代の鉄道風景。撮影者は宇都宮照信氏とのこと。宇都宮氏と言えば、今更私如きが言うまでもないのですが、鉄道に憧れ日本食堂に入社、ナシ20やサシ481の厨房で包丁を振るわれる一方、精力的な「鉄」活動をされた方で九州「鉄」界の重鎮でもあられる方です。氏の書籍(写真集)発刊を記念しての写真展である由。流石は「その道」長いキャリアを積まれた方の作品。いずれ劣らぬ珠玉の写真です。メインの蒸機の雄姿もさることながら、画面の端に写っている客車にも目が行ってしまうのは客車好きのサガでしょうか?(^^);写真展は3月31日まで開催されています。あっという間に2時間が過ぎてしまいました。後ろ髪を引かれる思いで記念館を後にし、帰宅の途につきます。門司港駅から大牟田行813系に乗り門司駅へ。門司駅からは下関行に乗換えます。日豊線からやって来た415系は初期型ながら車内ロングシートに改造されたクルマでした。今回乗った列車では初めて立ち席(座れなかった)です。といっても、僅か一駅間。距離も時間もたかが知れています。停車中に隣の線に先程出会ったEF81410が「いさぶろう・しんぺい」のロゴの入ったキハ47をエスコートして入線して来ました。小倉工場への入場車でしょうか?電源切り替えテストが終わりいざ発車。すぐに室内灯が消え非常灯のみになり、ゆっくり進みます。下り坂にかかったな?と思った瞬間再び照明点灯。そしてトンネルに入ります。関門トンネルを抜けると、朝一面の銀世界だったのが嘘のように、雪は解けていました。数分の接続で115系L編成の岩国行があり、こちらは無事座れました。朝方のダイヤの乱れは回復していて、徳山には無事所定の18時46分に到着しました。
2008年02月18日
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おかげさまで病院の用事も無事済みました。腹ごしらえも出来ました。あとは帰宅するのみ。ただまだ時刻は12時30分。折角だからこの機会に前々から訪ねたかった九州鉄道記念館に立ち寄る事にしました。朝からのダイヤの乱れを引き摺り、先発の各駅停車より次発の快速電車の方が先に出るとの事。かくして811系7連の門司港行快速電車に乗り込みました。ウイークデーのデータイムの快速電車は空いていて苦もなく着席できました。811系は香椎駅を発車、1番線から上り本線に合流するや、持ち前の脚力を活かし、九産大前駅を通過する頃には時速100キロ以上の高速運転で文字通り胸のすくような韋駄天走り。ところが筑前新宮駅では早速後続特急通過待避のため少々停車します。筑前新宮駅を駆け抜けて行った一陣の白い疾風(笑)。885系でした。通過列車の後を追い、811系も発車します。新世代車輛は本当に足取りが軽く、かつての415系時代には信じられない程の高加速でトップスピードに乗り、高速運転を維持して力走します。対向する787系です。先頭車運転席後から撮影しました。今朝ほど世話になったEF81410号機です。単機で南下して行きます。鹿児島本線のこの辺りは列車密度が高く、たくさんの列車と頻繁に擦れ違います。写真を撮る暇もありません(^^);その中には貨物列車をエスコートするEF81303の姿もありましたが、残念な事に気づいた時には既に遅く、写真は撮れませんでした。赤間駅を発車後、折尾駅までの間はノンストップ。車掌さんが車内改札を始めます。門司~門司港間区間外乗車のため往復乗車券を求めます。すると…?「オマエのキップは新幹線経由になっているが、在来線を乗るなら別途140円が必要だから追加料金を払え」え?何ですと?小倉~博多間、新幹線はJR西日本、在来線はJR九州の管轄となり、現在JRの運賃が本州3社と三島会社とでは差があるための措置である由。この私としたことが…迂闊でした。あれ?そうすると往路は?徳山駅みどりの窓口では、乗車券と共に「はやぶさ」の立ち席特急券を購入しています。当然在来線経由であることは窓口氏も判っているはずですが…?因みに乗車券の券面には「幹」の文字がありました。少なくとも往路に於いては小倉~博多間途中下車はしていませんしまた途中下車したら特急券が前途無効になります。もしかして小倉~博多間途中下車しない前提なら「幹」価格で良く、途中下車が前提なら140円高い運賃になるのでしょうか?むむむむむ…複雑怪奇也>旅客営業規則…(旅客営業規則の複雑怪奇さは国鉄時代からの伝統?と言うわけでもないでしょうが、歴戦の「鉄」をもってしても難攻不落否、本職の鉄道職員諸氏ですらその解釈運用に於いて手違いを根絶できない手強い相手です。私如きでは太刀打ちできません)(笑)事情はどうあれ、決まりとあらば従うのが道理。門司港~門司間往復運賃400円+140円、計540円を支払いました。赤間駅発車後時折雪のちらつく中快走して来た811系快速電車ですが、遠賀川を渡り水巻駅を通過した辺りから急に足が鈍ります。どうやら先行列車が遅れている模様で、Y信号を見ながら進みます。黒崎駅付近で見かけた路面電車です。筑豊電鉄でしょうか?かつては西鉄の軌道線が北九州市内を文字通り縦横に結んでいたのですが…スペースワールド駅(これもかつては無かった!)付近で出会った専用線の貨物列車をエスコートする機関車です。戸畑駅ホームから望む若戸大橋の威容です。多少遅れは出ましたが、電車は門司港駅に到着しました。改札を抜け風情ある門司港駅舎を抜けます。九州鉄道記念館の場所は…?程なく見つかりました。券売機で入場券を購入し、エントランスを入ります。続きはまた、日を改めてUPします。
2008年02月17日
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病院の用事は無事に終わりました。さて、帰るとしましょう。この病院から香椎駅までは結構距離があります。その昔はこの距離を歩いた事が幾度もありますがそれは若気の至りのなせたワザ(笑)。いえ、今は歩ける自信がないわけではありませんが、若さなど遠い昔に失った身としては少々心許ないものもあります。まだ距離の近い和白駅へでも出ようかと歩きます(福岡市内は西日本鉄道のバス路線が充実しており縦横無尽にバスが走っていますが今回バスの利用は考慮に入れませんでした。バスを否定するわけではありません。ただ、出来うる限りオンレールに拘っただけです)。家並みの向こうに西日本鉄道宮地岳線もとい、貝塚線の軌道が見えました。おや?ホームが見える?こんなところに駅が?近寄ってみるとそれは唐の原駅でした。その昔、といっても四半世紀前の1980年代前半、昭和で言えばまだ50年代後半の頃、私が大学生としてこの界隈に暮らしていた頃、私の記憶が正しければ西鉄宮地岳線の香椎花園~西鉄和白間には駅は無かった筈です。しかし駅舎を見る限り、昨日今日出来た様にも見えません。何時頃出来たのでしょう?最近の不勉強振りが露呈してしまいました(爆)。香椎花園駅界隈の風情はそれでもまだ過日の面影の残っている場所が多少ありましたが、同駅発車後、国道3号線をアンダークロスした先から高架に駆け上がり、過日の面影は完全に払拭されていました。かつて「点と線」時代そのままの面影を1980年代にも残していた西鉄香椎駅も近代的な高架駅に様変わりしています。(しかしこの駅至近の場所にある八百屋さん、この店は当時の面影を多少残していました。もしかして小説の舞台にもなったお店でしょうか?)時計の針は12時を回りました。JR香椎駅の近くにあったラーメン屋さんで腹ごしらえ。この日の発言で触れたお店の系列店です。此処は駐車場が併設されていないので前回利用できませんでしたが今回はクルマではないので利用できます。期待に違わず美味でした。何より、店員さんの応対も愛想が良く丁寧なのが好印象です。香椎駅から上り快速電車で今度は門司港を目指します。↑乗車した電車です。811系編成でした。以下 次号(笑)(この項終わり。次回から新章突入)(爆)
2008年02月16日
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「はやぶさ」が博多駅に到着したのは10時35分頃でした(所定では10時11分の筈ですが…降雪と踏切事故の影響でダイヤが乱れてしまった影響です)。上り列車で折り返し、病院最寄駅の九産大前駅で下車する予定でしたが、上り列車も10時15分発の小倉行がまだ到着していない状況。ホームは大勢の人で溢れます。その時アナウンスが上り列車の到着を告げます。竹下方から列車が入線して来ました(ホームに人が溢れていたのと、折り返し列車のすぐの到着もあり、カマの顔のヘッドマークの有無までは確認できませんでした)。やって来たのは813系。ブラックフェイスに赤いアクセントカラーのお洒落な新進気鋭のJR世代車です。ドアが開くと同時に大勢の乗客がホームに吐き出されます。流石は福岡県の県庁所在地否、九州を代表する雄都福岡市の玄関博多駅です。立ち席を覚悟しました。しかし車内に入ると?拍子抜けとはこの事、「すっからかん」も同然でした。殆ど全ての乗客が此処博多駅で下車した模様です。時刻は10時45分を回りましたがまだ発車する素振りは見られません。10時50分頃、間もなく発車のアナウンスが流れます。先頭車運転席仕切り窓越しに見える出発信号機もやっとG信号を示しました。ドアが閉まり、発車します。病院の診療受付締切時刻は11時30分、九産大前駅からの徒歩時間は概ね15分。多々良川橋梁を渡る頃には時刻は11時を回りました。時間は極めて微妙な状況となりました。そこで敢えて香椎駅で下車。此処からタクシーを使うことにしました(九産大前駅には駅前ロータリーなどはありません。駅前にタクシーが屯している様子もありません。しかし香椎駅前には大概タクシーが客待ちしている事は昔この駅を利用したこともあるので知っています)。かつて香椎駅から大学時代の下宿までタクシーを使った事もあります。その時は670円でした。しかしそれは20年以上、概ね四半世紀前です。物価水準が当時と今では違います。タクシー料金も改定されています。今回950円。野口博士1人でギリギリ間に合いました。病院に着いたのは11時15分。辛くも間に合いました。やれやれ良かった…それにしても…なんでよりによってこの日に雪が降る?お天道様のイジワル!もっとも…そんなこと言い出したらセンター試験も大概実施日は天気が荒れ、首都圏などしばしば降雪に見舞われ交通機関が麻痺し受験生が右往左往するとか…もう少し日程を考えては如何?>文部科学省様(^^);画像ナシでは寂しいので、813系の写真を貼ります。学生時代馴れ親しんだこの界隈ですが、辺りの風景は一変していました。四半世紀の時の流れを思い知らされます。
2008年02月15日
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前回その1を紹介してからその2を紹介するまで時間がかかってしまっていますがこれはフォトアルバム容量の上限に達してしまったため過去発言に添付した画像ファイルをリサイズするのに手間取ったためです…さて、降りしきる雪の中、列車はEF81410にエスコートされ関門トンネルに向かいます。下関到着直前に抑止を喰らった関係で遅れは10分以上になってしまいました。短い橋梁を渡ります。一見川を渡るようですが此処は既に海の上、渡った先は彦島です。車窓左手のドックに福岡県警とロゴの入った小型艇が見えました。水上警察の船舶でしょうか?いよいよ関門トンネルに入ります。このトンネル、今まで幾度潜ったのでしょう?かつて福岡市には伯父夫婦が暮らしており、時々訪ねた事があります。また、子供の頃町内会の旅行で北九州市の到頭津遊園地を訪ねた事もあります。受験生時代合格祈願で太宰府天満宮を参拝しました。そして大学時代は福岡市に暮らしました。卒業後下関市在住時代に部活の後輩達を陣中見舞いした事、また「博多あさかぜ」お名残乗車をした時等々、もはや数え切れません。尚、福岡市に住んでいた伯父は他界しましたが伯母は健在で足腰こそ弱りましたが口の方は寧ろ達者になりました。今は近所に住んでいます。しばしば運転手役をおおせつかり何かにつけて呼び出されております(^^);門司からのエスコート役を務めてくれたED7670号機です。何故か連結面側にヘッドマークを掲げていました。門司駅でEF81410は任務完了。此処から先はED7670が担当してくれます。1号車スハネフ152とがっちりと手を繋ぎます。さて、連結面側にヘッドマークがあるということは…反対側即ち前側はどうなっているのでしょう?きちんと付けてあるものと思うのですが、生憎停車位置の関係でホームからはカマの顔が見えません。遅れが生じているので連結作業完了次第発車との事。5号車オハネ156の車内に戻り発車を待ちます。「はやぶさ」号は「富士」号に別れを告げ、一足先に発車です。はやぶさ編成は久々に我が家に帰還。でも富士編成が帰還できるのは明後日です。雪は北九州にも同じように降りしきります。さて、九州に雪と言うと一見極めて珍しいように聞こえますが、福岡県は日本海に面しているせいか案外冬は雪が降ります。一度降ったら数日消えなかったりするのです。ですがその話はことのほか他府県では通じません。皆さん九州=南国と思い込まれているようで…(^^);東小倉駅付近で見かけたEH500です。首都圏や東北本線で見かけたカマにこの地で出会うのは何だか不思議ですね(それを言うならEF81の赤13号塗装やJR貨物色は?)(^^);白魔の魔力は益々激しく小倉の市街地も真っ白に雪化粧していましたが、何故か戸畑付近でいきなり雪がなくなりました。まるでモジュールレイアウトを走っているような雰囲気です。列車は「鉄都」を力走します。現車6両、換算23両。ED76にはその程度の編成、荷物にもなりません。しかもCLブレーキ装備で110キロ運転可能ですから。しかしまた列車が折尾駅に差し掛かったところで急にスピードダウン。再びちらつき始めた雪の中、Y信号を見ながらの「ケツ舐め」運転モードに入ります。そのまま水巻駅を通過、遠賀川橋梁もゆっくり渡ります。並走する国道3号線のクルマに追い抜かれてしまいました。遠賀川駅3番ホーム、先行していた811系が通過待避をしていました。果たして「はやぶさ」は再びペースを上げます。海老津駅通過、城山トンネルを抜け、あれ?教育大前駅?そういえばその昔部活の縁で福岡教育大学を訪ねた事がありましたが赤間駅から結構距離がありました。此処に駅が出来たことで同大学の学生・教職員各位にはさぞかし利便性が良くなった事でしょう。(あの頃この駅があったなら…いえ、今更繰言はよしましょう。既に四半世紀前の話です)東郷・東福間…列車は力走します。この界隈、随分と新駅が出来ました。しかし福間駅で何故か列車は本線ではなく側線に入り一旦停車。え?まさか後続の電車特急を待避?所定ダイヤは生憎存じません。もっともこの日は降雪(更には朝方踏切事故もあった模様)の影響でダイヤが乱れている関係で、列車はすぐに発車しました。さて、発車したまでは良かったのですが、どうやら先行列車がつかえている模様でペースはがくっと落ちました。特急列車どころか旅客列車らしからぬスローペースで進みます。古賀駅・筑前新宮駅、いずれもかつての面影は何処へやら?橋上駅になっていました。国道495号線と並行する区間では道路のクルマに抜かれてしまいます。そして香椎駅手前、場内信号がR現示だったのか?とうとう足止めを喰らいました。所定ダイヤでは既に博多駅に到着していてしかるべき時間です。実は病院の最寄駅は九産大前駅が最寄で、博多到着後直ちに上り列車で折り返す予定でした。乗車時のような4分遅れのままでしたら乗換えには影響なかったのですが、此処まで遅れてしまうと乗り継ぎ予定が崩れます。上り列車もダイヤが乱れています。病院の診療受付終了時刻は11時30分。この日は午後は休診ですから遅れるわけにはいきません。一抹の不安がよぎります。香椎駅の場内信号はやっと進行を許してくれました。多々良川を渡り、見慣れない新駅を通過…と行きたいところですがここでも抑止を喰らい一旦停車。上り線には787系の姿がありました。国会での法案可決阻止に戦う野党のセンセイ方もたじたじの牛歩ペースで列車は尺取虫モード。やっとこさ吉塚駅を通過し、電留線脇を通りましたが、博多駅を目の前にしてまた抑止を喰らいます。構内が満線状態で中々入線出来無い由。上り線をそれこそ2分おきぐらいに列車が雁行する中、時間ばかりが虚しく過ぎます。思い余ってデッキから病院に電話し事情を説明したところ、多少遅れても診察を受けてくれる快諾をいただきました。やっと博多駅に到着したのは所定時刻より20分以上遅れた10時35分頃でした。以下 次号(笑)
2008年02月14日
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2月13日。先月もらった薬が切れる事もあり、世話になっている病院に赴く事になりました。前回は老母も付き添ってきたのでクルマを利用しましたが、今回母は去る5日、白内障の手術を受けた関係でまだ遠出は控えるよう申し渡されている事もあり私一人で行く事になりましたので、鉄道利用と決めていました。(齢74の老母を連れて…となると乗り換えの為の階段の上り下り、駅から目的地までの徒歩等気遣いが必要なためクルマを利用せざるを得ませんでしたが今回はその制約がありません。何より「鉄」にとってはクルマで行くより列車で行く方が遥かに楽しいのですから)徳山~博多間、レールスターなら1時間弱なのは知っていますが敢えて在来線利用です。何、在来線を普通列車で行ったところで3時間30分程度の所要時間です。何時の列車で行こう?そうだ!こんな時こそ1レ「はやぶさ」の「ヒルネ」だ!寝台特急「はやぶさ・富士」号の下り列車は下松駅からは立ち席特急券での乗車ができるのです。そこで、乗車券は博多までの往復とし、往路は徳山~博多間「はやぶさ」利用と決めました。(帰りも「はやぶさ」が利用できると良いのですが…時間帯の関係で寝台券が必要になり、高いものについてしまい、如何に「鉄もの」と雖も手出しできかねるような状態です。否、規定上利用を禁じられているわけではありませんが、寝台車を日付が変わる前に降りるなんてあまり綺麗な使い方ではありません。帰路は普通列車乗り継ぎを予定しました)。さて当日朝、午前6時過ぎ自宅を出発。しかしこの界隈には珍しい事が起きていました。稜線がやっと白みだした早暁の周南市は、「夜の底が白く」なっていました。そう、前日夜半より降雪があり僅かながら積雪があったのです。一抹の不安を覚えながら徳山駅へと急ぎます。徳山駅みどりの窓口でキップを求めます。窓口嬢によれば「1レ4分遅延だけどいいの?」どうやら雪のため多少の遅れが出ている模様。予定の接続を考えると4分程度なら影響ありません。同意の上切符を購入、ホームに入り列車を待ちます。果たして4分遅れて、東の空に寝ぼけ眼の今朝の太陽をバックに、2つのヘッドライトを輝かせ、ヘッドマークも凛々しくEF6645にエスコートされた1レが入線して来ました。ドアが開き乗り込みます。寝台解体作業中の作業員氏に「ヒルネ」乗車可能の号車を確認すると、5号車と6号車との事。迷わず5号車に向かい、東京発車時以来誰も乗っていなかったと思しき8番の席に腰掛けます。(何故6号車を避けて5号車へ?6号車はスハネフですから床下で電源エンジンが唸っていますので…)辺り一面白く雪化粧した中、列車は力走します。西へ進むほど積雪量が多くなっているように見えます。もっとも、この辺りの積雪量は以前暮らした富山界隈のそれとは比較にならない些細なものですが…なまじ普段雪の降らない土地だけに数cmの積雪で支障が出てしまいます。そんな中、この日の発言で触れました、例の小野田~厚狭間の撮影ポイントでは、線路脇にクルマを停め、一眼レフカメラを載せた三脚を構えた「ご同業」氏の姿がありました。寒い中ご苦労な事ですが、良い写真が撮れたのでしょうか?もし力作が撮れたのであれば雑誌等で紹介して欲しいところです。厚狭~埴生間だったかと思いますが、117系と擦れ違いました。良く見ると緑帯の300番台のようです。意外なクルマに出会いました。遅れは出ていたもののそれまでは順調に走っていた1レでしたが、小月駅を通過し、長府駅に差し掛かった頃でした。場内信号機がG信号以外の現示を出していた模様で列車のペースががくんと落ちました。所謂「ケツなめ」運転です。新下関駅で見かけた原色0系です。訓練用に残されている由。所謂教習車の扱いでしょうか?下関駅到着時、遅延は10分以上に伸びてしまっていました。大任を無事勤め終えたEF6645が帰区して行きます。海峡の渡し守、今日はEF81410でした。以下 次号(笑)
2008年02月13日
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しばらく行進が止まってしまっていました。え?行進?ちゃうちゃう!更新でした…(運動会の入場行進じゃないんだから…)前職もとい、今となっては前々職となる写真屋稼業。退職時に健康保険証は継続申請していましたがそれも離職後2年を経過し資格喪失。以来国民健康保険に変更しました。その際口座振替の手続きを取り以降は毎月引き落としされていました。然るに、昨年11月以来督促状・催告状が繰り返し届くのです。最初は手続きしたのが10月下旬だった関係で処理の都合上行き違いがあったのだろうと気にもしませんでした。しかし12月にも年が変わって1月になってもまた届きます。そして今月になってもまた…何故?おかしいじゃねーか!こちとらちゃんと払ってるぞ?領収書だってあるのに…?今月届いた請求書には2月15日までに払え!と小五月蝿い事が記載されていました。どうも不思議なのでこの日市役所を訪ね問い合わせをしました。すると…?口座振替の手続きが下旬だった関係で金融機関との処理の都合上1か月分の引き落としがされていないので請求したき!聞いてねえよぉ!そんなことぉおおお!(半分立腹)自分としてはきちんと手続きを取っていたのでまさかそんな状況になっていたとは夢にも思いませんでした。そんなん知るか!と言いたかったのですが、払った筈のものが払われていないとあっては払わないわけにはいきません。釈然としないものもあるにはありましたが、支払いました。例によって画像なしでは寂しいので、例によってやっつけ仕事の落描き(楽描き?)です。お目汚しの段平にご容赦の程…m(_ _)m
2008年02月12日
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はい、例によって例の如く、過去画像のリサイズネタです。今回対象となるのは2006(平成18)年08月10日分と同年08月21日分の2カットです。2006(平成18)年08月10日分画像です。余白部分はカットしました。2006(平成18)年08月21日分画像です。余白部分はカットしました。いずれも昭和時代の貨物列車の姿です。種々雑多(積荷の特性に特化した構造)な貨車が繋がった貨物列車は当時は当たり前でしたが、其々の積荷の発着地が違うため一々ヤードに入れては解結を繰り返していたため所要時間を要し、急速に整備の進んだ高規格道路と自動車の普及の前には遂に競争力を失い、現在ではこのような貨物列車は見られません。ただ、二酸化炭素排出量では自動車より遥かに少なくて済む鉄道輸送はもっともっと見直されてしかるべきであり、近年その機運が広まっているのは喜ばしい事です。
2008年02月11日
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はい、今回も過去発言添付画像のリサイズ話です。今回は3日分一まとめです。各画像に添付しましたこの色にしてこの書体の文章は元発言におけるキャプションです。まずはこの日の画像写真は本文とは関係ありません(って新聞の少年非行問題検証記事かい>ぢぶん)画像が何も無いのは寂しいので10月22日に訪ねた越後中里の駅前風景です。続きましてはこの日の画像画像がないのはやっぱり寂しいので、10月22日の撮影行の帰途撮影しました赤谷湖の画像を添付します。そしてこの日の画像です。やっぱり画像なしは寂しいのでまたまた赤谷湖の画像です。この3日間、実はブログの内容と添付画像とは関連性は皆無でした。ただ、画像がないのが寂しくて、以前撮影した風景写真を添付していたものです。
2008年02月10日
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はい、タイトル通りですm(_ _)mフォトアルバム容量を捻出するためこの日の発言に添付していました画像を一旦削除しました。ただ、元画像が消えてしまっていては新規に弊ブログをご来訪下さった方に申し訳ないので、縮小リサイズした画像を紹介します。尚処理の都合で元画像の余白部分を一部トリミングしました。↓元発言における添付文章です↓昭和と言ってもこの写真を撮影したのは昭和60年頃の事です。生まれてはじめて一眼レフカメラを持てたことに感激して、休みの度に近所でぱしゃぱしゃかし貨車?やっていました。この写真は鹿児島本線門司~小倉間だったと思います。上り415系の車中から撮影しました。余計な事かとは思いましたが一応紹介しますm(_ _)m
2008年02月09日
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フォトアルバム容量の上限に近付いてしまいました。過去ログからファイルサイズの大きいものを削除しましたが、発言内容の脈絡が途切れてしまいますので、当該画像をリサイズの上再UPします。尚、ファイルサイズ縮小に伴う劣化・ノイズを少しでも減らすため、元画像のよはく・背景部分を一部カット(トリミング)してあります。今回はこの日の発言分です。まずは京成3700系3761Fです。この写真は自宅から徒歩数分のところで撮影しました。当時の居所から徒歩数分の場所です。京成電鉄勝田台~志津間です。次いで京成3300系3337Fです。同様もう1枚(^^);そして、同じく3300系3348Fです。また少し歩いて駅の反対側で撮影しました。志津駅を挟んだ反対側、志津~ユーカリヶ丘間です。首都圏重通勤線区は駅間が短く、志津駅を挟んだ両隣駅とも駅間徒歩可能な距離です。千葉県在住時代、最寄駅は此処京成志津駅でした。都会と田舎の境目といった風情の町で、都心へ充分通勤可能な場所ながら、一歩裏手に入ると農地もあるような、長閑で暮らしやすい町でした。何より、同じアパートのお隣さんが良い方で、何かとお世話になりました。(でも一番嬉しかったのは…お隣さんの!小型の室内犬ですが、この「わんこ」がまた人懐っこくてしばしば癒され、元気をもらいました。駅への道すがらのご近所さんの玄関先にも犬小屋があり、さして体も大きくない、何の変哲も無い雑種犬が飼われていましたがこの犬もまた人懐っこく、いつも遊んでくれました。何時の日かこの「わんこ」達に再会したいものです)
2008年02月08日
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はい、タイトルどおりです(^^);昨年6月1日付けで始めた仕事のおかげで、当初83kgを越えていた体重が見る見る減り2ヵ月あまり後には73kgに、ウエストサイズも94cm→83cmと、メタボリックラインもクリアできていたのですが、先月末で退職して以来、食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活になってしまい、この日測定してみると?僅か1週間で76kg!これはやばいです(爆)。如何に病気療養中とは言え…ちと考えないとなりませんね。何事も気にし過ぎるのは考えものですが無頓着もいけません…画像ナシでは寂しいのでこんな絵を添付します。例によってくたびれたオッサンじゃ絵になりませんので、代わりにこのキャラにモデルをさせます。そういえば、鳩山法相は、児童ポルノ画像を所持しているだけで処罰の対象になるような法改正をお考えの由。もしかして?この手の絵は拙いでしょうか?(この絵では「局部」など表現してはいません。少なくとも表現していない筈ですが…)(^^);
2008年02月07日
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老母の白内障は4日に入院、5日に手術、6日退院のスケジュールでした。前回の入院時、手術の日誰も立ち会ってくれなかった!と「婆」がお冠モード(笑)(でもその日は仕事じゃったんじゃけぇ…どねえすりゃええんか?まさか会社サボらにゃいけんかったんか?いい年をして子供みたいにじら言うてからに…はぁ知らんいね…)今回は幸か不幸かニート状態なので5日見舞いに行きました。と言っても手術は12時30分から。一方面会時間は13時以降。手術中は部外者が手術室に入るわけにもいきませんので結局手術終了後に病室を訪ねました。駐車場は最初の1時間は無料、以降1時間ごとに100円。しかし見舞いに行ってあれこれどうでもいいような愚痴を聞かされつつふと時計を見るとそろそろ1時間経過する頃。病室を辞し駐車場に向かいましたが南無三宝!入庫13時30分、出庫14時32分…僅か2分差で100円掛かってしまいました…さて、この後はどうしよう?そうだ!昨日上手く写真が撮れなかったからリベンジに行こう!かくして、4日に行った光~下松間へ。いくら駐車していても邪魔にならないとはいえ道端にクルマ置いておくのは褒められる事ではありません。そこで、今回は少し離れた、海水浴場入り口付近にクルマを停めました。(それにしても…鉄道写真を撮るのにクルマで行く…邪道にも保土ヶ谷バイパスもとい!ほどがありますね…)やって来た下り電車。広ヒロL編成(N30更新車)です。これは上り電車。広ヒロL編成(N40更新車)です。しかしけしからん事に?並走する国道188号線のクルマに追い越されています。おい!何をチンタラ走ってる?しかしその先の信号機の現示はYG。一方国道は往復4車線+中央分離帯。ドライバー共に飛ばすな!と言っても無理な相談です(パトカーでも用意しない限りは…)。それにしても…最近撮影していない上にどうやら老眼が始まったせいか?MFカメラでは上手く撮れなくなってしまいました…デジタルAF一眼レフカメラが欲しいところですが先立つものがありません撮影してからブログのネタにするまで数日のタイムラグがあるのは、銀塩フィルムカメラしか持っていないためDPE処理に時間がかかるためです。
2008年02月06日
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4日はウチの老母が白内障手術のため病院に入院する事になり、送って行きました。その帰り、時間に余裕もありましたので前から気になっていた撮影ポイントへ向かいました。山陽本線光~下松間、国道188号線沿いで海に面した場所です。この辺り道幅が広く、道端にクルマを停めておいても迷惑にならないようです。ここは架線支柱が山側にしかなく、海側から撮れば支柱の影を気にせず撮影できます。しかし事前にダイヤを調べていなかったのでカメラの準備中に列車がやって来てしまい、ちっとも綺麗に撮れませんでした…広セキC-03編成です。
2008年02月05日
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時刻は8時になりました。メインターゲットがそろそろやって来る頃です。果して8時02分、遠くから微かに列車の走行音が聞こえて来ました。特急1レ「はやぶさ・富士」。かつて綺羅星の如く雁行していた東京発着の寝台特急も現在はこれ1往復。頭では理解していても心の中では受け容れきれない蟠りが今も消せません。背景の竹やぶは突堤になっていて、かつての短絡線です。美祢線と宇部線・小野田線を直通させるもので、古はD51が、近年はDD51が、セキ車・ホキ車を連ねて通っていました。1986(昭和61)年の時点では現役で、ここをDD51の貨物列車が通過していったものです。この短絡線は電化されていて、時には宇部・小野田線の旧型国電が通っていたこともありました。時代の流れ?だとしても…現地に早朝到着できて1日を有効に使える夜行列車、需要が無いわけはないのですが…
2008年02月04日
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以前(と言っても既に33年前!)の、優等列車が雁行していた時代には比べる事もできないほど列車密度の減った山陽本線ですが、この時間帯は結構列車があります。貨物列車がやって来ました。コンテナ車の長い編成をエスコートするのはEF200-13です。次いでやってきたのは上り電車。広セキC-30編成でした。間もなく「メインターゲット」がやって来ます。
2008年02月03日
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気を取り直して体勢を立て直します。この季節、西国である山口県の日の出の時刻は遅く、7時半頃になってしまいます。この日も丁度稜線から太陽が顔を出して間もなく、斜光線を浴びる形になりました。次にやってきたのが下関行き。ちくビーム装備車です。光線状態が劣悪にもかかわらずシャッタースピードが1/1000だったためf値が2.0となってしまい綺麗に撮れませんでした。一見未更新のC編成ですが良く見るとこれはこの地区1本だけのH編成!クハ111-811・812が前後を務める編成でした(モハユニットは115-1000番台)。おや?この日の発言で触れたこの画像↓、そこに写っていたのはこの編成でしょうか?元発言では編成前側はおそらく広ヒロL編成、後側は広セキC編成、写真では見え難いのですが、所謂ちくビーム改造車です。などと書いていましたが以下のように訂正します。編成前側はおそらく広ヒロL編成(N40施工車)、後側は広セキH-01編成、写真では見え難いのですが、所謂ちくビーム改造車です。そして同じ発言で紹介したこのカット↓元発言ではこの編成は前側が広セキの3000番台旧広島快速色、後側は広セキC編成。こちらもちくビーム改造車でした。などと書いていますが、この旧広島快速色、広セキN-07編成です。今この色を残す広セキN編成はこのN-07編成とN-21編成の2本あります。N-07は正調3000番台、N-21編成はモハユニットが元117系の3500番台。パンタグラフの違い(前者はM'車に2丁搭載、後者はM車に1丁搭載)があるので車番の読めない距離でも判別が可能です。そして、編成後半の4連も、C編成ではなくG編成かも知れません。生憎車番が読めないので判別できませんが、クーラーキセやベンチレーター、ヘッドライトの形態など、結構クセがあります(^^);因みにこの日の発言で触れたこのカット↓も、N-07編成です。
2008年02月02日
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この日の発言でも触れましたが、結局また「毎日が日曜日」の日々に戻ってしまいました。じたばたしたところで何も始まりません。折角時間が自由になるようになった事でもあり、久々に「撮り」に赴く事にしました。場所はこの日の発言で触れました、山陽本線小野田~厚狭間です。前回の訪問は1986(昭和61)年の事。実に20年以上ぶりの再訪です。本来は朝5時に出発する予定でしたが油断してしまい、気がつくと6時!出発できたのは6時20分頃でした。一般道路をチンタラ走っていたら間に合わない!と思い、徳山西インターから山陽自動車道へ。山口南インターで一旦降りて、山口宇部有料道路へ入り宇部ジャンクションで山陽自動車道に進み小野田インターが目的地至近なのでここで降ります。現地に着いたのは7時30分頃、「ターゲット」の予想通過時刻の30分程早目に着きました。それにしても寒い!無理もありません。気温は氷点下を表示し足元には霜が下りて水溜りは氷が張っていました。おもむろにカメラを取り出し構えようとしたその時、列車がやって来ました。宇部線若しくは小野田線直通の宇部新川行き105系でした。慌てたので綺麗には撮れませんでした…
2008年02月01日
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