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津和野駅に着いた時も、町は小雨に濡れていました。周囲の山々には雲や霧がかかりまるで水墨画の世界そのまま。こういう風情も中々捨て難いものですね。ご当地に来たら絶対に外せないと言っても過言ではない場所にまず向かいます。駅からそぞろ歩きで10分程度でしょうか?山門の入り口に着きました。お供え物の油揚げを購入し、名物の、赤鳥居の連続する石段を昇ります。同行の老母にはいささかしんどいのではないか?と一抹の不安がよぎりますが、ここは人々の信仰を集める稲荷神社の参道。参詣するのは足腰の達者な若いもんばかりではありません。寧ろ信心は高齢者の方が厚いもの。腰が曲がって杖を突きながらでも参詣する老婆の姿も珍しいものではありません。ましてウチの老母は年相応に物忘れは出るものの、足腰はまだしっかりしていますので大丈夫でしょう(口の方は老いて益々達者になってますが…やれやれ)。例によって既出画像ですが、津和野太鼓谷稲荷神社の遠景です。そぼ降る雨の中、流石は本邦でも五本の指に入る津和野太鼓谷稲荷神社、境内には参詣客の姿が少なくありません。良い就職先が見つかりますようにと文字通り神頼み。これも再掲。稲荷神社ということで、神獣白狐の巫女さんです。え?此処の巫女さんがこんな「コスプレ」してるのか?勿論そんなわけありません(アキバじゃあるまいし…)(笑)時刻は12時になりました。この神社は山の中腹にあり、頗る見晴らしが良く、津和野の町が一望できます。町の外苑をまるで城壁のように、山口線の突堤が取り囲んでいます。折りしも津和野駅11時58分発山口行き2546Dがキハ40単行で差し掛かります。全長21.3メートルの大型車体を持つキハ40も、この高台から見るとNゲージレイアウトを行く模型車輛より小さく見えます。9521レの津和野着は12時36分。折角ですからその姿を拝んでから下山しましょう。境内の一段下にある駐車場。ここにはクルマの安全祈願をしてくれるコーナーがありその傍にベンチがあります。屋根の下なので雨を避けられます。自販機でホットレモンティーを購入、喉を潤し体を温めしばし待ちます。12時30分になりました。そろそろ駐車場の端に向かいます。おや?何時の間にか人々が集まって来ます。さては?皆さん考える事は同じですね。そして12時35分頃、山影から9521レが姿を現しました。黒いカマと濃い茶色の客車。絶気運転で殆ど煙を吐いていないので雨に煙る遠景では目立ちません。微かに客車の白線と、カマのヘッドライトがその存在をアピールしています(なるほど、客車の白線にはこういう効果があったのですね)。「ほら、来たよ」「え?どこどこ、見えんわぁね」「ほら、あそこに来よらぁね。ヘッドライトが見えんのかね?」「よう判らん」「ほら今汽笛鳴らした。真っ白い蒸気吐いたじゃろうが」「おぉ、あねぇなとこじゃったんかいね。まるで反対側見よった…」ムービーカメラが欲しくなるロケーションの中、9521レは小雨降る津和野の町を粛々と進みます。C57+12系5両、全長約120メートルの9521レも、まるで針です。あの列車に、今朝ほど出会った赤ヘル氏が乗っている筈ですが…とてもここからじゃ見えません(^^);9521レを見送り、再び参道を下ります。下りたところにあった手打ち蕎麦の暖簾。時刻も午後1時。腹ごしらえする事にしました。さて、午後は何処を観光しましょう?津和野と言えば、文豪森鴎外。その生家があります。見学する事にしました。門の向かい側にある商店で観覧券を購入、邸内に入ります。先日訪れた宇野千代生家に比べて、建物そのものはそんなに遜色ないのですが、庭は狭いようです。ただ、両家屋とも鴨居の低さには閉口しました。身長179cmしかない私でも頭がつかえてしまいますので…津和野には森鴎外記念館なる施設もあるとのこと。今回はしかし訪問できませんでした(いえ、単純にその存在を知らなかったのです)。通り道の途中に小さなミュージアムがありました。以前からその存在は気になっていたものの中々訪問する機会を得ませんでしたが、ようやくその機会を得ました。館内は、長い歴史を経て今に伝わる貴重なアンティックドールやアンティックレースが展示してあります(館内は撮影禁止のため写真はありません。同館公式サイトをご参照下さい)。元は白かったであろうレースは黄ばみが出ていますがこれは宿命でしょう。それにしても、今でこそNC制御のマシーンで廉価に大量生産できるレースや刺繍も、そんな便利なもののない17世紀には、女工さんたちが一針一針手作業で作っていたのですから、その製作コスト(特に人件費)が膨大なものになるのは容易に想像できます。こういったものを所有していた王侯貴族や富裕階級はその名が後世に伝わっていますがこれらの作品を仕上げた職人達の名前はどうでしょう?ドールの作者、たとえばジュモーなどは名前が残っていますが…歴史を支えるのは王侯貴族や為政者など一握りの特権階級ではありません。名も無き市井の人々が皆して作り上げそして守り後世に伝えていくものです。実はもう一箇所、訪ねてみたい場所があったのですが道順が今ひとつわからず、時間切れ(午後3時を回ってしまった)ため、次回訪問時の宿題となってしまいました。時間が取れればこの美術館にも立ち寄るべきでした。また是非次回訪ねてみたいものです。駅に程近い踏切では、発車に備えて入換転線作業中のC57の姿が見えました。大型のムービーカメラ(デジタルタイプ?)を抱えた御仁を含む老人達のグループが踏切の脇に屯し、手に手にカメラを持って動く蒸機を追っていました。しかし彼らは…遮断機が下りると何を血迷ったのか犬走りに入っていきます。一瞬言葉を失いました。多分あの「連中」は「素人さん」なのだとは思います。なればこそ危険も立入禁止も判らないのでしょう。相手は人数もいて年上、こちらも老母が同行していましたので何も言えませんでしたが…本当は恫喝まがいになっても諫めるべきだったのでしょうか?ちと反省してます。(あの手の連中のせいで我ら「鉄もの」が某「緑豆」団体の如き暴徒と見られたらたまったもんじゃありません。もっとも、はた迷惑な行動を取る「フーリガン」共に鉄を名乗る資格はありません。奴らが「鉄」を名乗っても認めませんし、「鉄」を名乗る事を許しません)津和野駅では今朝ほど出会った赤ヘル氏に再会しました。氏は復路も9522レに乗車するとの事です。改札口で指定券を見せ、ホームに入ります。以下 次号m(_ _)m
2008年03月31日
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はい、タイトルどおりです。これまでその姿を写真に撮ることはあっても、実際に乗車する機会のなかったSLやまぐち号に乗って来ました。それは数日前の事でした。かねてより「あのSL乗って見たいのぉ」とウチの老母が話していまして、折角今年の運転も始まった事でもあり、ダメで元々取れれば儲けものと、徳山駅みどりの窓口で聞いて見ました。すると?3月29日は上下とも満席、しかし30日の上り9522レなら?何とかまだ空席があり、無事2席ゲットできました(2号車2番C・D席。本当に最後の最後が残っていた!って感じです)。さてその当日、3月30日、SL乗車のために津和野へ赴きます。ただ単に9522レに乗るだけなら津和野発15時36分ですから慌てることはありませんが、折角ですから津和野の町も散策したい、となると午前中に津和野に着く為には…?あれ?山口線の山口~益田間は思いのほか列車密度が低く、中々手頃な列車がありません。クルマで行けば概ね1時間30分で行ける(但し鉄道で行くと三角形の二辺を通る形になるのでどうしても不利になりますが)のですが、鉄道利用となると?津和野着11時16分、2539Dに間に合うようにとなると…?徳山発 08時42分発 623M新山口着 09時24分着 ↓新山口発 09時36分発655D 655D山口着 09時59分着 ↓山口発 10時04分発 2539D津和野着 11時16分着こういう接続になりました。さて当日。自分1人で行くなら徳山駅まで歩きますが、オン年74歳の老母を伴うとなるとそれはいささか非現実的。徳山駅まではバスで出ます。ただ日曜日のため手頃なバスがなく自宅を出たのは朝8時でした(バスの所要時間は10分弱なのですが…)。生憎の雨模様、用意していた傘は骨が折れていた事が発覚。駅の売店で傘を購入します。徳山駅4番ホーム。623Mが入線して来ました。お?嬉しいことに広ヒロL編成か?と思ったのも束の間、段々近付いてくるクハ115のクーラーキセが分散型なのに気がつきました。やや?これはまさか?編成番号を見て納得。広セキC-24編成でした。この編成、塗装こそN-30、N-40更新工事車と同じ「シャムネコカラー」ですが、両端のクハ車の車内は原型固定クロスシート車です。コイツが来ると知っていたら中間車の乗車位置に待っていたのですが…(モハ車は転換シート改装)ま、今更動いても仕方ないですし、徳山~新山口間42分間の事ですから…下車客が降りた車内に入ります。進行方向が空いていたボックスを見つけ、広島カープの赤ヘルキャップをかぶった先客に一声断って相席させて貰います。小雨降る中、623Mは発車します。新南陽~福川間、かつて専用線が分かれた先の、キリンのビン工場のあった場所は工場閉鎖後建物が解体され長く更地でしたが近日オープン予定の大型商業施設の建設工事が着々と進んでいました。この辺りの車窓風景も様変わりしそうです。戸田駅。1968年以降に増設された4番ホームはしかし1975年の新幹線博多開業後波その存在意義を失い何時しか使用停止、現在は4番線への転轍機も架線も撤去され、赤さびた軌条が雑草の根元に埋もれています。勿体無いなぁ~と呟いたら、相席の赤ヘルキャップ氏が反応しました。それを潮に、この赤ヘル氏と会話が始まりましたが、何とこの方も「鉄」で、つわものの乗り鉄派でした(寝袋持参で駅ネも辞さずに全国各地を回っておられる由)。氏も偶然やまぐち号のキャンセル分の指定券がゲットできたので乗り鉄に来たとの事。話が弾んで大いに盛り上がりました。こういう思いがけない出会いがあるのが鉄道旅行の醍醐味ですね。新山口駅到着。9521レで津和野に向かうご予定の赤ヘル氏と別れ、2番ホームへ。655Dを待ちます。遠くの旧小郡機関区(現山口鉄道部)では、今日の運転に備えてC571号機が盛んに煙を吐いています。キハ472連の655Dが入線しました。車内に乗り込みます。655Dは淡々と山口線の南部、平坦区間を走ります。菜の花こそ咲いていますが桜はまだ蕾の状態。案外来週の土日には川沿いの桜並木もさぞかし綺麗になっていることでしょう。山口駅到着。5分の接続で2539Dへ。しかし階段を昇って2番ホームへ移動する必要があります。実は密かに懸念していたことがありました。階段の昇り降りが年寄りにはきついのではないか?と言う問題上に、おそらく2539Dは単行。乗換え後に着席出来るだろうか?果たして2539Dはキハ40単行でした。車内も結構先客がある上乗換え客が押し寄せます。後ろ向きではありましたが取敢えず母子揃って着席は出来ました。実はこの日、団体旅行なのか?老人達10数人のグループの乗車がありました。新山口~山口間の列車は2両編成でもありほぼ全員着席できていましたが、流石にキハ40単行では全員を収容しきれず、老人達も含めて立席客が何人も生じてしまいました。自分が座っているのが気まずい程。車窓でも撮ろうかと、さりげなく席を立ちました(座りたい人がいれば座ってもらおう)。今回は「乗り鉄」、しかも雨のため走行写真がありません。そこで既出画像で恐縮ですが、山口線を行くキハ40単行列車です。最初のカットは篠目~長門峡間、次のカットは長門峡~渡川間です。乗客とワンマン運転の運転士氏の会話によると、この列車普段は宮野以北は数人の乗客である由。土日祝日は多いこともあるけれど、この日のように立席客も出るほどの混雑は珍しいとの事。臨機応変でもう1両増結!なんて訳には…行かないのでしょうね…徳佐を発車。車内が少し空きました(地元の利用客が下車)。ここで着席させてもらいます。船平山を発車後、県境にして分水嶺の長いトンネルを潜ります。島根県内も雨の中。山麓に沿って列車は高度を下げ、津和野駅に到着です。以下 次号m(_ _)m
2008年03月30日
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3月28日、老母とその長姉である伯母のリクエストにより、お出かけしました。目的地は此処です。丁度28~30日の3日間、洋蘭展が開催されているとの事で、それを見学に行ったものです。同園同施設の詳細は、リンク先の公式サイトをご参照下さい。今回は迂闊にもカメラを忘れてしまい(会場到着時に気付いた)ので、写真は全てレンズ付フィルムで撮影しました。エントランス脇のフラワーポットです。入り口程近くにあった会場周辺案内地図です。同園のシンボルのような花観覧車です。もっとも、人が乗れる構造ではありませんが…遠距離からでも良く目立ちました。メインの洋蘭は、展示即売品と、愛好家が丹精込めて育てたものと其々が展示されていました。色も模様もカラフルでバラエティに富んだ蘭の花の姿は皆美しく、ついつい見とれてしまいます。もっとも、同行した伯母に言わせると?「小規模で物足りなんのぉ」とのこと。「以前見た東京の幕張メッセで開催されてた蘭展はもっと賑やかじゃったいね」…って伯母さん伯母さん!そりゃ首都圏と地方都市を同列で見る方が無理だって。そもそも!幕張メッセは東京じゃない!あれは千葉県だよ!>千葉市の幕張本郷だってばぁ!(首都圏にいれば幕張メッセは千葉県にある施設なのは自明のことですが、遠く離れた地方から見ると、首都圏の森羅万象はひっくるめて「東京の~」になってしまうんですね…もっとも、新東京国際空港だの、東京ディズニーランドだの、頭に「東京」を関しているにもかかわらず、何故か千葉県にある施設なんてものも色々あるのもややこしさを増幅しています。写真屋勤務時代のある取引先企業の場合も「東京第2営業所」が埼玉県与野市=現さいたま市=にある…なんて事例がありました。職場は都内でも自宅が近隣県にある人、所謂埼玉都民・千葉都民などと呼ばれる立場の人も少なく無い事も紛らわしさに拍車を掛けていますね…)然程広い施設でもなく、時期的にまだ花も咲き誇っていると言うほどでもありませんが、穏やかな日差しの中散策するには頗る気持ちの良い場所で、公園周辺部にある温室にも各種の花が咲いていました。さて、花々を堪能した後は柳井市内に残る白壁の町並みの見学に向かいます。実はこれ、フラワーランドエントランスに再現された白壁の町並みです(一種のオープンセット)。生憎白壁の町並みで写真が撮れませんでしたのイメージ画像としまして…m(_ _)m足腰の衰えた老婆を2人連れていたので、道幅の狭いところでしたが、年寄りを乗せたまま徐行運転でクルマを走らせます。柳井市は幸いにして戦災に遭わず、古い時代の建物が無事に残っています(徳山・宇部・下関などは軍関係の施設や軍需工場、港湾等があった関係で攻撃目標とされ、大戦末期には雨あられのように降り注ぐ焼夷弾に最早抗う術もなく焼け野原にされてしまいました。幼い日々防空壕に身を寄せ恐怖に震えていたと言う話は母に嫌になるほど聞かされました。無抵抗の民間人を多く犠牲にしてしまう都市空爆は最早戦争ではなく虐殺です!)。通りの立て看板の文字に思わず目が止まりました。曰く「カニが横切りますのでご通行の方はご注意下さい」??????海辺にせよ、川辺にせよ、水辺の街角ではたまにカニが道を横切る姿は珍しくも無いのですが、わざわざ看板に書いてあると言うことは、1匹や2匹のことではないということでしょうか?そういえば、普段は海から離れた淡水域で暮らしているのに、産卵の時だけ一斉に海に下る種類のカニがいますので、そいつらが団体で沸いてくるのでしょうか?しかし、急いでいる時に「通せんぼ」喰らったらイラついてしまいますね(^^);しかしいくら急いでいるからと言って、蹴散らしたり、まして踏み潰して行くのはあまりにも無慈悲。殺生な話です。小さなカニと雖も同じ地球に生きる仲間だから…という、町の人々の優しさが立てた看板であると解釈しました。時刻はそろそろ午後2時。流石におなかも空きました。何処かで何か美味しいものでも…と探すものの適当なお店が見つかりません。やがて大型商業施設が見えてきました。おそらく此処なら手頃なレストランでもあるだろうと判断し、立ち寄ります。人心地ついたのは良いのですが、腹の皮が張ると目の皮が弛むのは世の習い。しばしまどろみモード。さて、まだ日は高いようですし、錦帯橋の側にある桜並木、もう咲いた?まだ咲いてない?折角此処まで来たのならついでに覗いて見よう。かくして岩国市へ向かいます。桜はまだ蕾の段階。後数日経てばきっと綺麗になる事でしょう。その代わり?足の踏み場もない程の黒山の人だかり(最近は黒一色ではなくなりましたが…)(謎)になってしまうことでしょう。通り道の電柱に宇野千代生家手前100メートル右折の表記がありました。「こりゃあ是非寄って見んにゃいけん。寄ってくれさんや」伯母のリクエストにより、、錦帯橋脇の桜並木を見た後案内表記に沿って狭い路地に入ります。5ナンバーセダンでもやっとの細い道。時速20キロほどで微速前身(^^);しかし…ホントにこの道で良いのかしら?不安になった頃通りすがりの老婦人に尋ねます。「あぁ、宇野千代先生の生家?ならこのまま進んで、駐車場があるから…」我々が何処に向かっているのか即座に察したこのご婦人懇切丁寧に教えて下さいました。有難う御座います。(何分にも著名な作家先生ですから、全国から女史のファンが訪れると見えて地元の方々も案内に慣れているのですね。ウチの車他府県ナンバーなので尚更判ったものと思われます)辿り着いたのは公開時間終了ギリギリ時刻。恐る恐る問い合わせると?見学を認めてもらいました。謝意を述べ邸内に入ります。家屋自体は決して大きいものではありませんが、当時の裕福な家庭の暮らしが偲ばれます。特に庭園がゆったりし、薄墨桜を始め桜の木が何本も植えてありました。こういう環境なればこそ、あのようなハイクォリティな作品を数々生み出す才媛が育ったのですね。惜しくも近年女史は他界されましたが、98歳の長寿を全うされた由。来訪者を歓迎してくれるかのように桜が咲いていました。帰路下松市内のショッピングセンターで買い物をし帰宅したのは日没前後の時間でした。
2008年03月28日
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およそどんな種類のそれであれ、病気と言うものは辛いものです。闘病は苦しいものです。しかし弊ブログ、一連の闘病記。果たしてこれが病気で悩んでいる人間の、病気で苦しんでいる人間の、闘病記でしょうか?ちっともそれらしくないじゃないか!と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう、或いはお怒りになる方もおられるのでは?無理もありません。書いてる本人も正直解っていませんから…さて、門司で乗った5660Mは関門トンネルを抜け下関に到着しました。新世代車輛オンパレードだった鹿児島本線とは打って変わって、此処から先は国鉄時代に生まれた車輛達の巣窟です(笑)。接続列車3554M(3000番台の列車番号のクセに各駅停車です)が隣のホームに入線して来ました。しかし…?やって来たのはトイレの無いT編成。短距離短時間の乗車ならともかく、この先2時間弱の乗車時間となると少々不安もあります。え?それを言ったら首都圏の重通勤路線はどうなる?そちらは万が一の生理現象に襲われても運転本数が多いのですぐ次の電車がやって来ますが、しかしこの界隈、如何に本邦国土の基幹を成す動脈幹線山陽本線と雖も、末端区間。運転本数・頻度は多いわけではありません。そもそも列車区間に電車区間並みの列車密度を求めるのが無理と言うものです。それ以前の問題として、この接続列車は新山口止まり。徳山まで行くには更に乗換えが必要ですが、時刻表によると新山口始発の566Mへの乗換え時間は僅かに1分!同じホームの反対側に到着するなら良いのですが、万が一階段の昇降が必要になったら?体1つならともかく、荷物があります。それもデリケートな品物です。持って走るだけでもダメージを受けそうなデリケートな品物、ましてや万が一転びでもしたら?今日の夕食が台無しです。諦めて後続の岩国行きを待ちます。隣のホームに到着した下り電車です。117系300番台でした。かつて並行民鉄との競争が激しく劣勢だった京阪神の新快速電車用として颯爽とデビューしたのも何時の間にか20年以上前の事となりました。今見れば別に何の違和感も無い姿ですが、登場当時はその「国鉄らしくない」姿に度肝を抜かれたものです。次発の上り電車が入線して来ました。117系100番台の4連。新快速時代そのままの姿ですが、3556Mは残念な事に小月止まりです。折角長距離運用にも耐え得る性能、インテリアを持つ車輛なのに、僅か19.3キロ所要時間20分の短距離運用とは何だか勿体無い気もします。よっぽど「体験乗車」しようか?とも思いましたが、小月から先の接続が結局このあとの570M。途中駅から乗るとどうしても始発駅乗車に比べ着座不可のリスクが高くなりますので今回も諦めました。岩国行き570M。転換シートを備えたL編成かN編成を期待していたのですが…(^^);幡生駅発車後、車窓右手に工場が見えます。おや?14系座席車が2両。しかしその姿は?窓ガラスも外されどうやら長い旅路を終えいよいよ三途の川の向こう側へと旅立ちそうな風情。寂しさが募ります。敷地の奥にはクハ115-191の姿も。このクルマ以前乗った事のある車輛ですが、トシがトシだけにその去就が気になります。ただ残念ながら一瞬の事で写真を撮る余裕がありませんでした。厚東川です。宇部~厚東間の車窓です。徳山駅着は18時44分でした。この日の夕食は折尾駅の駅弁かしわめしを親子揃って賞味しました。この項終わり。
2008年03月27日
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折尾駅駅舎です。木造ながら堂々たる駅舎の姿は良き時代のターミナル駅の威厳を今に伝えています。何だか模型で再現してみたくなりますね。さて、何故にこの折尾駅で途中下車したのか?折尾だから降りお!という訳では勿論ありませんでは何故?此処で是非とも買い求めたいものがあったのです。それは!東筑軒の駅弁「かしわめし」コレがその包み紙です。この弁当、決して見た目が派手なわけでも、山海の珍味をふんだんに使っているわけでもありません。鶏のそぼろ・卵のそぼろ・刻み海苔が、やはり鶏のだし汁の炊き込みご飯の上に載せてあるだけの(端っこに香の物が添えてあります)、極めて素朴な、悪く言えば地味な駅弁なのですが、どうしてどうして、この駅弁、そんじょそこらの駅弁とは格が違います。何故?このかしわめしを説明するのに紹介するのに余計な言葉は要りません。必要なのはただ一言。美味!はい。本当にコレだけで事足ります。とにかくこの駅弁は美味しいのです。学生時代帰省の際にはこの駅弁を買い、車内で食するのが楽しみでした。しばらく当地から遠いところで暮らしていたので長くこの駅弁とはご無沙汰でしたが、本当に久々に購入する機会を得ました。しかし…昼食は先程食べたばかり。如何に美味な駅弁とはいえ今此処でコレを食するには、胃袋に空きスペースが足りません。そこで一旦自宅に電話します。「もしもし?お袋?ありゃあのぉ。ぶち美味い駅弁があるんじゃがどねえしょうか?土産に買うて帰ろうか?これを晩飯にしちゃどねえじゃろうか?」「ほう、そりゃええのぉ。是非買うて帰れ」かくして、かしわめしは二箱購入しました。再び上り電車に乗り、帰路につきます。折尾駅を発車。おや?福北ゆたか線からの817系と並走する形で進みます。かつて筑豊本線は運炭列車が雁行し、その合間に時々旅客列車が走るような路線でしたが、現在は篠栗線と含めて黒崎~(折尾)~桂川~吉塚と電化され、北九州市と福岡市の郊外鉄道として機能しています。817系の走る路線は筑豊本線と鹿児島本線の短絡線です。この線を走る小倉方面~直方方面直通列車は、かつては折尾駅に停車できませんでした=短絡線が折尾駅を経由しないため=が、現在はその短絡線上に折尾駅ホームが設置され、乗降出来るようになりました。スペースワールド駅停車中に出会った、貨物線を走ってきたED761014号機です。枝光駅で885系と擦れ違いました。左はEF81301号機、右は817系です。折尾駅で乗車した鹿児島本線上り電車は門司港行きでしたので、門司駅で下車。日豊本線からやって来る下関行きに乗換え、下関を目指します。以下 次号…(まだ続くんかい?いい加減にしなさい!>ぢぶん)
2008年03月26日
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腹ごしらえも済みました。いよいよ帰宅の途につきます。香椎駅に出るとしかし、上り快速電車は発車した後。14時20分発門司港行166M(813系)に乗車します。車内はほぼ満席で空席はありませんでしたが、そこは見晴らしの良い813系。運転席背後に立ち前面展望を楽しみます。香椎駅発車後早速出会った下り813系。編成が短いところを見ると各駅停車でしょうか?筑前新宮駅改め福工大前駅停車中にやって来た813系+811系。快速電車のようです。我が166Mはここ福工大前駅で後続の883系特急の通過待ちをします。787系と擦れ違います。編成が短いようですから有明編成でしょうか?811系です。本当に鹿児島本線は列車密度が高く多くの列車と擦れ違うので、前面展望しているとちっとも飽きず、座れなくても然程苦になりません。おや?あれは?確か古の鉄道遺構のはず(あれ?しかし何の遺構だったっけ…?)。電車は赤間駅に到着しました。アナウンスによると此処から先は快速電車が先行する由。後続の快速電車に乗換えます。生憎今度も座れませんでしたが、811系も813系に負けず劣らず見晴らしが良いので、同じく前面展望を楽しみます。赤間駅発車後早速擦れ違った883系です。本当にJR九州の車輛は個性的ですね。赤間を出ると快速電車は途中の教育大前・海老津・遠賀川・水巻の各駅は通過。次の停車駅は折尾。此処で降りお!…もとい、途中下車します。折尾駅地平ホーム(筑豊本線)です。画面左のキハ47は若松行き。右の817系は直方方面行きです。(817系の行先表示はLEDのため、普通にシャッターを切ると表示が写らない事があるのです)何故此処で途中下車?それはある目的があったからです。その目的とは?以下 次号(笑)
2008年03月25日
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おかげさまをもちまして弊ブログも書き込み件数400件を数える運びとなりました。コレも偏に、ご支援下さる皆々様方の温かいお心遣いあればこそ。この場をお借りしまして改めまして厚く御礼申し上げます。往路こそブルトレの「ヒルネ」利用だったものの、此処からは青春18キップ。寄り道道草後戻り一切お構いなし。ぶらり途中下車(え?)も自由自在。となれば真っ直ぐ帰ったんじゃつまらない(爆)。ちょいと寄り道でもしてみましょう。香椎線用キハ472連です。ここ香椎駅は香椎線の乗換駅でもあります。久々に香椎線に乗ってみよう!と言う事で同駅12時40分発西戸崎行き746D車中の人になりました。香椎駅を発車した746Dは春らしい麗らかな陽だまりの中快走します。かつては休耕田の合間に下宿屋や安アパートが点在していたこの辺り、何時の間にか建物が増え見通しが利きません。古びて少々ボロっちいものの、血の気の多い盛りの若造共を一喝で束ねる豪放磊落な男勝りのおばちゃんが切り盛りする下宿屋(当時の私が寝起きしていたのもそんな下宿屋でした)は今は影を潜め、新築分譲住宅や、良く言えば瀟洒な、悪く言えば小奇麗な、何となく無菌室のようなマンションがやたらと目立ちます。時は流れ時代が変わり価値観も変わったとはいえ…一抹の寂しさを感じなくも無い風景です。(お洒落で清潔でそれはそれでよいのでしょうし、昔は…だの、今時の若いもんは…だのほざくのは年寄りのすることと言われればそれまでのこと。最早私も若いとは言い難い年齢ではあります。しかし…若いうちはある程度不自由な環境にあるのも肝要だと思うのですが…そんな環境の中で我慢を覚え「足るを知る」を学ぶのだと思っていたのですが…おっと、ジジ臭いことはやめておきましょう)西戸崎駅駅舎です。そういえば、香椎線の香椎~西戸崎間は海の中道線と言う愛称がある由。雁ノ巣~西戸崎間は海に近いところを走ります。もっとも、香椎線で「うみ行き」に乗ると「ヤマ」の方に行ってしまいますが…うみ行き=宇美行き。宇美は内陸部です。西戸崎駅のすぐ向こう側には博多湾が広がります。この空き地はマンション建設予定地との事。さぞかし見晴らしが良さそうですが、その分潮風による塩害もありそうです。西戸崎駅で折り返しまでしばしの休息を取る香椎線列車です。西戸崎駅には近接して大きなマンションがあります。駅に近く見晴らしも良く、住むには良さそうですが、このマンションの海側に新しくマンションが建つ予定との事。眺望問題で揉めてなければ良いのですが…西戸崎駅のすぐ側には船着場があります。福岡市営渡船です。折りしも船が到着するところでした。桟橋に到着する船のUPです。船のダイヤと香椎線のダイヤはどうやらリンクしているようですが、両者の運転本数に差があるため、船から列車への乗り継ぎは苦労は無さそうですが、列車から船への乗り継ぎだと待たされる時間帯があるようです。西戸崎駅と隣の海ノ中道駅との間には海ノ中道海浜公園が広がり、市民の憩いの場になっています。両駅とも駅前至近の場所に公園入り口があります。もう少し時候が良くなり日時に余裕が出来れば、ゆっくり過ごしてみたい場所でもあります。今回は時間の都合でそのまま折り返します。ちと残念(^^);今乗ってきた車輛がそのまま折り返し宇美行きになります。「うみ行き」ながら海辺から離れて行きます。海ノ中道~雁ノ巣間にある中道信号場です。此処で対向列車を待ちます。しかし折角交換施設を作るなら?駅にすれば良いのに?とは思ったものの辺りには人家も事業所らしきものも見当たりません。海ノ中道駅を交換可能駅にすれば?とも思いましたが距離的に効果が薄いのでしょうか?対向の西戸崎行きです。西戸崎行きは通過、香椎・宇美方面行きは停車して通過待ち…というダイヤ設定のようですね。おや?夥しい数のパトカーや警察車両が?大捕り物でもあったのか?はたまたアクション映画のロケーションか?いえ、ここはどうやら福岡県警の施設の様子です。沿線は福岡市の近郊外苑住宅街として開けていますので、香椎線も単線ながら列車本数がありデータイムであっても利用者が結構あります。鉄道が活気付いているのは喜ばしい事ですが、それにつけても惜しまれるのは…かつてこの近くにあってやはり元運炭路線で赤字を理由に廃止された勝田線です。吉塚駅から分岐し福岡市内を通り香椎線宇美駅付近に抜け筑前勝田まで通じていました。石炭輸送の使命こそ失われましたが、沿線は福岡市街地外延部。やり方によっては充分都市近郊鉄道として機能出来得る環境にあったのですが…香椎線の活況を見るに付け、残念でなりません。(福岡市の公共交通に於いては、西日本鉄道のバス路線が縦横無尽のネットワークを構築しています。それはそれで便利なのですが…所詮は道路を走る自動車。交通渋滞を喰らったらひとたまりもありません。鉄軌道系公共交通の充実は政令指定都市のインフラ整備の重要課題の1つだと思うのですが…)香椎駅に戻って来たのは13時53分。いい加減おなかも空いてきました。以前初めて立ち寄って以来思わずファンになってしまったラーメン屋の支店が香椎駅のすぐ側にありますのでここに寄って腹ごしらえです。ただでさえ空腹の状態で、しかもコンクールで1等賞を受賞したほどのラーメン、至福のひと時です。さて、帰宅の途につく事としましょう。以下 次号(笑)
2008年03月24日
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香椎駅で下車した後再び入場、今度は九産大前駅に向かいます。そこが病院の最寄駅になります。此処からの行程には、我ら「貧乏鉄」の強い味方(笑)青春18キップを利用します。診察は恙無く終わり、投薬・支払いを済ませ病院を辞します。再び九産大前駅を目指し、国道495号線を鹿児島本線に沿って歩きます。この辺りは列車密度が高く、徒歩10分弱の距離を移動する間に夥しい数の列車に出会いました。1枚目の787系と2枚目の811系の間に885系の特急列車の通過がありましたが、タイミングを失敗し上手く撮れませんでした。おそらく丸1日いても退屈しなかった事でしょう(^^);流石はアジアの雄都福岡市です。しかし九産大前駅は快速列車も通過します。次の列車まで15分以上ありました。待っている間にも次々に列車が駆け抜けて行きます。883系の特急列車です。下りホームから振り返ると、この辺りはほぼ並行している香椎線が見えます。貨物列車も結構頻繁に走ります。国鉄世代のED76がまだまだ頑張っています。上り列車の813系です。電車に関してはJR世代のオンパレードです。香椎駅です。四半世紀前の学生時代利用していた頃の面影はありません。さて、折角の青春18キップです。ちょっと寄り道をしてみる事にしましょう。何処へ行った?それは次回紹介します。以下次号
2008年03月23日
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前回は博多まで乗ったのに何故今回は小倉で下車したのか?実は病院の最寄駅は鹿児島本線なら九産大前駅、西鉄貝塚線なら唐原駅で、博多より手前です。しかしそれだけが理由ではありません。実は小倉で後続の博多行きソニック10号に乗換えます。日豊本線宇佐行き5531Mが到着しました。おや?懐かしい赤13号塗装の415系F005編成ですね。下関発着の九州方面列車は「はやぶさ」を除くと悉くが日豊本線方面。山陽方面と鹿児島線方面とを行き来するものにとっては少々不便になりました(昔は山陽~鹿児島系統の直通列車はたくさんあったのですが…)。自由席乗車口には早くも長蛇の列が出来、やがて西小倉方面から883系の5両編成が到着しました。小倉駅9時19分発博多行き3010Mじソニック10号です。もしかしたら座れないかも?一瞬不安がよぎりました。流石に窓側に空席はありませんでしたが、通路側の空席を見つけ、窓側に座っていたスーツ姿の青年に一声掛け、隣に座らせてもらいました。もっとも、立たされたとしても下車予定の香椎駅までは僅か36分、たかが知れていますが…(^^);時刻表を紐解くと、3010Mソニック10号の小倉発は9時19分、香椎着が9時55分、同駅発も9時55分(と言う事は30秒停車ですね)、博多着が10時02分です。一方、41レ「はやぶさ」は小倉駅発9時06分で博多着が10時10分。つまり13分後に出たソニック10号の方が博多には8分早く到着するのです。因みに41レは小倉~博多間時刻表上では無停車。と、言う事は途中何処かの駅で運転停車しソニック10号を待避する事になります。ここで前回乗車時の事が思い起こされます。41レは途中福間駅で副本線に入り停車しました。停車駅放送も無く、ドア扱いも無く、すぐに発車しました。さては?福間駅で通過待避するに違いない。さればこそ、今回はヒルネもとい、立席特急券は小倉までとし、小倉~香椎間は別途自由席特急券を購入していました。さて883系。そういえばJR九州の新世代特急型車輛への乗車は初めてです。登場当時その独特な形のヘッドレスト(千葉県浦安市にある某アメリカ系テーマパークのメインキャラクターのネズミとそっくりだなどと揶揄されていましたっけ)とカラーリングで度肝を抜かされましたが、今回乗車した編成はどうやら後の増備車のようで、座席は黒をベースとした落ち着いた色合いでした。しかしこのヘッドレスト、意外と狭いんですね(^^);(え?オマエのドタマが中身が空っぽのクセに無駄にデカイからだろうですと?誰ですか?そんな事実を仰るのは…!)(爆)乗り込んだ客が落ち着く間もなく、3分停車でソニック10号は小倉駅を発車しました。いやいやいやその走りっぷりの速いこと速いこと…残念ながら客レじゃまず真似の出来そうにない高加速でたちまちトップスピードに乗り韋駄天走り。並行する幹線道路を行くクルマなど目じゃありません。否、485系特急よりも明らかに速いです。果たして福間駅、副本線に「はやぶさ」を待避させ、3010Mは通過して行きました。3010Mソニック10号の883系です。香椎駅にて撮影しました。香椎駅でソニック10号を下車。2番ホームを一旦小倉寄りに移動します。え?階段は反対側なのに何故?言うまでもありません。「撮り鉄」するためです。ターゲットは?それは勿論41レ「はやぶさ」です。香椎駅9時57分着、10時02分発の快速3191Mです。813系編成です。811系の上り電車が発車して行きます。擦れ違うように41レがやって来ました。敢えて小倉で41レを下車し、3010Mで先行したのは、このカットが撮りたいがためでした。惜しむらくは…このカットを撮影した時点でフィルムを使い切ってしまい、後追いカットが撮れませんでした…(本州内では「はやぶさ」のバックサインは撮れないだけに、折角の千歳一隅のチャンスをみすみす逃してしまいました…釣り逃がした魚は大きいものです)(笑)撮影を終え、改札口を抜けます。以下、次号。
2008年03月22日
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前回通院時の投薬分が切れてしまいました。そこで再び診察&投薬をしてもらうべく、福岡市の病院に赴きました。通院のための交通手段はどうしよう?初期の頃のように老母を連れて行く必要はなく、1人で行くなら何もクルマを使う必要はありません。今回も例によって鉄道利用、それも1レ「はやぶさ」の「ヒルネ」利用です。徳山駅に到着する1レ「はやぶさ・富士」です。今日の「エスコート役」はEF6650号機でした。「はやぶさ」編成5号車に入っていたオハネ156です。この車輛に乗車しました。この日の発言に添付した画像を再掲出します(EF6650号機牽引の1レ「はやぶさ・富士」走行写真)。前回利用した際にはガラガラに空いていたので今回もそのつもりで乗ったのですが…何と吃驚仰天海老天烏賊天エイトナインテン!(って何やねんな>ぢぶん)車内は予想外の乗車率。上段こそ所々空席がありましたが、下段は満席!ヒルネ…もとい、立席特急券の立場を思い知らされました前回は雪害のためダイヤが大幅に乱れていましたが今回は幸い所定時刻どおり、列車は快調に走ります。しかし空席が無いので取敢えず5号車オハネ156のデッキに立ち、朝焼けの車窓を眺めます。地元で生まれ育った身には特別の感慨も無い車窓風景ですが、コンビナートが途切れ里山沿いを回り込めば波穏やかな瀬戸内海西端の海辺が車窓に楽しめるこの辺り、蒸機時代は聖地だった由。惜しむらくはその頃の私はまだ物心付くか付かないかの幼少時。微かな記憶しかありません。徳山の次の停車駅はおよそ25分で防府。しかし此処では下車客も少なくまだ空席は出来ません。更に約15分後の新山口で、やっと7番8番ボックスが空き、着席できました。一安心です。列車は快調に走ります。電車も気動車も、勿論其々良さも魅力もありますが、やはり客レの乗り心地はえもいわれぬ味わいがあります。宇部駅を発車し小野田駅を通過、やがてかつて並行していた短絡線が本線をオーバークロスする辺り、著名な撮影ポイントに差し掛かります。もしかして?やっぱりいましたご同業諸氏(笑)。クルマが3台停めてあり三脚が3本、でも頭数では4~5人はいたような…(^^);皆さん考える事は同じご様子で…(^^);(^^);幡生駅通過、機留線にいたのは何と?EF651038。首都圏では時々見かけていたカマですが珍しく長距離運用に就いたのでしょうか?後日判った事ですがこのカマ、岡山区へ異動になっていた由。故に此処で出会えたわけです。PF初期型で原型を良くとどめているので人気者のカマです。下関駅にて。乗客が多かったせいか?ギャラリーも大勢で中々写真が撮れません(^^);お疲れ様でしたEF6650号機。今日の関門海峡の「渡し守」はEF81411号機でした。車窓右手に車両基地を眺めつつ、列車は関門トンネルに向かいます。此処も随分メンバーが変わりました。全検出場後間もないようなEF651131の姿がせめてもの救いです。構内外れには、激務を終え、しばしの休息をとっているEF6650の姿がありました。程なく列車は彦島に渡り、関門トンネルに入ります。列車は関門トンネルを抜け、門司駅に到着しました。カマの交換及びはやぶさ・富士の切り離し作業もあり、下関駅より停車時間は長くなっています。任務を終えたEF81411が去って行きます。この日の門司からのエスコート役はED7694号機でした。門司区で待機するED7666号機です。このカマが「富士」をエスコートします。門司の次は小倉。3駅連続停車です。そして一旦この小倉駅で「はやぶさ」を下車します。以下次号。
2008年03月21日
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またまた例によって例の如くでありますが、フォトアルバム容量捻出のため過去発言の添付画像ファイルの縮小リサイズ化です。今回の対象はこの日のものです。これは1986(昭和61)年の初夏に撮影しましたこれはその数年前、宇部区に105系が新製配置され、旧型置換えが始まった頃、同区を訪ね撮影させてもらったものです。例によって其々の画像は余白部分はトリミングしました。またこの色と書体の部分は元発言でのキャプションです。
2008年03月18日
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このところこんなネタばっかりで恐縮至極m(_ _)m今回画像修正するのはこの日の発言に添付した画像です。尚例によって元画像の余白部分はトリミングしてあります。これはJR発足間もない頃、撮影しました。東海道本線の夙川橋梁の西側辺りです。国鉄そのものの湘南カラーの113系電車に真新しいJRロゴが目立ちます。この当時はまだあまりにも当り前すぎた113系ですが、JR発足後20年近い月日が流れた事を考えると国鉄時代の車輛が生き残っている事自体が奇跡です。113系といえば、この色もありました。関西線の快速運用に就いていたものです。春日大社の鳥居をイメージしたものである由。しかし色そのものは規定にある既存の色(赤11号と灰色9号?)をそのまま組み合わせ、塗り分け線も新快速と同じ形にされています。こちらは正調阪和線カラーの113系です。上記写真と同じ時期に撮影しました。これも塗装パターンは前述の関西線カラーと同じ、帯色のみ青22号になっています。これは最初に紹介しました湘南色113系と同じ時に同じ場所で撮影しました117系新快速です。この色で斜体になっている部分は元発言に付いていたキャプションです。
2008年03月17日
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今回も例によって例の如くでありますm(_ _)mフォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を削除しました。今回対象となったのはこの日の発言に添付しました以下の2点です。いずれも余白部分はトリミングし縮小リサイズしました。これは香椎駅で撮影しました。といっても撮影したのは学生時代ではなく卒業後就職した後の事です。(学生時代は一眼レフカメラとは無縁の存在でした)。ただ、この時ズームレンズの望遠側で撮影したため四周に糸巻き収差が生じてしまいました。それでも左右はさほど目立ちませんが、上辺だけは架線支柱のビームがモロに影響されてしまいました。それ以来ズームレンズが苦手になり以後は単焦点レンズ主体で撮影するようになってしまいました。その時の帰りの電車内からすれ違いの電車を撮影しました。今では絶滅同然の交直両用電車の標準色ですが、この当時は当り前でした。(何しろ当時はまだ国鉄だった時代です。当然ながら全て国鉄型・国鉄色でした)。今回も元画像は20年以上前に撮影したものです。
2008年03月16日
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はい、今回も例によって例の如くm(_ _)mフォトアルバム容量捻出のため過去画像の縮小リサイズです。今回の対象はこの日のもの。尚例によって元画像の余白部分はトリミングしてあります。
2008年03月15日
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はい、例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言に添付した画像をリサイズします。今回の対象はこの日のものです。いつもと全く雰囲気の違う画像です(^^);これはかつて、2度目の就職がなった時最初に配属された町で、暮らしていたアパートのすぐ側で撮影したものです。アパートに面して四つ角があったのですが、丁度対角線上の先は何と!海でした。かれこれ20年以上前に撮影した写真です。
2008年03月14日
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はい、今回も例によって例の如く、ふとアルバム容量捻出のための過去発言添付画像の縮小リサイズです。今回の対象は2006(平成18)年10月31日付けの発言に添付していた画像です。本線列車が到着し、本線用のカマが列車から離れると、今度は入換用のカマの出番です。ローカル列車だけでなく、特急列車も同じ。本線用のカマが一息入れている間もせっせせっせと働きます。貨物駅でも同じこと。あっちの貨車をこっちに、こっちの貨車をあっちに、編成を組んで、またばらして…広いヤードを縦横無尽。元画像の余白部分はトリミングしました。因みに、ココに写っているDE111023は最近その消息を聞きません。既に鬼籍に入っている模様です。
2008年03月13日
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以前にも書いたと思いますが、弊ブログは原則時事問題は扱いません。どうしても立場や見解の違う人から反対意見が出て得てして「炎上」しかねないからです。そもそも、私の狭い見識で判断したものが正しい保証もありません。ただ、今朝ほどの朝刊(読売新聞西部本社版)の記事には衝撃を受けました。怒りと悲しみを抑えられなかったそのニュースとは?寝台特急「なは・あかつき」のヘッドマーク盗難当該記事へのリンクですダイヤ改正で廃止が決まった列車があると、関連グッズが盗難に遭う…過去にもそういう事例が皆無だったわけではありませんが…それにしても悲しくまた腹立たしいニュースであります。一体全体何処の誰が、どういう神経でこんな悪事を働いたのか?理解に苦しみます。確かに私も「鉄」の端くれ、その「濃さ」に於いてはその辺の駆け出し連中になど負けない自負は充分にあります(この道40年以上のキャリアですから)(爆)。「鉄」ものとして、車輛部品が欲しいのは人情です。しかし!ココ大事。それはあくまで合法的に取得するもの。鉄道会社側の了解を得て(市販されたものを購入する或いは廃棄されたものを譲り受ける)手に入れることが絶対定義です。間違っても盗むなんて許されません。新聞記事では「マニアの犯行?」と見るフシがありました。冗談じゃねぇ!「鉄」マインドがあって、人の心がかけらでもあるなら、泥棒なんてできるはずがありません。よしんばこの盗みを働いた人間が「鉄」を名乗っても、少なくとも私は認めません。否、盗みを働くような輩が「鉄」を名乗る事を私は許しません!それにしても…ヘッドマークって直径66cm、厚みも10cmはあります(中は空洞ですが)。重量だって半端じゃありません。ポケットに入れて右から左へ…と簡単には運べない代物なのですが…?この犯人に言いたい。もし僅かでも良心があるなら、今すぐ盗んだものを返しなさい!この事件で、多くの真面目で誠実で一生懸命生きている「鉄」諸氏が白い目で見られない事を祈ります。画像が何も無いのは寂しいので、やはり今回のダイヤ改正で戦前からの由緒ある歴史に終止符を打つ「銀河」の画像です(既出もの再掲出で恐縮ですが…)
2008年03月12日
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先月はほぼ毎日書き込んでいたのに今月は…ブロガー失格いささか弁解じみますがこれは今月に入ってすぐに、静岡県富士市に住む甥っ子の三男が肺炎に罹って入院してしまい、義姪が病院に泊まり込みで看病する事となり、まだ幼い長男次男の「ベビーシッター」が必要となったためしばらく滞在していたためです。(当初義姉が赴き、しばらく幼子を連れ帰って預かる予定でしたが、幼子=長男5歳、次男3歳=を母親から遠く離れた場所に預かるのは支障があり過ぎ、かと言って義姉も仕事を持つ身で長く休めない、そこで老母=甥っ子の子供たちから見れば曾祖母=が手代わりに赴く事になりましたが、長逗留になるため荷物が多く、また甥っ子一家の住居は鉄道駅から遠く、更には直通列車が無いので乗換えが多く、年寄りには楽ではない事から急遽現地にクルマで行く事となり、運転免許を持たない老母のため私が運転して行く事になったものです。幸いにして入院は数日で終わり無事老母を連れて帰ってきましたが…)閑話休題恒例?の春のダイヤ改正が今年も行われます。新しい路線の開業・新車の登場・新設列車等々、華やかな話題の陰に、長年親しまれた車輛・列車等の廃止引退もあり、一抹の寂しさを禁じ得ません。今回もまた、由緒ある名門列車がいくつか消えて行きます。中でもショックなのが、「銀河」・「なは」・「あかつき」の廃止です。「あかつき」はかつてEF58がヘッドマークも凛々しく颯爽とそのエスコート役を務めていた時代がありました。生憎我が郷里を通過するのは深夜早朝であり、中々その雄姿を実見する機会は得ませんでした。利用する機会も然り。ただ、学生時代就職活動の際と、後年博多あさかぜお名残乗車時の折り返しに上り列車を利用した事があります。「銀河」は初めて乗ったのは1980年の夏。まだ20系時代でした。先頭に立っていたのはEF58171(宮)。カヤ21の後に見慣れぬ荷物車が…当時は知る人ぞ知る存在だったマニ30でした(もっとも、「堅気の衆」にはそれがどんな任務を持っている車輛かなど判りはしなかったでしょうね。と言うか、鉄道に「現金輸送車」があるなどと言う事を知ってる人がどれ程いたことでしょう?)。その後銀河51号も含め幾度と無く利用しました。後年千葉県に暮らすようになって、帰省の際にはこの「銀河」で新大阪から「ひかりレールスター447号」への乗換えが基本パターンになっていました(ひかり447号は徳山停車)。そして「なは」。山陽~鹿児島系統昼行特急として、山陽本線内は日豊本線経由の「日向」と併結運転で始まりました(最初はキハ82系)。まだ本土復帰前の沖縄県那覇市に因んだその愛称は、本土復帰を願う沖縄の人々の願いが込められていた由。新幹線博多開業後もその愛称故か?夜行列車にコンバートされてその名前は存続し、関西~鹿児島本線系統列車名として今日まで受継がれて来ました。しかしこの列車、とうとう利用する機会を得ないままでした。まだ単独運転だった1988(昭和63)年の春、この列車を撮影しようと思い立ち、夙川の橋梁に赴いた事があります(当時は西宮市在住で、この場所までは徒歩10分程度でした)。線路脇にカメラを構え、ファインダー内にトロピカルなヘッドマークを捉えたと思ったその刹那でした…対向の各駅停車がまるで視界を遮るようにやって来ました…見事に被られてしまいました…201系が通り過ぎた時にはもう「なは」も通り過ぎた後…走り去る「なは」です。日を改めてリベンジする予定でしたが、この後程無く、カメラ一式盗まれてしまい唖然某然…ショックでしばらく何も出来ない状態でした。その後カメラを買い直したのは2年後、富山に転勤した後の事です。結局「なは」の撮影が出来たのはこの時だけでした。教訓…「撮り鉄」は常に「一期一会」の覚悟で望むべし…
2008年03月11日
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このところこんなネタばっかりで恐縮至極m(_ _)mm(_ _)m今回も例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再掲いたします。尚縮小リサイズにあたり元画像の余白背景部分は一部トリミングしてあります。本日の再掲対象はこの日のものです。これも1985年頃の撮影です。原版はリバーサルフィルムからプリントしたものです。国鉄時代全国各地で当り前に見られたキハ58系、急行からローカルまで八面六腑の大活躍。初期の10系気動車達が引退した後を埋める形で香椎線にもこのような急行然とした編成で顔を出したりしていました。流石に九州地区在籍車だけあって、冷房もちゃんとついています。(もっとも、800番台など、この地のキハ58系と雖も冷房のないクルマはゴロゴロいました。鹿児島本線で走る421系でさえ、冷房がなかった頃です)。その昔の国鉄気動車在籍5000両時代キハ58系は主力車種でしたが、流石に寄る年波と性能の旧式化には抗えず、現在急速にその数を減らしつつあります。
2008年03月05日
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今回も例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再掲いたします。尚縮小リサイズにあたり元画像の余白背景部分は一部トリミングしてあります。本日の再掲対象はこの日のものです。これも1985年頃の撮影です。もっと気合を入れて記録しておけば良かったのですが…旅客列車に比べてどうしても貨物列車は地味な存在で、カマや貨車によほどの思い入れがなければレンズを向けなかった人も多かったのでは?これはまだヤード系貨物列車が当り前にあった頃撮影しました。生憎日付も撮影データも記録していませんが、撮影機材はコンパクトカメラです。先頭に立つのは珍しくEF61です。国鉄時代末期、赤字続きでしかも旧態依然としていて時代にそぐわなくなっていた貨物輸送形態に大鉈がふるわれたのが1984(昭和59)年の事、更に国鉄が解体され新生JRグループとして再出発したのが1987(昭和62)年、改めて時間の経過を感じます
2008年03月04日
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今回も例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再掲いたします。尚縮小リサイズにあたり元画像の余白背景部分は一部トリミングしてあります。本日の再掲対象はこの日のものです。これは今を去る事10年近く前に撮影しました。EF65541牽引の貨物列車です。撮影場所は東北本線矢板~片岡間です。このカマも既に鬼籍に入ってしまいました
2008年03月03日
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今回も例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再掲いたします。尚縮小リサイズにあたり元画像の余白背景部分は一部トリミングしてあります。本日の再掲対象はこの日のものです。421系は昭和36年からこの地で働いていました。それまで鉄道・列車といえば、真っ黒い蒸気機関車がこれまた真っ黒い煙を吐き、黒い貨車やこげ茶色の客車を牽くものであった時代、目にも鮮やかな赤13号(ローズピンク)で加速力も良く近代的な内装のこの電車は、さぞかし地元に好評を持って迎えられたものと思います。この大窓車は急行型なら153系・155系・159系に存在しますが、近郊型ではこの421系と401系の、それも一部にしか存在しません。寧ろ数が多かったこちらのタイプの方がなじみではありました。この2枚の写真も撮影場所は鹿児島本線福工大前~九産大前間です。もっとも撮影当時は福工大前駅は筑前新宮駅であり、九産大前駅は開業前で、この場所は筑前新宮~香椎間でした。↑の画像はこの日の発言にも添付してあります。既出ですが、モデルとなった421系初期型大窓車です。この421系初期型を擬人化したイラストを紹介した時一緒に添付したものです。え?擬人化ってどんな姿か?ですって?それは↓のようなものです。
2008年03月02日
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今回も例によって例の如くであります。フォトアルバム容量捻出のため過去発言添付画像を一旦削除し縮小リサイズしたものを再掲いたします。尚縮小リサイズにあたり元画像の余白背景部分は一部トリミングしてあります。本日の再掲対象はこの日のものです。鹿児島本線筑前新宮~香椎間で撮影しました。1985年頃の撮影です。この当時はまだ、九州産業大学前駅は未開業でした。モータードライブをよいことに…更に…済みません。こんなネタで…m(_ _)m既にヤード経由の扱い便貨物列車は壊滅した後でしたが、時々こういった貨物列車が見られました。この写真を撮影した当時、ここは鹿児島本線筑前新宮~香椎間でした。その後この地点より香椎よりに九産大前駅が開業、筑前新宮~九産大前間となりました。2008(平成20)年03月15日のダイヤ改正で筑前新宮駅は福工大前駅と改名しこの場所は福工大前~九産大前間となります。
2008年03月01日
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