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>忠臣蔵ラプソディー第五番>なかむらなかぞう しゅっせのきざはしいよいよ年末ですね~。去年のBSプレミアムの作品が地上波で放送。忠臣蔵役者として名を馳せた中村仲蔵の一代記です。とにかく絢爛豪華な演出で贅沢なつくり!NHKと松竹と東宝と東映がガップリ組んでるのが凄い。前半はさほどの物語の起伏はないものの、やっぱり忠臣蔵がらみなので、いやがおうにも年末感が高まります(笑)。なんなら毎年放送してほしいぐらい。意外にも、髙嶋政宏がハマリ役なのよね。歌舞伎役者に引けを取らぬほどの顔面力の強さが。来週の後半はかなり激しい展開になっていきます。◇脚本・演出の源孝志は、文芸路線を経てなぜか時代劇にのめりこんだけど、次作ではふたたび現代劇に戻るらしい。わたしは、いまだに、20年前の「マイリトルシェフ」が忘れられないのだけど、ほとんど忘れ去られてるのが悲しいです。窪田ミナの音楽が、すべてのドラマサントラのなかでいちばん好きなのよね…。 — NHKドラマ (@nhk_dramas) December 10, 2022
2022.12.11
朝ドラ「カムカムエヴリバディ」は、100年間を駆け足に描いた物語だったので、そのぶん本編に描かれてない沢山のサブストーリーがあって、そこに多くの「スピンオフ」が生まれる余地もあります。そこで、考えられる16通りのスピンオフ(裏カムカム)を一挙に!・3人の咬ませ犬の物語!カムカムには、ヒロインとの恋に破れる3人の男性が登場しました。安子編では勇。るい編では片桐春彦。ひなた編では文ちゃん。いわば、悲しき「咬ませ犬」の男たち。通常の恋愛ドラマでは、モテ系のイケメン男が咬ませ犬になって、最後は純朴な本命男子におさまる場合が多いですが、カムカムは逆ですよね(笑)。純朴系の男が咬ませ犬として恋に破れ、ヒロインはみんなモテ系のイケメンと結ばれます!稔も、ジョーも、ビリーもモテ系イケメンですよね。なので、視聴者のなかには、失恋してしまう咬ませ犬の側に同情して、稔派ではなく勇派、ジョー派ではなく片桐派、ビリー派ではなく文ちゃん派 …って人も多いと思う。そう考えると、彼らのスピンオフ作品にはかなり需要があるはずです。ちなみに、勇は雪衣と結婚し、文ちゃんはデイジーと結婚しましたが、片桐がその後どうなったのかは、まったく謎ですね。・3人の女ともだちの物語!3人のヒロインには、それぞれ大事な友人がいました。安子にとってのきぬちゃん。るいにとってのベリー。ひなたにとっての一恵&小夜子。きぬちゃんは、よしお兄さんと結婚し、ベリーは、(何代目か分からない)田中と結婚し、一恵は榊原と結婚、小夜子は吉之丞と結婚しました。みんな強い女性なので、結婚してからの "姉さん女房" っぷりも想像できるし、彼女たちのスピンオフを作ったら、かなり痛快な作品が出来上がると思います。・3つの時代劇!カムカムには、たくさんの時代劇が出てきました。とくに重要だったのは、安子と稔が観た「棗黍之丞/仁義剣」と、るいとジョーが観た「棗黍之丞/妖術七変化」ですが…そのあとにも3つの時代劇映画があって、しかも、その映像はドラマにほとんど出てきません。ひとつは、二代目モモケンによるリメイク版「妖術七変化」。ふたつめは、ハリウッドが制作した「サムライ・ベースボール」。みっつめは、ひなたがキャスティングディレクターとして関わった、ハリウッド版リメイク「KIBINOJO」(The Seven Changes of Sorcery-Duel in a Hidden Village)。それらの実際の映像が見てみたい人も、その制作の様子を見たかった人もいるだろうし、とくに「KIBINOJO」の制作過程をとおして、ひなたの東京での生活ぶりが見たかった人もいると思う。なお、映画だけではなく、テレビの時代劇にも、すみれの幻の名作「黍之丞危機一髪/おゆみ命がけ」星川凛太朗が主演した「破天荒将軍シリーズ」武藤蘭丸が主演した「棗黍之丞2006」などがありましたね。・3組のカップルの恋愛ドラマ!カムカムでは、たくさんのカップルが成立しました。そのうち、るいとジョーの物語は、本編でもしっかりと描かれたのですが…一方で、米国での安子とロバートの物語には、まだまだ謎の部分が多いし、ひなたとビリーの「その後」の物語も、ドラマでは描かれないまま終わっています。このほかに、モモケンとすみれのラブストーリーや、桃太郎と孫きぬのラブストーリーなどもあるのですが…わたしが見たいのは、トミーと奈々のラブストーリー!キザ男とハイソ女が、東京やアメリカの芸能の世界で繰り広げた、都会的な恋愛物語が見てみたいです。・3つの経済ドラマ!カムカムには、ケチベエの「あかにし雑貨店」大阪の「竹村クリーニング店」大阪のライブハウス「ナイト&デイ」など、いろんなお店が出てきましたが、謎があるといえば、ひとつは、岡山のジャズ喫茶「ディッパーマウスブルース」。とくに幼少時代のジョーにかんしては、定一や健一とのかかわりや、ナイト&デイの小暮に引き取られるいきさつも含めて、まだ未解明の部分も多かったと思います。戦前には、健一と算太の関係もあったらしいですね。ふたつめは、横須賀で再建された和菓子会社「たちばな」。なぜ岡山の戦災孤児が、とおい横須賀で和菓子の会社を立ち上げたのか。それは、ディッパーマウスの健一が戦後6年間を横須賀で過ごしたことや、戦前のたちばなの3人の和菓子職人の復員に関係しているのか。そこらへんの謎はまだ残っています。みっつめは、安子が去ったのちの岡山の「雉真繊維」。るいが少女時代をどう過ごしていたかも知りたいし、戦前には足袋、戦中には軍服、戦後には学生服を主力商品にした会社が、やがて国産ジーンズの生産にも乗り出したのかどうか。そして、そもそも後継者の雉真昇は、勇に似ているのか?稔に似ているのか?(←しつこい?)そこらへんも大いに気になるところです。・算太のフーテン人生!いちばん謎が多いのは算太かもしれません。虚実いりまじった奇想天外なホラ話みたいな人生?借金まみれの大阪ダンスホール時代。部隊から逃れて南洋のジャングルを彷徨った戦争体験。京都の映画界にも名を馳せたサンタ黒須時代。月々の貯金、入院、病院脱出までの晩年の日々。きっといろんな物語があっただろうと思います。
2022.04.11
すでにいろんなところで言及されてますが、カムカムの成功要因は、大きく以下の3つ。1.三世代のヒロイン交代がうまくいった2.謎解き/考察系ドラマとしての側面をもっていた3.歴史パロディや自己パロディの小ネタが共有されたさらに、評価すべきポイントとして、4.女性描写の批評性5.戦争描写の批評性…が挙げられます。これらを、すこしくわしく分析します。1.三世代のヒロイン交代わたしは、16年前に、このブログで「朝ドラの成功セオリー」を提唱したことがあります。その要点は以下のとおり。1.戦前から戦後の激動の時代を舞台にする。2.原作にもとづいて豊富なエピソードを確保する。3.新人ではなく実績のある女優をヒロインに起用する。※くわえて「脇役にイケメンを起用する」のも重要と考えていました。これは、当時の「純情きらり」を基準に考えたものでしたが、そのセオリーは、のちの「ゲゲゲの女房」にも当てはまっていた。しかし、近年は、原作なしのオリジナル脚本でも、けっこう良質な朝ドラが作られるようになっています。そして、今回のカムカムは、上記のセオリーを「半分守って、半分破った」形になりました。つまり、戦前から戦後の激動の時代を舞台にして、実績のある女優を起用したことはセオリー通りだけど、原作のないオリジナル脚本で、ヒロインを世代ごとに交代させたのはセオリー破りでした。とりわけ三世代のヒロイン交代は、朝ドラ史上初めての、かつてない試みでした。◇当初は、ヒロインを交代させることが不安視されていました。わたし自身は、この試みについて、「萌音を長期間拘束できないための苦肉の策」だろうと見ていました。※萌音は年明けに「千と千尋」の舞台が決まっていたから。しかし、実際はそうではなかった。むしろ、ヒロイン交代にこそ本作の核心があり、そこにこそ物語の積極的な意義があったのだろうと思います。…従来の朝ドラでも、子役から成人役への俳優の交代は通例だったし、おしんのように3人の女優が交代する例もあったので、 視聴者は、意外に俳優の交代そのものには慣れていました。しかし、今回はたんなる俳優の交代ではなく、主人公そのものが代わってしまうわけなので、下手をすると、ヒロインが代わるたびに、視聴者が離れてしまうことも危惧されました。しかし、結果的は逆でした。視聴者は、ヒロインが交代しても、ひとつ前の世代のヒロインへの関心を失わなかった。それどころか、安子編での「娘への関心」が、るい編では「娘と母への関心」に変わり、ひなた編では「娘と母と祖母への関心」に変わり、ヒロインが交代するたびに視聴者の関心が倍増していきました。2.謎解き/考察系ドラマの側面こうしたヒロインへの関心を支えたのが、なんといっても、物語に内在する「謎解き」の要素でした。とりわけ初代のヒロインである「安子の謎」は、物語の最後まで視聴者を引き留めることになりました。逆にいうと、それなしにヒロイン交代が成功したとは考えにくい。ちなみに、近年は、考察系のサスペンスドラマがとても人気です。SNSでの考察合戦が、視聴者の関心を増幅させるからです。カムカムは、サスペンスドラマではなかったけど、祖母の人生にかんする謎を終始引き延ばしたので、まるでサスペンスのような考察合戦をSNSに巻き起こし、日に日に伏線回収への期待を高めることになりました。3.パロディの小ネタ共有近年は、(たとえばクドカンの「あまちゃん」が典型的ですが)小ネタやパロディを散りばめたドラマも人気です。マニア心をくすぐるような小ネタはSNSで話題になるし、「どこにどんな小ネタが隠れているか」を探すこと自体が、ある意味では、ひとつの考察対象になるからです。今回のカムカムに散りばめられた小ネタは、たんなるパロディではなく、ことごとく歴史の「記憶」にかかわるものでした。それは、桃太郎伝承についての記憶であり、ラジオや映画の歴史についての記憶であり、あるいは「月光仮面」「暴れん坊将軍」やら、もしくは「泳げ!たいやきくん」「だんご三兄弟」やら、NHKの歴代の朝ドラやら、…といったテレビの記憶でもあった。また、安子編は、戦前・戦中を描いた過去の朝ドラや、映画「戦場のメリークリスマス」や、アニメ「この世界の片隅に」のパロディでもありましたが、それは、ひなた編の川栄李奈が、こうの史代原作の「夕凪の街・桜の国」に出演していたことにも、通奏低音のように響き合っていました。◇その一方で、たとえば「初代モモケン」や「ケチベエ」のように、ドラマ内で視聴者に共有された "架空の記憶" にかんしても、それを反復すること自体が、ある種の小ネタになっていた。いわば自己パロディです。しかも、たとえばトランペットを吹けなくなったジョーの病気は、このドラマの音楽を担当した金子隆博をモデルにしていましたが、終盤では、そのジョーがカムカムの音楽の作曲をしはじめたり、それがテーマ曲として使われた、ひなたが講師のNHKラジオ英会話では、カムカムの物語それ自体が教材になっていて、それを朗読したのがビリー(城田優)だったことによって、それまで視聴者が見てきたドラマの内容そのものが、あたかも「ひなたの英会話講座」だったように反転して見えた。ついでにいえば、アニー(森山良子)が安子であると判明したことで、その息子が「アルデバラン」を作曲したかのようなメタ構造にもなった。いわば、カムカムのなかでカムカムが作られて、そこで作られたカムカムをいまTVで見ている…みたいな、入れ子状態の、ドロステ効果的な自己言及パロディになっていました。4.批評的な女性描写について…ところで、三世代のヒロインを、こうした大きな歴史のなかで描くという試みは、3つの時代の類型的な女性像を、対比的に浮かび上がらせることにもなりました。つまり、10代で結婚と出産をし、はやくから経済的にも自立し、戦前・戦後の激動期を生き抜いた「祖母世代」の太くて逞しい人生。挫折と波乱万丈を繰り返しながらも、高度成長期に自己実現を果たした「母世代」のしなやかな人生。晩婚化のなかで恋愛も仕事もうまく進展せず、長いモラトリアム期間を過ごした「娘世代」の自分探しの人生。こうした時代ごとに違う女性像をくっきり浮かび上がらせたのも、この作品のユニークな成果だと思います。◇このドラマは、100年の謎を解く「ファミリーヒストリー」であると同時に、3人の女性それぞれの「個人の物語」でもありました。過去のNHK朝ドラには、魔性の女・桜子(純情きらり)とか、あばずれ女・純(純と愛)とか自己中女・鈴愛(半分、青い。)とか、サバイバル女・喜美子(スカーレット)とか、古典的なヒロイン像をくつがえすキャラが定期的に現れていますが、そんななかでも、娘を捨てた女・安子(カムカムエヴリバディ)は、もしかしたら朝ドラ史上最大のヒールだったかもしれません。※「おちょやん」では、娘を売り払った男が "朝ドラ史上最悪の父親" と言われました。やはり大阪放送局の制作。そのような女性像をあえてヒロインにすえた果敢さと、その人生について考えさせる物語だった点でも、このドラマは有意義だったと思います。5.批評的な戦争描写についてこのドラマは、「あんこ」「英会話」「ジャズ/映画」の物語でした。それはちょうど、「安子」「稔」「ローズウッド」の位置づけに対応していて、つまりは、日米関係という背景を基礎的なテーマにしています。悲劇の発端は、日本と米国との戦争であり、さらに戦後の占領政策が事態をこじらせたのだから、諸悪の根源は米国だったと見ることもできるけど、もともと米国文化を好んだ亡き祖父=稔の悲願は、「世界が平和的に結ばれること」であり、けっして米国を憎悪することではありませんでした。そうした祖父の願いは、三代にわたって受け継がれただけでなく、もともと米国文化に関心がなかった弟の勇でさえ、最後には「野球=ベースボール」で米国に繋がります。もしも、物語の終盤で、稔にそっくりの雉真昇が登場し、「ジーンズ」の生産に乗り出す様子が描かれれば、そこでもまた日本と米国の文化は結ばれたかもしれません。(かえすがえすも、なぜ昇を登場させなかったの?)…そこで注目されるのは、脚本家の藤本有紀が、くりかえし、大島渚の「戦場のメリークリスマス」を引用したこと。欧米の行事であるクリスマスに、このドラマが複雑な意味合いを与えただけでなく、この物語の設定が、あの映画のなかでの、「ビートたけし」「坂本龍一」「デヴィッドボウイ」の関係に、重ね合わせられていた可能性があります。今後、このドラマは、そうした面から言及されることになるはずです。
2022.04.09
えええ~?のぼるは?稔にそっくりの雉真昇は???スピンオフまで待てってこと??SixTONESのスケジュールが合わなかったとか??納得いかな~いっ!!!のぼる~!!(T◇T)(T◇T)…いや、桃太郎と孫きぬの結婚はいいとして、モモケンとすみれの結婚も、まあいいとして、期待してたのは、ベリーとチンピラの結婚とかじゃなかったのよ…(T_T)雉真昇の登場だったのよ。ここまで周到にあらゆる伏線を回収しておきながら、肝心のところをスルーですか…。◇けっこう予想がハズレたよ。他にもいろいろと。★雉真昇の登場がなかった。※勇似なのか稔似なのか分からない(笑)。★風間俊介の再登場がなかった。※たんなる咬ませ犬で終わった?★3人の和菓子職人も消息不明のままだった。※彼らがいなきゃ「(株)たちばな」はあんこ作れないでしょ。★五十嵐とロバートについては想像におまかせ?※それもちょっと寂しい。★雉真野球部とシアトルマリナーズは対戦しなかった。※イチローも登場しませんでしたね(笑)。★安子とアニーはシアトルで出会っていなかった。※つーか、同一人物でしたね(笑)。平川唯一の娘でもなかったし。★「I Love You」と言ってたのはひなたじゃなかった。※るいでしたね。考えてみりゃそうですよね(笑)。…う~ん、片桐春彦(=風間俊介)さんも、そんなに悪い人じゃなかったんだけどねえ。なんだか気の毒だから、下の動画を貼っておきますね。#カムカムエヴリバディ #カムカム #風間俊介 #片桐春彦 pic.twitter.com/Qp86tDlyht— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 8, 2022 ◇まあ、最終回は「伏線回収総ざらえ」って感じで、やはり感動のピークは昨日だったと思う。…そういう意味も含めて、最後に、このドラマの重要な軸になっていた、「On The Sunny Side Of The Street」の歌詞について、すこし振り返っておきましょう。もともと英会話をテーマにした物語だったので、この英語の曲についても、とくに細かい解説も和訳もなく、しれっと演奏したり歌ったりしていたけれど、その歌詞のなかには、いろんなメッセージが隠されていたように思います。◇まずは、るいが昨日のジャズコンサートで歌った部分!これは、たぶん、ドラマのなかでは初めて出てきたところで、安子がるいに歌って聞かせたり、るいがジョーと一緒に歌ったり、ひなたに歌って聞かせたりしてた箇所とはちがう。この部分の歌詞は、るいが母と再会するシーンだからこそ、とくべつな意味をもった内容だったと思います。◇るいは、ジョーの「きっとお母さんに届くよ」という言葉を信じ、ひなたが安子を連れ戻せるかどうかは分からぬものの、おろしていた前髪を上げて、ひたいの傷を見せつけるようにして、自分の名前にも因縁のある「Sunny Side」を歌いました。そして、ついに52年ぶりに安子が姿を現したとき、るいは、母にむかって、次の歌詞を叩きつけたのでした。I used to walk in the shadeWith those blues on paradeBut, I'm not afraidMy rover crossed overIf I never had a centI'd be rich as RockefellerWith gold dust at my feetOn the sunny side of the street昔のわたしは葬送行進のブルースを歌いながら日陰ばかりを歩いていた…でも、生き方を変えてからはもう何も怖くなかったわ!たとえ一文無しでもロックフェラーみたいな気分だった!ひなたの道を歩けば足元の土埃さえ金色に輝いたもの!I used to walk in the shadeWith those blues on paradeBut , I'm not afraidThis rover crossed overIf I never had a centI'd be rich as RockefellerGold dust at my feetOn the sunny side of the street #カムカムエヴリバディ #カムカム pic.twitter.com/9Ssp6Q3o1Z— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 8, 2022 つまり、るいは、ひたいに傷を負って、母にも捨てられたけれど、「わたしはちっとも不幸じゃなかった!」と歌いおおせたのでした。それが、母に対する答えだった。るいが自分の生き方を変えたのは、岡山を捨てて大阪に出てきた時とも言えるし、ジョーにすべてを受け入れてもらった時とも言えるし、あるいは、絶望したジョーを救った時だったともいえる。結局のところ、自分の人生を選び、自分の人生を決めるのは、よくもわるくも、親ではなく、自分自身なのですよね。しかし、同時に、彼女の心をつねに導いていたのは、「ひなたの道を歩けば人生は輝く」という幼いころの母の教えでもあった。◇もともと、安子がるいに歌い、るいがジョーと一緒に歌い、ひなたにも歌って聞かせていたのは、いつも「Sunny Side」の冒頭の部分でした。Grab your coatGrab your hat, babyLeave your worries on the doorstepJust direct your feetOn the sunny side of the streetCan't you hear a pitter-pat, babe?And that happy tune is your stepLife can be so sweetOn the sunny side of the streetコートと帽子を手に取って悩みごとは玄関先に置いて明るい表通りへ踏み出しましょう愉快な音が聞こえてくるでしょう?あのハッピーな曲に合わせて歩けば明るい表通りの人生はこんなにも優しい…ちなみに、ここまでは、すべてわたしのテキトーな翻訳なのですが(笑)ドラマでは、最後の部分を、次のように訳しています。聞こえる?あの楽しげな音あれは幸せな君の足音ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝くよ!Can't you hear a pitter-pat, babe?And that happy tune is your stepLife can be so sweetOn the sunny side of the street #カムカムエヴリバディ #カムカム pic.twitter.com/VJ9R9vF393— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) April 8, 2022
2022.04.08
ウィリアム・ローレンス。ってことは、やっぱりビリーなのね!かつて、安子は、「Merry Christmas, Mr. Rosewood」と言ったのだけど、ひなたには、あくまでも、「Merry Christmas, Mr. Lawrence」と言わせたいわけね(笑)。…って、なんのこだわり?そして、月曜日にジョーが書いてた譜面は、朝ドラのテーマ曲じゃなくて、ひなたの英語講座のテーマ曲になったらしい。◇さて、2003年。神社からの帰りです。さすがに帰りはタクシーでしょ!…と思ったけど、帰りは安子を負ぶって疾走wここまでくると、もう誰もツッコみませんけど。◇いやあ、それにしても、不思議なことに、森山良子が萌音に見えてくるんですよねえ…。なぜだろう。アニーのなかに安子の記憶があるんだな、と思えました。定一が「Sunny Side」を歌った、昭和23年のクリスマスの夜のことも、安子とジョーのあいだでしっかり繋がりました。もしも、これが偕行社でのコンサートじゃなかったら、二人の記憶はなかなか繋がらなかったかもしれない。きっとジョーには、何かの予感があったのね。ただ…桃太郎がしれっと、「勇おじさん、先帰らはった」と言ったときは、は?おまえら、つもる話がいろいろあんだろ!と、さすがにツッコんだけどw◇安子と勇が、ようやくつもる話をしたのは、もういちど安子が帰国したときでした。彼らが訪れたのは、あの神社です。あの神社が叶えてくれたのは、安子や勇の願いではなく、世界が平和に繋がるという「稔の夢」だったんですね。でも、…雉真昇はまだ登場しません!◇◇さて、ここで、あらためて考えます!≪わたしたちは安子の人生を許せるか≫について…。◇安子は逃げ続けました。今にして思えば、そこにこそ安子の本当の姿があったと思う。それを描くための「長距離疾走」だったのですよね。…火曜日の放送で、アニーが安子だと分かったとき、視聴者からは否定的な反応が湧き上がりました。正直、わたし自身も腑に落ちなかった。なぜなら、たんに安子の生き方が腑に落ちないだけでなく、バタ臭く変貌してしまった安子の姿も、それを森山良子が演じることも腑に落ちなかったから。じつは、アニーがラジオで告白を始めたとき、カメラは、森山良子の表情をまったく映しませんでした。そのシーンは、背中からアニーをとらえた映像と、るいの表情だけで構成されていました。だから、視聴者は、アニーの切実な悔恨を、表情から感じ取ることができなかった。わたしは、この演出を見て、きっと森山良子の演技力では、十分な悔恨を表現できないのだな、と思ったし、そもそも、あの長台詞を、森山良子が覚えられなかったのだ、とも思いました。その後、ようやく空港のエスカレーターを昇るアニーの顔が映ったけど、そこからも、一世一代の告白をした後の壮絶な表情は見てとれなかった。◇しかし、今にして思えば、脚本家が描こうとしていたのは、アニーの「悔恨の表情」ではなかったのですよね。藤本有紀が描こうとしたのは、ひたすらに「逃げる姿」だったのだな、と思う。それを描くための、奇天烈なまでの長距離疾走だった。…安子が逃げ続けたのは、自分の人生が恥ずかしかったから。自分の名前を偽って、日本に生まれたことも偽って、日本語が話せることも隠して、孫に追いかけられても、なりふりかまわず走って逃げるほど、彼女は、自分の人生を恥じていた。◇本当は娘に会いたかったでしょう。だから、空港からひとり引き返して、意味もなく岡山の偕行社の前に佇んでいた。しかし、それでも、娘に合わせる顔はなかったのでしょう。きっと、それは、算太も同じだったのだろうな、と思う。彼もまた、逃げ続けるだけの人生でしたから。◇いったい安子は何をそんなに恥じていたのか?明示的には、「娘の額に傷を負わせたこと」だとされているけど、より本質的には、「娘の心に傷を負わせたこと」なのだろうと思う。朝ドラ的には、あくまでも暗示的にしか描かれていないけど、それはもしかしたら、「米兵との情事の現場を娘に見られたこと」であり、それによって娘の心に負わせた傷を、安子は生涯にわたって恥じ続けたのかもしれない。実際、そういう歴史は、すくなからずあったでしょう。ただ、今日の放送では、母娘のあいだの「誤解もわだかまりも解けた」とのことなので、そういう問題もふくめて、ドラマ的にはすべて解決したのだといえます。正直、わたしは、現在の姓が「ヒラカワ」であることから察して、安子はロバートと添い遂げることができず、捨てられていたのかも…とさえ思いましたが、そうではなかったようです。ロバートは、まだ生きてるんでしょうか?◇逃げ続けた兄と妹は、クリスマスに家族のもとへ帰ることができた。彼らの人生の「罪」は、唯一、クリスマスにのみ許されたのだといえる。はたして視聴者が、安子の罪を許せるのか。算太の罪を許せるのか。これは一種の踏み絵です。この物語は、けっして清く正しく品行方正なヒロインの話ではありません。むしろ、意図せずして汚れてしまった人間の話。「純情きらり」にせよ、「純と愛」にせよ「半分、青い」にせよ、「スカーレット」にせよ、これって近年の朝ドラに共通の傾向ですが、今回の「カムカムエヴリバディ」もまた、ある意味では、とても "醜いヒロイン" の物語なのだといえる。上白石萌音が演じた安子は、朝ドラ史上、もっとも "醜いヒロイン" だったかもしれません。しかし、そこにこそ女性の人生の現実がある。それを肯定するのは難しいけれど、否定するのもまた難しい。これは昨日の新聞。物語の中で「なんだこの人!」って思う人にも、それまでの人生があり、その人なりの考えがある。一方的に悪いといわれている側にも、何か事情があるのかなって思いを巡らしている。
2022.04.07
最終週の3日目。神回。もうええんや。お母さんのことや、アメリカへ帰ったら、キャリアも何もかも捨てて、そのまま姿消す思う…。そういう人やさかい、私のお母さんは。by るい多くの視聴者が、安子に感じているモヤモヤを、るいが見事に代弁してしまいました。まるで昨日の視聴者に渦巻いた否定的な反応を、すべて見透かしていたような脚本。実際、安子はまだまだ逃げ続けています!老いてなお、長距離を激走して(笑)。◇るいは、算太に再会し、勇と雪衣にも再会し、すでに母を許す準備も出来ているかと思いましたが、そうそう簡単じゃないですよね。心のわだかまりはまだ残っている。でも、どこかに許したい気持ちもあるでしょう。だって、実の母親だもの。るいは、そういう葛藤の中にいます。◇私もわからんわ。そのお茶に意味があんのかどうか。…けどな、意味があんのかないんか分からんことをやる。誰かのことを想てやる。…それだけでええんとちゃう?by ベリー心が通じ合うかどうかは分からない。意味があるのかどうかも分からない。それでもやる。これは視聴者に対しても同じ。戦前から戦後に生きた人々のさまざまな選択を、理解できる視聴者もいれば、理解できない視聴者もいる。それは人それぞれ。はたして現代の視聴者に向けて、安子の物語を伝える意味があるのかどうか、それはまったく分からない。でも、たとえ理解されないとしても、伝えるだけは伝える、ってことでしょう。◇巷では、老女の「長距離激走」がツッコミどころだと話題ですが、わたしとしては、そのあたりのことは気になりません。フィクションだもの。むしろ、思わず笑ったのは、がむしゃらに走り続けた安子が、またしても、あの神社に辿り着いてしまったこと。…何ひとつ願いを叶えてくれなかった、あの神社。土地勘が残ってるのか、無意識に足が向いてしまうのか知らないけど、やっぱり、あの神社に行っちゃうのね…(^^;稔の無事を祈って、必死で願をかけつづけたものの、結局、何も願いは叶わなかった。それなのに、また行くの?今度こそは、何かを叶えてくれるんでしょうか?稔に勧められて戦前に学んだ英語は、安子とるいにとって「災い」になってしまったけれど、ひなたがNHKのラジオ講座に就任することで、ようやく英語学習は3代目にして報われるのでしょうか?◇◇さて、残りの2話で、ついに安子とるいの再会が描かれるはずです。しかし…それ以上に、わたしが気になってるのは、勇の息子の雉真昇です。もしも、彼が、「父親似」でなく「叔父似」だとすれば、安子は、稔にそっくりな昇と対面することになるから。◇そして、もうひとつ、視聴者のあいだで注目されているのは、株式会社「たちばな」の謎。今回のクリスマスコンサートの協賛企業なのだけど、ネットの情報によると、ディッパーマウスの慎一がおはぎを買ってきたときも、包装紙に「たちばな」のロゴがあったらしい。いったい誰が、いつのまに和菓子屋たちばなを再建したのでしょうか?しかも株式会社になっている!再建したのは、亡くなった雉真の父?それとも算太?それとも終戦直後に登場した「おはぎ少年」?いちばん可能性が高いのは、やっぱり「おはぎ少年」なのだけど、彼は、おはぎの売り方は知っていても、あんこの作り方を知らないはずなのよね。その点、雉真父や算太は、作ったことはないにせよ、たぶん「おいしゅうなれ」のおまじないを、横で見ていて知ってたはずなのです。…ちなみに、あの「おいしゅうなれ」のおまじないは、あずき豆や、コーヒー豆など、全豆類に適用できるっぽいので、たぶん豆腐作りにも応用できるのですよね(笑)。…案外、きぬちゃんの豆腐屋でも、同じおまじないで豆腐作ってたかもしれないし、そう考えると、きぬちゃんにも、あんこは作れる気がします(笑)。…そういえば、戦前のたちばなで修行してた3人の職人さんもいたね!◇◇ところで、この最終週では、2022年と2003年とが並行して描かれてますが、昨日は、京都の実家の部屋から、Skype みたいなビデオ通話で映画の打ち合わせ。今日は、ひさしぶりに条映の映画村を訪ねていました。虚無蔵さんも、老いてますますご活躍の様子。…ちなみに、ひなたが京都に帰ったということは、たぶん桃太郎が回転焼き屋を継いでるんですよね。かりに桃太郎が結婚したとすれば、るいとジョーは、狭い家を桃太郎一家にゆずって、自分たちは故郷の岡山に引っ込んだってこと。そして、なぜかディッパーマウスを経営してる。…ってことは、大阪のナイト&デイを慎一が継いだのでしょうか?
2022.04.06
最終週2日目。はやくも答えが出ちゃいましたwアニーは安子だったんですね。ってことで、考察終了?しかし、いろいろと腑に落ちない…答えが出てしまったので、未解明の「?」はとりあえず消えましたが、腑に落ちないほうの「??」があふれて止まりませんw◇森山良子が、まったく萌音を彷彿とさせないのも腑に落ちないけど、…やはり、安子の生き方そのものが、話を聞いてても、まったく理解できないのですよね。というか、森山良子の、妙にバタくさい岡山弁の告白が、まったく頭に入ってきませんw安子編が終わったときに感じたのと同じモヤモヤ。ロバートにしがみつく安子を見たときのモヤモヤ。そのモヤモヤが、そのまま甦ってきてしまいました。◇やっぱり安子って、この物語の「悪役」なのかも。けれど、そういう女性って、現実にも沢山いたのでしょうね。家族を捨てて、米兵と一緒に海を渡り、身も心も、すっかり米国人になっちゃった女性たち。その意味で、森山良子の演じる「バタくさい安子」は、ひとつの "リアル" なのだろうとは思う。アニーヒラカワは、日本語をいっさい喋らず、娘を捨てたまま故郷に帰ろうともせず、日本生まれであることも隠していましたが、そういう女性が実際にいたのかしら?誰かモデルになった女性がいたのかもしれません。現在のわたしたちの価値観で、そういう女性たちの人生を測ろうとしても、永久に理解できないかもしれませんが、はたして残りの3日でどこまで納得できるでしょうか?◇安子は、兄の算太にも会えないままだったんでしょうか?算太のことだから、生前に一度くらいは、ダンスの本場である米国に渡ってても不思議はないのだけど。…それにしても、算太といい、安子といい、どうして橘家の子供たちは、みんなクリスマスになると家族のもとへ戻ってくるんでしょうねえ。いわゆる「クリスマスまでには帰る」ってやつ?それもまたひとつの謎。安子が「ヒラカワ」姓になった謎もまだ残っています。◇◇◇さて、今日は、他にもいろんな答えが出てしまいましたwひなたは、やっぱりキャスティングディレクターになったらしい。きっとシアトルに留学して、そのまま祖母の仕事を継いだのですね。一方、五十嵐は、やっぱりデイジーと結婚したみたいですが、なぜ?よりによって?ひなたの隣のページに五十嵐の記事を載せるの?!たんなる偶然?お互いそれぞれの道で頑張ってますね! …ってこと?ひなたは独身でしょうか?シアトルの留学先でビリーくんに再会できましたか?◇それはそうと…思わぬところに紺野まひるがっ!どうやらNHKに入局されたようで。彼女はたぶん、安子の恩人の孫にあたる女性ですねえ。…ってことは、残りの2日間で、勇の息子の昇だけでなく、きぬちゃんの孫とか、風間俊介の息子とか、いろんな人があらかた出てきそうな気もします(笑)。
2022.04.05
いよいよカムカムが最終週に入りましたので、わたしも最終考察に突入します!◇◇初日の冒頭シーンは謎めいてました。公式ツイッターによると、このシーンの設定は2022年だとのこと。つまり、現在ですね!1.るいとジョーが「ディッパーマウス」を経営?喫茶店ディッパーマウスブルースの朝。コーヒーを淹れているのは、健一でも慎一でもなく、…るいでした!るいとジョーは、京都の回転焼き屋「大月」を引き払って、岡山の喫茶店を引き継いだのでしょうか?ちなみに、ディッパーマウスの店名は「サッチモ」の別称から、るいの名前も「サッチモ」の本名から、ひなたの名前も「サニーサイド」の曲名から、すべてがルイ・アームストロングに由来していますし、この店は、事実上のジョーの"実家"でもあるわけですね。2.あずきにもコーヒーにも「おいしゅうなれ」?このおまじないは、いろんな豆類に通用するようです(笑)。3.ひなたが久しぶりに帰国?ひなたの職業は通訳でしょうか?もしくはハリウッドのキャスティングディレクター?本格的に時代劇を救っちゃいましたか?かりにキャスティングディレクターだとすれば、アニーの仕事を引き継いだってこと。ちなみに、この職業は、奈良橋陽子がモデルになってるそうですが、奈良橋陽子といえばゴダイゴ!ゴダイゴといえば萌音も歌った「ガンダーラ」!そして、萌歌も好きな「ホーリー&ブライト」!どちらも奈良橋陽子の作詞です。(^^♪4.ひなたは京都と東京に家がある?ひなたは関空から京都へ帰るようです。…ってことは、姉弟で「大月」を引き継いだ?しかし、ひなたは東京にも家があるようです。もしかして東京に夫がいるのでしょうか?5.ひなたとデイジーはどちらが眩しいの?ひなたの結婚相手は、幼いころに条映の映画村で初恋に落ちた、アメリカ人の少年ビリーでしょうか?一方、五十嵐は、ほんとうにデイジーと結婚したのでしょうか?ちなみに、ひなたの名前の由来は「Sunny Side=日の当たる場所」ですが、デイジー(Daisy)の花の語源は「Day's Eye=太陽の瞳」です。どちらも太陽に関係しており、モモケンの「暗闇」やジョーの「大月」と対照をなしています。6.カムカムでカムカムを見る「ドロステ効果」?ジョーは朝ドラを見ていました。2022年なので、おそらく「カムカム」を見てるのでしょう。どうやらNHKはドロステ効果の実験をしてるようです。7.ジョーは「カムカム」の音楽を作曲?そういえば、ジョーは冒頭で譜面を書きながらピアノを弾いていました。しかも、それは「カムカム」の挿入曲でした。つまり、ジョーは作曲家になって、朝ドラ「カムカム」の音楽を手がけているのではないでしょうか?◇◇本編に入ると、時代は2003年に戻りました。8.サムライたちの「ラスト・イニング」とは?公開間近の映画「サムライベースボール」は、江戸時代へのタイムスリップものなので、どう考えてもTBSの「仁」のパロディっぽいのですが、次作ヒロイン黒島結菜の「アシガール」を意識してる可能性も…。一方、日米合作の野球映画といえば、石橋貴明が出演した「メジャーリーガー2」(1994)が思い浮かぶけど、2003年の公開ということを考えても、米国育ちのアニーが土下座していたことを考えても、やはり「ラストサムライ」(2003)のパロディなのでしょうね。9.登場してない昇は「父親似」「叔父似」?勇の息子の昇はまだ姿を現しません。吉右衛門は吉兵衛にそっくりで、吉之丞は吉右衛門にそっくりだし、健一は定一にそっくりで、慎一は健一にそっくりですが、昇はいったい誰に似てるのでしょうか?左は「父親似」の昇。右は「叔父似」の昇。10.なぜか話が盛り上がる4人?クリスマスの岡山偕行社では、健一、勇、小暮、和子が同席していました。もともと、健一は小暮と知り合いで、小暮は和子と知り合いだと思うけど、この4人が居合わせるのは初めてです。それでも話が盛り上がっていたようですが、内容はおおよそ想像がつきますね…(笑)。勇「ジャズは野球じゃ!」和子「野球は洗濯や!」健一「洗濯はコーヒーじゃ!」小暮「コーヒーはジャズや!」
2022.04.04
南方仁が幕末の日本にペニシリンを伝えたように、マット・ロリンズはベースボールを伝えるらしい。そこでモモケンか虚無蔵が「二刀流」を発明するのでしょう。そして、そのベースボールの文化は、江戸から現代の日本人へと受け継がれる。…となれば、現代の野球シーンには、特注サイズの足袋を提供した雉真の野球部と、安子のいるシアトルのマリナーズが出演するのでは?ちょうどイチローが活躍していた時代でもあります!…との推測も可能。◇しかし!!そんなことよりもっと気になるのは、かつて進駐軍が接収していた岡山偕行社で開催される、クリスマスのジャズコンサートのほうです!!またもやクリスマスっ!!かれこれ何度目でしょうか?なぜジョーは、そこで「るいが歌えば安子に届く」と思うわけ?ジョーは、あのとき定一が歌った「Sunny Side」を、安子とロバートが聴いてたことを知ってるわけ?そもそも偕行社のコンサートには誰が集まるのでしょう?かりに米軍の関係者が集まるなら、誰かが撮影したビデオ映像が本国に伝わることもありえる。(さすがにYoutubeはまだ存在していません)でも、現在の偕行社は米軍とは無関係な施設になってるはず。それから、ジョーはふたたびトランペットを吹けるの?◇◇◇それはそうと、雪衣が過去の後悔のうちに死んでしまいました。あのとき、るいが母に「I Hate You」と言ったのは、母とロバートの逢瀬を目撃してしまったからだけど、同時に、雪衣にあらぬことを吹き込まれたからでもある。雪衣の懺悔は遅きに失しました。そんな後悔を心に秘めていたのなら、もっと早く夫と義父にそれを打ち明けて、安子を探すことだって出来たはずなのに!…そして、"アニー・ヒラカワは誰なのか" 問題!どうやら彼女のルーツは岡山にあり、しかも「餡子のおまじない」のことも知ってるらしい!ロバートと結婚した安子が、平川唯一の家族になったとは考えにくいけれど、「アニー(Anny)」という名が、「アンコ(Anko)」の愛称である可能性も否定できない。いったい彼女は何者なのか?◇そして、次週の予告動画はもはや異常ですっ!!この面子!左から健一、勇、ナイト&デイの小暮、クリーニング屋のおばちゃん、桃太郎。るいが歌ってるし!アニーを負ぶって連れてくる!ひなたが誰かに「I LOVE YOU」と言う。そして…この神秘的なショットは何???あさイチの川栄李奈の可愛さにも悶絶しました!
2022.04.01
先々週ぐらいまでは、「英会話はどうなった?」「カムカム英語はどこいった?」「平川先生って何だったの?」みたいな感じだったけど…いまや、英語がセリフにあふれかえって、主人公は数分にわたって延々と英語を喋りつづける始末!(笑)こんなの朝ドラ史上初めてでしょ。視聴者は字幕を見てなきゃいけないので、これはある意味「ながら見」を許さない究極の演出といえる。◇さて、渡米した両親はあっさり帰国しました。何のつてもなく、いきなり渡米したところで、広大なアメリカのなかで安子に会えるわけないやん!せめて進駐軍と取引のあった雉真を頼るべきでしょ!…と思ってたけど、どうやらロバートの地元の日系人団体を頼ったようです。賢明ッ!るいとジョーが訪ねるのは、東海岸ならニューヨーク、西海岸ならロサンゼルスかサンフランシスコ、ジャズの本場ならニューオーリンズかと思ってたけど…ロバートの故郷ってシアトルだったのね。◇その情報って、そういえば過去にも出てきたような気がしたけど、検索してみても分からなかった。その代わりに出てきたのは、シアトルの、ふたりの日系人女性の情報でした。そのひとりは、平川唯一の次女にあたる大野メリーさん。もうひとりは、アメリカ軍楽隊員の妻になったクニ・ランドという女性。そして、この2人の情報を目にした瞬間、わたしには、このドラマの大きな枠組みが見えてきましたよっ!…たぶん ◇第102話に「アニー・ヒラカワ」という日系人女性が登場しました。演じてるのは、アルデバランの生みの親の、そのまた生みの親。…って森山良子です。▷ 森山良子キャスティングの理由どうやら彼女は米国で育ったため、日本語が話せないらしい。この女性のモデルが、大野メリーさんなのかどうかは分からないけれど、「アニー・ヒラカワ」の年齢設定は、だいたい平川唯一の娘世代にあたるのだろうと思う。一方、クニ・ランドという女性が、安子の直接のモデルといえるかどうかも分からないけど、その生涯は多分に共通するところがあるし、同じような経緯で渡米した日系女性は他にも沢山いるはず。◇現実の話として、平川唯一が岡山県出身であり、彼とその家族がシアトルに縁があったのは事実です。かりに「アニー・ヒラカワ」の故郷がシアトルだとすれば、そこで彼女の家族が、日系人と現地社会の人々の橋渡しをしていた可能性は高い。だとすれば、安子とアニー・ヒラカワに接点があって不思議じゃありません。…つまり、このドラマは、岡山県にルーツをもつ2人の日系人女性が、米国のシアトルで出会うところから逆算して、脚本が組み立てられてるんじゃないでしょうか?わたしは、その謎が解けるのが、きっとアルデバランで歌われるところの「世界が終わる前」、つまり「1999年の7の月」にちがいないと思ったのだけど!…すでに舞台は2001年になってしまったようです(笑)。◇それはそうと!るいは、1944年生まれという設定なので、すでに50代半ばになってるはずなのですが、ますますお洒落で美人になってるよねぇ。それは、とりもなおさず、アラフィフの深津絵里のことでもあるのだけど。そして、ひなたも、1965年生まれの設定なので、すでに30代半ばの独身女になってしまったのだけど、そこはかとない色気が漂ってきている。川栄李奈も、2019年に結婚・出産した後、日テレの「リモラブ」ではセフレ女を演じてたけど、わたしが思うに、彼女には、いわくいいがたい色気があるのよね。一方、佐々木希は、てっきりユーチューバーと結婚するかと思ってたので、ここにきてトミーと結婚してたのは、けっこう不意打ち(笑)。◇ところで…わりとどうでもいいことだけど、ハリウッド時代劇の主演はマット・ロリンズだそうです。一瞬、「マット・ディロン?」…と思っちゃった。マット・ディロンなんて名前を思い出したのは、かれこれ30年以上ぶりです。つーか、そもそもマット・ディロンって誰だっけ?…と、われながら思い出せなくて、ネットで検索しちゃったよ。
2022.03.26
先々週ぐらいから、このドラマには「伏線回収」なんて無いのだと諦めていた。そもそも人生には「伏線回収」など無いのだし。どうせ算太が戻ってきても、結局、何も語らないまま死んでしまうのだろうと。しかし、ここに来て怒涛の伏線回収が!え、岡山行くの?!来週はアメリカ?!ひやーん!…泣く(T_T)今までさんざん「こんどこそは…」と待ちわびたのに、いざ回収モードに突入するや、あまりにも怒涛の展開すぎて、かえって気持ちが追いつかない(笑)。それに、ここまで来ると…登場人物だけでなく、見ている側の記憶もすっかり曖昧で、何がどう繋がってたのかよく分からなくなっている(笑)。◇算太が失踪したときに持ち出した貯金通帳は、算太自身の名義になっていました。「安子は雉真にいるかぎり大丈夫」「自分には当座をしのぐお金が必要」きっと、そんな考えで持ち出したのでしょうね。…岡山を訪ねて、30年ぶりに勇や雪衣に再会したものの、過去の謎はそうそう簡単には解けませんでした。やっぱり肝心なことを知っているのは、豆腐屋の絹ちゃんあたりでは??…と思っていたら、登場したのは、ディッパーマウスの健一さん!つーか、健一なんて、存在自体忘れてたよ…(^^;でも、彼の話を聞いてたら、るいが岡山を捨てた理由がやっと分かった気がしました…。るいは「雉真の子」として不自由なく育ったろうし、勇や雪衣との関係だって悪かったようには見えないけど、…世間の人々は、るいの母親のことを悪く言った。岡山の町の人たちは、安子が「進駐軍さんと駆け落ちした」と好奇の眼差しで噂した。それにくわえて、勇と雪衣には男子が生まれてしまったから、るいの「雉真の子」としての存在価値も小さくなってしまった。るいは、家の外にも、家の中にも、ほとんど居場所がなく、否応なしに「母に捨てられた子」としての傷を負い続けた。きっと、そういうことでしょうね。◇それはそうと、健一は、安子と稔の初デートの現場に立ち会ってたんですね!のみならず、算太やジョーとも知り合いだったらしい。あらためて見たら、健一って、すごい重要人物じゃん!!(笑)ちなみに、健一が戦争から帰ってきたのは1951年。ちょうど安子が算太を探しに行って、大阪でロバートと結ばれてしまった頃。絹ちゃんと雪衣が出産した頃でもあります。健一は、大陸で捕虜になっていたわけではなく、父が死んだと勘違いして横須賀で過ごしているうち、岡山に帰るまで6年もかかってしまったらしい。◇その頃は、まだジョーも岡山にいたのでしょうね。はたしてジョーが、定一と同居していたかどうかは分からないし、健一とともに過ごした時期があったかどうかも分からない。むしろ、彼は、ときどきディッパーマウスに顔を出しながら、ほとんどの時間をジャズバンドとのドサ回りに費やし、まもなくして、大阪のナイト&デイに引き取られたのではないでしょうか。そして、その後のジョーは、定一や健一とほとんど連絡を取らなかった。ただし、ナイト&デイの小暮のもとには、岡山のジャズ喫茶の事情も随時入ってきたから、定一が亡くなったことや、ディッパーマウスが復活したという情報も、そこからジョーへと知らされたのでしょう。…健一は、算太の2歳年下の後輩でもあったそうです。ってことは、安子より2歳年上です。算太から直接的に迷惑をかけられたことはないと言うけど、間接的には何かあったのかしら??◇◇◇さて、今日の第97話は、ひさびさのオカルト展開でした。るいとジョーは終戦記念日に神社へお参り。あの神社にはあまり良い記憶がない。やたらと大きいけれど、何ひとつ願いを叶えてくれなかった神社です。オカルトといえば、安子の父が死んだ晩のことを思い出す。でも、今回はさすがに死亡フラグはないでしょう。死者が行き交う白昼夢の中で、るいは父の幻影とはじめて出会い、ひなたはラジオ講座の平川唯一の幻影に出会いました。ひなたにいたっては、平川のラジオ放送を幻聴しながら、英会話習熟についてのメモまで取る始末。まじでオカルト。◇それにしても、話は変わりますが、このドラマには、クリスマスがなんどもなんども出てきますね。幼い頃のるいが、安子やロバートと過ごしたのもクリスマスシーズンだったし、安子やロバートや幼い頃のジョーが、定一の歌う「Sunny Side」を聴いたのもクリスマスイブだった。深津絵里がJR東海のCMに出たときも、山下達郎の「クリスマスイブ」が流れてましたし…。そして、算太の1度目の帰還も3度目の帰還もクリスマスでした。クリスマスには、けっして明るく楽しい記憶だけではなく、むしろ重いしこりのような記憶がひだのように折り重なっている。◇来週はいよいよアメリカですか?!それはロサンゼルス?サンフランシスコ?それともニューヨーク?それともニューオリンズ?!トミーは渡米した後どうなったの?ジョーがトランペットを吹く日は来るんでしょうか?そして安子とロバートは…?豆腐屋の絹ちゃんはどうしてる~?本郷奏多はどこいった~?風間俊介はどこいった~?紺野まひるは何してる~?三世代ヒロインのスリーショットは実現するんですか??
2022.03.18
またも算太は逃げました。算太が映画界でそれなりに名を挙げたのなら、金を返しに安子のもとへ意気揚々と帰ってきてもよさそうだし、安子が岡山にいないと分かれば、アメリカにまで探しに行っても不思議はないと思っていたけれど、そうじゃあないんですかねぇ。(T_T)◇金を返すどころか、ひなたの母親がるいだと分かった途端に、またも姿を消してしまった。妹に合わせる顔がないと思っているのか。それとも、金を無心する以外は家族に用などないと思っているのか。あるいは、安子の消息をすでに知っているとか?安子のみならず、算太の謎もまた、かえって深まった感じです。◇そして、また8年もの月日が流れてしまいました…。五十嵐は大部屋のまま。ひなたはいつまでたっても結婚できず。ジョーは音楽どころかいっこうに働かず。ましてアメリカへ行くこともなく。るいは大阪へも岡山へも帰らず。吉右衛門と算太の過去もつながらない。結局、この物語は、何ひとつ繋がらないままに終わるのでしょうか?◇納得のいく答えに行き着くことが、ドラマにとっての「伏線回収」だとするならば、この作品にそのようなものは期待できないのかもしれません。考えてみれば、人間の人生なんて、すべてが納得のいく理由で説明できるわけじゃないし、人間の行動のすべてに、あらゆる人に納得できるような答えがあるとは限らない。まして、戦中戦後を生きた人たちの行動原理など、現代の視聴者には到底理解が及ばないのかもしれません。 #カムカムエヴリバディ #カムカム— きく美 (@nise_shobai) February 25, 2022 #カムカム#カムカムエヴリバディ— ひざかり (@asdrasdr19) February 28, 2022 #カムカム #カムカムエヴリバデイ— ほしあんず (@OXzv5dGFctutouV) February 28, 2022
2022.03.06
「そば処うちいり」ってwいくら映画人御用達の店とはいえ、そんな名前つけます?!しかも、何故、吉右衛門一家がそろって蕎麦食ってるの?!吉右衛門の子供たちは、おゆみに初めて会ったらしく、しきりにサインをねだっていたけれど、どう見たって、両者ともこの蕎麦屋の常連でしょw◇そして、ふいに岡山時代の昔話をはじめた吉右衛門!でも、算太の名前も思い出せないし、和菓子たちばなの名前さえ思い出せないのですね…。るいと吉右衛門が、おたがいに同郷だと気づかないように、かりに算太と吉右衛門が出会っても、お互いのことが分からないかもしれません。ひなたも、算太の顔をまったく知らなかったのですが、るいでさえ、叔父の算太のことが分からないかもしれません。◇とはいえ、いろんなことが一気に繋がってきたのは事実!算太が映画村に現れただけではない。ベリーの娘も映画村にやってきて、映画人御用達の蕎麦屋に吉右衛門一家も通っている。ここからいよいよ、過去と未来がつながって、さまざまな謎が解けていって、奇跡的な伏線回収と相成るのでしょうか?! ◇それにしても、映画「妖術七変化」をここまで引っ張るとは!!モモケン親子には、どうやら確執があったらしく、大部屋の虚無蔵が大抜擢された理由も、そこにあったようです。そして、二代目モモケンと虚無蔵のあいだにも、いまだに、ただならぬ因縁と確執がある。ここにも、秘められたストーリーがあったのですね。◇算太はこれまで、映画界でどんな仕事をしてきたのでしょうか?きっと本名ではなく、芸名を使っていたのでしょう。二代目モモケンとは旧知の仲のようだけど、それはきっと、先代からの繋がりでもあるのでしょう。もしかしたら、算太も「妖術七変化」に関わっていたのかもしれない。そして、モモケン親子の確執の内実についても、きっと何かを知っているに違いありません。◇ひなたが時代劇好きなのは、じつは父親ゆずりの遺伝ではなく、算太や、曽祖母や、高祖父母のほうの血筋かもしれませんね。
2022.02.26
ひなたは、たったの一週間でラジオ英会話をやめてしまいました。まあ、実際、そんなもんですよね…。わたしも身に覚えがある(^^;るいにも、ジョーにも、英語への熱意は感じられず、ジャズやトランペットに見向きもしない。アメリカへの関心も感じられません。…どうやら、いまの大月家には、渡米した安子に繋がるような要素はどこにもない。《ラジオ英語講座とともに歩んだ親子3世代の100年間》…って当初の触れ込みは、このドラマ最大のミスリードであって、そんな伏線を回収する気は全然ないかもしれません。いまのところ、安子の消息につながる要素は、どこにも見当たらない。それどころか、物語の舞台が岡山にもどる気配もない。◇かろうじて期待されることといえば、ひなたが、京都の映画撮影所で、叔父の算太に遭遇するかもしれないってこと…?あるいは、いずれ弟の桃太郎が、雉真繊維の野球部に関わるかもしれないってこと…?いつかどこかで、京都生まれの桃太郎と、京都撮影所の桃剣=黍之丞が、岡山の鬼退治伝承に結びつくんでしょうか…??◇ちなみに、ひなたが通う高校の教室では、女子の半分が聖子ちゃんカット、半分がポニーテールでした。まだ斉藤由貴のデビュー前だけど!ポニーテールの女子が増えるのは斉藤由貴のデビュー以降です!
2022.02.12
ようやく、ひなたとるいが英会話をはじめるっぽい。ここから、いよいよ伏線回収となるんでしょうか?◇今までのところ、るいも英会話をやらないし、夫もトランペットを吹かないし、まして岡崎でジーンズを作るわけでもなく、アメリカで生き別れの母を探すのでもなく…期待されることは何も実現しないまま、時代だけがどんどん移り過ぎていた。唯一、引き継がれたのは、あずきを煮て、あんこを作ることだけ。(その意味では4代目のあんこ職人)◇現実の人生では、伏線など回収されたりしないし、人生の謎が解けたりはしないし、ほとんどの場合、意味も理由も分からないまま、時は過ぎていくのだから、このドラマでも、何ひとつ伏線など回収されず、何ひとつ謎も解けないままに、ごくリアルな話として終わっていくのかもしれない。◇でも、今回、「時代劇オタク」で「元祖刀剣女子」だった孫のひなたが、ひょんなことから英会話に目覚めようなので、これを機に、会ったことのない祖母の存在を意識しはじめたり、両親の故郷を訪ねて雉真繊維のジーンズを買ったり、父と一緒に渡米してニューオリンズを巡ったり、…なんてことがあるんでしょうか?そして、ついには祖母の居所を探し当てて、すべての謎と真実を解き明かす奇跡が起こったりするのでしょうか?…というか、ひなたが外国人に心惹かれるのは、やっぱり祖母ゆずりの隔世遺伝?
2022.02.06
カムカムエヴリバディの世帯視聴率。また伸びています。一般に、NHKの朝ドラは、明るい内容のほうが好まれるというけれど、このドラマの場合は、まったく逆!安子編といい、るい編といい、それまでの平凡な日常が崩れ落ちて、不幸で暗い展開を経るたびに視聴率が伸びていく。◇とくに、最高視聴率を記録した1/25の第59話は、ちょっと異様な回でした。不穏で、嫌な予感に満ちていて、ほかの回とはあきらかに雰囲気が違っていて、すごくドラマティックな展開を見せる内容。最後のシーンは、あきらかにTBSの「白夜行」のオマージュ!音楽も、あの河野伸のテーマ曲にそっくり!ーまいか (@JQVVpD7nO55fWIT)このドラマは、世界の片隅のすずさんから、戦後の君の名は、日活の太陽族とみなしごの映画、月光仮面やら市川雷蔵にいたるまで、時代ごとのパロディとオマージュで構成してあります。とはいえ、まさか白夜行まで出してくるとは。◇オダギリジョーは、これまで「低視聴率男」と不名誉な異名をとってきましたが、今回ばかりはその汚名を返上している。これまで、オダジョーの出演ドラマが、ややもすると視聴率に伸び悩みがちだったのは、それなりに理由があってのことです。オダジョーって、たしかにエレガントでカッコいいのだけど、あまり "熱量" を感じさせないキャラなので、いまひとつ視聴者をのめり込ませる力に欠ける。今回の朝ドラでも、最初のうちは、なんだか余裕しゃくしゃくで、高みからうっすら笑いを浮かべてて、周りにくらべてどこか冷めていて、不器用に、必死に、ひたむきに、がむしゃらに生きている感じがまるでなかった。そういうキャラって、なかなか視聴者からの強い共感を得にくいし、物語の主軸にもなりにくい。かといって悪役になるほどアクが強いわけでもない。まあ、それはそれで俳優としての彼の個性なのだから、役柄に合っていれば何の問題もないのですけど。◇でも、今回は、いつもとちょっと違っていました。トランペットが吹けなくなってからのジョーは、自殺未遂にいたるほど顔が青ざめていた。それは、いままでのオダジョーの役柄には珍しいパターンだったし、そのことが視聴者を引き込む力になったかもしれません。ちなみに、物語のなかでジョーをおそった謎の病気は、職業性ジストニアだったようです。いわゆる書痙ですね。◇今週の高い視聴率は、その要因を特定するのがなかなか難しいけれど、オダジョーの役柄以外にも、このドラマならではの特殊な魅力がいくつかあります。そのひとつは、世代をまたぐ歴史の移り変わりを、視聴者に疑似的に体験させていること。たとえば、「あのケチべえの息子が!」とか、「あのモモケンの息子が!」とか、なんだか懐かしいような錯覚に陥ってしまう。とくにケチべえの息子にかんしては、かつて親世代がご近所さんどうしだった過去を、ドラマのなかの当人たちは知らないのに、視聴者だけが知っている…という不思議な感覚。堀江謙一の太平洋横断や、米国のアポロ計画や、ビートルズのビルボード制覇などの歴史ネタにくわえて、こうした《疑似的な歴史体験》が視聴者の知的欲求を満たしている。◇それから、これはもう先週の内容ですけど、ジャズと時代劇をオーバーラップさせた謎の演出も面白かった。映画やドラマのなかで、ジャズやクラシックのようなインスト音楽を、視聴者を退屈させずに見せることって難しいですよね。その難題を克服するうえで、あれは斬新な試みでした。今週も、るいとベリーの和菓子対決のときに、時代劇の殺陣シーンがオーバーラップしてましたが、そうやってドラマ内の小ネタを反復させてもいます。◇◇◇それはそうと、ぜんぜん話は変わりますけど…雉真家はどうなってるんでしょう?誰ひとり、探しにくる様子もありませんが。るいは雉真の娘として育てられたはずなのに、雉真父が死んだら、もはや縁が切れたも同然ですか?かつて雉真父は、母の安子から引き離してまで、「るいを雉真の娘として育てる!」と豪語していた。でも、家業に関わらせないのなら、わざわざ母親から引き離した意味ないじゃん!そういえば、「雉真家の財力なら額の傷だって直せる!」との絶賛の触れ込みだったけど、どこにも治療を施した形跡すらない。るいがそれを拒んだのでしょうか?るいもるいで、結婚したことを岡山に知らせようともしないし、子供が出来てもなお、雉真の家と連絡を取らない。お豆腐屋さんとの付き合いなども含めて、るいには、故郷への想いがほとんどないのでしょうか?
2022.01.30
安子は、いきなり渡米したっきり、娘に手紙ひとつも書かなかったのでしょうか??っていうか、そもそも生きてるの?豆腐屋のきぬちゃんにも不義理のまま?雉真繊維は、米軍とも取引してたんだから、米軍に問い合わせれば、ロバートの居所を突き止められるのでは?そういえば、ジャズ喫茶では、秋吉敏子や渡辺貞夫のように、「渡米したい」と言ってるジャズマンがいたけど、そこらへんからアメリカに繋がっていくんだろうか?るいは、母にむかって「I hate you」と言ったことを覚えてる?娘が母の失踪の謎を知る日は来るのか来ないのか。それとも、永久に分からないものなのでしょうか?◇そして、叔父の算太はどこにいるのでしょう??そういえば、いちど借金取りのチンピラがクリーニング屋に来たけど、まだ算太には結びつかない。映画界では、まだ桃山剣之介が活躍してるし、長谷川一夫というより、市川雷蔵って感じですね。その周辺に算太がうろついてる可能性もあるし、るいが「雉真繊維の娘」という噂が広まれば、そこから算太とるいが結びつく可能性もある。ただし、算太とるいが出会ったところで、もう、おたがい顔は分からないかもしれないけど。◇ちなみに、わたしは、深津絵里のことをデビューのときから知っている!(笑)1988年に公開された「1999年の夏休み」(まぎらわしい!)しっかり劇場で見ました。萩尾望都の「トーマの心臓」を金子修介が映画化したやつ。金子修介は、由貴ちゃんの「香港パラダイス」を撮ったあと、平成ガメラシリーズを撮ることになる人です。もともと「トーマの心臓」は少年ばかりの物語だから、深津絵里が演じたのも14才ぐらいの少年。当時は、まだ深津絵里じゃなくて「水原里絵」という芸名でした。あれから34年…そんな深津絵里がまだ18才の少女を演じてるってすごい(笑)。るいのモノローグは、すずさんの呟きにも似てるし、テレ東の深夜ドラマのようでもある。◇オダギリジョーは、彼自身が岡山出身だし、あの大月錠一郎が10年前の少年なのは間違いない。世良公則が「On the Sunny Side of the Street」を歌ったとき、るいはあの場にいなかったけれど、少年は、安子が聴いていたように、あれを舞台袖で聴いていた。ちなみに、世間で「ジョー」という名前が注目されるようになったのは、宍戸錠が60年代はじめに「エースのジョー」と呼ばれてからだそうです。そのあと、世間にいろんな「ジョー」が登場して、68年には「あしたのジョー」が世に出ることになります。そして、エースのジョーにしろ、島村ジョーにしろ、矢吹丈にしろ、そこにはつねに孤児みなしごのイメージがつきまとう。おそらく「岡山のジョー」も戦争孤児なのでしょうね。…それにしても橋の上のシーンは美しかったです!ガス灯の並んでる綺麗な橋。東京でいえば「君の名は」の数寄屋橋みたいな感じ? 60年代の大阪にあんなお洒落な橋があったんでしょうか?
2022.01.08
カムカム第7~8週は、つぎつぎに予想を裏切る展開。そして怒涛の第38話。予想だけでなく、理解の範ちゅうも超えてきた…◇いわゆる「戦後の混乱期」とはよく言ったもので、人心も乱れるし、風紀も乱れるし、世の中の動きも、人間の行動原理も狂ってくる。病気でもないのに、心労やら環境変化やらで人が死んだりして、おかしな人間だけがゴキブリみたいに生き残る。…姑の死!独り身の若い男女4人が同じ屋敷に暮らすカオス!米兵と未亡人との恋!開業資金をもって行方をくらます兄!女中を妊娠させる義弟!ひたいの傷を見せて「I hate you」と母に言い放つ娘!昼ドラか!日活映画か!実存主義文学か!◇算太と美都里の感動のハグの翌日に、あっさり美都里が死んじゃったのも驚いたけど、それよりもっと驚かされたのは、娘を捨てて雉真家を出ようとする安子の乱心。以前、勇にそそのかされて、娘と一緒に大阪へ行ったのも無謀だったけど、今回は、もっと無謀です。…というか、意味が分からない。雉真家では、かなり恵まれた生活が出来ていたのだし、とくに大きな不満もなかったのだし、何故わざわざそれを捨てなければならないの??しかも、最愛の娘を犠牲にして。理由があるとすれば、ただひとつ。欲情しはじめた勇を避けるため。いや、勇だって、安子だって、当初はまったく結婚など意識してなかったっぽいし、雉真父が余計な話など持ちださなければ、ずっと穏やかな生活が続いたのかもしれません。あくまでも安子は、稔への思いを捨てられなかっただけで、なにも米兵に心移りしたわけじゃないように思える。なのに、雉真父のたった一言によって、にわかに4人の男女の若いエネルギーがざわつきはじめ…安子に対する勇の恋心が再燃し、雪衣の2人への嫉妬心が燃え上がり、フラれた算太は妹の貯金を持ち逃げし、勇を拒んだ安子は幼い娘をなげうって米兵にすがりつく。もうメチャクチャ…。◇たしかに、るいが母にむかって投げつけた、「I・hate・you!」の台詞は、さながら安達祐実の「同情するなら金をくれ!」にも匹敵するような、あるいは千代の「うちがあんたらを捨てたんや!」に匹敵するような、ドラマ史上に残る驚愕の一撃だったけれど、だからといって、ちゃんと落ち着いて話もせずに、いきなり米兵にすがりついて「私をアメリカに連れてって!」とか、あんた、もうちょっと冷静になったほうがいいんじゃないの??7才の娘の反抗期だと思えば済む話でしょ。原田知世がスキー場に行くのとはわけが違うんだよ!…それとも、本気で娘よりロバートを選ぼうとしてるわけ?つーか、ロバートはなんでそこにいるの?いつのまに大阪から岡山に来てるの?そんなに米兵のことが好きなら、せめて娘も一緒にアメリカに連れて行けばいいじゃん!るいだってロバートに懐いてたんだし。アメリカの軍医のほうが、日本の医者より高度な整形治療をしてくれるでしょ?治療費だってロバートが出してくれるでしょ?◇◇◇いや、実際、戦後の日本には、前夫の子供を捨てて米兵と渡米するような女性が、少なからずいたのかもしれない。このドラマを見るかぎり、安子はそんなに乱れた女性には見えないけれど、それは、朝ドラとしての都合上、そんなに乱れた人物像には出来ないからであって、実際の戦後の日本人がどうだったかについては、それぞれの視聴者が、それぞれの解釈で推測するしかないのだろうと思う。わたしは、やはり、安子が雉真家を出ようとするのは、「義弟との関係を避けるため」なのだと思うし、安子が娘を捨てるのは、「米兵との結婚を選ぶため」なのだと思う。…朝ドラ的にいうと、安子が雉真家を出ようとするのは、「義父に結婚を勧められたから」なのだけど、あれって、本来なら、好きでもない義弟が夜な夜な迫ってきたから…と解釈すべきなのだろうし、るいが目撃してしまった母と米兵のシーンは、あくまで「看病のシーン」として描かれたけれど、あれって、本来なら、生々しい情事の場面と解釈すべきなのだと思う。それをオブラートにくるんで、あくまで朝ドラ的な描写に仕立てていますけれど、そうでも解釈しなければ、母が娘を捨てる理由など分からないし、娘が母を捨てる理由など分からないのです。これって、じつはかなりの胸糞であって、ほとんどイヤミスの手法なのですね…。で、ここで萌音のパートが終了wwwやってくれたね、藤本有紀。わたしはあんたを許さないよ…(←ウソ)
2021.12.22
算太が生きていました。そして、なぜか初対面で、いきなり美都里との抱擁ww想像の斜め上をいくような謎の感動でした。戦場から帰ってきたクリスマスメリークリスマス、Mr.ローズウッド。少しズレている厄介者の算太と、少しズレている厄介者の美都里。ジャングルを生き延びて、ちょっと頭が狂ってしまってる算太と、愛する息子を失って、ちょっと頭が狂ってしまってる美都里。おかしな二人が、いきなり初対面で抱き合った途端、それまで心の奥に押しとどめていた寂しさが、おたがいにあふれ出てくるのでした。よくこんな脚本が書けたなー。演出しだいでは、ただのギャグになりかねない謎の展開だし、ほとんど賭けに近いシナリオだったかもしれない。◇父の金太は、算太と再会することで死んだのだから、てっきり、「きっと算太も天国にいるんだね…」と思っていたのだけれど、ちゃっかり生きていた。しかし、生き残った兄と妹との奇跡の再会は、さほどの感動もなく、わりとあっさりしたもので、ここでまず、軽い肩透かしwそれどころか、算太は帰ってくるなり、女中の雪衣のことを口説いてみたり、雉真家の厄介になる気満々の態度を見せたり、ずいぶんと無礼で、これから先々が心配になってきたところでした…それが、美都里とはじめて対面するや、いきなりの抱擁!「なにこれ???」「笑うとこ???」と視聴者的に思うのだけれど、そこに最大の感動があったのでした…。母を亡くした息子と、息子を亡くした母との、妙ちくりんな初対面の場面にこそ、兄と妹の再会より以上に、想像の斜め上をいく謎の感動が…。見方によっては、小ネタとも受け取られかねない変な場面なのに、なぜか、じんわりと胸を打ちました。◇きっと、算太は美都里に救われ、美都里は算太に心を救われるのでしょう。そして、おかしな厄介者どうし、絶妙なコンビになっていくのでしょう。人間、何が救いになるか分かりませんね。いちばん厄介で不要だと思っていたものが、ほんとうは、いちばん大切だったりする。まさに算太は サンタ なのでした。将来、こんなエンターテイナーになるのでしょうか?美都里は、今まで誰にもあんな気持ちを見せなかったのに、なぜか初対面の算太には、あんなに素直な心を見せてしまう。このドラマのなかで、算太というのは、とても不思議なキャラです。まるで妖精みたいに。これから雉真家でも愛されキャラになるのかな。もしかしたら、雪衣の閉ざされた心を解きほぐすのも、算太=サンタの役割なのかもしれません。
2021.12.13
朝ドラ、月曜日。さくっと勇と再婚して、雉真家で戦後を乗り切るのかと思いきや、まさか母娘で家を出るという無謀な選択!それを勧める勇も勇だけど、それに従った安子も安子でしょ…。身寄りがあるだけマシだと思ってたのに、自分から唯一の身寄りを捨ててしまった。まあ、空襲以来、ドラマの予定調和は完全に崩れ去ったので、何が起きても不思議ではないのだけれど、そうはいっても、無謀すぎる!るいはまだ2才。安子だって、まだ21才。雉真の父は、「るいは雉真家で育てるから安子は別の家へ嫁げ」と提案したけど、それも当時なら真っ当な選択肢だったのだろうし、実際、そういう選択をさせられた女性も、きっとたくさんいたのだろうなあ…と思う。雉真家を出たところで、母娘とも野垂れ死にするかもしれないのだから、鬼姑が「警察に捜索させる!」と言い張るのも、あながち誤った考えとは言いきれない。そして安子は、豆腐屋のきぬちゃんを頼るでもなく(まだ疎開してんの?)、母の生家を頼るでもなく、誰も知り合いのいない大阪へ…。え?!大阪に行ったって稔はいないのよ?!よりによって大阪…こりゃ、アカン。…と思ったら、稔の下宿のおばちゃんに首尾よく拾ってもらった!岡山の神社は役に立たなかったけど、(もしや吉備津神社か?)きっと大阪じゃあ、天国の稔の祈りが効いてるのね!そのうえ、宝塚の先輩女優が、東宝の後輩女優を救ってくれたよっ!よかったー。命拾いだわー。やっぱりもつべきものはヅカジェンヌ!お菓子作りとお裁縫とラジオ英語もやっててよかったわー。手に職がなければ、今頃どうなっていたことか。それにしても、朝ドラ史上、おんぶされてあそこまで爆睡してる子供もいなかったよね。◇そして、水曜日には、天国でFNS歌謡祭の第1夜が開催されたけれど、NHK側から「萌音とSixTONESを共演させてはならぬ」とのお達しがっ!!!…あったかどうかは神のみぞ知る。来週は共演あるかも。まあ、SixTONESとの共演がなくても、玉森も堂本も風間も萌音人脈だし、井上芳雄もリトグリも森山も AI も萌音人脈だし、武部聡志も鳥山雄司も由貴ちゃんも萌音人脈だし、そのうえ、aikoやYOASOBIや大塚愛は萌歌人脈だし、DISH//は美波人脈だし、なにわは莉子人脈だし、宝塚は同系列だし、共演の選択肢はほぼ無限。◇そして朝ドラの木曜日。おはぎと芋飴だけで、るいを4才まで育てあげた安子!えっ?もう萬平さんより成功してるのでは?◇金曜日。雉真父あらわる。そして、このタイミングでの交通事故…。自転車を教えてくれたのは稔だったのに…。天国の稔の神通力もここまでか…。ついには勇までが登場。いまさら戻って来いってか?!そもそも「家を出ろ」って勧めたの勇ちゃんじゃろ?!(岡山弁)何いうてんねん?!(大阪弁)せっかく萬平さんより成功したのに?!しかし、倒れてる安子を発見したのは、偶然にも出張中の雉真父だったという運命的な奇跡。しかも、たまたま勇も同行していたという二重三重の奇跡。そのうえ、大事な商用をほっぽらかして、安子とるいを医者に診療させるという完璧すぎるサポート。つまり、あれですか?天国の稔ちゃん(ちゃんづけ?)も、「そろそろ勇と再婚せえ」と言うとるってこと?その真意は、次週のFNS歌謡祭 SixTONES の楽屋にて。
2021.12.04
NHK「カムカムエヴリバディ」の第4週。火曜日に、母と祖母がいきなり死んでしまいました。木曜日には、父も死んでしまって、金曜日には、ついに稔も死んでしまいました。結果的に、ほとんど誰もいなくなった。朝ドラがこれほどの喪失を描いたことはなかったと思う。◇NHKの朝ドラは、事前にあらすじが雑誌に掲載されたりするので、もしかしたら内容を知っていた人もいたかもしれないけど、わたしは、そういうものを見ないし、実際にドラマを見ていても、いわゆる「死亡フラグ」らしきものを察知できなかったので、あまりの容赦ない展開に茫然としています。ただでさえ、16話までは、これといって予想外の出来事が起こることもなく、まるで戦前・戦中のダイジェストストーリーみたいに、とんとんと話が進んでいただけに、とつぜん予期しない喪失へと落とされたショックは大きい。◇いわゆる「死亡フラグ」らしきものがありませんでした。火曜日は、空襲の直前に、体の弱ってきた祖母が、「ひ孫の顔を見て、いっとき元気になった」という話があったので、これはきっと彼女の老死が近いんだな~と思って、すっかり油断していたのもある。従来の朝ドラのパターンから考えて、防空壕で死ぬなんて展開はちょっと予想できなかったし。わりと気楽に見ていたドラマが、そこから怒涛のリアルへ突き落とされました。従来のドラマなら、物語の感情を盛り立てていくために、なんらかの「フラグ」を立てるのが常套手段だと思うけど、今回の朝ドラのように、いっさいの「フラグ」を立てず、悲劇のリアリズムを徹底的に再現するやりかたが、今後は主流になっていくのかもしれません…。東北の津波もそうだったろうけど、それまでの風景が、なんの予告もなく、たった一日で一変してしまうのですよね。昨日まであったはずのものが、翌日にはすべて失くなってしまう。そして、残された者は、ほとんど鬱状態に陥ってしまう。そういうリアルを見せられた。戦前・戦中のダイジェストストーリーみたいな内容も、じつは死亡フラグを立てないための前フリだったのかもしれません。◇木曜日は、雉真の父が「算太の無事」を祈ったので、これはきっと兄の死亡フラグだな~と思ったし、実際、そのあと幻覚らしき兄が姿を現したので、最後のナレーションを聞いてもまだ、算太と金太を混同したまま、てっきり死んだのは兄だとばかり思っていた。そもそも父が死ぬ理由は想定できなかったし、役名を覚えてない視聴者は、そのように誤解したと思う。だいぶ時間が経ってから、あのナレーションは父の死を告げていたと気づいて絶望的な気持ちに…。あえて父と兄を混同させたことは、翌日の確認視聴にも繋がったと思う。◇もともと橘家には、住み込みの職人さんをふくめて9人の団らんがあったわけですが、あっというまに2人しかいなくなる。兄さえ生きているのかどうか分からない。そうやって、訳の分からない混乱のなかで次々に人が亡くなると、もはや最後の稔の死も、やむをえない必然のように思えました。神頼みは役に立たない。…今回の朝ドラを、当初は「純情きらり」や「エール」との比較で見ていましたが、どちらかというと、名作アニメ「この世界の片隅に」に近いような気がしてきます。「この世界の片隅に」は広島の物語。「カムカムエヴリバディ」は岡山の物語。どちらも、原爆被害はまぬかれたけれど、空襲で多くを失った人の話です。黒い雨が降ったり、台風16号(枕崎台風)が来るところも似ている。つまり、これは、すずさんと、すずさんの娘と、すずさんの孫の物語になるのかもしれない。◇ちなみに「純情きらり」の達彦は、桜子を未亡人にしてしまうのを怖れて、はじめは結婚することをためらっていました。しかし、稔と安子のあいだには、そのような躊躇がありませんでした。その結果、安子はあっけなく未亡人になった。とはいえ、安子が戦前に雉真家に嫁いですぐに出産したことは、むしろ救いだったのかもしれません。そうでなければ、ほとんど身寄りがなくなっていたのだし、幼い娘がいなければ、生きる気力さえ失っていたかもしれない。…ところで、「この世界の片隅に」の最後のほうでは、すずさんが、戦争孤児の小さな養女を迎えることになります。「エール」でも、闇市のラーメン屋をしていた姉の夫が、戦争孤児の養子を迎えています。今回のおはぎ泥棒の少年には身寄りがあるでしょうか?でも、さすがに素性の知れない子供を、勝手に雉真の家へ連れ帰るわけにはいきませんよね…。
2021.11.27
カムカムエヴリバディ。安子と稔の複雑な恋物語。戦争と、勇との三角関係と、家の跡継ぎ問題と、岡山~大阪の遠距離問題などが絡んでいます。月曜日は、恋の往復書簡。水曜日は、恋の往復鉄道。…って、ほぼ太田裕美なのでは?「文通」 & 「鉄道」ちなみに萌音の歌う「木綿のハンカチーフ」はこちらの5曲目。さて、萌音の14才設定は、さすがに無理があったけど(笑)、16才なら、だいぶしっくり来ます。しかし、戦前に、16才の少女が、岡山からひとりで大阪へ行くって、けっこうな冒険でしたね。わたしは、鉄道のことも、関西の地理のことも、よく分からないのですが、岡山から、稔の通う大阪商科大学までは、(もとは五代友厚が設立した学校が前身だそうです)大阪市内で2回ほど乗り換えも必要らしいし。◇当時、山陽本線の岡山~大阪間は、「富士」「櫻」などの特急を使って、およそ3時間。普通列車なら4~5時間はかかったようです。そして往復の運賃は、現在の価値にすると1万円以上はしたはず。かなりの大金でしょっ!火曜日に、すでに実家の菓子屋は、ダメ兄の借金の肩代わりもしていたのですが…ダメな兄の系譜おそらく安子も、おはぎ50個分くらいの売り上げを店からもち出さないと、高額な往復運賃を確保できなかったと思います。意外に、似たもの兄妹?!戦時中なのに、出費がかさむ菓子屋!…まあ、お正月に豆腐屋のきぬちゃんと初詣をしたときの、あのきれいな着物姿などを見ると、(雉真家ほどではないにしろ)橘家も、けっこう裕福な家庭なのだとは思う。◇ところで、大阪では、日中戦争のさなかだというのに、二人は 恋の支那そば を食べていましたね。3年前の「まんぷく」のとき、台湾出身の萬平さんは、「ラーメン」と言って「支那そば」とは言いませんでしたが、今回も、セリフでは言わなかったものの、(↑コンプライアンス的に)壁のメニューには、わりとはっきり「支那そば」と書いてありました。◇そんなふうにして、たがいの恋心をはぐくんだ安子と稔。もしも、このまま二人が結婚したら、弟・勇くんの兄嫁LOVEは…⇒TBSの「ハンオシ」みたいな状況を生むわけですね!ただでさえ甲子園にも行けなかったのに!(T_T)…それとも、勇くんは豆腐屋のきぬちゃんと結婚するとか?そして、息子がプロ野球選手になるとか?◇それはそうとはやくも「yattokosa」ツアーが映像化。さらに、渋沢栄一が日比谷につくった帝国劇場では、いよいよ「千と千尋の神隠し」の舞台が始まるとのこと!>>なぜ渋沢栄一は日比谷に「帝国劇場」を作ったのかもうスケジュール的には来年なのですね。
2021.11.12
放送前に、いろいろ細かいところまで予想してたのに…わりとザックリした最終回w宝来製紙の後継問題はウヤムヤだし、麗子が備品管理してた意味もいまいち謎だし、TBSの宇賀神メグはまったく出てこないし(笑)。◇かろうじて良かった点はといえば、ノーマークだった亜生のナイスアシストと、 秋山ゆずきの編集長就任ですかね。プラダの悪魔みたいに振り落とされる人が誰もいなくてよかったです(笑)。一方、すごく残念だったのは、麗子たちの創刊した雑誌が見れなかったこと!せっかくなら、熊本の本屋さんに並ぶところまで見たかった!出来上がった新しい雑誌を囲んで、MIYAVIのメンバーと再会するところも見たかった!麗子のスーパーミラクルは、さほど発動もされないままに終わった感じです。タイトルに「オーマイボス!」とあるからには、麗子も大事な主人公だったはずなのに、最後はちょっと脇役みたいな扱いなのが残念でした。◇さて、懸案の後継ぎ問題ですが、一般的に考えて、紙産業の将来は厳しい。とりわけ印刷分野で成長するのは困難です。事実上、麗子と潤之介は稼業を見捨てたわけですが、それって案外、賢明な判断だったかもしれませんwなぜなら、いくら親の稼業だとはいえ、将来性のない事業には早く見切りをつけたほうがいいからwただし、よくよく考えれば、麗子の雑誌だって印刷分野の仕事だし、潤之介の写真だって印刷分野の仕事ですから、彼らの将来も総じて厳しいのだけどwww実際問題、新生MIYAVIもいずれは廃刊になるだろうしw麗子と奈未の新雑誌も長くは続かないだろうしw実家の本屋だって潰れるかもwつまり、このドラマの登場人物たちの将来は総じて厳しいwwwそれをドラマのなかで解決するのは無理があったのです。◇いちおう、潤之介は日本に帰ってきたので、その気になれば、宝来製紙を継ぐことも出来るけど、そもそも製紙会社が生き延びるためには、医療とか、食器とか、雑貨とか、建材とか、印刷以外の分野に可能性を見出すしかないし、正直、その舵取りは、潤之介の手に負えるような仕事じゃないし、ここはやっぱり家族経営を脱却して、だれか優秀な人にリーダーシップを取ってもらいましょうね!てなわけで、もし「ボス恋」に続編があるとすれば、新しい紙産業と、新しい情報メディア産業に舞台を移して、まったくちがうドラマに仕立てなきゃならないし、そこで新しい時代のファッションの形態を模索しなきゃならないのです。大変です。◇◇しかーし!そんなことよりも、わたしにとって、もっとずっと大事なのは、間宮祥太朗の「萌音」呼びを発端にした、いわゆる「まみもね」問題です!!なにやらグーグルの検索候補には、「間宮祥太朗×上白石萌音×熱愛」とか出てくるよ?!こりゃあ、穏やかじゃない。正直、ドラマどころじゃないし、黙っちゃいられないし、どーゆーこと?!まあ、萌音の人当たりがいいのは分かるけど!とくに間宮祥太朗の場合は、萌歌ともガッチリ共演してたのがあって、なおさらすんなり仲良くなったのかも。ちなみに、間宮が萌音にプレゼントした、スワロフスキーの干支の置物ってこれ?今年は丑年だけど、萌音は寅年。どっち?つーか、スワロフスキーって、干支の商品まで作ってるんですねwつーか、萌音って来年が年女なのね…来年は、朝ドラもあって、帝劇主演もあって、もしかしたら、由貴ちゃんみたいに紅白もあるかも。ちなみに由貴ちゃんは、86年に「はね駒」に出て、その年に紅白でキャプテンやって、その翌年に「レミゼ」の帝劇初演に出たのです。由貴ちゃんも、昔から、スワロフスキーみたいなガラスが好きでしたよ。帝劇がんばってね!
2021.03.17
ただのラブコメのジャニドラでしょ!…という大方の予想に反して、意外なくらいに渋い展開を見せている「ボス恋」。最終盤に来て、奈未と潤之介が結ばれない可能性も出てきた。意外なほど硬派なドラマに思えてきました。◇奈未は、期せずして自分の夢を見つけたけれど、じつは潤之介のほうが、自分の夢を押し殺してきたのではないか?そんなことが、理緒の口から示唆されました。この問題を解決するために、ドS先輩は何か素敵なアシストをしてくれるでしょうか?そして、最終的には、やはりスーパーウーマンの麗子が、副社長ですらも思いつかないような、スーパーミラクルな結末を運んできてくれるのでしょうか?細田善彦に水をぶっかけたメアリージュンが、最後にどんな動きをしてくれるかにも期待が高まります。そして、夢といえば、もし理緒がバイオリンを弾けなくなったら、彼女の夢はどうなってしまうのか。彼女の人生を放置したままでは、物語は終われないはずです。◇雑誌「MIYAVI」は紙媒体なのですが、考えてみれば、金沢の宝来製紙も紙屋さんなのです。デジタル化の時代のなかで、縮小していく斜陽産業であるという点において、じつは両者は同じなのです。さらにいえば、奈未の実家は本屋さん。お父さんは売れない小説家。早い話、この物語の登場人物の全員が、紙屋さんなのです。◇このドラマは、一見するとたんなるラブコメのようですが、じつは社会経済的な背景を意識して作られている。そう思えてなりません。すべてのピースが噛み合ったときに、なんらかの着地点が見つかるはずなのですけれど、まだまだそれは予測できません。デジタル時代に、紙産業を舞台に物語を描く意味とは何なのか?そして、奈未と潤之介が結ばれずに終わるという悲しい結末も、まだまだ可能性としては捨てきれないと思っています。それはそうと、↓ノベライズの予約販売はじまりました!
2021.03.10
オー!マイ・ボス!恋は別冊で。第8話。いや~。なにげに神回なのでは?しかも、かなり感動的でした。こんなことなら、6話と7話も作り直してほしい!ついつい胸キュンな展開にばかり期待してたけど、今回は、思いのほか硬派な内容でびっくりです。ある意味では、社会派ドラマだったと言ってもいい。◇奈未は、麗子にはっきりと物申します。ほんとうに大事なことは、部下が上司に自由にものが言えるということ。それができなければ、見かけだけパワハラを防いだとしても意味がない。いくら見かけのパワハラを無くしても、部下が思ったことを上司に言えないのならば、そこには抑圧的な構造があるのと同じです。編集長vs雑用という立場の違いを超え、麗子にはっきりと意見をいう奈未の姿は、日本のドラマとしては、かなり画期的なものでした。◇従来の日本のドラマだったら、部下が上司に楯突くのは、せいぜい「捨て身で上司の不正を暴く」とき、さもなくば半沢直樹のように「下剋上を目指す」ときです。しかし、奈未の場合はそうじゃない。上司の不正を暴くのでもないし、下剋上を目指すのでもありません。むしろ、彼女は、麗子との関係を信じているからこそ、一緒に仕事を続けていく意志があるからこそ、上下関係を超えて、はっきりと物を言うのです。むしろパワハラを感じていたのは、意見をいう奈未ではなく、意見をいわない副編集長のほうでした。(笑)彼は、そうやって自分自身を抑圧していたのです。奈未と麗子のたしかな信頼関係を目にして、ISOBEの社長も、無用なパワハラの疑いを解いたのでした。これは、今までの日本のドラマにはなかった表現だったし、とても感動的なシーンだったと思います。欲をいえば、6話と7話をもういちど作り直して、この部分をもっともっと時間をかけて、じっくり描いてほしかったです。◇麗子は「MIYAVI」を去ることになったけれど、部下を育て、道を開くことが当初の目的だったのなら、もう十分に役割を果たしたのだろうし、もしかすると、彼女は最初から辞めるつもりだったのかもしれません。奈未も、潤之介も、いままでのポンコツっぷりが嘘のように、急にデキる仕事人になってるし!!ほんとに6話と7話は無かったことにしてほしい!はたして宝来家を継ぐのは、麗子なのでしょうか? 潤之介なのでしょうか?◇今回の流れからすると、麗子が金沢に帰郷して宝来家を継ぎ、奈未と潤之介は東京に残って、一緒に雑誌の仕事を続ける流れになりそうです。実際、それがデキそうな二人になっている!中沢と遥にも恋愛フラグが立ったし、あとは理緒の病気のことだけが気がかりですね。
2021.03.03
今週も、だいぶポンコツっ!(笑)第7話がピークかと思ったら、演出家はスピンオフからの昇格!手抜きかっ!◇河原でブレスレットなくす奈未は、あいかわらずのポンコツっ!でも、朝まで探してるドS先輩はもっとポンコツっ!100円拾うのに定規買いにいく潤之介は、その上をいくポンコツっ!もうポンコツだらけ!(笑)部屋にパンツ忘れていくポンコツと、部屋にパンツ落ちてても気づかないバカップルっ!哀しいくらいにお幸せっ!田舎の社長と待ち合わせしてるのに連絡もしないで、田舎道をハイヒールで歩いてくる麗子もポンコツっ!雑誌の廃刊はもう不可避っ!バイオリニストの理緒も、先日のことを謝りたいと言いながら、でも、検査結果にはつきあってほしいとか、でも、みんなに優しいのは優しくないとか、いったい何しに来たのっ!(笑)もう、まともなのは遥だけ!◇でも、なんとなく最後の3分でもってかれたので、来週も見る気満々です。↓「ラブバイ」で検索できないAmazonもポンコツっ!
2021.02.24
「ボス恋」第6話。だいぶくだらなかった(笑)。演出家が交代制だから仕方ないけど!奈未と潤之介もかなりのポンコツカップルだけど、そんなポンコツカップルに嫉妬してるドS先輩も、これまたポンコツに見えてくるっ!「MIYAVI」もこれまた「MIYAVI」で、はやくも2号目にして廃刊の危機とか、いくらなんでもポンコツ雑誌すぎ!そういう意味では、脚本も脚本なりにくだらない(笑)。第6話は、もしかしたら捨て回だったのかもだけど、このままポンコツドラマにならないで下さい!次回に期待します。
2021.02.17
オー!マイ・ボス!牡蠣は別腹で。お好み焼きと一緒に、鉄板焼きの牡蠣が食べられるお店って、どこにあるのかしらと思ったら、牡蠣入りお好み焼き=カキオコなるものがあるそうです…。◇出てくる食べ物は美味しそうだったし、萌音のファッションも可愛かったし、演出のテンポ感もすばらしく良かったし、たしかに、第4話ラストのキスシーンの威力は絶大だったけれど、全体的に見るならば、第5話こそが神回だったと思います。ある意味では、近年のTBSドラマのなかでも特筆すべき回でした。anan脱ぎからの半裸ハグ!そして曜日関係なしの充電ハグ!胸キュンシーンにもかなり満足できた。まあ、細かいことをいえば、いつのまにか山村紅葉のドレスをちゃんと準備してるエスパー麗子みたいな有り得ないシーンも見受けられたけど、全体のテンポ感と多幸感が、そうした欠点もかき消してました。…なかでも、わたしがとくに注目したのは、ドラマの冒頭、カメラのこちら側にむかって、萌音が《現在までの状況》を語りかけたシーンです。◇じつは、日テレの「リモラブ」でも、髙橋優斗がたびたびカメラに向かって語りかけていたし、現在の「ウチカレ」でも、同じような演出がありました。そのような登場人物のメタレベルな動きは、ややもすると、物語世界の秩序を壊してしまうし、観ている側にも違和感を抱かせかねません。だから、かならずしも安易に勧められる演出手法とはいえないし、わたし自身、あまり好きではない。でも、「ボス恋」第5話の萌音の語りには、まったく違和感をおぼえなかったのです。それは、まだ物語がはじまる前の冒頭シーンだった、というのもあるけれど、それ以上に、これはやはり萌音の役どころによる部分が大きい。◇もともと、「恋つづ」や「ボス恋」というのは、きわめて《体験参加型》のドラマであり、視聴者の《共有型》のドラマでもあるのですね。多くの視聴者は、萌音の姿をとおして疑似恋愛を楽しんでるし、いわば、親しい友だちの恋愛を、みんなで覗き見してるような感覚があります。だから、萌音自身がわたしたちに話しかけてきても、まったく違和感をおぼえないし、むしろ「へぇ~そうなんだぁ」と、萌音にむかってこちらから返事したくなる感じ。萌音から直接恋バナを聞いてる感じなのです。◇これは、テレビドラマの王道のセオリーからすると、ある種の《禁じ手》なのかもしれないけど、見方を変えれば、ひとつの可能性でもある。このドラマは、さまざまなメディアミックスをふくめて、作品の外側にまで開かれた構造をしています。物語の世界に閉じていないのです。「ボス恋」第5話の萌音の語りには、思わぬ可能性が秘められているように思われます。
2021.02.14
ボス恋。白熱の「玉森担or間宮担」問題。たしかに間宮=ドS先輩は魅力的ですけど、あんなに仕事のできるイケメンが、奈未のようなポンコツ娘と釣り合うはずがない!その点、玉森=潤之介は、土砂降りの大雨なのに(携帯はともかく)傘まで忘れて、道端に2時間もしゃがんでるような超ポンコツですから、やっぱりポンコツはポンコツ同士のほうがお似合いっ!◇そもそも、この物語は、「ポンコツでもカリスマになれる!」みたいな奇跡の成功譚じゃなく、「ポンコツはポンコツなりに幸せになれます」というお話です。やっぱり、ハイスペックイケメンのドS先輩は、仕事のデキる遥とくっつくほうが妥当だし、なんなら、国際的なバイオリニストの理緒とくっついて、ハイスペック同士で華麗にヨーロッパへ飛ぶ…ってのも、ありえるかもしれません。どうせ「MIYAVI」は廃刊になるんだし。いや、でも、案外、ポンコツのほうがハイスペックと上手くいくもんだよ!みたいな「相互補完説」もないではない。だとしたら、ハイスペックとポンコツのたすき掛け的なカップル成立、というパターンも、まだ可能性としては残ってます。◇◇しかし、いちばんの問題は、じつは麗子の進路なのですよねぇ。このまま「MIYAVI」が廃刊になったら、はたして副社長と結婚する?それとも、実家に戻って宝来家を継ぐ?もしかしたら、超ウルトラCで、副社長が宝来家の婿養子に?!ついでに新郎側の親族で宇賀神メグも登場とか。…その場合、副社長が宝来家の事実上の後継者になり、奈未の「義兄」ってことにもなるのですが、それで宝来家の未来は超絶的に安泰!さらなる繁栄はまちがいありません。きっと熊本のお父さんも、ポンコツ小説を自費出版できるようになるでしょう!!
2021.02.11
やっぱりバレンタインは蟹ですよね!わたしもチョコの時代は終わったと思ってました。そしてお好み焼き!今週は、ものすごくお洒落になってきたのもあって、萌音ファッション。萌音アクセサリー。萌音インテリア。そっち方面に波及効果出てきそうです。そしてテンポ感がすごい。
2021.02.10
前作の「恋つづ」で特筆すべきだったのは、佐藤健がSNSを最大限に活用して、いわゆるメディアミックスが功を奏したことです。この点で「恋つづ」は、ただのドラマ論としてではなく、ひろくメディア論として考えるべき側面をもっていました。おそらくTBSのスタッフは、この経験から大いに学んだと思う。◇2/1 キスマイ「Luv Bias」のテレビ初披露。2/2 第4話ラストのキスシーン。2/3 玉森裕太が表紙の「anan」発売。これらは、たぶん、あらかじめセットになっていたと思われます。事実、目論見どおりに成功しています。そして、次回の第5話は、バレンタインに関連づけられることが予想されますし、さらに、第6話が2/16に放送されると、その2日後には品切れ状態の「玉森anan」が、ふたたび重版されて、大量に書店へ出回ります。その後、2/22になると、ついにキスマイの「Luv Bias」が発売されて、ショップやラジオでこの曲がパワープレイされるなか、翌23日に放送される第7話で、このドラマは、おそらく最大のピークを迎えるはずです。ここまでメディア戦略が周到だと、逆に恐ろしい…。◇「恋つづ」のスタッフは、プロデューサーもふくめて女性が多いといわれたけど、今回のメディア戦略においても、やはり女性のネットワークがかなり効いてるのを感じる。ドラマの公式グッズも、さすがファッション誌が舞台になってるだけあって、デザインがかなり可愛いし、けっして値段は安くないけど、トートバッグや、ペアのマスクなんかは、思わず欲しくなるようなラインナップになってます。◇まあ、メディア戦略にばかり傾注して、ドラマの内容が疎かになったら本末転倒ではあるのですが、ディズニー映画や鬼滅の刃のように、メディアミックスとの相乗効果によって、かえって作品の質が向上していく場合もあるし、波及的な経済効果にまで繋がる場合もあります。実際のところ、「鬼滅の刃」においても、「恋つづ」や「ボス恋」においても、東宝のメディア手法が絡んでるのかもしれません。いずれにせよ、このようなTBSの試み自体は価値のあるものだし、うまくいけば、今後のテレビドラマの可能性を広げるものにもなりえる。その意味で、「ボス恋」は、もちろんドラマの内容もさることながら、今後のメディア展開のほうに、いっそう注目すべきだと思います。
2021.02.07
「恋つづ」がブレイクしたとき、多くの人は、その要因を《佐藤健の人気》に求めました。でも、今回の「ボス恋」は、そのときとは状況が違う。まずは萌音の主演作ということが第一前提であって、彼女がすでに一定の数字をもっている事実は疑いようがない。とはいえ、萌音は、この間に他のドラマにも出ていますし、今回の「ボス恋」の成功というのは、かならずしも彼女の人気だけで説明できるわけではありません。◇おそらく、もっとも重要な勝因は《既視感》なのだろうと思います。多くの視聴者は、TBSに「恋つづ」の続編的なものを求めていました。何よりも「ボス恋」は、その期待にしっかり応えています。それに加えて、このドラマは、映画「プラダを着た悪魔」を連想させました。これもまた、ある種の《既視感》として作用しています。このような《既視感》は、視聴者に分かりやすい「入り口」を提示するだけでなく、視聴者どうしの「期待の共有」をも可能にしています。一部のネット民は、これを「パクリだ!」と騒ぎ立てましたが、(制作者側の目論見だったかどうかはともかく)結果的に見れば、それすらも炎上商法的に機能して、すべてプラスに作用してしまった感がある。このあたりの流れを見抜けずに、「パクリ疑惑で暗雲」(サイゾーウーマン)だの、「モヤモヤが止まらない」(FLASH)だの、「視聴者離れが懸念されている」(ポストセブン)だの、まったく状況を見誤った記事も見受けられました。そのハズレっぷりは、恥ずかしいというより哀れです。おそらく価値観がバブル期のままなのでしょうね。もっといえば「バブル期の価値観」が何たるかをまだ自覚できていない。◇いまのところ「ボス恋」の成功は、こうした視聴者の《既視感》を満足させつつも、それをいい意味で裏切るところから生まれています。わたしが、今後、このドラマに期待するのは、映画「プラダを着た悪魔」についての誤解されたイメージを、いかにして正しく裏切っていくか、ということです。あの映画のほんとうのメッセージを掘り起こし、バブル的な「ファッション至上主義」に対する批判的な視点を、いまの若い世代に提示できるかどうか。その点にこそかかっていると思います。そうでなければ、今回もまた、ただ虚飾にまみれるだけのバブリーな話、オシャレな女性を崇拝するだけの業界寄りの話、それに乗じて従業員を虐げるパワハラ話になってしまいます。◇あらためて繰り返しますが、20年前の「プラダを着た悪魔」という映画は、田舎娘がファッション業界で成功するだけの、くだらないシンデレラストーリーなどではありません。そこには、虚飾の世界で生きることへの痛烈な批判がありました。今回のドラマが、あの映画のほんとうの意義に気づくきっかけになれば、それがほんとうの意味での成功じゃないかと思います。TBS『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』上白石萌音
2021.02.05
今回の「ボス恋」の脚本には、やはり、けっこう見どころがあって、とくに第4話のラストで、捨てられた子犬に自分からキスしにいくシーンには、この作品のコンセプトも現れてた気がする。◇今回の主人公は、とくに可愛いのでもないし、オシャレなわけでもないし、どちらかといえば地味で鈍くさいのだけど、そのわりに、何事に対しても物怖じしないし、かなりの積極性を感じさせるキャラです。それを象徴するのが、第4話のラストの「自分からのキス」だったと思う。こういう女子が世の中に増えていくと、それにつれて、巷には子犬系のキス待ち男子も増えていく。そんな時代を予告しているようです。◇実際、そういう男子は、きっと潜在的にたくさんいるんだろうし、そうであれば、彼らを「無欲な草食男子」と見るのではなく、むしろ「子犬系キス待ち男子」ととらえるのが正しい!これはひとつの発想の転換だし、新しい恋愛フェーズへの移行だともいえる。多くの視聴者は、「お返しキス」に湧いているようですが、そもそも最初のキスがなければお返しキスもないのですから、まずは自分からキスにいかなきゃダメなのです!その意味では、最初のキスのほうがはるかに重要(笑)。◇ドラマは、ここから中盤へ向かいます。前作の「恋つづ」では、蓮佛美沙子や毎熊克哉などを配しておきながら、そのあたりのエピソードをあまり深められず、二人でイチャイチャするだけの話に終始してしまいました。しかし、今回の「ボス恋」は、曲がりなりにも菜々緒が主役の一人ですから、彼女を放っぽらかしにして、二人だけでイチャイチャする話にはできないし、より重層的な内容になっていくはずです。そこにどんなコンセプトやメッセージが込められるのか。それと同時に、倉科カナや間宮祥太朗の物語をも、それなりに深めてくれることを期待します。
2021.02.04
オー!マイ・ボス!恋は別冊で。第4話を前にして、キスマイが主題歌の「Luv Bias」を初パフォーマンス。この曲の解禁とともに、これから怒涛の胸キュンシーンが、繰り広げられていくことになるわけですね。キスマイ世代の若い女子たちも、主人公を自分自身と重ねながら、この曲を繰り返し聴きこんでいくのでしょう。◇もともと、このドラマは、萌音の主演2作目ということ以上に、キスマイの「プロモーション最終段階」という意味合いが強い。すでに他のキスマイのメンバーは、バラエティ番組などでテレビに馴染んでますけど、このドラマで玉森裕太の顔がお茶の間に定着すれば、いよいよキスマイが、嵐の解散後のジャニーズのなかで中心的なグループになっていく。本作は、その最大の布石だといえます。萌音自身も承知していることですけれど、今回の彼女に課せられているのは、視聴者をキスマイの音楽に結んでいくための、ある種のメディアとしての役割。もちろんジャニーズの側でも、過去にRADWIMPSやヒゲダンの音楽が、萌音がらみの作品でブレイクしたという実績を、念頭に置いているだろうと思います。◇この「Luv Bias」という曲が、ドラマの名場面とともに記憶されて、最終的に年末の紅白で披露されることになれば、さながらスマップの「夜空ノムコウ」のように、国民に共有されるような代表曲になる。そのような展開こそが想定されている。このドラマの円満な成功が、キスマイの頂上プロモーションを完了させるために、絶対的に不可欠な条件であって、いまのところは、TBSの戦略にも、ジャニーズの戦略にも、これといって死角はないのだろうけど、わたしとしては、今回のドラマが、たんなる無内容なプロモーションで終わらないよう、なんとか田辺茂範には、脚本家としての矜持を見せてほしいと思っています。◇◇さて、第4話。正直、帯のエピソードはだいぶ安易だったかな。一方で、仕事に慣れてきた主人公が、それにつれて、かなり斬新なキャラを開示してるのが面白い。誰が相手でも、思ったことをペラペラ喋るし、目上の人間に対しても、不遜と思えるくらい物怖じしないし、まあ、萌音本人の性格とは真逆ですけど、ある意味では、ちょっとアメリカナイズされたキャラにも見えて、けっこう新しい日本人像を提示しています。一方では「新しい上司像」を描くことも必要ですけど、このような「新しい部下像」を描くことも大事ですよね。こういう人たちが増えれば、日本の職場はもっと風通しが良くなるだろうと思います。◇最後の子犬キッス。自分からいくとは予想外でした!来週は、ライバル役で倉科カナが登場します。萌音より一回りも年上ですけど、まだまだ圧倒的に可愛いし、強敵ですよね(笑)。
2021.02.02
映画「プラダを着た悪魔」のいちばんの問題は、悪魔の所業をかならずしも否定的には描いていないことです。メリル・ストリープは、女性社員へのパワハラを繰り返し、能力の無い人間を容赦なく切り捨て、最後には、業界の策謀と裏切りに見舞われて、友人や家族を失って孤独な老女になってしまいます。主人公のアン・ハサウェイは、そのような「悪魔の世界」から足を洗い、ジャーナリストへの道を歩み始めるという結末です。しかし、あの映画は、かならずしもメリル・ストリープのことを否定していないし、むしろ、ひとつの「生き方」として肯定しているように見える。そして、そのことが、あの映画に対する誤解をも生んでいます。◇あの映画の「悪魔」の描き方は、たしかに重層的な視点と深みを与えているのですが、結果的に見れば、あの映画を見て勘違いをした観客の多くが、ファッション業界でのパワハラを「当然のこと」と考え、その悪魔のような世界を是認してしまう弊害も生みました。実際、あの映画を20年前に見て勘違いしたあげく、その華やかなシンデレラ的展開に感化されて、ほんとうにファッション業界へ身を投じた人もいたはずです。そこで現実の挫折を味わい、もういちどあの映画を見直したときに、その隠れたメッセージに気づくのかもしれないけど、それじゃあ、もう遅いですよね…。そのことを考えると、あの映画の罪はけっこう重いと思う。◇今回の「ボス恋」では、そのような勘違いの余地は少ないだろうと思っています。第3話では、編集長のパワハラ的な所業に対して、社員たちが抗議する姿勢も示されたし、逆に、菜々緒が演じる悪魔の「人間的な面」も垣間見えました。映画「プラダを着た悪魔」のなかで、メリル・ストリープは最後まで「悪魔の生き方」を貫くのだけれど、今回のドラマでは、むしろ菜々緒が「人間」になっていく過程が描かれるのかもしれません。TBS『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』上白石萌音
2021.01.27
映画「プラダを着た悪魔」は、ファッション業界で成功する物語だと誤解されているけど、実際には、そうじゃありません。アン・ハサウェイの演じる主人公は、最後にはジャーナリストになって、ファッションという名の「悪魔の世界」から去っていくのです。にもかかわらず、なぜか多くの人は、あの映画を、ファッション業界のサクセスストーリーだと勘違いしています(笑)。◇何故そういう誤解が生まれるかというと、あの映画の場合、メリル・ストリープやスタンリー・トゥッチなど、《悪魔側》の人たちのほうが、あまりにもキラキラ輝いていて魅力的だからです。一方、《天使側》にいるのは、主人公が貧乏だったころの友人たちなのですが、彼らは、あまり魅力的でないし、ほとんど印象にすら残らないのですよね(笑)。だから、アン・ハサウェイが《悪魔》の世界で輝く場面ばかりが、観客の心に強く刻みつけられてしまうのです。◇◇今回のドラマ「ボス恋」は、そんなアン・ハサウェイの映画とは違って、肝心の《悪魔》と《天使》の対比がハッキリしています。《悪魔》の側にいるのが菜々緒。《天使》の側にいるのが玉森裕太です。しかも、姉が《悪魔》で、弟が《天使》です。この図式は、とてもわかりやすいっ!!はたして萌音の演じる主人公は、どちらを選ぶのでしょうか?最後に《悪魔》の世界でファッショナブルに変身するのか?それとも《天使》の世界で人間らしい心を守り続けるのか?この対比を際立たせることができれば、このドラマは、アン・ハサウェイの映画なんかよりも、はるかにエキサイティングで、明快なメッセージをもった物語になるはずです。脚本は、演劇畑の田辺茂範ですね。お手並み拝見です!TBS『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』上白石萌音
2021.01.13
「恋つづ」終盤の脚本が不満だったので、脳内変換で、9話~10話を勝手に捏造します…(すこし百合っぽいです)◇◇◇あるとき七瀬は、天堂の部屋のなかで指輪を見つけました。そこには「Kairi & Minori」の文字。かつて天堂が、みのりに渡すつもりだった指輪でした。七瀬はそれを見たとき、以前、来生が話してくれた《魔王の物語》を思い出しました。- 勇者は、魔王の指輪を奪わなければならない。- そうしなければ、世界は闇に覆われたままなんだ。あれは、来生の作り話だったのでしょうか?◇そのころ、みおりは、天堂にあらためて想いを告げていました。しかし、天堂は、「あなたが見ているのは僕じゃない。 僕のなかにお姉さんを見ようとしてるだけです。 あなたはもう、お姉さんの記憶から自由になったほうがいい」そう言って、みおりを突き放すのでした。みおりは悲しみに暮れるなかで、生前に姉が書き残したノートを見つけました。そこには、「浬がよい医者になりますように。彼がずっと笑顔でいますように」と書かれていました。それを見たとき、みおりは、天堂にふさわしいのは、自分ではなく七瀬なのだ、と思い至るのでした。◇ところが、その七瀬は、みおりに対して意外なことを言いました。「天堂先生の机の引き出しには、今もまだ、 みのりさんに渡すはずだった指輪が入ってます。 先生は、みのりさんとの思い出を、ずっと消せずにいるんです。」その夜、みおりは天堂の部屋を訪れて、こう言いました。「姉の呪縛から自由になれないのは、天堂先生のほうじゃないですか?」そう言われて絶句する天堂を置いて、みおりは机の中から指輪を取り出すと、「この指輪は私が引き取ります。 …佐倉さんのためにも。」と言って去っていきました。◇翌日、みおりは、その指輪を七瀬に見せて言いました。「この指輪は、私があずかりました。 天堂先生を笑顔にさせられるのは、あなたしかいない。 彼を姉の呪縛から救ってあげてください。」すると、七瀬はこんなことを言いました。「みおりさんは、それでいいんですか? みおりさんも、お姉さんを思う悲しみから自由になってください! もっと自分のために生きてください!」みおりはその言葉にうろたえましたが、七瀬はさらに続けました。「その指輪は私が引き受けます。 先生の苦しみも悲しい記憶も、ぜんぶ私が受け止めたいんです」七瀬は、指輪を自分の部屋に持ち帰ると、「どうか先生を幸せにしてあげてください」と祈りながら、猫様のお守りの隣にそれを置きました。◇しかし、その数日後、七瀬は事故に遭いました。七瀬が助けた子供は無事だったものの、彼女は頭を打って意識を失ってしまいました。天堂は、必死の救命処置のあと、眠ったままの七瀬にむかって泣きながら叫びました。「好きだ。お前のすべてが好きなんだ…。 ひたむきなところも、めげないところも、 きらめく笑顔も、ぜんぶ好きなんだ!」それを外で聞いていた来生はひとり呟きました。「勇者はかならず蘇る。魔王を闇から救うために…」七瀬は昏睡状態の中で、みのりの幻に出会いました。七瀬が指輪を差し出すと、みのりは嬉しそうに指にはめ、幸せな光のなかへ立ち去っていきました。そして、来生が予言したとおり、七瀬は3日目の朝に目を覚ましました。そして天堂と口づけを交わし、こう言いました。「私はすべてを受け止めます。 天堂先生の悲しい思い出も、苦しみもすべて」◇その後、七瀬と天堂は、とても幸せな日々を過ごしました。あるときは朝食の卵を焼きながら、あるときはジェンガで遊びながら口づけをしました。しかし、あるとき、病院で看護留学の話がもちあがりました。七瀬は興味を抱きましたが、天堂から離れてしまうことをためらいました。それでも、日々、自分の看護師としての力不足を実感するにつれ、やはり留学への思いは強まっていくのでした。そんな七瀬の気持ちを察した天堂は、神社に参拝した帰り際、七瀬に留学することを勧めました。「俺はここで待ってる。 だから、いい看護師になって戻って来い」天堂は七瀬を抱きしめました。…こうして七瀬の留学が決まりました。◇最後の休日の夜、天堂に急患が入ったため、約束していたディナーは出来なくなりました。レストランからひとり帰る雨の中で、これからの寂しい日々を思って泣き崩れる七瀬でしたが、そこに天堂の傘が差しかかりました。思わず天堂にしがみついた七瀬は泣き叫びました。「先生は、寂しくないんですか?!」すると、天堂は、「俺だって寂しい!…でも、行くんだ、七瀬!行け!!」そう強く叫んで、それからおもむろに、「帰ってきたら俺と結婚しろ…」と言って口づけました。◇旅立ちの日、七瀬が時間を勘違いしたため、出発間際の空港へ駆け込んだ天堂。「これをお前にやる」と言って取り出したのは、七瀬のために作った真新しい指輪でした。刻まれたばかりの「Kairi & Nanase」の文字がありました。それが七瀬の指にはめられたとき、暗闇が消えてまばゆい光が差し、世界が鮮やかな色彩で覆われていくように思われました。「お前、向こうで浮気するなよ…」と天堂が言うと、七瀬は、彼の襟をグッとつかんで、「ばーかっ!」と言って笑い、爪先立ちになって口づけました。(おわり)
2020.03.20
「恋は続くよどこまでも」最終回。ついにはキスだらけのサービスショットを山盛りにした、救いようもないネタドラマみたいになっちゃった(笑)。天堂が「ツンデレ」から「デレデレ」になるにつれて、たしかに七瀬の魅力はどんどん強まったけど、かえって天堂の立ち位置がよく分からなくなった気もする。なんだか佐藤健より、萌音のほうにドキドキするというワケワカラン感じだった。それって狙い通りだったのでしょうか?より幅広い視聴者層には、「ツンデレ」より「デレデレ」のほうがアピールしやすかった?◇それにしても、この内容の乏しさ、身も蓋もないネタっぷりは、スカイツリーを東京タワーに置き換えたら、そのまま80年代の安っぽいトレンディドラマと変わらない。TBSが高視聴率に浮かれた結果ともいえるけど、もともとプロデューサーや脚本家自身に、さして描くべきテーマがなかった証拠だともいえる。最後まで「仕事と恋」の葛藤に焦点をあてたのは認めますが、第一話で見られたような真剣さや素朴さからすると、だいぶ後退したといわざるをえません。しかも、もう続編の余地もないくらい、完膚なきまでのハッピーエンドにしてくれちゃったし…。◇恋人と死別した悲しみのなかにあった魔王が、勇者の輝きによって生きる希望を取り戻すというテーマは、ほとんど隅に置かれたまま忘れ去られてしまいました。天堂は、みのりのことを全然思い出さなかったし、その苦しみと葛藤が切実に描かれることもありませんでした。ただ「魔王」「勇者」という呼び名だけが上滑りして、本来あるべき光と影の対比が十分に描かれないまま、逆に「花男」みたいな貧乏人と金持ちの比較ばかりが強調された。むしろ、前日に放送されたCDTVの卒業ソングスペシャルで、まるで大江奏のテーマみたいだったスキマスイッチの曲を、萌音が、ヒゲダンの主題歌に関連づけるように歌って、このドラマの本来のテーマを浮かび上がらせたことのほうが、本編よりもよっぽど秀逸な表現だったなあと思います。君が僕の前に現れた日から 何もかもが違くみえたんだ独りじゃ何ひとつ気づけなかっただろう こんなに鮮やかな色彩にこれが萌音の選曲だったなら、彼女はプロデューサー的な才能がありますよね。◇ただ、とりあえず陳腐なハッピーエンドに終わったとはいえ、「恋つづ」がまだまだ使えるコンテンツだろうとは思う。佐藤健のツンデレの美しさを最大限に引き出したこと。「天堂担」「逆治療キス」などのワードの創出に成功したこと。そしてセーラー服やナース服の野暮ったかった萌音が、可愛い私服を着たカップルになっていく様子に夢を見せたこと。そういう、いくつかの勝因が、このコンテンツでこそ可能だったのは疑いようもありません。もちろん、それをただ機械的に反復して、安易な勝利に結びつけようとする発想は間違ってるけど、いまや萌音の代表作になったわけだし、(個人的には萌音に挿入曲を歌わせなかったのも悔やまれるし、)もし佐藤健がもういちど「ツンデレ」からやり直せるのなら、脚本家を再選定したうえで、もう少しまともなスペシャル版に書き直してみるとか、あるいは東宝で映画化してみる価値は十分あると思います。「ぎぼむす」の場合も、レギュラーシリーズの出来はそれほどでもなかったけど、お正月のスペシャル版はかなり質の高い内容になったし、あのレベルを目指せるなら、ぜひ新作とかリメイクにも期待したい。◇いずれにせよ、今回のドラマを見て、萌音が想像した以上にコメディに向いてるのは分かった。ドタドタした役柄のほうが可愛いのかもしれません。今回はTBSで磯山晶のドラマに出たわけだし、もともとクドカンとも面識があるのだから、そういう路線もいいのかなあと思えてきました。ついでに萌歌がNHKの朝ドラに出れば完璧なのですよね。そこまでいけば、かりに短期間でも、萌音と萌歌の「レミゼ」の共演だって現実味を帯びてくる。もちろん萌音がファンティーヌ、萌歌がコゼットってことで。ちなみに、「A stadio」で萌歌がヒゲダンの生演奏を聴いて泣いたのは、たんに音楽が好きだから、というだけでなく、やはり今回のドラマが姉の代表作になると確信できたからでしょう。でも、この結果はけっして偶然とはいえません。萌音のようなキャラクターが同世代の共感を得たのは、むしろ時代の変化を確実に映し出した結果です。「容姿が可愛くてお洒落なほうが恋愛市場の勝ち組にふさわしい」…みたいな薄汚れた価値観は、もう古くなってきています。それはいわば弱肉強食が露わになったバブル以来の価値観なのだし、ある意味では、かなりヤンキー的な発想のものだからです。むしろ今は、見た目よりも「心の純粋さ」みたいなほうが共感されやすくなってる。ただでさえ、若い世代の人たちは、政財界の大人のような見え透いた嘘八百にウンザリしてるし、まるで腹黒いことがデフォルトみたいな既存社会のあり方にも、いいかげん愛想尽きているのですよね。そういうなかで、上白石姉妹や浜辺美波のようなピュアな女子のキャラが、大きなアドバンテージになってきていると思います。それが新たなマーケティングの方向性も示しはじめてるのです。
2020.03.18
「恋つづ」の脚本があまりにお粗末だったので、思わず今日2度目の投稿。萌音の主演作を見守ってきた立場としては、ほんとうに腹立たしいくらいテキトーな脚本だった。町医者の「死にかけ」エピソードとか、主人公の「死にかけ」エピソードとか、ああいうことを安易にやるな、と言いたい。あんな薄っぺらな形で「死にかけ」エピソードをやるくらいなら、純粋にラブコメだけに徹してもらったほうがよかった。鹿児島の健康な人々に見送られて、東京に戻ったら、あとは登場人物それぞれの恋愛模様を、もっと丁寧に描けばよかったのではないでしょうか?とってつけたような「死にかけ」エピソードは、かえって脚本家に実力が乏しい証拠だなと感じます。◇とくに恋愛模様についていうと、みのりとみおりの描き方がものすごく雑です。天堂は、みおりに対して、「あなたが見ているのは僕ではなくお姉さんのほうだ」と言いました。それは、たしかにそうなのでしょう。しかし、だからと言って、「早く自由になったほうがいい」って、そんなに簡単な話じゃないはずです。恋人だった天堂でさえ、長いあいだ自由になれなかったのに、肉親である妹が、亡くなった姉から「自由になる」なんてことができますか?あまりにも雑な突き放し方。あれじゃあ、みおりが可哀想です。どのように亡くなったみのりを救うのか。どのように残されたみおりを救うのか。もうすこし愛をもって丁寧に描いてもらいたい。あれじゃあ、あまりに残酷すぎる。◇ついでに、もう一つ気になったことがあります。じつは第1話の冒頭で、主人公は「実家はマンションだから錦鯉は飼えない」と言ってました。しかし、第9話で出てきた実家は、ほんとにマンションだったでしょうか?畳部屋に布団を敷いて襖から家族が覗き見るシーンは、どうもマンションの建物には見えないのです。◇脚本の共同執筆というのは、じっくりと意思疎通をはかりながら、文字どおり共同でやるべきだし、かりにバラバラに書くのなら、プロデューサーが綿密なトータルデザインをしなきゃいけない。それがちゃんと出来てるんでしょうか?金子ありさにも、渡邉真子にも、まともに脚本を書くだけの力があるんでしょうか?そのこと自体が非常に疑わしいです。
2020.03.11
これはひどい。まれに見るヒドい脚本です。…と思ったら、最後に脚本家が2人クレジットされてるじゃないですか!え?渡邉真子って誰???◇…これはおかしい。何かおかしなことが起こってますよね。ここにきて、金子ありさの筆が追いつかなくなって、やむをえず助っ人ライターを招集したのか。それとも、外部からの指示で内容を改変させられたのか。いずれにしても、あきらかに脚本の構成がおかしくなっています。◇ラスト部分で、唐突に大きな交通事故が起こって、主人公がいったん死にかけて、そして、あっという間に生還するって…。おかしいでしょ。あまりにも適当すぎるシナリオです。死にかけてるのに家族も来ないとか、雑すぎてお話にならない。中学時代の駅伝で疲労骨折したエピソードと、頭に怪我したまま人命救助を続けたエピソードが、いったいどんなふうに繋がってたのかも、あまりに描写が雑すぎるので、まったく伝わらない。それに、あんなに多くの人が車に轢かれたら、警察や報道陣が集まって大きなニュースになるはず。本来なら、まるまる一話分を使って描くべき深刻な内容を、わずか15分ほどの再現ドラマみたいに仕上げています。まるでダイジェストかスピンオフのようなやっつけ仕事。◇渡邉真子の事務所U.F.O.のサイトを見ると、彼女は第7話でも脚本を手伝っていたようです。…第7話といえば、「壁ドン」「ソフトクリーム」「逆治療」の3つのキスシーンがてんこ盛りで、配信でも「逃げ恥」を超えたと評判になった回です。もしかしたら、第7話の人気っぷりに味をしめて、脚本の内容を急きょ変更したとか??そんな余計なことをしたら、脚本のバランスが崩れるのは当然ですよね。◇メディア情報によると、今回の鹿児島編は原作にないオリジナルストーリーとのこと。もしかしたら、鹿児島編と東京編の脚本を分担して書いたのかもしれません。今回にかんして言えば、東京編の内容があまりにも薄っぺらでした。本来ならば、最終回を前にして、みのりとみおりのエピソードはもちろんのこと、流子のエピソードも、結華のエピソードも、もっともっと深めるべきだったはず。それなのに、すべてが上っ面をなぞっただけで終わっています。◇そもそも、モルヒネを投与しながら仕事してるような、余命わずかな地元の町医者を置きざりにして、東京に戻ってきていいわけがないのですよね。東京の部屋でエッチな服でキスしてる場合じゃない。本来なら、鹿児島編にもちゃんと一話分を費やすべきだったし、かりに東京で交通事故のシーンを描く必要があったのなら、せめて回をまたぐべきでした。両方をむりやり一話分に詰め込んだことで、結果的にどちらの内容も中途半端で薄っぺらくなっている。◇なぜこんな脚本になったのでしょうか?ドラマの価値を左右するような大事な回で、おかしな改変がおこなわれたのだとしたら、ほんとうに許しがたいです。
2020.03.11
だいぶジメってる…。おかげで天堂の「ツン」の部分も弱まってる。まあ、医者だってサービス業ですから、そうそう「ツン」ばかりじゃいられないだろうし、状況によって立場が弱くなるのはリアルなのですが、前回あたりから、佐藤健の演技がちょっと噛み合ってない。すこし演技が委縮してるようにも見えます。原作や脚本の世界観の問題もあるけど、プロデューサーを筆頭にして、女性ばかりが現場を仕切ってる影響もあるのでは?男性キャストの人たちは、「女子の、女子による、女子のためのドラマ」だと割り切って演じているかもしれないけど、あまり委縮しすぎるのも考えものです。プロデューサーは、なるべく男性キャストとも意見交換すべきだし、場合によっては、現場の男性の視点も取り入れるべきだと思う。◇ただでさえ、金子ありさのドラマは、男性に対して女子の願望を投影しすぎです。女子が思い描く理想の男性像は、二次元の世界なら、ある程度は許容できるとしても、実写にしてしまうと、けっこうキモチ悪い。とくに片想いとか嫉妬のしかたがキモチ悪くて、このドラマも、そういうところは「中学聖日記」っぽいし、何ともいえずジメった感じになる。富裕層の陰湿さを描いた表現も、いかにも少女漫画的なステレオタイプなのですが、じつは羨望がものすごく混じってたりするのですね。今回も、女子がひそかに憧れる「両天秤ストーリー」でしたが、しょうもないイケメン同士の嫉妬エピソードのために、杏里ちゃんの手術なんて完全にネタにされちゃった感じで、あれじゃあ医療シーンを演じる役者もバカバカしいでしょ。いったん鹿児島に戻るのはいいとしても、もうちょっとマシなシナリオに出来なかったのかなあ。◇じつは演じている男優さんたちも、けっこう違和感をおぼえているのでは?もし限度をこえたキモチ悪さを感じてるなら、率直にプロデューサーにうったえたほうがいいと思う。そうしないと、際限なくキモチ悪くなるよ。
2020.03.04
状況的に「恋つづ」の勝利が確定した感があります…。メディアの論調も、おおむね事態を理解したらしく、だいぶ状況に噛み合ってきたな、って感じ。わたし自身は、もともと「萌音推し・萌歌推し」だから見てたんだけど、当初は、萌音の主演を疑問視する見方があるのも承知してはいた。ただ、ドラマがはじまった時点で、佐藤健が自分の役割をよく理解してるのは見てとれたし、もう一方で、RADWIMPSやヒゲダンの成功を後押ししてきた東宝が、ここにメディアミックスの戦略を結集させてる感じもあったのです。長澤まさみから受け継ぐかたちでヒゲダンの曲を使って、さらに河野伸の音楽を使用したこともふくめて、萌音の主演を成功させるための体制が整ってる印象はありました。わたしは、このドラマを手放しで絶賛してるわけじゃないけど、先日も書いたように、これが映画コンテンツになる可能性は確実に高まってますよね。視聴者は、これを家で見るだけじゃなくて、大勢の人たちと共有する形で楽しみたいと感じはじめてる。コミック原作、ドラマ、音楽、ネット配信、ブルーレイ、映画、ノベライズ、そして各種の天堂担グッズ。メディアミックスの可能性がいろいろ膨らんできますよね。正直なところ、TBSの戦略というのは、わたしにはいまひとつ分からないし、全面的に支持しようとも思ってないのだけど、きっとTBSなりにラブコメの必勝フォーマットみたいなものが、出来つつあるんだろうな、というのもある。◇萌音と萌歌は、今後、舞台や音楽以上に、映像の仕事がいっそう増えていくのでしょうけど、ドラマを軸とするメディアミックスの起点になるためにも、ただ女優として演技するだけじゃなくて、これまでどおり、やはり多面的な活動を続ける必要があります。かつての斉藤由貴がそうだったように、公私ともに「オタク」でありつづけることは絶対的に重要です。ドラマの内側に多様な「文化」の要素や人材を引き込むことで、今回のような成功が生まれてくるからですね。たぶん女優というのは、たんに作品をつくるための部品ではなく、その女優自身が一種の文化的な媒体なんだろうと思います。2月26日 「恋つづ」第7話。2月14日 東宝は「恋つづ」と「ぎぼむす」を映画化できる。2月12日 「恋つづ」第5話 お疲れパン。2月06日 「恋つづ」は「中学聖日記」の二の舞…?1月29日 「恋つづ」第3話。やや脚本の詰めが甘い?1月15日 「恋はつづくよどこまでも」は医療ドラマ?
2020.02.29
萌音の新曲。タイトルが「明日に種をまこう!」っぽいねと思ったら、歌詞の中身は、泥まみれで土を耕してるみたいな内容だし(そういうアニメなのね)、そうかと思ったら、なぜかミュージックビデオの映像は、水槽のなかに溶けた絵の具みたいなイレギュラー…でした (笑) 。◇それはそうと、第7話。金子ありさの芸風が全開です…。まあね、たしかに人間ってのは弱いものだと思いますけど、その弱さの表現があからさますぎて、デレデレしすぎ、ベタベタしすぎ、気持ち悪さ寸前。やっぱり、どこかしら「中学聖日記」的なものを感じてしまう。七瀬はともかくとしても、天堂も、来生も、上条も、あらゆる登場人物が 弱っちく なってしまう。弱っちくなって、デレデレになって、ベタベタした展開になる。演じてる佐藤健の顔が、こころなしか引きつってる気がしないでもありません。たぶん、ここから先は、結華も、流子も、みおりまでも、どんどん弱っちくなっていくのでしょう。たしかに恋愛すると誰しも弱っちくなるよね。唯一、山本耕史が演じる小石川の存在だけが救いかな。あるいは、七瀬こそが、みんなの弱さを受け止める聖母的な存在になる感じ?こんなふうに、弱っちい人たちの、甘々でベタベタな世界を描くのが、金子ありさの芸風ってやつなのでしょう。それって、よくもわるくも少女漫画的ではあるし、そこがたまらなく好き!って人もいるでしょうけど、まあ…、好みの問題なのかなあ。
2020.02.26
「恋つづ」と「ぎぼむす」は映画化できるだろうと思います。いわば佐藤健2部作ですね。上白石姉妹作ともいえる。とりあえずはTBSが制作を主導する形で、いったんはテレビドラマのノウハウを取り入れて、そのうえで、テレビの枠組みでは出来ないことを、思い切り映画のなかで解放すれば、きっとうまくいく。映画化される作品にとって、もっともクリエイティヴな部分はどこなのか。それを検討したうえで、そこに予算を投じれば、テレビでは味わえない映画体験ができますよね。わたしが考えるに、それはやっぱりスペクタクルの部分。「シンゴジラ」にしても「君の名は。」にしても、観客の多くを惹きつけたのはスペクタクルの魅力です。「恋つづ」でいうなら、それは佐藤健の美しさを引き出すための映像。極限までドリーミーな視覚的快楽にこだわって作れば、それだけで映画館へ足を運ぶ動機づけになるはず。もともと少女コミックの映画化は、主力路線としてのフォーマットになりえるものですし、「恋つづ」はそれを証明する格好の素材だと思います。とくに萌音のようなキャラクターは、少女コミックを映像化する場合の、おそらく、もっとも標準的な「型」なのです。だから成功している。「ぎぼむす」のほうでも、佐藤健の美しさを押し出すことは可能です。銀河鉄道999の鉄郎にみたいに、映画版だけビジュアルをバージョンアップさせることも出来るし、ふだんはヤンキーの麦田を、ある瞬間にだけ王子様キャラに変貌させるような演出をしてもいい。もしくは、午後の紅茶っぽい感じで、萌歌と井之脇海の甘い恋物語のほうにスポットを当ててもいいと思います。
2020.02.14
うん。わりと今回のエピソードは好き。やっぱり仕事で認められるのは嬉しいよね。異性として愛されるよりも、かえってリアリティがある。山本耕史の「心に線はひけない」という台詞にも唸らされた。たしかにね~。ある意味、このドラマの最大のテーマを言い表してました。佐藤健のお約束展開も、なかなか笑えて楽しめた。河野伸の甘い音楽がうまくコミカルに機能しています。Mステのヒゲダン生歌パフォーマンスの勢いもあったことだし、今週は日本中の天堂担が焼きたてのチョココロネでお疲れパンでしょう。…ただ、あいかわらず、勇者コスプレは中途半端で蛇足感が強いけど!あそこだけは是非とも改善していただきたい!どうせやるなら、河野伸の「勇者のテーマ(?)」にのせて、コスプレ萌音がまたがった白馬に大草原を走らせてほしいのです。
2020.02.12
日本中の天堂担のみなさんが、佐藤健とのLINEに熱をあげているらしいし、ヒゲダンの曲も異常なほど売れてるようだし、どうやらドラマの人気も衰える様子はありませんが。◇天堂先生は、はやくも「ツン」から「デレ」に移行しはじめてる。ちょっとタイミングが早すぎるのでは?最後の最後までタメるべきじゃないかなあ。だって、4話でキスしたら、最後はどこまで行くの?まあ、最後にフラれて終わるってのも、かえって美しいかもしれませんが。◇…というか、いよいよ金子ありさの芸風が開示しはじめちゃって、もはや笑うしかない独走世界に入りつつある。1話・2話にくらべて、病院の出来事がユルいものになってきたと思ったら、それにつれてドラマ全体の物語までユルくなってきてる。20年ぶりの母娘再会も、ストーカーへの対処も、さほど中身があるとは思えない薄いエピソード。書いてる本人は、これが会心の出来と思ってるんでしょうか?どこまでが本気で、どこまでがギャグなのか、判然としないところが、この作家の悩ましいところ。脚本家自身は真面目に書いてるのかもしれませんが、見ている側は、どうにも笑えてきてしょうがないという…あの「中学聖日記」のような症状が再発してます。たんなる「笑って楽しむドラマ」と割り切れればいいのだけど、なまじっか社会性のある医療ドラマでもあるし、全編笑える話にされても困るしね…。その一方、勇者コスプレのタイミングも「そこ?」って感じで、あきらかな笑いのツボも今ひとつ噛み合わない。全体にベタベタした自己陶酔的な内容なのです。これ以上ベタつかないように何とか補正できないものでしょうか。ラブコメとはいえ、締めるところはピシッと締めてほしい。このままだと、「ツン」でも「デレ」でもなく、たんなる「ユル」だけに終始する作品になってしまいそう。
2020.02.06
「恋はつづくよどこまでも」の第3話。意地悪な患者のせいで注射がうまく出来なくなる、という内容。これまでの2回に比べると、いまひとつパンチに欠ける展開でした。それは、物語の内容が「生死」に関係しなかったから、ではなく、純粋に技術的な問題として、脚本の展開が甘かったからです。◇具体的にいうと、患者の夫婦に「青汁」の話を伝えた段階で、意地悪な患者と主人公との間の緊張が解けてしまったため、最後の「いい看護師になれよ」の台詞がインパクトを失ったのです。青汁の件を患者夫婦に伝えるのは、看護師の七瀬ではなく、医師の天堂にしておくべきでした。そして天堂の口から、七瀬の功績をさりげなく患者に伝えるべきだったと思う。ギリギリまで患者と七瀬の関係を気まずいものにしてこそ、最後に患者が告げる和解の一言が効果的になるのだし、それまでの緊張がいっきに解けて物語も落着したはずです。◇わたしはまだ、金子ありさの脚本を十分には信頼しきれてないのだけど、このドラマは王道のラブコメだけに、脚本や演出の力でしっかり見せ場を作らないと、お約束の展開が、たんなる凡庸に終わってしまいます。佐藤健の"胸キュン"シーンの場合も同じで、それをお約束の見せ場に仕立てるためには、彼の演技力に依存するだけでなく、シナリオの展開と演出が効果的に噛み合わなければいけない。ついでにいうと、毎回出てくる萌音の"勇者コスプレ"も、わたしにはイマイチ中途半端に見えるんですよね…。どうせなら汚れメイクをしてガッチリ鎧まで着せてほしいし、いっそのこと、ただコスプレするだけじゃなく、妄想シーンみたいに、本格的な勇者シーンがあってもいいと思う。白馬に乗って登場するとか。
2020.01.29
『ぎぼむす』とは打って変わって、今回ばかりは直球で「イケメン」な役に徹している佐藤健。彼がいかにクレバーな俳優であるかが分かります。とはいえ、放送前から「胸キュンドラマ」の触れ込みだったのに反して、じつはこれって、思った以上に「医療ドラマ」なのかもしれない…。冒頭の人助けのシーンを、最後の救命シーンに重ね合わせるシナリオは、なかなかに手練れたもので、第一話の終盤にして、早くも泣ける展開になっていました。とすれば、今後、蓮佛美沙子の話が絡んでくるにつれて、物語が重層的に深まっていくだろうとも期待できます。「胸キュンパート」と「医療パート」のバランスを、金子ありさの脚本がどんなふうに配分していくのかが見もの。ひたすらキモチ悪かった『中学聖日記』みたいに、ベタベタの恋愛ドラマになりすぎないようにお願いしたいです(笑)。まあ、この作品に、ことさら医療的な内容を期待する視聴者はいないと思うので、せいぜい「お仕事ドラマ」になれば御の字かもしれませんが、なにげに山本耕史の講話ネタなども、心に響いてくるところはある。原作は読んでいませんけど、なんとなくコミックの再現度が高そうなドラマでもあります。そこにTBSのアドバンテージがあるのですね。◇『ぎぼむす』につづいて、佐藤健と上白石姉妹の共演が話題になりますが、同時に、萌音のファンの人は、音楽を担当してる河野伸が彼女の人脈だと気づいてるはず。ベーカリー麦田のクリームパン(?)も気になるところですが、もうひとつ、このドラマの大きな魅力のひとつは、その河野伸の音楽が美しいこと、なのですよねェ。せっかくなら、萌音が挿入歌ぐらい歌ってもいいんじゃない?ついでに、いちおうお約束でツッコんでおきますが、「あの人ホントに…天堂先生ぇ?!」の叫び方は、「もしかして私たち…入れ替わってるぅ?!」」の叫び方をパロったわけね。◇それにしても、卒業したての看護師にしちゃあ、住んでるマンションのグレードが高すぎませんかねえ…。そこに香里奈が関係してるってことなの?
2020.01.15
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