まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.01.04
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もとも契約結婚というのは、
夫婦の役割を等価で交換するためのシステムでした。
男女の役割の等価交換。
それが、このドラマのテーマです。

今回のスペシャルでは、そのフェーズが 「子育て」 に移りました。

コロナ禍という、
ちょっと特殊な状況がクローズアップされたけれど、
じつはコロナ禍であろうとあるまいと、


やっぱり実家に頼るしかない。
そうでなければ、
お金でベビーシッターやハウスキーパーを雇うしかない。



結局のところ、
男女の役割を等価で交換することはできませんでした。

みくりを助けてくれたのは、
実家の母親であり、伯母の百合ちゃんであり、
あるいは友人のやっさんでした。

また、
癌を患った百合ちゃんに付き添ってくれたのは、


要するに、ほとんどの問題を、
女性のネットワークだけで乗り切ったのです。



もしも、
実家に頼ることもできず、


たとえ夫婦のあいだで仕事分担の努力をしても、
おそかれはやかれ核家族の子育ては破綻してしまうでしょう。
それが現代の日本の実情です。

本来、子育てというのは、
大きな共同体のなかでおこなわれていました。
核家族で子育てをするようになったのは近代以降です。
しかも、事実上は母親だけで子供を育てている。

これは、
かなり無理のあるシステムだと言わざるを得ません。

何も解決せず、何も決着せず、
ただ二人が泣き崩れたまま年を越す場面がありましたが、
じつのところ、何も解決していないのは、
現代日本の社会システムそのものなのです。



「親の責任」などという幻想は、
もはや実態とは乖離した絵空事の神学論争にすぎません。
そもそも「親の責任」だけで子育てなど出来るはずがないのだから。

たとえば母親の鬱や自殺を、
世間では「ネグレクト=責任放棄」と呼んで非難します。

企業が、
社員の育児休暇を「仕事放棄」だといって容認しないのと同じように、
社会は、
母親のネグレクトを「育児放棄」だといって容認しないのです。

沼田さんはこう言いました。


いつ誰が長い休みをとるかなんて分からない
突然の事故、家族の病気介護、
自分自身の体調が崩れる場合もあるよね?
そのとき何が大事かって言ったら
誰が休んでも仕事は回る
帰ってこられる環境をふだんから作っておくこと
それが職場におけるリスク管理


それと同じことは、
企業の社員についてだけでなく、
子育てをする母親についても言えるのです。

人間なのだから、出来なくなることもある。

母親以外に代理がいないシステムのほうがおかしいのです。
子育てにおける社会のリスク管理ができていない。
およそ不可能な「自己責任論」ばかりがまかり通っている。

母親のネグレクトを、
たんに「責任放棄」の一言で片づけるべきではありません。



これは一種の優生思想なのだと思うけれど、

よほど恵まれた人々でなければ、
まともな子育てができない仕組みになっています。
明らかに少子化対策の理念とは相矛盾している。

その一方で、
向こう見ずなヤンキーほど多くの子供を産んでしまう、
というアベコベな現実もあります。



ジブリの新作「アーヤと魔女」の主人公は、
親に捨てられて、孤児院で育っていました。
実際、かならずしも親に育てられるのが幸福だとは限らない。

わたしは、
とりあえず「共同保育」が妥当な選択だと思うけど、
親と子が一緒に入所して、
ある年齢まで断続的に子育て合宿できる仕組みがあってもいいし、

これも、ある種の優生思想になるのかもしれませんけど、

まったくの公営というのではなく、
審査に通った親子だけで自治的に運営するような、
私営の共同保育所が増えてもいいのかなと思います。




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最終更新日  2021.07.13 16:59:04


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