まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.03.31
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カテゴリ: ドラマレビュー!
クドカンの「ふてほど」最終話。


だいたい予想はしてましたが、
最後は、震災の行方不明者が未来に生きる希望を残した形。

もともとクドカンは、
お決まりの《入れ替わり》とか《タイムリープ》とか、
1980年代の大林宣彦が、
「転校生」や「時かけ」で定式化したモチーフを、
これまでも繰り返し使ってきたのですよね。



たまたま最近、
その大林宣彦の「時をかける少女」を、
U-NEXTで初めてちゃんと観たのだけど、

あの物語は、
ただのタイムリープの話ではなく、
じつは《代理》をテーマにした話だと知りました。
それがクドカンにも継承されてるなと感じます。



大林版の「時かけ」における深町くんは、
未来人として現代に存在してるのではなく、
むしろ未来人であることを隠すために、


ある部分では、
すでに亡くなったはずの「深町家の孫」の代理として存在し、
ある部分では、
芳山和子の中の「吾郎ちゃん」の記憶をすり替えながら、
やはり、その代理として存在してる。


この《代理》というテーマが十分に追求されていません。



これは、
すでに下のシネマレビューにも書いたことだけど↓
https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063
芳山和子が深町くんに抱いた恋心は、
じつは吾郎ちゃんに抱いていた感情の《代理》なのです。

それは、ちょうど、
富田靖子の「さびしんぼう」で、
主人公が白塗りの少女に抱いた恋心が、
じつは主人公の母親への想いの《代理》だった、
…という構造とほとんど同じです。

それによって、
もっとも身近な誰かへの想いに気づく物語になってる。



そして、もうひとつ、
すでに存在しないはずの「深町家の亡くなった孫」が、
タイムパラドックスによって存在してる面があって、
そこには「存在しえなかった死者」を現出させる意図も感じる。

大林宣彦は、そういう物語を被爆地の広島で撮ったのです。

タイムリープの物語というのは、
たんに過去や未来へ時間旅行するだけの話じゃなく、
「存在しないはずの誰かが存在すること」
の意味を問う物語なのですよね。



今回のクドカンのドラマでも、
「存在しないはずの誰かが存在すること」
の意味を、かなり意識的に掘り下げたと思う。

つまり、
阪神大震災で亡くなった人々が、
タイムマシンで未来に出現する設定になってて、

仲里依紗が演じる渚は、
すでに亡くなった若き母と姉妹のように接したり、
すでに亡くなった若き祖父と恋人のように接したりします。

これも、
尾美としのりが富田靖子に恋したのと似ていて、
本来は母や祖父に抱きがたい感情が生まれてる。

その意味でも、クドカンは、
大林と同様の《代理》の物語を追求してると思う。



クドカンがもっとも意識したのは谷口正晃版なのかも。





スピルバーグの「Back to the Future」もふくめ、
その後の《タイムリープ》の多くの作品には、
そういう視点が抜けていて、物語としての深みに欠けます。

とくにスピルバーグの場合は、
筒井康隆よりも藤子不二雄を模範にしてるのよね。
人間関係が「ドラえもん」とまったく同じなのです↓
https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063

なお、
先月の 「アストリッド&ラファエル」の記事 にも書きましたが、
この《タイムリープ》という和製英語は、
筒井康隆が「時をかける少女」で発明した造語のようです。




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最終更新日  2024.04.13 02:03:53


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