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今日は試験監督と面接でした。 朝、徒歩通勤をしていると梅の木にみかんの輪切りが置いてありメジロが2匹、たぶん番でしょうか? 写真を撮りたかったのですが逃げられました。
2008.01.31
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今日は1期入試の初日、スーツで登校。面接官と採点委員をしました。緊張感漂う受験生初々しくて良いですね。疲れました。
2008.01.30
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私の科目は国際ビジネスと課題研究の2科目ですが全員無事単位修得となりました。時間不足の生徒もなくひと安心、後は卒業認定会議を待つばかりです。
2008.01.29
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小説ほどの切れ味はないけれど浅田次郎ワールドを堪能しました。 一年の三分の一を羈旅の空に過ごしている。「旅」を綴った珠玉のエッセイ集。 笑わせて泣かせる珠玉のエッセイ集。"旅"をキーワードにしたエッセイ40篇。時に爆笑を、時に涙を誘う、また、人の心に寄り添う優しさ、真面目に主張し怒る真摯な姿勢......。1篇1篇に味わいの異なる、どこから読んでも楽しめるエッセイ集。ユーモア・ピカレスクからリリシズムあふれるファンタジー、一大歴史絵巻まで、幅広い作風をもつ文章の名手ならではのエッセイ世界が広がります。 たとえば--エジプト人が連呼する「ヤマモトヤーマ」とは?(「ピラミッドの思いこみ」)。「おさんしりふり」を知らないなんて。(「森の精霊」)。貸し切り同然のドイツのスパに、突如素っ裸の金髪女性が!(「混浴の思想」)。鬼瓦のような顔を両手で被うと、ガイドのナジャは男泣きに泣いた。(「星を狩る少年」)。
2008.01.28
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数々の能作品や芸論書を著し、能の大成者として一世を風靡した世阿弥が、身に覚えのない咎により佐渡へ流されたのは、七十二歳の時。それから八十過ぎまでの歳月の中で逆境をどのように受け止め、迫り来る老いと如何に向き合い、どうやって死を迎えたのか――。八十五歳の今だから書けた、瀬戸内寂聴渾身の大作。 12歳の時、将軍、足利義満に美貌(びぼう)を見込まれた世阿弥は、義満の寵愛(ちょうあい)を後ろ盾に、芸能者としての頂点を極めた。だが義満の死を境として、おいの音阿弥に地位を奪われた末、長男は客死、二男は出家。さらに自らは老いの身で、佐渡への流刑を言い渡される。 なかなか読みごたえがありました。 秘すれば花 花とは色気、惚れさせる魅力
2008.01.27
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初出場の興譲館高校、女子駅伝ではその名を全国に轟かせている硬式野球も負けないで。 80回記念大会でなかったら危ないところだったけど運も実力のうち甲子園で頑張って欲しい。 中国大会優勝の下関商と準優勝の八頭(鳥取・初出場)21枠で中国大会準決勝で八頭に敗れた華陵(山口・初出場)とベスト4すべてが選抜されました。 かつて中国地方から4校選抜されていたのに希望枠だ21世紀枠だのあおりを受けて最近は中国地区から2校しか選抜されなくなっています。 近畿は6県で6校選出・・・いつもながら納得できません。
2008.01.26
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昨日で3年生の学年末考査が終了。考査の最後に高校生活3年間の感想を書く欄を設けています。良い意見には特別ボーナス点を加えるから何でも自由に書いて欲しい。白紙は駄目だよ。「この学校に来て良かった。3年間はあっという間で卒業すると思うとさびしい。」「もう少し制服を着ていたい。」「先生、3年間、お世話になりました。ありがとう。」「希望の進路先に就職出来て良かった。社会人になったらもっと頑張る。」 半分リップサービスだと解っていても胸が熱くなります。 涙、涙の卒業式が楽しみです。 教師になったばかりのあの頃を思い出して新たな気持ちで今日は2年生の授業に臨みました。就職対策適性検査の解説、4月からは新3年生になる生徒諸君、私の思いが少しは伝わったかな?
2008.01.25
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本を借りました。浅田次郎の「つばさよ つばさ」読んでます。
2008.01.24
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万人の気弱きときは米上がるべきの理なり。諸人気強きときは米下がるべきの種なり万人が心に迷う米なれば、つれなき道へおもむくがよし 万人が万人ながら弱気なら、のぼるべき理をふくむ米なり 千人が千人ながら強気なら、くだるべき理をふくむ米なり 野も山も皆一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし 万人が万人ながら強気なら、たわけになりて米を売るべし 万人があきれはてたる値が出れば、それが高下の界(さかい)なりけり豊年は 万人気弱く 我弱し 安きによって 売は禁制凶年は 千人気強く 我強し 高きによって 買は禁制弱気理 世に現れ出れば みな弱気 安きに依って はたは禁制強変が 現れ出れば 皆強気 高きによって 買いは禁制上がり足 短く見ゆる 米ならば 気は強くとも 買いは禁制下がる理と 手に取るように 思えども 秋穂のうへの 売りは禁制天性の 理は水無月(六月)に 出ると知れ 米に随い 平乗禁制洪水と 大風吹きの 飛あがりは いつの年でも 買いは禁制米崩れ 買い落城の 飛び下げは 気は弱くとも はたは禁制米枯れに はた落城の 飛び上げは 気は強くとも 買いは禁制 「三猿金泉秘録」より なかなか含蓄ありますね。
2008.01.23
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もう底かなと思いつつ下げ止まりませんね。 それにしてもアメリカ発の株安だからとまるで他人事のような首相、経済担当閣僚の発言には唖然としてしまいます。 アメリカ発の株安だろうがなんだろうが実際に日本の株価が急落、日本の富が消えているというのに・・・株価暴落がきっかけで大恐慌になった歴史を知らないのだろうか?
2008.01.22
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「山田先生に伝えて下さい。継之助はいまのいままで先生の教えを守ってきましたと」河井継之助は死の直前に、備中松山藩出入りの商人に言伝てを頼んだ。 継之助は斎藤拙堂、古賀茶渓、佐久間象山などの門に学んだが、33歳の時に備中松山藩で生涯の師山田方谷とめぐり合った。方谷を訪ねる旅は旅日記「塵壷」に残されている。 改革者山田方谷は近年ふたたび注目されており、NHKテレビ「山田方谷・奇跡の藩制改革」(2005)が放映され反響を呼んだ。2005年はは方谷の生誕200年にあたり、岡山県高梁市では各種の記念行事が行われた。JRで全国唯一人名が付いた「方谷駅」でも知られる。 方谷は長岡市から「故長岡藩総督河井継之助君碑」の碑文を依頼された時、碑文の辞退とともに、愛弟子の継之助に贈った句が、「碑文(いしぶみ)に書くもはずかし死に後れ(山田方谷)」であった。
2008.01.15
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WBAスーパーフライ級タイトルマッチ12回戦(14日・横浜文化体育館) ○アレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)=判定3-0=川嶋勝重(大橋)● 「奇跡」にあと一歩だった。日本人に過去6戦全勝のムニョスを、川嶋があと一歩まで追い詰めた。 破格の強打を誇る王者に対し、リーチで5センチ劣る川嶋は序盤は慎重だったが、四回から入り際に左ボディーフックをたたき込んで活路を開いた。打ち合いでは冷静に左フックを顔面に合わせる。王者は接近戦では長いリーチを持て余し気味で、六回以降はスピードががくんと落ちた。だが、川嶋は「八回に力が入らなくなった」。九回、逃げる相手を追えず、一度つかんだ流れを手放した。 「スタミナがなかった。衰えなのかな」と川嶋。本来は猛練習で培ったスタミナとタフさが売り物だった。激闘の余韻が残るリング上、師匠の大橋秀行会長と目を見交わしただけで、引退を受け入れた。大橋会長がマイクを手に「川嶋勝重はこれをもって引退します」とあいさつし、続いて川嶋が「もう一度世界チャンピオンになることはできなかったが、12年半、ボクシングをやってたくさんの人と知り合えた。ここまで生きてきてよかった」と絶叫した。 21歳になる直前に脱サラして入門。不器用でセンスに乏しく、プロテスト受験を大橋会長に2度も止められた男が、一度は世界の頂点に立った。「悔いのない人生はないと思う。ボクシングも一緒」。ベルトへの未練を振り切り、武骨なファイターがリングを去った。 記事来住哲司 1月15日10時32分配信 毎日新聞 素晴らしいボディブローであと一歩までアレクサンデル・ムニョスを追い詰めたけど南米選手特有の柔らかい動きとクリンチを含むテクニック、軽いパンチだけれど圧倒的な手数に判定で敗れました。 肉を切らせて骨を断つサムライファイター川島の完全燃焼の引退試合でした。
2008.01.14
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ガソリン価格も上がった事だし地球環境のことも考えてなんて大袈裟なことではないのですが・・・徒歩通勤しています。 15分も歩けば到着する距離なので車なんか要らないのですが・・・ 歩いていると車の排気ガスが気になります。 朝のすがすがしい気分が台無し。 車で通勤しているときには気にならないのに・・・勝手なものです。 少し遠回りになりますが車の通らない路地裏を歩いています。 15分でも歩くと体は温まります。
2008.01.09
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久しぶりにウェイトトレーニングしたので筋肉痛になりました。 ダイエットの目的は体脂肪を減らすこと・・・筋肉を付けて基礎代謝を上げて太りにくい体を目指します。 体重なんてほんとはどうでも良いのですが・・・そう思うとついつい食べ過ぎてしまうからいけません。
2008.01.08
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夕食は七草粥 お粥もなかなか美味しいですね。 画像がないのが残念です。
2008.01.07
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岡山さんよう高校の記念会館の玄関にありました。 等身大でレプリカとは云えなかなかの迫力でした。
2008.01.06
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サンクトペテルブルクで4人兄弟の一人として生まれた。兄弟は全員バレエダンサーとなり、そのうち兄フョードル・ロポコフは二度にわたって(1922年-1935年、1951年-1956年)マリインスキー・バレエの主席振付家を務めた。 リディアは帝立バレエ学校で訓練を積んだ。1910年にロシアを離れ、セルゲイ・ディアギレフ主催のバレエ・リュスに加わった。しかし夏の公演旅行後にはアメリカへ発ち、6年滞在した。1916年に再びバレエ・リュスへ戻り、以前のパートナーであったヴァーツラフ・ニジンスキーと組んだ。バレエ団のマネージャーだったランドルフォ・バッロッチと結婚後一時舞台を離れたが、1921年に復帰。『リラの妖精』や『眠れる森の美女』のオーロラ姫を踊った。この頃にストラヴィンスキーやパブロ・ピカソと親交を深め、ピカソは彼女をモデルに何度も絵を描いている。 1918年のロンドン公演で出会ったジョン・ケインズとの不倫の末、リディアとケインズは1925年に結婚した。1928年から、まだ根付いていなかったイギリスのバレエを根付かせる役目を担い、ロンドンやケンブリッジで舞台に立った。 1946年のケインズの死後、公の舞台から離れひっそりと暮らした。2人の間には、医学的理由から子供ができなかった。
2008.01.05
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ご祝儀相場で高くなる傾向の大発会だが大納会に続いて続落となった。 4日の東京株式市場では、全面安。平均株価は昨年12月28日比616円37銭安の1万4691円41銭と大幅に3営業日続落し、昨年来安値(07年11月21日)1万4837円を大きく更新した。下落幅は昨年来で8月17日に記録した874円安に次ぐ。年末・年始の休場中に景況感の悪化から米国株式が大幅に下落した上、ドル安・円高が進行したことを受け、売り優勢の展開となった。需給面では、欧米経由で合計350億円の売りバスケット(買いバスケットはアジア経由で100億円)が観測された。さらにオプション1月物の権利行使価格1万5000円に続き、1万4500円プット(売る権利)売り手による225先物ヘッジ売りを誘発し、下げ幅は一時760円を超えた。NY原油先物相場の高騰に伴う、個人消費や企業業績の先行きが懸念されたほか、今晩発表される12月米雇用統計を見極めたいとの空気も重しとなった。 波乱の幕開けです。
2008.01.04
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1兆円の招き猫、墓石屋さんの事務所の前に鎮座されております。 1兆円とは春からちょいと豪儀だね
2008.01.03
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山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代の山陰地方の武将。出雲国能義郡(現島根県安来市広瀬町)に生まれる。戦国大名尼子氏の家臣。本姓は源氏。家系は宇多源氏の流れを汲む佐々木氏(京極氏)の支流で、尼子氏の一門である。実名は幸盛(ゆきもり)、通称鹿介だが、講談の類で鹿之助とされたため一般には山中鹿之介(しかのすけ)なる誤った表記で知られる。幼名は甚次郎。「山陰の麒麟児」の異名を取る。 天正5年(1577年)、信長の命により羽柴秀吉の中国遠征が始まると、その先鋒として播磨国に送り込まれ、上月城に拠って尼子氏の再興を目指した。しかし、翌天正6年(1578年)に毛利軍に攻められた際、織田軍が北の上杉謙信や石山本願寺の攻勢に備えるため播磨から軍を引いたため、上月城は孤立し、「打倒尼子」の意気に燃える毛利軍の包囲攻撃を喰らい、尼子主従は城を支えきれず降伏した。 この時、主君の尼子勝久は自害したが、鹿介は自害せず、毛利氏に降った。しかし毛利輝元の下へ護送される途上の備中国合の渡(岡山県高梁市)の阿井の渡しにて謀殺された。通説によれば、鹿介は尚も生き延びて、尼子氏を必ずや再興するという執念を胸中に抱いていたため、これを生かしておくと危険と見た吉川元春が先手を打ち、鹿介は殺害されたと言われている。鹿介の死を以って尼子氏再興活動は完全に絶たれることとなった。 殺害現場である現在の高梁市の高梁川と成羽川との合流点付近の国道313号沿いに墓所はあるが、胴体は観泉寺前住珊牛和尚によって埋葬された胴塚が現在も観泉寺墓地に残っている。首級は備後国鞆の浦に在していた時の室町幕府15代将軍足利義昭や毛利輝元により実検が行われ、その後地元の人たちが手厚く葬った首塚が現在も残る(鞆の浦・静観寺山門前)。 写真は岡山県高梁市にある鹿介の墓です。
2008.01.02
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昨年最高体重86kgまであった体重が70kg台になりお腹が少しすっきりしました。 お正月、食べ過ぎないようにしなければ・・・
2008.01.01
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