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<横尾さんは滝の絵だけでなく絵葉書まで展示しちゃった>横尾さん、なんて勝手に呼ばせてもらいますが、横尾忠則氏ともお会いしたことがあります。もちろんあちら様には何の記憶にもないでしょうが。ちょっと信じられないことですが、バブルの頃はうちの会社も文化活動に目を向けたことがありました。そのイベントのために横尾さんにも作品制作をお願いすることになり、担当しました。秘書の方を通じての依頼、制作のための部品調達、作品の搬出入、会場でのご案内などです。数年後に再度作品をお借りするときには、倉庫にあるから勝手に引っ張り出してよと言われ、一人倉庫に入ってぎっしり詰め込まれた作品の中をさまよって探したこともありました。なんという贅沢。身の丈を超える横尾さんの大作の隙間に入り込み、引き起こしたり引きずり出したり。画集で見かけた作品もありました。1点あたりいくらの価値があるのか知りませんが、もしも傷つけたりしたら大変です。息を殺しての作業でした。始めに会った頃は彼の「カタストロフィの時代」と呼ばれる時期で、過激な暴力や死がテーマの絵を描かれてました。打ち合わせに出てきた横尾さんのセーターのヒジがほころびんでいたので、意外と質素な人だなあなんて感心してたら、後でそれが流行りだということを知りました。数年後の横尾さんは滝に興味をお持ちで、沢山の滝の絵葉書のスクラップを出して来て、いいでしょう、と見せてもらいました。滝のことはよくわかりませんでしたが、私の思い出の1ページに横尾さんと並んでスクラップを見る自分がいるというシーンがあるなんて、ちょっと信じられませんでした。私のさえない平凡な人生への、運命からのちょっとしたプレゼントなのかな。
2010/10/31
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宇野亜喜良といえば、60年代、横尾忠則と並んで一世を風靡した鬼才イラストレーター。神経質な細い線によるシュールな世界。彼の画集は昔から大事に持ち歩いています。横尾さんの情念のつまったような画風に比べ、クールで虚無的な亜喜良氏の絵は私の好みで、似たタッチの絵をよく描いてました。その頃の彼は眉を剃り落とした鋭い表情で、近寄りがたい神秘的な風貌。ほんとにこんな人いるんかなと思わせるような異次元を感じさせる人でした。70年も後半になれば時代の風潮も変わり、彼の名もあまり聞かなくなった。あれだけぴりぴりしたイメージの人だから、おそらくどこかで隠遁生活しているのかと思っていたが、意外と舞台美術や絵本の仕事を続けておられたそうだ。とはいえ、まさかそのご本人に会えるとは思いもかけなかった。1990年前半の頃、あるモダンバレエの先生からコスチュームに電飾をつけたいとの申し入れがあり、担当させてもらった。デジタルの世界に迷い込んだ男の話で、光源は当時はまだ表示にしか使えなかったLEDやルミネッセンスシート。何度かの試作のあとで、完成した衣装を着けての練習のスタジオに、宇野亜喜良氏は登場した。どきどきして待つ私の目に入ったのはやさしい眼差しの穏やかな老人。かっての張り詰めた雰囲気は微塵も感じさせない。衣装やポスターの構成のチェックのあと、紹介してもらった時には「やあ、いいのが出来ましたね。」と笑顔を見せた。その光る衣装を着けたバレエ公演はなかなかに効果的でいい舞台となり、これら一連の仕事を通じての体験は私にとって思い出深いものとなりました。しかしそれ以上に忘れ難いのは宇野亜喜良氏と仕事が出来た事で、かってモノクロのグラビア写真のはるか向こうに存在していた謎のアーチストが目の前に立っているというのを、私は感動をもって味わいました。名刺整理のとき沢山出てきたバレエ集団ダンス・エレマンの人々と舞台関係者の名刺の束が、その時の充実感と気分の高まりを思い出させてくれました。ダンス・エレマンHPhttp://www.d-element.jp/aboutus.html
2010/10/26
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500坪の土地があったらどんな家を建てる?ときかれたらふつう、周りを緑でおおって立派な家を作る。というのが一般的な答えだろうが、劇団ひとり君は違う。「町を作って住みたい」とのこと。自転車屋や風呂屋、食堂、ホテルなんぞのある町を作り、そこに一人で住むそうだ。腹が減ったら食堂の家に行って食う、風呂屋の家で湯上りに牛乳を飲んでホテルの家で寝る。これはモダンリビング誌の特集コーナーで彼が語った話ですが、ギャグとして聞いても面白い。沢山のお笑い芸人の中でも一味違う彼の味がこんなところに出てました。 画像は対談相手の建築家・谷尻誠氏が設計した劇団ひとり氏邸「町が詰め込まれた家」です。町に住むという発想は、私も共感します。私の場合は、敷地いっぱいに様々なレトロな洋風建築の家を何棟も建て、その中心のこじんまりした自分の家に住むのです。周りは見渡す限りレトロな町なんです。ジブリの作品のセットみたいなものです。いくらいい風貌の家を建てても中からはそれを楽しめない。横にイメージの違う家が建つのは耐えられない。だから町そのものを作ってしまいたいのです。出来たら駅から家までずっと、ね。イギリスのレッチワースや渋沢栄一の描いた田園都市計画とまで大規模にはなりませんが、理想的な生活環境を創って維持するのは社会的にはなかなかに難しいものです。だから独断的に推進しするしかない。何兆円かあれば出来るでしょうね。誰かくれないかなあ。この夏には私の町内の空き地の管理問題が起こり、署名活動や組長会議でもめたりしたので、町の環境管理の難しさをつくづく感じる今日この頃です。
2010/10/24
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昼飯をとっていたら何やら外がにぎやか。表に出てみると京都御所の堺町御門に沢山の人だかり、その向こうには錦の御旗が。(うちは堺町御門前町なんです)おっと、もう始まっちゃった。今日は時代祭りだ。あわてて飯をかき込んで見に行く。母はテレビのニュースで見るからいいとのこと。すでに行列は半分過ぎて戦国時代に。中学時代の頃から見てないので、45年ぶりか。車を通すためか何度も休止し、行列はいっこうに進まない。相変わらずのんびりとした祭りだ。明治から戦国、平安までの時代に沿って進む行列の衣装や調度品などは、京都の工芸関係者が手がけるだけあって、見ごたえはあるが 鳴り物は先頭の明治維新の楽隊だけ、後は無音でだらだら歩く。いまどきの観客には耐え難いどうにも覇気のない祭りだ。なんとかならないものかね。これは明治時代に出来たイベントパレードなんだから、そろそろサウンド演出のひとつもして欲しいものだ。やっぱり京の祭りと言えば祇園祭だなあ。あれは視覚的にも聴覚的にも美術的にも見ごたえのある祭りだ。
2010/10/22
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えー「死海文書」をネット上で公開だって?死海のほとりで羊飼いが見つけた瓶の中から沢山の巻物が出てきました。これが20世紀最大の発見と言われる「死海の書」です。その古文書は古代ユダヤ教の写本で、旧訳聖書の写本も含まれていたので、現代の聖書がほぼ同じ内容で伝承されたことが証明されました。しかし同時に現在のカソリック関係者が異端や偽典とする様々な文書もあり、当時の状況を様々な視点で研究するにはきわめて重要な資料です。またこの文書はイエスも一時属していたクムラン宗団が作成したとみられ、イエスのいた時期に書かれた文書もあることから、新約聖書やイエスの解釈にも何らかの影響を及ぼすことも考えられます。特に第4洞窟から出た文書はなぜかまったく分析が進まず、バチカンも異端として認めてないところからも、なにか都合の悪いことが書かれてるのではと勘繰られたこともありました。また「銅の巻物」に記された宝物のありかも気になります。 そんな謎を漂わせるこの文書がネット公開されることで、世界中の研究者による独自の解明が期待されます。それにしてもこの貴重な資料がセロテープに貼られていてその成分によって文書が崩壊し始めているというのも驚きで、一刻も早い公開が望まれます。宗教には興味ない私ですが、聖書については昔から「歴史的」興味があり、怪しげな本を始め、いろいろと読みかじってきました。だからこのネット公開には野次馬としての血が騒ぎます。「神よ、罰当たりな人間ですみません」
2010/10/21
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先週1週間だけ自宅に帰ったので地元のイベントへも顔を出しました。帰って早々は中高生バンドコンテストの参加者への開催説明会。これはなんとか13バンドの応募があり、いよいよ開催にむけての準備が始まります。そんな中の前線離脱。他の実行委員さんに申し訳なく思いながらの作業引継ぎ。せめて広報活動だけはネットとファックスで対応させてもらうことに。次の日は地元の秋祭りで御輿を担ぎ、すっかり陽焼けしました。昔から盆踊りとか、地元の祭りなどにはとんと興味なく、最初はハッピを着るのも嫌だったのですが、やらされて見るとこれがけっこう面白くて、最後は一生懸命大声でわっしょいわっしょいとやってしまいました。新しい自分を発見したような体験でしたね。朝から酒が入ったせいかな?
2010/10/20
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さて自由になった次の日はいい天気。ベランダで日差しを浴びながら新聞を読み、コーヒーのあとでウクレレを取り出してのひととき。何度かめげたハーブ・オオタのスター・ダストを今度こそマスターするぞ。と思いながら、パソコンをいじくったり本棚の整理をしたり。仕事関係の人への退職挨拶はひととおりしたので、個人分はまあそのうちということで無期延期。とにかくだらだらと一日をすごしました。
2010/10/20
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今はもう京都で平凡な家事全般の日々が始まってますが、先週の記録を記しておきます。会社での後始末はなんとか3日間で終えました。推進中の仕事引継ぎと山ほどの書類の整理、そして関連先への連絡と挨拶。今回は一派遣社員としての退社なのでできるだけ簡略化してもらいました。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」とはマッカーサーの最後の演説ですが、まったく同感ですね。ただ彼の場合は朝鮮動乱最中の緊急解任だったので、かなりの皮肉の意味もあったようです。しかし私の場合は仕事を楽しんでいましたから、その情熱は残しながらも第一線を離脱するという感じですね。仕事の関係上、多くの建築家の先生方とお付き合い出来たし、とてつもない豪邸の仕事もあったりして面白かったのですが、その分失敗できない責任というか、緊張感はけっこうきついものでした。そんな仕事から離れるということと、沢山の仲間(逞しい女性陣たち)との別れが心残りでした。昔とは比べ物にならない厳しい社内環境に彼女たちを残して行くのは気がかりです。って言っても愚痴を聞くくらいしか出来ませんでしたが。
2010/10/20
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昨日、37年勤めた会社を退職しました。花束を手に会社のビルを出て、夜空を見上げて思いました。「自由だ」しかしこの開放感、いつまで続くかなあ。捨てた書類は積んだら2m、お会いした人の名刺700枚、消去したデータ30GB.そりゃまあ、しっかり溜め込んでましたからねえ。
2010/10/15
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