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そして新渡戸翁は「正義」について語り始めて行く。「義」、「勇」、「仁」、「礼」、「誠」の中で武士道で一番に上げられるのが「義」つまり「正義」である。ここでの翁の説明も面白い。まず翁は「義」の派生語である「義理」を取り上げて説明している。その原義は「果たすべき義務」ではなく「正義の道理」であると説いている。正しくあるべき道を指す言葉なのだ。これこそが武士道の心であり今日本が歩むべき道を示しているように思える。また、高潔で厳しい男性的な「義」に対する慈悲を意味する女性的「仁」との比較も素晴しい。そのまた引用に伊達政宗が言った「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」の言葉がこの二文字を上手く対比、表現している。「勇」とは「敵に塩を贈る」心である。それはニーチェが「汝の敵を誇りとすべし、しからば敵の成功はまた汝の成功なり」ということばからもわかるだろう。さて、「礼」に関してはこんな紹介がされている。英国の社会学者スペンサーの言葉から「優美とはもっとも無駄のない動き」だと。そこから茶道のあり方への一脈を諭している。確かに美しさには無駄はない。完璧なものこそ美しい。そこに礼があるのだ。最後に「誠」は「武士に二言はない」ことからすべてが分かっていただけるであろう。
2006.08.21
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武士道の道徳的教養は孔子の教えが源泉にあり、特に政治道徳の教えは支配者階級である侍たちに大いに受け入れられていった。孔子に続く孟子の教えもその民主性が侍気質に溶け込んでいった。しかしこのような書に偏った教えは「論語読みの論語知らず」という概念で武士階級には捉えられており、中世を経た江戸時代の侍たちの間ではむしろ王陽明の示す「知行合一」が武士の道であると理解されている。この辺りをソクラテスの言及や新約聖書と王陽明学の著書との比較、さらにフランスの学者ド・ラ・マズリエールの引用で翁は解説していく。翁独特の外の目で内を語る手法は非常に興味深く面白い。マズリエール曰く「十六世紀半ばの日本では、政治も社会も宗教も、すべてが混乱していた。だが、あまたの内乱で作法が野蛮時代にへと戻るや、それぞれが独力で正義を遂行する必要性が出てくると、テーヌ(フランスの哲学者)が『精力的な主導力、素早い決断力、大いなる実行力と忍耐力』と褒め称えた十六世紀のイタリア人に勝るとも劣らない人々が、日本でも生まれたのである。」なんとも力強い言葉であろうか。当時の日本社会が西洋と比べてそん色ない成熟期に達していたことを物語っている。
2006.08.18
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そんな列強強国の仲間入りを果たし、帝国主義が世界的にもそして日本国内でも加速度的に進んだ当時の世界の中で一番成長率の高かった日本に世界が注目しないではいなかった。しかし、そういった西洋社会を知る日本人、新渡戸稲造翁には、逆に彼らの視線で見たときの日本がいかに理解不能な社会・国家であるかということを重々身をもって体験していたはずだ。そんな翁が「武士道」を日本の理解の為に書いたとしてもまったく不思議ではなく、ある意味でそれが彼の「天命」であったとすら言えるだろう。彼は序文でそれまで日本紹介文を海外で出してきた多くの西洋人に触れている。そして彼らが日本の代理人もしくは弁護人的立場でしか日本を紹介していない点を突いている。そして自らを「被告人」の立場から日本を語れると述べている。ただし、翁はただの被告人ではない。彼自身が西洋文化の代理人もしくは弁護人になりえる才覚をもった被告人なのだ。翁は序文の中で続けている「私は、この小論全体を通して、どんな論点についても、ヨーロッパの歴史や文学から、それに相当する例をあげて説明することにした。こうすることで、外国人の読者により身近なものとして理解してもらえると思ったからである。」と述べている。こういった視点で日本社会・文化を今から百年以上も前にしかも武士道と言う概念を総括して纏め上げた新渡戸稲造翁の偉大さに改めて感銘を受けないではいられない。そしてこの視点こそが本書の一番の強さであり、世界的ベストセラーとなりえた源泉である。予断だがそれから百年以上がたち数多の日本文学の名作が書かれても世界的ベストセラーとなりえぬ理由がここに示されている。兵法の教え「敵を知り己を知れば百選危うからず」をふと思い出したくなるような思いである。
2006.08.14
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さて、近代日本においてその時代性、時代先見性が大いに光るのがブログでも何度も書いてきた白洲次郎氏である。彼の言葉が近年また注目されるようになったのは先日の「プリンシプルのない日本を読んで」にも書いた通りだ。その敬愛すべき次郎さんが生まれたのが確か1902年である。本書はその3年前の1899年に初版が発行され最初の日本語訳が出たのは1908年だそうだ。この間日露戦争での日本の勝利が世界からの注目度を大いに高めることになる。そんな時代背景の中アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、ノルウェーそして中国でも発行された原書は当時の世界的大ベストセラーで、その翻訳本はおそらく日本におけるインテリ層でも大いに読まれたであろう。実は本書の第一章は「高き身分の者に伴う義務」という項で始まるのだが、そこに上記白洲次郎さんがいつも口にしていた「ノーブレス・オブリージュ」の言葉が使われている。おそらく本書は次郎さんの愛読書の一つであったのだろう。ちなみにこの言葉は「武士の掟」との対象として用いられており、武士道の真髄をここに求めていた。新渡戸稲造翁の教えが白洲次郎さんへ受けつがれていたことも大いに興味のあるところである。今回本書を読み始めた動機の一つが次郎さんの言葉の中に武士道という言葉が使われていたことも、もしかすると潜在意識の中にしっかりと刻まれていたように思える次第だ。
2006.08.11
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さて本書の解説にも詳しく載っているのだが、新渡戸稲造翁はあの「少年よ大志を抱け!」のクラーク博士が訪れた札幌農学校(現北海道大学)へ博士が帰国した翌年から入学している。博士の残した「人格教育」を受け継ぎ実践した一番いい例が新渡戸翁だったのかもしれない。とはいえ彼の才覚は早くから芽生えていた。江戸時代に生まれ、明治維新時代を幼少で過ごし、9歳で盛岡から上京、13歳で東京英語学校に入学。その翌年書いた英作文が1876年のアメリカ独立百周年記念で展示されたというのだから驚かされる。 彼はその後プロテスタントとなりジョンズ・ホプキンス大学で学ぶ一方クェーカー教会に通い、ここでであったメリー・エルキントンと結婚することになる。後にはドイツのボン大学で勉強もしている。色んな意味で新渡戸翁は破格の国際人でもあった。また余りある社会教養の持ち主でもあった。本書の中で何度と取り上げられる日本文化と西洋文化の比較において翁の西洋社会への理解度、教養度が余りあるほど示されている。キリスト教に関する知識はもとより、マルクス、ニーチェ、ソクラテス、シェークスピア、アダムスミス、ジョンロック、ビスマルク、チャーチル、孔子、孟子などなど、歴史的人物の多くに始まり、18世紀、19世紀を通しての社会学者、人文学者、詩人、作家の多くが比較文化の対象として言及されている。これほど教養に満ちた本を探すだけでも苦労するのではないだろうか。翁の時代感覚、文化の理解度は超越しているのだ。
2006.08.07
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新渡戸稲造のことはかなり昔から知っていた。おそらく二十年位前に彼の縁の地カナダのビクトリア大学で聞いたのが最初だった。1933年バンフで行われていた会議に出席した彼は病床に倒れビクトリアのジュビリーホスピタルで亡くなる訳だが、そんな由縁もあって彼の出身地盛岡とビクトリアは姉妹都市として多くの交流を持っている。また彼の足跡の記念としてカナダでも屈指の名門校であるバンクーバー大学構内には新渡戸稲造記念庭園が設けられてもいる。そんな彼が「太平洋の架け橋」となるべく日本文化を紹介する基本を「武士道」に求め、それまで武士の間そして日本国民の間で語り継がれてきた武士道を一つに纏めたのが本書である。正確に言うと本書は1899年に彼の流暢な英語で書かれ、近年日本語現代訳として出版されたものである。そんな本書からいくつかの素晴しい言葉や思想をご紹介してみたい。
2006.08.04
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