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漢文は082の苦手中の苦手分野、それでも師の教えには聞く耳を持っている。先日話に出たのがこの言葉「巧言令色鮮し仁」。その前半分を今日のタイトルにしてみた。言葉の意味はこちらをご参照あれ。巧言令色というと政治を家の言葉を直ぐ思い浮かべる。しかし今年になって、ライブドアや村上ファンドで揺れた証券市場のメディアやブログでよくこの言葉が使われるようになった。最近経営関連の仕事が多い。経営者の言葉もいともすると巧言令色になりがちだ。粉飾決算とまでは行かなくてもどうしても悪い話しを後に回し、いい話しを先に話したくなる。しかし投資家にとって会社の経営者に一番話して欲しいのは悪いニュースだろう。いいニュースなら多少連絡が遅れても許されるが悪いニュースは待った無しなのだ。そんな経営の基本を忠実に守る経営者がちゃんと評価される市場で会って欲しいと願わないではいられない今日この頃である。
2006.10.30
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北米に暮らしていて一番楽しい時間は、ハードウェアショップ内で道具や材料を探しに行くときかもしれない。Home Depotが出来てからはその楽しみもいっそう広がったように思える。実はブラックアンドデッカーの電動道具を一通り買い揃えたのがもう16年も前のこと。もうだいぶ古くなった道具たちだけれど、その殆どが今でも現役で活躍してくれている。当時はよく早く帰宅した夜や週末の時間を使って色んな家具を作ったり、家周りを直したりしたものだ。金融業界で働いていた当時、道具を手にすると不思議と仕事のいやなことを忘れることが出来た。一方金融工学やデリバティブのリスクマネジメントを通じ、仕事の上でも「道具」はよく使っていた。仕事で使う道具とはいわゆる状況判断に役立つツールということだろう。そんな道具の話しを少ししてみたい。仕事の上での道具に関してはよく、若い社員から「どういう道具を使うのか」と聞かれることが多い。正直言うと卒業間もない彼らの方が「道具の種類については詳しいだろう」そんな思いで話すことがよくあった。仕事は速くこなした方がいいのは間違いない。だからもし木を切る仕事があるなら電動鋸があるほうが手鋸でギコギコやるよりも早いのは当然だろう。ただし切る材料を手にして切り方を学ぶなら手鋸の方がいい場合もある。その時々の状況に応じた道具の選び方といったこともあるのだろう。最近また株式評価の為のツールについて話しをした。株価判断には色んなツールがある。PBR、ROE、PERなどなどその手法や数値の多さに面食らって株式に手を出せない人も多いのではないだろうか。ただし業種、企業の成長度、市場や経済の状況によっても同じ指標が違う意味を持つことが普通なのだ。だから決まった法則はない。結局その時々で必要なツールを使いこなしたり選んだりできる能力は身に付けなければならない。その為に本当に必要なことはだれかに道具を与えてもらったり、選んでもらったりすることではなく、自分で探したり、使って見ることだというのは明らかだろう。
2006.10.23
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マルコム・グラッドウェルの著書のタイトルで、彼によれば 「あるアイディアや流行もしくは社会的行動が、敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間」と提議されている。最近の日本社会を見ているとよくこの言葉を思い出す。地方自治体内繰り返される汚職、飲酒運転、学校での虐め、必須科目の履修不足なども同じだろう。これらは全て以前から存在していたのになぜか最近よく話題になる社会問題だ。こう言った問題がティッピングポイントを越えた瞬間に皆今までは知らなかったように話し出す。そのことに戸惑いを覚えるのは自然なことだろう。082の言葉で以前語ったのが「相対性と絶対性 」。なぜ絶対的に良かったり、悪かったりすることを、相対的にしか評価できないのか。つまりティッピングポイントを超えようと越えまいとい良いのは良く、悪いものは悪いのだ。もう少しいうとティッピングピントを越えた瞬間に「今まで許されていたことが許されなくなる」のは本当に正しいことなのだろうか。越えるまでの価値観を100%否定する権利は誰が与えたのだろう。その逆で越える前まで否定しつづけられ、あんなに苦労したり虐げられてきた人はいったいなんだったんだろう。どうしてもっともっと早くに行動を起こすことが出来なかったのだろうかとも思う。ティッピングポイントが作り出すバイナリ-の世界に対してどうも違和感を覚えてしまうのは082だけなのだろうか。
2006.10.16
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19世紀の終り近くに書かれた原書「Bushido」はこの翻訳本の解説でも書かれているようにその副題が「The Spirit of the Samurai」となっている。これは当時まだ世界から理解されていない、いやその情報すらも殆どなかった日本という国の世界への紹介本という位置付けもできる。しかし一般的な紹介本ではなくその「Spirit」つまり「魂」という不変はところを伝えたいといった翁の強い気持が込められている。まだまだ偏見と差別で覆われた日本人と日本文化に対する西洋社会に対し、俺達の文化は西洋に勝るとも劣らない確りとしたものだと言わんばかりの厚い気持ちが伝わってくる。またそれを実証すべく武士道の考えを多くの西洋思想と対比することでより分かりやすく書かれている。一方でそれは明治維新という日本史の中でも恐らく最大のパラダイムシフトを生き抜いた男が自分たちのアイデンティティーを失いかけた自分たち自身に魂を蘇らそうと熱く語り掛ける本でもある。1930年代に入ると国の帝国主義の道具として利用ることもあった「武士道」が戦後のアメリカ主導の新たなパラダイムシフトの後、20世紀後半を通して作り上げられた「魂」なき日本経済がバブル崩壊というショック療法でまた己を探求しだした国民からまた求められているのは全く偶然ではないだろう。21世紀という新しい時代の中で、僕たちが求める指針となるべく夜空に燦然と輝く北斗七星のように光っている。ただ、「武士道」はまだ思想や宗教という完成形を迎えてはいないのではないだろうか。しかしそこにある日本人魂は本物だ。その心と魂をこれから育て上げることは現代そして未来に生きる僕たちの勤めではないだろうか。そんな強き思いを感じさせられた名著である。
2006.10.09
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「名誉」と言う言葉は良くも悪くも武士道の中心にある。名誉があるから救われることは世の中の常であろう。しかしその為に失うものもあるのだ。また小さな名誉の為に大儀を見失うのも悲しいことだろう。このあたりは孟子の「些細なことで怒るようでは君子に値しない。大儀の為に怒ってこそ正当な怒りである。」といったことばに集約されている。一般的には「武士は喰わねど高楊枝」といっているが「何よりも金銭を惜しんでならない。富は知恵を妨げる」と言った考えは原題でも日本人の心の中に脈々と続いている。このことがある意味で経営学の進歩を妨げているのは間違った武士道の教えと言わざる負えないだろう。この考えはまた武士道が己よりも公を重んじることに合い通じる考えではないだろうか。その為に己の家族の犠牲のもと会社や周りの人々のことを重んじるが如くの行いが良しとされる帰来が多々あるだろう。しかしそう言った行為は例えば「考」と言う武士道でも大切な教えと相反する場合が多々あるのだ。己の一番近くに居る人たちを幸せに出来なくて、どうして回りの人々を幸せにできるのだろうか。一族一体と言った前提で回りの人たちの個を尊ばないのは武士道の欠如するところではないだろうか。話は少し横にそれたが「名誉」と言う言葉の為に間違った行動は多く行なわれてきた。簡単に言えば「切腹」の世界の話だろう。本当に名誉の為の自己選択に夜死はありえるのだろうか。武士道は品格を大いに大切にしている。品格のある人間が「切腹」するのは本当に品格のある行為なのだろうか。名誉があまりにも重んじられたお蔭でその他の大切な部分を切り捨ててはいないだろうか。そんな思いを起さずにはおれない思いが募る。もしかすると「武士道」とはまだ完結されていない思想ないのではないだろうか。
2006.10.02
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