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2022年10月02日
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カテゴリ: 訃報、消息
 ​2022年10月1日、元プロレスラーで参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)氏が死去した。享年79歳。神奈川県横浜市出身。
 異常タンパク質が臓器に沈着して機能障害を起こす難病「全身性アミロイドーシス」で闘病していた。​
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 最後のテレビ出演は2022年8月28日の日本テレビ「24時間テレビ」。生出演し、嵐の二宮が押す車いすで国技館のステージに登場した。現役時代に数々の名勝負を繰り広げた思い出の地。「元気ですかー!元気があればなんでもできる!」と声を絞り出した。
 1998年4月4日の引退試合で披露した詩「道」を読み上げ、最後は「1、2、3、ダァーーッ!!」と拳を突き上げて締めくくった。
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アントニオ猪木さんを追悼
「足のつま先から指先まで筋肉が闘魂を語っていた」
スポーツ報知 2022年10月1日 16時9分
 元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日朝、都内の自宅で亡くなったことが分かった。79歳だった。
 元テレビ朝日アナウンサーで、1969年7月の日本プロレス中継から70年代後半まで新日本プロレス中継「ワールドプロレスリング」で実況を担当した舟橋慶一さん(84)は、9月17日に猪木さんの自宅を訪問したという。
 「面会の約束は、15分か20分ぐらいって言ったんですけど、昔の話になったらお互いに止まらなくなって、40分ぐらいしゃべりました。猪木さんは、しゃべるのもつらそうでしたけど、僕が猪木さんを昔の話で笑わせて、一緒になって笑ってさ」と明かした。
 それから2週間後の訃報に「本当に参っちゃったよ。何って言って良いのかわからない」と絶句した。
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 舟橋さんは日本プロレス時代のドリー・ファンク・ジュニア戦、新日本プロレスではストロング小林、大木金太郎の日本人対決、ビル・ロビンソンとの伝説の60分フルタイム戦、タイガー・ジェット・シンとの死闘、スタン・ハンセンとの激闘と全盛期の猪木さんの歴史的な決戦を実況した。さらに猪木さんのキャッチフレーズをそれまでの「燃ゆる闘魂」から「燃える闘魂」へ表現したアナウンサーとしてファンの間では知られている。
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 「思い出ばかりで、どの試合が一番だったかなんて言えない。僕は猪木さんになって、しゃべっていました。あんな素晴らしい方はいません。つま先から手の指先まで筋肉が闘魂を語っていました。猪木さんは、言葉で語るんじゃなくて全身で語るんです。例えば、タイガー・ジェット・シンを卍固めで決めた時の形相。目の鋭さ。首筋、肩から背中の筋肉の盛り上がり。足は鶴のように巻き付き…まさに芸術でした。私はその猪木さんの躍動感を見て『アントニオ猪木』になりきってしゃべっていたんです」
 その躍動感の裏側を舟橋さんは「練習から来ている。すごいすごい練習量でした。あれほど練習したレスラーは僕は見たことがありません」と証言した。
  ―  引用終り  ―
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 新日本プロレス旗揚げ以降、アントニオ猪木と歩みを共にした藤波辰爾は、弟子であり最も重要なパートナー。
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弟子の藤波辰爾がしのぶ 言葉を詰まらせ…
2022年10月1日 スポニチアネックス
  …  (略)  …
 アントニオ猪木に憧れプロレスラーを目指した藤波は16歳で日本プロレスに入門し、1971年12月に退団。翌年3月6日、猪木さんが創設した新日本プロレス旗揚げ戦(大田区体育館)に参加した。猪木さんの付き人を務め、80年代のプロレス黄金期に活躍。猪木さんのプロレスに対する姿勢が印象深いとし「厳しい目つきが忘れられない。師匠でもあり、親でもあった。常に何かをしようというのが、側にいて分かった」と述懐する。猪木さんとはシングルでの対戦もあったが、1988年8・8横浜大会での60分フルタイムの死闘が「一番の思い出」という。
 猪木さんの印象は「まさに闘魂そのもの。常にリングだけでなく社会と戦っていた。ファン、国民に元気を与えることだけ考えていた」。見舞いの際に最後にかけられた言葉は「元気ですか~」だったという。プロレス界最大のスターの旅立ちに「今はゆっくりされているのかな。ゆっくりしてください」と故人をしのんだ。
  ―  引用終り  ―
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 アントニオ猪木と新日本プロレスを現実社会に適応させたパートナーとして最重要な人物は、新間寿氏。
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【猪木さん死去】
長年再会叶わず無念
2022/10/1 日刊スポーツ
  …  (略)  …
 猪木さんらとともに東京プロレスを設立し、新日本プロレスの隆盛を築いた新間寿氏(87)が、猪木さんの訃報に接し「あの人と過ごした何十年という人生はいまだに誇りに思っているよ。絶対に忘れない」と思いを語った。
 新間氏は72年に新日本入社後、猪木さんの右腕として活躍し、76年のムハマド・アリ戦を始め数々のビッグマッチを手がけ、「過激な仕掛け人」と呼ばれた。猪木さんが89年に立ち上げたスポーツ平和党の幹事長を務めたものの、その後は袂を分かつなど、決して単純な関係性ではなかった。
 「『猪木寛至』さんとは、とっくの昔に分かれたと思っていたけど『アントニオ猪木』という人は私にとっては永遠の人。南十字星であり、北極星。いつまでもいつまでも光り輝いている。男の進むべき道を、女の優しさを、リングの中で身をもって発信し続けたのがアントニオ猪木だったね。喜びと希望だったよ」と懐古。「多くの人の心にアントニオ猪木という名前は生き続けていくよね」と、今後も希望であり続けるとした。
  ―  引用終り  ―





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最終更新日  2022年10月02日 06時00分09秒コメント(0) | コメントを書く
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