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2023年02月16日
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テーマ: ホンダ(45)
カテゴリ: 自動車
 藤沢武夫とホンダの創業者である本田宗一郎が初めて出会ったのは、本田技研工業株式会社を創立したおよそ1年後で、「ドリームD型」というバイクを発売したすぐ後。
 2人は対面してすぐに意気投合。どちらもお互いに持っていないものを持っていると感じたとされる。藤沢武夫と本田宗一郎は、性格から仕事における得意な領域についてもまるで違っていました。藤沢武夫が38歳、本田宗一郎が42歳の頃のことだ。
 技術者・本田宗一郎、経営者・藤沢武夫の、互いが互いを補い合うようにタッグを組み、バイク屋から世界的な大企業となった本田技研工業の発展をささえていった。
 藤沢氏は、「ホンダの社長は、技術畑出身であるべき。」という言葉を残した。
 ホンダでは、初代の本田宗一郎から現職の9代目の三部敏宏に至るまで、歴代の社長全員が技術畑出身。
     ​
ホンダ共同創業者、米「車の殿堂」入り
=7月にデトロイトで式典
2023年2月11日 時事通信 
 自動車業界で顕著な功績を挙げた人をたたえる米国の「自動車の殿堂」に、ホンダ共同創業者の故藤沢武夫氏が加わることが決まった。運営団体が10日、発表した。7月にミシガン州デトロイトで式典が開かれ、殿堂に加えられる。
 運営団体は藤沢氏について、「マーケティングの知識や秀でた事業センス」などを持ち、1989年に日本人として初めて殿堂入りした創業者、故本田宗一郎氏とは「完璧なコンビ」だったと紹介。功績の一つとして、ホンダ初の海外子会社を米国で設立したことを取り上げた。
  ―  引用終り  ―

 米国・自動車殿堂(Automotive Hall of Fame)は、1939年に設立された、米国ミシガン州・ディアフィールドにある自動車と自動車産業に関する殿堂。
 本田宗一郎氏は日本人として初めて、1989年に殿堂入りした。
 続く日本人は、
1994年の 豊田英二氏(トヨタ自動車)。
 以下、 1997年 田口玄一、 1998年 片山豊、 2004年 梁瀬次郎 2006年 石橋正二郎、
豊田章一郎、 2018年 豊田喜一郎。
     ​
Automotive Hall of Fame
公式サイト





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最終更新日  2023年02月16日 06時00分09秒
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