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「人の一生は重荷を負いて遠き道をゆくが如し、いそぐべからず、不自由を常とおもえば不足なし、こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし、…」 時を超えて、なお伝えられるメッセージに、時代や環境が違っても人が辿る道に差違はないのだなと思いました。 そして肉体が滅んでも伝えられるものは繋がっていくと見せられたような気がしています。
2009.06.18
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私が出家を決めた20代、両親は反対していました。もう少し丁寧に言うと、賛成反対以前の不可解な領域だったかもしれません。 さて、久しぶりに昔の友人に会いました。彼女は同じ信仰を持つ方と結婚して、向かう方向が一つである生活の安心感を話してくれました。そしてポロリとこぼします。 「教会の仕事だけでなく家庭も顧みてねと言ってあるの。」 と。 その時ふと信仰にも自分の人生の幸福と全体の幸福とあると思いました。全体として生きるほどに、"個"の場や時が減っていくように思います。それがそうしなければいけないからでもなく、自然とそうなることでしょう。 私は性分として、家庭だけで生きていくことは私を殺すことのような気がします。人が人を開放してなお仲良く暮らしていけないでしょうか。それでは寂しいでしょうか。さあどこまで出来るでしょう。帰ったらまた共同生活が待っています。 いろんな生き方があるなあと改めて思った一時でした。
2009.06.17
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雨が降っています。 一年の壁を越えて少し心にゆとりが生まれたでしょうか。晴れた日は晴を、雨の日には雨をどのくらい楽しめているかバロメーターのような気がします。 一年経っても変わらないものは変わらないなと愚痴をこぼしそうになった時です。 「悩みは、死するまで付き纏う善知識だと思います。解決するのではなく、苦の持つ生命を深く味わう事から妙光を頂けるものだと思われます。」 とどこまでも前向き積極的に向かうお言葉を頂きました。 まだまだ天を仰いで、あーあと呟く私がいたようです。 さて梅雨はどこまで来ていることでしょう。現成の公案はいくらでもあり、毎日が私を映し出しています。
2009.06.08
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一年のまとめをしながらこの一カ月を暮らすとは、そんなことを考えながら片付けをしていたら繕いものを見つけました。 縫っても縫ってもぼろぼろになる、脚絆に手甲。僧堂時代には足袋を履いて托鉢していましたが、その当時は破れた足袋を繕うことが新鮮で感心させられました。一度手をかけると縫い目はひどくても愛着がわくもので、またその時の感覚が蘇って来ました。私にも出来るじゃないかと出来映えを眺めながら、夢中になって時を忘れます。 ささやかなことに目を留めることが増えたかもしれません。そんな時はとても穏やかです。 さて動中の工夫、静中の工夫といわれますが、いかがでしょうか。
2009.06.07
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片付けをしていたらあちこちのしおりが出て来ました。 行った場所、過ぎてきた季節、よぎった思いと様々なものが流れます。それらが点描の一つとなって今を構成しているような気がします。 この旅が私だけのものではなく、皆さんの財産となるように、そんな工夫が残されています。お返し、の生き方は?と気づいたばかりです。それは人間誰しもの課題ではないでしょうか。 そんなことを考えながら、残り僅かな一日の始まりを迎えました。
2009.06.03
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ようやく、一年の壁を越えました。 何が変わったのか、何が残ったのか自分ではよくわかりません。いつもと同じように日が昇り1日が始まります。 修行とは空中に文字を書くようなものだと、かつて老僧は仰いました。 しかし帰る日の待ち遠しいこと。沢山の出会いに励まされたことは忘れることが出来ません。めげそうな時にまたそんな声が届きます。 あと50日もありましょうか。落ち着いて、貴重な日々を味わおうと思います。
2009.06.01
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