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「僕の人生、失敗でした。」 Aさんが呟いていたと、そう初めて昨夜聞きました。「でもねー、失敗と言ってしまえば俺も全部失敗。」とBさん。 確かに、それは自分の中に理想の人生が描かれていて、その通りに行かないことからくる、失敗でしょう。人生に失敗も成功もなく、ただ今その人生が己の人生としか言えないでしょう。 Aさんの愚痴をじっくり聞いたのは初めてかもしれません。会社でも今まで弱みを見せられなかったと語ってくれました。 30代半ばまで仕事が決まらない男性もよく里を訪れます。それまで人間関係で失敗して職を点々としてきた人や、リストラにあってしまった人、事情でやめてしまった人と様々です。 始めはお坊さんになろうと思ってやってきたけれど、まずは娑婆での是までのことを清算してから、と働いているうちに、やっぱり自分は無理だなあと自覚する人もいます。 それに対して私自身は「大丈夫ですよ。」とは言いません。そうなんだなあと思います。それでいいと思っています。どんな人生であれ自分の器、分相応にあったところが一番生きていきやすいでしょう。 全く情けない自分、かっこよく生きることができない自分、理想に近づけない自分、それでいいのではないでしょうか。自分はこの程度だと知るところからが本当のスタートだと思います。 そんな今の自分を受け止める瞬間は、ふっと涙を誘われます。僧として、しかし内心は嬉しいところです。背伸びもやめて、卑下することもやめて、ちょうど自分とピッタリ一つになれるところは、誰もに願うところです。 さりとて、現実の問題は待ったなしです。自分の程度を知ったところで、やっぱり働いて生きていかなければならないのが事実。「生きているだけで、大変ですね。」 Aさんがまたぽろりとこぼされました。 先日まで来ていた20代の男性は「生きていくことの不安がふっと襲ってくる。」とこぼしていました。彼は彼なりの焦りがあり、とにかく自分の力を試すためにアルバイトの近所にアパートを借りて出て行きました。 里にしばらく住んでいたほうが家賃や食費もろもろ考えると安くて、しばらくは支度金が貯まるくらいまでここにいたほうがいいとも思うのですが、共同生活も大変なのかもしれません。 旅に出たりしても、最初の計画よりは早く切り上げて帰ってきたりする彼です。やっぱり自分の計画であっても全うする前にやめてしまっては、それが重なると、知らないうちに自信を失っていて、生きることへの不安にも繋がっているのではないかなあと、このところ思います。体は頑強で心は優しく、生きていくことには困らなそうに見えるのですが。ただ黙って見守るばかりです。 皆の幸せを願っています。 どんな生き方がその人にとっての幸せなのか、理解したいなあと思います。
2009.10.30
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2009.10.29
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お向かいの愛宕の山はまだ紅葉がきれいです。「どこかに出かけなくてここで眺められる!」と大喜びのスマコさん。もうすぐ80歳のおばあさんです。 いつも皆と一緒に朝の五時から坐禅をなさり、お粥を頂きます。先日お粥の時間になっても食堂にいらっしゃらないので心配してお部屋にうかがってみたらちょうどお薬を飲みに行こうと準備されていました。聞けば、昨日の夕方から頭が痛くて、昨晩は一睡も出来なかったとのこと。「頭を押さえてじっとしていたんですけれど、どうにもなりませんから、鉢巻を締めて休みました。」とスマコさん。気づいてあげられなくて悪かったなあと私も少ししょんぼりです。 後でバファリンをあげようとしたら、薬の好きでない方が反対したのですが、とりあえず一睡も出来ないほどだからと、飲んでいただきました。 しばらくして「すっきりしました。」とニコニコ顔のスマコさんが現れました。もうなんともないと動いておられます。少し安静にされたらと思いますが、毎日やることはやらないと気がすまない、と日課にされている坂道の上り下りの運動に歩かれました。 ある日に現れた頭痛とは別に、恒常的にやってくる肉体の衰えに対しての心配、使わないと動かなくなるという気持ちといつもたたかって生きておられるんだなあと改めて思いました。ひしひしと迫ってくる、死というもの、老いというものを自分の身に置いてみると、私自身はまだのん気に暮らしておりました。こんなことを感じさせていただくのも、共同生活の良さのような気がします。 朝8時。作務開始です。このところ里ではマラソンが流行しています。いつのまにか近所をぐるっと回って体を温めてから作業に入るようになりました。私は後ろ姿をお見送りです~
2009.10.29
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今日の作務は屋根に上って落葉松の葉を掃き落とすことでした。 Oさんも3日間の休養を終えてまた作務に参加します。 前回の屋根の上掃除は恐がって遠慮気味でした。そこに別のお坊さんがやって見せたので、真似してそっと屋根に繰り出すことができました。そこは小学生が夏に布団を干してお昼寝していたところです。それほど傾斜はないのですが、やったことがなくて、緊張したようです。でも今日は一度経験しているので、にこにこ進んでいきました。「このまえ半強制的にマラソンをやって辛かったのですが、やってみたら駄目なことなくて、何も考えなくなってすっきりしました。良かったです。体が教えてくれました。」と。そこでヨットスクールの話を持ち出してみました。「もっとすごいところはね、海の真ん中に連れて行って、ヨットで自力で帰ってこさせるんだよ。でも、それぞれ無我夢中になって頑張るんだ。」と。 この三日間、自分の自由に暮らしてみて感じたことは、空しいなあということだったそうです。昔好きだったことを思い出して賭けマージャンに行ってきたというのでびっくりしました。でも空気は悪いしつまらないしで、ほとほと帰ってきたそうです。「なんかもやもやして言いたい事を言いあらわせないのですが。こんなもやもやも受け入れなくちゃいけないなあと思うようにしています。途中で、ああ今なにやってもいいんだなあと気づきましたが、結局車の中でぼーっとしたりして、何もしないことが好きなんだなあと思いました。そして里でただ暮らしているだけで、何にもなくてもそれでいい、住んでいるだけでそれが大切なんだなあと思いました。またよろしくお願いします。」と丁寧に合掌されました。 これからまだまだ降り注ぐ落葉松に、空しいといってしまえばお掃除出来ません。やがて死ぬのに空しいといってしまえば、生きていけません。はかないからこそ美しい、永遠でないからこそ頑張れる、そんな言葉は届くでしょうか。 でも、とりあえず、足の屈伸をして今日もマラソンに繰り出して行きました。
2009.10.25
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2009.10.24
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最近ちょっと疲れ気味のOさん。大きな声を出す練習をしたり新しい料理の分野に挑戦したりして頑張りすぎたようです。坐禅の姿にも肩に力が入っていて緊張が抜けません。「しばらく作務休ませてください。」と休養に入りました。すかさずYくん。「Oさん、精神的疲労はどうですか。どんなことを考えちゃうんですか。」とストレートに話しかけます。悪気がないので周りも笑ってしまいます。物まねの上手なYくんに「今日も元気だねー。」とOさんはつくづく感心しておりました。 そのYくんはお習字の時間に大きな半紙に好きな女の子の名前を練習して、秋の一枚にしました。いまのところ好調のようです。 さて畑をはさんだ里のお向かいの愛宕山は今が一番の色づきです。遠くの山よりも遅い、最後の花の賑わいを見せてくれます。見るものの心は変わっても同じ光景を見せてくれる自然に感謝です。「花は散っても 花散らず」そんな言葉を思い出します。 散る花と散らない花、とは一体なんでしょう。 散ってもなくならない花はなんでしょう。 どんな失敗をしてもどんなに行き詰っても、存在そのものが否定されているわけでは決してないでしょう。もっと奥のところ、、いのちの源といいましょうか、絶対的に肯定される、決して朽ちないその奥があります。その部分を信じてほしいと願っています。 いや、本当は誰だって知っている、いのちは知っていると思います。言いようがないので仏と呼び、衆生本来仏なりと申しますが、ただ気づいていないだけといいましょうか。 また今年もストーブの前に陣取る猫の寝姿にやっぱりいのちは知っているんだよなあとおかしくなります。 僧として仏教を通じて、私が会うことのないこれからの人類につながっていくよう日常が繰り広げられています。
2009.10.23
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最近一気に読んでしまったのは『羆撃ち』の一冊です。夏に和尚様が読まれてから、急いで、大草原の少女みゆきちゃんのDVDも購入して見させていただきました。 お父様の代を受継いで小さい頃から憧れていた狩猟生活に賭けた著者。度々「狩猟を職業としてやっていくことを決意した」ことが書かれておりました。幾種もの動物と対峙しながらも、一番の大物は羆。その命がけの戦いと、そこに挑む極寒のテント生活を体験者しか書けないところから描写してありました。 そして、また憧れだった自分が育てた猟犬との羆撃ち。そしてアメリカに渡って自分の力を試すべく学校に入門して学ぶ日々。そして最後は猟犬フチとの別れ。 どんなときにも、自分は狩猟で食べていくということが根底に流れていて、アメリカに渡る費用も狩猟によって用意しておられました。 ふと、あ、私も托鉢で食べさせていただいている身なんだあと、立っている場所は違うものの何か共通のものも感じました。 自分の夢を叶えようと前に向かいながら、また人生に流れ来るものに反応して生きていく著書。そうしてまたDVDの小さな少女に対する厳しい教育も納得できるものがありました。 食べていくことに追われたくない、それが私が生きていく中でお坊さんを選ぶ前に感じていたことでした。 著者はアメリカで自分の力を試し終わってから再度渡米せずに牧場での酪農の生活に移っていきます。そして牛を飼うことで食べていけるにも関わらず時々狩猟をしたりして、狩猟のみだった頃よりも欲が出ているとぽろりとこぼしていました。草刈や牧場を維持していくことに急がしそうでもありました。 そんなに自分を責めることでもないように感じましたが、自分のことは自分が一番知っていると思います。 今は最初の思い通り托鉢で生活させていただいている私ですが、これからどのように変容していくのでしょう。しかし行を基本に据えていきたい、私の中から托鉢をとってしまったらお坊さんとしての私自身は、中心がずれてしまうような気がしています。
2009.10.22
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しばらく托鉢に出かけて帰ってみたら、庭に見せ滝が出来ておりました。 あまり使っていなかったほんの十段ほどの枕木の階段を壊して、水の流れているような滝ができるでしょうか、それが出かけられている和尚様からの課題でした。「精一杯やってみなさい。そしてもっといいようにするには一気に壊すからな。」と仰って。 留守を守っていた仲間が完成させたようです。急流のところはどんな工夫をして水に見せるか、ホームセンターに行って一緒に思案したところで私は托鉢に出発しました。 やわらかい下地に白いセメントを塗って、軽石を埋め込み、最後は砂をまいたようでした。ちらちらと光る水面に似せて、アルミの細いチェーンも見えます。そこにちょうど季節の落葉がいい味をかもし出しておりました。 旅の途中で読んだ本の中に「人生はジェットコースターみたいなものだ。」という一節がありました。自分で操作していると思うとはらはらしてその緊張感やスリルを思う存分楽しめることが出来ないでしょう。運転しているのが自分以外のものと開け放しているときこそ味わえるだろう、と。 なるほどなあと思います。 庭を創りながら「どこまで触るのが人工的なのか。自然のままに残しつつしかし居心地のいいところはどこなのか。」そんな問いがちらちらと聞こえておりました。 天の声を聞きつつ、しかし人間が行動するということ。考えてしまうととても難しいなあと思わされました。
2009.10.20
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本屋さんで立ち寄ったときにこの里が目に留まったというお客様がいらっしゃいました。何か救いを求めて探しておられたのでしょう。旅の人が対象の本に掲載されている記事がご縁のようです。それは遠いところから500キロ以上も車を走らせて一心にこられました。 自分の問題を抱えてたどり着いてみたものの、里には和尚様がいらっしゃいませんでした。今は若いお坊さんだけで留守を守っています。「ただ住職に会いたかった。」と落胆を隠せないお客様。そうそう簡単に出直せる距離でありません。一服お茶を飲まれて勧められるまま禅堂へと行かれました。 悩みの大きな種はご家庭の崩壊のご様子。若い者に恥をさらけ出せないとしばらくは何も仰いませんでしたが、夜ぽつぽつとお話してくださいました。お客様の中で結論は出ているのですが、あと一歩後ろから押して欲しかったようなそんな感じを受けました。何もかも分かっておられます。 どんな行動に出ても過去は取り返せないことを。一見自己満足するような動きをとっても最終的に自分がみじめになってしまうことを。そしていずれ受け入れてしまうご自分のやさしさを。 話してしまってから近くの温泉に行かれてぐっすりおやすみになったようです。こちらが何の答えも出さなくともだいぶ落ち着かれたようでした。 自分たちにとって、私自身にとってどこよりも豊かなこの場所で、もうこれ以上ない幸せを頂いて楽しい毎日です。そしてここを訪ねてこられること、和尚様に会われること、それは絶対の自信を持ってお勧めであり、誇りです。といってその幸せや豊かさはまた感じる心一つですから、伝わるのかどうかわかりません。やっぱり実際に和尚様に会われなければ、この里の雰囲気だけでは答えが出てこないかもしれません。 ここにあるものはただささやかな日常です。 「自分なりに得るものがありました。」とお客様は予定より少し早めですが旅立っていかれました。「また期待です。ご住職のいらっしゃるときに…」と。今度お会いするのは夏でしょうか。一つ目標が出来てそれも良かったのではないかなと思いつつ、握手いたしました。 いよいよ山は初冠雪。冬がやってくるようです。
2009.10.11
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2009.10.10
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台風と共に里にも風邪がやってきました。巷の風を受けてぽつぽつとマスクをしている姿が見られます。 テント生活をしている二人。テントが風に飛ばされて大変でした。ちょうど遊びにいらしていたお客様も、「ブログ読みましたよ。でも本当にテントなんですね。」と庭の片隅を覗いておられました。 小学生の女の子は一人用の小さなテント。お坊さんになりたての若者はもう少し大きなテント。中に寝袋と毛布を持ち込んで眠っています。でも大風の日は、部屋の中に逃げ込みました。しばらくして台風が通り過ぎてから覗いてみれば中が浸水。あれこれ干しておりました。一人お坊さんは托鉢に出かけていて空きテントだったのですが、代わりに泊っていた者がびしょびしょになりました。「でも、俺は風邪ひかない。」と気合です。 みんな心配しながらもそれぞれの目標に向かって頑張っています。自転車で遠くまで仕事を探しに行くもの、アルバイトで欲しいものが手に入らずちょっと愚痴をこぼすもの、修行と言って小学生の宿題をチェックする者。 こんな大風の中で野の小鳥たちはどんな暮らしをしていることでしょう。 きっと大騒ぎせずに、立ち回らずにじっと嵐が通り過ぎるのを耐え忍んでいるように思います。 何事か行動することではない、ただじっと信じて待つ時間、それもなかなかエネルギーがいることだと時々ふっと思います。
2009.10.10
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「弱音をはいてもいいですかね。」そんな台詞から始まった彼の言葉。それから、自分を演じてしまう苦しさがぽつりぽつりと語られました。 このところ似たようなお話を続けてお聞きしたような気がします。「生活していると、時々ふっと不安がよぎります。生きていくことに自信がないんです、笑いたくないのに笑ってしまう。本当はむっとしていたいのです。」と。そうしているうちに「人の中にいるとだんだん苦しくなって部屋に帰りたくなります。」 自分がイメージする自分があって、そこに近づけないと分析してはこのまま暮らしていても成長できるだろうかと悩んでみたり、他の人に迷惑をかけているのではないかと心配になってひっこんでしまうようでした。 その考えを壊そうといろいろな方向から話をしてみます。「さびしいよ。生きている限りずっとさびしい。分かり合えるのは、ほんの一部だから。それで充分じゃないですか。それをベースにしていたらその僅かなときを大切に出来る~何も立派な人間になる必要はないのだから。それだって自分が考えるいい人間との比較に過ぎないでしょう。」心を添わせながらしばらく話しておりました。「よくわからないところもあるけれど、とりあえず仕事探します。」やがて、そういって元気に席を立っていきました。 なかなか目指すところの経済的自立は叶いそうもありません。まだまだ道のりは長いです。それでもじっくり粘ってできるところを付き合いたいと思います。私が育てられてきた時間を思ったら…本当に長いこと待っていただきました。 いえ、今もかな。
2009.10.04
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