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昨日の新聞で、仙台市国分町三丁目の国道48号で事故、という小さな記事があった。国道48号というと北四番丁や大学病院、八幡あたりがパッと想起されるので、ちょっと戸惑う。国分町三丁目は市役所のあるブロックだから、おそらく勾当台通りで、それこそ市役所前バス停のあたりだろう。国道48号は起点が勾当台公園なので、地下鉄駅で言えば、勾当台公園駅から北四番町駅までの区間も、R48なのだ。ところで、記事を見てしばらく合点が行くまでの間、余計な事まで考えてしまった。R48というと、広瀬通のうちで晩翠通から仲の瀬橋の下層の部分を経由して西道路や愛子バイパスもR48だから、実はほかにも飛び地的にR48があるのか、などと...■関連する過去の記事 仙台西道路の謎を考える(2014年6月8日)ところで、山形側の終点は山形市の南の方まで行って、大学病院そばの飯田交差点。てっきり、天童あたりか、せいぜい国道13号の旧街道の関係で市内の駅前あたりだろう、と思っていたが、だいぶ南まで国道13号とのダブルトラックなのだ。意外。
2015.09.27
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ビックリした。夕食時にTVを見ていたら、「世界一受けたい授業」の東大VS京大というやつで、画面の顔ぶれに、顔がある。そう言えば、京大の連携教授の職をお持ちだったと思うが、我らが宮城のヒーローが登場だから面白い。さっそく子に録画を命じて、風呂に入って、掃除して、あとはずっとパソコン部屋で仕事していた。今から階下で録画を見るのだが、いったいどんな企画になってどんな話をするか楽しみだ。実は私は今春に畠山さんの講演を聴いた。幼少の上海から始まって、なぜ山に着目したのか、一生懸命に調べたこと、川が運ぶ鉄やフルボ酸のこと、ロシアのアムール川の話、また震災のことも。中学校の英語に載ったが英語表現 longing for は皇后陛下が教えてくださった、などなど。ハバロフスク大学や京大で科学的な裏付けを研究したとも話しておられたように思う。とにかく、話の中身も構成も引き付けも、すばらしかった。なので、これから見るビデオを楽しみにしています。あ、それから、どうでも良いことを思い出した。畠山さんは講演でしっかり言っていた。「河北新聞」と。■関連する過去の記事(河北新聞ネタ)人はなぜ河北新聞と呼ぶのか(その5)(2015年9月16日)(それ以前の記事は上記記事の末尾にリンク表示しています。)
2015.09.26
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来季のわがイーグルスの体制が話題に。まだシーズンが残っているのに、どうかとは思いつつも、やはり気になる。梨田監督が有力という。近鉄ファンだった自分としても歓迎だが、ただ、野村氏や星野さんを据えてきた今までと比べると、ちょっと違うような気は否めない。どんなチームになってどんな采配を見せるのか、楽しみではある。そして、人づくりに期待だ。ファームの選手をいかに育てて、長い目で活かしていくのか。プロ野球が実社会との相似性で親しまれる大きなポイントであろうこのことに、どれだけ梨田氏が力を発揮するのか私は解らないが、近鉄や日本ハムの実績があるから大丈夫なのだろう。あとは、コーチとどううまく関係を造るか。そして、フロントや会社と...ところで、梨田氏というと、近鉄一筋。自分が小学生の頃から中心選手だった。コンニャク打法、平野のバックホーム、そして10.19の最初で最後のガッツポーズ。イーグルスの関係だと、札幌でスレッジに粉砕されたCS第2ステージ。仙台もメッキリ寒くなった。来週は10月。時は動いていますな。
2015.09.25
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ラグビー日本代表が話題になっている。南アに勝ったので、どれほど凄いのかと子に問われて、説明した。そうだね、N中(我が家の学区の中学校)の野球部が仙台育英に勝ったぐらい。実はラグビーのことをちっとも知らない適当な説明で、子も呆れていた。さて、五郎丸選手も注目されている。私はこちらも失礼ながら知らなかったのだが、TVでもずいぶん取り上げているから素晴らしい人材なのだろう。ところで、この選手の名を耳にして、元阪神のドラフト1位の源五郎丸洋選手を思い出した人も、私のほか全国に100人くらい居たのではないか。指名されて話題になったのは自分も高校の頃だったように思う。これも子がかつて話していたのだが、なんでプロ野球選手には変わった名前が多いんだろうか。(以下、変わったと形容すると失礼な気がするので、貴重な名前と表現しよう。)佐藤とか佐々木とか、鈴木、三浦、菅原、工藤、熊谷、斎藤などは、東北ではありふれた名前という感じ。田中、西本、森川とかいうと、関西の人には平凡なのだろうが、東北人からすると、ちょっと憧れに似た印象を持つ。(そう言えば先日、関西の人に「千葉」って格好いい名前だねと言われて、お互い感覚は違うものだと実感した。)こんなウエスタン系名前がプロ野球では多いようだ。しかし、そんなウエスタンよりも、さらに貴重な御名前がたしかにプロ野球選手には多いように思う。楽天イーグルスだけでも貴重な名前を挙げると、聖澤、則本、八百板、安樂、美馬。さらに、銀次(いや苗字ではないですね。でも赤見内は貴重)、大坂谷、などなど。聖澤選手などは、野村監督も間違っていた(ヒリジサワ)が、全国でも数軒だとラジオで誰かが言っていた。まさしくスーパーレアだ。貴重な名前とはその人で初めてお目にかかる名前、と取りあえず定義しておくと、貴重な名前は確かに世の中の標準的確率よりは登場頻度が多いようだ。比較してみよう。セ・パ両リーグのプロ野球選手の数より多い、我が国の衆参両院の国会議員。貴重な名前(私にとってそれが初耳だった名前)というと、主濱、御法川、二之湯、萩生田、穀田とか(初耳だったか記憶が曖昧な人もいるが)。あとは、アントニオ、デニー、エリカ様、ナベ菅...(失礼)。昔の国会議員だと、飛鳥田、後藤田(今もいるけど)、一万田、達増(今は知事さん)、ミッチー、サッチー(暴走)。スーパーレアはいるだろうか。名前より中身だけど。(文中で敬称略といたしました。)
2015.09.24
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ARASHI BLAST in Miyagi の最終公演が終わった。仙台、宮城県が大いににぎわったシルバーウィークだったでしょう。画像は、7時25分頃、終了間際の花火です。4日間の公演。いずれも秋晴れに恵まれた。(なんとも下手な写真。本当は色鮮やかに広がった綺麗な花火を写したかったのですが。)ところで、会場もよりのコンビニで買い物してから外を歩いていると、迎えと思われる車のラッシュ。誘導員はさかんに、停車しないでくださいと呼びかける。一台の車から大きな声。「じゃあどうすればいいんだ。いったい何なんだ、宮城県!」とか叫んでいた。習志野ナンバーだった。気持ちは解る気もする。はるばる宮城まで、しかも公共交通が不便で自家用車で来た。迎えのために路上駐車は迷惑とは知りつつも、駐車場も確保できなかった。こんなに渋滞した車列のままで動けと言われても、どう動いたらいいのかアテもない... というあたりか。しかし、そもそも路駐だめと解っている以上は、仕方がない。多少不便とはいっても、鉄道とバスが出ている。当然予測できたことだろう。こういう人が、地元に戻って、ひとめぼれスタジアムやグランディ21の悪口をいうのかと思うと、心から残念。(山の上のスタジアム。歩いたり渋滞したりも、ひとつの思い出として持ち帰ってもらえれば良いのだが。)ところで、宮城交通のシャトルバス。普段は行き先と経路を示す車体横のディスプレイに、こう出ていた。ArashiBlast in Miyagi(終点の表示)(行き)嵐(マーク)会場まで→あと少し→ライブ満喫→しやがれ(帰り)ライブ満喫→できた?→仙台も→満喫してね良いぞ宮城交通。粋な事しやがるぜ。
2015.09.23
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気仙沼線BRT駅の乗車人口は本吉駅が一番多いことなどを、先日書いた。▲BRT大谷海岸駅とバス(2013年1月)▲駅舎の中の様子気仙沼線の今後については、JRの提示するBRTでの存続案に対して、鉄路での復旧を願う地元の声も根強い。自治体との協議がどう進むかが注目されるが、官民を通じてのコストの問題はもちろん、観光交流人口をどう取り込めるか沿線まちづくりや地域振興策、乗車促進のソフト策なども含めて、皆で一生懸命考えていきたい。さて、私は地元の人と鉄路復旧について直接論議したことはないのだが、気仙沼線は昭和50年代に全通した比較的新しい路線であることから愛着も大きかろうと思っている。歴史をふりかえると、大正11年の改正鉄道敷設法別表に掲載された149の予定路線に含まれている。曰く「宮城県気仙沼ヨリ津谷、志津川ヲ経テ前谷地ニ至ル鉄道及津谷ヨリ分岐シテ佐沼ヲ経テ田尻ニ至ル鉄道」と。■下記の記事を参照下さい。 幻の鉄道計画 改正鉄道敷設法の予定線(その2)(2013年4月20日)まず、1956年に大船渡線の貨物支線として、気仙沼から気仙沼港駅までが、開業。翌1957年には、貨物支線5.8kmのうち気仙沼-南気仙沼間(4.5km)、南気仙沼駅-本吉駅(17.1km)を合わせて、気仙沼-本吉(21.6km)を「気仙沼線」として旅客運送をはじめた(なお、貨物支線(南気仙沼-気仙沼港、1.3km)も編入)。南側からは、起点を石巻にする論議もあったようだが、1968年に前谷地-柳津(17.5km)が「柳津線」として開業。1977年(昭和52)に、柳津-本吉(34.0km)が開通し、柳津線を編入して「気仙沼線」前谷地-気仙沼72.8km(ほかに貨物支線1.3km)が全通した。78年貨物営業と支線を廃止。JR移行の前の国鉄時代に完成した最後の地方路線とされている。(ちなみに、丸森線(槻木-丸森)は1981年に国鉄の第一次特定地方路線(廃止路線)とされ、1986年に第三セクター阿武隈急行に転換し、国鉄時代からの延伸工事を引き継いで、88年に福島-丸森間を開通。)最後に開通した区間には、戸倉、志津川、歌津などが含まれる。私と同年代の志津川出身の人に、気仙沼の高校に通うのに鉄道を利用したという話を聞いたことがある。かなり距離はあるが、鉄道のおかげだ。昭和52年に全通して、まだ数年しか経たない時期に、利用していたことになる。志津川の人たちは、気仙沼や本吉に通学に便利、そして、仙台に向かうにも快速で2時間かからずに行けた。本当に鉄道開業は地域の悲願だったろう。リアスの海岸線に囲まれた各浜にも駅ができて結ばれた。大きな喜びだったはずだ。ただ、ちょっと意外だったのは、前回記事(9月20日)で調べたとおり、BRT開業後の現在も、震災直前のデータでも、乗車人口は志津川駅より本吉駅の方が多いこと。これには、本吉(津谷)の学生は気仙沼の高校に多数通うが、志津川の学生は志津川高校に通うので本吉や気仙沼にはあまり通わない、という関係が反映しているのかも知れない。BRTは頻度が高いから便利などの利点があるが、やはり定時性と速達性では列車に適わない。観光利用の際も含めて、この点を問題視する意見があるのは、よく理解できる。平野部と違い、浜が隔絶して道路交通も決して良好とは言えない。三陸鉄道もそうだが、このような地域における鉄道の意義もあるだろう。ほんの40年たらず前にできたばかりの鉄路だった。その意味を十分振り返りながら、そして時代の変化を受けて、将来のこの地域の軸としてどのように残すべきかを、考えていっていただきたい。BRT案は優れているとは思う。だが、コストだけにとらわれず、気仙沼や南三陸がこれからどう生き残っていくのか、そのための交通のあり方を、よくよく考えていって頂きたい。消極的選択としてのBRTでは良くない。皆が使って、外部の人も乗って、快適で楽しくて、おそらくは定着人口のみならず観光や交流の人々の足となりうるように、地域作りと一体となったあり方を検討するべきだと思う。BRTという概念を受け取る、という発想でない方がいい。あれこれ考えて最もふさわしい形を選び取ったら、それが気仙沼・南三陸型の地域作りとその道具としての気仙沼型BRTだったネ、というぐらいのつもりで。■関連する過去の記事 BRT乗車人口数が多い駅は(2015年9月20日) BRT大谷海岸駅(2013年1月31日) JR各駅の乗車人員を比較する(2012年12月30日) 東北の駅の乗車人員を考える(2007年7月5日)
2015.09.22
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これまで五所川原市市浦の靄山(モヤ山)について何度か記した。安藤氏が造った人工の山、UFOとの関係、そして2年前に走ったR339の雰囲気。▲国道339脇の鬱蒼とした雰囲気(不動山)。(下の記事本文を参照下さい。)高橋克彦『炎立つ 光彩楽土』で、平泉藤原氏4代の泰衡が、巨大帆船が浮かぶ穏やかな十三の内海の先に、靄山を探す場面がある。「高くはないが綺麗な三角の形をした山で十三湊の人々の信仰の対象となっている。」こう記述されている。市浦地区脇元の山で、152.4mの三角の山。9月下旬(旧暦8月1日)岩木山のお山参詣行事の頃、靄山でもヒバの御幣を中腹にある祠に奉納し、山頂の脇元岩木山神社では例大祭が行われる。ふもとでは特設会場で祭が催されて、秋の賑わいの一日になるのだという。(東奥日報のサイトから)ことしの例大祭は、9月12日と13日に行われた。ところで、上記の写真は、靄山自体ではなく、国道を北に過ぎてから撮影したものだ。あの旅では、十三湊を出てからシーウランドに一瞬立ち寄り、さらに北上したのだが、「密出入国許すな」の怖い看板などを見ながらも、靄山そのものをしっかり確認することなく、脇元地区を通過して権現崎を目指したのだった。(下記の記事 市浦からライオン岩(小泊)へ を参照下さい。)地図で金木高校分校などの位置は確認していたのだが、地図にある靄山の名前に惹かれるものはあったが、それほどまで意識してはいなかった。思えば、あの青くて怖い看板から少し進んだあたりが脇元地区の中心部で、山に入る入り口もあったのだろう。ただし、実感だったのだが、妙に鬱蒼とした独特の雰囲気は付近一帯に満ちていた。集落を過ぎて、老人施設のようなところ(すわんの里?)を右手に見ながら、今度は左手に登場する安藤氏ゆかりの洗磯崎神社に立ち寄る。そのあと、ちょっとだけ車を北に進めたところで、この写真を撮った地点があったのだ。赤い鳥居とモヤッとした丘陵地に引き込まれて写真を撮ったのだった。このとき、靄山本体を見に戻るべきかどうか実は迷ったのだが行程を優先。せめてこのモヤッとした雰囲気だけでもとの思いで撮影したのだった。上記の東奥のサイトには、靄山の北にある不動山(お不動さん)が出てくる。写真の山はそれだろう。(ストリートヴューや各種ネット情報、また当時の画像の撮影時刻などから、何とか足跡と画像の場所を探り当てました。ホッと安心です。)このように、私の写真は靄山ではないのだが、ネットで本物の靄山の画像をみると、まさしく綺麗に三角形。十三湊の側からみたものと思うが、たしかに人造的にも見える。間近の国道からみるとお椀を伏せたようななだらかさだが、ちょうど真南の湖から遠望すると稜線が円錐型になり正三角形になるようだ。発掘が進んでいる中世の大交易都市である湊の町屋跡に立つと、ちょうど南北方向に、岩木山と靄山が、すっかり同じ大きさに見えるのだそうだ。山の土質も海砂だと言われ、人工構築物の理由とされるようだ。山頂からは権現崎や岩木山も望めるという。いつかまた津軽半島を走るときがあれば、是非、靄山とお不動さんに、登りたい。■関連する過去の記事(謎の靄山と旅情) UFOと東北(2015年5月31日) 小泊地区と銘菓ごんげんざき(2013年6月8日) 市浦からライオン岩(小泊)へ(2013年6月7日) 大石神ピラミッドと新郷村の旅(2012年8月19日) 大湯環状列石とストーンサークル館(2012年8月21日) 黒又山(2012年8月20日)■関連する過去の記事(十三湊) 十三の読み方 再論(2015年5月26日) 十万都市だった十三湊(2014年4月29日) 十三湊遺跡(2013年7月16日) 十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源(2013年7月14日) 十三湊を訪れる(2013年6月6日) 日の本(ひのもと)将軍の安藤氏(09年1月25日) 津軽安藤氏と北方世界(10年5月18日) 青森県東部の地理概説(三八、上十三などの意味)(09年8月1日)
2015.09.21
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嵐のコンサートで仙台駅や岩切、利府駅などは大変な混雑だという。復興を支援する意味もあっての宮城開催。とにかく人々が集まってくれて、盛り上がることは、良いことではないでしょうか。私はチケットなどないのだが、昼に会場周辺で復興屋台を巡ってみました。ものすごい人の数。店の行列も結構長いところがあったが、沿岸部の市や町の店もあり、岩手や福島の出店もあり、なかなか面白い。マーボ焼きそば、はらこめしなど宮城の味を昼食用に買い込んで帰宅した。それはともかく、仙台駅の利用人口は増えているのか減っているのか。JRのサイトによると、2014年度の実績では、仙台駅の一日平均乗車人員は84951人でJR東管内49位だ。定期外利用者(45512)の方が多いのは、ビジネス需要や観光客の反映か。首都圏で定期外が定期利用者を上回っているのは、秋葉原、上野、舞浜、原宿など限られている。仙台以外では郡山18614、盛岡18205、あとは1万人未満で、岩沼、多賀城、宮城野原、秋田と続く。ちなみに最小は区界の2人。2013年度の仙台は83540人で52位だった。若干順位を上げていることになる。新幹線は2014年度で仙台駅が26571人。東京72850、大宮27374に次いで第3位。ちなみに新幹線の場合は定期利用者の割合が高いのが、本庄早稲田、小山、くりこま高原などというのも興味深い。仙台駅は、13年度が26093人だったので微増。東京駅(13年度73652人)、大宮駅(27069)に次ぐ3位の位置は変わらず。そして、2014年度にはBRTの乗車人口の表もあった。気仙沼線の乗車数の多い駅を並べると次のようになる。本吉217不動の沢160南気仙沼119気仙沼96志津川74歌津、陸前階上、松岩などが60人前後。ターミナル駅の柳津は32と少ない。なお、BRT大船渡線では盛駅が226人で、ここだけが3桁。陸前高田82、気仙沼77など。不動の沢駅は、気仙沼高校の生徒かと思われる。本吉駅の第1位は、意外な気もしたが、響高校や本吉病院のためだろうか。そもそも旧本吉町津谷は市街地の集積もあったところだ。ちなみに、震災前の2010年度でみると、本吉駅は329人。気仙沼(287)、志津川(269)、南気仙沼(251)などを上回る。2009年度は本吉360人、気仙沼308、志津川285、南気仙沼271など。不動の沢駅のデータがないようだが、駅員を置いていない事情によるのだろう。JRに言わせれば、鉄路ではないBRTであっても、これではまだまだ採算ラインには乗らないのだろう。■関連する過去の記事 BRT大谷海岸駅(2013年1月31日) JR各駅の乗車人員を比較する(2012年12月30日) 東北の駅の乗車人員を考える(2007年7月5日)
2015.09.20
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地元の方には申し訳ないが、宮城県でいま最も注目の地名かも知れない。気仙沼市の九条(くじょう)。国道45号バイパスを挟んで、気仙沼高校付近の市内住宅地も含まれる。九条小学校や郵便局の名にも見える。また、条南中学校の名は、その学区にある九条小学校と南気仙沼小学校から一字づつとったという。南気仙沼小はさきの大震災で被害を受けて、たしか現在は災害公営住宅が建設されているはず。復興が進んで、いつか必ず港町の賑わいが戻るだろう。安保法案は今日未明に参院で可決。集団的自衛権や国際社会においてあるべき我が国のスタンスについては、さまざまな意見があろう。また、戦争を引き起こす法案なのか、兵士を危険にさらす法案なのか、などについても考え方は多様だ。今そのことに立ち入らないが、制度として憲法に反する立法を行おうとしているのではないかという点は、極めて重要な論点だった。自衛の考えを多少は緩めて武力行使の必要性を意識する人の中にも、だとしても憲法に反する疑いがある以上は、憲法改正が先、あるいは憲法改正国民投票の場で国民に問うべきではないのか、という素直な疑念があるだろう。我が国のコンスティテューション破壊を懸念する意見は相当多かったと思う。国民主権とは国民が主権者であることであり、主権者の国民は憲法を定めて政府や立法機関の行動範囲を規制している。自衛権については9条だし、より一般的な意味でも、憲法の擁護義務はもちろん、厳格な改正手続も定められている。国民投票法も整備された。見方を変えて、少なくとも国政の重大課題である以上、解散して国民に判断を委ねる政治的判断もありえた。抽象的違憲性が認められず法の番人の事前判断がもらえないのだから、衆院の憲法審査会で学者が全員意見だと主張したことや、過去の長官の発言について、もっと丁寧に対処すべきだったが、これも良くなかった。政治家が判断するという自己陶酔を示すだけ。国民は、たしかに精密な学問的レベルの解釈論までしようとは思わないにしても、せめて、学界や司法界に、一定程度の理解が広がっているかどうかの認識が欲しかったのではないか。賛成派としても、安心したかったのでないだろうか。解釈変更が砂川判決の範囲内だと強弁し、また、祖父がそうだったように自分の判断も後世に認められるなどと説明する辺りは、9条の意義やそれを議論する価値をあえて低く見積もって見せたと言えるし、また、国会論議や国民的議論喚起を避けようとする意味で民主主義というものを自ら矮小化してしまったという感が強い。気仙沼の九条は、京都の公家が離散した妻子を捜してこの地に至り、羽黒権現でお告げを受け、高田の米崎あたりで田仕事に従事させられている妻子と再会できたことから、羽黒神社をりっぱに再興し九重の塔を建てたという。これが九条の地名の起こりという説があるそうだ。港町気仙沼の本郷の背後丘陵地は、香久留が原と呼ばれ(気仙沼高校の校歌に出てくる)、羽黒神社に守られた古くからの住宅地である。九条は、市内の商業地や不動の沢駅(BRT)のすぐ背後でありながら、環境もすばらしく、まさに気仙沼の一等の住宅地だ。その足下まで津波が押し寄せた。今は、魚市場、岸壁、商業地、工業地域、住宅地も、どこも誰もが皆一丸となって気仙沼の復活を目指して進んでいる。伝統ある九条の名をいただくこの地域の方々も。もちろん安全保障は大事な課題で安保法案に寄せる思いも人さまざま。だが、大切な論議をことさら矮小化する政治リーダーの姿勢は、まったく関係ないとはいえ、脈々と大切に守り育てられた地名、そして懸命に家庭や町を再興しようとする人々が住まう場所の名前に照らして、どれほど胸を張れるのか。
2015.09.19
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昨日のこと。朝のTBCラジオのニュースクローズアップで、毎日新聞社仙台支局長が、「河北新聞」と呼んでいた。安保法案に関するコメントで、報道ぶりを見ても河北新聞や読売新聞など、国民の理解が進んでいないことを指摘している、などと発言していたように思う。(もし聞き違いだったら大変申し訳ありません。とすれば、以下の考察は空論ということで...)安保法案の行方は重要問題で、今記事を書いているこの時間も参院の委員会室は審議が始まらない。だが、ここでは小さな問題だけ取り上げる。これまで仙台・宮城の人が「河北新聞」と呼ぶのに何度も接してきて、それはなぜだろうと、当ジャーナルのテーマとして、役にも立たない考察を進めて(?)きた。しかし、ラジオを聴いていて、大きな盲点に気がついた。コメンテーターの方は、昨年4月から前任者の支局長に替わってこの曜日のコラムを担当していると記憶している。最初にこの番組に登場した時に、たしか中国勤務の経験などを紹介して地方都市としての仙台の魅力について話しておられたように思う。かなり曖昧な記憶で正確ではない失礼をお許しいただきたいが、少なくとも、仙台に長く在住している方ではないだろう。とすると、地元の人による地元紙の呼び方という視点ではなくて、東京から見た、あるいは全国視野から考えてみるとどうだろうか、との視点に気づかされたのだ。(実は下記の過去記事にも多少触れていますが。)想像になるが、同氏は、主要紙の論調を紹介する際に、全国紙と並べて地元で圧倒的に読まれている河北を例に挙げたのだろうが、「河北」の後に、全国紙と同様、つい「新聞」と続けてしまった。つまり、一般に人々は、朝日、読売、毎日、日経、産経などと単に呼び習わしている。全国紙はすべて「○○新聞」だ。普段特に「新聞」まで続けて呼ぶことはないが、すべて「新聞」の名が続くことは意識している。というより、当然のこととして無意識の世界に入り込んでいると言えるかも知れない。 そして、仙台に来ればこれに加えて河北という新聞があることを知るが、普段は、みんながカホク、カホクと呼んでいる。カホクばかり頭に入っていて、次の呼称は普段から気にしない。全国紙の場合に後に続くはずの無意識的な接尾辞である「新聞」がついつい出てしまって、「カホク新聞」と表現してしまった、ということではないだろうか。私自身は、河北新報という4文字7音節をもって不可分のワンワードと受け止めているから、「河北新聞」と呼ぶことはありえない(わざと言う場合は別として)。小さい頃から山田太郎君を知っている人が、かりに普段はヤマダと呼び習わしているとしても、山田の後にウッカリ「電機」と付け足すことが有り得ないように、地元に居て毎朝河北新報の実物に触れ、コマーシャルも聞いて、かほぴょんタオルも持っているから、カホク、カホクと略称で言うことはあっても、その後に「新報」が隠れていることはわかっている(無意識かも)。たぶん仙台・宮城の人の大部分はそうだと思う(それでもカホク新聞と呼んでしまう地元人の意識構造については、これまでの当ジャーナル記事をご覧下さい。下記参照。)しかるに、例えば東京の人や、東京から来た人からして見れば、この地でカホク、カホクという通称だけが飛び交っているから、正しい接尾辞が完全には頭に入っておらず、アサヒやマイニチと同様だろうとばかり、ついつい後に「新聞」と続けてしまう。こういうことではないだろうか。これには、河北新報という名称の特殊性も背景にあるように思う。河北新報のことを仙台の人はカホクの3音節だけで呼ぶことが多い。しかし、例えば、岩手日報をイワテ、イワテと呼ぶ人は絶対居ない。今朝のイワテに書いてあったんだけど...と言っても誰も新聞の話とは理解してくれない。今朝のニッポー(日報)に書いていた...ならば岩手県域では通じる。仙台では、カホクだ。カホクなら、それだけで新聞だとわかるのだ。もっと言うと、カホク(第1音節にアクセント)という人は、東京や全国の視点の人で、ついつい新聞と続ける可能性が高い。カホグ(第2音節にアクセント)なら本物だ。(何とも適当な説明)東京から来た人が、河北新報の4文字を友人の姓名のように固有名詞として受け止める可能性は、地元の人ほどは高くない。他方で、巷間いわれるカホクの語だけが印象に残り、下の言葉は気に留めていないから、他紙と並べて姓名全体で表現する場面を迫られると、最も通常の接尾辞である(或いは全国紙と同様にしておけば間違っても言い訳になりうる)「新聞」と付け足す。こんなところでないか。岩手県では有り得ない現象なのだ(ひょっとすると、ニッポーが印象深くて、「盛岡日報」という人がいるかも知れない)。いわば「全国視点仮説」だ。仙台・宮城のネイティブがカホク新聞と呼ぶ理由も、実はこの全国視点を持つ人々の言動から影響を受けたのかも知れない。ああ、奥が深い。(しょせんどうでも良いこと...)■関連する過去の記事 なぜ宮城県人は「河北新聞」と呼ぶのか 第4論(2014年6月4日) なぜ人は「河北新聞」と呼ぶのか(2012年1月25日) 再び考える なぜ仙台の人は「河北新聞」というのか(2011年5月20日) 仙台・宮城の人はなぜ「河北新聞」と呼ぶのか(09年7月17日)
2015.09.16
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最近、七北田川について考えていたが、しばらく前に訪れた朴沢の光明の滝を思い出した。七北田川の本流は、おそらく七北田ダムからさらに上の泉ヶ岳ふもとに遡る川筋を指すのだと思うので、その点では支川の位置づけになるだろう長谷倉川の、長閑なせせらぎを思い出したのである。朴沢は、静かで和らぎを感じる地域だった。せせらぎをさらに林間に遡ると、光明の滝が出迎えてくれた。大雨の際は滝もものすごい状態だったのだろう。荒れ狂うほどに、泉ヶ岳の雨を集めて、龍のように下流に吐き出していったのだろうか。■関連する過去の記事 朴沢の話(09年5月13日) 朴沢をめぐる(続・画像)(09年5月2日) 朴沢をめぐる(09年5月2日)(光明の滝の画像があります) 忘れられた宿場町 根白石(09年11月4日)■関連する過去の記事(七北田川) 今日の七北田川(2015年9月13日) 赤生津大橋が有名に(2015年9月11日) 仙台・泉区の赤生津を考える(2013年10月14日) 猿田という地名を何と読むか...(2013年10月15日) 飛び地の多い上谷刈(2010年11月15日) 七北田川の自転車道を楽しむ(2010年5月3日) 朝の七北田川 5月の桜(2010年5月1日) 七北田川を考える(2007年10月3日) 川の上の雲(07年2月8日)
2015.09.14
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50年に一度の大雨被害の後の日曜。今季は行けなかったコボスタに、とにかく一度は行かねばならぬと一人自転車を漕いで参戦。当日券で外野レフト自由。釜田の2試合目だが制球難で初回から2点献上。しかし、相手の先発ウルフもトミー・ジョン手術後1年4月ぶりの当番で球が甘いようだった。1回裏に4点をもぎ取る。こちらは、回りの人たちと何度もハイタッチできて嬉しかったが、荒れた試合の予感だった。荒れたのは天候も同様で、6回表に強い雨で中断。写真は9回表、5-6とリードを許している場面で松井裕樹が登場。夕日が沈みかけるコボスタ。この時点で5時半を回っていたと思うが、実は私は球場を後にしてしまった。6時半頃までに帰宅するためだった。途上でラジオを聴いていると、9回裏にサファテから牧田が起死回生の同点打。すばらしい。銀次で一気にサヨナラして欲しかったが、延長だ。レフトスタンド、みんな盛り上がっているだろな。10回表も松井かと思ったが、武藤。デーブ監督は武藤に託したのだろう。しかし、どうもピリッとしない。帰宅した頃には2点のリードを許してしまった。しかし、10回裏に五十嵐からノーアウト満塁の大チャンス。風呂場でラジオにかじりついていたが、三者凡退。久々のコボスタ。雨もあったが、久々に野球を体感できて良かった。皆さんただ野球を楽しむために集まって、みんな優しく楽しく。ちょっと弱いが、イーグルスのある仙台がやっぱり良いですね。でも、やっぱり今日は勝ってほしかった。首位SBだからと言わずに、意地を見せて欲しかったね。初登場ムリーロの活躍はあったが、もっと畳みかける打線、ピンチにしびれる攻めの投球、そしてチャンスに強いイーグルスが見たいですね。
2015.09.13
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今日の昼頃の七北田川です。避難指示が出た赤生津大橋の上流からみれば、だいぶ下流になります。水位は平常くらいに戻ったようです。増水で流されてきたのか、冷蔵庫のようなものが見えます。河川敷では、グラウンドの泥をかくなどの清掃作業をしている人たちが見えました。■関連する過去の記事 赤生津大橋が有名に(2015年9月11日) 仙台・泉区の赤生津を考える(2013年10月14日) 猿田という地名を何と読むか...(2013年10月15日) 飛び地の多い上谷刈(2010年11月15日) 七北田川の自転車道を楽しむ(2010年5月3日) 朝の七北田川 5月の桜(2010年5月1日) 七北田川を考える(2007年10月3日)
2015.09.13
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国勢調査の回答をネットで行いました。たしかに簡単です。調査員の方が再訪したり内容を確認する手間が省けるのは、良いことだと思います。訪問調査によるトラブルや不祥事があったからです。まずは、調査員を救うという効果があると考えます。また、一度提出してからあとで回収もできるし、プライバシー保持の仕組みができているという点でも、記入者である国民にとっても良いことではないでしょうか。気になったこといくつか。その1 パスワードの1(いち)とl(エル)が判別しにくい。フリガナのような表示があると良いと思った。このことは、アンケートにも書いた。 おそらくは、ここで1とlを記入者が誤ったからといって問題はないだろうが、記入者の側で不安に思うことがあるかも知れないからだ。IDについても同じで、私の場合はわかりやすい文字と数字だったが、ゼロとO(オー)などについても、配慮があって良いと思う。その2 インターネットアドレスからアクセスする方法の案内として、YAHOO!JAPANとGoogleの2つの場合を説明している(紙のパンフレット)。どうでも良いことだけれど、私は別のポータルから入った。この2つでないと入れないと思った人も、国民の1%くらいはいるのではないか。以上は、大したことではないのですが、これ以外にも全国でネット利用者が気づいた大切なことが、あるのかも知れません。アラ探しをするつもりはありませんが、ネット回答は良いことなので、さらに確実に、かつ便利になるように総務省には意識を高くしてほしいです。■関連する過去の記事 国勢調査は不要なのかも知れない(2015年10月11日)
2015.09.12
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帰りの途中で、市営バスの営業所のそばを通りかかったので、一枚撮った。帰りもバスの姿をあまり見ないが、一応動いているようだ。今日は市バスも大変だったでしょうから、お疲れ様でした、と。とは書いたが、今日の市営バスには大いに不満がある。朝は5時過ぎに家を出て、車で市内まで。20分程度で着いた。確かに川の水位は上昇していたが、私の場合は経路は全く問題がなかった。冠水も周辺の出水のおそれも、何も無かった。実は、JRが止まっているのは早朝から解っていたが、市営バスに乗る選択肢も考えていた。結局は、バス停で待たないのが正解だった。全面ストップしていたと知ったのは、会社に出て同僚に話を聞いてからだった。泉区の一部や青葉区の西部の団地の人たちは、大変だったようだ。仙山線ストップ、西道路も不通、七北田川は渡れない、などなど。タクシーも全くつかまらなかったという。私のように思い切って車で来てパーキングを探すか、家の人に送ってもらうか、あるいはバイクや自転車ということになる。市営バスが全面的に運休していたのは、冠水箇所が随所にあること、道路の不通区間があること、異常出水の恐れなど、だろうか。しかし、おかしい。まず、冠水や不通はたしかにあったが、十分に走れる路線はいくらもあったはずだ。全面止める必然性はない。第2に、かりに冠水の路線があるとしても、そこを迂回するか(国土交通省の規制で迂回できないとしても)折り返せばいい。行けるところまでバスで運んで、あとは、「どこどこのバス停(地下鉄駅)まで何百メートル歩けば市内に行けるよ」とか運転手が説明すればいい。プロなのだから。第3に、情報提供体制の問題だが、運休の情報をサイト等で出さなかったという。ラジオでは伝えていたのかどうかわからないが、私は聴いていなかった。バス停に並んだけどあきらめたという話も何人からか聞いた。運行すべきだったと思うが、最悪でも、運休することを早めに知らせるべきだ。目処が立たない、状況がわからないというのは、非常に不安であり、迷惑なのだ。このことに気づけないのは、市民の立場に立っていないからだ。思うに、市営バスが市民の足で、運転手さんは誰より市内の道路を知っているのだから、安全に走れるところはしっかり走って、さらに次のバスや地下鉄への動き方を案内してくれればいいのだ。泉区の人が語るには、七北田川を渡れなかったという。しかし、地下鉄は動いていたから、泉中央駅まで上手に誘導されればいいいのだ。学校が臨時休校でも当然教職員は出勤して、施設の安全や生徒の無事を確認したりするはずだ。もちろん、広範囲に避難指示・勧告が出ていたから、人によってはまずは自分と家族の身を守る行動があっても当然だが、職員がみなそうであるはずはない。なぜ全面ストップか。まさか運転手や交通局職員が出勤しなかったわけではなかろう。むしろ、早めに出てきて、運行できるところを確認する、あるいは(運休するのなら)せめて少しでも早い情報提供をするべきだ。民間のバスは運行していたという。もっと言うなら、一番道路を知り尽くしているのだから、運転しながら、冠水場所や危ない場所を率先して道路局に伝えるなど、市役所として連携をとっても良いのじゃないか。写真を撮りながら思った。運転手さんがたも実は同じことを思っているのではないか。冠水がおこるべき場所、どこまでならピストンできるかなど、痛いほど解っている。乗客が困惑しているのも解っている。行けるところまで乗せて届けて、安全に目的地まで行く手助けをしたい。こんな時こそ頼りにされる。そう思っているのではないだろうか。運転手同士の情報交換などはバッチリできるはず。本部がそういう体制をとってくれれば...まさかとは思うが、運休すべき箇所と運行可能な路線のより分けなどが面倒だし、個別の苦情対応も困るから、ハイ全面休みにしましょうという本部輸送責任サイドの「英断」か。全面運休にした理由、そして交通局の皆さんは何をしていたのか。ぜひ説明をしていただきたいものだ。■関連する記事 赤生津大橋が有名に(2015年9月11日)
2015.09.11
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大雨特別警報もやっと解除。水害で被害を受けた方は大変だったろう。お見舞い申し上げたい。県内ではまだ避難所にいる方々もいる。家に帰ってPCをみてびっくり。一日あたりでいつもの5倍以上のアクセスがある。たぶん、下記の記事だと思う。■仙台・泉区の赤生津を考える(2013年10月14日)未明から、赤生津橋から上流の七北田川両岸300メートル程度は避難が指示されていたから。この橋はどこかというので、おそらく拙ブログがヒットした場合があったということだろう。泉区の方にはおなじみの橋のはずだが、名前を聞いてピンと来ない人も多かったのかもしれない。この記事では、赤生津の地名が七北田川の氾濫に由来することを書いた。くしくも、今回は記事内容が実現したようなものだと言えるか。そして、この橋から河口までの七北田川両岸にも避難「勧告」が出ていた。広瀬川の愛宕橋から下流(名取川合流地点まで)についても同様だ。都市部でこれだけの範囲の避難指示・勧告は異例だと思われる。幸いに越流はなかった(と思う)が、想像もしたくない。河川工事のおかげだ。しかし、吉田川では広い範囲に越流水が広がり、また大崎市古川では渋井川が決壊。栗原では三迫川の氾濫で亡くなった方もいた。50年に1度クラスの大雨だったというが、河川災害の恐ろしさが身にしみる。かつては北上川などの大河川を中心に中小の河道が暴れまくった我が県の平野部だ。長い治水の歴史は、終わったわけではないのだ。
2015.09.11
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昨日若干の批評をさせてもらった河北新報の表現について。■昨日の記事 河北新報の言う与党野党とは(9月7日)河北新報の今朝の記事は、良い。記事の文章中では、「与党の生活が議席を減らす...」などと、与野党の指す意味が、しっかり県政のレベルのものとして記述されている。もっとも、最初から与党野党というのではなく、記事の最初の方では「達増知事の支持勢力は何党と何党」などと説明しているから、国政の構図との混乱も避けられる配慮が出ている。そして、グラフでは、「達増与(野)党」と表現している。これで良いのだ。この記事は、「ワイド東北」面。これとは別に、政治面(2面)には「岩手新県議/勢力拮抗/達増県政 綱渡り続く」との記事があって、そのリードでは、知事選で野党結集を演出した達増氏の戦略は不発、などと解説している。ここは、国政とのリンクの文脈なので、それはそれでわかる。平野氏の不出馬に終わった知事選挙とそれに続く県議選を、安保法案で揺れる国政の勢力との関係で、県政界の戦略はどうだったのか、の視点だから。おそらく昨日の記事も、たしか2面だったと思うが、国政の勢力の視点で示したのは、紙面全体でそのような位置に置かれることを前提にした記事だったのだろう。国政の中における岩手地方選挙の位置を示す、というもの。しかし、周囲に関連する記事も無かったと思うし、記事内容も独立的なものだった。従って浮き上がってしまっていた。記者というよりも、編集や構成をする側の配慮の問題だったろうか。いずれにせよ、長年の一読者として、やっとホッとした。
2015.09.08
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岩手県の県議選が行われた。各選挙区とも次点との差が僅少のように感じる。48の議席を争ったが、達増知事を支える議席は、無所属を加えて21に対して、反対する路線の自民、公明、諸派と同調する無所属を加えて合計21となり、勢力は拮抗している、と河北新報。ところで、記事の見出しだが、「岩手県議選/野党、与党上回る」というのだ。ここでいう野党とは、民主5、共産3、社民2、生活6の16議席をいうようだ。すると与党は、自民13、公明1、諸派(いわて県民クラブ)4を指すことになり、わずかに上回る18議席。冒頭に紹介した記事内容だと、全部で14議席の無所属議員のうち、達増系が5人、反達増が9人ということになるようだ。つまり、見出しのように、政党でみれば野党が与党を上回っているが、知事との関係で議会の勢力図は、まさに拮抗していることになる。ここで気になるのは、河北の見出しだ。第一に、野党が与党を上回ると表現するが、私は県政だから野党は反達増の意味だと思って読んでしまった。河北は、あくまで国政の与野党の構図をそのまま持ち込んで説明している。しかし、それでいいのか。与野党という呼び方は国政だけの用語だろうか。かりにそうだとしたら、県政の勢力は、県政与(野)党とか達増与党とかいうのがより正しいのかもしれない。しかし、「県議選で野党...」と言われると、国政与野党のことと疑義無く想起する人ばかりではあるまい。第二に、県政の場に、国の与党野党の構図をそのまま持ち込んで平気な報道姿勢。地方分権をふりかざすつもりはないが、何も、県政の状況を、国政与野党の単一次元で説明しようとするようで、奇異な印象がある。たしかに、今回は安保法案の論議が地方選挙にも影響したという面はあるが(無投票となった知事選)、だからといって、地方の、いや岩手の固有の県政の課題がどう取り扱われたのかこそが大事なのではないか。みずから地方政治を中央のタームでのみ語ろうとしたようで、まず河北新報らしくない寂しい記事に思った。
2015.09.07
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暑い夏の一日、奈良市にいた私は短い時間の間で、何とか名所を回ってみたいと思案していた。旅館の親切なご夫妻が、自転車を使って良いよと言ってくださったので、用事の翌朝の5時から巡ってみた。本当の古都散策なら、中に入ってしっかり味わって回るべきなのだが、かけられる時間も少なく、ともかくは目に見て雰囲気だけでも体験して来ようと...朝5時の東大寺周辺はもう鹿が歩いていて、餌やりのおじさんや早朝散歩の人たち。南大門を呆気にとられながらしばらく見上げて、奈良公園、奈良ホテル、五重塔で鐘の音を聞く。6時だったのだろう。興福寺、猿沢池は、高校の古文を思い出す。今度は三条通を一路西へ。都跡小学校の辺りで道を曲がって、唐招提寺と薬師寺方面へ。秋篠川沿いに、自転車道が整備されている。思ったより田んぼが多くて、散歩やジョギングの人が多いが、東大寺とは違って地元の方々のようだ。実は、もう25年ほど前なのだが学友達と訪れたことがあった。当時は、深く歴史を探訪する気持ちも無かったが、それでも東大寺大仏殿に入り、薬師寺でも境内に立ち入って東西の塔を見上げた記憶がある。楽しい思い出なのだが、あのとき、薬師寺に行くときに友人が停めた駐車場から、田んぼを眺めながら竹藪のようなところの脇道を歩いた思い出がなぜか印象的に記憶に残っていた。そこにもう一度身を置いてみたかった。(1300年の歴史より25年間の小さな私感を優先する人間の小ささ。嗚呼。)たぶん、この辺りだったのかな、と。田んぼの中の道を、親子が散歩していた。おはようございます。薬師寺は修理をしているようで、巨大な鞘がかけられていた。宿にもどると、もう7時過ぎ。ご主人が、古い自転車で大変だったでしょう。いやいや、本当に助かりました。爽やかな気分になりました。奈良の町、大変良かったです。(この写真は、一緒にがんばってくれた自転車君。背景は、県道から唐招提寺に向かう入り口。)歴史の深みと向き合ったと言えるほどではないのだが、おそらく2度目でこれが最後かもしれない奈良のひととき、道路と田んぼと、多少の鹿の糞をみただけなのだが、自分の足で風を感じて、自分史に向き合えて良かった。これが本心だった。変わった客に見えただったろうが、宿のご主人の、仙台育英を応援していたよ、勝ってほしかったねとの言葉が、何ともうれしかった。9時には電車の乗客となって次の仕事の地に向かったのだが、ぜひいつかまた奈良に来たい。そのときはじっくり時間をかけて、しっかり歴史に向き合いたい。そして、できればあの旅館の自転車で回りたい、と願いながら、車窓から奈良の街並みを見送っていたのだった。
2015.09.05
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思い立って、東北各県の高校から今春東北大学に合格した数を拾ってみた。各学校の公式サイトから。括弧は現役(現浪別で表示がある場合)。仙台第二 106(68)仙台第一 90(63)仙台第三 34(28)宮城第一 21(14)仙台二華 16(11)泉館山(現役) 9仙台向山 9東北学院 9(6)仙台育英 3育英秀光中等 2東北 1聖ウルスラ英智 12古川学園 4石巻 11(8)気仙沼 2白石 0古川 8(5)古川黎明 3青森 19(13)青森東 5八戸 29(23)八戸北(現役のみ) 6弘前 43(41)五所川原 13(12)三本木 3盛岡第一 48(39)盛岡第三 19(16)盛岡中央 5一関第一 22(22)水沢 6(4)花巻北 12(2)秋田 34秋田南(現役) 11大館鳳鳴 最新情報なし横手 21(19)能代 4(1)大曲 1山形東 47(38)山形南 15(14)山形西(現役のみ) 11米沢興譲館 11(11)酒田東 9(7)鶴岡南 14寒河江 2長井 1新庄北 情報なし福島 41(29)橘 5(4)福島成蹊 3会津 10(8)安積 40(31)安積黎明 情報なし磐城 8(6)白河 最新情報なし画面みて拾うのに、かなり疲れてしまった。とりあえずの感想は、仙台第一は一時の凋落から着実に復調の兆しだろうか。共学化に遅れたが人気伝統校として仙台周辺の中学生の人気を一層集めてほしい。仙台第二とともに浪人率は相変わらず。青森県は、八戸と弘前の勢いが逆転しているような感じがする。公立中高一貫校の成果も問われてくるが、三本木や古川黎明は着実といえるか。一関第一は相当伸長したようだが一貫生の押し上げか。秋田勢はやや元気がないような気がする。合格数が減っているのでないか。福島県は震災の影響だろうか、磐城が減って安積が盛り返しているように思える。以上は単なる印象で、科学的に分析しておりません。なお、いつも言っていますが、進学実績が高校評価の全てと考えているわけではなく、3年間の中身や部活も評価されるべき重要な点ではありますが、多様な進路があって良いが、進学校というなら生徒の希望を(現役で)達せられているか客観的に評価されるべき、という立場です。それが第一の評価尺度かどうかは別として。わざわざ「進路が全てではない」「自分は3年間充実していた」「受験勉強は浪人してやるもの」と主張するような一部の仙台人の高校観に接してきたので、ここ10数年こういう立場でものを考えてきました。(さらに言うならば、大学(現役)合格は少ないが、3年間を充実する学校、それもあって良いのだと思います。高校の状況を客観的に検証して、生徒、保護者、県民(維持費を負担する納税者)の多数がそうあるべきというのなら。しかし、そうでしょうか。他県の状況との比較なども、冷静にするべきでしょう。)それにしても一時は仙台のナンバー高でさえ進路実績をホームぺージに出さないところ(意図的か)があったのに比べれば、だいぶ変わったように思います。合格実績を開示してオープンに評価し合うという、たぶん当たり前の時代に(やっと)なりました...■関連する過去の記事 宮城県進学トップ高校の今はどうか(続)(2015年4月18日) 宮城県進学トップ高校の今はどうか(2015年4月13日) 宮城県進学トップ高校の状況は変わったか(2012年9月8日) 今春の各高校の大学合格実績 概略(2012年5月29日) 宮城県の高校の進学実績を考える(2010年11月20日) 宮城の県立高校の「現役」進路実現力を考える(09年8月25日) 宮城県の県立高校の進路実現力を考える(09年8月21日) 共学化の方針を堅持(09年2月5日) 県立高校共学化論議を考える(08年12月18日) 梅原市長の高校男女別学の主張を考える(08年11月13日) 高校の進学状況 福島県のデータ(08年8月3日) 宮城県の伝統校の進学力を考える 青森県との比較(08年8月1日) 改めて宮城県の伝統校の進学実績を考える(08年7月31日) 公立高校の学区撤廃を考える(08年7月30日)(宮城県の方針) 宮城県立高校の男女共学化を考える(4)真に学校を思うなら(05年12月11日) 宮城県立高校の男女共学化を考える(3)妙案登場!?(05年12月7日) 仙台市梅原市長の「仙台一高・仙台二高別学維持」発言に思う(05年11月30日) 宮城県内の公立高校の男女共学化論議を考える(2)歴史(05年11月28日) 宮城県立高校の男女共学化を考える(1)序論(05年10月28日) 宮城の進学率と公立高校を考える(05年9月6日)
2015.09.04
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