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これまで何度か記してきた。県北をどう読むか。宮城は「けんぽ(po)く」が主流。同様の読みをすると思われる「仙北」も「せんぽく」だ。しかし秋田の仙北は「せんぼ(bo)く」だし、全国的には、南北を「なんぼ(bo)く」が標準のように思われる。先日、仙台市内で見た。トラックに、堂々と、FUKUSHIMA KENPOKU と大書。福島県北運輸という会社で、車のナンバーは仙台だった。これで、福島県は「けんぽ(po)く」と決めつけて良いと思われる。■関連する過去の記事 仙北・県北・南北の読み方 再論(2015年5月16日) 宮城県民は「県北」をやはりケンポクと読む(2013年2月6日) 南北線は Namboku Line(2012年11月22日) 宮城はやはり「せんぽく」(2011年2月8日) 仙北は「せんぼく」か「せんぽく」か(2010年7月16日)
2015.11.24
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仙台でのエスカレーターの右立ち左立ちの混乱などについて何度か記した。JR仙台駅構内などでは東京同様の左立ち(右あけ)、地下鉄駅などでは大阪や国際標準の右立ちが主流というのだ。その理由は、諸説あるもいまだ確定せず、理由は不明だ。 仙台のエスカレータ 右立ちか左立ちか(2014年6月14日) 歩行者は左右どちらを通行するか 仙台のエスカレータ再論(2010年12月21日) 仙台のエスカレーター作法を考える(10年4月9日)以前も触れた点ではあるが、日本の鉄道駅構内では左側歩行が原則とされていた。このことが、実は大きく影響しているということはないだろうか。そもそも、日本は人も車も左側通行だった。明治33年(1900)の道路取締規則による。これには、武士同士が刀のぶつかり合いを避けて左側通行をしていた習慣が背景にあると、一応説明されている。戦後1947年(昭和22)に道路交通取締法が制定され、戦前のルールと同様に定めたのだが、GHQが交通安全の見地から人車の対面通行を提案。世界的には車が右側通行が圧倒的に多いが、日本側は、道路標識を作り直すコストに配慮して、車の左側通行はそのままに、歩行者の方を右側通行にした(1949年道路交通取締法改正。なお沖縄は1978年)。人が右側を歩くというのは、わが国において、実はまだ60数年たらずの歴史であって、それまでは左側がルールだったのである。鉄道構内も同様で、ずっと左側通行であった。線路配置や信号標識類も左側通行が原則だが、駅の構内も人が左側を通行する原則で設計されていた。電車を降りてホームや階段を乗客が移動する際に、左側通行を念頭に誘導路を構成しており、特に大都市部の混雑する駅などでは、どうしても変更がきかなかったのだろう。このため、GHQの提唱によって道路の歩行者が右側に改められたが、駅構内は引き続き左側通行が原則となったのである。今は無いかも知れないが、しばらく前までは、東京でも駅構内の随所に「構内左側通行」と書いてあったような気がする。さて、このことと仙台の左右混乱(併存とも)との関係を仮説として考えてみる。戦後一般に人は右側通行になったが、鉄道構内は左のまま。仙台市内のデパートに登場したエスカレーターには、(最初は並んで立ったと思われるが、急ぐ人が出現したりして)一般道路と同様に右に立つようになり、仙台駅では国鉄利用者が当然左立ちになった。その意味では仙台がむしろ当たり前。東京は電車通勤者が圧倒的に多いので、街場も左立ちが浸透。仙台はデパートに行く人は、市内の市電やバス利用者あるいはマイカーが主で、国鉄利用者はむしろ少数だったから。なお、地下鉄開業時には(市交通局自体は指導を否定しているので)市内派とJR派の一種の自然衝突状態だったが、乗り継ぎ族よりも市内派が優勢だったのだろう。なお、大阪では万博で国際標準を指導したとされることが(諸説あり)、東京との違いを生んだ。こんな仮説だが、どうだろうか。
2015.11.24
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朝早起きして、自転車で行ってきた。七北田川沿い右岸の自転車専用道を下る。5年前の初夏に、子ども達と走った。今回は一人で走る。■関連する過去の記事 七北田川の自転車道を楽しむ(2010年5月3日)仙石線、国道45号(福田大橋)を過ぎて、梅田川と合流した後、鶴巻ポンプ場付近から、自転車道は通行禁止。堤防を下りて、鶴巻小学校側に誘導される。仕方なく、高架の東部道路を上にする県道をやや南下して、コロナワールド付近で交差点を渡る。七北田川に戻ると、そこから下流は草道の自転車道を再び通行可能だ。しかし、数百メートル行くと、また通行止めで、仕方なく堤下のあぜ道に下りる。進んでいくと、右手に岡田小学校があり、左に折れて、港南グリーンパークの団地に至る。七北田川に近づこうと、団地の中に入って自転車を進めると、建設中の津波避難施設がある。工事の説明の看板を読むと、来年3月に完成のようだ。県道塩釜亘理線に出て、川筋に戻り、七北田川最後の橋である高砂橋に至るが、ここから河口に向けての自転車道も、封鎖されている。そこで、橋を左岸に渡り、中野・蒲生地区をめざす。この辺までくると、津波の痕跡がまだまだ生々しく残っている。(旧)中野小学校に出くわす。ここまで、かつては住宅が建ち並ぶ地域だったのに、様変わりだ。中野小跡地と津波高を示す看板だ。すぐそばの慰霊の碑で、しばらく佇んだ。じつは、先に自転車を進めてから戻って、碑の前に置かれた、ご自由にお持ち下さいと書かれた缶の中から、蒲生町内会の方が書かれた「仙台市立中野小学校へ避難した600人の人達と過ごした24時間」というペーパーを1部戴いた。路傍の石に腰掛けて、読んだ。読みふけった。本当に、事実なのだ。海の方に少し進むと、高砂神社、そして日和山だ。意外なことに、車が多数泊まっている。サーファーたちだ。日和山の「頂上」とほとんど変わらぬ高さの、干潟の堤防に腰掛けながら、しばらく穏やかな太平洋を眺めていた。北に目を移すと、牡鹿半島が青く見えた。中野や蒲生の街並みもすっかり消えてしまった。振り返ると、晩秋の高い空の下に、松の木が何本か、かすかに街の名残を訴えているようだ。■関連する過去の記事(ほかにもありますが...) 日本一低い山より低い山 大潟富士(2015年10月7日) 七北田川を考える(2007年10月3日) 仙台の地名 福田町と高砂について(05年11月10日)
2015.11.22
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桐のタンスが燃えにくいことに関して、次のような説明がある。○ 木材が加熱され温度が上昇すると、分解生成物中に燃えやすいガス成分があり、これが空気中の酸素と混合して着火する。○ 「燃えやすさ」は、木材の熱伝導性と分解の速さによって決まる。○ 熱伝導性の高い(伝えやすい)材料は、加熱されると内部温度は上昇するが、表面温度は上がらず、分解ガスの着火に必要な高温に至らないため、火がつきにくい。○ キリの熱伝導性は他の木材より小さいので、燃えやすくなる。○ 熱分解で生成されるガス成分はどの樹種でもほぼ同じ。また、比重が小さいと熱分解は遅くなるが、着火の難易に大きく影響するほどの差はない。○ 結局、火がつきやすいかどうかは、熱伝導性に影響されることになる。○ なお、水分が多い場合は当然着火が遅くなるが、家具材はどの樹種も水分がほぼ同じで、キリが特に水分が多いことはない。要するに、燃えやすさ(着火しやすいかどうか)は熱伝導性に左右され、桐は燃えやすい材だ、という。続けて、「桐箪笥は火に強い、燃えない」と言われていることについての説明がある。○ 一つには、キリ材の細胞組織が他と違って柔組織が多い。また、乾燥による収縮・変形が小さいために、燃焼で割れや隙間が出来ない。○ 二つには、表面が燃えてできる炭化層が断熱材として働き、内部に熱を伝えにくくする。○ 以上の2点で、火災でタンスの中まで燃え尽きるには時間がかかる、と推測される。最後には、キリ材は燃えてもタンスは燃えないことの証明は難問だ、とも付け加えられている。■社団法人日本林業技術協会編『木の一〇〇不思議』東京書籍、1995年(上杉三郎氏(農林水産業森林総合研究所)執筆部分)によりました。ネットであちこち見ると、桐は熱伝導性が小さいから燃えにくい、という説明があるようだが、科学的にはそう単純なものではないようだ。さて、前回の記事にした時に抱いた疑問は、桐のタンスについて、(1)吸湿性が高いので湿気のあるときは膨張して外気を遮断する。火事の際は水をかけると(吸水性が高いので)燃えにくい。(2)桐の乾燥材は吸湿性が低く水を通さず、また割れや狂いが少ないので、精密な箪笥製作が可能。などと説明されているが、吸湿性については(1)と(2)で、高いと低いの説明が矛盾しているように思ったことだ。そもそも、火事に強いと言われる点に関して、上記の桐材の特性の分析と、「水をかければ中身が守られる」的な理解とは、別物なのだろうと思うのだが、一般には、桐箪笥は火事の時に水をかけて守る(あるいは消火活動で水がかけられる)と理解されているのだろうか...この小さな疑問はさておくとしても、吸湿性が高いのか低いのかについて、どうだろうか。上記の文献のほか、いくつか当たってみたのだが、木材の調湿能についての説明はあるが、樹種による吸湿性(吸水性、透水性)の相違などについては、よくわからなかった。■関連する記事 桐と東北(2015年11月21日)
2015.11.21
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桐の木というと、高級タンス材として有名だ。岩手の県花でもある。よく県木と間違えやすいが(私だけか)、岩手の県木はナンブアカマツ。桐の花とは、本物を見たことはないが、岩手県ウェブサイトには、「材の光沢が強く淡紫色をおびて美しく、南部の紫桐として知られる」「五月の薫風に甘い芳香をただよわせて山里の春を飾る」「足利時代に遠野南部家が大和から苗を移したのが始まりと伝えられる」と説明されている。桐花章や紋章にも使われるが、高貴なものとみなされてきたようだ。国産材の中でも最軽量で柔らかく加工がしやすい上に、木目が美しい。また、湿気を吸って膨張する。このため、タンス材とすると、湿気の多い場合には隙間を埋めて外気を遮断し、乾燥すると縮んで通気が良くなる。また、火事の時などは水をかけると、吸水するので燃えにくい。このように火や湿気に強いのである。なお、乾燥材は吸湿性が低く水を通さない、また、割れや狂いが少ないので気密性の高いタンス加工ができる、などの説明もある。(吸湿性が高いと低いの両方の解説があって、矛盾しているようにも思うが、後でよく調べてみたい。)植物としては生長が早い特性を持ち、タンス材としては20年目くらいが適している。娘が生まれると桐の木を植えて、嫁入りのタンスを作ったのも、このためだ。産地としては、南部桐、会津桐が有名。産業としての桐材の現状はどうだろう。後に。■この記事の続き 桐と東北(その2 桐材の特性)(2015年11月21日)
2015.11.21
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地名の縁で碁石対決など交流を深めている話題を、以前に書いたが、まさしく絶妙のペアであることに感心したものだ。■白石市と黒石市の交流を考える(2006年12月6日)■黒石の純金こけし(2007年12月22日)なぜか早朝にこのことを思い出したのだが、人口規模や産業構造も同じだという説明を検証したくなって、以下に記す。人口(両市ウェブサイト) 黒石市35093 白石市35670世帯数(同) 黒石市13619 白石市14103面積(km3) 黒石市217 白石市286事業所数(平成24年経済センサス) 黒石市1439(主要内訳)建設業136 製造業87 卸小売業380 宿泊飲食サービス223 白石市1568(主要内訳)建設業214 製造業124 卸小売業416 宿泊飲食サービス178事業所 売上(収入)金額(同上、百万円) 黒石市 製造業38071 卸小売業45429 宿泊飲食サービス2488 生活関連サービス娯楽5938 医療福祉8832 白石市 製造業81823 卸小売業39539 宿泊飲食サービス4109 生活関連サービス娯楽8491 医療福祉7245企業等 付加価値額(同上、百万円) 黒石市 製造業7733 卸小売業5375 宿泊飲食サービス801 生活関連サービス娯楽450 医療福祉5861 白石市 製造業6132 卸小売業3894 宿泊飲食サービス1351 生活関連サービス娯楽749 医療福祉4034教育施設数 黒石市 高校2(県立黒石、県立黒石商) 中学校4(市立) 白石市 高校2(県白石、県白石工)、中学校6(市立)
2015.11.18
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来春に北海道新幹線奥津軽いまべつ駅が開業する今別町の「観光ガイド」を、仙台駅で手にした。津軽半島を2年前に回って以来、当地のことをあれこれ考えている。(旅の写真集から2枚だけ紹介します。詳しくは、本記事末尾にリンク表示した過去記事をご覧下さい。)海雲洞釈迦堂吉田松陰の東北視察をしるす石碑新幹線開業と観光振興策について、前回記事にした。今回は地元の方々の日頃の交流、すなわち通勤通学について考えてみたい。今別町では、新幹線開業に際して、町内から青森市に通学する高校生を対象に、通学定期の費用の3分の1を助成する方針だと報じられている。1か月3万円程度とみられるので、約1万円を町が助成することになりそうだ。もちろん、通学に適する時間帯に列車が停車するのかどうかはわからないし、新青森駅から各高校への交通(列車、バス、自転車?)の事情もわからないのだが、新幹線両駅間は38.5kmと、仙台-古川間よりも短いから、移動時間は正味10分程度だろう。これだけをみれば、通勤通学には極めて十分である。現在、どれだけの生徒が今別町から青森市に下宿あるいは通学しているかについては、町では明らかにしていないようだ。町の人口は2937人、町で唯一の今別中学校の3学年在籍者は16名なので(町ウェブサイト)、絶対数は少ないだろう。なお、青森北高校今別校舎(旧今別高校)があり、東津軽郡で青森市以東では、何と唯一の高等学校だ(ほかに平内町に。全校生徒33名だが、1年と2年生は各5人づつしか居ない(同校サイト。津軽浜名駅から3分だが、津軽線は一日5往復のみ、青森市までは1時間半と説明)。してみると、蟹田あたりは津軽線で青森市に通学できるのかも知れないが(津軽線ダイヤを見ると蟹田708発で、青森着748がある。なおこの電車に乗るためには、三厩駅610発、津軽今別駅617発だ。)、三厩、今別、平舘などの地域は、中学校を卒業すると青森市に下宿するのが一般的なのかも知れない。他方で、あるブログでは、函館方面に行く場合に、西北五津軽地域からだと、新青森駅ではなくて奥津軽いまべつ駅まで車で行って(無料駐車して)新幹線に乗るのが便利だという見方がある。なるほどと思わせる。現在でも、混雑する青森市内を避けて、蟹田駅から海峡線に乗る人が多いのだという。新幹線が地域間交流のあり方を変える一例だが、そもそも今別町の生活圏交流圏はどうだったのか、あれこれ以下に考えてみる。(1)東青地域の生活圏と交流人口東津軽郡と青森市を合わせて東青(津軽)地域と呼ばれ、青森県の広域区分として東青地域県民局の管轄エリアともなっている。(なお、津軽は、東青、西北or西北五(さらに西と北五に細分)、中南or中弘南黒、などのように一般に区分される。)■当ブログ「青森県東部の地理概説(三八、上十三などの意味)」をご参照下さい。東津軽郡の経緯をみてみると、郡役所は青森町。地域の核と思われる「町」に昇格したところを拾っていくと、明治22年(町村制)青森町のみ(のち市制)大正8年 油川町(現青森市)昭和3年 小湊町(現平内町)昭和16年 蟹田町(蟹田村が昇格)昭和27年 筒井町(現青森市)昭和30年 平内町、今別町(今別村と一本木村の合併)平成17年 外ヶ浜町(蟹田町と2村の合併)であり、蟹田町の拠点性が高いことがうかがわれる。東青地域では、例えば警察署は、青森署、南青森署(旧浪岡町を管轄)と外ヶ浜署(蟹田に所在)だ。(2)通勤通学人口前回平成22年国勢調査から。今別町に常住する就業者(15歳以上)1285人と通学者93人(15歳未満含めると244人)について。通勤通学先別に。総数 就業者(15歳以上)1285 通学者(15歳以上)93 同(15歳未満含む)244自町 順に、921 47 197町外 364 46 47(内訳)青森市 89 41 42弘前市 0 3 3野辺地町 0 1 1となっている。中学生が今よりやや多く毎年30人程度だったと考えると、同町出身の高校生と15歳以上の中学生は、およそ100人程度とみる。さらに、高卒後の専門学校なども考えられるので、同町出身の学生はおよそ150人はいるのでないだろうか。これに対して、同町常住の「通学者」が93人ということは、残る数十人は、同町に常住していない、つまり下宿かアパートに暮らしていることになる。さらに、常住するうち、おおざっぱに半分の生徒が青森市に通学している。ちなみに、外ヶ浜町をみる。総数(上と同様順に)2965 196 603自町 2359 38 437町外 606 158 166青森市 404 130 133である。蟹田と三厩ではだいぶ事情が違うと思うが、15歳以上の通学者で自町が極端に少なく、大半が青森市に通学している。さらに、三厩だと上記の通学者総数にも含まれない(青森市に下宿)のではないだろうか。■関連する過去の記事(今別町に関連するもの) 奥津軽いまべつ駅と交流人口増加策 自転車に着眼(2015年7月22日) 奥津軽いまべつ駅の開業と観光ルートを考える(2015年7月19日) 貴重な資源だった赤根沢の赤岩(2013年7月15日) 青森市森林博物館と津軽森林鉄道(その2)(2013年6月19日) 青森市森林博物館と津軽森林鉄道(その1)(2013年6月18日) 蟹田から蓬田へ(2013年6月17日) 平館灯台と不思議な高層建築(外ヶ浜町平舘)(2013年6月16日) 赤根沢の赤岩(今別町)(2013年6月15日) 袰月海岸、高野崎(今別町)(2013年6月14日) 厩石と義経寺(2013年6月13日) 芦野公園と津軽森林鉄道(2013年6月4日) 下北半島の森林鉄道(2013年5月6日) 津軽森林鉄道(10年5月8日)
2015.11.15
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「州」は中国古代の行政区画で、国の意味にも使われた。「州」は二川を合わせた合意文字で、水面より高いところ、また、川の流れが二つに分かれてまた合流する象形文字とし、川中に囲まれた小地面を示す。これから転じて、水中の区切られた場所、区画の意となり、国の意味となった。わが国にこの文字と用法が伝わり、古くから用いられた。従って、七州とは、7つの国の意味である。明治元年12月7日、陸奥と出羽の両国が、磐城、岩城、陸前、陸中、陸奥、羽前、羽後の7国に分割された以来の用例である。東北七州自由党(若生精一郎など、明治14年)「国分街・・・東北七州無比の繁盛ナリ」(「仙台繁昌記」第1巻、有竹小三郎、明治16年刊)旧制二高校歌東北の一体感連帯感を昂揚する響きをもって、明治期には盛んに使用された。なお、「州」を国の意とした実例として、「九州」(筑前、筑後、肥前、肥後、薩摩、大隅、日向、豊前、豊後)、「本州」、「関八州」(武蔵、相模、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)などがある。■参考 仙台市民図書館編『要説宮城の郷土誌(続)』宝文堂、1996年■旧制二高 校歌(土井晩翠作詞、楠美恩三郎作曲、明治38年制定)天(そら)は東北 山高く 水清き郷 七州(しちしゅう)の光教(おしえ)の 因るところ 庭のあしたの 玲瓏(れいろう)の露に塵なし 踏みわくる われ人生の 朝ぼらけ(以下略)■東北七州自由党 明治14年3月、東北の連携のもとに、河野広中(福島)、鈴木舎定(岩手)、柴田浅五郎(秋田)、本田庸一(青森)、若生精一郎(宮城)らの自由民権活動家が仙台で結成。中央に自由党が立党される7か月前で、「自由党」の名を冠するわが国最初の政党。しかし、6月の秋田事件の影響もあって、さしたる活動をすることなく消滅。以後、東北の自由民権運動家の団結は、明治15年11月結成の東北会に継承される。■若生精一郎 若生文十郎の弟。仙台培根小学校(現在の木町通小学校)の好調となる。明治11年仙台に圏内最初の民権結社鶴鳴社をつくり、自由民権運動を展開。翌年教職を辞し、宮城日報を発刊、社長に。明治13年、村松亀一郎らと本立社を組織。福島の河野、岩手の鈴木らと東北連合会(明治13年)、東北七州自由党(明治14年)を結成し、東北民権運動の団結を図った。後に復職して、古川小学校校長。明治15年3月没。■関連する過去の記事 東北七州とは何か(2015年2月17日)
2015.11.13
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今や社会インフラともいえるコンビニ。主要10グループの月平均来店客は13.7億人。一人で月に10回以上コンビニに行っているのだ。中央公論の11月号(10月10日発売)に、全市町村のコンビニ店舗数のほか、人口当たりの店舗数やコンビニ難民となる高齢者の度合いが分析されていた。徒歩300メートル圏にコンビニがあるところに居住する高齢者は全国で39%に過ぎず、すなわち、6割はコンビニ難民であるとしている。非常に興味深い分析だが、今後も生活の核となるであろうコンビニに容易にアクセスできることが肝心であろう。東北を中心に主な指標を記す。(1)店舗数50以上の市区町村仙台市青葉区197 秋田市163 いわき市156 郡山市153 盛岡市140 福島市120 青森市118 山形市114 八戸市110 仙台市宮城野区106仙台市太白区87 仙台市泉区82 弘前市76 石巻市74 仙台市若林区69 大崎市65 会津若松市54 北上市51(2)300メートル圏内にコンビニがある高齢者人口の割合(高い市区町村)若林区60% 多賀城市55 青葉区53 宮城野区53 太白区42 泉区40 岩沼市40 山形市39 盛岡市38 塩竈市38 秋田市37 郡山市36 青森市35 大河原町35(人口20万人以上の市区町村の中でも、特に低い都市)いわき市26% 福島市27 八戸市31(都道府県別の割合)宮城32% 青森21 山形21 福島21 秋田18 岩手16全国最低は島根14 最高は東京都76(3)コンビニ(10グループ)の店舗がない市町村(全国では141。東北関係を記す。)西目屋村 風間浦村 佐井村 新郷村 西我が町 田野畑村 普代村 七ケ宿町 藤里町 大蔵村 鮭川村 檜枝岐村 只見町 三島町 金山町 昭和村 鮫川村 富岡町 大熊町 双葉町 葛尾村 飯舘村(4)都道府県別店舗数グラフなので実数がわからないが、宮城は人口あたりの店舗数が全国的にも高い方になっている。概して、東高西低。東北の中では、宮城、秋田、福島、山形、岩手、青森の順のようだ。店舗数では、宮城が秋田や山形の倍程度あり、福島は宮城に次ぐ。グループ別の構成比では、福島はセブン-イレブンのシェアが高いようだ。4割以上か。セブン-イレブン店舗数では宮城より多いようだ。セブン-イレブンは青森、秋田はグラフでほとんど見えないくらい。ファミリーマートは宮城でシェアが高いようだ。青森は、ローソンとサークルKサンクスが比率が高く、両者で全体の9割くらいに見える。秋田はローソンが4割以上に見え、比率が高い。(帯グラフを見ての直感なので、不正確。)*10グループとは、セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルKサンクス、ミニストップ、デイリーヤマザキ、セイコーマート、ココストア、スリーエフ、ポプラ、セーブオン、コミュニティ・ストア■関連する過去の記事 セブンイレブンと青森県(2014年4月20日) 震災とコンビニ(2011年4月17日) 大型店販売不振 コンビニ躍進(2009年4月18日) 大手コンビニの店舗展開と東北(2008年8月16日) コスモス(仙台)とエイトテン(石巻)があった時代-1983年の宮城のコンビニ事情(2005年11月16日) 仙台のコンビニ今むかし 「コスモス」を知りませんか?(2005年10月12日)
2015.11.12
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ある資料に、郷土のナンバーワン製品なるコーナーで、各県別に全国一のシェアを誇る商品を紹介している。データの原典は、経産省の工業統計2003で、やや古いのだが、さっそく東北関係をみてみる。青森県 さば缶詰 全国シェア32.8%宮城県 スイッチ 28.9秋田県 固定コンデンサ 28.4山形県 カメラ用レンズ 19.4福島県 カーステレオ 25.3電子部品などの工場がある関係だろうが、各県ごとに企業の固有名詞が浮かびそうだ。しかし、岩手県がないのが、残念。なお、全国をみわたしてシェアの高い県を拾うと、静岡県 ピアノ 100.0福井県 めがね枠 96.0大阪府 毛布 95.7北海道 バター 89.0香川県 ニット編手袋 88.7長野県 拡大鏡、顕微鏡 79.5など。結構おもしろい。逆に、シェアの最も低い「日本一」は、大分県のモス型IC(最も一般的な集積回路)で、9.6%だ。■出典 『なるほど知図帳日本2006』昭文社、2006年
2015.11.10
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北根というと今では大動脈の県道(旧国道4号)が走り、東に黒松団地、西には藤松や双葉ヶ丘団地などを従える、一大開発ゾーンだ。しかし、かつての北根村は、常住する村民の居ない特殊な無人村だった。北根村は、仙台領の宮城郡国分33か村のひとつ。旧仙台領時代の北根村は、古い黒松林と農耕地のある地域だったが、常住人口はゼロだった。人はいなくても歴とした公村であった。(公村は、領内限りの私村や端郷の場合(村は禁字で邑の字を代用した)と異なり、対外的に公式の村である。仙台領に1,011あったという。)このような無人村としては、登米郡に日野渡、小島邑、遠田郡に小塚、成沢、上郡、南高木邑などがあった。無人の北根村に人が定住しはじめたのは明治に入ってから。明治8年調べで戸数7、人口22人とされる(宮城郡誌)。明治22年の町村制施行の際に、北根村は、七北田村、市名坂村、松森村、古内村、上谷刈村、荒巻村、野村と合併して、七北田村となる。昭和6年には、荒巻とともに仙台市に編入されて現在に至る。旧国道4号の基礎となった交通路は、堤町-北根-市名坂-富谷-吉岡に至る道で、伊達政宗がはじめて開通させたのが元和9年(1623)。それ以前の道中は、北山-荒巻-丸田沢-長命-野村(元七北田)-朴沢-根白石-宮床-黒川と山根を辿っていた。北根の丘陵を開削した新道は、在来の中山道(古街道、野村道、秀衡街道)に取って代わって、仙台以北への幹線となった。松前、八戸、南部、一関の諸侯が参勤交代に上下したのもこの道である。■参考 仙台市民図書館/種部金蔵編『要説宮城の郷土誌』宝文堂、1980年■関連する過去の記事(北根、中山道(なかやまみち)など) 北根と七北田街道(2011年10月24日) 近世までの東山道と中山古街道、七北田街道(2011年10月23日) 中山峠の狼(2011年10月6日) 中山道と狼石(2011年1月13日) 飛び地の多い上谷刈(2010年11月15日) 中山道を考える(再び)(09年11月23日) 忘れられた宿場町 根白石(09年11月4日) 朴沢の話(09年5月13日) 朴沢をめぐる(続・画像)(09年5月2日) 朴沢をめぐる(09年5月2日) 中山(なかやま)道を考える(09年3月25日) 中山道のむかし(09年3月23日)
2015.11.08
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ちょっと時間が経ってしまいましたが、整理しました。候補の当落もさることながら、有権者にとって何が重視されたかの検証に関心を抱きました。今回も、河北新報の終盤の分析と並べてみる形で検証します。(前回県議選について行った検証は後記の過去記事をご参照ください。なお、小数点以下の按分票は四捨五入。)■青葉選挙区(定数7-候補10) 区分河北分析記事結果備考先行21共産現職2公明新人1共産現職 126532公明新人 12221中位33無所属現職(か)4民主現職(女性)5無所属現職(き)3無所属現職(か)102314民主現職 96796無所属現職(き)8870苦戦36自民現職ベテラン(あ)7自民現職ベテラン(な)(追う)8民主新人(民主新人が食い込む可能性)7自民現職(あ)81115自民現職(な)88238民主新人 落選7003独自1維新新人9 3268■宮城野選挙区(4-5) 区分河北分析記事結果備考優位2追って2自民現職公明現職(続いて)3共産新人(追って)4民主現職1自民現職128602公明現職104583民主現職82904共産新人8124追う15維新現職5維新現職 落選4571■若林選挙区(3-4) 区分河北分析記事結果備考横一線3自民新人共産新人(女性)自民現職(以上横一線)1自民新人 100412共産新人 94333自民現職 7490懸命追い上げ14民主新人(女性)4民主新人 落選5849■太白選挙区(5-6) 区分河北分析記事結果備考優位1猛追3民主現職(猛追)自民現職共産新人公明新人1民主現職 110582公明新人 110443共産新人 110294自民現職 10865接戦25社民現職6自民新人(どちらかが最後の議席)5社民現職 89786自民新人 落選8796■泉選挙区(5-10) 区分河北分析記事結果備考トップ争い2公明現職無所属新人(民主推薦、元衆議)1無所属新人 119943公明現職 9323中位53自民現職(女性)4共産新人5自民新人(え)6民主現職7自民新人(し)2共産新人 95584自民新人(え)70425自民新人(し)69496自民現職 落選65697民主現職 落選5885最後を争う38自民系無所属新人9無所属新人(女性、元衆議)10元気新人8自民系 落選19919無所属 落選195610元気 落選957■塩釜選挙区(2-3) 区分河北分析記事結果備考三つどもえ横一線1自民現職(公推)2共産現職(女性)3自民元職(公推)1自民現職 70822共産現職 69533自民元職 落選5376■石巻・牡鹿選挙区(5-7) 区分河北分析記事結果備考トップ争い21無所属現職(さ)2無所属現職(も)2無所属(さ)104911無所属(も)10998中位以下混戦53共産現職4自民現職(公推)5民主現職6自民元職(公推)7民主元職4共産現 75207自民現 落選67675民主現 71673自民元 82916民主元 落選6921■気仙沼・本吉選挙区(3-5) 区分河北分析記事結果備考トップ争い21無所属新人(自民公明推薦)2自民現職1自民新 131562自民現 7596競る33維新現職4無所属新人(さ)5無所属新人(元区議)3維新現 65515無所属(さ)落選23744無所属(元区議)落選3839■多賀城・七ヶ浜選挙区(2-4) 区分河北分析記事結果備考先行31自民現職(に、公推)2自民現職(て、公推)3無所属新人2自民現(に)62553自民現(て)落選57101無所属新 9812猛追14共産新人4共産新 落選4778■登米選挙区(2-5) 区分河北分析記事結果備考大接戦31自民元職(公推)2自民現職(公推)3無所属現職3自民元 落選89682自民現 94591無所属現 9663追い上げ14無所属新人(民主推薦、女性)4 落選7588独自15無所属新人5 落選2672■栗原選挙区(2-3) 区分河北分析記事結果備考横一線激戦1無所属現職2自民現職(公推)3無所属元職(社民推薦)3無所属現 落選106512自民現 107581無所属元 11806■大崎選挙区(4-6) 区分河北分析記事結果備考先行21自民現職(き、公推)2自民現職(な、公推)2自民現(き)94711自民現(な)10149追う新人4人3自民新人(公推)4共産新人5社民新人6無所属新人3自民新 91024共産新 73625社民新 落選46016無所属 落選4424■加美選挙区(1-2) 区分河北分析記事結果備考先行1無所属新人11500激しく追い上げ2自民現職(公推)落選5784■遠田選挙区(1-2) 区分河北分析記事結果備考リード1無所属新人(さ、前町長)9829追う2無所属新人(あ)落選6516■関連する過去の記事(今回の県議選について) 県議選最終情勢分析を読む(2015年10月22日) 宮城県議選 注目選挙区の情勢分析(2015年10月21日) 県議選 知事の県政の是非が争点ではおかしいのか(2015年10月20日) 宮城県議選の投票率は? 復興と選挙を考える(2015年10月19日) 県議選 河北新報の情勢分析を検証してみる(2015年10月18日) 県議選ポスター掲示板で気づいたこと(2015年10月16日)■関連する過去の当ブログ記事(前回の宮城県議選関係) 宮城県議選 高点順得票で激戦を分析(2011年11月15日) 低かった投票率 宮城県議選(2011年11月14日) 県議選の印象(2011年11月14日) 県議選 石巻はどうか(2011年11月11日) 県議選 激戦の仙台市内3区(2011年11月10日) 宮城県議選 激戦区を追う(2011年11月9日)
2015.11.07
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八戸のシンボルが消えてしまった。東奥日報はこう表現している。今日(5日)未明の火事で、蕪島の蕪嶋神社が全焼。東日本大震災でも津波被害を免れた社殿だった。NHKによると、本殿、拝殿、社務所など280平米が全焼したが、本殿が最も激しく燃えているという。普段火の気はなく、夜間は無人。昨日も午後5時に鍵をかけたということだ。蕪嶋には2年前の盛夏に訪れた。ウミネコが飛び交う小さな社で、社殿の外周を歩いて回れた。ほんの1分ほどで。本当に残念だ。地元の八戸の方々の無念は、計り知れないだろう。■関連する過去の記事(がんばれ八戸。何の足しにもなりませんが、応援のために、当ジャーナルで記した八戸に関連する記事たちを列記します。蕪嶋神社は2012年8月25日の記事です。) 八戸うみねこマラソン(2015年5月6日) 種差天然芝生地(2012年9月1日) 葦毛崎展望台(2012年8月28日) 八食センターのお昼(2012年8月27日) 蕪島神社(2012年8月25日) 八戸キャニオンを見てきました(2012年8月17日) 日本一低い場所 八戸キャニオン(2012年3月20日) 七子八珍(2012年2月17日) 青森の「みやこうた」(2012年1月9日) 八戸市の十大ニュース(2011年12月24日) 「三八地方」を考える(再論)(2011年12月4日) 八戸 謎の学校蛇口盗難事件(2011年3月4日) 新幹線八戸全便停車を考える(09年12月19日) 八戸港貿易額が半減 - 東北の貿易状況を考える(09年12月1日) 青森県東部の地理概説(三八、上十三などの意味)(09年8月1日) 八戸高校のバンドがTDSで演奏(09年7月30日) 東北一の新・八戸信用金庫(08年5月20日) お国自慢 青森県の私鉄(08年4月13日) ウミネコの八戸(08年3月17日)
2015.11.05
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録画したテレビ番組でやっていた。座敷ワラシに会える山形県の古民家の貸し切り宿。有名人も宿泊しており、ここに泊まると幸せになれると。タガマヤ村というのは山形を逆さ読みにしたネーミングだろう(中山の語も含めてすべて母音ア段だ)。民家は相当古いようだが、旅館として活用されたのは比較的最近のようだ。ご主人が画面に登場して、ご自身の幸福談としては、2人の息子が大学進学、上の子どもさんは医学部です、と話しておられた。鎌上さんという御名前も出ていたから、記させてもらって良いだろう。座敷童子や座敷ボッコは東北全般の伝承だから、この地にも「もと」となる何かはあったのだろう。しかし、それにしても感心するのは、一組のみ貸し切りで、体験型の宿泊施設として再生させて、さらには、有名人来館や座敷ワラシの「付加価値」をつけて売り出すという着眼点だ。かなりの経営手腕と拝察する。ずいぶん先まで予約でいっぱいだという。とにかく、注目されること、人が来ることは、良いことだ。そこにあるもので勝負する。そこにあったものを磨き直す。その意味で、地方創生の典型である。中山町観光協会のサイトにもタガマヤ村のリンクがあるから、少なくとも地域や行政と遊離しているのではなかろうと思われるが、町政としてもいろんな事が考えられそうだ(既に連携や協働がなされているのかも)。
2015.11.03
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