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自衛官によるUFO目撃談は、松島基地と三沢基地が多いそうだ。目撃地域は関東以北で、福島や群馬の山中ではレーダーで低速目標物体が捉えられるが偵察しても何も見つからないことが頻発しているのだという。▲独特の雰囲気を持つモヤ山付近(説明は下にあります。)福島県は地上でもUFO目撃例が多く報告されている。特に、UFOの名所ともいうべき千貫森のふもと飯野町には「UFOふれあい館」があるくらいだ。千貫森が古来UFOの故郷とされるのは、この山自体がコンパスを狂わせるほどの強力な電磁波を出しているからだという。青森県もUFOに縁が深い。戸来村周辺には人工ピラミッドとも思える山が並ぶ。亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶については、その高温焼き上げの技術も関係して、宇宙人説がある。その近くの十三湖周辺にある三角山やモヤ山も人工的な山だとされる。青森と秋田の県境を挟んだ一帯には、ストーンサークルがあり、大湯環状列石の近くには人工建造物黒又(くろまんた)がある。強力な電磁波、人工の山、環状列石などの間には密接な関係があるとして、古代における宇宙人のいわば空港の役割をもつものだとの論がある。■『実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO』(講談社、2010年)の一部から当ジャーナル要約ことの真偽は謎だとして、ミステリーとして十分に興味をかき立てる。さて、上掲書に出てくる十三湖付近の「モヤ山」とは、十三湖の北、脇元地区でしーうらんどのすぐ北にある鬱蒼とした山のことだろう。地図では「靄山」152.4mと表記されている。ここは、2年前の旅で通った。(下記の記事をご参照ください。)上の画像は、以前の旅日記にはアップしていない画像の中から探し出したもの。記事では、密入国防止の看板などの画を出したのだが、この一帯に独特の雰囲気を醸し出す鬱蒼とした丘に気を取られて、一枚撮ったのだ。モヤ山それ自体ではなく、その裾野という感じだとは思うが。三角山とは、小泊の中心集落の東にある三角山(185.8m)のことだろうか。小泊もぜひまた行きたい。■関連する過去の記事 小泊地区と銘菓ごんげんざき(2013年6月8日) 市浦からライオン岩(小泊)へ(2013年6月7日) 大石神ミラミッドと新郷村の旅(2012年8月19日) 大湯環状列石とストーンサークル館(2012年8月21日) 黒又山(2012年8月20日)
2015.05.31
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ガンガラ穴は、2年前の旅の際に地元の人に確認したら、今は船を出していないような話だった。『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典2 青森県』(人文社、1998年)には、こうある。森山崎に屹立する絶壁にうがたれた海食洞で、深さ約150メートル。内部は広々とした洞穴。洞窟の探勝には、6から10月、付近の民宿から波の静かな日に船が出る。所要20分。今から20年近く前までは船が出ていたことがわかる。深浦町の公式サイトをみてみると、周辺の民宿から船が出る、と現在形の表現。とすると、今でも(要望に応じて)船は出るということなのだろうか。少しばかり気になっている。■関連する過去の記事 日本一短い五能線仙北岩トンネル(2014年9月20日) ガンガラ穴、森山海岸(深浦町)(2013年5月19日)
2015.05.30
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仙台駅では新しい時刻表を配布している。待ちに待った、仙石線の全線再開と新しい仙石東北ラインの開通だ。地域の足として機能回復は本当に大きいこと。しかも震災前より速達を実現。復興はまだまだ途上だけれども、ひとつの画期のような気がする。また、全国の人に、塩竈、松島、石巻、女川などを訪れてほしい。
2015.05.28
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先月のことだが、図書館に行った際に、以前借りた本がまだ戻っていないと言われた。コンピュータ上で、私がまだ借りている状態のままとのことだった。その後、家中を探したが出てこない。自分としては当該の本は、図書館に行く家人に頼んで返却したつもりだが、100%戻したという確信もある訳ではない。あるいは進学した子どもたちが昔読んでいた本たちを、近所の施設に差し上げたが、その際に紛れてしまったか。公共のものを紛失しては申し訳ない、と大変気になっていた。その本は、下の子が部活に関連して興味を持ちそうなのでと思って借りていたもので、他の中学生たちも読もうと思っているかも知れない。いつまでも図書館に蔵書されない状態にしてしまってはいけない。ここは、弁償か。役所だから金で弁償されても困るだろうから、自分で買って寄付すればいいか。1500円くらいだし... などと思っていた。週末に図書館を訪れた際に、家にはどうも無いようなので、と話して、係の方が、事情はわかりましたので、という。新しく借りる本を決めてから、開架の書棚を確認している係の方のところに行って、やっぱり戻っていないですか、などと話す。この場所にあるはずなのですが。すると、係の方が、ありましたね、と一言。本来あるべき位置とはちょっとずれた場所に並べられていた。確かに、その本だ。念のため、複数蔵書していたのではないですね、などと確認してしまったが、とにかくホッとした。おそらくだが、返却処理の際に、バーコード読み取りがされずに、しかし本そのものは館の人の手で戻された。しかも、場所が本来ではないところに。こんなこともあるものだ。図書館では、リストと陳列順番の一致を確認したり、貸出返却の状況と照合したりなどの作業を定期的にやっているのだろうか。それはかなり大変なことだろう。
2015.05.27
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十三は地名としては「じゅうさん」と読む。昭和30年3月に市浦村が誕生(相内村、脇元村と合併)する前の十三村もジュウサンと読んだ。地元の方もジュウサン小学校と言っていた(2年前の旅の体験です)。ところで、こんな説明がある。古くはトサと読んだが、津軽藩二代目当主土佐守信枚(のぶひら)をはばかって、ジュウサンとよぶようになったのだという。(『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典2 青森県』人文社、1998年、による)■関連する過去の記事 十万都市だった十三湊(2014年4月29日) 十三湊遺跡(2013年7月16日) 十三(じゅうさん)湖と十三(とさ)湊、とさの語源(2013年7月14日) 十三湊を訪れる(2013年6月6日) 日の本(ひのもと)将軍の安藤氏(09年1月25日) 津軽安藤氏と北方世界(10年5月18日) 青森県東部の地理概説(三八、上十三などの意味)(09年8月1日)
2015.05.26
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登米の明治村。教育資料館は訪れたことがあるが、警察資料館はまだ行っていない。丹野諒祐『いきなり宮城』(中経出版、2014年)のマンガをみて、今度は是非入ってみようという気になった。マンガによると、パトカーに乗って記念撮影、サイレンも鳴らせる。留置場にも入れるのだそうだ。登米市などのサイトによると、この建物は、登米高等尋常小学校と同じ山添喜三郎の設計による擬洋風の建築。我が国で唯一の警察資料館だ。水沢県庁記念館、懐古館、春蘭亭などとともに、時間を掛けて訪れたいものだ。■関連する過去の記事(登米市登米地区に関するもの) 登米の「みそアイス」(2010年3月14日) はっと屋台村(2009年11月22日)
2015.05.24
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おとといのことだが、TVのNHKニュースで、全国の新酒鑑評会で、福島県の酒の金賞受賞の数が全国一。福島県は三年連続で日本一で、全国の酒どころを抑えて金賞受賞数で第一位との報道だった。福島は「酒どころ」ではない(?)ことが前提なのだが、ならば一般に「酒どころ」は何処とされているのだろう。よく言われる灘と伏見か。調べてみたら、日本三大酒どころとは、灘、伏見と、広島県の西条(東広島市)だそうだ。安芸西条は、灘、伏見と並ぶ銘醸地で、独立行政法人酒類総合研究所(かつての国税庁醸造研究所)が所在する。NHKニュースの鑑評会は、この酒類総合研究所が行っている「平成26酒造年度全国新酒鑑評会」である。(なお酒造年度は7月から6月まで)今年4月に予審、5月に決審があり、5月19日に結果が発表された。出品数852点。うち成績優秀の「入賞」は415点で、入賞のうち特に優秀とされる「金賞」は222点。この金賞を獲得した福島県の酒蔵の酒が24点で、都道府県別では第一位ということである。山形、新潟の15点、秋田の13点が続く。NHK報道では、金賞受賞割合も福島は61.5%(出品39点中24点)で、全体の26%に比べてレベルが高い、と報じている。さて、酒類総合研究所のサイトで、入賞酒目録をみてみると、青森県はNHKのいう金賞受賞割合だと実に90%だ。そして、関乃井酒造(商標名は北勇)、豊盃、などの名が見えた。2年前の旅、田名部の夜を思い出すのだ。■関連する過去の記事 田名部の夜(2013年6月13日) 秋田・青森の旅 連載を終えて(2013年7月5日) (帰りがてらに関乃井の4合瓶を買った証拠写真です)
2015.05.22
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佐賀県が、佐賀空港の愛称を、佐賀有明空港から九州佐賀国際空港に改める方針と報道されている。ずいぶん大きく出たんじゃないの、という門外漢の感想を持つのだが、ネーミング戦略としてどうなのか評価はわからない。大胆さという点では、やはり西日本には負けるという気がする。縁結び、コナン、龍馬、などなど。わが東北は、「いわて花巻空港」「あきた北空港」など、おとなしいネーミングだ。せいぜい、おいしい山形、おいしい庄内。仙台空港については、かなり前に、機能向上策を含めて政宗空港などの構想もあったが、概して東北は「まじめ」だなとつくづく思う。仙台空港を、東北仙台国際空港に改める、ともし宮城県知事が言うなら、遠慮があるから、かなり周到に各県に事前説明しておくのではないだろうか。佐賀については、九州で唯一空港がない県であったものの、交通結節は福岡のお陰で便利がよく、切迫した空港開設の必要性があったのか。福岡のサブ機能の程度だったのではないか、というのが素人としての感覚だった。だからこそなのだろうか、遠慮なしの言った者勝ち的な命名戦略。他県も別になにも言わないのだろう。思い出すのは、「宇都宮線」騒動。栃木県が言い出して、東北軽視かとの批判も受けて、誰かが宮城県知事に釈明にきた。サントリーのクマソ発言と同時期だったか。栃木に悪意はなかったのだが、東北人にとっては一線を越えると受け止めたのだろう。自分ならできない命名だから、他が行うことも嫌う、と。■関連する過去の記事 うまし国論争を考える(2007年3月22日)
2015.05.20
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先日、震災後の野蒜築港跡の探訪記を書いた。■関連する過去の記事 野蒜築港跡をたずねて(2015年5月8日)明治初年の営みの跡地が、さらに震災を受けて二重の意味で「跡」となった。地域にとって明治をどう受け止めていたのか、そして震災後はどう意識されているのだろうか。漠然とそんなことを考えてきた。築港がこの地域においてどのように伝承されていたのか。改めて勉強しようとして、この本に出会った。■西脇千瀬『幻の野蒜築港 - 明治初頭、東北開発の夢』(藤原書店、2012年)西脇氏の著作は、築港をめぐる歴史を関わる人々の意識を、当時の新聞資料などをもとに丹念に拾い出す。それも、東北開発史としての期待と挫折の一面にとどまらず、時代背景や、携わる人々の思惑などの諸相を踏まえて、当時やその後や今を生きる個人の意識の中に、築港史がどう存在するかを浮かび上がらせる労作だ。さらに、津波の跡の氏の活動や評価も示されている。たとえば、津波で流された跡から下水道跡が発見されている。記憶の過去に封印されかけた築港が、掘り起こしを待っているかのようだ。私があの場に立って二重の意味での過去を感じてみたい、などと薄っぺらい感慨で満足しようとしたのが恥ずかしい。忘れかけられた近代の一大事業だ。個人レベルでも、夢破れて当地を離れ、思い出したくもないという向きも相当あっただろう。数世代前のことだが、口伝を直に体験した世代なら、まだ最近までおられたはずで、今につながる歴史なのだ。東松島市や観光協会のサイトには、もう築港跡の解説はなくなってしまったようだ。このまま消えてしまって良いのだろうか。人々の評価は様々だったろうが、近代都市を造営した特筆されるべきこの土地は、歴史を経て災害を受けてもなお、人々の意識の中で「掘り起こされる」価値を持つ。この地域の後世に生まれた我々は、さらに後代にまで掘り起こしを伝えていく、そんな責務があるように思う。
2015.05.18
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地震の前に、空や雲に異状がみられたり、音や磁気などに異変が出るとか、あるいは動植物が普段にない動きを示すなどの報告例や仮説がある。東日本大震災の場合も、数時間前からウミネコが全く飛ばなくなったなどの話を聞く。塩竈神社の末社である御釜神社。釜の水は涸れることもなく溢れることもない。日本三奇に数えられる不思議なスポットだが、震災の日にはいつになく水が澄んでいたと言われる。私自身が体験したのは一つだけ。小さな体験だが、動物が異変を感じている能力を確信した。高校生の頃、ちょうど今ころか6月だろう。初夏の夜中に、家で勉強していた。窓は網戸で外からはカエルの合唱が響いている。ふと、カエルが鳴きやんだ。鳴いている最中は鳴いていることを気にしないが、静寂になると、却って不審に感じられるのだ。すると、数秒後、震度2にもならない揺れがグラッと来た。また、数秒後、カエルたちは元のように鳴き出すのだった。これは、予知とか予兆というよりも、地震活動の一環として揺れの直前に生じる何らかの異変を、カエルが察知しているからだろう。人間の五感は、揺れが始まってはじめて地震を感じる。しかし、動物は、その前に、初期微動なのか地下の異音なのか、何らかの異状を感覚できるのだ。けっして、超常的に感覚外の(第六感)予知をするというのではなくて、あくまで科学的に解明可能なものだろう。解明されているかどうかは別としても。そのことを確信したのだった。予知ではなく、早期行動とでも呼ぶべきか。勝手にそう考えている。何億年も地球で暮らしてきた動物たちだから、地震活動から生じる音、におい、磁気、などを敏感に感覚する能力を獲得していておかしくはない。
2015.05.17
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先日栗原市築館で、町の中心部に「せんぽく」の看板をみた。宮城県北部の金融機関である仙北信用組合が、略称を「コミュニティバンクせんぽく」としている。そして、今では看板にもハッキリと書いている。宮城県では完全に「せんぽく」で定着だろう。また、「県北」(けんほく、けんぽく)については、やや微妙な気はするが、以前記事にした県北幹線道路のローマ字表記のように、宮城県では「けんぽく」が主流。「南北」(なんぼく、なんぽく)になると定まらないが、どうも「なんぽく」が多数派か。これまでの検討状況は下記の記事たちをご覧ください。そのうち、言語学、音声学的な観点と、地域文化史や歴史の観点からのアプローチで、この研究を完結させたいと(できるの?)思います。■関連する過去の記事 宮城県民は「県北」をやはりケンポクと読む(2013年2月6日) 南北線は Namboku Line(2012年11月22日) 宮城はやはり「せんぽく」(2011年2月8日) 仙北は「せんぼく」か「せんぽく」か(2010年7月26日)
2015.05.16
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読売新聞の企画で出ていた。(「地名の知」5月14日付け)岩手県二戸市の金田一は、公式には「きんたいち」と濁らない発音なのだという。地元の人は「きんだいち」と濁音で呼ぶが、明治の鉄道駅開業の際に、「きんたいち」と読み仮名が振られて以来、公的な施設は清音が用いられ、他方で言語学者や名探偵の名前には地元なじみの発音で、濁音が主流だという。金田一の名が歴史的資料に登場するのは、16世紀頃で、南部の支族が金田一氏と名乗ったというが、地名の由来はわからず、アイヌ語起源説のほか、金が集まる市の意味とする説もあるという。読売がミステリーと冠するほどには奥が深くないような気もするのだが(失礼)、とにかく、地名については地元のこだわりや由来があるから、面白い。岩手県生まれの私だが、小さい頃のかすかな思い出として、二戸市誕生のニュースの記憶はある。福岡町と金田一村だ。そのころに、どう発音したかまでは憶えているはずもないが、金田一京助や座敷わらしとともに、偉大なる郷土岩手のポイントとして印象強く記憶している。駅名と地域名の表記や発音のズレは、よくあることだ。ただし、単なる駅名ネーミングの気まぐれで生じたズレなのか、もっと深い由来があるのか、そこはこの記事ではわからない。■関連する過去の記事(駅名と町名のズレなど) 原町(南相馬市)とJR原ノ町駅(10年6月9日)
2015.05.15
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ちょうど今も聞こえているのだが、初夏によく聞くキジバトの声。子どもたちは、祖母に教えられて「デデポッポ」と学んでいる。擬音表記は一般にはどう行われているのだろうか。また、地域差などはあるのだろうか。特徴的な鳴き声だから、人間の言葉に擬して、その由来を語る伝承や民話があってもよさそうな気がするが、あまり知らない。不勉強にして。久々に、庭の鳥たちの画像から。9年前のキジバト君です。今鳴いているのは君ではないのだが。
2015.05.15
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帝国データバンク山形支店がまとめた14年の「社長分析調査」では、平均婦負例は過去最高の60.4歳。社長交代率は3.57%で前年から微減。出身は日大がトップで17.1%であり、女性比率6.4%は過去最高、など。河北新報は今朝紙記事にしているが、TDB山形支店が毎年行っているもので今年は4月下旬にリリースしたようだ。支店によって出ているところとそうでないところがある。宮城県の社長分析は聞いたことがないから、TDBが毎年全国規模で分析している際に、各県レベルのデータに分析評価を付して出している支店が固定しているのだろう。いずれにしても、地域版を出してくれるのは良いことだ。社長交代率は長期的に低下の傾向にあり、全国平均3.83と比べても低い。山形は事業継承が遅れていると分析されている。高齢化も関係があろう。大学別は、日大357人がダントツ。以下、山形大88、明大81、東北学院大76、と続く。なお、全国データでは、もちろん日大22,582がトップ、続いて慶應11,703と早稲田10,993が双璧をなし、以下、明治、中央、法大、近大と続く。さて、女性比率6.4%だが、過去最高とはいえ決していまだ高い水準とは言えない。少子高齢化のもと女性人材活躍が重要であり、女性が活躍できる環境が整えばもっと伸びるはず、と分析されている。下記の記事に書いたように、TDBの全国データでは、7.4%だったはずだ。山形は全国40位。たしかに、低い。もっとも、全国1位の青森は、女性の積極的進出というよりやむを得ず未亡人が跡を継いだという「後継者不足」の表れと分析されていた。■関連する過去の記事 女性社長の多い青森と岩手(2015年4月9日) 社長輩出率トップの山形県(2012年11月24日)
2015.05.12
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仙台駅で、杜の都コンサートというのがあって、公開リハーサルにちょうど出くわしたので、ご高齢の方々のじゃまにならないよう気をつけながら、イスに座ってのんびり聴いていた。北欧の特集で、ニルセンとシベリウスの生誕150年だとのこと。また、グリークの歌曲も組み込まれている。仙台フィルで指揮は新田ユリさん。合間に短く聴衆向けの解説もしておられた。ソプラノの千石史子さんは宮城県の出身とのことでもあるが、素晴らしい歌声を披露していた。ところで、リハの直前にスタッフに守られるように入ってきて、演奏者らと言葉を交わして、明るい笑顔で前の方の列に座った人が居る。係員が用意された席を促したようにも見えたが、さりげなく聴衆の中の空席にひとり収まって、気取りも偉ぶった様子もない紳士。あれ、テレビでよく見る池辺晋一郎さんだ。この企画の音楽監督を務めるようだ。リハの最後に、ご挨拶をされた。池辺さんといえば、私は子どもながらに見ていた「黄金の日々」(NHK大河ドラマ、1978年)を思い出す。当然、先生も年齢は進んでおられるはずだが、駅で拝見した氏はとても若々しい雰囲気だった。それと、仙台人にとっては「独眼流政宗」(同、1987年)も深い縁がある。これももう30年近く前になっているが、かりに今聴いても新鮮だろう。一時、イーグルスの鉄平が登場曲に使っていたが。駅は都市の玄関。思わぬ出会いもある。
2015.05.08
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牡鹿半島の先のほう。御番所公園に行きました。画像は、公園のあずまやから見た金華山です。この先130kmあたりを震源に、M9.0の大地震が起こった。そのあと、いったん海面は下がり金華山瀬戸の底が見えたといいます。大型連休を過ぎた公園には、誰もいませんでした。道ばたにキジがいました。山鳥駐車場では、ライダーの姿がちらほら。次の画は、旧コバルトラインから見下ろした鮎川の町。小高いところにあるのは、牡鹿病院、特養ホーム清心苑と、交流センター「ほっとまる」(この日は閉館でした)。今更ながらに被害の大きさを感じます。おしかのれん街も連休直後のためか閉めている店が多く、開いていた雑貨屋さんに立ち寄りました。かつてのすっかり元通りには成らないにしても、少しでも早く「街」を取り戻したいです。渡波から県道石巻鮎川線で牡鹿半島を走り、戻りは普段あまり入らない市道を通って、震災後初めて裏浜側の町々にお邪魔してきた。どこも本当に大変な被害でした。リアスで平地は極端に少なく、仮設住宅の場所や復興住宅建設地にも相当苦労しているのが窺えます。谷川、寄磯浜のあとに、原子力PRセンターに立ち寄ってみました。このセンターや原発の体育館に多くの方々が避難したのでした。館内は撮影禁止のようですが、庭にあるこれは大丈夫でしょう。ニュートンが万有引力を発見したリンゴの木だそうで、接ぎ木して世界の30か所とかにあるそうな。ここにあったとは知らなかったです。半島巡回に、まるまる半日を費やしました。もう5時過ぎ。最後は女川駅・ゆぽっぽに立ち寄り、ホッとします。営業45日で利用客1万人達成という報道もありましたね。今日は、なんと半額の設定でした。お客さんは少なめですが、他県から来た方がおられました。観光、あるいは仕事で女川に来たついでに立ち寄ったという感じです。「街」の拠点が順次揃っていって、新しい活力が生まれることを願います。(編集長ガラケー画像の見苦しさをご容赦ねがいます。)
2015.05.08
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東北開発の一大事業であった野蒜築港跡も、震災を経てかなり様相が変わっている。築港跡のさらに「跡」を訪ねました。新市街地だった三角地域の先端に、公園や「築港跡の碑」があったはずですが、探そうにも、堤防工事の関係で立ち入りできません。おそらく津波で消失しているのではないかと思います。三角ゾーンの中程では、測候所の碑が残っています。、碑には、東北地方気象官署発祥之地 野蒜測候所跡 とあります。裏には昭和二十年六月一日 仙台地方気象台長 森田稔 建之昭和四十九年三月一日 仙台管区気象台長 佐々木治 修復と刻まれています。ところで、やや離れて(画像の左手)、数枚の石版が平積みのように積まれています。よく見ると文字が刻んであります。明治十一年東北地方開発の先鞭たる野蒜港建設の議興るや...とか、石巻市中央一丁目 石工 阿部.. などネットで震災前の碑の画像を見比べてみるとわかりますが、数枚の石は、立碑を支える台座の石だったようです。津波でバラバラになって、おそらく立碑も倒れたのかも知れませんが、探し集めて、ここにまとめて置いたようです。煉瓦の門柱は明治当時のものとのことですが、無事だったのでしょう。やや離れて、石製ローラーと起功之碑、そして松の木です。ここも、復元作業があったと思われ、看板は新しいように感じられます。松は少々痛々しいです。三角地域から浜市方面に戻るとき、気づきました。新鳴瀬川部分に残る煉瓦の橋台跡です。これもよく写真が出ていたやつですね。一面が土色の平面世界になってしまうと、場所や位置関係がわからなくなります。看板や説明板はもちろんですが、建物や樹木があったり、川土手の緑や田畑の雰囲気なども含めて、色や三次元的質感で人間は地理を認識したり記憶することに、改めて気づかされたりします。津波被災地に共通のことです。5年目の春を迎えても、なお。(編集長のガラケー画像の見苦しさ。ご容赦ください。)
2015.05.08
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今日5月7日は世の中は連休明けで皆さん仕事でしょう。ひとり編集長は、宮城の沿岸部を探索。震災の爪痕いまなお残る中に、初夏の兆しや復興の息吹を探してまいりました。まず、東松島市は宮戸の大高森です。下の画像は、大高森から望む松島湾です。ここに登るのは、おそらく20年振り、それ以上かも知れません。今まで5回か6回は登っていましたが、初めて訪れたのが高校3年ですから、登った思い出は、すべて約10数年間の間につまっているはずで、それから20年以上なら客観的には実に相当な間隔が開いている。しかし、社会人になってからの経験は「今」に連なる錯覚が働くためか、それとも大人になると感受性が鈍って時の経過も気に留めないためか、高校生時分だけが「昔」で、あとの訪問体験は今に続いていると思いこんでいるようです。まったくおかしな話でしょう。それはともかく、久しぶりに登りました。松の根が浮き上がる園路を登っていくと、高校3年のクラスの40数人が、騒ぎながら、ちょうど今頃5月の大高森に登ったあの時をどうしても思い出します。山頂にあがると、四阿などは新しくなっているようで、私も初めて目にするものです。30数年前は、コンクリートの土台がはみ出したような感じで、危なっかしい印象をもったものでした。今回は、ひとり、新しい四阿に腰を下ろして、のんびりと牡鹿半島や千賀の浦をのぞみます。いい天気で、景色も抜群でした。次の画像は、石巻方面を撮ったものです。手前には野蒜海岸があります。画像ではちょっと解りにくいかも知れませんが、野蒜から東名にかけては、すべてが津波で消えました。震災から5年目ですが、本当にまだまだです。でも、着実に動いています。ダンプが走っています。大高森近くのホテルも健在でお客さんが来ていました。嵯峨渓の遊覧船が発着して、船を待つお客さんも。そう言えば、大高森から降りるとき、登ってくる関西から来たと思われるご夫婦にお会いしました。あとどれくらい登るんですかと聞かれて、いま3か4合目ですが、素晴らしい眺めがもうすぐですよ、と。私の内心は、ここは最高の観光地で、絶対忘れられませんから。わが心の大高森は、いつ訪れても最高の地なのです。■関連する過去の記事 大高森のすばらしさを考える(2007年7月3日) 扇谷山から幽観の松島を望む(2010年9月19日) 多聞山から偉観松島を眺める(2010年10月11日)
2015.05.07
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今日の夕方に近くの酒屋さんで買って飲んでいます。蔵王の地下のマグマに負けるな。山形と宮城の宝である蔵王連峰と山麓の観光地。まずは銘酒を飲んで、マグマを退治だ。とばかりに、ひとりがんばって?います。実は、何年か前のこと。白石で飲んだ「蔵王」のとびきり清冽な味わいに、飛び上がるほどびっくりした思い出があります。今日は、店にあった純米酒の「蔵王」を選んだのですが、ちょっと違いますね。あの時とは種類も異なるのでしょう。(あのときは青い一升瓶だったか...)それに、酒はその場や雰囲気、相手によっても味が変わるので、まあ仕方ない。とにかく今は、自分の味わいよりも、わが東北の一大観光地の蔵王を守る一心で(単なる言い訳)、連休終盤の夜をひとり盛り上げています。がんばれ蔵王。がんばろう東北。
2015.05.06
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今年も5月10日に開催される。名前は聞いたことがあるが、事業内容、沿革、コースなどは全く不勉強にして知らない。陸連公認のハーフが最長で、八戸大橋近くの水産公社まえが発着。往路は、築港街の海岸沿いを走り、蕪島を過ぎ、マリエントの先のループをまわって、葦毛崎展望台を過ぎて、陸奥白浜駅付近で折り返し。同じ経路を復路とする。10kmは、鮫駅を過ぎて蕪島の手前あたりで折り返すようだ。デーリー東北と八戸市陸上競技協会の主催。ことしで34回目という歴史だ。昨年のハーフは男女1486人が参加。地元青森県のみならず全国から参加者が集まっている。仙台ハーフマラソンと同じ日だが、当ジャーナルとしては、あの八戸キャニオンから続くベルトコンベヤーの高架部の下を走るのだな、と感動。■関連する過去の記事 種差天然芝生地(2012年9月1日) 葦毛崎展望台(2012年8月28日) 八食センターのお昼(2012年8月27日) 蕪島神社(2012年8月25日) 八戸キャニオンを見てきました(2012年8月17日) 頑張れ八戸のレスリングとロンドン五輪(2012年7月2日) 日本一低い場所 八戸キャニオン(2012年3月20日)(八戸関係はそのほかにも多数の記事があります。過去記事リストから「青森」をご覧ください。)
2015.05.06
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鰺ヶ沢町に、旧陸軍の広大な演習場があった。現在も兵舎などが残っていて、保存に向けた専門家の現地調査があったという報道があった。山田野演習場。日露戦争を前にして、弘前に陸軍第八師団が創設される。戦後の明治39年(1906)に、同師団の訓練施設として、岩木山の山麓約5千haに設けられた。艫作崎沖での事件などもあり、日露の緊迫した時代情勢にあって当時の津軽鰺ヶ沢にも軍の要人が来るなどしたのだろう。近代の東北の実相として、もっと調べてみたい。地図で見ると、演習場は実に広いが、残存する兵舎の建物は五能線の鳴沢駅に近いあたりで、意外に「町場」まで及んでいるようだ。■関連する過去の記事 旧日本軍とは(2015年2月4日) 海の駅わんど、日本海拠点館(2013年5月28日) 白八幡宮(鰺ヶ沢町)(2013年5月27日) 艫作崎灯台、艫作漁港(2013年5月22日) ウラジオ艦隊と艫作崎(2010年9月24日)
2015.05.05
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初夏の陽光の連休。村田の重要伝統的建造物群保存地区を訪れた。やましょう記念館では、向かいの観光案内所の方に丁寧な案内と解説をしていただいた。屋敷内を見せて頂いたが、とても立派なもので、村田商人の栄華がしのばれる。平家の落人を祖として定義から来た「やましょう」の大沼家と現在書店の大沼家が、付近の大沼さんの大元で、間にある医院の山田家を合わせた3つの家が、地元の旧家というご説明だった。道路向かいの「かねしょう商店」さんでは、店の2階で昭和の文物の展示。また、奥の屋敷を休憩処としていて、そこで飲み物などをいただいた。蔵の街並みに息づいた生活の一端を感じさせて頂いた。画像は、町はずれの白鳥神社。蛇藤で有名だ。■関連する過去の記事 青根温泉に行ってきました(2015年5月4日) 蔵王噴火を鎮めた伊達宗高(2015年3月3日)〔以下、補足です〕帰宅してから、ちょうど今朝の河北新報に出ていた「かねしょう」さんの屋敷の開放についての記事を読んだ。新聞にも出ていたご主人と、奥様と、直接話をさせていただいた。お二人とも、生き生きとされていて、昔の話や建物の逸話などに引き込まれる感じがした。仙南の商業の中心だった時代をしのび、また、蔵の街並みにどんな日常があったか、など、まさにさながら博物館のようだ。また、私のような片田舎の貧農の末裔にとっても、重厚な木造の建物、たたき、土間、いろり、広い座敷など、随所に(そっくりそのまま記憶と符合するではないにしても)、幼少の頃の思い出や感覚がほのかによみがえる。他の旧家の造りに見入ったり、親戚筋だろうが見知らぬ子供らと交わったり、そんな感覚だ。我が実家にも粗末ながら蔵があって、重厚さや中身の財物は村田と雲泥だが、祖先が財を守ろうとした気持ちは一応同じだったか、などと。かねしょう商店さんの2階の昭和期の生活用品もすばらしい。残して、きれいに整理して展示したことに敬服。どれも興味深いが、カドの辺りにあった、洗剤のモノゲンユニ。イラストが懐かしいのだが、ギザギザのヒツジがのっぺらぼうでこっちを向いているのが怖くて、夜思い出すと眠れなかった。半世紀近くを経て思い出せたのも、かねしょうさんのおかげ。
2015.05.04
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蔵王のマグマに負けては居られない。風評など蹴散らして、いざ連休まっただ中の蔵王山麓へ。村田から遠刈田にのぼり、R457で青根温泉へ向かう。木漏れ日が気持ちよい。青根では、「じゃっぽの湯」に浸かる。ヒルクライムというのだろうか、路上でみかけた自転車の人たちが、温泉でも出会うことができた。じゃっぽの湯の向かいに青根洋館。じつは気に懸かっていたことがあり洋館の方に聞いてみた。学院大のセミナーハウスはどうなったのですか。すると、もう少し先の(下の)場所に有ったが、今は更地。その建物の一部がこの洋館で、10数年前にここに移築したということだった。青根温泉にはしばらく来ていない。すずらん峠の県道の方は何度も通っているが、たぶん青根は、およそ25年くらい前だろうか、湯元不忘閣などに仕事で訪れて以来だと思う。(その後も通過だけはしているかも。)学院のセミナーハウスは、もっと前。30何年か前だろう。青根セミナーハウスに行ったのだった。学院大の学生ではないが、車に乗せられてとにかく行った。道のこちら側でカーブのあたりだったという記憶。そして、洋風の建物もあったような。だからこの洋館がひょっとしたらそれと関係があるかも、と直感的に思い出して、尋ねたのだった。その後、川崎町内に向かって車を走らせると、たしかにすぐ下(北)に更地となっている区画があり、東北学院青根セミナーハウスの看板だけは残っていた。川崎から登れば気づいただろう。平成一桁台のころの私の青根のイメージは、上記の仕事で調査した古賀政男のことや不忘閣の歴史。そして、私的な思い出もあってセミナーハウスやエコーホテル。新緑に映える清涼の地。時代も動いているから、施設が消えてしまうのも仕方ない。しかし、緑に包まれ、訪れる人がすがすがしく生気を取り戻す地であることには変わりがないと思う。R457を降りていくと、若い人たちが列をなしているピザ工房なども見えた。青根は良いところです。
2015.05.04
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今朝の地元河北新報の社説や読者の声などのページに、元市選管事務局幹部の方の意見が載っていた。再発防止策は市などが取り組んでいるので、選挙適正執行のための仕組みとして改善策を提案するというものだ。第1に選管の組織強化。現在は区の選管職員は専従でなく(選挙の時だけ)、また区民部長が事務局長だから(同等の組織)、市選管の指導監督が行き渡らない。市選管が区選管に対する指揮監督権限を発揮するためには、市選管を局相当に格上げすべきだ。第2に区選管事務従事者の人事評価。選挙事務については人事評価が曖昧だから意欲がわかない。市と区の選管事務局に次長職を設けて、区の事務局長には区長か副区長を、次長には区民部長をそれぞれ充てて、選挙事務についての人事評価を徹底させる。第3に投票時間に繰り上げ。現在午後8時終了が基本だが、近年の期日前投票の定着からすれば、8時までのばす必要はない。実務的にも冬季は運搬の事故の危険や深夜作業のミス発生リスクが高まる。開票時間の短縮をいうなら職員がゆとりをもって事務に従事できるよう、午後6時に繰り上げるべきである。こんな持論だ。第1の点と第2の点は、仙台市や市選管の組織体制の問題であって、提案も検討の選択肢ではあろう。しかし、要するにこの人が言うのは、あまりに組織主義、内輪の論理、やらされ仕事感覚であって、職員としての主体性や公務としての感覚はどこに飛んでいるのか。今回の票水増しの問題の本質は、決して組織の論理ではないのだ。提案のように改められるならそうするのも一法ではあるが、増員に伴う人件費コストは冷静に考慮しなければならない。何よりおかしいのは、市選管のいうことを区選管がきかない、それは局長の格だとか専従でないなどの問題に帰着させていること。仙台市以外の県内の市町村選管は、専従職員はほとんどいないだろう。だが、彼らは通常業務の傍ら、選挙となると一斉に分担しながら従事する。たまにしかない選挙の実務をどう組織的に継承していくかを、真剣に考えているだろう。「専従」の組織である市選管の元幹部という投稿者は、市選管の監督が行き届いていたならこの事故は起きなかったといいたいようだ。そんな問題だっただろうか。あるいは、そこが本当に問題の所在なのだろうか。(本当に市選管が区選管を十全に指導できていたら、つまり、食い違いの場合の対処方法や区選管の上司の対応のあり方などを普段からしっかり指導連絡できていたら、未然に防げていた可能性はある。ただ、それにしても、格の問題で指導が事実上やりにくいとか、人事評価がないと仕事しないとか、組織のあり方として考えられない。かりに本音レベルでそういう風土が市役所にあるのだとしても、今回の(失礼ながら)極めて低次元のミスに関しては、公務を当たり前にしっかり果たしていく(というよりサラリーマンの最低限の責務といってもいい)ことで解決すべき話であって、組織論で改善されますという感覚が、一般には受け入れられないのでないか。)第3の点は、従来から問題視されており以前河北新報でも取り上げられた。午後8時の終了時間を午後5時とか6時に繰り下げる動きが出ているのだ。総務省はなるべく繰り上げするべきでないという方針のようだが、各市町村選管の実務的見地からすれば、後に控える開票作業を考えて前倒ししたい気持ちはわかる。投稿者のいうように、期日前がかなり浸透してきたことや、下火になったが電子投票(コンピュータ画面での投票)なども視野に入れた検討が求められるとは思う。だが、今日の氏の論理が独特なのは、開票時間の短縮を迫るからミスが出る、短縮を迫るなら終了時間を繰り上げよ、という短絡さ。たしかに、今回の問題でも開票の速さを求める風潮が背景として指摘されている。ごく一般論でいうなら、6時終了にすれば集計ミスが減る可能性はあるかもしれない。しかしながら、6時終了にしたら、今回の事故は起きなかったのか。どんなにタイトな作業でも、最低限の作業手順や倫理観まで薄れていては困る。それこそ「専従」の市選管がノウハウと配慮(気づき)をもって十分に指導すべきことではなかったのか。以上、この投稿を深読みすれば、刑事事件としては結論が出て(罰金の略式命令)、あとは内部的な再発防止体制をどう作るかに焦点が映るので、(皆が求める)現場の作業マニュアル的な部分は市当局が作るだろうが、さらに、(皆は求めていないが)実は市選管の宿願だった局長級昇格などの点を、これに乗じて「改善策」として今後の下敷きにさせる意図にも読めそうだ。ただ、あまりに独自なので、元幹部の全く私的な立場での見解だとは思われるが。これが市選管や市役所の内部に共有されている考えだとしたら、これも情けないことだ。いずれにしても、これが元幹部氏の改善提案と聞いて、早朝から非常に残念な思いを抱いたのは自分だけだろうか。市民県民のみなさんはどう思われるか。
2015.05.02
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居酒屋、スナックの建ち並ぶ登米市佐沼の繁華街の通りの名だ。佐沼の夜のにぎやかさは格別で、東北の上海と呼ばれたという。県北鉄道があって、また石巻の水産の最盛期なども関係したのだろうか。市役所隣接の「中江公園市役所通り」の一本南側に並行するのが、「中江その通り」だ。佐沼中央商店会の作成した地図つきパンフレットにそう書いてある。ところで、字で書くとどうも固有名詞らしくなくてしっくり来ない。え、何のとおりですか?市役所通りというネーミングも最近っぽい印象があるから、これも新しい命名なのだろうか。それにしても、「その」とは何だろう。
2015.05.01
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