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「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。口語訳聖書・マタイによる福音書9章35~38節ボクは祈りました。ボクと妻をその収穫のための働き人にしてください、ボクの子供たちとその配偶者を、その子供たちを収穫のための働き人にしてください、ボクの家庭集会に集まる小さき者たちをも収穫のための働き人にしてください。
2013年04月30日
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「ふりだしに戻る」
2013年04月29日
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明日は友人の教会を応援します。それでわが西佐津間家庭集会の礼拝は午後にしていただきました。1時半からです。いつもは礼拝を終えて、楽しく昼食を頂きますが明日は楽しい昼食の後、ボクの帰りを待ち、それから礼拝が持たれます。娘家族もやってくるようです。明日は生涯でいちばん嬉しい日になるかも?なぜって? なんとなくそんな予感がするのです。
2013年04月27日
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同じように心をこめ同じように誠実に同じように励んでも人によって出てくる結果が違う。結果によってあなたとあなたの仕事の善し悪しを言うのはよそう人と比べることも、よそうそれよりも、あなたの主人の言葉に耳を傾けよう。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 マタイによる福音書25章23節(口語訳聖書)
2013年04月26日
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「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。」ヨハネの黙示録3章15節(新共同訳聖書)むろん冷たくはなく、熱くあってほしいと願われている。イエスはボクたちに熱く生きてほしいのだ。幾つになっても熱く生きてほしいのだ。失敗しても、へたくそでも、滑稽でも、熱く生きてほしいのだ。
2013年04月24日
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怪しげな題で躊躇したがGETして読んだ。パスカルと同じ物理学者なり。はじめクリスチャンかどうかわからないと思った。奥付の頁を見たらボクより10歳も年長の方。もうおじいさま。読み始めると面白い~わかりやすい。硬直した言葉はいっさいなし。自然体で人間味にあふれている。ページ毎に出てくる狂歌は面白楽しいが真相に迫っている。終わりに行くにつれてパスカルから離れがちになり聖書のお話にのめり込んでいく。正真正銘のキリスト者だとわかる。その狂歌をちょっと紹介しましょう? ↓ もう少し低かったらその鼻が、 クレオパトラはただの女か なな! なんと、ブルータスよお前もか、 おごれるシーザー、はい! それまでよ 若死しても、成し遂げたことの多いこと、 さすがは我らが天才パスカル 清らかな貧しい人も年とれば、 小金をためて憎まれ婆あ 騙された後で気の付くこの迂闊 甘言に乗る己の自惚れ いやらしいこの見え透いた偽善者め、 振り返り見れば我も同罪 パチンコで儲けた金を自慢する、 損した額は胸に仕舞って アダムさんイブに誘われ木の実盗り、 2代目カインは人を殺すとは もうこれで総て閉ざせりわが道は、 死ぬより他に生きる術なし この重荷背負いきれぬとたじろぐも、 神共にあれば何のこれしき
2013年04月23日
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些末なことで心が波立つ。心穏やかに生きることが難しい。幾つになっても。神様とのパイプが細すぎて詰まりやすいのか?ひとつ太い新品のパイプと取り替えていただこう。
2013年04月22日
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原因はわからないが、心がハイになる。礼拝の前わけもなく、だれかにとって最後の礼拝になるかも知れない予感に迫られいつもはラフな恰好で礼拝に臨むのに今日はネクタイと上下おそろいのブレザーを着た。賛美、祈り、お話にも力が入る。今日の礼拝者、ボクを入れて4人。
2013年04月21日
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ケンピス著「キリストにならいて」を読むことになった。ある事情から取り組むことになったがそれがなければおそらくはもう一生読まないはずの本だった。ボクの先が短くなった人生の読書プログラムを少しご紹介すると・・・・。パスカルをもう少し読みたい。未だ「プロヴァンシャル」には手が掛かっていないから。ウェスレーの標準説教集を、再読したいと思う。それから、若い頃に読み損なった、カルバンの「キリスト教綱要」生涯の終わりは、これで仕上げたいと思うのだ。ほかに読みたい本を挙げれば、アウグスチヌスの「告白」「三位一体」これを読まないでは死ねないなぁ。「キリストに倣いて」は今、番外でボクの人生に登場。40年ほど前に一度読み、ボクのクリスチャン生活のスタート、確かに影響を与えてくれたことを覚えている。
2013年04月19日
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息子と相談し、妻を連れ出すことにしました。3人で「養老渓谷」に行きました。房総半島のど真ん中ということです。緑に飢えていた彼女、渓谷の新緑にうっとりしたり、歓声を上げていました。長い階段もゆっくり休みながら登れば大丈夫。途中、かわいい電車に合いました。運転手と、車掌以外だれも乗っていません。
2013年04月17日
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明け方、見た夢は後輩のM牧師がボクのそばで電話をしている夢。彼が電話の相手に「性同一性障害」の苦しみ、たたかい生きづらさがどんなであるかを切々と語っているのです。ボクの知らなかったことばかり・・・ボクは感動して、感謝の念があふれました。
2013年04月16日
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座り方が悪かったのか同じ姿勢で座っていたのが悪かったのか持病の腰痛を発症人の腰痛には「安静にしているほかにありませんよ」などと偉そうに講釈するボクだが自分が痛んでみれば、寝転がっているだけでは苦痛持病だ、付き合うしかないそろそろと歩けば何とかなる坂も階段も背を伸ばして歩けばそんなには痛まなかった
2013年04月15日
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夕方、シベリウスの交響曲第7番を聴いた。シベリウスの最後の交響曲交響曲と言うより、交響詩という感じだった。楽章に切れ目がなく20分ほど。北欧フィンランドの森、川、空を音で描写しているようだった。NHKの自然を扱う番組のバックに流れているような心地よい音楽。若い頃、シベリウスは第2交響曲を聴いたが、やはり北欧の透き通った自然を思わせるような清々しい音楽と思った。シベリウスの生涯は、ネットで調べてもあまり詳しく出ていない。91歳まで生きたらしいが、60歳位で作曲を止めている。創作エネルギーがなくなったのか?そのあとの30年どのように暮らしたのか。次の交響曲(第8番)を期待されて、どうも出来上がっていたらしいが自分への厳しさのあまり、焼き捨ててしまったらしい。わかるようでもあり、わからぬようでもある。
2013年04月14日
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毎朝、妻と二人で家庭礼拝をしています。賛美を歌い、聖書を1章読み、心にとどまった聖句を読み合い、最後に交互に2回ずつ祈ります。30分以上掛かります。今日からヨハネの黙示録に至りました。妻が読んだ所は「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、」黙示録1章5節ボクはその次を読みました。「わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。」6節「王って、だれのこと?」「わたしたちって書いてあるね~」「え~~~」すっとんきょうな声を挙げました。
2013年04月13日
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「あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。」聖書(ヨハネの手紙2の5節)互いに愛し合うことが、古くて新しい掟と言われている。愛し合うことは、主イエスの命令の初め。使徒たちの教え。愛から始まり愛に帰結する。イエス様が来られたことも、死なれたことも復活されたことも、その子供たちが愛し合うため。これに帰結しない教えは、どんな教えでも蔑まれる。愛し合うことは好き嫌いを乗りこえて互いに心から親切にし合うこと。生涯をかけてこの山を登る。頂上にたどり着けなくても途中で息絶えても顔は頂上にきりっと向けていること!そんな人生を求め挑戦しませんか?
2013年04月10日
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雨が降らないうちに、と午前中の散歩にご一緒するつくしん坊が群生している畑のあとつくしって食べられる・・・とか話す線路ぎわの菜花を摘む初め「歩けないかも知れない」と妻は躊躇したがけっこう歩けるそっちへ回ったら上り坂となるのに・・・・薄日さえ射し散歩は無事に終了夕方から予報通り雨となった
2013年04月06日
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わが神学校の入学式。二人の若き一年生。自分のそんな時代を思い出そうとしたがはるか昔。説教にあたった学長も自分の修養生時代を回顧しながら。説教の終わり頃に言葉を詰まらせ、説教後の祈りの際も言葉を詰まらせた。冷静そのものボスにして、めずらしい。「入学式っていいですね」在校生が言った。
2013年04月05日
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嫁いだ娘の用事で孫を見るために出かけていった。妻の独身時代のセーターを娘が着ていて驚いた。こちらでは妻が娘のお下がりを着ている。
2013年04月04日
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シューベルトのリート(歌)などを聴き過ぎると頭の中に曲が鳴り響いてくる。鼻歌になって出てくる。それだけすぐれた音楽なのかも知れないが。これは、まずいあわてて讃美歌を思い出して歌い出す。そうすると讃美歌のメロディや歌詞が安らぎをもたらす。讃美歌のシンプルさに改めて感じいる。ボクはそんな讃美歌をたくさん覚えているから心に宝物をどっさり持っているようなものだ。わかる歌詞で歌うことこそ、歌の命だ。ドイツ語じゃだめ!
2013年04月03日
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ブラームスの「ドイツレクイエム」をイアホンで聴きながら出勤。帰りも聴きながら帰宅。さすがに仕事中は・・・・雄渾な合唱曲が小さな安っぽいイアホンに入るわけがない。駅のホームも電車の中も喧噪の中曲想が伝わってこない。数年前に三島グロリア合唱団が歌い目頭を押さえて聴いたあの時の感動を遙かに思い出すだけ。
2013年04月02日
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春は気分がすぐれず。朝食後、横になった。ものの一分足らず、隣町の友人から携帯電話が入った。「これから、遊びに行ってもいいですか?」がばっと起きる。別人のようになった。
2013年04月01日
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