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食べ物がのどを通って行くたびにすい臓からインスリンというホルモンがどっと出てきて栄養を上手に取り込むように働くのだそうです。魔法のような、からだのメカニズムそのすい臓のインスリンを出す島のような所が何かの拍子に壊れてしまうことがあります。そうすると分解されなかった糖分が体中にあふれ、尿にも多量にあふれてしまい「糖尿病」という診断となります。仕方なくからだに出るインスリンの代わりに人工的に作った擬似インスリン(?)を毎日、朝も昼も夜も寝る前も注射を続けるのです。「食べたよ」「はいよ」とじゃぶじゃぶ出てくる真のインスリンではないので管理が困難である時は高血糖で苦しみある時は低血糖で苦しみます。一日のうちに、高血糖でそして低血糖で二重に苦しむことさえあります。しかしこころ晴朗な人は困難を困難とせず安らかに歌を歌いながら病と仲良く生きることも出来るのです。
2013年05月31日
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わが家の後ろに回ったら半畳ほどの空き地にドクダミが群生していました。その命名に似合わない清楚な花花。思わず妻を呼びます。
2013年05月29日
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パソコンのソフトの名前って難解で親しみのない名前が多いです。アドビとかアドベとかその中で「一太郎」「花子」はいいです。こんな優しい名前のものはほかにない。この度「花子」のユーザーとなりました。名前に引かれてしまった!
2013年05月28日
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聖霊降臨日礼拝の次の日曜日は「三位一体主日」Trinity Sundayボクは「三位一体の神」については良くわかりません。ボクが毎日お話ししている神様その神様のことを「三位一体の神」と呼ぶこと。それは、どこか別の神様のことを呼んでいるような違和感があります。イエスはボクの師であり友であり、主であり神です。イエス様のお父様を、ボクもあたかも自分のお父様でもあるように「天のお父様」と呼びます。なつかしい聖霊はボクといつも一緒でありボクは聖霊にいつもつながっているのです。聖霊はボクにしばしば話します。「そこへ行くなよ、そこでは優しい顔をしたサタンが待っているよ」ボクはその三人の神様の間の真ん中で生きています。子どもが、お父さんと手をつなぎ、次にお母さんと、そしてじぃじぃと手をつなぐように。その親しいボクの神さまたちを昔の教会が「三位一体の神」とお呼びすることに決めたというのです。
2013年05月25日
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千葉に来て早々、友人がお送り下さったプリンタ。丸2年使い、ふいにブラックが印字できなくなった。ノズル清掃を繰り返してもダメ。パターンテストをすると出てくるのにアプリケーションで印字するとだめ。インクを交換してもだめ。印字ヘッドを外してぬるま湯で洗うと良いと、ネットで見つけ、やってみた。ほかの色も変色するようになった。プリントだけでなくスキャナー機能もあり、気に入っていたが残念。くださった友人に改めて感謝!!
2013年05月22日
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「君子豹変す、小人は面を革(あらた)む」(易経) 君子は悪いとわかったら直ちに正す 小人はただ表面だけを繕う豹変できない小人それは悲しいボクだ
2013年05月21日
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息子がスマートホンを買ったので携帯電話をボクにくれた。自分のを見れば古く表面も剥げている。シムカードを差し替えれば難なく使える。あれれ?しっかりととっておいた過去メールがきれいに消えている。
2013年05月20日
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マリアは母である人々の頂点に立っている。彼女の元には母である人々が身を寄せているのだ。神に似た忍耐神に似た愛神に似た信仰
2013年05月19日
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5月第1日曜日は、ボクたちの家庭集会の2周年を祝い明日はキリスト教会の誕生祭です。キリスト様の誕生祭は、12月25日「クリスマス」ですが、明日は「キリスト教会の誕生祭」です。教会の暦の正式名称は「聖霊降臨祭」この日に聖霊が上から使徒たちに注がれました。使徒たちは聖霊に満たされ、とつぜん色々な国の言葉で話し出したと聖書に記されています。伝道し教会を建てあげるために、主の使徒たちがこの日から行動に移ります。ですから、この日がキリスト教会の創立記念日なのです。またホワイト・サンデーとも呼ばれ洗礼を受ける人が着る白い洗礼着を表しこの日、洗礼式を行うにふさわしい日ということです。皆さんの教会で洗礼式が行われるかな?
2013年05月18日
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先月、岩城宏之さん指揮の「ベートーヴェン交響曲全集」を買い一通り聴いた。「日本人の血」というものだろうか、聴きやすい。自分の感性にぴったり来る演奏に思う。NHK交響楽団のヴァイオリン群が瑞々しく聞こえる。ウイキペディアで岩城宏之さんを調べて面白かった。もともとは打楽器から音楽の道に入られたようだ。芸大では打楽器科は低く見積もられていて馬鹿にされたらしい。だから「田園交響曲」の「嵐」の場面ではティンパニの連打がすごい。かっこいいのだ。
2013年05月17日
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ボクの中にはいつも二人の人格がある。一人は神様を信じて、規律に従い几帳面に生きたいと願っている。もう一人は、神様を信じる心は同じだが、自分の好きなことを優先し、それに没頭したいと願う。二つの人格がしっかりとぶつかり、力比べをすれば良いのだが三人目の人格が出現して、力比べをさせないように二人の間を隔てている。だから結局は二人目の人格が幅をきかせることになる。
2013年05月16日
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離婚をすれば今より自由になる離婚をすれば今より幸せになるたしかに束の間はそうだろうしかしやがて考えが変わります結婚をしながら自由になる結婚をしながら幸せになるその道の方が近道しかしDVや相手のパワハラにさられている人なら一日も猶予なく逃げ出す道を探してください
2013年05月12日
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二人の女が赤ん坊を取り合う話が、旧約聖書に載っている。ソロモン王は、その子を切り裂いて分けなさい、という。(列王記上3章16節~)子供があって離婚を考えている人離婚をすれば夫婦二人の子は切り裂かれます。からだは裂かれなくても心は切り裂かれます。心の殺人です。思いとどまってください。初めの愛と決意と約束を思い出してください。なんとか折り合いを付け、互いに自由を与え合い、共通点も見つけ合い、適当に間隔を置いて、「まぁ、いいかぁ」と、よりを戻しましょうよ。 こども、喜ぶ!
2013年05月11日
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家庭礼拝の聖書箇所は「ヨハネの黙示録」に至った。9章あたりは恐ろしい章だ。人間の3分の一が殺されると書いてあったり、想像も出来ない怖いことが書き連ねられている。何度も読んではいるが、いつになく心に衝撃を受けていると妻が声を挙げた。「わからないから、説明して欲しい。」ボクにもわからない。無理に考えることはよくない。わからないことは、そのままにして神様を信じて静かに生きていればそれでいい。新約聖書のすぐれた註解を書き綴ったカルバンでさえ黙示録だけは書かなかったのだ。それが見識というものだとぼくは思う。黙示録の詳細な解説書を読み心に触れたり恵みを頂いたことは、まずない。こじつけばかりが幅をきかせている。
2013年05月09日
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妻が「どこかの教会の祈りの集まりに行きたい」というのです。そういえば祈りの集いはやっていない。妻と2人の毎朝の家庭礼拝ではだめかな。「じゃぁ、行こうか?」と、水曜日午前中にあることをホームページで確かめて友だちの教会を目指しました。車で1時間15分小さいけれども、熱心に祈る群に加わりました。ボクたちもお祈りしました。「証し」もしました。あぁ~やっぱり祈りの集いはいいなぁ~
2013年05月08日
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昔の演奏家のライブ録音がたくさん発掘されてCDセットになって安く売られている。クレンペラーが指揮したベートーヴェン交響曲全集を入手した。1950年代の録音が多い。すべてライブである。オーケストラはまちまちになっている。岩城宏之指揮のベートーヴェン交響曲全集も買った。小澤征爾指揮のものは9番等を買った。岩城も小澤も心に深く響く演奏で、誇らしく思う。ベートーヴェンの交響曲をどこから聴き始めようかと迷う時昨今は第9を手に取ることが多い。若い頃は、英雄が一番と思ったこともあり今まで一番聴いたのは、運命と田園であり自分の年齢ごとに好きな曲が変わることが不思議。ベートーヴェンの交響曲は奥が深いということだろう。第9の演奏は、どの演奏家のものでも感動する。ほかの2番、4番、7番、8番もみな好きだ。
2013年05月07日
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教会にお勤めしていた頃亡くなった信徒さんが使っていた補聴器を記念に頂きました。もう使う人がいなくなったからです。その方が亡くなった時いただいて、次の方が使い、その方も亡くなり、またその次の方が使いその方も亡くなり、ついにボクが頂きました。その補聴器、10万円以上もしたそうです。それを今、妻が使っています。昨今、振っても叩いても、補聴器の具合が悪くなり、 ついに寿命が来たね、 もう30年も使われてきたものだからね。 仕方ないね。でもボクはふと閃いたのです。「電池を替えてみよう!」電池を替えると妻は歓声を挙げるのです。信じられないくらい、良く聞こえるようになったわ
2013年05月06日
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礼拝開始2周年記念礼拝を持ちました。いつものメンバー5人に、妻の姉が応援に駆けつけました。礼拝前に、息子がスーパーで刺身を買ってきて礼拝の後は、ちらし丼ぶりを作り舌つづみ。お姉さんが来て妻は大喜びお帰りは、日傘に二人で入り楽しそうに話しながら、途中まで送っていました。
2013年05月05日
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固い小さな玉を見つめる玉を追い、玉に命がけボクたちにとっての玉は神だ見える玉ではなく見えない神を目に見るように見つめる玉を追うように神を追い求め生涯をかける
2013年05月04日
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ボクたちの年代は少年の頃だれもが「あ~やんなっちゃった~」を真似したものだった。牧伸二は、「あ~やんなっちゃった~」で生涯を貫いた。その人生に「あ~やんなっちゃった~」と死に赴いた。あと10年くらい早く芸人をやめて奥さんと海外旅行などをして余生を楽しめば良かったのに。加齢になると肉体も心も衰え人々を笑いに誘う芸のネタ創作にも、苦労があったのではないだろうか?老いの寂しさ孤独を思いやる。老骨をむち打ちなお舞台に立たねばならぬ空しさを。芸人はそのように最後を迎えるものなのか?
2013年05月01日
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