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どうしたら「楽天kobo」(タッチ)を使いこなせるか四苦八苦している。LP Chain というフリーソフトで読ませてPDFを作れば良いと教えられたので苦労してそのソフトを入れたが、たいしたことはない。PDFはだめだな。画面に収まりきれないから、一行読む度にスクロールしなければならない。これでは全く読む気にならない。しかし中央公論社「世界の名著」は別だ。これは2段組になっていて、一段ずつちょうどkoboに収まる。LP Chainを使うまでもない。やはりユニコード・テキストか、HTML形式か、でkoboに収めて読むことがよい。しかしPDFで作ったファイルを、テキスト形式に直すのは非常な苦労であり、作業は遅々と進まない。よほど書籍を厳選しなければ。「世界の名著」専用koboになりそうだ。
2013年10月22日
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家を出るときはそんなでもなかったが、電車に乗り1時間あまり、だんだん雨が募ってきた。教会に着く頃には風も出ている。そんな中、信徒さんたちは普段の顔で礼拝の準備をなさっていた。礼拝が終わる頃、風雨はさらに募る。一日中、降っていた。信徒さんたちに祝福がありますように。
2013年10月21日
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ボクがパソコンに向かってテキストファイルを作っている毎夜妻はボクの所に来て「じゃぁね、先に寝るわね」と笑顔で挨拶ボクも手を休めて笑顔を返す「250だったわ」(寝る前の血糖値)でも全然気にしない風に2階に上がっていく
2013年10月16日
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この連休はすばらしい天気人出もスゴイ。夜7時からのお話の予定がボクの到着が遅れて7時15分からになりました。明くる日の朝は富士山が堂々と見えました。宿舎のレストランから見晴るかすのはボクの心の故郷の海や山、町々得意になって「ほら左側のね、向こうの岬は大瀬というんだ。 その手前の山並みが、沼津アルプスで、右端の香貫山から始まるんですよ」といった具合にそばで聞かされていた人がボクの顔を見て苦笑きっとお説教の時よりうれしそうだったんだ。ごめんなさい。でも、すてきなプレゼントをくれたやさしい友に感謝
2013年10月15日
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ニーチェが書いていること人間を「罪びと」とするキリスト教人間観は人間をおとしめることにほかならないと言う。ニーチェはそんなふうにキリスト教の方をおとしめ人間のすばらしさを心に思い描き人間の作り出す芸術を称え、「超人」とか呼ぶ理想の人間をさえ造り出していく。パスカルは、人間は「考える葦であると」言い吹けば飛ぶような脆弱な人間だけれど「考える」力を持つ偉大な存在という。しかしさらに、人間の持つ悲惨さは計りがたいものという。偉大さ、悲惨さを合わせ持つ人間「パンセ」の中では、繰り返し繰り返し語られ論じられる。この矛盾した2つの人間を統合するのがキリスト教信仰であるというのがパスカルの言葉である。
2013年10月12日
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ニーチェに心を動かす理由がある。今まで関わりを持った牧師家庭の子息やクリスチャン夫婦の元で育った子どもたちの中で「アンチクリスト」として生きたかたがおられたこと。キリスト教嫌いとなったかたがたの中には命のどんづまりに教会に行くようになりその後で亡くなったかたもあり、依然として(今のところは)キリスト教に反発しているかたがあり。ニーチェの言葉の中にその人々の心の叫びが一緒に聞こえてくる。
2013年10月11日
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とりあえず「アンチクリスト」の現代語訳「キリスト教は邪教です」(ニーチェ=適菜 収訳)を読んだ。ニーチェは1888年でその執筆の筆を置いている。それ以降の約10年間は病者として母や妹の介護を受け生きた。この「アンチクリスト」は彼の執筆の最後の年に書かれた。彼のほかの書物の中のキリスト教に関する部分を抜いて増補を加えたと言うことだ。結論から言えば、「超訳」などではなく、普通の訳文で読みたかった。でも単行本では見つけられなかった。ニーチェはキリスト教がヨーロッパ文明を穢したと考えている。キリスト教は下層民の宗教で、下層民の恨みから出てきていると考えている。キリスト教が入る前のヨーロッパ、つまりギリシャの古代文明の時代その哲人や神々の時代を、明るい生命力の時代として彼の理想としている。ルネサンスの時代、ヨーロッパはギリシャ時代のような人間のすばらしさをたたえる時代に帰りかけたが、宗教改革者ルターが現れて、それをだめにした。ニーチェにおける「アンチクリスト」の出発はこんなところにありキリスト教のあらゆる教義を罵倒し尽くしている。キリスト教が憎い、嫌い、旧約聖書はまだましだが、新約聖書を手に取るときには気持ち悪いから手袋をする、とか書いている。真のキリスト者は世界にたった一人しかいなかった。それはキリストである、と書いてイエス・キリストはについては、罵倒しつつも、一定の評価を与えている。たいした論理を書かずにただ罵詈雑言を飛ばしているので、ニーチェの内には論理ができているのだろうが、ボクたちにはとうていわからない。当時のヨーロッパ世界に与えた衝撃はどんなだっただろう。それを考えると、彼の人生の最後近くに上梓されたこの本は、彼の人生の総仕上げだったのだと思われる。ところでボクにとってのニーチェをどう読もうかと思案中である。耳を傾ける価値は確かにあるのだが、先が短いボクの読書生活を考えるともっとほかの人の本に夢中になりたいと思う。
2013年10月09日
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今朝は妻の姿が見えなくなった夢を見たのだが前にお勤めしていた教会の交わりに妻の姿があったということは、いまだボクもそこに居るわけそれを妻に話すと妻はあきれ顔
2013年10月06日
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ニーチェは牧師の家庭の長男に生まれ、幸せな子ども時代を過ごしたという。そのためだったか、彼の生涯はキリスト教との戦いに費やされているようだった。「神は死んだ」ではなく、「神は殺した」と彼はいう。殺すような神は存在していないことに気づかなかったところが彼の最大の悲劇だと思われる。キリスト教をやみくもに否定し、解体し、呪い、ぐぅの音もでないほどに葬り去る。ビルの解体でもあるまいし、神をたたき壊すことはできない。「このくらいたたき壊せば、もうよみがえるまい、神は」神がいなくなった場に自分を置き、そこから雄々しく立ち上がり、闇に向かって突き進むのがニーチェなのだ。どんなに孤独でも、寂しくても、乗りこえて進むのが、神を捨てた人間のしるし。一切の偶像を激しく拒否するのだが、いつの間にかニーチェの前に「超人」が出現。目に見えない「超人」に向かって自分で作った「超人様」に支えられ、精神の旅を続ける。虚飾とお仕着せの権化と見たキリスト教を破壊し尽くしオリジナルで理想化された「超人」に突進していく。「超人」とは旧約聖書の「アダム」に似ている?ニーチェは、神を偶像と拒む代わりに「理想の人」(超人)を偶像に仕立て上げる。「青い鳥」を捜し求め、はるか彼方まで探し歩くチルチル、ミチルと同じだ。あぁニーチェ、君を泣く。狂い給うことなかれ。あなたの母のかなしみをわがかなしみとせん。さぁ読もう。ニューチェの世界にもう少し近づこう。
2013年10月04日
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windows XP のPCしか所有していなかったので windows 7 を使いたくなった。15,000円くらいの予算で中古PCを捜そうかと思った。15,000円かけるならば、今あるPCにwindows 7 を導入できたら?と自問自答。インターネットで検索すると本来windowsXP仕様のPCに windows7 を入れるとあまりの非力さに後悔する、やめた方がいいという人とやってみたら、起動や終了が早くなった、という人がいる。早くなった、という書き込みに勇気づけられ所有している Dell mini9 にwindows 7 を導入しようと決意。そこで32GBのSSDをアマゾンで買い、もとの8GBを外して交換。windouw7 のCDをオークションで買う。合計でだいたい15,000円外付けCDドライブを着けて恐る恐るクリーンインストール。思ったよりスムーズに出来た。何もしないでも音は出るし、無線もつながる。一太郎2008とoffice2003をインストールそれからacrobat9 も。最後に、DROPBOX をダウンロードこれで完成ほんとうに、起動も終了もwindows XPより早くなった。万歳!!!
2013年10月02日
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切りタイマーを付けて、枕元に音楽を聴きながら眠るのがボクの習慣。最近はバッハの教会カンタータを一つずつ聴いている。バッハの教会カンタータは明るくて変化に富んでいる。何でもあるのだ。きっとそこには、すべてのものがあるのだ。もう他の音楽が不要になるように。聴き慣れたベートーヴェンの交響曲でも聴こうかと思うがついつい教会カンタータに向かってしまう。そして感動し、感心してしまう。えぇ?いったいこれが礼拝の中で歌われる音楽なの?こんな曲が流れる礼拝ってすてきだろうな?「バッハよ、もっと普通の礼拝音楽を出してくれ!」「まさか! 私の才能がわからんか、神の栄光のためだ!」こんな教会当局とカントル・ヨハン・セバスチャン・バッハの会話が聞こえてくる気がする。そしてバッハは楽譜の最後に記した~Soli Deo Gloria~「ただ神の栄光のため」
2013年10月01日
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