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花もそうだひっそりと咲いているがだれかが見つけて喜ぶ何もできないけれど人を幸せにしているあなたもその花のように生きることを目指そうよ
2016年05月29日
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象のはな子が昨日死んだ。たくさんの人が悼んでいる。ただ静かに生きているだけでたくさんの人に慰めや楽しみを与えた。あなたもきっとそうだ。
2016年05月27日
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今日は妻と創世記21章を読みました。アブラハムとサラの夫婦には子が産まれなかったのでサラは女奴隷のハガルに子を産ませ、自分たちの嫡子にしようとします。ところが年取って自分に子が産まれるとハガルを子供もろともに追い出します。ハガルは子を連れて荒れ野をさ迷う。結果は神様に助けられるのですがボクはアブラハムとサラの身勝手さに呆れ怒りました。これがあの信仰の父アブラハムがしたことです。旧約聖書ってすさまじい本です。旧約聖書を読むと「偉大な人間」などは幻想だと、つくづくわかります。
2016年05月24日
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神が存在するか、しないかそれを考え、追求すると生涯が終わってしまう。神を信じるそこからスタートするそして聖書を開くと・・・・
2016年05月23日
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カンタータ164番「あなたがたキリスト者を名乗る人たち」バッハは、ルター派礼拝のために音楽を作った。BWV164は「良いサマリア人」のたとえが題材である。冷え切った心、愛のないクリスチャンを嘆き悲しみ、「どうか私の冷えた心を死なせ、愛によみがえらせてください」と祈りのコラールで閉じられる。テナーの詠唱から始まりバス、アルトと独唱が受け継がれてソプラノ、バスのデュエットとなる。 「閉ざされない手に 天は開かれる。 共に苦しんで涙する目に 救い主は恵みのまなざしを向ける。 愛に励む心に 神はご自身の手を差し出される。」こんなふうな歌詞のようだがデュエットの安らかさに心高まる。デュエットが静かに閉じると突然に合唱の歌声が会堂いっぱいに響き渡るのだ。
2016年05月22日
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電車に乗ると老いも若きもスマホに見入っている。階段を上って来る人も、スマホを見ながら。電車に乗ってきた人が、ポケットをまさぐった。スマホを出すな?ハンドバッグを開いた。スマホだな?赤ん坊を抱きながら、片手にスマホ。ホームでもスマホ。みんなスマホ中毒になっちゃった。なんで窓の外を見ないのかな?(もっと大きな窓を見ないのかな?)みんな寂しいのかな?ちょっと覗いてやれなんだ、ゲームかなんだ、動画かなんだ、ショッピングかなんだ、ラインか
2016年05月21日
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5月も矢のように過ぎ去り、もう20日となる 少年易老學難成 一寸光陰不可輕なんて昔の人は言ったそうだが与えられている時間をパズルのように、はめていきたいもんだ棺の中に横たわる日はめ残した片は花のように飾って欲しい
2016年05月20日
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携帯電話を事務所に忘れてきた。週1の出勤なので来週の水曜日まで、携帯電話なしの生活。ショートメールや電話で絶えず妻や息子と連絡取り合っている携帯電話がないとちょっと不安。スーマートフォンも持っているけれどこれは半日で電池が切れるし外国の娘とのメールや電話にしか出番がない。この際、スマホと向き合おうかな?
2016年05月19日
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自分の欲望や弱さに負けたことに気づく時そこで神を見上げ赦しを請えば良い。何度でも何度でも、それを繰り返すのだ。1000回でも繰り返すのだ。損得を考えてはいけない。きっと良くなるはずだ。きっと神の御手がしっかりと伸ばされるはずだ。
2016年05月17日
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「主は霊である。主の霊のあるところに自由がある。」2コリント3:17口語訳聖書若い頃からのボクの特愛の聖句の一つだ。聖句の持つ力が圧倒的に迫ってくる。弟子たちに息を吹きかけて仰せになった。「聖霊を受けなさい。」ヨハネ福音20:22この聖句もボクたちの生活を革新させるものだ。「はい、お受けします。さあ、どうぞ。 おいでください。聖霊よ」お弟子たちが一丸となって祈っている所に、聖霊がくだった。その日を記念する今日は、「聖霊降臨祭」
2016年05月15日
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明日は「聖霊降臨日」主イエスの教会が具体的にスタートした記念日。この主の教会は相談や計画ではなくて、天的な働きによってダイナミックに生み出され、スタートしたのだ。この日はもっと祝われてよいのに、イースターの陰に隠れてしまっている感がある。洗礼式を行う一番ふさわしい日という人もある。聖霊について、どれだけ知っているのだろう。恥ずかしいことに、夢中になって人に説明できるほどには知っていいない。これほど慕わしい神様(聖霊)に関してこんなことではだめだだめだ。どうぞ、どなたか教えてください。季節は初夏それなのにボクの心はいまだ冷え切っています。
2016年05月14日
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特別な集まりを企画して、信徒さんに声をかける。ある人「行けたら、行きます」別の人「ぜったい、行きます」ありふれた会話だけれど反応の温度差に牧者は一喜一憂する。最近そんなことばかり思い出される。
2016年05月13日
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妻との日課(家庭礼拝)で旧約聖書、ノアの箱舟の記録にさしかかったが、なんとも心に収まりがつかない。ノアには、ずっときよらかなイメージを持っていた。今までこんな思いにならなかった。ノアは神様の御前で、ただ一人、正しい者と認められ箱船作りを命じられ、洪水から助け出された。しかし、記録の最後は、ノアが葡萄酒で酔いつぶれ裸になって横たわり子供たちの前に醜態をさらす。子供たちは父の裸の姿に目を背けて、父に衣服をかける。それを知ったノアは、子供の前に見せた醜態を恥じるどころか他の兄弟に告げ口をしたと思われる息子を呪うのだ。これが旧約聖書の倫理なのかと、やりきれなくなる。神様の命を受けて、忠実に箱船作りに励んだ、りりしい信仰者の姿は昔日。人間はこうも簡単に崩れるのだろうか?
2016年05月06日
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ブログの友、ふかごろうさんのサイトに、蔦田二雄師が書いた聖書を読むことのすすめが転載されている。聖書についての解説ではなく、まず聖書を読むように。読んでいくうちに、だんだんわかってくる、という内容で、本当にそうだと思う。話は飛躍するが、歴史に名を残す神学者についても同じだ。アウグスチヌス、ルター、カルビン、パスカル、ウェスレーとりあえず、彼らが書いた書物を開くことが大切と思う。最初はわからない、難解だ。でもやがて心に響いてくる、その時の喜び。扉を開けるとそこには宝物であふれている。
2016年05月04日
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