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2009年の出発! みんなで良い年にしましょうね!
Dec 31, 2008
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2008年大晦日、みなさま新年を迎える御用意はできましたでしょうか。このブログ『山田維史の遊卵画廊』を開設して1279日、今年もたくさんの方がアクセスしてくださいました。ありがとうございました。来る年がみなさまにとって良い年となりますよう祈念いたします。 大晦日定めなき世の定めかな 井原西鶴
Dec 31, 2008
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ことしも残るところ明日1日となった。私は未来のことは考えるが、過ぎた事はふりかえらない。たぶん記憶にはしっかりおさめられているのだろうが、そんなもの必要なときに取出せばよい。 ただ、ことし私が意識的にやってみたことは、詩歌の創作である。数えてみると、俳句247、短歌48、英語による詩65、同じく俳句43作品をつくり、このブログにも掲載し、また他のところでも発表した。自分でまったく予想していなかったのは、英語で書いた拙い作品に海外の15,000人の読者を得たことだった。最も反響があったのは、『Dandelion』に対してで、これも予想していなかった。しかし嬉しい。反戦詩『NO! NO! NO!』に対しても、同意のメッセージがとどいた。私の立場はあらゆる戦争に対する「NO!」である。これが良くて、これが悪いでは、収拾がつくまい。人類悪としての「戦争」、と私は規定し、この子供のような単純な思想を堅持するのである。 次に、247の俳句と48の短歌、および上述の二つの英語による詩を再掲載して、私の今年のひとつの締めとしよう。 二〇〇八年 みな来よや晴れて富士見ゆ弓始め 産土は八十八夜の茶摘みかな 幻の鯨のたうつ闇夜かな 炎天に地獄極楽あなおかし 蝉まろび我たちつくす今日の凶 夕焼けに翼のごとく手をひろぐ 夕焼ける彼岸に向い手をひろぐ さらばとは胸にたたまん夕焼けや 背高くし向日葵風に揺れにけり 稲妻や心のうちを照らしけり 遠雷や想い出ばかり苦くして 魂魄のうち忘れたる茄子ひとつ 旗振りて悪喨々の炎暑かな うち捨てよただうち捨てよ浮人形 明日待つや蜩鳴かぬ日はなくて 夏白くみずぐき薄き点鬼簿に 迎火に亡き人のかず数えけり 我や此処あれは彼処よ盆の月 花あぎょう来よや遊べや魂祭 棚経やわが手に白き汝が御霊 雷神も三舎を避ける日照かな 雷鳴の遠々として影法師 花ひとつ垣に萎るる雷雨かな 夕去りて闇一尺の雷雨かな 酢に噎せて繰言をいうところてん 今日も暑くなるらし蝉鳴湧く (二〇〇八年広島原爆忌に寄す) 怨嗟なき二十五万なり原爆忌 雷鳴や空見上げたる原爆忌 殺すための発明なりき夏の朝 忘るるな長の惰眠なれ火焔樹 いくさ後も責かえりみぬ夏禊 夏すぎて早段々の密議かな 魂は古典なりしや桐一葉 炎熱に民焼き捨てて白馬過ぐ ○ 口笛を吹きて子らは過ぐ 夏合宿の帰りなるらし 少年の頬に笑みあり得意なる スポーツ競技勝利の予感 空高く笑声はのぼる遥かなる 遥かなるかな子らの未来よ (二〇〇八年長崎原爆忌に) 十四万五千九百八十四柱 何もて慰撫す長崎原爆忌 かの地獄死者は語らず我等また 語らずば充つこの核兵器 現実の地獄といえど想像力なくば 見えざるらし、核拡散す 滅びよとおらぶ我等の心中の悪 核使用とはまさに其を言う 哲学も宗教もなし、核兵器 保有論理は破滅への欲 (六十三回目の敗戦記念日に) 壕厭う吾を背負いてグラマンの 機影かぞえおりあの夏の母 乳飲み子の吾をくるみし綿蒲団 機銃掃射の弾貫通せざれよと 乳飲み子の腹満たさんと吾が母は わずかな米を研ぎし水啜る 流れ藻を集めて急ぐ家路なり 空見上げれば戦闘機の行く 初の子の吾に名付けし、改めよ 戦の歴史、平和いのりて 吾五月十四日に生まれ 八月十五日終戦となりし 一九四五年五月十四日生まれ 古きを継がず吾はよろこぶ 涙涸れ老いしとぞ言う、慟哭は 心中に在り、屍踏み来しと 人間は不思議なりしよ、空襲の 劫火美しと思うことありと 後陣に居りて采振らば前線の この世の地獄知らず済むらん 生きし者などて戦を美化するや 二百三十万兵の屍蛆むす 自らが戦場に出ずば兵は ただの数、数の数なり 敵ならぬ我が軍隊に殺されしと 山河に充つ怨嗟の声々 暴力は隠微にして常態たり 軍律厳しとは片腹痛し 国民を欺くための謀略のみ 日本軍部智恵はたらきし 尊大に寿命を終えし人のあり 酸鼻きわまる戦場も知らず かの人の命は重くこの人の 命軽ろしと吾は思わず 戦とは鬼畜になりて殺しあう それより他に言うべきはなし 人生は短きものよ、などて君 いくさを謀り人を殺すや なぜかくも野蛮なりしか日本軍 吾が心性に在るものを虞る 凝視せよ我等心中の殺の快 仮面の陰の悪鬼の相 人殺し、血まみれの手で妻を抱き 生殖する我等の不気味 生みし子をまた戦場に送りだし 人を殺せと言うも親かな 海行かば水漬く屍と歌いしを サド・マゾヒズムと吾は見抜けり 戦争に肯定すべき意義はなし 吾言い放ち頭を掲ぐ 軍政は理想立たざる体制にて 目的化する軍の存続 軍政はつまり社会の未熟なり 人は本来多様、一ならず 軍政下幸福とは何ぞやこの問いに 応えし人を吾は知らず 戦史繙く、愚劣さのほか見出せず 暗澹として日本を憂れう 愚劣さを隠さんとする愚劣さよ 学成らずして戦後を過ぐる 好戦は学問にては治まらず 人の心の深き闇なれ 責任の所在あいまいなるをもて 日本文化と言うや君は 古き思想捨てきれずして跳梁 跋扈するかや日本の悪霊 品格を品格なきが言うおかしさよ かくも日本は空虚なりしか まやかしの入れ子なりしか我が社会 二千年かけ狂信はぐくみぬ でたらめを言いて巷間に寵児たり いまは彼の人も土となりにし 死者なれど鞭打つべきは鞭打たん 過ち糾すになんぞ臆する 敵なくば為せぬ人あり自らが 敵なることを知らぬなりけれ この国に生まれ育ちこの国の 空洞を見つ死ぬるか吾は 吾六十三、顧みれば慙愧のみ 世界は依然として戦争に充つ ○ 墓参より帰る老母の髪白く 送り火を振り返りつつ魂行くや きょう明日と言うも悲しや法師蝉 さるすべり空家の庭に置かれけり 木々の実のまだ青くして新涼かな いっさいを振り切ってみん蔦葛 黄昏れて草むす里にいでにけり あかまんま咲き乱れての童夢かな 風立ちぬ芒倒れし御堂あり 御仏や檜かおりて鎮もりぬ しんしんと耳冴えわたり彼岸花 過ぎぬれば白粉の花わすれにし 帰りなん山河日暮れて秋の蝉 草いきれ意識遠のく喘ぎかな 花茣蓙や汗ばむ肌の刺青かな 茶を立てぬ明日は明日なれ今日は今日 茶を喫し名もなき碗を拭う指 盃に月あふれけり鄙の宿 馳走なり清水の里の冷や奴 柿落ちて甍にころがる一夜かな しんしんと更けなば崩る鎖骨なり 密にしてあえかにそよぐ花の蕊 杣道をたどりて泉みつけたり 熱き唇苔の雫をふくみけり 苔むして亀幾千年を鳴きぬらん 岩打ちて山霊の裸形あらわれぬ 音もなく大鷹青を裂きにけり 訥々と語りし杣の指太し 一瞬の静寂破りまた蝉の声 崎嶇として山越えがたく六地蔵 ○ 白き傘かぎろい揺れて消えにけり 罪もなき蛙の腹をふくらませ 下駄飛びぬ運動場の夕まぐれ 尋ぬれば螢の籠で指しにける 螢火や少年の面潔し 窓格子田園の青を截りにけり 風通り軸の菩薩も足をとめ 仏法僧の鳴く声太ければ端座す 藍のいろ目に滲みけり陶枕 遠過ぎて声もとどかじ桂月 喉仏ゴクリと動く岩清水 風吹けば引いては返す女郎花 墨染の袖ひるがえし雛の僧 殊勝にも父の代りと雛の僧 夏衣袖の竹籠鳴りにけり うつむけば鼻梁光りて鞐解く 松籟や無門の門をくぐりける 影さして尼殿香を置きにけり それはまあ、ほゝと笑う眉の月 松柏や湯舟に老骨浮かべけり ○ 忍び来て何処にもぐる新涼かな 夏去りてかのひとも逝く鰯雲 青柿や老骨渋くたわみたる 二つ三つ蝉落ちたるを見つけたり 蝉落ちていずこに卵産みにしか 生殖に命燃やして蝉死せり 十七年後、われ八十、蝉新生す 去りぬればただ束の間の盛夏かな 星飛びてわれ男根のごとく立つ 流星や八方に飛び地球一望す ○ 酢漿草や老女の鏡磨きける 水飯や塩鮭に梅、沢庵と 柿の実やこれでもかとぞ生りにける 葉かげの蛾灯が恋しくば早秋ぞ 病み臥して小庭の菊を截り捨てし 夕映えや赫と染まるも儚しや 夕映えや右の耳たぶ光りけり また来よと言いかけて摘む花木槿 ○ 苦瓜や一別ありての苦さかな 苦瓜や想い出はかくのごとくあり 苦瓜や色濃くありて苦々し 苦瓜や旨くもありて苦々し 苦瓜や旨ければこそ苦々し 苦瓜や鬼よそおえる弱さかな 恋いしくばなお苦々し苦瓜や 青嵐や苦瓜ふたつ倒れけり 苦瓜の肌哀しくて撫でにけり さまざまの形で成れる苦瓜や 噛み締めて味わう瓜の苦さかな 苦瓜や哀しき性の緑なり 苦き瓜数ひかえめに並べあり ○ 秋雨や回覧板を手渡しぬ 秋雨や木の下闇を通りけり 雨降りて新涼襟に落ちにけり 庭下駄の紅緒も濡れて秋の雨 熱い茶を所望して新涼かな 野の猫も身をすくめおり秋の雨 涙ごと濡れなば濡れよ秋の雨 秋雨の傘ふれあえる小路かな ザーと来てすぐ去りもせず秋の雨 一日中降ったから止め秋の雨(以下、つづく。このままスクロールしてください)
Dec 30, 2008
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以下つづきです (今夕、北京オリンピック終る) 秋雨や閉会式を気にかける 秋の雨祭のあとの淋しさや 勲しを慶ばしめよ秋の雨 袖に受け別れを惜しめ秋の雨 倫敦に傘飛びて行く秋の雨 ○ ぞっくりと姦しきほどのカンナ哉 曼珠沙華夏のおわりの花火かな 稚児笹の茎細くして揺れにける さるすべり落花降り敷く昨日今日 亡き人の庭静もれる秋の雨 ○ 綿菓子や淡雪のごと幼き日 雨垂れを眺めて葡萄食いにけり 葡萄食い枯骨のごとき茎を捨つ 野葡萄や濃き紫に爛熟す 野葡萄や色深ければ秘めたりき 幾房の葡萄踏みしか酒醸す 貴腐葡萄酒陶然としてまた酔いぬ それぞれと云えど丸める葡萄かな ○ 膝の手を払いて立てば猫寒し かぶり振りただ頑や人の秋 鎌振れど時に拝めるいぼむしり 大風に破れて芭蕉の風情かな 黒揚羽肩に止りぬ何処より来る わが魂を先導するや揚羽蝶 揚羽蝶ふわりと舞いて夏過ぎぬ ふみ書いて破り捨てにし秋の風 後ろ髪ひかれし者の野分きかな 鬱金の雲に向かえる遠路かな ○ 梵鐘のおんおんと渡る茅野かな 古寺の老僧に傘さしかける驟雨かな 桃の木でアオマツムシの鳴く夜哉 夜更けなば虫どちつどう花野かな 幾万の虫すだくらん耳澄ます ○ 猫の毛を櫛けずりおり長き夜 幸・福と名付けし猫の夜食かな 十九匹の猫の名偲ぶ地蔵盆 コンピューターの鼠枕に猫の秋 カマキリに片手で挑む子猫かな ○ 雷神の屏風をたたむ嵐哉 豪雨なり文明の為す術もなく 俳諧のなじまぬ自然の猛威なり 風流も身をすくめたる豪雨なり ○ 青柿の硬きまま身を寄せぬ 硬けれど触れなば落ちる青柿や 新渋と云いて青柿砕きしと 渋取りて昔紙衣を作りける 古渋とはまた風流や二年物 渋柿や身に捨てるものなかりけり だんだんにおのずと熟す青柿や ○ 雲光る二百十日の晴れ間かな 落葉を集めて二百十日かな 二百十日ぴたりと熄みし虫の声 畠物に添え木をあてし二百十日 裸木の枝千手なり二百十日 ○ 新生姜味噌付けて食うすがしさや 新生姜茎の薄紅葉の緑 梨の実やまず仏前に供えけり 仏供下ろしシャリと噛みける梨の実や 秋光の黄を含めける蔵の壁 ○ 早熟の柿ひとつ落ち日暮れたり 柿ひとつ落ちて絵筆を洗いけり 椿の実割って暗紫の種みっつ 秋茄子や我がパレットの濃紫 テーブルに紫置けり秋茄子の 濃紫凝って玉となるや秋の茄子 陽の下にまた灯の下に秋の茄子 秋茄子や坊主頭を撫でにけり ○ (葡萄を贈られて詠む。九月十一日) さみどりの果肉ほのかに葡萄哉 口中でつるり皮剥く葡萄かな 口蓋をつるりと撫でて葡萄かな 感覚を研いで葡萄のまるみかな 煮凝りのごとき葡萄の果肉なり 味蕾立て千の狂いや葡萄房 水彩のにじみ重なる葡萄かな ○ ひとしれず月下美人の開くらん 草露置く月下をあゆむ美人かな かんばせや月下美人のいと白く 妖しくも儚くあわれ月下香 桃色の液にじませる女王花 後朝や月下美人の新枕 ○ 八方に頭ぶつけて飛ぶ蠅や 蜂もよし蠅もよかろう人の秋 ○ 雨降りて臥待月も寝ねにけり ○ 秋彼岸すぎて此の世に残りけり 熟柿落ち枝そりかえる昼寝かな 新米のひかりを塩でむすびけり 新米のひかりを包む塩むすび おちこちに新米の香や路地の夕 新米のかおり漂う路地の夕 秋鮭におろし大根の辛味かな 蟲しぐれ雨戸立てるか立てざるか ○ 客ひとり迎えて嬉し秋の雨 八寸の根来に盛りて秋の雨 松茸に栗銀杏の吹き寄せて 盃は萩の七化け灯もひとつ 秋雨に濡れて扉を開けにけり ○ 秋日和ポンポンダリヤ並び居り 柿落ちて忽ちにして蟻たかる 山城の伝えかすかに秋の草 すすき手に村道折れて月見哉 すすき抱く媼独りや月の影 ○ (芭蕉忌を前に。十一月八日詠む) 夢去りて枯れ野やしおる時雨月 誰がことを想う末期や鷹渡る 凩や三途をわたる裸形かな 一つ三つ茶の花落ちて文来たる 冬の日や鴉ひとつ鳴き暮にけり ○ 散り落葉あつめて親の根を覆う 小さけど笑みたるごとし帰り花 小屋根へと猫空飛ぶや冬ぬくし ○ 散る落葉斃れし蝶に重なりて 蝶のごと舞いて屍蝶に落葉かな わが胸の扉もとざす冬構え ちりちりと霜は土押し崩れけり のろのろと歩めば泪冬めくや ○ 冬寒や膝に抱き寄す猫二匹 底冷えの今宵は猫と共寝かな 早よ寝よと猫がせかすも寒さかな 寒空に凍れる月の薄明かり ○ 冬の雨三寸開けて眺めけり 降りだして到来物や冬の雨 薄墨に暮れる家並の冬の雨 浮子のごと人影細き冬の雨 DandelionSuch a blue sky is spreadin' o'er meWith open arms I'll go to meet theeDandelions are in bloom there and hereI picked and sowed the seeds last yearMurmurin' "Nothin' comes of nothin'"Many such golds are brightenin' up meLike the stars I kissed thee under thoseEmbracin' closely and fallin' on my kneesOh! I remember thee dyin' thy cheeks roseAlthough it's memory which passed awayIt's been long long time since thou left meBut now I'm going to accept thy return with smileI aged, and probably, thou also grew oldLet's see dandelion's downy seeds dancin' in the windIt'll seem that dreams of our youth had scatteredNO! NO! NO!No more Hiroshima atomic bombNo more Nagasaki atomic bombAs from I was born in the year 1945The world caused more than three hundred warsMore than 20 million people were killed in warsEnough of that! No more war!No more Algerian WarNo more Cyprus ConflictNo more Congo CrisisNo more Middle East WarNo more Vietnam WarNo more Iran-Iraq WarNo more Angola Civil WarNo more Burundi's WarNo more Rwanda GenocideNo more Basque National LiberationNo more Western Sahara ConflictNo more Cambodia WarNo more Indo-Pakistani Wars and ConflictsNo more Tajikistan WarNo more East Timor 's War and GenocideNo more Sri Lanka Civil WarNo more Somalia Civil WarNo more Mozambique Civil WarNo more Sierra Leone Civil WarNo more Afgan Civil WarNo more Darfur Conflict and GenocideNo more Mindanao ConflictNo more Kosovo Conflict No more Bosnia-Herzegovina WarNo more Yugoslavia WarNo more Chechen WarNo more 9.11 Attcks in U.S.A.No more Iraq WarNo more Afgan WarWhat caused the war?No! No! No!No! No! No!Enough of that! No more War!No more Hiroshima atomic bombNo more Nagasaki atomic bomb-----------------------------------------------Copyright(c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Dec 30, 2008
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前々回の日記でコウルリジの詩にまつわりながら古典的英詩の規則についてあれこれ書いた。そのなかでソネットという詩型について、それが厳密な規則性をたもたなければならないゆえに、最も美しい詩型として英詩人たちに愛されてきたと述べた。 日本の詩人の作品のなかにも、日本語で書いた「ソネット」があるけれども、これは単に14行の詩というだけで、英詩の規則にしばられたsonnetとはまったく別物である。英詩の規則を日本語にあてはめることは言語学的に不可能なことである。したがって、翻訳においても、英詩のリズム性を再現することはできない。英詩の基本にあるのは耳から聞く「音」なのである。読むという「視覚」は重要ではない、というと語弊があるが、しかしそう言い切ってもあまり問題はない。日本語の詩も、たとえば七五調をはじめとして現代詩においても、「音」が閑却されているわけではない。「歌会」などの朗詠はその端的なあらわれである。しかしまた、和歌や俳句を短冊に書いたり、詩を色紙に揮毫することも行われてい、書道には近代詩という分野まである。つまり、日本の詩は「読む」ということも大きな要素になっている。それは英詩にくらべてずっと大きな比重であろう。 さて、前々回は、長くなるので紹介を割愛したのだが、ソネットそのものの魅力をソネットで書きあらわした詩がある。いわばソネットという詩型に対する愛のうただ。アメリカの19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したリチャード・ワトソン・ギルダー(Richard Watson Gilder;1844-1909)の『ソネット』という詩である。その原詩を紹介し、その後にそれを翻訳しておめにかけよう。各行の末尾の単語の韻をみていただくと、その押韻パターンがabba abba cde cdeとなっていることがお分かりになろう。The Sonnetby Richard Watson Gilder What is a sonnet? 'Tis the pearly shellThat murmurs of the far-off murmuring sea;A precious jewel, carved most curiously ;It is a little picture, painted well.What is a sonnet? 'Tis the tear that fellFrom a great poet's hidden ecstasy;A two-edged sword, a star, a song---ah me!Sometimes a heavy-tolling funeral bell.This was the flame that shook with Dante's breath;The solemn organ whereon Milton playedAnd the clear glass where Shakespeare's shadow falls;A sea this is---beware who ventureth!For like a fiord the narrow floor is laidMid-ocean deep sheer to the mountain-walls.ソネットとは何? それは真珠貝遥か遠くでささやいている海のつぶやき最も珍奇に彫られた、かけがえのない宝美しく描かれた、それは小さな絵画ソネットとは何? それは偉大な詩人の秘密の陶酔からこぼれた泪両刃の剣、星、歌---ああ!時には重く鳴りわたる弔いの鐘ダンテの息づかいで揺らめく炎ミルトンが奏でる荘重なオルガンの響きそしてシェイクスピアの影がさす清らかなグラス海、これよ---大胆な人を目覚めさせる!フィヨールドのように、横たわる狭い谷底が海の深みから峨々たる山の絶壁を立ち上げる
Dec 29, 2008
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私の今年の完成作品『黒髪のイヴ』(油彩、117.0×91.0cm)を収載した画集『現代の絵画 Vol.14』が刊行されました。『現代の絵画』Vol.14 A4判 上製本: 定価6,000円(税込)【お問い合わせ先】〒164-0013 東京都中野区弥生町5-23-7-407朝日アーティスト出版電話03(5328)6527Fax03(5328)6528
Dec 27, 2008
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英詩における押韻については、自分の勉強のためにこのブログに何度か断片的に書いてきた。しかし古典英詩の規則については、あまりにも複雑で、いきおい解説も専門的にならざるをえないので、書かずにきた。 ところがとても興味深い詩をみつけた。わずか10行の詩なので日本語に翻訳してお目にかけることは容易だが、その詩の意味するところを知るには、やはり古典的英詩のリズム(韻律)について予備知識が必要である。 みつけた詩は、18世紀から19世紀半ばにかけてのイギリスで、当代きっての思想家にして詩人サミュエル・テイラー・コウルリジ(Samuel Taylor Coleridge; 1772-1834)が書いたもの。英詩におけるリズム型そのものを説明しているのだが、つまり、「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」などと記憶するあのようなものだ。とはいえ私がひどく面白がり舌を巻くのは、それが単なる説明ではなく、一行一行の詩が、説明しているリズム型になっているばかりか、全部で10行のその詩そのものもまた見事な押韻詩になっているのである。 私は、様式がさらなる様式のなかに入れ子のように組み込まれていたり、一つの隠喩がさらなる事態の隠喩となって空間拡張してゆくような、いわば知的なゲーム性をそなえた事が大好きだ。そんなわけで、このコウルリジの詩にいたく感心してしまった。 それでは、そのコウルリジの原詩をお見せし、その後に日本語に翻訳し、さらにその後に英詩におけるリズム型について述べることにしよう。 by ColeridgeTrochee trips from long to short;From long to long in solemn sortSlow Spondee stalks; strong foot! yet ill ableEver to come up with dactyl trisyllabe,Iambics march from short to long ---With a leap and a bound the swift Anapests throng;One syllable long, with one short at each side,Amphibrachys hastes with a stately atride; ---First and last being long, middle short, AmphimacerStrikes his thundering hoofs like a proud high-bred racer.トロキーは旅する長から短へ。荘重な性格なので長から長へゆっくりゆっくりスポンディーは堂々と歩む; 強い脚! 病気でもやれる。いつか三音節ダクタルを創り出すイアンビクスは行進する短から長へ---。一足飛びに敏捷なアナペストたちが押しかける一つの音節は長く、その両側にはひとつづつ短く。アムフィブラチスは急ぐ堂々と大胆に---最初と最後は長く、真中は短く。アムフィメイサーはその雷鳴とどろく蹄を打鳴らす、誇り高い純潔種の競争馬のように。 日本人のわれわれには、単語本来のアクセントの強弱とその組み合わせによって、句としてどのような性格をもつようになるかは、なかなか理解しがたいものである。コウルリジのこの詩は、英詩における歩格の意味をおしえているわけだ。 さて、古典的英詩は二つの構成要素から成り立っている。一つはMeter(メター:韻律、歩格)で、二つはPattern(パターン:詩型)である。 【Meter】 メターについては以前このブログの2006年6月4日の日記で説明したことがある。詩のメター(韻律、歩格)は、詩脚(foot)のもつリズムと詩脚の数によって決定される。そしてリズムは音の強弱に基づく。ただし古典においては音の長短に基づいている。 歩格については先のブログを参照していただくとして、ここではリズムの型とそのリズムが単位となる詩行(verse)について述べる。コウルリジの詩のなかにその名称が出て来ているので、その順番に列記してみよう。 リズムの型 ---trochaic (強弱格、 古典;長短格) ---spondee (強強格、 古典;長長格) ---dactylic (強弱弱格、 古典;長短短格) ---iambic (弱強格、 古典;短長格) ---anapestic (弱弱強格、 古典;短短長格) ---amphibrachys (弱強弱格、 古典;短長短格) ---amphimacer (強弱強格、 古典;長短長格) 以上のリズム単位が詩行(verse)に幾つあるかによって、次のような名称が与えられている。 詩行 ---monometer (1歩格) ---dimeter (2歩格) ---trimeter (3歩格) ---tetrameter (4歩格) ---pentameter (5歩格) ---hexameter (6歩格) ---heptameter (7歩格) ---octameter (8歩格) ---nonometer (9歩格) そして、英詩は通常、上のリズム型と詩行との分類を組み合わせて成り立っていて、iambic pentameter (弱強(ないし短長)5歩格)とか、dactylic hexameter (強弱弱(長短短)6歩格)のように言う。 コウルリジの詩の言葉の強弱を見てみよう。便宜上【強】[弱]で記述する。申すまでもないが、強弱とは単語のなかの母音のアクセントである。【強】の部分を強く発音し、[弱]の部分は弱く発音する。それによって読みにリズムが出て来る。T【ro】[chee] t【ri】ps f[ro]m 【lo】ng [to]【sho】rtF[ro]m 【lo】ng [to]【lo】ng [i]n 【so】[le]mn 【so】rtS【lo】[w] S【po】n[dee] s【ta】lks; St【ro】ng 【foo】t! 【ye】t 【i】ll 【a】[b]le(4行目以下、略)【Pattern】 次にもう一つの要素、Pattern(詩型)について述べる。詩型とは押韻のパターンと上述した歩格のパターンの組み合わせである。音楽の作曲基本法に、たとえばaa'bb'のようなパターンがあるけれど、それに似たような押韻のパターンと考えればよい。それによって詩型に名称があたえられている。 ◆Couplet; カプレット(二行連句)---押韻;aa ◆Quatrain; クァトレイン(四行連詩)---押韻;abab ◆Heroic couplet; ヒロイック・カプレット(英雄詩体二行連句)---押韻;aa、bb、cc---(連続する二行ずつが押韻する5歩格の対句詩型) ◆Rhyme royal; リム・ローヤル(帝王韻詩)---押韻;ababbcc(この順に押韻する弱強5歩格の7行詩) ◆Sonnet; ソネット---14行(13行の場合もある)弱強5歩格であるが、特に最初の8行をoctave(オクティヴ)、最後の6行をsestet(セステト)といい、この形式が厳密に保持されなければならない。ソネットはさらに押韻形式によって、◆Petrarchan sonnet; ペトラルカン・ソネット(あるいはイタリアン・ソネット---押韻;abbaabba cdecde. と、◆Shakespearean sonnet; シェイクスピアリアン・ソネット---押韻;abab cdcd efef gg. とがある。ソネットが英詩において最も魅力的といわれるのは、この厳密な形式の美しさによる。 このほかに、英詩にはフランス詩を源とする、やはり厳密な次の詩型がある。 ◆Ballade; バラード---8行句3節と4行のenvoyと呼ばれる連から成り、各節とenvoyはみな同一リフレイン(繰り返し文句)で終わる。 ◆Villanelle; ヴィラネル(田園詩)---19行2韻体。 ◆Rondeau; ロンドー---2韻10行あるいは13行から成り、詩の最初の語が2度リフレインする。 現在、日本のポピュラーソングのなかでバラードという言葉はしばしば使われる。あるいは、「バラードが好きだ」とか「バラードを歌う」などと言う。この「バラード」が、元はといえば上述のようにきわめて厳密な詩型なのである。 ところで英詩の韻には男性韻とよばれるもの、女性韻とよばれるものがあるので、ついでに述べておく。 男性韻(Masculine rhyme)というのは、詩の行末の単語の最終音節にアクセントがあることをいう。そのような韻をふむ単語の例をあげれば、 complain---comp【la】in、 dislain---dis【la】in 女性韻(Feminine rhyme)というのは、アクセントのない音節で終わる二重韻。もしくは三重韻。 notion---【no】tion、 motion---【mo】tion fortunate---【fo】rtu-nate、 importunate---im【po】rtu-nate 以上、古典的英詩の理解のための私の覚書である。
Dec 26, 2008
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きょうはクリスマスイヴ。弟がシクラメンの鉢とケーキをプレゼントしてくれた。 ケーキはさっそく3時のおやつに戴いてしまった。というのも、じつは89歳の老母が数日前、ほんのちょっとしたはずみで転倒し、腰や大腿を打撲した。ひとりで起きあがれない状態なので、24時間の介護をしなければならない。食事も普段から母用の別メニューをつくってきたが、今度は、寝たきりの口にゆっくりゆっくり食べ物を運ばなくてはならない。身体の清浄、夜中のトイレのことなどなど、とてもクリスマス・ディナーどころではない。特別料理を別メニューで2種類つくっている余裕がないのである。そんなわけでクリスマス・ケーキも一匙一匙すくって早々と食べさせたのだった。 老人の転倒については日頃留意していたのだが、とうとうやってしまった!というわけだ。そしてまた、若い人とちがって、ほんのちょっとした転倒でも影響はおおきいのである。 みなさんも、どうぞお気をつけてください。
Dec 24, 2008
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庭の千両が赤い小さな実をたくさんつけている。我家の小庭のいま唯一の彩りである。クリスマスから正月にかけて、いかにもそれらしいのがおかしい。 この時季、同様に赤い実をたくさんつけるものに、万両と南天がある。千両と万両とはよく似ているのでまちがわれるが、まったく別な植物である。植物学的にも類縁関係はない。花の構造が全然ちがうのだ。千両は〈せんりょう科〉で、〈一人静〉や〈二人静〉と同じなかま。万両は〈やぶこうじ科〉である。 高知県の土佐で千両と言っているのは、じつは万両のことで、この取り違いは、まちがいというより地方的な言い習わしである。 植物学的な区別はおいておき、一般的に千両と万両とを見分けるには、まず茎を見ると、千両は節が隆起している。葉は対生(茎をはさんで対称に出る)で、葉のふちが波状にギザギザしている。 万両は、葉は互生(茎をはさんで互い違いに出る)。葉はやはりギザギザしている。実は千両よりやや大きく、色もやや黒ずんだような赤。千両との大きなちがいは実は熟すと垂れ下がることである。 さて、南天は〈めぎ科〉。やや赤っぽい色の幹がむらがって生え、通常、枝の上部に枯死した短い葉柄が残っている。葉は茎の頂にあつまって互生する。千両や万両のようなギザギザはない。また、たくさんの赤い実をつける。 庭を掃いていると熟した赤い実がいくつも落ちていた。拾って割ってみるとクリーム色の半球の種が抱き合って球をつくっていた。プラトニズム的な種だな、と一人でおもしろがった。が、これは南天の実。隣家の庭には南天がある。それが塀越しに我家の庭に実を落す。 千両の種は、やはりクリーム色をしているが、まんまるの一個の球である。 世は不景気の陰鬱な風が吹いている。千両とは、名前だけでも景気がよいではないか。みなさんにおすそわけのつもりで、画像を掲載してみた。周囲の少し大きめの実が南天である。
Dec 23, 2008
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午後6時、玄関のチャイムが鳴って宅配便が包をとどけてくれた。開けてみると、なんと私が26年前にジャケット・イラストレーションを描いたレコードだった。贈り主は、ブログで知り合った山陰地方にお住いの、ちゃれさん。添えられた手紙に、「引き寄せの法則で見つけました。お手柄でしょう!」とあった。 リムスキー・コルサコフ作曲の交響詩『シェヘラザード』を、ジャズギタリストのラリー・コリエルが編曲し、彼自身が超絶技巧を駆使してギター一本で演奏しているレコード。1982年にフィリップスから出た。 じつはこのレコードの仕事、校正刷りを保存しているものの実物を所持していなかった。レコードが刷り上がったとき、一般に市販される前に、レベルに「見本盤」と印刷されたディスクが会社から届くのだが、それも含めて友人たちにプレゼントしているうちに、自分用に保存しておくのを忘れてしまったのだった。 昔のレコードをコレクションして販売している店を見つけると探していたのだが、いままで見つからなかった。そのことを、以前、私のこの日記に書いた。その記事を、ちゃれさんは覚えていてくださったようだ。たぶんインターネットで見つけだしたのだろう。そしてわざわざ購入して、きょう私にプレゼントしてくださった。自作との26年ぶりの対面である。予期しないことだったので、大層おどろき、嬉しく頂戴した。 ちゃれさん、よく探し出せましたねー。本当にありがとうございました。家人達もびっくりしています。
Dec 21, 2008
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NHK・BS2が1年間かけて放映してきた黒澤明歿後10周年記念の全30作のシリーズがまもなく終わる。私は毎回楽しんで見てきた。今夜は『影武者』(1980)が放映された。 なんと最後のスタッフ・キャストのなかに、高校時代の演劇部の後輩上田ボッコの名前を発見した。いままで全然気が付かないできた。大勢の武者役のひとりなので、その姿を確認することはできなかったが、驚きもし嬉しくもあった。だって、黒澤映画に名前が刻まれているのだから。 彼とは演劇部以外でも童劇プーポで共演しているし、なにしろ上手かったので私が演出した舞台でも主役を演じてもらった。 ボッコ、元気ですか! もう、45年もあっていませんが・・・ そんな驚きをした『影武者』だが、じつは私は黒澤作品としてはいささかの不満も感じる作品なのだ。設定にあまり説得力がない。出演俳優には申し訳ないが、織田信長と徳川家康は、大抜擢はいいが、画面のなかにどっしりと定着していない。俳優というのは不思議なものだ。人間の「重さ」というのは、どう演じたらよいのだろう。 影武者が悪夢にうなされる、その夢の長いシークエンスも私は興醒めだ。 後半はすばらしい。あれだけの数の人馬の戦闘シーンを演出する力量には驚嘆する。某監督の『川中島』と比べてみれば、一目瞭然であろう。 ただ、今回、「おや?」と思ったのは、始って33分くらいのところ。負傷した武田信玄が峠のいただきにさしかかって籠のなかで死ぬ。その直後に武田軍が行進して画面の手前にやってくる。その赤い鎧の騎馬武者のなかの二人が「眼鏡」を掛けている! 画面に向って右上方から夕陽が射し、武者たちの兜や頬を橙黄色に染めている。しかしその二人の眼のまわりの白っぽい薄い光は何だ? 槍の穂先の反射光にしては奇妙だ。しかも二人並んだ右側の武者の鼻の付根には黒い筋状の影がある。これは眼鏡のブリッジではないかしら? 私は確信しているわけではない。眼鏡の反射を監督が見のがすわけがない、と思うからだ。思うけれども、「上手の手から水」かしら?とも思う。 なんとも不思議な光に気が付いてしまったが、どなたか説明できるかたはおりましょうか? DVDかVTRをお持ちの方は、ちょっとその部分を見てみてください。騎馬武者が「武田の軍勢は整然としているのだ」というようなことを言うその場面です。一番手前の二人です。 撮影時、監督はカメラと共に高い位置から指揮していて、兜の目廂の下に隠れた眼鏡に気がつかなかったか? ラッシュで気がついても、あれだけの人馬をそろえて撮り直しはできなかったか?・・・いろいろ推理してみる。 まあ、眼鏡の騎馬武者がいたって、作品そのものの価値が変わるわけでもなかろう。珠に瑕とは言えるかも知れないが、巨匠の御愛嬌ですませてもいい。 映画のなかにはたま~に、そういうことを発見する。走っているトラックに飛びついた。カメラが切り替わると、向って右に飛びついたはずが左に変わっていた、とか。着ている服が違っていることさえある。あるいは、口にくわえているタバコの長さが違っていることも。短くなっているのならまだしも、長くなっていてはマジシャンだ。 そんなわけで、いろいろ驚いた今夜の『影武者』だった。
Dec 20, 2008
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つい今し方までTVで内田吐夢監督の映画『飢餓海峡』を観ていた。昭和40年(1965)の東映東京作品。出演は三國連太郎、左幸子、高倉健、伴淳三郎、加藤嘉、藤田進、三井弘次。 日本映画史に輝いている名画であるが、主演者4人にとっての代表作ではないか、と私は思っている。私はとくに、執念の老刑事弓坂を演じた伴淳三郎氏と、やさしさ一途な娼婦杉戸八重を演じた左幸子氏を絶賛する。脇をかためる俳優諸氏もいささかもゆるぎない演技で、リアリズム映画をみごとに着地させている。現在の日本映画にこのようなオトナの映画がつくられていないだけに、私は3時間というもの食入るように画面を注視した。 物語。昭和22年9月22日、北海道南西部を襲った台風によって青函連絡船が沈没し多数の死者がでた。その数時間前に岩内において質屋一家強盗放火殺人がおこっていた。函館署の弓坂刑事は、連絡船沈没事故の遺体のなかに乗船名簿に載っていない身許不明の二人の遺体があることを知る。 捜査をつづける弓坂刑事は、岩内殺人事件の当日、不審な三人の男たちが目撃されていること、また、沈没船の救助に向った大勢の人たちのなかに、手漕ぎの小舟を借り出した三人の男がいたという証言を得て、この二か所で目撃された男たちは同一人ではないかと思う。そして彼は、3人の殺人犯は沈没船救助のどさくさにまぎれて小舟で嵐の津軽海峡をわたって下北半島方面へ逃亡したのではないか、と推理する。 弓坂刑事は案内者らとともに自ら小型船で海峡をわたり、下北の切り立った断崖の上で新しい焚火の跡を発見する。自分の推理がいよいよ真実をついているような気がしながら、その灰をひとにぎり採取してハンカチにくるんだ。・・・以後、10年間、彼はこの灰を握り締めながら、逃亡した殺人犯の行方をおうことになる。 3人組のひとり犬飼多吉(三國連太郎)は、下北にたどりつき、恐山を越え、大湊の娼家で少女のような気のいい娼婦杉戸八重(左幸子)のもとで夕暮れまでの短い時をすごす。事の後にしみじみと満たされている自分に微笑しながら彼女が鏡を覗くと、首筋に爪による傷跡ができていた。八重は膝枕で犬飼の爪を切ってやる。そのやさしい情にほだされ、犬飼は大金の束を去り際に八重に握らせる。 それから10年、犬飼にもらった大金を胸に東京に出てきていた杉戸八重は、新宿、池袋、亀戸と娼婦として渡り歩いていた。彼女の生きる支えは、いつの日か、犬飼をさがしだしてお礼を言いたいという、ただそれだけであった。彼女は犬飼にもらった金をその時の新聞紙につつんだまま、そして、あの犬飼の親指の大きな爪を懐紙につつんで一緒に、いまも大切に持ち歩いているのだった。 ある日、彼女は、舞鶴の少壮実業家樽見京一郎の新聞記事とそこに添えられた写真を目にする。名前こそ変わっているものの、一日たりとも忘れたことがない犬飼多吉、その人に間違いない、と。 矢も盾もたまらず八重は舞鶴に向った。 富山署の味村警部補(高倉健)は、親不知の断崖の下に渦巻く荒海からあがった、男女二人の遺体に不審をいだいた。二人とも首を折られていたのだ。心中する者がお互いに首を締めあって死ぬなどとは考えられなかった。のみならず、首を折るためには相当の力が必要だ。 遺体の男が、樽見京一郎の使用人だったことから、警察の関心はその少壮実業家本人に向けられる・・・。そして女の遺体は、杉戸八重だった。 ・・・と、水上勉の同名の推理小説の映画化。ネタばらしはほどほどにしておく。もっとも、映画は推理仕立てではない。 この映画のすばらしさは演技者のみごとさだけではない。戦後まもなくの市井の生活環境が、セット美術や小道具にみごとに再現されているのである。映画美術というのは、建物などをそれらしく建てればよいというのでは全然ない。なにより生活の澱(おり)がなければならない。今流行りの言葉で言えば、「空気」感の表現である。最近の日本映画に、昭和30年代をCGでつくって身内でほめあっている作品が多いが、私に言わせれば、そこには何もない。制作費があろうとなかろうと、私の鑑賞眼にはそんなこと問題にならない。どんなに金をかけようと、表現されるべき事態が表現されていなければ、そこには何も無いのだ。 具体的な一例をのべれば、犬飼が八重の部屋にあがったとき、障子窓には明るい陽がさしていて、軒先の物干綱に足袋が干されているシルエットが映っている。やがてその障子がわずかにスーッと翳って、洗濯物のシルエットが消える。するとかすかに雨音がして、たちまちザーッと降って来る。・・・こういう主人公二人の背景にある映像だ。私は、障子の向こうに洗濯物の足袋のシルエットが映っているのを見て、「ホーッ!」と感心してしまった。 じつはこのシーンの前のシーンも、映画的なイメージであるとともに、後に、すなわち10年後にもまったく同じイメージが鏡像のように再現されるのである。 犬飼多吉が杉戸八重の部屋にあがるとすぐに、彼女は窓を開けて、「ここから恐山が見えるのよ」と言う。窓の正面に恐山の異様な姿が立ちはだかっている。この時季が台風シーズンであることを思い出していただきたい。山の頂き附近に大きな雲がかかりときどき稲妻のような妖光が光る。八重は亡くなった母親の声を聞くためにイタコの口寄せに行って、今帰ったばかり。その帰りの森林鉄道のなかで犬飼と初めて出逢ったのであった。犬飼は心に殺人のことを思い出し、八重の話に恐怖する。八重は犬飼のその恐怖感を子供じみたことと解釈し、なおもふざけて彼を威す。蒲団を頭からすっぽりかぶって、彼を追い詰め、ふたりの姿は蒲団のかたまりのなかに見えなくなる。このシーンは長いが、ワン・カットで撮っている。場面が切り替わると、二人は、着衣のままながらしどけない格好で横たわっている。二人の間に何があったかは、それでわかろうというもの。私がすばらしいと思うシーンでもある。 ところで、10年後、八重は舞鶴に少壮実業家を訪ねる。その邸宅の応接室で二人は対面するのだが、季節は夏、窓から庭園の木々が見えている。すると突然のように雨が降出す。少壮実業家は急いで立ち上がって窓を閉める。・・・その姿は、あの犬飼多吉が恐山の話に恐怖してあわてて窓を閉めた姿と同じである。・・・八重は「犬飼さん! 犬飼さん!」と無我夢中で実業家の胸にすがりついてゆく。恋しさもあろうが、実業家に「私は犬飼ではない」と断固否定されて、生きる支えを失ってしまった彼女は、支えを取り戻そうとするかのように必死である。二人はもつれあう。彼女の叫び声を実業家の手が口をおさえて塞ぐ。そして・・・ この窓を閉めるという二つのシーンは、鏡のように反射しあっているのであるが、ただし、片や愛の濡れ場へと発展してゆくもつれあい、片や、10年の歳月を経てそれぞれの人生の亀裂を見た男と女が、殺人へと転がってゆくもつれあいなのである。 ここにこそ、映画表現が存在する。その一例としての名シーンである。 もうひとつこの映画の映像処理の興味深いてんを述べておこう。それは登場人物が誰であろうと、その人の推理にあたる部分、ないし空想にあたる部分の映像のソラリゼーション化である。フィルムの陰画陽画を反転し、陰画で表現しているのである。それだけならさして指摘するまでもなかろうが、じつはこの処理された映像によって、その映像は物語の「事実」から切り離され、すなわち事実であるかもしれないが事実ではないかもしれないという曖昧なものとなる。これが警察の追究して得た事と犯人が告白する事との齟齬をクロース・アップすることになる。観客にとっても個々人の判断にゆだねられることとなり、人間の心の闇とその深さの表現に、おおいに寄与しているのである。 映画つくりの方法としては、推理も空想もすべてを等しい実像的な映像にしてしまうことも考えられるが、おそらくそれは観客の意識を混乱させるだけであっただろう。観客は「真実」の曖昧さに映画的感動を呼び覚まされるのではなく、たんに混乱した映画を見たという感想ををもつ結果になっただろう。私は、この作品における映像のソラリゼーション化は、注目してよいと思っている。 もうすでに何度か見ている映画なのだが、今日は20年ぶりぐらいに観たことになる。堪能しました。【『飢餓海峡』製作スタッフ】監督:内田吐夢、製作:大川博、企画:辻野公晴・吉野誠一・矢部恒、原作:水上勉、脚本:鈴木尚之、撮影:仲沢半次郎、音楽:富田勲、美術:森幹男、照明:川崎保之丞、録音:内田陽造、編集:長沢嘉樹。
Dec 19, 2008
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先月のことだが、郵便局が、年賀ハガキの注文を取りにきた。私は自作の絵ハガキをつくるので必要ないが、家人たちは私と別なので「官製ハガキ」を買っている。じつはそのときまったく気が付かなかったけれど、昨日、絵ハガキ用の原稿を印刷所に入稿し、今また年内に処理しなければならない私信をしたためたハガキを投函して、ふと気が付いた。 カッコして官製ハガキと書いたので、お察しの方もおられるかもしれない。現在この言葉は、死語になってしまったということ。昨年10月でしたか、郵便局が郵政省から日本郵政公社になって以後、もう「官」ではなくなったのだから、当然、「官製ハガキ」という言葉も消滅したわけである。 私がつくるようなハガキを「私製ハガキ」というのはいいとして、それでは郵便局が売っている郵便ハガキは何と言うのだろう。 そういえば、切手をシートで買うと、周囲の余白の下部に、どこで印刷したかが記されている。この記載も、平成15年度までは「財務省印刷局製造」だったのが、平成16年度からは「国立印刷局製造」に変わった。それ以前は「大蔵省印刷局」だった。お気付きだろうか。 ・・・それでは現在は? お調べになってみてください。 言葉が消滅する見本のような例だと思ったので、ちょっと書いておく。
Dec 17, 2008
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どこかで遊んで帰ってきた猫のリコが、部屋に入るなりまっすぐ私の膝に跳びのった。冷えた背中を撫でながら、「お寒かったでしょう」と口走ったら、家人たちの冷たい視線が突き刺さってきた。私は笑いながら、「思わず思わず」と言った。たまたま弟がいて、「とうとう頭がおかしくなったか!」と呟いた。リコは喉をならしながら尻尾を振っている。「ハハハ、ねえリコさん、お寒うございますよね」 夜のテレビのローカル・ニュースで八王子市の路上駐車の車がすっぽり霜におおわれ、まるでラメ入りの塗装をしたかのようにキラキラ輝いている映像をみせていた。土中から霜柱も立ち上がっていた。 明日の東京は雨だというし、庭のシンビジウムに霜囲いをしたほうがいいかもしれない。この日記を書いたら、ちょっとその一仕事をしておこう。 しだいに寒さがつのってゆく日々だけれど、野草ばかりの植木鉢のなかで、桜草がいまどんどん根をはっている。株もすこしづつ殖えているようだ。東京薬科大学の植物園からもらったアネモネと水仙の球根の植付けが遅くなってしまったが、いまから大丈夫だろうか? 明日の雨があがればしばらくは曇ったり照ったりらしいので、植付けをしてみよう。
Dec 16, 2008
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雨や風は映画的なイメージを喚起するかっこうの自然現象で、たちどころに幾つもの作品をあげて名場面を偲ぶことができる。同様に「霧」もまた映画的なのだが、なぜか映画論において論じられることはない。それでも私は、いまこうしてブログを書くためにタイピングしながら、「霧」が登場する映画をいくつか思い出している。 一昨日、イギリスの詩のなかに「霧」をさがし、欧米人にとって「霧」がどんなイメージなのかを考察した。考察したといっても、ブログのスペースの関係でおおいに端折らなければならなかったので、日本人が古来「霧」に対して情緒纏綿としたイメージを付与してきたのに比較すると、欧米人のそれは意外に恬淡としていると見て、それで終わらせてしまった。自分でも言い足りないと思ったので、あらためてもう少し私の考えを述べておこうと思う。 私たち日本人は、「霧のロンドン」とか「イギリスの霧」などと言い、そこには少なからぬロマンチックな思いをこめている。イギリスの霧は、たしかに一種の「名物」であることは間違いなさそうだ。それでは、当のイギリスではどのように考えられてきたのであろう。 私の手元にイギリスの文豪チャールズ・ディッケンズ(1812-70)が子供のために書いた『A CHAILD’S HISTORY OF ENGLAND(子供のためのイングランドの歴史)』がある。子供のためとはいえ、全37章からなる大著である。その第1章「古代イングランドとローマ人」に次のような記述がある。「The whole country covered with forests, and swamps. The greater part of it was very misty and cold. There were no roads, no bridges, no streets, no houses, that you would think deserving of the name.」(全土が森と沼沢地であった。その大部分が深い霧におおわれ、寒かった。道も、橋も、街路も、家もなかった。読者諸君は、それではイングランドの名に値しない、と思うにちがいない。) 「England」とはEngla land, すなわちアングル族(the Angles)の土地という意味。この古代のイングランドの荒寥とした光景の記述を読みながら、私は、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957)のオープニング・シーンや、妖婆が三船敏郎演じる武将の不吉な運命を予言する森のなかのシーンを思い出す。深く霧がたちこめる荒れ地に、かつてそこに蜘蛛巣城があったことの板碑。そのただ霧が漂っているだけのシーンはひどく長い。が、長いことにひとつの意味がある。霧の奥深くにあってこれから暴かれねばならない物語は、人間の心の闇だからである。霧を掻き分けるように物語は過去へと遡ってゆく・・・。 言うまでもないが、『蜘蛛巣城』はシェイクスピアの『マクベス』の翻案である。原作においてもこの「霧」はト書にちゃんと指定されている。詳しく述べれば、「霧」をト書に指定してあるのは2箇所で、第1幕第1場の「荒涼たる広野。雷鳴がとどろき、稲妻がひらめく。霧の中に3人の奇怪な妖婆が現われる。」というところと、第3場の「不毛の荒れ地。雷鳴がとどろく。霧の中から3人の妖婆が現われる。」というところ。 専門的なことになるが、じつは第1フォリオ版には第1場の「荒涼たる広野」という記述はない。したがってシェイクスピアの時代の舞台では、どことも知れぬ場所に妖婆は現われたという設定だったらしい。しかし、第3場は、初演以来、霧がたちこめる「不毛の荒れ地」なのである。 黒澤明『蜘蛛巣城』は、この霧の設定もおおむね原作にのっとっているのであるが、私は、あるいは先行の映画作品を参考にしたかもしれないと思っている。それはローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』(1948年。日本公開1949年)もしくはアルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』(1940)である。『レベッカ』が日本で公開されたのは1951年であることを念のため申し添えよう。 シェイクスピアの『ハムレット』では、先王の亡霊が闇のなかに忽然として出現するが、じつは原作にはト書にさえ「霧」の設定はない。が、この戯曲のもっとも優れた映画化作品であるローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』は、まさに霧で始る。深く立ち込めた霧が渦を巻き、そのなかに陰鬱で禍々しいエルシノア城の望楼が黒々と現われる。原作の第1幕第1場のト書は、それを次のように書いている。「真夜中。凍るような星が空にきらめく。エルシノアのデンマーク王宮のゴシック様式の城は、ほの暗い空に黒く不吉な影を投げている。(以下略)」 ローレンス・オリヴィエは、シェイクスピアのこの設定にさらに「霧」を付け加えたわけだが、映画的にはこの「霧」は、もののみごとにこれから始る物語を象徴するものになった。 『レベッカ』もまた深い霧につつまれたシーンから始る。そこはマンダレーという土地で、主人公のド・ウィンター夫人はかつてその屋敷で不安と死の影にさいなまれて暮らしていたのだ。今は荒れ果てた荘園は霧にうもれ、夫人の回想の声が流れる。霧を掻き分けながら黒々と浮かび上がる屋敷にたどりつくや、画面は一気に時間を遡って明るい南フランスはモンテカルロの海に臨んだ断崖に切り替わる。 『マクベス』のように、『レベッカ』でも「霧」は2度画面に登場する。 2度目は、死んだレベッカのお気に入りのボート小屋をド・ウィンター夫人が調べに行ったときである。 ・・・欧米においては、「霧」は不吉を象徴しているのではあるまいか。あるいは、端的に言って、死を、死の影を。 鬼才ロジャー・コーマン監督の『TOWER OF LONDON(恐怖のロンドン塔)』(1939)は、やはり霧のオープニングだ。霧のなかを突き進むとエドワード4世の城が見えてくる。その城のなかで今まさに王は死の床に横たわり、世継ぎとなるはずの二人の幼い王子の後見について懊悩していた。王が死ぬと、弟のグロスター公リチャードは幼い王子をロンドン塔に幽閉し、自らリチャード3世として王位につく。・・・拷問と殺戮にあけくれる狂気の王を演じたのは名優ヴィンセント・プライス。ロウランド・リーの古典的ミステリー小説の映画化である。 テレンス・フィッシャー監督、クリストファー・リー主演『HORROR OF DRACULA(吸血鬼ドラキュラ)』では、墓場のシーンになると霧がたちこめた。 ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』(1973)では、悪魔に肉体を占領された12歳の少女の悪魔払いのために、メリン神父が 少女の家にやってくると、家は霧につつまれていた。 ジョン・カーペンター監督『ザ・フォッグ』は題名からして霧そのものだが、北カリフォルニアの海岸の町アントニオ・ベイは町が創始されて100年目になる祝祭にわいていた。しかし町には、100年前のある夜に難破した船の乗組員が、霧のたちこめる時に、復讐のためにやってくるという伝説があった。じつはこの町の6人の創始者こそ、その乗組員を殺害して黄金の積み荷を奪ったのだった。やがて遥か海上で沸き起こった濃霧が、町に押し寄せて来る・・・。 こうして思い出すままに数本の映画を見たが、共通するのは「霧」が死にまつわっていることだ。ここには日本人が霧にいだく恋愛のお膳立てとしてのイメージはまったくない。逆に言えば、日本人は「霧」に対して「死」のイメージはもっていない。まったく持っていないとは言いきれないけれども、また、たしかに邦画においても神秘感や怪しい雰囲気の表現に「霧」が使われることがある。しかしあえて「The herald of death(死の使者)」と断言するほどのイメージは、詩歌をはじめとする文芸作品ならびに映画作品においては皆無と言いえるのではあるまいか。水墨画においても霧はかっこうの題材だが、ここに表現されている霧は憧憬をこめた自然に対する幻想(少なくとも日本の水墨画の場合)である。むろん死の影ではない。 一昨日例示したロバート・ブラウニングとT・S・エリオットの詩にようやく見つけた「霧」だが、ロバート・ブラウニングのほうは明らかに死のイメージとしての霧である。じつはT・S・エリオットのほうも、引用した句だけを見ると、牧歌的な感じがするけれども、詩の主題はやはり「死」なのだ。死の気配としての「霧」なのである。あるいは諸々の悪徳のイメージを隠している「霧」と言ってもよい。 冒頭に紹介したディッケンズの述べる霧につつまれた荒涼としたイングランドを、そこに住む人々は、長い長い時間をかけて豊かな国土へと築き上げてきたのだ。そういう自負が人々の無意識に受け継がれているのではあるまいか。それが文化的な表現としては、「霧」のイメージを「死」や「不安」、概してあまり好ましくない事態と結びつけているかもしれない。アンドレ・ド・トス監督、ヴィンセント・プライス主演『House of Wax(蝋人形の館)』(1953)より。霧のロンドンを死の影を背負った怪紳士が徘徊する・・それにしてもこのカット、素晴らしい映画的なイメージではないか!
Dec 14, 2008
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9月の末に刊行を予定していた画集『現代の絵画』Vol.14(朝日アーティスト出版)が、編集の都合で延び延びになっていたが、ようやく年末に刊行されることになった。 20年近くにわたって、私の作品を収載する画集を、毎年かならず1册は刊行してきた。あるいはすでに30年ほどになるのかもしれない。 先日亡くなった加藤周一氏が書いている。 「私もだんだん絵を見るようになってわかってきたことは、やはり複製で何かをいうのは危険だということです。本当のものを見ないといけない。一度、本当のものを見た後で、記憶が確かでないから、たとえば構図とか色でさえもそのとおりではないけれども、思い出すために複製を使うのは大いに役立つ。しかし、初めから複製だけ見ると、本当に芸術作品としてのいちばん大事なところがわからないように思います。」 私もまったくそのとおりだと思う。私の書棚にはいわゆる名画集や作家の個人画集がない。そのかわり、実際に見た展覧会の図録は100册200册とならんでいる。まさに加藤氏の言うように、自分の見た作品の記憶・・・すなわち第一印象からはじまって、細部についてや後に考えた事、考えながら気がついたことなどを確認するためなのである。そのような確認作業は何年にもわたることがあるし、場合によっては30年も40年もたってから「あっ!」と気がつくこともある。それだから、自分の見た展覧会の図録は、私にとっては必要不可欠なのである。 さてしかし、一方で私は、自分自身が作品を創造する者なので、誰でもが私の実物作品を購入するわけでもなければ見る機会をもつものでもないことを承知している。それに私はイラストレーターとして仕事をしてきた。イラストレーションというのは印刷によるマス・プロダクションで、作品は印刷によって完成する。印刷に適合しない絵は、イラストレーションとしては失格である。・・・そのような私の創造活動の二面性ゆえに、私は自分の絵画作品を画集として印刷することに抵抗がない。のみならず、印刷された作品が原画の色彩とは異なることも充分承知しているのである。できるだけ原画に近付けるように出版社や印刷技術者が努力することを願っているけれども、制作費が無制限にかけられるものでもあるまいし、お金による限度も承知している。物わかりのいいアーチストなんてズボラなだけと思われるかもしれないが、そうではない。そのように思うなら自作を印刷などしなければよい話だ。 私が「捨てて立つ瀬」と考えて、30年間、毎年かならず1册は画集を刊行するという方針をつらぬいてきたのは、「誰でもが私の実物作品を購入するわけでもなければ、見る機会をもつものでもない」と見極め、ならばせめても画集で作品を見ていただこうというわけだった。 今年もどうやらその方針がとぎれることなくゆきそうだ。
Dec 13, 2008
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「霧」をうたった歌曲を思い出すままに17曲書き出した昨日の日記に、「こんなにたくさん」とコメントが寄せられた。まだまだあるだろうと書いておいたが、その後に、美空ひばりの『マドロス波止場』や石川さゆりの『狭霧の宿』を思い出した。 記憶をたぐって並べてみただけでは面白くないので、日本人が「霧」によせた歌(詩)のイメージを和歌や俳句にさぐってみた。 手始めに『古今和歌集』(905年)を精査してみると、9首みつかった。そのうち2首が作者が知れているもの、他は読み人知らずである。わかりやすくするため、現代カナ使いにし、カナを漢字になおしたり句点をつけて書き出してみる。 恋こいて逢う夜は、今宵天の川、霧立ちわたり、明けずもあらん (恋いこがれてようやく今宵七夕の夜に逢う。天の川は霧がたちこめて夜が明けることもないだろう) 春霞、かすみて去(い)にし雁がねは、今ぞ鳴くなる秋霧の上に (春霞がたちこめる頃に、姿をかすめて北国に旅立った雁は、秋霧がたちこめる今、ここに帰ってきた) 人の見る事や苦しき女郎花(おみなえし)、秋霧にのみ立ち隠るらん 壬生忠峯 (人から見られることを恥ずかしがって、女郎花は、秋の霧のなかに立って隠れているのだろう) 霧たちて、雁ぞ鳴くなる片岡の、朝の原は紅葉しぬらん (霧がたちこめ雁の鳴く声がする。片岡の朝の原は、いまごろは紅葉が見頃だろうなぁ) 【注】片岡は、現在の奈良県北葛城郡王寺町附近。 秋霧は今朝はな立ちそ佐保山の端は、その紅葉、他所(よそ)にても見ん (今朝は佐保山の山の端にはきっと霧がたちこめているに違いない。あそこの紅葉は素晴らしいけれど、ほかの所で見ることにしよう) 【注】佐保山は現在の奈良市の佐保あたり。 秋霧の共に立ち出でて別れなば、晴れぬ思いに恋や渡らん 平元規(もとのり)蔵人右衛門尉 (朝が明けて秋霧がたちこめてきた。別れの時間だと、いっしょに立ち上がって別れたものの、霧が晴れないように貴女への思いも晴れず、私の恋心は広がってゆくばかりです) ほのぼのと明石の浦のささ霧に、島隠れ行く舟をしぞ思う (明石の浦がほのぼのと夜が明けて、狭霧(さぎり)のなかを、小島の陰に次第に消えてゆく舟を見送りながら、恋いしい人のことを思っている) 朝な朝な立つ河霧の、空にのみ浮きて、思いのある世なりけり (朝が来るたびに河霧がたちこめ空中に浮かぶ。浮いて憂き世に思いを残しているのだなぁ) 秋霧の晴れて曇れば、女郎花、花の姿ぞ見え隠れする (秋霧が晴れたと思えば曇り空で、女郎花の姿も、見えたかと思ったらまた隠れてしまった) こうして9首を並べてみると、天然現象としての「霧」は物事を隠したり表わしたりする隠喩的な役目をおわさされ、総じて「恋心」を象徴していると言える。つまり、霧がたちこめた情景それ事態をうたっているのではない。もっとやるせないような情緒を霧に託している。 それではこのような霧に託した情緒が、ずっと後の時代までつづいているのだろうか。 『古今和歌集』の成立からおよそ750年後の松尾芭蕉(1644-1694)の俳句に、霧を詠んだ句をさがしたところ、『野ざらし紀行』に一句見つかった。『更科紀行』にも一句あるが、これは芭蕉の旅の付き人だった越人の作である。その二つの句を見てみよう。 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉 (旅の道中、ずっと富士山が視界から消えることはなかったので、霧時雨が降りこめて富士の姿が見えなくなると、それがまた格別の興趣だ) 霧晴れて棧は目もふさがれず 越人 (霧が晴れたので戸障子の桟に目貼りもしないままだ) この二つの句には、古今和歌集にあった情緒はみじんもない。恋心など論外である。 芭蕉よりおよそ40歳年輩の松江維舟重頼(1602-1680)は貞門俳諧の異端といわれたが、その著書『毛吹草』は貞門俳諧が隆盛の折はおおいに利用され名著であった。この『毛吹草』にはいわゆる季語集というべき「俳諧四季之詞」があって、その「秋」の部に「霧」がある。後に「追加」された部も加えると霧を詠んだ句が8首あつめられている。それを以下で見てみるが、じつは松尾芭蕉に先立つ貞門俳諧でもすでに古今的な情緒はない。それでは天然現象としての霧を冷静に観察しているかといえば、そうも言えるし、そうとも言えない。和歌が貴族や武士階級の高尚文芸だとすると、ここに生まれつつあったのは町人たちの諧謔の精神をどこかに感じさせるそれゆえに「俳諧」という新文芸であった。それは芭蕉によって完成させられた「侘び」に通じる枯淡の興趣ともことなる、まさにその前段階としての自然や物事への視線といえるであろう。 ともかく『毛吹草』の「霧」の部からの8首を見てみる。解釈をするまでもないので、それを省く。 是はまた霧を通すや風袋(かざぶくろ) 重頼 霧の海に立つ白鷺や波頭 道二 富士は磯というや理(ことわり)霧の海 重方 風の手のやふるや霧のまばら垣 正依 (この句は一応私の解釈をしておく。風の手の矢降るや霧のまばら垣。また、別解として、風の手の破るや霧のまばら垣。後者のほうが自然かもしれない。) 大海を手柏で急く霧間かな 正直 (この句も説明必要か。霧が大海原のようだ。その海を、両手でカシワデを打つように、つまり平泳ぎのように、霧をかきわけて歩いてゆく) 天は沖地は磯なれや霧の海 未得 風口は干潟となるや霧の海 不及 朝霧の海高くして山もなし 一言 次に芭蕉におくれること72年の与謝蕪村(1716-1783)の一句を見てみよう。 朝霧や杭(くいぜ)打つ音丁々たり 蕪村 解釈する必要もない句なのだが、もうすこし情景を噛み砕いて説明しておこう。つまり、早朝、朝霧のたちこめるなか、いずこからか杭打ちをする音がカーンカーンと響いてくるのだ。何か冬支度のためであろうか。白々として寒々しく煙る朝の風景を、雄々しく切り裂くように、すでに一日の生活がはじまっている。 ・・・と、これは私の感覚がこの句を読み取っての解釈なのだが、当らずといえど遠からずだろう。だとすると、まさしく与謝蕪村の作句が感性的でロマン的だと評されたことが納得できるのである。そしてそのロマン性は言葉と言葉の間にいさぎよいイメージの飛躍があるからではあるまいか。私は与謝蕪村の句は、芭蕉の句と比べてより男性的だと感じている。 しかしそのことは「霧」についての考察から離れるので、とりあえず措いておく。 こんどは高浜虚子が昭和15年に編纂した『季寄せ』に収録されている「霧」の句をふたつ見てみる。 噴火口近くて霧が霧雨が 左右 野菊より霧たちのぼる屋島かな 壽子 虚子がなぜこの二句を採録したかは私には分らない。さほど上出来とも思わないからだが、言うならばずいぶん素人っぽい句で、逆に言えば現代の日本人の「霧」についての一般的な感性と見てもよいかもしれない。つまり、「霧」が霧にしか見えなくなっている、と。ここには古今和歌集の情緒はむろんのこと、貞門俳諧の諧謔もなければ蕪村の鋭敏さもない。 さて、いささかならず乱暴に、和歌と俳句のなかの「霧」を検証してきた。ここで最初の現代の歌謡曲や唱歌に立ち返ってみると、どうやら歌謡曲の霧に寄せる情緒は古今和歌集に通じるものと言えるかもしれない。唱歌のほうは、歌謡曲よりストイックというか少しばかりドライで、貞門俳諧から芭蕉を経て蕪村にいたる俳風をどこかに受け継いでいるような感性を感じる。「霧」に象徴性をもたせず、天然現象に対する感動を意外に素直に言葉にしているようだ。 では「霧」に対するこのような感性は、欧米人にも共通するものなのだろうか。 日本でもヒットしたポピュラー・ソングに『霧のサンフランシスコ』と『霧のロンドンブリッジ』がある。 『霧のサンフランシスコ』は「想い出のサンフランシスコ」という別称もあるが、原題は『I Left My Heart In San Francisco』、ダグラス・クロス作詞、ジョージ・コリー作曲。1954年にクララメ・ターナーというオペラ歌手が歌い、1962年にトニー・ベネットが歌い、これが大ヒットとなった。 『霧のロンドンブリッジ』の原題は『On London Bridge』。シド・テッパー作詞、ロイ・ベネット作曲、ジョー・スタッフォード歌、1956年の大ヒット曲である。 この2曲、原題が示すとおり、「霧」という言葉はどこにも入っていない。歌詞を見てみると、『霧のサンフランシスコ』の方には、たしかに「朝の霧は空気を冷やすけれど」とある。しかし日本でつけた題名ほどには、「霧」へのロマンチックな思い入れはない。 『霧のロンドンブリッジ』にいたっては、「I walked on London Bridge last night」と歌いだす詞のどこにも「霧」のイメージはない。つまり日本人が勝手にロンドン・ブリッジにいだいているイメージを題名にしたのである。 そこで私はイギリスの偉大な詩人たちの詩を手持ちの原典にあたってみた。もちろんそれらの詩人の全集ではないけれど、とりあえず「霧」を意味する言葉、「fog」「mist」「haze」が出てくる詩をさがしてみた。ちなみにこの三つの言葉は「fog」が一番霧が濃く、視界が1km以下というのが目安らしい。次いで「mist」。「haze」は、やや視界がぼやける程度である。 物好きなと自分で思いながら、まず手始めにシェイクスピアの154作のソネット全部を調べた。どこにも出てこなかった。ジョン・キーツ詩集、これもナッシング。ヨアキム・デュ・ベリーもない。レミー・ベロウもない。ウィリアム・ブレイクもない。ウィルフレッド・オウエンもない。童謡のコレクションも調べたが、ナッシング。 「霧のロンドン」とか「イギリスの霧」というイメージをもっている日本人としては意外な結果である。 それではと、アメリカのウォルト・ホイットマンの『LEAVES of GRASS(草の葉)』の第1の書と第4の書を調べてみたが、これは当然と言えば当然、「霧」は登場しない。そして、もしやと思いながらエドガー・アラン・ポーの長篇物語詩『THE RAVEN(大鴉)』を開いたが、ない。それこそ「Nothing more!」 英詩には星だ月だ太陽だと頻出し、儚さのたとえとして朝露(morning's dew)や、露置く草(dewy grass)、春雨(spring-shower)、そよ風(the breeze)、あるいは篠つく雨(driving rain)、冷たく吹き荒れる雨(chill blustering rain)とか荒れ狂う雹(rebounding hail)、あるいはまた嵐(tempest)などの言葉も数多く登場する。しかし、なぜかしら「霧」が見つからない。 私はもう一度イギリスの詩にもどってロバート・ブラウニング詩集を繰った。すると、見つかった! 『Prospice』と題された一行目と二行目に。 Fear death? ---to feel the fog in my throat, / The mist in my face, (死を恐れる?---喉奥に濃い霧を感じ、顔に霞がかかって、) 私はさらにT・S・エリオットの詩『Marina』の第1連と第3連に次の句を発見した。 the woodthrust singing through the fog (霧の彼方からキツツキの鳴き声がする) A breath of pine, and the woodsong fog (松の息吹き、そして森の調べの霧) さて、例として示すにはあまりにも少ないのだが、あるいはそのことが「霧」に対する日本人の感性と欧米人の感性との違いを示しているかもしれない。すくなくとも、欧米人は霧に対して日本人のような恋愛感情を忍ばせるような濃い情緒はもっていないと言えるのではあるまいか。それは日本人が『霧のサンフランシスコ』や『霧のロンドンブリッジ』と題名をつけたことと原題との落差にこそ、端的にあらわれているのかもしれない。
Dec 12, 2008
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昨夜10日のNHK・TVのニュースで、関西から九州にかけての広い地域で濃霧が発生したと報じていた。大阪市街がすっかり霧にうもれて、街全体が雲海に漂っているかのような、上空から撮影した珍しい映像を見せた。海上を減速航海する大型フェリーが深い霧のかげからまるで「さまよえるオランダ人」の幽霊船のように出現し、解説者は思わず「幻想的」と言ったが、確かに幻想的な光景だった。すくなくとも私自身はこのような広域にわたる濃霧を映像として見たことはない。怪奇映画『フォッグ』を思い出した。それから私も思わず「♪霧だ~、狭霧(さぎり)だ~、峠路は~♪」と歌が口をついて出た。この歌、たしか『さぎり』という小学生合唱曲だったと思う。作詞・作曲者ともに名前を忘れてしまったが、「・・・木立も~、山も~、白々と~♪ 埋めつくして~、霧の海~・・・」とつづいたように記憶する。 メロディーはおぼえているのに、歌詞が思い出せないまま、あれやこれや記憶をさぐっていると、霧を歌ったほかの曲がつぎつぎに浮かんできた。皮肉なことに、それらの歌は歌詞も思い出せるし、むろん歌うこともできる。歌謡曲から唱歌まで17曲思い出した。 ついでだから書き出してみましょうか・・・ まず歌謡曲から。歌詞を全部書くといいのですが、著作権が、・・・どうなのでしょうね。題名とサワリの部分だけにしておきます。 ◆ディック・ミネ・歌『夜霧のブルース』島田磐也作詞、大久保徳次郎作曲。 「♪青い夜霧に灯影が赤い どうせおいらは独り者・・・」 ◆石原裕次郎・歌『俺は待ってるぜ』石橋正美作詞、上原賢六作曲。(1955年、同名の日活映画主題歌。藤原惟繕の監督第1回作品。歌が先にあって、それに映画のストーリーをつけたようだ。) 「♪霧が流れて むせぶよな波止場。思い出させてヨ また泣ける・・・」 ◆赤木圭一郎・歌『霧笛が俺を呼んでいる』水木かおる作詞、藤原秀行作曲(1960年、同名の日活映画主題歌)。 「♪霧の波止場に帰って来たが・・・霧笛が俺を呼んでいる」 ◆布施明・歌『霧の摩周湖』水島哲作詞、平尾昌晃作曲。(1966年) 「♪霧に抱かれて静かに眠る・・・」 ◆石原裕次郎・歌『夜霧よ今夜も有難う』浜口庫之助作詞・作曲(1967年、同名の日活映画主題歌)。 「♪しのび逢う恋を つつむ夜霧よ・・・」 ◆アイ・ジョージ歌『硝子のジョニー』石浜恒夫作詞、アイ・ジョージ作曲(1961年、東映映画『硝子のジョニー 野獣のように』主題歌。 「♪黒い面影 夜霧に濡れて・・・」 ◆黒木憲・歌『霧にむせぶ夜』丹古晴巳作詞、鈴木淳作曲。 「♪涙じゃないよと言いたいけれど・・・霧にむせぶ夜」 ◆山田真二・歌『哀愁の街に霧が降る』佐伯孝夫作詞、吉田正作曲。 「♪日暮れが青い灯つけてゆく 宵の十字路。 泪色した霧がきょうも降る・・・」 ◆久保浩・歌『霧の中の少女』佐伯孝夫作詞、吉田正作曲。 「♪涙はてなし雪より白い・・・あわれ少女よ 霧の中の少女・・・」 ◆美空ひばり・歌『哀愁波止場』石本美由起作詞、船村徹作曲。 「夜の波止場にゃ 誰あれもいない。 霧にブイの灯 泣くばかり・・・」 さて、歌謡曲では「霧」はおなじみの言葉なのであろう。いま即座に思い出さないが、霧が登場する歌はたくさんありそうだ。そうそう、藤浦洸作詞、高木東六作曲で二葉あき子が歌った『水色のワルツ』にも「♪いつの間にか夜霧にぬれて」という詩句があった。 次に歌曲・唱歌を。 ◆『箱根の山』鳥居枕作詞、滝廉太郎作曲。これは以前このブログで全詩を紹介している。 「箱根の山は天下の嶮・・・雲は山をめぐり 霧は谷をとざす・・・」 ◆『琵琶湖周航の歌』小口太郎作詞、吉田ちあき作曲。 「我は湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧や さざ波の 滋賀の都よ いざさらば」 ◆『城ヶ島の雨』北原白秋作詞、深田貞作曲。 「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨が降る 雨は真珠か 夜明けの霧か それとも私の 忍び泣き ・・・・・・・・・・・・」 ◆『冬景色』尋常小学校唱歌 「狭霧消ゆる 湊江の 舟に白し 朝の霜 ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家」 ◆『牧場の朝』杉村楚人冠作詞、船村栄吉作曲。尋常小学唱歌(この歌は福島県岩瀬御料牧場をうたったものと言われる。鐘はオランダから贈られた。) 「ただ一面にたちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木のうっすりと 黒い底から勇ましく 鐘が鳴る鳴る かんかんと」 ◆『夏の思い出』江間章子作詞、中田喜直作曲。 「夏がくれば思い出す・・・霧のなかに浮かびくる・・・」 ◆『灯』ソヴィェト歌曲、楽団カチューシャ訳詞。 「夜霧のかなたに別れをつげ 雄々しきますらお出でて行く 窓辺にまたたく灯に 尽きせぬ乙女の愛の影」 『冬景色』は大正時代の唱歌だが、この詩はすばらしい。たんなる情景描写とはいいきれない観察の鋭さ。それを六・五(一か所だけ七・五に変調している)の言葉に表現しきった。二番、三番も記しておこう。 「烏鳴きて 木に高く 人は畑に 麦を踏む げに小春日の のどけしや 返り咲の 花も見ゆ 嵐吹きて 雲は落ち 時雨降りて 日は暮れぬ もし灯の もれ来ずば それと分かじ 野辺の里」 歌のいのちは長い。何十年も昔の歌を私はこうして覚えているのだから。 昨日の大阪の霧の海は、あまり凄くて歌になりそうもない。だれか高解像度の映像を撮影していたなら、SF映画か怪奇映画のかっこうの素材になったかもしれない。
Dec 11, 2008
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きのう9日、翻訳家の中村保男氏が亡くなられた。享年76歳。 私の装丁の仕事のなかで、早川書房の「イギリス・ミステリ傑作選」全15册のうち10册は中村保男氏の訳である。その画像はフリーページに掲載しているが、その10册のタイトルを記せば、つぎのとおりである。 『ある魔術師の物語』『パパとママに殺される』『木苺狩り』『誰にでもある弱味』『沼地の蘭』『伯父さんの女』『探偵をやってみたら』『秘密の恋人』『ポメラニアン毒殺事件』『わが手で裁く』 このシリーズのために私が描いた絵は、私の作品群のなかではきわめて数が少ない静物画とそれに類するモチーフで、静物画をミステリ小説の装丁にしたのはもしかしたら私が初めてではないかと、ひそかに自負しているのだ。編集部から毎回とどけられる中村氏訳の初校ゲラが楽しみで、じっくり読みながら、ヒラリとひらめくイメージを静物画にしあげていった。 中村保男氏の翻訳書を私が装丁したのは、たしかこの10册だけだったと思うが、『ある魔術師の物語』の装丁画はその年の日本のイラストレーションの秀作として、当時講談社から刊行されていた『年鑑日本のイラストレーション』に招待掲載された。 しかし、翻訳家としての中村保男氏の仕事で私が忘れられないのは、学生時代に読んだコリン・ウィルソン『アウトサイダー』である。つづいて同じくウィルソンの小説『暗黒のまつり』。この翻訳が出たのは昭和35年だが、私が読んだのは10年も経った46年だった。しっかりした記憶ではないのだが、じつは39年か40年頃、たしか文芸雑誌『群像』だったと思うが、三島由紀夫と大江健三郎が対談をしていて、その話のなかでこの『暗黒のまつり』のことがチラと語られていたのだ。・・・たしか、そうだった・・・。で、私は、すでに『アウトサイダー』を読んでいたので、その小説の題名を頭のどこかにいれたのだろう。じっさいに『暗黒のまつり』を購入する段になって、三島由紀夫と大江健三郎の対談を思い出したのだった。 そうそうJ・G・バラードの『結晶世界』も中村氏の訳だ。・・・私の読書遍歴のなかに翻訳家・中村保男氏の仕事がいくつもいくつも見つかる。それだけに一層、後に「イギリス・ミステリ傑作選」の装丁を手掛けることになって、私にとっては思い出深いシリーズなのである。 『アウトサイダー』や『結晶世界』の画像を掲載しようと書庫をさがしたが出てこない。なにしろ40年以上も前の本だ。しかし『暗黒のまつり』と、これもコリン・ウィルソンの著で中村保男氏が訳された『オカルト』が見つかったので、その画像を掲載して、名翻訳家中村保男氏の御冥福をお祈りする。
Dec 10, 2008
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冷たい雨のなかを、宅配便で会津の清水先生からの贈物がとどいた。毎年お送りくださる会津の4種類のお餅。会津産の糯米を搗いた白餅、豆餅、蕎麦餅、紫蘇餅、蓬餅。うれしい年の瀬の頂き物である。 さっそくお礼の電話をして、しばらくよもやま話をした。東京も寒いが、会津も寒く、ちぢこまっているのだと。「なんとかなんとか」と仰りながら、御元気な様子だった。 冬の雨三寸開けて眺めけり 青穹 降りだして到来物や冬の雨 薄墨に暮れる家並の冬の雨 浮子(うき)のごと人影細き冬の雨
Dec 9, 2008
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きょうの東京西部はことのほか寒かった。 我家は集中型給湯器を施設してい、そのボイラーは戸外にある。そのボイラーから浴槽、シャワー、洗面用、洗濯用、そしてキッチン用と水道管が分岐している。水道の冷水栓と温水栓のふたつを、温水用蛇口を温水にしないで、つまり冷水のまま使用すると、冷水栓の水温よりわずかながら冷たい。これは地中に埋設されている2本の水道管の一方が、より深く埋められているためで、それによって外気の温度の影響に差がでてくるわけだ。我家の水道管は温水用が浅く埋設されていることになる。夏には逆に温水用の水が温く感じるのだが、冬に感じる温度差ほどではない。それでもじつはガスの使用量にはっきりあらわれるほどではあるのだ。 きょうのような寒い日、我家の場合、おなじ冷水を使うなら、冷水栓の水のほうが体感温度で1度ほどは温く感じるのである。・・・そんなことにあらためて気がつくほど、寒い一日であった。どうやら来週末までにさらに寒さが本格的になると予想がでている。 冬寒や膝に抱き寄す猫二匹 青穹 底冷えの今宵は猫と共寝かな 早よ寝よと猫にせかさる寒さかな 寒空に凍れる月の薄明かり
Dec 7, 2008
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加藤周一氏が5日に亡くなられた。いま最も日本が必要とする知性を失った、というのが私の思いである。該博な知識と、現実を直視する強い意志と、未来創造への汚れなき姿勢、それが加藤周一氏の言論と行動とを形成していたものだ。そしてそれは堅固な論理にささえられた明晰な言葉で語られた。 加藤氏が何についてどのように考え、どのように発言してきたかは『加藤周一著作集』全24巻を読むに如くはないが、私が入門書として勧めるとしたら『私にとっての20世紀』(岩波書店刊、2000年)をあげる。 『私にとっての20世紀』の第一部「いま、ここにある危機」の冒頭「未知のものへの関心」は、自伝『羊の歌』(岩波新書)のなかで述べている幼少期に繰り返し見た夢のはなしで始る。巨大な車輪のようなものが近づいてきて圧しつぶされそうになる夢。それを氏は、「何か合理的な秩序が破壊されたり、目に見えない未知のものがあるということの予感だと思う」と解釈している。 この短いエピソードで注目すべきは、夢そのものがどうのこうのということではなく、それをどのように解釈したかということだ。解釈している「姿勢」が問題なのだ。その解釈に、じつはその人のすべてが掛けられていると言ってよい。そして、このエピソードを冒頭においたことによって、加藤氏が本書で20世紀をどのような姿勢で検証しようとしているかが予告されているのである。 「いま最も日本が必要とする知性を失った」と私は書いた。それは一方に、国家防衛の最重要ポストにあった田母神元航空幕僚長のように、まるで自己の内的な狂気をさらけだしているにすぎない文章を、「論文」などと強弁して公開しようとした行為を見据えてのことだ。この人は、自らの社会的地位によって当然制限を受ける言論について、驚くべき無知である。国政の意志とは相反する言動を実行したことによって、自衛官(軍人)として厳罰に処されなければならない。 政府は政府、軍は軍で独自の方針をつらぬくという考えは、まさにかつて日本軍部がおこなったことで、日本を侵略戦争へ導いた姿勢であった。田母神元航空幕僚長を厳罰に処さない政府もまた、法認識の重大な欠如をしているといわなければならない。 このような国史に関する非学問的な「論文」を組織的にあげつらい、あまつさえ鼓舞するかのような言動もあるが、これは日本の歴史学がいまだ科学的学問として未成熟という点も指摘できよう(つまり戦前の幻想的史学をひきずっているわけだが)。が、自己肥大化した愛国意識は、いまやグローバル化した世界においては反愛国的と指弾されなければならない。なぜなら、一国のひとつの火種は、たちまちに世界に波及するからだ。彼等は自分達に反対の論者を「自虐的」と言う。しかし、むしろその自己肥大化した狂的愛国心こそ、突き進めばいずれ日本をふくらんだ風船が爆発するように壊滅させる自虐的な思想なのだ。「自虐」などという言葉の使い方こそ、・・つまり論理ではなく感情に訴えたり、他人の心に土足で踏み込んで身勝手なレッテルを貼る手口は、ファシズムがひろがってゆくときの常套的手段である。 愛国心というのは、いちいち表明しなくとも、おのずと持ち合わせているもの。愛国愛国と徒党を組んで大声で叫ぶものは、むしろ精神病理学的見地からは、無意識にかかえている傷(弱味、劣等感、負性、悪)を、大儀によって補償するということの現れである。 田母神元航空幕僚長は、国防を担う者が自虐的な侵略史観をもっていては志気(あるいは士気)があがらないと言うが、そのような国防意識が誤りだということだ。国防と侵略とは違うと見極めなければならない。過去の侵略を肯定しなければ国防ができないというならば、日本の自衛官としてはそもそも適正を欠くと判断されるのである。その判断は、田母神元航空幕僚長がいかに歯噛みして地団駄踏んでも、個人の感情的な思惑をこえるのである。 さて、田母神元航空幕僚長の言動を例にしたが、加藤周一氏が「いま、ここにある危機」をどのように捕え、どのように方向を示唆しているかは、『私にとっての20世紀』を未見ならば是非当っていただきたい。とりあえず、加藤氏が医師(東京大学医学部出身の医学博士である)としての経歴のなかに、昭和20年9月、広島原爆投下1か月後に、日米原子爆弾影響合同調査団の一員として広島にはいっていることを見のがしにはできない。 現場を実際に見ないことには、既存の文章からでは読み取れないものがある、と氏は述べている。氏が生涯をリベラリストとして貫き、戦争反対、憲法9条改悪反対を発言しつづけた根底には、広島の惨状をその目で実際に見たということがあるようだ。 田母神元航空幕僚長のように(私もその一人だが)、戦後の文部省の詭弁的な半民主主義教育によって育てられ、真実を追究する意志をまげられてしまっては、原爆の地獄さへ見えてこないのかもしれない。この人の「論文」を審査したという委員長は、かつてナチスがおこなった精神や身体に障害をもった弱者の殲滅計画と実行を肯定して、それを現代日本によみがえらせようという言説を発表して物議をかもした。 「日本の悪霊」は、愛国者面をして死の行進を夢見ているようだ。 日本人として、わが日本はあまり安閑視できない国だと私は思っている。 まことに加藤周一氏の死は悼んであまりある。
Dec 6, 2008
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「大空にのび傾ける冬木かな」 虚子の句である。 仕事場の窓から見える空は晴れて、日射しに雲が輝いている。しかし山の上にある我家のあたりに、ときどき思い出したように意外に強い風が吹いている。いつものように朝に掃いた落葉なのに、風が吹くたびに枯葉が舞落ちて、1時間もしないうちに敷石は一面の紅葉である。もう数日でそれも終わり、裸木になるであろう。きょうはまだ、大空にやや傾く風情だ。 千両が真っ赤な実をつけている。鉢植えのシャコバサボテンが、ひとつだけ綺麗な桃色の蕾を出した。これから次々に咲いていくことだろう。冬草のほかは彩りを失った小庭に、千両とシャコバサボテンだけがわずかに色をそえている。 「シャコバサボテン」とは妙な名前だなと思っていたが、あっそうか、と気がついた。茎のかたちが魚介類(甲殻類)の蝦蛄(シャコ)に似ているからではあるまいか。エビに似た平たい体躯の頭上に2本の触覚と鎌形の脚が一対ある。それが幾匹もつらなっていると見れば、どうだろう。シャコバサボテンも上がギザギザになった角状の平たい茎が、そこからまた同じ茎が出て、つぎつぎに連なって、最後にその角のあいだから花芽が出てくる。 「シャコバサボテン」という名は日本名、あるいは日本の俗名で、たぶん「シュルンベルゲラ」と同一種か近似種であろう。私はサボテンについてはほとんど知識をもちあわせていない。 我家のシャコバサボテンは老母が長年大切にしてきたものだ。もう12,3年くらいになろうか。なんども駄目になりかけて、そのたびに自力で持ち直している。昨年も茎が赤くなって勢いがなくなったので、私が植替えをした。一時持ち直したが、ふたたび駄目になりかけ、鉢の置き場所を変えた。日当りの良いところから、木蔭の下に移したのだ。すると緑色が復活した。形はややこぶりながら、上述のように今朝、美しい蕾を出したのである。
Dec 5, 2008
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ジェイムズ・ジョイス(James Joyce; 1882-1941)の『A Portrait of the Artist as a Young Man』を読みはじめる。 ・・・と、書いて、思い出した。私が大学に入学し、上京して初めて観た芝居が、赤坂の草月会館ホールで上演されたニューヨーク・オフ・オフ・ブロードウェイの来日公演『6人を乗せた馬車』だった。これはジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を下敷きにして創作された、前衛実験的なダンス・パントマイム・音楽劇である。男女5人の俳優が、平土間ふうの開放舞台でつぎつぎに役柄が変わってゆく。舞台装置はない。衣装もタイツのような単純なもので、たしかフラフープのような小道具ひとつで状況をつくりあげていったと記憶する。なにしろ私は18か19歳になったばかりで、前衛芸術に飢えるように鋭意注目していたので、ジョイスの難解な小説がこのようなステージ・ワークとして成立するのかと、驚嘆したのだった。・・・そうだ、資料箱のどれかにパンフレットを保存してあるはずだ。明日にでも探して、見つかったなら画像をお目にかけよう。『6人を乗せた馬車(The Coach with the Six Insides)』の日本公演パンフレット 表紙デザイン:細谷巌1964年5月1日~24日、東京・草月会館ホールジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク(Finnegans Wake)』による脚本・演出:ジーン・アードマン。作曲:テイジ・イトウ。出演:ジーン・アードマン、アニタ・ダングラー、ヴァン・デクスター、レナード・フレイ、ゲイル・ライアン。 ついでに記せば、演出のジーン・アードマン女史の夫は、ジェイムズ・ジョイス文学についての最も批判的評論として知られる『ジェイムズ・ジョイスの鍵』の共著者のひとりであり、神話学者のジョセフ・キャンブル。名著『千の顔を持つ英雄』や『神の仮面』の著者である。
Dec 3, 2008
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高村光太郎の有名な詩集『智恵子抄』が龍星閣の社主澤田伊四郎によって初めて世に出たのは昭和16年8月20日だった。それから戦争を挟んで9年後の昭和25年11月15日に同じく澤田伊四郎によって『智恵子抄その後』が出版された。 私が所蔵している両書は、昭和38年1月と5月に刊行された新装決定保存版で、ほぼ発売と同時に購入した。18歳、高校3年生であった。たいへん美しい本で、表紙は朱赤の絹布でくるみ、題字銀箔押し。見返しに智恵子の切抜絵を印刷して使っている。本文はクリーム色の肌触りの柔らかな、それでいてしっかりした厚みのある特製紙に活版印刷。奥付には著者高村光太郎の検印紙が貼ってある。帙様の両開きの函入り。定価280円(!)。(画像参照:ちなみに函裏や奥付にある〈則雋庫;ソクシュンコ〉)の印は、私の高校・大学時代の蔵書印) ところで、衆知の『智恵子抄』を今更ながら紹介したのは、じつは、昨日書いた私の死生観に関連する。『智恵子抄』は、高村光太郎の妻智恵子が精神病院で死亡してから、その死を悼む光太郎の辛い気持から発した詩である。『智恵子抄その後』の〈あとがき〉に、「『智恵子抄』は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であった。」と書いている。そして、両書を飾る見返に使用されている切抜絵についても、こんなふうに述べている。 「精神病者に簡単な手工をすすめるのはいいときいていたので、智恵子が病院に入院して、半年もたち、昂奮がやや鎮静した頃、私は智恵子の平常好きだった千代紙を持っていった。(略)すると或時、智恵子は訪問の私に一つの紙づつみを渡して見ろという風情であった。紙包をあけると中に色がみを鋏で切った模様風の美しい紙細工が大切そうに仕舞ってあった。其を見て私は驚いた、其がまったく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であったからである。私の感嘆を見て智恵子は恥かしそうに笑ったり、お辞儀をしたりしていた。(以下略:旧かな使いを山田があらためた)」 つまりこれら二つの詩集は、高村光太郎の亡妻への想いにあふれ、妻の死をどのように見つめていたかが読者におのずと解るのである。中でも私は自分自身の死生観と照らしあわせて強く心にのこったのが、『智恵子抄その後』の冒頭の詩、『元素智恵子』なのである。 「智恵子はすでに元素にかへった。 わたくしは心霊独存の理を信じない。 智恵子はしかも実存する。 智恵子はわたくしの肉に居る。 智恵子はわたくしに密着し、 わたくしの細胞に燐火を燃やし、 わたくしと戯れ、 わたくしをたたき、 わたくしを老いぼれの餌食にさせない。 (以下略) 」 高校生の私のこころを捕えたのは、この清清しい死生観であった。それは生物の死生の理に合って、なお理に勝ちすぎていない。天国だ極楽だ魂だなどと、児戯にひとしい幻想のゴタクを言っていない。「肉」を捕え、肉=精神とみて、生命が肉のよろこび以外ではありえないことを見極めている。ここにはあらゆる宗教につきものの惨めたらしさがない。すこぶる健康な死をみつめる心であり、生をみつめる心であり、性をみつめる心である。 私の死生観がこの高村光太郎の詩にそって成り立っているわけでは必ずしもないが、たくさんの縒り合わさった綱の一本であることは間違いない。 18歳のときから63歳の現在まで、私は私の命を元素に還そうと生きてきて、その考えを変えようと思ったことはない。
Dec 1, 2008
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