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きょうは二つの大きな展覧会を見にでかけた。ともに東京の上野公園内にある美術館。ひとつは東京国立博物館で開催されている尾形光琳生誕350周年記念と銘打たれた『大琳派展 継承と変奏』、もうひとつは東京都美術館で『フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち』。 大琳派展は、俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一・鈴木其一を中心に、宗達と密接な関係にあった本阿弥光悦、そして光琳の弟である尾形乾山など全241点を内外から一堂にあつめたもの。会期中、作品保護と養生のため多くの作品を入れ替えて展示しているので、場合によっては見られない作品もあろうが、ともかく琳派だけをこれだけあつめた努力は称讃に値する企画だ(11月16日まで)。 圧巻は国宝の宗達「風神雷神図屏風」(京都・建仁寺蔵)に並べて、その模写ないし変奏というべき光琳「風神雷神図屏風」(東京国立博物館蔵)、抱一「風神雷神図屏風」(東京・出光美術館蔵)、其一「風神雷神図襖」(東京・富士美術館蔵)をそろえたこと。 私は18年前に同じ東博の『日本国宝展』で宗達の「風神雷神図屏風」を見ているし、他の作品もそれぞれの所蔵先で見ている。しかしこのように一堂に並べて見ると、それぞれの持ち味がより一層鮮明に見てとれ、堪能した。そして私としては、やはり宗達に軍配をあげる。飄逸さといい、色彩といい、とくに感心したのは墨に銀泥をまぜて表わした雲の表現である。軽やかである。風神も雷神も浮揚感がある。それにくらべると光琳などはいじくりすぎている。 が、光琳は「波図屏風」(ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵)が素晴らしい。金地に群青でおそらく夜の海を描き、波頭に胡粉を塗っている。金が錆びて沈み、群青も最早墨のように黒ずんでいるが、その経年変化がこの絵を一層迫力あるものにしている。 おそらくこの作品と推定されるが、光琳の「波図」を見た抱一が感動して現在東京の静嘉堂文庫美術館が所蔵する六曲一双屏風の「波図」を描いた。光琳を相当意識したのであろう銀地に墨一色で描いている。これも光琳・抱一をならべて見せている。 光琳「波図屏風」のような極め付けの優作を海外流出させた〈気前〉よさに感心する。一方、この作品をきっちり我が物としたメトロポリタン美術館の審美眼にもいまさらながら感心する。メトロポリタンに入って幸せだったかもしれない。かつて毎日新聞社が海外に在る日本美術品の至宝を調べあげて『在外 日本の至宝』という叢書を刊行した(1979)。その第5巻が「琳派」で、私はその画集によって光琳のこの「波図屏風」(同書では波濤図となっている)を知った。フレッチャー基金によってこの屏風がアメリカへもたらされたのは1926年(昭和元年)とあった。 じつは私、1997年に「肋骨を噛み砕くイヴ」を制作し、キャンヴァスに金箔を貼ってその上に油彩で描くという技法を初めておこなった。ヒントは東欧のイコン(聖像画)と日本の琳派であった。両者ともに金箔をつかっていることから、東西の融合が可能であると考えた。その試みは現在もつづいていて、銀箔の使い方には独自の技法をあてている。 きょうは多くの作品から、特に緑青の美しさに目にとめ、細部の筆使いを観察した。いつか自作のなかでその観察を実現してみようかと思っている。 さて、大琳派展をあとにして、つぎに『フェルメール展』に向ったのだが、それは次回にしよう。
Oct 31, 2008
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伊藤ハムの東京工場(柏市)で製造されたウィンナー・ソーセージに劇薬毒物のシアン化合物が混入されていた事件で、我家でも同社の製品を日頃から愛用しているので、一応、冷蔵庫を調べてみた。事件発覚直前に購入したウィンナー・ソーセージが2袋あり、同社ホームページで照合したところ、なんと該当製品だった。さいわい未開封であったが、そのような疑惑食品が我家にあったことに言葉を失った。 このところ頻繁に危険物混入食品事件おこっているが、食品に関して注意深い我家としては、普段から包装に記載してあることを比較的丹念に読んで判断しながら買ってきた。そのような記載が信用できるとは限らないし(食品偽装や賞味期限の改竄等)、今回の伊藤ハムもまさにその例で記載外のことが起ったわけだが、そうなると結局、消費者が信用できるものは何もないということになってしまう。汚染米の流通には農林水産省さへ関係していた。この私のブログへは農林水産省の関係者がしばしばアクセスしているので、きつく言うが、国民の安全を守るべき省庁が堕落しているのだから、国家としてはもはや地に墜ちたといわなければなるまい。人はそれによって生きるしかない食い物が安全でないということは、如何なる弁明も成立するはずがない。 いったい食品を危険にさらして販売するという精神が、私にはまったく理解できない。 イタズラ? イタズラだと言って済ませるはずはない。 陰謀? なきにしもあらずだ。が、発覚したら最後、現代国際社会で存続してゆけるかどうか。 一時的な金儲けのため? まあ、これまでの事件は愚かな経営者のそのような判断によるものが多いが、会社倒産では本来済まないことだ。危険食品や食品偽装というのは、無差別な殺人に準拠するという考えがでてきてもよいのではあるまいか。このような実行行為は、前述したように社会の信用基盤を一切失わせることにつながり、語弊があるだろうが、じつは個々の殺人などとは比べものにならない重大性をふくんでいる。 我家では最近、買い物にやたらに時間がかかるようになっている。それは先に書いたように、一々説明書きを読んでいるからだ。原産国や製造地、どんな化学処理をしているか、添加物は何だろう、メーカーのこれまでの信用はどうだろう・・・そして、この説明書きはそもそも信用できるのだろうか等々。 ・・・ついに、そのような注意深さも何の役にもたたないのだということを示す、我家の冷蔵庫にあった伊藤ハムのウィンナー・ソーセージである。 とにかく朝昼晩に食ったもので、私は死のうとは思わない。死に方をいろいろ考えるけれども、商品として購入した食品に混入された毒物でなど死んでたまるか。 さて、何をよりどころに食い物をあつらえようか?
Oct 30, 2008
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我家の東側の窓の下にいままではなかったイヌタデが紅紫の穂状の花を咲かせている。秋が深くなる前に雑草をとらねばならないなと、家の周囲を見たのだ。野草であるが、むしりとってしまうには惜しい。サクラタデよりは小振りの花で、色もやや地味だ。植物学者の牧野富太郎が、一時、ハナタデという名称をあたえたことがある。しかしその名はヤブタデの通称と同じなので混同する恐れがあり、再び元に戻したという経緯がある。その事は、昭和36年に圖鑑の北隆館から刊行された『牧野新日本植物圖鑑』のイヌタデの項で牧野自身が書いている。 イヌタデはまた別名アカノマンマという。いわゆる赤飯のことである。花が開かず、紅紫色の米粒のような外見が、赤飯を連想させるのであろう。そういえば昔昔、幼いころにこのアカノマンマをしごいて葉っぱのお皿に盛って、おままごとをしたものだ。 そして、いま私の耳にある声が「アカノマンマ」と言っているのが甦ってきた。三島由紀夫の声である。たしか私が大学4年か、その1年後くらいだったと思う。三島の年表を見ればはっきりするけれど、それを確認するのは億劫だ。三島由紀夫が浅野なんとかいう人の長篇詩を朗読してレコードに吹き込んだ。なかなか聞きごたえのある上手い朗読で、その詩のなかにアカノマンマがでてくるのである。もう記憶はうすれているが、海と空とアカノマンマと永訣と。いかにも三島好みの詩であった。 もちろん浅野氏の詩はすぐれている。その抒情は、アカノマンマが、はしなくも私が幼い頃のママゴト遊びを思い出したように、誰しもが遠い記憶のなかに呼び出す事ができるからだ。三島の声はどちらかというとガラガラ声で、おせじにも美声とは言えなかったが(私は直に聞いている)、浅野氏のその抒情をうまく歌い上げていた。 ところで午後になって、近所をぶらぶら歩いていたら、とある草原にアカノマンマが一面に咲いているのを見つけたのである。1メートル四方が、すきまなくびっしりとアカノマンマで埋め尽くされていた。そこから少し離れてまた同じように群生している箇所がある。このような群生のしかたを見たことがなかったので驚いた。アカノマンマすなわちイヌタデは決してめずらしい野草ではない。道端によくみかけ、夏から秋にかけて穂状の花を咲かせている。しかし、たとえ1メートル四方とはいえ、その一画がびっしりアカノマンマというのは、東京都内の市街地ではこれまで見かけたことはなかった。 今年はアカノマンマの当たり年か、などと分ったような分らないような納得をしたのだが、そのあたりにはタンポポが黄色い花を咲かせていたし、街路樹として植えられている躑躅が桃紫色の花を咲かせているのも見つけた。こうなると、その時期外れの狂い咲に気候の異常が気になってくる。ススキが揺れ、菊が咲いて秋の風情なのだが、よくよく見回せば四季がごちゃまぜになっているのである。 窓下のアカノマンマをどうしようか、・・・私は思いながらしばらく歩き回った。
Oct 29, 2008
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三日間にわたった私の法廷映画リストの最終回です。思い出していない作品もありそうですが、それらはいずれまた補遺として掲載することにします。 こうして並べてみると、ほとんどすべてがアメリカ映画です。アメリカが訴訟社会であるとはしばしば言われますが、法廷映画の隆盛はおそらくそれとは別な社会意識を背景にしているのではないかと私は考えています。つまり、たんなる裁判映画、サスペンス映画というのではなく、製作のモチベーションとして問題提起の部分がたいへん大きい。それは残念なことに日本の映画人にはあまりみられないことです。日本にもないわけではないが、非常に少ない。アメリカの場合、このリストの製作の陣容を一見すれば、問題がややこしければそれだけ強力なスタッフでのぞんでいるのが窺えます。意気込みを感じると言ったらよいでしょうか。 このような法廷映画は、陪審員制度を採用するアメリカ社会でたぶん啓蒙的な役割もはたしているのではないか、と私は推測するのです。 それではパート3のリストです。★12人の怒れる男 評決の行方(12 Angry Men)・・・TV映画1997年、アメリカ製作:テレンス・A・ドネリー。監督:ウィリアム・フリードキン。脚本:レジナルド・ローズ。撮影:フレッド・シュラー。音楽:ケニヨン・ホプキンス。出演:ジャック・レモン、ジョージ・C・スコット、エドワード・ジェームズ・オルモス、コートニー・B・ヴァンス、オジー・デイヴィス、アーミン・ミューラー・スタール、ドリアン・ヘアウッド、ジェームズ・ガンドルフィーニ、トニー・ダンザ、ヒューム・クローニン、ウィリアム・L・ピーターセン、メアリー・マクドネル。 前記1957年のシドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ主演『十二人の怒れる男』のテレビ版リメーク。ジョージ・C・スコットが本作によって1997年度ゴールデングローブ助演男優賞を受賞している。★北京のふたり(Red Corner)1997年、アメリカ製作総指揮:ウォルフガング・ペーターゼン。製作:ジョン・アヴネット、ジョーダン・カーナー、チャールズ・B・マルヴェヒル、ロザリー・キング。監督:ジョン・アヴァネット。脚本:ロバート・キング。撮影:カール・ヲルター・リンデンラブ。音楽:トーマス・ニューマン、美術:リチャード・シルバート。衣装デザイン:アルバート・ウォルスキー。編集:ピーター・E・バーガー。出演:リチャード・ギア、バイ・リン、ブラドレー・ホイットフォード、バイロン・マン、ピーター・ドーナット、ツァイ・チン、ジェイムズ・ホン。 米中間初の衛星放送契約のため北京を訪れたアメリカ人ビジネスマン(リチャード・ギア)が殺人の容疑をかけられ逮捕される。中国警察の人権無視の尋問と、一方的な裁判。はたして・・・★相続人(The Gingerbread Man)1998年、アメリカ製作:ジェレミー・タネンバウム。監督:ロバート・アルトマン。原案:ジョン・グリシャム。脚本:アル・ハイース。撮影:チャンウェイ・クー。音楽:マーク・アイシャム。美術:スティーブン・アルトマン。衣装デザイン:ドナ・グラナータ。編集:ジェラルディン・ペローニ。出演:ケネス・ブラナー、エンベス・デイヴィッツ、ロバート・ダウニー・Jr.、ロイ・ハーラン、ロバートヂデュヴァル。 この法廷映画リストではすでにおなじみのジョン・グリシャムが初めて映画のために原案を書下ろした。法廷映画というよりサスペンスだが。 原題の「生姜入りパン男」とは何だと思うが、「けばけばしく飾り立てた男」というような意味らしい。 ついでに申せば、邦題『相続人』とは同名異作、フィリップ・ラブロ監督・ジャン・ポール・ベルモンド主演の1973年のフランス映画がある。★シビル・アクション(A Civil Action)1998年、アメリカ製作:ロバート・レッドフォード、スコット・ルーディン、レイチュル・フェファー。監督・脚本:スティーブン・ザイリアン。原作:ジャナサン・ハー。撮影:コンラッド・L・ホール。出演:ジョン・トラボルタ、ロバート・デュバル、ウィリアム・H・メイシー、ジョン・リスゴー、キャサリン・クライン、シドニー・ポラック。 敏腕で羽振りのよい弁護士ジョン・シュリクマン(ジョン・トラボルタ)はニューイングランドの田舎町の河川汚染の裁判に莫大な金の臭いをかぎつけ、原告住民側の弁護に就く。彼は医学および科学的検査に260万ドルという自費を注ぎ込みさへする。しかし相手企業側弁護士(ロバート・デュバル)の狡猾な戦術に嵌まり裁判に破れる。仲間の信頼を失い、多額の負債が残された。しかし彼は誇と正義感が萌えるのを感じる。 1989年にあった法廷闘争を描いている。原作はベストセラーになったが、作者のジョナサン・ハーンは、この法廷闘争以前から弁護士シュクリマンの取材をしていて、それはシュクリマンの富と名声の物語になるはずであった。★ザ・ハリケーン(The Hurricane)1999年、アメリカ製作:アーミン・バーンスタイン、ジョン・ケッチャム、ノーマン・ジュイソン。監督:ノーマン・ジュイソン。脚本:アーミアン・バーンスタイン、ダン.ゴードン。撮影:ロジャー・ディキンス。音楽:クリストファー・ヤング。美術:フィリップ・ローゼンバーグ。衣装デザイン:アギー・ゲイラーど・ロジャース。編集:スティーブン・リヴキン。出演:デンゼル・ワシントン、ヴィセラス・レオン・シャノン、デボラ・カーラ・アンガー。リーヴ・シュレイバー、ジョン・ハンナ。 冤罪で終身刑を宣告された実在のボクサーが黒人少年の努力で無罪を獲得する物語。 ニュージャージー州パターソンで1966年6月17日に強盗殺人事件がおこり、ハリケーンという異名で知られたウェルター級チャンピオンのルービン・カーターが犯人として検挙された。翌年、終身刑が確定、2年後の再審でも有罪はくつがえらなかった。 カーターは冤罪を主張するために獄中で自伝を執筆して刊行した。その本を読んで感動した少年が獄中のカーターに宛てて手紙を書く・・・ 1985年11月7日、ルービン・カーターの無罪が確定した。逮捕されてから19年後のことである。★エリン・ブロコビッチ(Erin Brockovich)2000年、アメリカ製作:ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェール。監督:スエヒーヴェン・ソダーバーグ。脚本:スザンナ・グラントン。撮影:エド・ラッハマン。音楽:トーマス・ニューマン。美術:フィリップ・メッシーナ。衣装デザイン:ジェフリー・カーランド。編集:アン・V・コーツ。出演:ジュリア・ロバーツ。アルバート・フィニー、アーロン・エッカート、マーグ・ヘルゲンバーガー、チェリー・ジョーンズ。 カリフォルニア州モハベ砂漠の小さな町で、これは実際にあった話である。 美貌ながら離婚2回、3人の子持ちで無職のエリン・ブロコヴィッチ(ジュリア・ロバーツ)は、職探しの途中で自動車追突事故に巻き込まれ、引退をひかえた弁護士エド(アルバート・フィニー)に裁判の弁護を依頼するが、和解金を取ることに失敗してしまう。弱り果てた彼女は、エドの法律事務所に押しかけて強引に助手にしてもらった。 不動産売却に関する書類を整理しているとき、彼女は不審なファイルに目をとめる。不動産売買にもかかわらず血液検査結果の書類が添付されていたのである。エリンは独自に調査して、ある工場が有害物質を垂れ流してい、多くの住民が病気になって苦しんでいることを突き止めた。彼女は義憤にかられ、気乗りしない住民たちを説得し、ついに600人以上の署名をあつめ法廷闘争にのりだす。 ・・・エリン・ブロコヴィッチは弁護士資格があるでもない、たんなる法律事務所の助手にすぎなかったが、この裁判において彼女は350億ドルの和解金を勝ち取ることに成功した。アメリカ裁判史上で最高の和解金額である。★アイ・アム・サム(I am Sam)2001年、アメリカ製作総指揮:クレア・ラドニック=ポルスタイン、マイケル・デ・ルカ、デイヴィッド・スコット・ルビン。製作:マーシャル・ハースコヴィッツ、エドワード・ズウィック、ジェシー・ネルソン、リチャード・ソロモン。監督:ジェシー・ネルソン。脚本:クリスティン・ジョンソン、ジェシー・ネルソン。撮影:エリオット・デイヴィス。音楽:ジョン・パウエル。美術:アーロン・オーズボン。衣装デザイン:スージー・デ・サント。編集:リチャード・チュウ。出演:ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ダイアン・ウィ^スト、ダコタ・ファニング、リチャード・シフ、ロレッタ・デヴァイン、ダグ・ハッチマン、ローラ・ダーン、スタンリー・デサンティス、ブラッド・アラン.シルヴァーマン、ジョセフ・ローゼンバーグ。 陪審員の登場しない日本で言えば家庭裁判所民事法廷である。 7歳児の知能しかもたない中年男サムは、ホームレスの女性が産んだ自分の娘と曲がりなりにも幸せな家庭生活を送っていた。しかし娘が7歳になり、父親の知能を追い越してしまうと、ソーシャル・ワーカーは、今後サムには娘を養育できないと判断し、娘は養護施設で保護されることになる。サムは失意に沈むが、しかし法廷で親権を闘う決意をして、弁護士のリタ(ミシェル・ファイファー)に相談する。リタは一種の自己顕示欲から弁護を引き受けるが、サムに勝ち目のない裁判だった。★ハイ・クライムズ(High Crimes)2002年、アメリカ製作総指揮:リサ・ヘンソン、ケヴィン・リーディ。製作:アーノン・ミルチャン、ジャネット・ヤン、ジェシー・ビーフランク。監督:カール・フランクリン。原作:ジョセフ・フィンダー。脚本:ユーリ・ゼルツァー、ケイリー・ビックレー。撮影:テオ・ヴァン・デ・サンデ。音楽:グレーム・レヴェーう。美術:キャロル・クラヴェッツ-アイカニア。出演:アシュレー・ジャド、モーガン・フリーマン、ジム・カーヴィゼル、アダム・スコット、アマンダ・ピート。 妻は有能な弁護士、夫は建設会社経営者。ある日、夫妻の家に泥棒が侵入し、妻はその事件を調べてゆくうち夫の二重名前を知ることになる。そしてその夫が、かつて海兵隊工作員時代にエル・サルバドルにおいて一般市民9人を殺害した容疑でFBIに逮捕される。無実を訴える夫を信じて、妻は彼の弁護士として軍事法廷に立ち、軍のスキャンダルをあばいて行く・・・ 妻が夫の弁護士として軍事法廷に立つという特異なストーリー。その結果・・・★逆転法廷(Citizen Verdict)・・・TV映画2003年、アメリカ監督:フィリップ・マルチネス。主演:ロイ・シャイダー、ジェリー・スプリンガー、アーマンド・アサンテ、ギデオン・エメリー。 犯罪が凶悪化と増加する一方で、その対策に困じ果てたフロリダ州知事タイラー(ロイ・シャイダー)は、裁判をTV中継し、視聴者を陪審員としてその投票によって判決をくだすという提案をする。有罪はことごとく死刑。判決の翌日にはさっさと処刑し、しかもその処刑もTV中継する、という法案である。州の財政削減にも寄与するというわけである。 もちろん荒唐無稽なお話なのだが・・・
Oct 28, 2008
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昨日のつづきです。★ア・フュー・グッドメン(A FEW GOOD MEN)1992年、アメリカ製作総指揮:ウィリアム・S・ギルモア、レイチェル・フェファー。製作:デイヴィッド・ブラウン、ロブ・ライナー、アンドリュー・シェイマン。監督:ロブ・ライナー。原作・脚本:アーロン・ソーキン。撮影:ロバート・リチャードソン。音楽:マーク・シャイマン。美術:J・マイケル・リヴァ。衣装デザイン:グロリア・グレシャム。編集:ロバート・レイトン。出演:トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン、デミ・ムーア、ケヴィン・ベーコン、キーファー・サザランド。 前記の『バファロー大隊』と同じく、軍法会議の映画。キューバ米海軍基地で起った不審な殺人事件の真相を探る若き弁護士が、やがて軍隊内に根付いていた組織悪にゆきつく。法廷映画とはいえ、一般民間人がシャット・アウトされた法廷である。トム・クルーズとジャック・ニコルソンの対決がすばらしい。 私はこの映画を見ながら、わが日本での2.26事件の軍事法廷で、ついに追究をふりきって逃げおおせた陰謀の主謀者たちのことを思った。逆に言えば、悪を追究できなかった日本の軍事法廷ということだが。 原作はブロードウェイでヒットした舞台劇である。★フィラデルフィア(PHIRADELPHIA)1993年、アメリカ製作総指揮:ゲイリー・ゴーツマン、ケネス・アット、ロン・ボズマン。監督:ジョナサン・デミ。脚本:ロン・ナイスワーナー。撮影:タク・フジモト。音楽:ハワード・ショア。美術:クリスティー・ジー。衣装デザイン:コリーン・エイトウッド。出演:トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、ジェイソン・ロバーズ、メアリー・スティーンバージェン、アントニオ・バンデラス、ジョアン・ウッドワード、ロン・ヴォーター、ロバート・リジェリー、チャールズ・ナピアー、リサ・サマラウアー。 一流法律事務所に勤めるアンドリュー(トム・ハンクス)はエイズに罹患していると宣告され、解雇される。不当差別に怒った彼は損害賠償と地位保全を求めて訴訟を決意するが、引き受けてくれる弁護士はいなかった。あげくにかつて敵対したことのある弁護士ミラー(デンゼル・ワシントン)を訪れる。ミラーはエイズに対して抜きがたい恐怖心を抱いていたが、世間の冷視に毅然とした態度をとるアンドリューに心を動かされ、共に法廷闘争してゆくことを約束する。★依頼人(THE CLIENT)1994年、アメリカ製作:アーノン・ミルチャン、スティーヴン・ルーサー。監督:ジョエル・シューマーカー。原作:ジョン・グリシャム。脚本:アキヴァ・ゴールドマン、ロバート・ゲチェル。撮影:トニー・ピアース・ロバーツ。音楽:ハワード・ショア。美術:ブルーノ・ルベオ。衣装デザイン:イングリット・フェリン。編集:ロバート・ブラウン。出演:スーザン・サランドン、トミー・リー・ジョーンズ、ブラッド・レンフロ、メアリー・ルイーズ・パーカー、アンソニー・ラパグリア。★告発(MURDER IN THE FIRST)1994年、アメリカ製作総指揮:デイヴィッド・L・ウォルパー、マーク・ロッコ。製作:マーク・フリードマン、マーク・ウォルパー。監督:マーク・ロッコ。脚本:ダン・ゴードン。撮影:フレッド・マーフィー。音楽:クリストファー・ヤング。美術:カーク・M・ペトルッセイ。衣装デザイン:シルヴィア・ヴェガ・ヴァスケス。編集:ラッセル・リヴィングストン。出演:クリスチャン・スレーター、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・オールドマン、エンデベス・デイヴィッツ、ウィリアム・H・メイシー、ブラッド・ダリフ、キーラ・セジウィック、ハーブ・リッツ。 脱走不可能な刑務所と言われたアルカトラズ刑務所を閉鎖(1963年)に追い込んだ実際の事にもとづいている作品。 アルカトラズ刑務所内で起った囚人同士の殺人事件犯人(ケヴィン・ベーコン)の弁護士となったジェームズ・スタンフィル(クリスチャン・スレイター)は、非人道的な劣悪な刑務所の環境こそがこの殺人のひきがねであるとして、刑務所を告発する。それはアメリカ合衆国の司法制度への真っ向からの挑戦だった。★告発法廷(One of Her Own)・・・TV映画1994年、アメリカ製作:シデル・アルバート。監督:アーマンド・マストロヤンニ。脚本:ヴァレリー・ウェスト。音楽:ジョージ・C・クリントン。撮影:トム・プリーストリー・Jr.。美術ノーム・バロン。衣装デザイン:マイケル・バトラー。編集:ティム・ボエッチャー、ロバート・フロリオ。出演:マーティン・シーン、ロリ・ローリン、グレッグ・エヴィガン、ヴァレリー・ランズハーグ、ジェフ・イェイガー、レジナルド・ヴェルジョンソン、ロバート・C・トレヴェイラー。★評決のとき(A Time To Kill)1996年、アメリカ製作:アーノン・ミルチャン、マイケル・ネイサンソン、ハント・ローリー、ジョン・グリシャム。監督:ジョエル・シューマーカー。原作:ジョン・グリシャム。脚本:アミヴァ・ゴールドマン。撮影:ピーター・メンジーズ。音楽*エリオット・ゴールデンサル。美術:ラリー・フルトン。衣装デザイン:イングリット・フェリン。編集:ウィリアム・スタインカンプ。出演:マシュー・マコノヒー、サンドラ・ブロック、サミュエル・L・ジャクソン、ケヴン・スペイシー、オリヴァー・プラット。 ミシシッピー州カントンの黒人労働者カール・リー(サミュエル・L・ジャクソン)の10歳の娘が、2人の白人青年にレイプされ、命はとりとめたものの子供の産めない身体になった。復讐を誓った父親カールは2人の裁判の行われている法廷にマシンガンを携えておもむき、2人を射殺し、保安官助手に重傷を負わせる。この殺人事件の弁護を引き受けたのが新人弁護士ジェイク(マシュー・マコノヒー)だった。カントンの町は白人至上主義者の団体KKK(クー・クラックス・クラン:注・ライフル銃の操作音に起因する名称)が横行し、ジェイクの家族を脅迫し、関係者の家に放火するなどの妨害行為を繰り返した。裁判もまた陪審員が全員白人という状況のなか、若き弁護士の正義と真実のための闘争がおこなわれる。ついでながら。1960年代、アメリカ公民権運動が盛んになるなかで、ミシシッピー州のような南部では、白人至上主義者の黒人に対する暴力行為が頻繁におこった。そのような状況を描く映画に、アラン・パーカー監督、ジーン・ハックマン主演の『ミシシッピー・バーニング(Mississippi Burning)』がある。★真実の行方(Primal Fear)1996年、アメリカ製作総指揮:ハワード・W・コッチ・Jr.。製作:ゲイリー・ルチェシ。監督:グレゴリー・ホビリット。原作:ウィリアム・ディール。脚本:スティーヴン・シェイガン、アン・ビダーマン。撮影:マイケル・チャップマン。音楽:ジェームッズ・ニュートン・ハワード。美術:ジャニーヌ・クラウディア・オップウォール。衣装デザイン:ベッツイ・コックス。編集:デイヴィッド・ローゼンブルーム。出演:リチャード・ギア、ローラ・リニー<ジョン・マホーニー、アルフレ・ウッダード、フランシス・マクドーマン。★スリーパーズ(Sleepers)1996年、アメリカ製作:バリー・レヴィンソン、スティーヴ・ゴリン。監督:バリー・レヴィンソン。原作:ロレンゾ・カルカテラ。脚本:バリー・レヴィンソン。撮影:ミヒャエル・バルハウス。音楽:ジョン・ウィリアムズ。音楽監修:アラン・メイソン。美術:クリスティー・ジー。衣装デザイン:グロリア・グレシャム。編集:ステュー・リンダー。出演:ケヴィン・ベーコン、ブラッド・ピット、ビリー・クラダップ、ロン・エルダード、ジェイソン・パトリック、ブラッド・レンフロ、ミニー・ドライヴァー、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ヴィットリオ・ガスマン、テリー・キニー、ブルーノ・カービー、ファト・マンチョ。 1960年代のニューヨーク。マンハッタンの西側の「ヘルズ・キッチン(地獄の台所)」と云われた地区。そのスラム街で育った少年4人組が、軽いいたずらから起った思いがけない事件によって少年院送りになった。少年院では日常的に看守による少年たちに対する性的虐待がおこなわれていた。4人組もその犠牲になり、心身に深い傷を負う。成人した彼等のうち2人が、引退した看守のひとりにたまたま遭遇し、その場で射殺してしまう。他の2人は彼等を救うことに奔走し、同時にかつての看守に復讐することをちかう。それは法廷の場によってである。 原作者はニューヨーク・デイリー・ニュース紙の元記者。彼の実体験をもとにしたノンフィクション・ノヴェルを映画化したもの。 ちなみに題名の「スリーパーズ」は、眠っている人だが、それでは意味がわからない。アメリカの俗語的表現で、「思いがけない成功者」という。映画を見れば納得。★陪審員(The Juror)1996年、アメリカ製作:アーウィン・ウィンクラー、ロブ・コーワン。監督:ブライアン・ギブソン。原作:ジョージ・ドーズ・グリーン。脚本:テッド・タリー。撮影:ジェイミー・アンダーソン。音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード。美術:ヤン・ロールフス、衣装デザイン:コリーン・エイトウッド、編集:ロバート・ライターノ。出演:デミ・ムーア、アレック・ボールドウィン、ジョセフ・ゴードン・レヴィット、アン・ヘッシュ、ジェームズ・ガンドルフィーニ。 法廷場面はすくない。陪審員が法廷で虚偽の申し立てをするように脅迫されるサスペンス。陪審員制度のひとつの側面とみてもよいか。『羊たちの沈黙』のテッド・タリーが脚本を書いている。★ライアー・ライアー(Liar Liar)1997年、アメリカ製作:ブライアン・グレイザー。監督:トム・シャドヤック。脚本:ポール.ガイ、ステファン・マザール。撮影:ラッセル・ボイド。音楽:ジョン・デブニー。美術:リンダ・デシナー。衣装デザイン:ジュディエル・ラスキン。編集:ドン・ジンマーマン。出演:ジム・キャリー、オードリー・リード。ジャスティン・クーパー、ケアリー・エルウェス、アンネ・ハニー。 題名は「嘘つき嘘つき」。嘘がつけなくなってしまった敏腕弁護士の悪戦苦闘。嘘つき弁護士だとローヤー・ライアー(Lawyer Liar)か。コメディーである。息抜きにどうぞ。★レインメーカー(Rainmaker)1997年、アメリカ製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ。製作:マイケル・ダグラス、スティーヴン・ルーサー、フレッド・フックス。監督・脚本:フランシス・フォード・コッポラ。原作:ジョン・グリシャム『原告側弁護人』。撮影:ジョン・トール。音楽:エルマー・バーンスタイン。美術:ハワード・カミングス。衣装デザイン:アギー・ゲイラード・ロジャース。編集:バリー・マルキン。出演:マット.デイモン、クレア・デインズ、ジョン・ヴォイト、ダニー・グローヴァー、ダニー・デヴィート、メアリー・ケイ・プレイス、ミッキー・ローク、ロイ・シャイダー、ヴァージニア・マドセン、テレサ・ライト、ジョニー・ウィトウォース、ディーン・ストックウェル、アンドリュー・シュー、ウェイン・エモンズ。 司法試験に合格し晴れて法廷弁護士になったルーディ(マット・デイモン)の初仕事は、白血病の青年に対して保険金の支払を拒否している大保険会社を相手に闘うことだった。被告として立たされた保険会社の老練な弁護士と原告側の新米弁護士がどのように法廷闘争をくりひろげるか。 保険会社の支払い拒否問題は日本でも起っているので他人事ではない。この映画の製作陣を見れば、なみなみならぬ力が込められているのがわかる。【つづきは、また明日にします。文字数許容限度になりました。】
Oct 27, 2008
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私が見た法廷映画のなかから、邦画を除く、陪審員制度を窺える主にアメリカ映画を中心に、40作品をリスト・アップしてみた。★闇の法廷(Night Court)1932年、アメリカ監督:W・S・ヴァン・ダイク。原作(戯曲):マーク・ヘリンジャー、チャールズ・ビーハン。脚色:ベイヤード・ヴェイラー、レノア・コフィー。撮影:ノーバート・ブロディン。出演:フィリップス・ホームズ、ウォルター・ヒューストン、アニタ・ペイジ、ルイス・ストーン、メアリー・カーライル、ジョン・ミルジャン、ジーン・ハーショルト、タリー・マーシャル、ノール・フランシス。★34丁目の奇跡(MIRACLE ON 34TH STREET)1947年、アメリカ製作:ウィリアム・パールバーグ。監督:ジョージ・シートン。原作:ヴァレンタイン・デイヴィス。脚本:ジョージ・シートン。撮影:チャールズ・C・クラーク、ロイド・エイハーン。音楽:アルフレッド・ニューマン。作曲:シリル・J・モックリッジ。出演:エドモンド・グウェン、モーリン・オハラ、ジョン・ペイン、ジーン・ロックハート、ナタリー・ウッド。 法廷映画というには物足りないが、クリマス映画として人気があるファンタジー。1994年にリメイクされている(後出)。★パラダイン夫人の恋(THE PARADINE CASE)1947年、アメリカ製作:デヴィッド・O・セルズニック。監督:アルフレッド・ヒッチコック。原作:ロバート・ヒチェンス。潤色:アルマ・レヴィル。脚本:デヴィッド・O・セルズニック。撮影:リー・ガームス。美術:ジョゼフ・マクミラン・ジョンソン、トマス・N・モラハン。音楽:フランツ・ワックスマン。衣装:トラヴィス・バントン。編集:ハル・C・カーン、ジョン・フォーレ。出演:グレゴリー・ペック、アン・トッド、チャールズ・ロートン、エセル・バリモア、チャールズ・コバーン、ルイ・ジュールダン、アリダ・ヴァリ。★裁きは終りぬ(Justice est Faite)1950年、フランス監督:アンドレ・カイヤット。脚本:アンドレ・カイヤット、シャルル・スパーク。撮影:ジャン・ブルゴワン。音楽:レイモンド・ルグラン。装置:ジャック・コロンビェ。出演:ヴァランティーヌ・テシエ、クロード・ノリエ、ジャック・カストロ、マルセル・ペルス、レイモン・ビュシェール、ジャン・ドビュクール、ジャン・ピエール・グルンニェ、ノエル・ロックヴェール、ミシェル・オークレー、アニエス・ドラエ、マルセル・ムールージ、アントワーヌ・バルペトレ。。★軍法会議(The Court Martial of Billy Mitchell)1956年、アメリカ製作:ミルトン・スパーリング。監督:オットー・プレミンジャー。脚本:ミルトン・スパーリング、エメット・レイヴリー。撮影:サム・リーヴィット。美術:マルコム・バート。編集:フォーマー・ブラングステッド。出演:ゲイリー・クーパー、チャールズ・ビックフォード、ラルフ・ベラミー、ロッド・スタイガー、エリザベス・モンゴメリー。★十二人の怒れる男(12 ANGRY MEN)1957年、アメリカ製作:ヘンリー・フォンダ、レジナルド・ローズ。監督:シドニー・ルメット。原作・脚本:レジナルド・ローズ。撮影:ボリス・カウフマン。音楽:ケニョン・ホプキンズ。美術:ロバート・マーケル、編集:カール・ライナー。出演:ヘンリー・フォンダ、リー・J・コップ、エド・ヘグリー、E・G・マーシャル、ジャック・ウォーデン、マーティン・バルサム、ジョン・フィドラー、ジャック・クラッグマン、エドワード・ビンズ、ジョセフ・スウィニー、ジョージ・ヴォスコヴェク、ロバート・ウェバー。★情婦(WITNESS FOR THE PROSEVUTION)1957年、アメリカ監督:ビリー・ワイルダー。原作:アガサ・クリスティ『検察側の証人』。脚本:ビリー・ワイルダー、ハリー・カニッツ。撮影:ラッセル・ハーラン。音楽:マティー・マルネック。出演:タイロン・パワー、マレーネ・ディトリッヒ、チャールズ・ロートン。★或る殺人(Anatomy of Murder)1959年、アメリカ製作・監督:オットー・プレミンジャー。原作:ロバート・トレイヴァー『殺人の解剖学』。脚本:ウェンデル・メイス。撮影:サム・リーヴィット。音楽:デューク・エリントン。出演:ジェームズ・スチュアート、リー・レミック、ベン・ギャザラ、アーサー・オコンネル、イヴ・アーデン、キャサリン・グラント、ジョージ・C・スコット、ラス・ブラウン、マーレイ・ハミルトン、Bルークス・ウェスト、ケン・リンチ、ジョン・クオレン。★バファロー大隊(Sergeant Rutledge)1960年、アメリカ製作:ウィリス・ゴールドベック、パトリック・フォード。監督:ジョン・フォード。原作・脚本:ジェームズ・ワーナー・ベラ、ウィリス・ゴールドベック。撮影:バート・グレノン。音楽:ハワード・ジャクソン。出演:ジェフリー・ハンター、コンスタンス・タワーず、ビリー・バーク、ウでぃ・ストロード、カールトン・ヤング。★ニュールンベルグ裁判(Judgement at Nuremberg)1961年、アメリカ製作・監督:スタンリー・クレイマー。原作:ダニエル・ヘーウッド。脚本:アビー・マン、スタンリー・クレイマー。撮影:アーネスト・ラッズロ。音楽:アーネスト・ゴールド。編集:フレデリック・クヌドトソン。出演:スペンサー・トレイシー、バート・ランカスターリチャード・ウィドマーク、マレーネ・ディトリッヒ、マクシミリアン・シェル、ジュディ・ガーランド、モンゴメリー・クリフト、ウィリアム・シャトナー、エドワード・ビンズ、ケネス・マッケンナ。 原作者ダニエル・ヘーウッドは、この国際軍事法廷の裁判長を勤めたアメリカの退職判事。映画のなかではスペンサー・トレーシーが扮している。★アラバマ物語(To Kill a Mockingbird)1962年、アメリカ製作:アラン・J・パクラ。監督:ロバート・マリガン。原作:ハーバー・リー。脚本:ホートン・フート。撮影:ラッセル・ハーラン。音楽:エルマー・バーンスタイン、美術:アレクサンダー・ゴリッツェン、ヘンリー・バムステッド。装置:オリバー・エマート。衣装デザイン:ローズマリー・オデール。録音:ウォールドン・O・ワトソン、コーソン・ジョウェット。出演:グレゴリー・ペック、メアリー・バーダム、フィリップ・アルフォード、ジョン・メグナ、フランク・オバートン、ローズマリー・マーフィー、ルース・ホワイト、ブロック・ピータース、エステル・エバンス、ポール・フィックス、コリン・ウィルコックス、ジェームズ・アンダーソン、アリス・ゴーストリー、ロバート・デュヴァル。 原作者ハーバー・リーの父親をモデルにしている。ハーバー・リーは映画のなかで幼い娘スカウトとして描かれている。ちなみに息子のジェムとされているのは、トルーマン・カポーティであると、カポーティ自身が書いている。★死刑台のメロディ(sacco e vanzetti)1971年、イタリア・フランス監督:ジュリアーノ・モンタルド。脚本:ジュリアーノ・モンタルド、ファブリツィオ・オノフリ。撮影:シルヴァーノ・イッポリチ。音楽:エンニオ・モリコーネ。歌:ジョーン・バエズ。出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ、リカルド・クッチョーラ、ミロ・オーシア、シリル・キューザック、ロザンナ・フラテッロ、ジェフリー・キーン。 1920年5月5日にアメリカで実際におこった労働運動弾圧を背景としたイタリア系移民のサッコとヴァンゼッティ事件を忠実に映画化している。アメリカ裁判史上の汚点として記憶されている冤罪事件。人種偏見と思想狩りにもとづく不正裁判により、無実の罪をきせられたサッコとヴァンゼッティは1927年8月22日に電気椅子で処刑された。 ちなみに美術の分野ではベン・シャーンが『サッコとヴァンゼッティ』という絵画作品を制作している。★評決(THE VERDICT)1982年、アメリカ製作:リチャード・D・ザナック、デイヴィッド・ブラウン。監督:シドニールメット。原作:バリー・リード。脚本:デイヴィッド・マメット。撮影:アンジェイ・バートコウィアク。音楽:ジョニー・マンデル。美術:ジョン・ミャサーダ、エドワード・ピッソーニ。特殊メイク:ジョー・クランザノ。編集:ピーター・フランク。出演:ポール・ニューマン、シャーロット・ランプリング、ジャック・ウォデン、ジェームス・メイソン、ミロ・オーシア、ジュリー・ボヴァッソ、リンゼイ・クルーズ。 先頃亡くなったポール.ニューマンの佳作。かつてエリート弁護士だったフランク・ギャルヴィン(ポール・ニューマン)は先輩弁護士の不正事件に巻き込まれて逮捕され、その後は転落の一途をたどって酒浸りになっていた。そこへ持ち込まれたのが医療ミス事件であった。出産のために入院した女性が、麻酔処置のミスにより廃人となってしまった。その被害者の姿を見たギャルヴィンは、この仕事に執念を燃やし、自らもどん底からはい上がろうとする。★白と黒のナイフ(JAGED EDGE)1985年、アメリカ製作:マーティン・ランソホフ。監督:リチャード・マーカンド。脚本:ジョー・エスターハス。撮影:マシュー・F・レオネッティ。音楽:ジョン・バリー。美術:ジーン・キャラハン。衣装デザイン:アン・ロス。編集:ジョーン・バートン、コンラッド・バフ。出演:グレーン・クロース、ジェフ・ブリッジス、ピーター・コヨーテ、ロバート・ロギア、ジョン・デナー。 この作品については、私はこのブログの別館「山田維史の画像倉庫」の「映画の中の絵画」で言及している。★灰色の容疑者(CRIMINAL LAW)1989年、アメリカ製作総指揮:ジョン・デリー、デレク・ギブソン。製作:ロバート・マクリーン、ヒラリー・ヒース。監督:マーティン・キャンベル。脚本:マーク・カスダン。撮影:フィリップ・メイユ。音楽:ジェリー・ゴールドスミス。出演:ゲイリー・オールドマン、ケヴィン・ベーコン、カレン・ヤング、ジョー・ドン・ベイカー、テス・ハーバー、ロン・レア。 純朴な青年がレイプ犯人として逮捕された。敏腕弁護士はその法廷技術を駆使してその青年の無罪を勝ち取ってやる。青年の二面性に気付かずに。★推定無罪(INOCENT)1990年、アメリカ製作総指揮:スーザン・ソルト。製作:シドニー・ポラック、マーク・ローゼンバーグ。監督:アラン・J・パクラ。原作:スコット・トゥロー。脚本:フランク・R・ピアソン、アラン・J・パクラ。撮影:ゴードン・ウィリス。音楽:ジョン・ウィリアムス。編集:エヴァン・ロットマン。出演:ハリソン・フォード、ブライアン・デネヒー、ラウル・ジュリア、ボニー・ベデリアア、ポール・ウィンフィールド。 法廷ドラマよりサスペンスに比重がある。犯人を告発する側の検事が、いつのまにか殺人事件の犯人にされてしまう。原作者は現役の検事補。私はこの作品についても、「山田維史の画像倉庫」の「映画の中の絵画」で述べている。★訴訟(Class Action)1991年、アメリカ製作:テッド・フィールド、スコット・クルーフ、ロバート・W・コート。監督:マイケル・アプテッド。脚本:キャロリン・シェルビー、クリストファー・アイムズ、サマンサ・シャッド。撮影:コンラッド・ホール。音楽:ジェームズ・ホーナー。美術:トッド・ハロウェル。衣装デザイン:リタ・ライアック。編集:イアン・クラフォード。出演:ジーン・ハックマン、メアリー・エリザベス・マストラトニオ、コリン・フリールズ、ジョアンナ・マリーン、ローレンス・フィッシュバーン。【文字数限度に達しましたので、つづきは後ほど書きます。】
Oct 26, 2008
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ビート武さんと書くべきか北野武さんと書くべきか迷うけれども、その迷いは(別に迷うほどの事ではないのだが)TVコメンテーターとして登場したときの北野氏に対して私が感じることだ。コメンテーターとしての北野氏は、じつは何にも言っていないのであって、譬え話などでお茶らかしているに過ぎない。これはお笑い芸人としてのビート武の部分が、おそらく四角四面の議論に空気穴を開けさせるのだろうが、しかしまた、そのお茶らかしは私からみれば北野武としての知的なバランス感覚の披瀝なのである。非常に平衡感覚に優れた常識人、というのが私の北野武評だ。それゆえ、TVコメンテーターとしては何も言っていない、と私は言うのである。 ところが映画作家としての北野武については瞠目せざるをえない。 もっとも目を見張ったのはデビュー作『その男、凶暴につき』だ。エリック・サティーのたしか「はららごの干物」だったと思うが、タララッタ、タ~ララン、タララッタ、タ~ラランという印象的な、しかしそれだけでは掴み所の無い曲にのせて、跨線橋のようなところを迫上がるように主人公の刑事(ビート武)が登場するオープニング・シーンは、じつに素晴らしい。この単純な短いカットが、日本映画に新風を吹き込むとさえ、私は思ったものだ。 つぎつぎに登場するエピソードもおもしろい。この刑事がどのような人間であるかが、それらのエピソードを通しておのずと納得するのみではなく、各挿話が次第により合わさって巨悪とはいえないけれど、社会の一隅に巣食い、それが世代交替しておよそ尽きることがないという暗示を残して終る。その終りは、いじましいほど小さな人物が、悪の援護者としてオープニングと同じエリック・サティーの曲にのせて迫上がってくる。 後の北野映画の特徴ともなる暴力については、その非情さにおいて日本映画史にはかつて登場しなかったかもしれない。主人公の刑事は異常を来した妹のこともあり、たしかに私怨もかかえているには違いない。が、彼の行動原理は絶対的正義感である。この映画をおもしろくしているのは、その正義感である。 うがった言い方をすると、かつて大平洋戦争時の日本軍部が天皇制をふりかざし、「八紘一宇」(後注)という言葉をもちいて対アジア政策を正当化した、その絶対正義感と比較してもいい。この正義を遂行させていたのは暴力以外のなにものでもない。 じつは正義というのは状況によって変化するものだ。人間社会に、絶対的正義というのは存在しない。「泥棒にも三分の理」というが、世界大多数の現代刑法の法理念はその「泥棒にも三分の理」に基づいている。それによって裁判がおこなわれる。罪刑法定主義といって、これこれの犯罪にはこれこれの刑罰を加えるということが、あらかじめ法律によって決められている。判決はその法定刑罰を逸脱してはならない。 ところが、ビート武演じるこの刑事は、アウト・ロー(無法者)を一掃するためには法を遵守していては遂行できないという意識がある。つまり「泥棒にも三分の理」罪刑法定主義といのは知性(インテリジェンス)が永遠にかかえる「弱さ」でしかない、という意識である。 現代刑法というのは、そのことをよく承知しているのだ。そして、しかしその箍(たが)をはずすと、人間社会はかえって暗黒に堕落してゆくということも承知している。そういういわば痛し痒しの状態を知的に受けとめたこと、それが人間の歴史的な克服の成果なのだ。 しかしビート武演じるこの刑事は、アウト・ローに対決するために自らをアウト・ローにしているのだ。彼の暴力とはそのような性質のものだ。 これは『ダーティー・ハリー』シリーズのハリー・キャラハン刑事によく似ている。似ているのだけれども、その非情さにおいてはビート武の刑事の比ではない。ビート武の刑事はあのような妹をかかえているため、やらねばならぬという一種の使命感があって、それが彼の絶対的正義感と一体となっているので、彼は暴力をふるうまえに一瞬の躊躇もない。 私がおもしろいと思うのは、この刑事には妹との「情」の世界以外に情の世界は存在しない。しかるに暴力団の親分の方にはホモセクシャルの現実的な情の世界が存在する。つまりこの親分の暴力性は、いうなれば粘っこく、なんらかの情炎が背景にあると見ることができる。が、刑事のほうは、妙な言い方だが「純粋暴力」なのだ。・・・この映画作品が世界に注目されたのは上述したようなことからではないか、と私は勝手に推測しているのだが、はたして如何であろう。 さて、なぜ『その男、凶暴につき』をいまさらながら取り上げたかというと、来年5月よりいよいよ施行される「裁判員制度」が念頭にあった。もし実際の裁判でビート武の刑事のような人物が法定に登場したとき、裁判員となった一般人は日本の刑法において正しい判断ができるかどうか。検察官や弁護士の丁々発止の弁論や、もしかしたらミスリードをしようとするどちらかの策謀のなかで、たんなる感情に動かされないで正しい判断ができるかどうか。 あるいは、ちかごろ裁判官の質が落ちていると思うのはたぶん私だけではないはずだが、そのような質の低い裁判官のもとで一般人の裁判員はどのように振舞うのであろうか。 私は、一個人の考えとしては、欧米にみられる陪審員制度が成熟した裁判制度だと思っている。ただし、それは社会が成熟していて、国民ひとりひとりも成熟し、客観と主観とを明確に分離判断できる能力をもっていなければならないという条件付きだ。さらでだに冤罪はひきもきらない。ベルトコンベヤーにのせるように、死刑囚をバタンコ送りにする法務大臣もいる。それは判決がでているから当然といえば当然なのだが、一方、ながながと収監しておくことは税金の無駄使い、場所塞ぎという意識がどこかにありはしないか。なぜ、現在、世界の多くの国で、死刑存続の見直しがなされているか、その理由についてわれわれはどれほどの考察をしているか、立ち止まって考えたことはあるか。それは死刑囚の延命の問題ではない。社会のありようの問題。人間ひとりひとりの存在の問題であろう。 次回は裁判映画について書いてみよう。【注】「八紘一宇(はっこういちう)」 明治36年に田中智学によって造られた言葉。世界を一つの家とする、という意味である。『日本書記』の一節がもとになっている。田中はこの言葉を掲げて日本的な世界統一原理とした。さらに大平洋戦争時の日本の海外侵略を正当化する標語となった。
Oct 25, 2008
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昨夜午後11時をまわって、私は仕事場に入りコンピューターを起動させた。まずブログを見て、さて何を書こうかとキーボードをたたきはじめた途端に、机上の電話がなった。 小説家の花輪莞爾氏であった。「時間よろしいでしょうか」と言うので、「はい」と応えると、いきなり妙なところから話をきりだされた。つまり頭の部分がなく、いきなり首のあたりから話しはじめた。なんと言ったらよいか、こういう話のきりだしかたは夫婦にはよくあることで、とくに妻が夫にきりだすときだ。自分の胸のうちは知っているだろうという勝手な前提にたっているわけだが、いくら夫婦だからと言って、筋道の途中からでは分りようがない。 まあ、そんなふうに花輪氏はきりだした。私は面くらって、一旦話を止めて、事の最初から説明してもらうことにした。なにか余ほど気持が切迫しているのだろうと思いながら。 ・・・話の内容は花輪氏の私的事情でもあるのでここに書くわけにはゆかないが、そこから一般的な話題に展開し、果ては大平洋戦争へ突入するきっかけとなった関東軍の暴走についての議論となった。 氏の御尊父は当時、奉天に駐在する領事だったので、私としても聞いておかなければならないことが沢山あるのである。 私は、「そこにも小説があるじゃありませんか。そこにも・・・そこにも」と挑発してゆく。もちろん私自身の歴史観を明確に披瀝してのこと。「山田さんの歴史観はまったく核心をついているとおもいますよ」と言うので、ならばその線で、互いに持っている知識を確認しておこうというわけである。花輪氏には関東軍参謀石原莞爾についての人物評伝『石原莞爾独走す 昭和維新とは何だったのか』の著作がある。私が装丁画を描いている(フリーページのブック・カバー選集に画像掲載)。 関東軍暴走に始り、国内では昭和11年の2.26事件で戒厳令を布いたことにより、軍部独裁国家への道を開いた、というのが私の見方。つまり戒厳令の法的な本質は、すべての国内法を下位にすることである。したがって、軍部の陰謀によって、一旦戒厳令が布かれてしまうと、その時点で軍事独裁に転換してしまう。そして軍事政権というのは、その維持のみが目的化するので、あとは軍事政権が破滅するまでその国の暗黒時代はつづくのである。じつに愚劣な政治体制なのである。 そんな議論をつづけること3時間。花輪氏が「楽しかった!」と言って電話を切ったときは午前2時をまわっていた。 なにしろ花輪氏は、私のことを「妖怪」と思っている。妖怪的ジェネラリストと、本人に向って言うのだからかなわない。「ゲゲゲのきたろうだね、山田さんは」と。どうやらホメコトバらしいのだが、私も言ってやるのだ。「妖怪と妖怪が電話しているわけだ、ヒヒヒ」と。 というわけで、ついに昨日のブログは書かずじまい。じつはNHK・TVの番組予告でこんなことを言っていた。「戦争を知らない子供たちが63歳になった」と。 私は63歳だ。何言ってンだ、NHKさんよ。戦争を知っている奴等が、63年かかって世界に冠たる平和憲法をなしくずしにしてきたじゃないか。寝ぼけたことを言っているんじゃないよ。 と、ケンカふっかけようと思ったのだったが・・・
Oct 24, 2008
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きのう今日と2日間、終日忙しかった。さきほど風呂からあがって、このまま寝室に直行したいのだが、このブログを開き前回の日記を読み直してあらためて気が付いたことがある。自分の着るもののことだ。 文中に「Tシャツにジーパン」と書いたが、じつは私は63歳の現在まで、「Tシャツにジーパン」をただの一度も着たことがない。Tシャツは、アウター・ウェアーとしてのそれだけれど、家にくつろいでいるときも着たことがない。つまり我家には「Tシャツにジーパン」が存在しないのである。それに、「ジャージ」も着たことがない。これら3点は、手にとったことさえないのだから、自分の衣料品としてはまったく関心外のものということになる。 外出着以外の家で着るものについて、私はほとんど無頓着だ。むしろボロを着ているようなものだ。油絵の具で汚れるから、どうしてもそのほうがよい。油絵の具が付着すると、洗濯しても落ちませんからね。 自分が関心がないものには見向きもしないというのは、衣類ばかりではないかもしれない。遊園地やゲーム・センターにも行ったことがない。これは、人がお膳立てしたもので遊ぶ気がしないのだ。 終戦前夜に生まれて、物の無い時代に育ったので、子供のころから遊び道具はみな自分でつくった。自分の遊びは自分ですべてお膳立てするというのが、どうやら習い性になってしまっている。絵を描くのを職業とするようになったのも、結局、その習い性の延長線上のことだ。 こういう私の習慣は、しかし「好き嫌い」の感覚的判断かと自問してみると、さてどうだろう? ちがうような気がするのだ。むしろ好き嫌いがないと言った方が当っている。まず対象から目をそむけるということがほとんどない。じっくり観察し、味わい、判断放棄の状態をだらだら過して、類似のもの異類のものを収集して比較検討し、やおら批評に取りかかると言う具合。あえて言えば、自分と似たものは好きではない。似たもの同士なんて、退屈だ。 美術、音楽、文学、演劇、映画、スポーツ、演芸、・・・何についてもそれは言える。クラッシック音楽を聴く。12世紀頃の中世教会音楽からいわゆる前衛まで。モンゴルのホーミーからアボリジニの管楽器音楽、アフリカのブルンジの太鼓音楽から日本の天台声明まで、浪花節や民謡、ジャズやロック、ありとある音楽を聴く。文学は西洋古典も読めば、日本の中世小説も読む。世界に類例を見ない男色文学も『稚児草子』から『秋の夜長物語』も『井尻又九郎若道之勸進帳』も『竹齋』も、みな原文で読んでいる。もちろん現代語訳などないのだから当然だが。現代ポルノ小説も読んでいる。演芸は、落語も漫才も、お笑いも。ストリップも。・・・人間のあらゆる営みに、序列などあるはずがないですからね。 「食わず嫌い」というのが一番馬鹿馬鹿しい。それは批評でも何でもないですからね。 そうそう、TVで石橋さんと木梨さんがやっている番組で「食わず嫌い」のコーナーがあるけれど、あれ、ちょっと言葉の誤用じゃないかしら。「食わず嫌い」という意味は、食べもしないのに嫌いだと言うことで、かつて食べたことがあるけれど何等かの理由で食べたくなくなったというのとは意味が違う。番組ではどうも、後者の意味に使っている。後者だとむしろ「嫌い食わず」だ。 どうしてこのような誤用がおこっているかといえば、「食わず」の意味を「食わない」と否定的断定ととらえているわけで、じつはこの「食わず」は助詞「に」が省略されていると考えなければならない。つまり「食わずに嫌い」ということだ。だから、「食わず嫌い」というのは、「いままで食べないで嫌いだと言ってきたけれど、たまたま食べたら美味しかった。なーんだ、私は全然嫌いじゃないや」という事態がおこることを含んでいるのである。 いかがです、石橋さん木梨さん? さて、最初にもどると、私が「Tシャツとジーパン」を着たことがないのは、「食わず嫌い」なのではない。食ったこと(着たこと)がないのだけれど、べつに嫌いだからではないからだ。好き嫌いの感情ではなく、先に述べたようにまったく関心がなかっただけのことである。 いまどきTシャツもジーパンも着たことがないというのは珍しいのかしら?
Oct 22, 2008
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きょうの東京はヘンな暑さだったが、私だけの感じだろうか。昨日、夏の衣類をひっこめて秋物に換えたばかり。街を行く人たちは十月に入ったとたんに、長袖シャツやニットのベストなどがめだつようになっていたが、私は暑がりなので、家族のなかでもただ一人半袖シャツで過していた。オシャレよりも自分の生理に従っていたのだ。しかし、まあ、十月も三分の二を過ぎたので、衣替えとなった次第。 そういえば、あれは本当に個人主張の現れだなとつくづく思ったのはニューヨークの人たちの服装。真夏、私など一日で真っ黒に日焼けしてホテルのコンシェルジェに「オー、ボーイ!」と呆れられたカンカン照りに、毛皮のロング・コートを着ている人を見かけたし、かと思えば目をそむけたくなるようなスッポンポンに近い裸でローラーブレードで走っている人もいた。それらの姿にニューヨーカーたちは誰も関心を向けない。あるいは見て見ぬふりをしているのかもしれないが、とにかく、人は人、己は己がみごとにはっきりしているのだった。 しかしまた、夜、カーネギー・ホールやリンカーン・センターの音楽会に行くと、女性も男性もそれなりのドレス・アップをしていた。ドレス・アップにそれぞれの工夫をしていて、Tシャツにジーパンなどというのは見かけなかった。それは私の好みにかなっていることだった。 私は東京にいても、そのような機会にはドレス・アップして出かけるようにしている。旧知の能楽師U氏がその私の習慣を知っていて、いつだったか、「山田さんは能楽堂に正装して現れるのですよ」と話しておられた。正装とまではいかないが、昼間ならボー・タイにディレクター・スーツくらいのことはする。それは演者や演奏者への私の敬意の表現なのである。 タキシードは好きだが、そこを頂点にしてどこまで自分の考えで崩せるか、それも面白いでしょう? 元VANの石津謙介氏がデニムでタキシードをつくって着てらしたが、そういうことです。私はそれは似合わないからやらないけれど。 午前2時を過ぎて、ようやく蒸し暑さがおさまった。さて、明日は一日忙しいので、そろそろ就寝しよう。おやすみなさい。
Oct 20, 2008
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(聞かないで)Don't Askby Tadami YamadaDon't askDon't askDon't askOkay, I won't askDon't taskDon't taskDon't taskOkay, I won't taskDon't maskDon't maskDon't maskOkay, I won't maskDon't raspDon't raspDon't raspOkay, I won't raspDon't gaspDon't gaspDon't gaspOkay, I won't gaspDon't askDon't askDon't askOkay, love is past『聞かないで』聞かないで聞かないで聞かないで分った、聞かないよ苦しめないで苦しめないで苦しめないで分った、苦しめないよ隠さないで隠さないで隠さないで分った、隠さないよ苛々させないで苛々させないで苛々させないで分った、苛々させないよ喘がないで喘がないで喘がないで分った、喘がないよ聞かないで聞かないで聞かないで分った、愛は終ったよ-------------------------Copyright(c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Oct 19, 2008
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きょうは好天にめぐまれ、ほどよい風もあるので、仕事場の大掃除と書籍の移動・入れ替えをした。いや、している最中。 手近な場所にたまりに溜った本を、重要なものとそうでないものとに分けて、重要でないものは書籍用の物置に移している。また、制作用の資料の書棚も入れ替える。これがなかなか大変。仕事場にはたとえ家人といえど絶対に入れないので、孤軍奮闘しているのだ。掃除は一向に進展しない。1日で終るかと思って始めたが、とても終りそうもない。コーヒーを飲みながらひと休みしているところである。
Oct 19, 2008
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我家の庭の柿についてしばしば書いてきた。近所の家の庭にも柿の木があり、渋柿なのであろう収穫されずにたわわに実ったまま秋の風情となっている。田舎住まいを嗜好する雑誌や観光パンフレットには、白壁の土蔵わきに橙黄色の柿がなっている写真が載っていて、それが日本の秋の景色の典型のような印象がある。 ところが、日本古来の俗信に「植物禁忌」というのがあって、屋敷内に植えてはいけない植物のなかに柿の木があるのである。地方によって異なる信仰ではあるが、柿の木については、「柿木から落ちて怪我をすると一生治らない」とか、「数年のうちに死亡する」とか言って、庭木として忌避するのだ。あるいは、柿の木を火葬の燃料にすることから、家庭内では燃料として使用することを嫌うのである。俗信であるから「植物禁忌」の理由はどこか馬鹿げているものが多いけれど、柿の木についての理由はなるほどと頷けるそれなりの理由だ。柿の木の枝が折れやすいことは以前にも書いた。「柿の木にのぼるな」と子供の頃に言われたものだ、と亡父が言っていた。私も隣家の敷地へ枝がのびてゆくと、かなりの太さの枝でも素手で折ってしまう。それほど容易に折れるのである。柿を収穫したけれど、高いところの実は枝に残したままにした。やはり危険だという意識がある。早朝やってくる鳥たちのために残しておこうという気持もある。 それにしてもこの信仰はどれほど浸透していたものか。いま東京で柿の木をみかけるとしたら、みな屋敷内である。 ついでに他の「植物禁忌」についても少し書いておこう。 昔、世田谷に住んでいたときは、庭に枇杷の大木があった。毎年ものすごい量の実がなり、枇杷酒を何本もつくるのを恒例にしていた。現在でもその枇杷酒はキッチンの戸棚に眠っていて、古いものだと15,6年は経っているだろう。その枇杷だが、福井県には屋敷木として植えない習俗がある。葬式のときに枇杷の葉を飾るからだという。長野県では棕櫚を庭木にしない。棕櫚は寺院の鐘突き棒(撞木:しゅもく)を作るからだ。愛知県では樒(シキミ)を普段の生け花に使わない戒めがあるそうだが、神木としての習俗からあるいは愛知県に限らない戒めかもしれない。 このように「植物禁忌」には神事仏事に関わるものが多いのだが、俗信の俗信たるところであろうか、現代人なら笑ってしまうような理由の植物禁忌もある。 たとえば藤や葡萄は房がたれさがるので家産が傾くといって屋敷内に植えないなどである。あるいは樅の木は家にモメゴトが起るから、墓に松を植えると死ぬのをマツから等々。語呂合わせで忌避することもある。 マジメなんだか遊んでいるのか・・・。まあ、現代人にも「占い」がとりついているので、心理学的には同じ。こういう迷妄は社会的なカタストロフィー(大悲劇、大破滅)が起らない限りつづくのであるが。
Oct 18, 2008
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このところ我家の食卓は、庭でとれた柿が大活躍だ。あるいは、夏には虫にすっかり食べられてしまったバジルが、その後ふたたび三たび元気に葉をしげらせ、秋深くなってきた今でもときどき摘んではパスタに使っている。ローズマリーもチキン料理やジャガイモ料理などで活躍。いずれも庭の片隅にほんの少しばかり栽培しているだけにすぎないが、その新鮮さが命で、すばらしい香を堪能している。 柿はデザートはもちろんだが、サラダや白和にしている。きょうの夕食は松茸御飯にしたのでそれに合わせて、ツナ・サラダに柿をくわえた。 昔の友人がリタイアして家庭農園をやっているという。小規模ながらやっていることは本格的らしく、収穫も自家用にはなるようだ。うらやましい限りだが、私はとてもそこまではできない。絵描きは心掛け次第とはいえリタイアはないので、そして体力勝負でもあるので、友人がたまに話してくれる農作業を聞くだけである。 今夜のメニュー。 松茸御飯。カマスの塩焼き。厚揚げと大根の煮物。蕗のキンピラ。ツナ・サラダ(ツナ、胡瓜、柿、大根、マヨネーズ)、味噌汁(みつば、豆腐)。
Oct 17, 2008
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今朝いつものように庭掃除をしていると、柿の下葉にひとひらの蝶の羽がのっかっていた。「おや?」と思い、掌に取り、さらに地面をさがすと草のかげにもうふたひら、蟻が数匹むらがっていた。「君たち、ちょっと御免よ」と蟻にことわりながらそれも拾い上げた。というのも、アゲハのようなのだが何だか確信がもてない様相を示していたからだ。 朝食をすませたところで、図鑑をもちだし、まずアゲハのページを繰った。「ウ~ン、ちがうなー」ひとりごちながら一応全ページを調べ、さらにアゲハチョウ科の項の解説を一種ごとに読んでいった。「ウ~ン、やはりちがうなー」 もっとも似ているのはアゲハなのであるが、春型・夏型およびその雌雄いずれの図像にも合致しないのである。まず斑紋がまるでちがう。夏型のオスの下翅にあらわれる橙黄斑は1個なのだが、私が採集した蝶には2個ある。損壊していて全体の形が不明瞭だが、その2個の橙黄斑ははっきり認められる。 まず考えられるのが春・夏型いずれにも属さない突然変異的なものであること。しかし、斑紋がアゲハの特徴を具えていないので、日本在来種ではない迷蝶であるかもしれない。あまり考えられないことではあるが、新種の可能性もなきにしもあらず。 ということで、画像をお見せしよう。上下翅ともに表裏に変化はみうけられないのだが、掲載画像は表側である。なお、下に参考のためアゲハ夏型オスの画像を掲げておく。【参考図:アゲハ夏型オス】
Oct 16, 2008
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英語の押韻については何度か書いてきたが、英語の詩に関心をもち自分でもその真似事のようなものを書いていると、英語の雑誌や小説を読んでいてもついつい押韻関係にある言葉が気になってくる。英語が母語である人ならなんのことはないのであろうが、私はいちいち頭で考えなければそのような関係にある言葉は思いつかない。まして詩として一連の意味を構成する一つ一つの句の最後に押韻関係にある言葉をもってくるのだから、私にしてみれば、詩を書くというより言葉のゲームである。老化してゆく脳のために、少々は活性効果をもたらすのではないかと思っているのだが・・・ ところで、ふと思い出したのがフィリップ・ロスの小説『さよならコロンバス』(Philip Roth; GOODBYE, COLUMBUS)だ。翻訳が出ているであろうが、原文でなければ分らないことなので、ちょっとそこを抜き出してみる。 図書館勤めの主人公ニールのところへ黒人少年がやってきて、こう尋ねる。 ''Hey,'' he said, ''where's the heart section?'' 「ハート(心臓)部門はどこですか?」 ''The what?'' I said. 「ザ・何?」 ''The heart section. Ain't you got no heart section?'' 「ハート部門です。ハート部門はないんですか?」 少年の言葉は強い南部黒人訛りなのだが、ニールには理解できる。が、ただ一つの言葉だけが明らかにハート(心臓;heart)と聞き取れるのだ。 ''How do you spell it?'' I said. ''Heart. Man, pictures. Drawing books. Where you got them?'' ''You mean art books? Reproductions?'' He took my polysyllabic word for it. ''Yes, they's them.'' 「どういう綴り?」 「ハート。絵ですよ。ドローイング・ブックです。どこにあるんですか?」 「君が言うのはアート・ブック(芸術書)だね? 画集?」 少年は私の複音節語(注;Reproductionsという言葉のこと)を理解した。「そうです。その本です」 さて、ここで愉快なやりとりの原因となっているのが、ハート(heart)とアート(art)。この二つの言葉は、片やh音が入るけれどもまったく同じ発音なのだ。つまり押韻関係にある言葉である。黒人少年は、別に芸術が心に響くと言っているわけではない。たぶん南部黒人訛りで、hが少し混じるのだろう。それが主人公ニールにはすぐにはアートと思いつかず、図書館にやってきてハート(心臓)部門はどこだと尋ねるのでいささか面くらったわけである。 押韻関係にある言葉というのは、ちょっと冗談みたいな遊びもできるのである。マジメな詩においても、その冗談みたいな言葉の飛躍が、思いもかけないイメージの飛躍、感覚の拡大を生むといってよいかもしれない。 「heart」と「art」は真正押韻だが、じつは正確には発音は同じではないのだが、非常によく似たいわば疑似的な押韻というのがある。これはシェイクスピアのソネットにも出てくる。 シェイクスピアの詩は、古語を使っていることもあり、文法的にもやっかいなので、英米では昔から良く知られている童謡『ベティ・ボター(注;女性の名前)』を例示してみよう。擬似的な押韻をつらねた早口言葉、あるいは冗談のような童謡。英米の童謡のひとつの典型でもある。 ベティ・ボターがバターを買ったらビター(苦い)だった。それをバター(練り粉)に入れたらビターになるだろうし、もうすこしベター(ましな)バターを入れたらベターなバター(練り粉)になるだろう。それでベティ・ボターちゃんはビター・バターより少しベターなバターをビット(少し)買って、それをバター(練り粉)に入れたらバター(練り粉)はビター(苦い)でなくなった。ベターなバターを買ったベティ・ボターは少しベターだった。・・・と、いう意味。Betty BotterBetty Botter bought some butter,but, she said, the butter's bitter;if I put it in my batterit will make my batter bitter,but a bit of better butterwill make by batter better.So she bought a bit of butterbetter than her bitter butter,and she put it in her batterand the batter was not bitter.So't was better Betty Botterbought a bit of better butter.
Oct 15, 2008
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我家の小庭でいま茶の木が白い花を咲かせている。つばき科の植物なので花もよく似ているけれど、椿よりずっと小型でじみな花だ。五つの花弁は丸い。開花は短くすぐに黄色くしおれてしまう。しかし蕾みは硬くしっかりしていて、緑の咢にまもられ葉腋にスズランのように頭をさげていくつもぶらさがる。それがなかなかの風情である。 茶の木のとなりに椿があり、こちらはひところ硬い青い実をつけていたのが熟して割れ、ひとつの実から2,3個の褐色の大粒の種をこぼしている。この種から椿油を採るわけだ。今朝、落葉を掃きながらこぼれたその種を拾い、写真に撮ってみた。 下の素描はカラスウリである。
Oct 14, 2008
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新聞に載った天気予報では東京は午前中は雨とのことだったが、めずらしい大はずれ。終日、気持の良い日射しにめぐまれた。 自転車をひっぱりだして、しばらくぶりに遠乗りした。私はまったくの普段着姿で、オッチャンがよっこらよっこら自転車をこいでいるだけだが、スポーツ・サイクリングのウェアに身をつつんださっそうとした若者たち2,3人に行き交った。信号待ちしながら互いに情報交換しているようで、「1日に100kmくらいでしょう」などと言っているのが小耳に入ってきた。50km走ったことはあるけど、100kmはなー、と私は思った。あそこからあそこまで走れば50kmだ、とイメージがある。まあ、しかし、やめておこう。 聖蹟桜が丘にさしかかると、街路は急に人通りが多くなり、あちこちでイヴェントがおこなわれていた。ロック・バンドの生演奏が聞こえるかとおもえば、民謡「会津磐梯山」をアップ・テンポにアレンジした歌声が笛や太鼓とともに聞こえてきた。 往きはそのまま通り過ぎたが、帰路再び同じところを通ると、まだ笛や太鼓の演奏がつづいていた。ちかづいて見ると、「会津フェア」と書かれた幟と「会津鶴ヶ城太鼓」と書かれた幟が立っていた。 聖蹟桜が丘ではなぜかたびたび会津物産市が開かれるようで、私は以前も通りがかりに覗いて、会津からやってきたという店から2,3の物を買ったことがある。 そこで自転車を駐輪場にあずけ、「会津フェア」とやらを見てみることにした。そして、ややや伊勢屋さんの椿餅をみつけた。私が会津に居た当時は、たしか大町竪丁という町名だったがその角に伊勢屋さんはあって、ここの椿餅は我家の好物なのだ。じつは去年とその前々年、40数年ぶりに会津若松を訪ねたことは何度もこのブログに書いてきたが、その訪問の折りも2度とも伊勢屋さんに立ち寄って椿餅を求めていた。40数年間、ちっとも変わらない味だったのが嬉しかった。店の場所も昔のまま。会津若松が市内の大改造をして昔の面影はほとんど残っていないので、町名は消えてしまったものの、処は同じというのが私には嬉しかったのだった。 というわけで椿餅を買って、ついでに別な場所でおこなわれていた北海道・東北駅弁祭りを覗いて、母が懐かしく思うにちがいないと小樽駅の蟹イクラ弁当を家族分買う。 それから再び「会津鶴ヶ城太鼓」のところへ戻ると、正調「会津磐梯山」を歌いはじめた。この「会津鶴ヶ城太鼓」というのは、私が居た当時は存在せず、なんでも昭和61年に和太鼓同好の士があつまって「若駒会」というのを結成し、作調したのだそうだ。民謡というのは歌い継がれるうちにいつしか少しづつ逸脱してゆくこともあり、それもまた民謡が現代に生き延びるひとつの在り方かもしれない。しかし、やはり「正調」というのは聞けば聞くほど深い味わいがあるものである。私がサイクリングの往きがけに耳にしたのは現代的にアレンジしたものであったが、こうしてきちんと「正調」も受け継いでいることに、安心などというのはおこがましいので、懐かしさを感じたと言っておこう。 そんなこんなで汗だくになって、3時間ほどのサイクリングを楽しんだのだった。
Oct 13, 2008
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きのう深夜に書き上げて、ブログにアップしようとしたらメンテナンスにひっかかってしまった。今朝起きがけに手直しをして、例によって私の英語詩を一篇。Whenever I think of you(あなたを思うと)by Tadami YamadaWhenever I think of youI remember of a flower in the gardenthat was the whole world in my viewYou bloomed even if life was burden,and changed tear into a dew-pearledWhenever I think of youI think of you loving me so trulyIt was to make vitality to be anewAs if to draw up the water by pulley,to moisten the desert in the worldWhenever I think of youI consider the mystery of lifein which tears form a queue,of which you was never wife,of which I was never hasbandWhenever I think of youI know it was one-time but true loveat my life though I loved a good few.Now, I'll entrust a letter to a doveand will send it to heavenly youMy sincerity for you my words proveBy you, I found the world made newWhenever I think of youI'm looking back on our youth-----------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Oct 12, 2008
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きょうの東京はひさしぶりに気持のよい秋晴れとなった。仕事場の窓越しに遠い青空を見やれば、輝くような白い雲の輪郭がくっきりとしている。 昼過ぎに、散歩がてら夕食の買い物をしようということで出かけた。私はいろいろな茸の釜飯が食べたいと言い、家人はクラムチャウダーを食べたいと言う。おやおや変化球できたか、と思ったが、じゃあ和洋チャンポンにしようと、それぞれの材料を買う。調理は私がすることに・・・ 他家の庭に秋の果実が目につく。我家のように柿もあれば、葡萄や林檎のなっている家もある。枝が張らずすらりと直立し、緑色の長楕円形をした大人の拳ほどの果実がついている木がある。何だろう? 食べられるのだろうか。 めずらしいシロバナマンジュシャゲを栽培している家もある。シロバナマンジュシャゲは植物学ではショウキズイセンとヒガンバナとの雑種と考えられている。先日購入した『皇居の植物』にも収載されていて、皇居内の大道庭園と桜田濠斜面に存在するとある。ただし植栽品だそうだ。 エンジェルトランペットがみごとに咲きそろっている家もある。天使のトランペットといえば天上にむかって吹奏していそうなイメージだが、ややオレンジがかったピンクの大型の花冠が釣り鐘のように重そうに垂直に下がっている。見ている私に、欲しいような欲しくないようなどっちつかずの微妙な気持にさせる花だ。この家の門際には、鉢植えのミニトマトが、真っ赤な実を鈴生りにつけていた。じつにみごとである。 我家ではいま、ムラサキシキブが色付きはじめている。陶器の肌のようなややクリーム色をした白が次第に紫になってゆく。その過程が一層、ぼかし染めの陶器のようだ。 今夜の夕食。 茸釜飯(ブナシメジ、本シメジ、マイタケ、シイタケ、干しシイタケ、エリンギ、エノキダケ)、南瓜のホクホク煮付、クラムチャウダー(アサリ、タマネギ、キャベツ、ジャガイモ)、サラダ(レタス、柿)、味噌汁(豆腐、わかめ)。
Oct 9, 2008
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夕方のニュースで4人目の日本人ノーベル賞受賞がとびこんできた。化学賞(生物化学)を米ボストン大学名誉教授・下村脩氏が。物理学賞で日本人が3人同時受賞(素粒子論)というのが初めてなら、同年度で4人受賞というのも初めて。暗いニュースばかりのなかで、なんだかこちらまで嬉しくなるニュースである。 下村氏の受賞理由は生物を発光させる「緑色蛍光タンパク質」の発見。オワンクラゲからイクリオンという物質と緑色蛍光タンパク質GFPというタンパク質を分離抽出することに成功。イクリオンがカルシウムと結合して青く光り、そのエネルギーによってGFPが緑色に光る仕組みを解明した。これは今後、癌腫瘍の転位の仕組やアルツハイマー病の神経細胞の破壊過程を解明するなどの医療分野に応用できると予想されている。つまり、タンパク質分子は光学顕微鏡で観察しにくいわずか10ナノメートル。そこで特定のタンパク質にGFPをくっつけると緑色に発光して目印となるわけである。 ともかく素敵なニュースである。
Oct 8, 2008
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判明した。昨日の朝に採集した奇妙な生物のことである。 環形動物門ヒル綱〈コウガイヒル〉無害。吸血はしない。 釈迦楽さんからクガヒル(ハチワクガヒル)ではないかとコメントを頂戴し、それをヒントにヒル綱属を調べたところ、写真撮影されたコウガイヒルにいきあたった。その特徴を明瞭に示す写真だったので、私の採集した生物の特徴と完全に一致した。 コウガイヒルのコウガイとは笄(こうがい)のことで、このヒルの頭部の形状にゆらいする。すなわちハンマーシャーク(シュモクザメ)の頭部、あるいは銀杏の葉のような形状と言えばイメージがつかめるだろう。背に黒く細い三筋の縞模様がある、と私は記述したが、発見した写真はまさにそれを示していた。ヒルといえばヤマビルなど、吸血動物としての印象が強く、実際そのような吸血ヒルは存在する。しかしコウガイヒルは吸血せず、無害だということである。ヒルのほうにしてみれば、私に見つかったのが百年目だったわけだ。カワイソウに。
Oct 8, 2008
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このところ『源氏物語』にまつわることを書いてきたので、事のついでとばかり『源氏物語』そのものを再読しはじめた。といっても原本を読むのは時間的にもしんどいので、現代語訳、それも明治以降ではもっとも早い与謝野晶子訳で読むことにした。 いま入手しやすい原本は、岩波書店刊の『日本古典文學大系』に収められているものだろう。私が所蔵する与謝野源氏は昭和38年8月に河出書房新社から刊行されたもので、私が高校3年生のときに購入したものを書棚から探してきた。 現代語訳にはこの与謝野晶子のもの以外に、谷崎潤一郎訳があり、その後、円地文子、瀬戸内寂聴訳などがある。 与謝野源氏と谷崎源氏によって現代の日本の読者はようやく『源氏物語』に親しむようになったと言ってよい。原本は、もちろん読んで読めないものではないし、私自身、「桐壺」や雨夜の月旦(しなさだめ)で知られる「帚木(ははきぎ)」や「若紫」「末摘花」、あるいは「明石」などを原文で拾い読みしている。 現代人にとって何が原本を読解するのを困難にしているかといえば、行為の主体者つまり主語が書かれていず、誰が誰であるかはそこに使用されている敬語や謙譲語によってのみ分ることになるからである。当時の読者(堂上貴族階級)には当然のことが、われわれ現代人にはもはや理解が困難になっている。のみならず、現代文のように句読点があるのでもなく、文節も非常に長い。会話も地の文にまぎれている。・・・まあ、そのようなことが原文から遠ざけてしまうのであると思う。文豪といわれるような人、たとえば正宗白鳥はアーサー・ウェイリーの英語訳ではじめて『源氏物語、The Tale of Genji』を読んだと言っている。 与謝野晶子の訳と谷崎潤一郎の訳とはじつは現代語訳としては対極にあるといってよい。というのは、与謝野の現代語は森鴎外にも通じることだが、明治期にうまれた西洋的論理的な日本語にさらに漢文調がはいっているもので、そのため原文の纏綿たる情緒はいくぶん失われている。また西洋的な「小説」---そういう要素が原文にないわけではないが--- を構築しようという意志が強くでているのである。 一方、谷崎源氏は、原文の情緒をたいせつにして長いセンテンスのなかに纏綿させている。まさに『細雪』においてめざしたことを源氏物語の現代語訳でもおこなっている。そして「小説」よりは「物語」を前面に押し出す。そこに谷崎が考えた日本があり、谷崎の趣味嗜好がある。 ところで『源氏物語』は紫式部(一条帝の中宮彰子の後宮に仕えた)の作といわれているが、いま我々が目にしている全文が彼女の自筆であるかどうかは歴史的にさまざまな説がある。なにしろ自筆本が失われているうえに、印刷刊本でない時代のこととてつぎつぎに書き写している間に、写し間違えたり付け加えられたりした可能性は非常にある。また、一部は別人の作という説もある。与謝野晶子もその説を立てたひとりで、与謝野によれば、「若紫」以後は紫式部の娘である大弐の三位(だいにのさんみ)の筆になるものと推定している。『源氏物語』全五十四帖のうち、現在知られている構成では「若紫」は5番目だから、ほとんどが娘の作ということになってしまう。 「宇治十帖」と称されている物語最後の部分、すなわち光源氏の孫である匂宮(におうのみや)が主人公となる十帖は、男性が書いたのではないかという説もある。 なぜこのような説がでてくるかというと、じつは、もし紫式部ひとりが書いたものだとすると、物語のつくりかたが次第に上達しているからなのである。『源氏物語』といえば光源氏と返ってくるほどだが、この物語は三世代にわたる物語、いや光源氏生誕前をいれると四世代にわたるまさに大河ドラマ。しかし、はじめの光源氏が主人公の部分は、登場人物が複雑にからみあうというよりは光源氏と個々の女性との互いに関連のない短篇の積み重ねといってもよい。いわゆる「長篇小説」の概念からはずれるのである。しかしこれが「若紫」以後になると、俄然「長篇小説」の相貌を呈しはじめる。そして「宇治十帖」にいたると、たんに宮廷風俗の描写ではなく人生の哀れといったような深い哲学的な相貌をあらわして終るのである。 つまり、一篇の物語のこの変化を、作者の腕が上達してゆく過程に添っているとみなすか、それぞれ別人の書き手が存在したとみるか、という問題なのである。この問題にいまだ明確な結論がでてはいない。 私はどう考えているか。紫式部が上達していったのだ、と思いたい。いや、たんなる感情でそう思うのではない。ひとつのかすかなヒントが『源氏物語』そのものの中に書かれている。 『源氏物語』はいわゆるフィクションであるが、歴史的事実ないし実在の人物の名前も登場する。そのひとつに、現在では名のみ伝えられていて実物が失われてしまった物語の主人公の名が「帚木」の冒頭に登場する。交野少将(かたののしょうしょう)という。『交野少将物語』とでもいうような『源氏』に先行する好色小説が存在したようだ。『源氏物語』は世界で初めての長篇小説というのは定説であるが、それではそれ以前に小説らしきものがなかったかといえば、紫式部自身が「あった」と書いているのである。 しかし、それはおそらく小説誕生の初期的状態というべきものであったろう。が、平安初期から紫式部の生きた平安中期にかけて存在した『交野少将物語』(もちろんこの名称はいま私がとりあえず付けたのだが)のような物語を土台にして、紫式部も執筆を開始したと考えるのは間違いではあるまい。「桐壺」から「若紫」にいたるまでの八帖が、短篇の寄せ集めのようなのは、当時先行的に存在した物語がおそらくそのようなものであったからではあるまいか。 『源氏物語』は、それ以後の物語形式を決定的にしたといわれている。近世物語から近代小説にいたる小説作法の進化を『源氏物語』自体のなかに内抱していたのだとしたら、私は、紫式部その人自身の小説家としての進化がそこにあったのだと思うのである。
Oct 7, 2008
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今朝、庭を掃いていたら、帚の先に濡れてもつれた凧糸のような奇妙なものがからまった。帚を振ってみたが落ちないので、腰をかがめて覗きこんだ。するとその凧糸のようなかたまりが、グニュグニュッと動いた。虫である。太さはわずか1ミリほどだが、伸びた体長は20センチはあった。黄色みがかった灰白色。頭と思われる部分は丸みのある三角形ないしハンマーの頭部のような形でもある。 見たこともない生物だったので、私はとりあえず小瓶に採取した。それが下に掲げるものである。いまのところ正体はまったく不明。ミミズの一種か? どなたか御存知ならお教えください。上:全体像。ただし撮影時に4っつに分断されてしまった。中:頭部の拡大図。両側にハンマーシャクの頭部のように張り出している。。頭部の付根からはじまって胴部の両側がギザギザになっている。胴部は扁平ではなく中央部でくっきりと盛り上がっている。また背にくっきりした黒く非常に細い三筋の縞模様がある。下:瓶にいれて腹部の様子を撮影した。カタツムリのような腹で、両側のヒラヒラした平たいヒレ状のものをキャタピラーのようにして移動するようだ。ルーペで仔細に観察すると、そのヒレ状の先端部分に密毛がみえる。 昭和天皇が専門に御研究されていたヒドラに似ているようでもある。しかし採集場所は庭であり、ヒドラが棲息する水辺ではない。
Oct 7, 2008
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一昨日見てきた実践女子大学の源氏物語展は、同大学所蔵の32品の展示であるから規模は小さいのであるが、展示品のなかに私が特に関心をもったものが1点あった。そのことをメモとして書いておく。 『白描源氏物語絵巻』全3巻。 紙本墨画。江戸初期 実践女子大学美学美術史学科蔵。 一巻:「桐壺」~「澪標」20紙 縦14.0cm 全長760.9cm 二巻:「蓬生」~「夕霧」21紙 縦14.0cm 全長824.3cm 三巻:「御法」~「手習一」18紙 縦14.0cm 全長671.4cm 白描というのは墨筆のみで描いた絵で、彩色はまったくされていないものを言う。一般によく知られたものでは伝鳥羽僧正筆『鳥獣人物戯画絵巻』(国宝・高山寺蔵全4巻、および東京国立博物館と個人蔵断簡)がある。 実践女子大所蔵の本品は、長さはともかく、縦14.0cmという絵巻物としては非常に小さなもので、しかし細密でゆるぎない見事な描線で描かれている。この絵巻の研究はなぜかほとんどなされていないようで、本展覧会のために大学が製作した図録においても、問題点・疑問点が列挙されているにすぎない。それらを書き出してみれば、次のとおり。1)本作は『源氏物語』の各帖ごとに幾つかの場面を白描画であらわし、詞書や注釈をそえたもの。2)現状は3巻からなる巻子装であるが、本紙の折目、虫食い、シミなどの痕跡から一時期は折本形式の画冊(一冊か)であったと推測される。3)ただし、各紙ごとに振られた整理番号には、折本・巻子の体裁に不規則な箇所がいくつかある。初期形態から現状にいたるまでの経過は、今後の検討を要する。4)本作の絵画場面は、山本春正著『絵入源氏物語』(承応3年;1650年刊)に収載の挿画と同一の場面選択・場面数である。各絵の構図および人物描写もほぼ一致している。両作の相互関係や如何。5)上記承応本と比較して、描写力の正確さ等から、本作画には大和絵系の専門絵師の関与が想定できる。6)添書文は『絵入源氏物語』や『満月抄』等と関係が深い。ただし添書と作画の時期が同じであるとの判断をする確証はない。7)絵のみに注目するなら、絵師が本制作の際に参考にする下書の手控帖、あるいは図様集の類いを思わせるが、添書には物語本文や注釈書の抜粋を記していることから、一概に断定はできない。8)本作の用途や性格を理解するには、絵と添書を追究することが必要不可欠である。 以上、箇条書きに直したが、図録に記載されてある内容である。 さて、この作品を下書そのもの、すなわち絵師のデッサンとみなすことは無理があるかもしれない。実際、ここに描かれた人物像は丈3cmにも満たない。それでいて目鼻立ちもしっかり、衣紋付も正確。殿舎の描写も規矩正しく、素人の手慰みなどではありようがないのは無論のこと、細筆による描線が太い細いと乱れることなく均一に保たれ、しかも力強いことは、絵師として並々ならぬ技量を証しているといってよい。つまりこのことは、絵師はすでに模索を終了していることを示している。デッサンを経て、決定的な構図がここに定着していると見ることができる。 では、本作はこれで完成したのであろうか。 私はそうとは思わないのだ。ここから本制作に入るところだったのではあるまいか。ということは、私は本作を絵師の下書手控と考えているわけであるが、しかもその本制作は大和絵風の着彩画となるはずのものである。本作品に物語本文が書き込まれているのは、本制作でもその部分に詞書を入れるためではないだろうか。あるいは、注釈書抜粋と考えあわせると、本制作において(特に彩色において)より一層の描写の徹底をするための絵師の覚書なのではあるまいか。 私はイラストレーターとして、実作者として、そのような覚書をつくることをやっているからである。そのようなノート・ブックをつくっているのだ。それによって描写のための資料収集を充実させ、あるいは実物のモデルを用意する。また下絵に、色名をメモとして書き込んでおくこともする。それよりもなによりも、本制作の前にサムネールと云って、小さな小さな見本絵をつくることをするのである。サムネールとは親指の爪という意味だが、小画面の下書をさす専門用語である。それはまだ海のものとも山のものとも定まらない空白の状態から、アイデアを模索してゆくために、時にイタズラ書きのように小さな絵をたくさん描いてゆく、それをサムネールをつくるというのである。 大学側の図録解説のように、本作の用途や性格を決定するためには、学問的には文献渉猟が必要であろうが、実は文献からはあらわれてこない「事態」もあるのである。それが文献研究に偏ると見過ごされがちなのは、研究者と称する人たちがほとんどの場合、実作者ではないからである。たとえば文芸作品のなかに画家が登場すると、あれあれというような間違いを発見することがある。それに似ている。たとえば、かつてこのブログで書いたことがあるはずだが、油絵具の乾燥速度が、色(物質)によってまちまちであり、1日で指でふれても大丈夫なほど乾燥(指触乾燥)する色もあれば、10日以上も乾燥しない色もある。そういう異なった乾燥速度の色をならべて描くときには、それ相応の技術的な処理がひつようになってくる。・・・そのようなことは、実作者以外にはあまり分らないものだ(分らないかもしれない)。(後注) 私はこの実践女子大学所蔵の『白描源氏物語絵巻』全3巻によって、じつは初めて白描の源氏物語絵の存在を知ったのだが、その興味とともに、もし本作が絵師の本制作のための下絵手控だとしたら、そのようなものこそ初めて見るものなので、非常に興味深く見たのである。絵巻物とごく普通に云うけれども、それが実際どのようなシステムで、どのような過程で制作されていたかは、一般にはおそらく知られていないのではあるまいか。 興味のあるかたは是非ご一見ください。 『みやびへの憧れ --源氏物語千年紀記念 実践女子大学所蔵名品展』は11月9日まで同大香雪記念資料館において開催(ただし、10月14,20,27日、11月4日は休館)。無料。JR日野駅下車、徒歩15分。【注】 実作絵師の視点への踏み込みが足りないのではあるまいかとは、先日のこのブログに書いたエステル・ジョエリー=ボエール博士の論説にも私は思ったことだ。実は、博士が聴講者の質問を受け付けたので、私はひとつ質問したのであった。その質問は、男性主人公の視線の先にある山吹あるいは松などが思慕する女性の象徴となっている、そのような絵画表現が出現してくる、という博士の論説に関するものである。私の質問は次のようだ。 「絵師が象徴表現する場合、それが象徴であることを鑑賞者が察知するためのその絵の享受階層に文化としてそれ相応のコンセンサス(認識の一致)がなければ成立しないはず。とすれば、その象徴認識はすでに当時代のものであったのかどうか。それは『源氏物語』の刊行本の流布状況と関係があったとみるべきかどうか。」 なぜ私がこういう質問をしたかというと、実作者にはすぐ気がつくことなのだが、象徴には二つの場合があって、 一つは神話的象徴のようにすでに社会的な認識が明確に存在する場合、 二つには、時代思潮とともにある事物や現象や言語表現が社会一般に暗示的にはたらき始めている場合、である。 現代的にいうなら、イラストレーターが商業広告や本の挿画を制作する場合、決してひとりよがりの「象徴」など用いることはない。社会的なコンセンサスがなくては絵の訴求力がないからである。イラストレーターがひとりで空回りしていては目的を達成できない。 源氏物語絵がイラストレーションであるかぎり、そしてまた近代以前の絵画制作者の意識としては、現代的芸術家の純粋個人主義とはまったく異なる意識で、社会的なコンセンサスの表現を求めたと考えられるだろう。したがって、ジョエリー=ボエール博士の言うように、源氏物語絵にあらたな象徴表現が出現したというならば、それが象徴と受け止められる文化的認識ができあがっていなければならない。そのコンセンサス形成を示す傍証を、私は尋ねたのであった。 しかし、残念ながら、実作者ではない文献学者の博士には私の質問は思いのほかであったようだ。博士は、「和歌の解釈がすでに高度に存在していたと考えてよいでしょう」と答えられたが、後に、「うまく答えられませんでした」と直接私におっしゃった。 『源氏物語』の印刷による刊本が初めて出たのは、江戸時代にはいってからである。上堂貴族階級の文化から刊本を享受する一般大衆の文化までの距離を、はたして和歌の解釈の流布だけで埋められるかどうか? 私のひっかかりはその点にある。 実は、私は、文献学一辺倒の研究方法はやがて変わってゆくであろうと思っている。しかし、そうだとしても、相当時間を要するであろう。
Oct 6, 2008
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昨夜はNHK・BS2で黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』(1960.9)を見た。封切公開時に見て以来のことだが、場面は良く記憶していた。中学3年生。会津若松の現在はない「グランド銀星」という映画館でだった。 この映画が当時の私にあたえた影響は、その音楽にある。三船敏郎演じる復讐鬼・西孝一のテーマソング。三船が口笛で吹くその曲が、各シーンにおいて何度か繰り返される。ドレミソソ、ドレミソソ、ドレミソミファミレド/ ドレミソソ、ドレミソソ、ドレミソファミレドシ。このブログで音符を書くことができないけれど、スラッシュ以後は転調するがたぶんこの音程にちがいない。 中学生の私は、自分でも口笛で吹いてみたばかりか、映画のなかでの効果のおもしろさに、すぐに学校で放送劇をつくり、自作の曲を一部に挿入するということをやった。 私は生徒会副会長で放送委員も兼任していた。芥川龍之介の『杜子春』を脚色し、下級生の委員に役をふりあて、テープレコーダーに吹き込んだ。「ある日の暮れ方・・・」で始まり、街路のざわめきなど馬車の音には薪を軽く紐で束ねて床を転がして音をつくった。あるいは閻魔様の声は金属製のバケツを頭からかぶって妙な反響をつくり、そしてテーマ曲はリコーダーで吹いた。・・・こうして製作した放送劇を昼食時間に全校に流したのだった。 『悪い奴ほどよく眠る』のテーマ音楽が、自分も何かを作ってみたい、挿入曲を作曲して劇を演出してみたいと、中学生を駆り立てたのである。 私はそのころすでにいっぱしの映画少年だったから、沢山の作品を見ていた。しかし、50年も前のことをあらためて思い出すと、自分も何かを作ってみたいと夢中にさせ、そういう気持で画面を食入るように見つめた映画は『蜘蛛巣城』以来、黒澤作品だけであった。いや、驚嘆したシーン、記憶に深く刻み付けたシーンは他の監督作品にも多々ある。それらは今でもまざまざと目の前によみがえる。が、やはり創作意欲のような、なにか筋肉がムズムズしてくるような、血が滾るような作品は、黒澤映画だった。 昨夜あらためて『悪い奴ほどよく眠る』を見て、この映画のシーンが他の監督作品に引用されていることに気がついた。 冒頭の結婚式で汚職の犠牲として飛び降り自殺したそのビルをかたどったウエディング・ケーキが運ばれてくるシーンは、F・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』に引用されている、と私は見る。 また、未利用土地開発公団総裁(森雅之)が、姿を見せない巨悪にすべてがうまくおさまったと電話で報告して深々と頭をさげるラスト・シーンは、伊丹十三監督『マルサの女』(1987年)に引用されている。 たまたま似ているというのではなく、私は、「引用」されているとみなす。おそらく断定してまちがいないだろう。 【追記:2022.10.05】さらに私は、1994年に公開されたアメリカ映画、フランク・ダラボン監督・脚本『ショーシャンクの空に』の冒頭部分を思い出した。実は無実である主人公アンディの裁判法廷で、判決を言い渡した裁判官のアップが、そのままカメラのレール移動で後退し、裁判官の表情が見えないほど小さくなってゆく。・・・『悪い奴ほどよく眠る』からの引用と明言できないし、あるいは『マルサの女』からの引用かもしれないとも思う。念のため各作品の制作年(公開年)を比較したうえで、フランク・ダラボンが原作者スティーヴン・キングから映画化権を購入したのは1987年であったが、脚本執筆に着手したのはその約5年後、映画が公開されたのは上記の1994年である。 前作『隠し砦の三悪人』が、スピルバーグ監督の『スター・ウォーズ』のストーリーに影響をあたえ、藤原釜足と千秋実が演じる又吉・太平のデコボコ・コンビがロボットR2D2とC3POのコンビとして引用されたことは、すでに衆知の有名な話だ。『七人の侍』がジョン・スタージェス監督『荒野の七人』に翻案されていることも、いまさら言う必要はない。 話は横道にそれる。 日本文化が海外に与えた影響といえば、多くの人が能や歌舞伎、あるいは茶道や生け花、また柔道や空手などをあげる。しかしいわゆる「文化輸出」の点からは日本映画が最も影響力をもっているのである。現在ならさしずめコミックとアニメーションということになろうが、それに替わるまでは映画だったと言ってよい。それは能や歌舞伎の比ではない。つまり日本映画は欧米で幾人もの映画作家誕生にすくなからぬ影響をあたえてきたのである。スピルバーグやコッポラはみずからそう告白しているし、ヴィム・ヴェンダースのように小津安二郎の影響を告白している監督もいる。 能は、その関係者の自負はともかく、欧米の演劇人を育てたとまでは残念ながら言えない。たしかにイェーツのように、能に影響された戯曲『影の女』や『鷹の井』のような優作を生みはした。しかしやはり今のところエスニック文化に対する好奇心をもった鑑賞者といってよかろう。 柔道の場合は、いまやフランスが柔道人口で世界一となるほどで、オリンピックにみられるとおりもはや日本柔道というより世界スポーツとしてのJUDOである。それは素晴らしい事だ。しかし、この場合は、文化的産業として日本に還元されることは少ない。「文化輸出」を考えるときに、そこにひとつの問題点がでてくる。 日本のコミックとアニメーションの成功は、作品の質とともに経済面が押さえられていることが重要だ。 さて、日本の現代美術はどうだろう。ひところに比べたら世界の注目度はアップしていることは間違いない。しかし、じつは肝腎の国内での一般の意識はまだ100年前の美意識にとどまっていると言えるかもしれない。アメリカが、現代美術の先端を行く国として、国家として威信をかけて動いていることと、日本の状況はまったく比べ物にならない。 『摩天楼はバラ色に』という、ごく軽い娯楽映画がある。この映画は全然アメリカ美術のことを描いているわけではないが、じつは画面のあちこちにアメリカ現代美術をとりまく環境を見て取ることができる。私は一度そのことについて、このブログの別館『山田維史の画像倉庫』の「映画の中の絵画」で書いてみようと思っているのだが、なかなかできずにいる。「映画の中の絵画」は、もう2年間も手付かずのままだ。 まあ、それはともかく、1点ものの絵画・彫刻等の美術と多数の観客動員を見込む映画とはビジネス面でおおいにことなるのだが、しかしアメリカのように国のバック・アップもないところで日本映画は大変な健闘をしてきたのだ。映画ファンとしては是非とも言っておきたいことである。
Oct 5, 2008
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今年は、『源氏物語』が執筆されて、ちょうど1,000年目にあたる。それにちなむ催しが各所でおこなわれている。私は、実践女子大学(東京・日野市)で今日(4日)から開催された『みやびへの憧れ ---源氏物語千年紀記念 実践女子大学所蔵名品展』へ行ってきた。展覧会と平行して開催されている連続講演会を聴講するのがお目当てである。 実践女子大学は学祖下田歌子以来の源氏物語研究の伝統ある大学である。私が聴講した講演は、エステル・レジェリー=ボエール博士の「フランスにおける『源氏物語』の研究 --文学作品から絵画への関心」である。博士は、かつて同大学に留学して絵巻物の権威・宮次男教授の薫陶を受け、現在、ヨーロッパにおける東洋研究の権威を誇るフランス国立東洋言語文化大学准教授。ちょうど昨年、女史の主要著書(監修と絵の解説)『日本伝統絵画における挿絵付きフランス語版源氏物語』(デイアンヌ・ドウ・セリエ社)が刊行され、この9月にはその普及版が刊行されたばかりである。大判の全4巻が一つの函に収納されその厚さ15センチにもなる高価な豪華本である。 レジェリー=ボエール博士の講演はほぼ三つのテーマにわたった。 まずは、『源氏物語』の外国語訳の歴史と現状。 充実しているのは英語訳で、最も早い完訳はアーサー・ウェイリー(Arthur Waley)によって1925年に刊行。ついで1976年にエドワード・G・サイデンステッカー。また近年、新訳が刊行されている。 フランスでは『源氏物語』に対する関心はさほどでもなく、1928年に日仏ハーフでフランス語を母国語としていたキク・ヤマタ(Kikou Yamata)という女性作家が英語のウェイリー版から桐壺の巻から葵の巻までの9巻をフランス語に訳して刊行したのが最も早い例。その後、ルネ・セシールによる完訳が1977年(前巻)と1988年(後巻)が刊行されたのみである。セシール訳の特徴は17世紀の宮廷フランス語を使用し、原本に忠実な非常に長いセンテンスの訳。そのため現代の読者にとって必ずしも読みやすいものではなく、賛否両論があるのだという。ただし、その文体に慣れてしまうと、大変美しいフランス語なのだそうだ。 さて、そんなわけでフランスにおける『源氏物語』への関心は薄かったのであるが、昨年刊行された上記の非常に高価な挿画付き『源氏物語』が、3,500部刊行し4ヶ月で完売した。そのことにより、じつはフランスにおいても潜在的に『源氏物語』に対する強い関心があることが確認されたのだという(後注)。 さらに多方面の専門家が所属する「源氏物語研究会」が発足し、8人グループによる新訳が進行中とのこと。もちろんレジェリー=ボエール博士もそのメンバーである。第1回の翻訳『桐壺』(Le clos du Paulewinia)が刊行されたばかりだ。 このプロジェクトの特徴は、ひとつのセンテンスを8人がそれぞれにフランス語に訳し、月1回の例会で突き合わせてさまざまな専門分野から検討し、もっとも適切と判断したフランス語を採用していく。メンバーは、和歌の専門であり、美術史の専門であり、平安宮廷文化の専門であったりという。また、センテンスは原文に忠実に長いけれども、なるべく現代人に分かりやすい、かつ美しいフランス語を採用し、和歌は5・7・5・7・7の5行に分けて訳し、これまでの外国語訳にはなかったことだが、掛言葉のような二重の意味がある場合はスラッシュ(/)によって、二通りの訳を並記しているそうだ。さらに、これもセシール版にはまったくなかったことだが、綿密な注釈をつけている。 このプロジェクトは、したがって非常にゆっくりしたペースで進行していて、全巻完訳するまでに90年くらいが見込まれているのだそうだ。すでにメンバーには若い世代が加わってきていて、今後、世代交替をしながら完結に向って進められるだろう、と。 フランスにとってはいわば異文化研究。しかしその息の長い、真摯な学問的事業に、私は賛嘆し、感激した。名誉欲にかられて我こそ我こそと言う日本の大学人には多々おめにかかるので、従来の成果をより良くのりこえるために90年というスパンでひとつの翻訳をやっているという話には正直驚きをかくせなかった。 さて、エステル・レジェリー=ボエール博士の専門は東洋美術史。とくに源氏物語の絵画化上の問題を研究しておられる。 そのひとつが、最近発見された「幻の源氏物語絵巻」の探究。これはベルギーのさる個人コレクションおよびその他に分散されて所蔵されているこれまで研究者に知られていなかった絵巻物のことである。これについては11月初旬にNHK・TVが特集番組を放送するとのこと。 ふたつめに、博士が注目しているのは源氏絵におけるパターンの問題である。それはさらに(1)物語から場面選択のパターン、(2)絵の構図のパターン、この二つにわけることができるというのである。 (1)の例として、女史は、同じ場面を描いた三つの異なる絵を示す。1、広島県尾道の浄土寺所蔵の60枚の扇面散らし四曲二双屏風。2、ハーバード大学所蔵のいわゆるハーバード本の土佐光信の絵。3、京都国立博物館所蔵の土佐光芳の54図、である。これらを並べ比べることによって場面選択の伝統(パターン)と、そこにおいて何を描き何を省略し何によって絵師の個性を発揮したかがわかるという。 たとえば土佐光信は省略的で暗示的。しかもその省略によって男女ふたりの主人公が緊張をはらむ。 かたや土佐光芳は画面の空白を嫌い、充満的であり、緊張感に欠けるのだけれど、物語のモチーフはすべて出揃い鑑賞者は物語のどの場面を描いているか誤る事はほとんどない、という具合。 あるいはこの3者に岩佐又兵衛を並べてみると、又兵衛の視線がいかに生々しいかが明らかになる、と。 ところで私がとても興奮したのは、レジェリー=ボエール博士の心理学をからめた土佐光則の源氏絵分析であった。土佐光則の大和絵に関して(それはすべて国宝級といってよいが)、日本の研究において心理学の方面から絵の構図を解き明かした論説を、私は浅学ながら知らない。女史は、土佐光則は源氏物語の書く場面を主人公の心理を明確に理解したうえで、その心理を表現するための構図作りをしていると指摘したのである。 おそらく女史の研究は今後ますます深まって、おおきな論文に結実することであろう。 講演後、私は自分の興奮を博士に直接申しあげた。すると博士は、やはり、心理学的に土佐光則の源氏絵を分析した論文はかつてないのだ、と。そして、「私も興奮しているのです」とおっしゃられた。 レジェリー=ボエール博士は講演の冒頭で、「この講演を宮次男教授に捧げます」と述べられた。「宮・・」と言って、胸に迫ってくるものがあったのだろう、一瞬言葉が詰まってしまわれた。そして自分の胸を軽くたたきながら「ごめんなさい」と言い、献辞を述べられたのだった。【注】 博士によれば、この本の挿画として収集された源氏絵は2,500枚にのぼる。「枚」というのは、たとえば京都国立博物館所蔵の土佐光信の源氏物語絵を1点とし、この中には54場面が描かれているのでこれを54枚と数えているのである。2,500枚のうち在外所蔵品は約20%とのこと。これらから選択された絵が見開きページの一頁、ないし両頁にカラー複製され、他の一頁ないしもう片頁の2/3ほどをセシール訳の物語にあてている。
Oct 4, 2008
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しばらくぶりの好天気。老母が明日また外出するというので、秋の新しい装いに何か、と買い物にゆく。渋い色合いのこの秋流行のエスニック調花柄のブラウスと黒のパンツ、そしてやはり黒のレースと畝織りとを合わせたような面白い上衣を買った。ほとんど寝たきり状態なのだが、おしゃれは嬉しいらしく、「棺桶に片足入れても女だワ」と言っている。 庭の柿が熟したものから落ちるので、取入れをした。てっぺんの実には手がとどかない。十数個残したままにして50個ほど収穫した。直径8センチ。小さな木なのだが、良く成ったほうだろう。まだすっかり色付かないので、ダンボール箱の中で焼酎を吹付け密閉して寝かせておく。 鳥が啄んだ実、半欠け状態であちこちの枝に残っている。どうせなら全部きれいに食べてくれるとよいのに。落ちた柿は蟻のかっこうの食糧になって、見ると、直径1センチほどの穴をあけ、無数の蟻が出入りしていた。 朱色の実がたわわに成って小庭の彩りだったけれど、すこし淋しくなった。葉が色付くまでにはまだ間がある。 秋日和ポンポンダリヤ並び居り 青穹 柿落ちて忽ちにして蟻たかる 山城の伝えかすかに秋の草 すすき手に村道折れて月見哉 すすき抱く媼独りや月の影
Oct 2, 2008
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人生は短いA LIFE IS BUT A SPANby Tadami YamadaA life is but a spanlike the lifetime of a cicadaEven the while joy and sadnessare each other interwoven with.Or it's like parching beans in a panpopping, dancing in rapid cadenceas if it causes to madnessIt also is a repetition of a quizA life is but a spanNo necessity of killing in warfareEven if it doesn't build the bodies'mound, life disappears transitorily.So dance merrily with a flute of PanSee floweres bloom in openairDon't say even no money to keep bodyIt's with honest poverty of white lilyA life is but a spanThere's little time left behind to meThe dream is packed full of brainpanBut it doesn't become a worker bee---------------------------------------Copyright (c) 2008 Tadami Yamada. All Rights Reserved.
Oct 1, 2008
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昨日、さるところを介して、私の英語の詩を読んだインド在住のインド人女性から友達になってほしいと連絡があった。詩をとおしてジャズを感じるのが好きなのだという。もちろん否やはないのでその旨の返事をした。 英語で詩を書いているといっても、自分では英詩だとは思ってはいない。いくらなんでも私はそれほど図々しくない。しかし、この半年で108篇を発表した。そして、じつは彼女のような申し込みが8人あった。彼女は9番目になる。 メール友達とはいえ、インドの方とのおつきあいは初めて。あらためて思うと、観光情報としてのインド以外はほとんど何も知らないことに気がついた。インド美術、ガンダーラ美術、仏教およびヒンドゥー教についての知識がほんの少々。原始仏典の重要な部分は読んでいる。カーマー・スートラやアユール・ベーダも読んでいる。インド史少々。警察史のなかの指紋研究の関係を少々。・・・まあ、そんなものだ。しかし、これでは現代インドの実生活を知ったことにはならない。 インドって? ドロナワ式に少し勉強しようと思い、中村研二著『住んでみたインド ・・この途方もない国』(サイマル出版会、1982)を購入。もう26年も前の出版なのだが、著者は当時、日本航空のデリー支店長。手始めの入門書としては良いだろう。この中で引っかかったところを後に更に探究すればいい。 というわけでインドの日常生活について調べはじめる。 ところで上の本は、例によって大型古書店でみつけた。ついでにもう一冊購入した。生物学御研究所編『皇居の植物』(保育社、1989)。ほとんど新品同様で、読んだ形跡さえうかがえないほどの美本だ。価格8,800円のものが1,300円也。NDCカードが附録としてついているが、15,6年前から国会図書館をはじめ少なくとも東京都内の公共図書館はカードによる検索を廃して、コンピューター検索方式になっているので、ちょうど20年前の刊行図書とはいえ、こんなカードを見ると懐かしくなる。そして、気がきいたサービス附録だ。購入者を明確に想定しているわけである。
Oct 1, 2008
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