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ああ面白かった。とは、きのう古本屋で105円で買った丸谷才一『軽いつづら』のこと。新聞連載の短いコラム92篇を収録した285頁。明日の休日までもつかと思っていたが、たちまち読了してしまった。 丸谷氏のエッセイは雅俗とりあわせたその博識で、いつも唸らされる。博識な書き手はたくさんいるが、丸谷氏はことのほか品が良い。好奇心のおもむくところに赴いて、掴み出して披瀝する対象が、まことに大人なのである。知っていたって知らなくたって別にどうということはないのだが、読み手の知識次第で、知れば知ったでまるで新しい世界がひらけることがある。これはまた、その書き手の側に視点をもどせば、この幅広い知識は縦横無尽に網の目のごとく繋がり、系統だっていることが、読んでいるうちに自ずと知れてくる。自ずとしれてくるというところが、奥ゆかしいわけだ。というわけで、『軽いつづら』も、新聞のコラムだからと侮れない。「重いつづら」かもしれないのは、ひとえに読み手次第、と繰り返しておく。 丸谷氏はかつては国学院大学の教授で、我が年輩の知己・花輪莞爾氏の年輩の同僚であられた。花輪氏によると、教員室では「われわれ年下の連中は、恐くて小さくなっていた」とのことだが、これはもちろん誇張があろう。国学院大学の教授室は、どうやらまるで小中学校や高等学校の教員室のように、みな一緒らしいのである。個人個人の研究室はあるのであろうが、「ひとつ部屋で談論風発している」と花輪氏は私に語っている。私は覗いたこともないけれど、そういう気風のせいかどうか、ある時期、この教員室には異才鬼才がゴロゴロいた。丸谷才一(英文学)がい、種村季弘(独文学)がい、松山俊太郎(サンスクリット文学)がい、そして花輪莞爾(仏文学)がい。 さて、その『軽いつづら』と銘打たれた中身、「地理を論ず」を読むにいたって、さすがの丸谷氏にも盲点はあるものだと思ったのでそれを一言。 丸谷氏、「わたしは地理にうといのです」と断りながらも、つぎのように一文を結ぶ。 でもね。そのわたしでさへ勘弁できない地理音痴も ゐる。このあひだ、銀座のバーのホステスがわたしの 故郷を訊ねたので、山形県と答へると、 「あ、知ってる。青森県のさきね」 海に落ちちゃふぢゃないか。 フフフ。丸谷氏の地理感覚は地図帳的感覚ですね。上方に北海道方面があり、下方に関東以南が位置している。・・・しかし、青森県に居坐って(視座を据えて)、南西方面に向えば、その「さき」は山形県である。ホステス嬢の地理感覚はあながち間違っているとはいえない。 「さき」と、ここでいうのは多分に自己中心的な言い方で、ホステス嬢の「さき」と丸谷氏の「さき」は同じ方向をさしてはいなかったわけだ。 われわれの地理感覚はしらずしらずのうちに地図帳にドクされていることがある。それが正しく世界を表わしていると、ついつい思ってはいないか。たとえば日本の地図帳で、日本を見るのと、オーストラリアの地図帳で日本を見るのとでは、面くらうほど異なった様相をしている。つまり地図帳はたいてい、自国中心主義で表現されているからである。オーストラリア国民にとって、自国の「さき」とは果たしてどこか? ニューギニアか? 台湾? はたまた日本か? あるいは南極か? 丸谷氏とホステス嬢のこの話は、そういう問題を含んでいるわけですね。 余談だが、かつての日本陸軍指揮官のなかには地図を読めない者がたくさんいたということだ。等高線を頼りに平面から3次元空間をイメージする能力がなかったということ。呆れ果ててものを言う気もしない。さて、現在の自衛隊諸氏はいかがか。コンピューターに頼るからいいか。
Apr 28, 2008
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猫のドライ・フードの買置きがなくなったので、いつもの店へ出かけた。帰りに隣の大型古書店により、なにか肩のこらないベッド・サイド・ストーリーはないものかと探した。みつけたのはただ1册、丸谷才一氏の『軽いつづら』(1993年、新潮社)。「夕刊フジ」連載の掌篇コラムをあつめたもの。和田誠氏の軽快な挿画入り。丸谷氏は人も知る洒脱なエッセーの名手である。この本ならまちがいはあるまい。といっても、出し惜しみするような価格ではない。例によって税込み105円也の完全美本である。 レジで支払いをすませ、ふと誰かに呼ばれたような気がしてあたりを見た。 誰もいない。「?」 しかし、やはり誰かが招いている。 私は語学辞書や事典がならんでいる棚にちかづいた。目に飛込んできたのは、厚さ5,6センチの『日本の神々 神社・神道のすべて』。 「あっ、これだ。私を招いたのは」 私は迷わずその分厚い本を取り、レジに持っていった。 「これもください」 するとレジを打っていた店長が言った。 「この本は、午前中はなかったんです。さきほど棚にならべたばかりです」 「そうでしたか。それは嬉しい」 「550円ちょうだいします」 『日本の神々 神社・神道のすべて』(1992年、大洋出版社・茨木市)。定価9,000円。函入り、布装、題字金箔押し。まるで使用された形跡がない。出版社の倉庫から直接やってきたかのようだ。 特定の執筆者はなく、全国の神社等の協力のもと、出版社が独自に編集している。国際日本文化研究センター教授・山折哲雄氏の序文「カミと翁を架橋するもの」を付す。 本に呼ばれていると感じることは珍しくない。しかしそれは棚の書題を目で追っているときが多い。あるいは何気なく歩いていると、古書店の店頭に探していた資料がヒョイと顔をのぞかせることがある。あるいは、やはり何気ない拍子に手にあたった本が、長いあいだ探していた本だったこともある。 しかし、帰ろうとするときに見てもいない書棚から招かれるというのは、私の経験のなかにあったかどうか・・・ というわけで、新たな本が私の書棚にやってきたのである。念のため書き添えておくが、私を呼んだのは「本」であって、「神」サンではない。なにしろ私個人は信仰とは無縁、それに関わる事象を文化のみならず政治経済に関わる問題として調べはするが、筋金入りの無神論者である。
Apr 27, 2008
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いま書き上げたばかりの『Dandelion(たんぽぽ)』です。これには日本語の元の詩はありません。下に訳を掲げておきます。御覧いただければ幸いです。Dandelion(たんぽぽ)Such a blue sky is spreadin' o'er meWith open my arms I'll go to meet theeDandelions are in bloom there and hereI picked and sowed the seeds last yearMurmurin' "Nothin' comes of nothin'"Many such golds are brightenin' up meLike the stars I kissed thee under thoseEmbracin' closely and fallin' on my kneesOh! I remember thee dyin' thy cheeks roseAlthough it's memory which passed awayIt's been long long time since thou left me But now I'm goin' to accept thy return with smileI aged, and probably, thou also grew oldLet's see dandelion's downy seeds dancin' in the windIt'll seem that dreams of our youth had scattered訳『たんぽぽ』青空が私のうえにひろがる両手をひろげて私はあなたを迎えようたんぽぽがあちらこちらに咲いている去年、私が種を採って蒔いたのだ「成さねばならぬ何事も」と呟きながらそのたくさんの金色が私を照らしている私がその下であなたにキスをした星のようにきつく抱き締めひざまづきながらおお! 薔薇色に頬を染めたあなたを思い出すそれは過ぎ去りし思い出だけどあなたが私から去って長い長い時がたったしかしいま私は微笑みであなたの帰りを迎えよう私は年老いた、きっとあなたも老いたことだろう一緒にたんぽぽの綿毛が風に舞うのをながめようそれは飛散った青春の夢のようだろう-----------------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 25, 2008
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花荒らしの報道を散見する。荒す者の心の荒(すさ)みが寒い。 花々は、春から初夏の花に移っている。 藤の薄紫が棚からこぼれおちるようだ。 山躑躅の群生が繚原の火のようだ。 山吹は日本固有の植物。その鮮やかな黄色は、還らぬ青春の思い出をやるせなさに染める。 石楠花の薄紅が遥か高き深山の院をしのばせる。 夕暮れに見る苺の花が魂のようだ。 萩の若葉がやわやわと煙っている。 今年、我家の小庭は、どこからか飛んで来たいろいろな種類の野草の小さな花であふれている。抜き取るのが惜しいのでそのままにし、むしろ園芸種を植えるのをひかえている。まるで雑草苑だが、私にはそれも楽しい。野原から採取して蒔いておいたタンポポがあちこちで花を咲かせた。だめかと思っていたのだが、近隣の野原のそれより遅い開花だった。このまま放っておけば、来年はもっと沢山のタンポポが咲くにちがいない。タンポポの綿毛が、夢が散るように風に飛ぶ。 咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 虚子
Apr 24, 2008
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『変身』冬の夜空に月は皓々電線がぴーんと光る自然が悲しみを神に訴えるしんしんと訴えるけれども忘られた人あらば春には僕と一緒にアイリスになろう花言葉は「信じる者の幸福」(花は好きなように変えてください。 薔薇、ライラック、桔梗、鈴蘭等。 それにより詩の意味が変わります。 たとえば都草なら報復となります。 読者の心を反映し変身する塗り絵 のような参加型の詩の試みです。)Metamorphosis(変身)The moon shines with winter sky palelyThe electric wires are gliittering tautlyNature complains of sadness to DeitiesWith the insistent beat of cold windsHowever if there are forgotten peopleLet's become irises together with meIn the spring; The flower language is"Good fortune of people to believe"(You may change the flower for rose, lilac, bellflower, lily and some others you like.)-------------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All rights Reserved.
Apr 24, 2008
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このところ奇妙な頭痛がするので、63歳のいままで病気らしい病気をしたことがなく極めて元気にやってきたが、いよいよドヒャッと一気に何事かがやって来たか、と思った。傷の痛みとか、うずくような痛みというのではない。右のこめかみ、ないしは頭頂部あたりが、なにかメリメリとヒビが入るような感じの痛み。しかも咳をして全身に力が入ったり、腰をかがめると起る。しかし就寝中に痛みはなく、眠りがさまたげられるようなことは全く無い。近頃すぐに眠くなり、夜更かしができなくなっていたが、無意識のうちに眠って楽になりたかったのかもしれない。 この頭痛と時を同じくして、敏感だった味覚に変化が感じられるようになった。自分の作る日々の料理がおいしくて、食べる幸福に満たされていたのに、ここに来てやや面倒くささを感じるのである。食事を流し込むように、まるで義務のように食べていると思えた。ヘンな言い方に聞こえるかもしれないが、これは日頃から自分自身の肉体や精神状態を、他人を観察するように客観的に見る習慣のせいである。 鏡に向って顔を見てみた。外見はなんの変化もない。口をあけてみた。やはり異常はない。 それから、口をとじて、「イーっ」とやってみた。 「ウ?」 なんだ、これは? 上の歯と下の歯との間が異様に開いている。つまり咬合がうまくいってないのである。右側の奥歯の上下の間が1cmも開いていた。 耳の横の上顎と下顎との蝶番のあたりを指でさぐってみたが、すくなくとも指先には異常が感じられなかった。 私は何か原因になりそうな出来事がなかったかどうか、しばらく思い返してみた。 そうして、思い当ったのが、家の裏の草取りをしたときのこと。うずくまって草を毟っていたのだが、立ち上がろうとしてどうかした拍子に、張り出した窓のあたりに右側頭部をしたたかに打ちつけたのだ。余念なくいきなり立ち上がったものだから、目もくらむような衝撃だった。 おそらくその衝撃により、頭骨の縫い目がずれたにちがいない。そう思った。 私はしばらく鏡を見ていたが、試しにと思って、両手で顎と頭をはさんで、咬合のずれを確認しながら関節を入れ直すようにグイッとひねった。 「?」 上の歯と下の歯とを噛み合わせてみた。すると、いままでとは異なる感覚がある。口を「イーっ」とやってみた。 なんと、咬み合わせが正しく治っているではないか! 1cmの隙間もなくなっている。そればかりか、あの奇妙な頭痛も消えたのだ。頭骨のずれが、うまいぐあいに元にもどったのであろう。 まさか脳腫瘍ではあるまいなという内心の思いは、解消してもよさそうだ。家人には内緒にしていたので、今後も口をつぐんでいれば、何事もなくおわってしまうだろう。 それにしても歯の咬み合わせが悪いと、味覚も鈍り、食事もおいしくなくなるのだなー。人間の身体感覚とは、さても微妙です。
Apr 23, 2008
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昨夜、ロマン・ポランスキー監督の『水の中のナイフ』を見た。私の好きな作品の1本なのだが、ビデオもDVDも所持していないので、およそ40年ぶりに再見したことになる。しかし、きのうの日記に書いたとおり、当時、こんな小説が書けたらと思っていたので、たぶん頭のなかで記憶を反芻していたのだろう、ほとんど一部始終を記憶していた。ただ、ヒッチハイカーの大学生がもうすこし少年っぽい顔だちと思っていたのだが、意外にトウがたった顔だった。この映画を見た当時の私の年齢と同じくらいの青年だったわけだ。 ところで今晩24時40分から、またポランスキーの初期作品『反撥』を放映する。これは思春期の少女(カトリーヌ・ドヌーヴ)が、姉とその恋人との性交渉の物音をいつもいつも耳にして、それに対する反撥と欲望とに精神を引裂かれつづけ、やがて自らの殺人をきっかけに精神分裂症(破瓜型)におかされてゆくという物語。 この映画について、私はこのブログのフリーページに掲載している論文『病める貝の真珠』のなかでわずかに触れている。「病める貝の真珠」という表現は、カール・ヤスパースの精神病理学論文からの借用なのだが、精神分裂病者の描く絵についてそのように言っているのである。 とはいえ、精神分裂病者がどのような世界を体験しているかは、一般にはとうてい理解できない。わたしたちが実感し確固とした存在感を得ている世界から、彼等は「超越」してゆき、いわば歪んだ世界で私たちには見えないものを見、聞こえないものを聞き、匂わないものを嗅ぎ、肉体的な痛みに耐えている・・・その彼等の「現実」を私たちは決して体験することはできないのである。 その点に関して、私は『病める貝の真珠』のなかで次のように書いた。 「精神分裂病者が自分自身と世界を如何に体験しているかを、一般人として私たちが理解するのは極めて困難である。それでも、ロマン・ポランスキーの映画『反撥』は、その映像の細部にわたって注意深く見つめるなら、分裂病の発症から荒廃にいたる病態についての通俗的ではあるが基礎的概念を得ることができるかもしれない。」 たとえば、主人公の少女が街を歩いている。すると通りの向こうで交通事故がおこっている。ひとびとが騒がしく駆けつけたりしているのである。だが、少女はまるでそれに気がついていないように平然と歩いてゆく。 ・・・じつは、平然とではないのだ。彼女と世界の現実との間には厚いガラスの壁があるかのように、なんの活き活きした交流もなくなっているのである。これを離人症という。分裂症のひとつの様態である。 映画ではこのようなシーンについて何等かの説明があるわけではないので、これが離人症の所見にかなうものであると気がつく観客は少ないにちがいない。 この映画のイメージは、このようにことごとく分裂病の病態を表わしている。その意味では大変特異な映画である。たしか日本で初公開された当時(もう45年くらい前になるが)、精神医学界で話題になり、ある医学部の教授は是非この映画を見ておくようにと学生に勧めた、と聞く。 主演のカトリーヌ・ドヌーヴはまだ少女の面影を残している。彼女がのちに『昼顔』に主演しているのを見ると、いまやフランス映画界の大御所としてのカトリーヌ・ドヌーヴの経歴から、美人女優だけではすまされないただならぬ気配がたちのぼってくる。 あと1時間後に始まります。お時間の許すかたは、是非ごらんになってみてください。
Apr 22, 2008
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『白い骨』の最初の草稿を書いたのは17歳。1,2年後に何度か書きあらためて現在残っているものになった。それを、昨日、英語にしてみた。『白い骨』独りでいたら微笑みかけたみつめていたら魂の匂いがした笑いかけたら手招きをするおいでおいでと夜の性器を開く中の指白い骨幻影と知りつつ身を投げ出して泣叫びながら暗黒の虚洞に俺は男根を起て白骨に撓められひきしぼられ世界の果てで精神を引裂いて脳漿を噴出するWhite Bone:(白い骨)If I am alone, it will smileIf I'm gazing, it will smell of the soulWhile I make smiling face,It will beckon me,Opening the sexual organOf a dark night by the middle finger.A white boneI know it, an illusion I throw myself before it,Screaming, standing erectTo a dark cave.And am crushed by the boneIn the end of the world、Spouting my brains, tearing my soul--------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 22, 2008
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夕食後、テレビを見ながら久しぶり私のスター越路吹雪さんの歌を堪能した。全12曲。亡くなって何年になる? 30年か? こうしてテレビで見ていると、日生劇場にロング・リサイタルを聞きに行ったころと少しも変っていない越路さんなので、30年の時間はたちまち消滅してしまう。「御元気でなによりです」と声をかけたいほどだ。今夜はもう彼女については何も語るまい。堪能、堪能。 さて、今夜はこのあと午前12時50分から、NHK・BS2でロマン・ポランスキーの『水の中のナイフ』を放映する。この映画がテレビに登場するのは珍しいのではないだろうか。私がこれを見たのは、21,2の頃で、いまは無い新宿の日活名画座でのこと。以来、私のお気に入りの1本になった。というより、『水の中のナイフ』のような小説が書けたらと思ったものだ。 近頃、夜更かしができなくなって、ただいま23時30分過ぎだが、もう目が渋くなってきた。しかし、せっかくの珍しい機会なので、ここは頑張って『水の中のナイフ』を見ることにしよう。なんだか子供みたいだが。
Apr 21, 2008
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きのうの日記で日本の食糧自給をめぐって書いたけれど、今日の朝日新聞の第1面のトップ記事が「食の自給 外国人頼み」だったので、そのマの良さというか符合に我が膝をたたいた。というより、その記事の内容がまた、私が小学校1年生のときに住んでいた長野県川上村のことだったので、一層驚いたのだ。川上村は高原レタス生産量日本一を誇っているが、過酷な労働のため日本人の働き手がなく、中国から農業研修生を受け入れて、いまや自給生産物さへ外国人に依存しているというのだ。このような日本人の労働忌避は、農業のみならず漁業においてもあり、インドネシアの若者たちによってかろうじて成り立っているという。 私たちは外国にすっかり首根っこをつかまえられているのか・・・! こりゃあ、私も年などとっていられないな、描かなければならないことが沢山ある。 朝刊をじっくり読みながら、ふとテレビに目をむけると、NHK・BS2が福島県の特集番組をやっていた。浜通り・中通り・会津と、三つの地区にわけて、会津は宍戸開氏による南会津探訪と会津若松市からの中継。 新聞を脇にどけて「どれどれ」とテレビを見た。正直に言って、番組はなんとも中途半端な出来、じっくり案を練って製作したものとは思えなかった。高校の演劇部の後輩・渋川君の店「渋川問屋」が登場したのが嬉しかったけれど。 渋川君は、私が演出した『カンテラ』に主演したが、いまや会津若松市七日町通り復興の立て役者として大活躍と聞いている。渋川君にインタヴューしてほしかったなー。顔がみたかった。
Apr 20, 2008
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きょうの詩、『The Soul Roams at Midnight』(霊魂、真夜中の漂泊)。この作品も17歳のときに最初の草稿を書き、18,9のときに書き直したもの。英語にするにはやっかいだなと思いながら、こうして書きあげてみた。不満を残しながら、元の日本語の詩とあわせての掲載。漂泊淋しい心で魂魄となり午前零時の窓を出ればそとは雪颪街は瞑目し死相表われ大地氷結し遠々に哭く仏神よ聞け地球が哭いているのだぞ環境の一切が凛冽としてせつない感動をよぶから俺は泣きながら焦がれて死んだ街から街を漂おう帰る当なく蹌踉とすれば宇宙の瞳の慈愛も凍てる仏神よ地球を去るがいい淋しい心で魂魄となりほとほととほとほとと尸柩を尋ね大路を駆け小路に蹲る闇だまりに雪霏霏たりついに悔恨の裸体を焚くThe Soul Roams at Midnight(霊魂、真夜中の漂泊)by Tadami YamadaI become the soulBy the lonly heartCome out of the window At twelve midnight.It is snowy storm.The town closes its eyes Shadow of death appears.The ground is frozen over And howl.Deities! Hear it!The earth is crying.Since all environment Cold and painful impression,I have a longing, crying And drift the dead towns.There is no reliance to which I return. When I roam about, The pupil of the affection Of the universe also freezDeities! Leave the earth!.I become the soul By the lonely heartQuietly knock at the door Of the dead's house Run through a main street Crouche down to an alley.It snows briskly in darkness.The naked body of regret Is burned at last.--------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 20, 2008
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さきほどまで黒澤明『用心棒』を見ていた(NHK・BS2、PM21~22:40)。ビデオをふくめてもう何度もみているのだが、何度見てもおもしろい。今夜は声を出して笑いながら見た。笑いながら見たのは初めてのような気がする。 この映画については今さら語る必要もないだろう。オープン・セットのすばらしさ、出演俳優がことごとくすばらしいこと。宮川一夫の撮影のすばらしいこと、音楽のいいこと。お題目だけならべておこう。 1961年5月に封切公開されたようだが、私は例によって会津若松で封切で見ている。高校に入学してまだ1ヶ月ほどしか経っていない頃だから、私は父の会社の子弟のための学生寮にいた。まもなく退寮してアパートで自炊生活をはじめるので、『用心棒』は学生寮住まいで見た最後の映画になる。 私は映画を見て帰寮してから、先輩のAさんとUさんを前に全篇を語って聞かせた。二人は「目に見えるようだ」と喝采してくれた。酒蔵で仕込みの大樽から酒が噴出して徳右衛門と丑寅一家どもがてんやわんやの騒ぎになるシーンは、自分ながらうまく語れたと思ったものだ。 まあ、そんな思い出があるのだが、それから4年くらい経って、私が大学生になって東京暮らしをはじめて間もなくの頃ではなかっただろうか。当時、新宿中央口の前に「聚楽」というレストラン喫茶店があった。ちょうどその店の前を往来する雑踏のなかに、『用心棒』に出演していた力士・大内山さんの姿をみとめたのである。 大内山といっても若い方は知らないかもしれない。プロレスの馬場さんのような感じの「巨人」力士で、おそらく2メートルを優に越す背丈だったと思うが、その特異な風貌とともに人気があったのである。『用心棒』のなかで大内山さんは、バクチ打ち丑寅の子分を演じていた。まさかその人と新宿ですれちがうとは思いもしなかった。雑踏の頭の上に、ひときわ抜きん出てノッシノッシとやって来たのだからタマゲテしまった。「ウヘ~、丑寅の子分だ~!」と。 そんなことがあったものだから、今夜は別な懐かしさもおぼえながらの『用心棒』だったのである。
Apr 19, 2008
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昨日の日記は「春嵐」という言葉で書きはじめた。春のいわゆる二字熟語は、「春風」「春泥」「春雷」「春光」「春暁」「春愁」「春眠」などあり、「春闘」という言葉とともにこれらはコンピューターのワード・プロセッサーでもそのまま出て来る。ちなみに「春嵐」は出てこない。出てこない言葉はほかに「春燈」「春昼」「春暮」などがある。それぞれ、春の暖かい灯り、春の明るいのんびりした昼間、そして春の夕暮れのことである。 日本にはその習慣はないけれど、中華街で見受ける正月祝賀の門飾りは「春聯(しゅんれん)」という。中国語としての発音はチューン・リアン(chun lian)。赤い紙におめでたい文言が書かれている。「長楽萬年」とか「春来喜気迎」とかである。 で、ひとつ思い出した言葉がある。ためしに広辞苑を引いてみると、収録されていない。そして、なるほどなぁ、となんだか不安定な納得をした。「春窮(しゅんきゅう)」という言葉である。 中国ないし韓国・朝鮮からの言葉らしい。その意味は、「4月から5月にかけて小麦収穫前の食糧が乏しい時期のこと」である。 この言葉が、現在、国語辞典に収録されていないということは、死語になったのであろう。農業技術が発達し、四季を問わず食糧が生産されるようになり、さらに経済のグローバル化・貿易の自由化によって海外生産物も豊富に入って来る。日本で飽食の時代といわれるようになって久しい。テレビはのべつまくなく食事に関する番組をおもしろおかしく放映し、あまつさえ高級食材といわれる物をふんだんに使って到底食べられぬようなものを作って廃棄して遊ぶ。「春窮」などという言葉に思い至るはずもない。 だが、私たちはほんとうに窮乏からほど遠いところに暮らしているのだろうか。 最近、小麦製品がつぎつぎに値上がりしている。私は、趣味ではなく、自分の身は自分で育み守るという信念から、日常的に自分で料理をする。だから食料品の価格についてはおおむね知っている。パンの値上がり等、報道されていることは針小棒大なことでもなく、地域限定の事実でもない。牛乳の生産が減少するとバターが売場から消え、天候不順はたちまち野菜の価格に跳ね返る。自分達の食べるものを他国に依存している日本は、あちらの国が風邪をひけば風邪をひき、こちらの国がクシャミをすればクシャミをする。生命の根幹を他国に握られているわけである。 このところさすがに安閑としていられなくなり、相変わらず食い物のバカ番組を放送する一方で食糧自給問題を特集する番組も見受けられる。 随分以前、私もこのブログで、日本の食糧自給率がいわゆる先進国のなかで最下位、それもほとんど崖っぷち状態であることに触れた。一般的資料ではフランスが130%、アメリカ合衆国が120%で、この2国の食糧政策は他を抜きん出ている。今日の世界貿易状況下では、自給率50%であれば不安はないといわれる。ドイツは91%、イギリス71%、韓国が50%。そして日本は40%。 しかし日本の40%は現実を反映していないという見方もあるようで、実際は30%台ないしは28%。あるいはそれ以下という数字を示す意見もある。飽食と飢餓が背中合わせになっているのが日本の実際の姿だといえるかもしれない。 農林水産省は食糧自給問題をおろそかにしているわけではなく、むしろ真剣に取り組んでいるのであるが、この問題をさしたる重要問題ではないと一蹴する意見もないではない。問題は石油であって、たとえ戦争になっても、食糧はどうにかなるが石油はそうはゆかない、というのである。石油が問題なのはまったくそのとおり。だが、食糧がどうにかなるというのは、むしろ事の全体が見えていない証拠だろう。 今日、ガソリン価格が高騰しているが、これが食品その他の価格高騰に結びついているのは言うまでもない。生活必需品のあらゆるところに石油が使われており、ガソリン価格は物流経費に直結し、季節知らずのハウス栽培の燃料費に跳ね返る。日本人にとって食糧と石油はまったく切り離せないのだ。 「たとえ戦争になっても、食糧はどうにかなるが石油はそうはゆかない」という考えは、じつはかつて日本が大平洋戦争に突入していったときのその潜在意識にあったことである。いや、直接の動機といってよいだろう。昭和天皇語録を読むと、「石油はどうなる」と繰り返し述べている。 戦争へと進み入ったのみならず、軍司令部の愚かさは、兵隊の食糧を海外現地調達にまかせたことだ。現地調達できなかった場合のことなどまったく念頭になっかったかのようだ。とくに南方派遣軍は、ジャングルには豊富な食べ物が生っているなどと冒険小説のような幻想のもとに送りだされたという話さへ伝わっている。この幼稚さが、あの悲惨な兵達の大量死を招いた。敵に殺されたのではなく、自分達の愚かな司令部に殺されたのだ。あまりに悲しくて、笑いがこみあげてくる。 もしも戦争になったら・・・、ハハハハ、食糧自給率40%の国が、何を寝言を言っている。日本は自分達をまきこむ戦争のセの字も口にしてはならないのだ。それは夢物語ではなく、それこそが現実的な私たちの姿。・・・外交技術を磨かなければ。 というわけで、国語辞典から消えてしまった「春窮」という言葉だが、飽食の底には巨大ナマズのごとく横たわっているのである。
Apr 19, 2008
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「春嵐」という言葉がある。我家のあたりは嵐とまでは言えないものの、強い雨が降りつづき、気温も下がった。花期をおわりかけていた八重咲きの白桃がすっかり落花し、石畳のうえは雪のようになった。あちらこちらに群生するように咲いている桜草も、雨の強さにうちひしがれたように倒れてしまった。しかし植物は、先日の雨でもそうであったが、天気が回復し温かい陽がさすと、みごとに身をすっくと起す。倒れたからといって、なんの心配することもない。 倒れたといえば、夕刊に、やはり今日の春の嵐で千葉県市原市の造船所の大型クレーンが倒れたと出ていた。軽傷者が一人あったようだ。 じつは先月始めのこと、私自身が、クレーン車が横転した直後の現場を自転車で通りかかった。さるファミリー・レストランが廃業し、その建物の取り壊し着手の日であったようだ。街路脇に電柱より高くかかげていた大看板を撤去していたクレーン車が、どうしたわけかそのまま完全に横倒しになってしまったのである。私は、もう数分早ければ・・・。 いやはや胆を冷やすとはこの事。のちに聞いたところによれば怪我人が救急車で運ばれたとか。帰りに再び現場を通った時は、反対側の歩道が人の山であった。私は、ヤジ馬根性に欠けているので、人々の背後を自転車で縫うように通り抜けたのだったが・・・。 このような大型クレーン車は、もちろん精密な構造設計がなされているのではあるが、しかし私は見かけるたびに、転倒するか、しないか、バランスの微妙な限界があるに違い無いと、あれこれ力学的な想像をしてきた。高層建築の屋上にはあらかじめクレーンが設置されていてまるで工事半ばのような景観をつくっていることは、もうあまりにも日常的な光景なので気にとめる人もないかもしれない。しかし、・・・と私は空想してしまうのだ。その空想が、空想でない現場に偶然ながら私自身が遭遇してしまったのである。 春の嵐。言葉は美しくひびく。が、市原市の事故のようなことに遭遇すると、風流がってばかりもいられない。
Apr 18, 2008
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先日の朝日新聞に大江健三郎氏が、老年になって詩を書くようになった、と書いておられた。私自身が現在、毎日のように英語で詩を書いているので、いささかならぬ親しみをもって「ホーッ!」と思った。大江氏は、書き溜めた詩をゆくゆくは私家版の詩集に編んで、親しい友人に形見のように贈りたいという。私はそこまでは考えていず、また、私の詩集などもらってくれる人もないだろうから、目下のところは、次第に老化しているであろう脳をすこしでも活性化しようと、普段使わない神経回路(つまり英語の)を使うことで無駄な抵抗をこころみているわけである。 さいわい外国人の方々も読んでくれて、自分で言うのもナンダが、人気がある詩もあるのである。また、わざわざメッセージを寄せてくれる人もいる。これは予想外のことだった。嬉しいかぎりだ。なによりも、私のヘタクソな英語の詩が、ネイティヴ・イングリッシュに伝わっている(いるらしい)ことが、嬉しい。調子にのってしまうわけである。ものを創作するときは、調子にのることも必要なので、誰に迷惑をかけるのでもないから大いに調子にのっている。 さて、そうなると昔昔に書いた詩も英語にしてみたくなる。先日、18歳のときに書いた『闇』を英語にしたが、きょうもまた18,9のときにつくった『夜の河へ』を英訳してみた。意味を訳すというのではなく、やはり英語の詩を書くのが目的なので、日本語の詩のニュアンスとは少し異なる。というより、この『夜の河へ』は私には英訳がむずかしかったと告白します。日本語で書いた気分を知っているだけに、言葉の感覚が英語に再現しにくかったのです。2時間も格闘してしまいました。ごらんください。------------------------------------------夜の河へ高いビルディングの凍った翳りがのっと落ちて来て、ぼくをつつみ街路の足音がゆらり揺れる耳鳴り。疲れた人々よ 夜の河へとぼくを連れて流れよ。天を斬る高いビルディングのひとつの稜をながめ重い死の映像をふと胸に映しまた風の荒びを聞く。歩め 歩め 濡れ犬のように歩め 歩め 濡れ犬のように青春のかぎりなき腐敗荒涼とした思想錯乱の日々脱落する姿勢言葉は鬱々として黙し眠るように夜の河へ。路地から路地を流れながらありふれた会話をする人々に苦悩の恋をする。ぼくは探しているものが分らない。歩め 歩め 濡れ犬のように歩め 歩め 濡れ犬のようにTo the Night River; Youthful Melancholy(夜の河へ;青春の憂鬱)by Tadami YamadaThe frozen shadow Of the lofty buildingFalls suddenly,And wraps me.Street's footstepsShake like tinnitusTired people, take meToward the night riverI image of death on my breast,Looking at the building Which cuts heavens.And I here sound of fierce wind.Walk, walk like a rainy dogWalk, walk like a rainy dogYouthful limitless corruption.Desolated days Of thoughts wandering.Unmindful posture.Word is reticent melancholy.To sleep I flow and go Toward the night riverFlowing from one lane to another I long in agony forPeple converse on trite storiesI don't know what I'm looking forWalk, walk like a rainy dogWalk, walk like a rainy dog---------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 17, 2008
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春なのに「冬の歌」を書きました。できてしまったのだから仕方がないですね、季節はずれの詩をどうぞ。Song of Winter(冬の歌)Cold wind! the wind is cryingLook! a bird have wings tornAlas! the bird is dyingThen winter has comeIt snows my mind numb There's a withered treeThe shrike executed catchThe wind executes the shrikeThe shrike is pierced in a branchI trudge along my mind the roundsAlthough there's the tree behind meMy shadow crawls on snowy ground,Extends long long stripe, Covers the withered tree completely, And hides the body of a shrike.Oh, winter! it's in a shadowOh, winter! it's very frozen Oh, winter! it's for a long while The wind blew, winter has comeThe wind blew, winter has comeMy mind crew, inner has been numb---------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 16, 2008
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東京は明日からまた雨が降りそうなので、その前に例によって運動をかねたサイクリングに出る。 と、ある丘のふもとにさしかかると、遠目ながら林のなかに怪しい人影。何か動くものがあると、咄嗟にそれへ目がゆくのは、子供か動物の習性だが、私もどうやらその部類らしい。左前方、小暗い薮陰に動くのは、壮年の男。小腰をかがめて、あたり一帯をうろついているのである。 「ムム?」 私は自転車の速度をゆるめる。ゆるめながら、男の様子を観察した。こんなところで落とし物でもあるまい。・・・私はその男のふるまいに似た行動を、自分の記憶のなかであれこれ照らし合わせてみる。植物採集・・・昆虫採集・・・茸狩り・・・栗拾い・・・ワラビ採り・・・。 「アッ!」 私は注視していた男から目を離した。そして林そのものに注意を向けた。 「なーんだ、そうだったのか!」 潅木の背後に鬱蒼とした竹林があった。 男は筍掘りをしていたのだ。そうに間違いない。筍だ、筍だ。 私はひとりで笑いながら再び自転車のスピードをあげた。 筍といえば先日は買い忘れたけれど、きのうの夕食は私の好きな筍御飯に若筍煮、そして初鰹の刺身とワサビ菜の天麩羅、浅蜊の味噌汁。筍と初鰹は我家にとっては今年の初物。初物を食べながら東を向いて笑う習慣は我家にはないが、おいしく食べて満足したのだった。いつもは御飯は一膳と決めているのに、おかわりをしてしまった。
Apr 16, 2008
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闇今日もまた夜らが俺を抱きにくるその指にとらえられて曖昧になる俺の具体性熱い吐息は闇にまみれ夜が動いて俺はうめく夜はとじる俺の出口を泡立つ秘鑰星は輝きを失わぬにしても俺にはそれを見る力もない目はとじぬむしろ開き血を流して俺はうめく胸をおさえなにもない言葉がない四肢を折りたたみ赤ん坊のように夜の重量にたえて生れ出る悩みを悩むでなく震える舌に闇の雫受け俺はもはや抵抗しない Darknes (闇)by Tadami YamadaToday alsoNight comesTo embrace me.Since to be gripped by the finger,My concreteness becomes ambiguous.Hot breaths are Smeared with shadow.Night movesAnd I groanMy exitNight closes.The bubbling secret key.Although stars do not lose brightness,I don't have even the power of them.But I don't close my eyesRather, I do open them.Shedding bloodAnd I groanMy breastThere is nothingThere is no languageI'm folding about the limbs like a baby,While bearing the weight of night.But I don't worryAbout pain of birth.Receive a drop of nightIn the quivering tongue,I don't resistany longer--------------------------------------- この『闇』という詩は、私が18歳のときに書いたものです。字面を幾何学的に整然とつくってあるところが、幾何学嗜好の私としては、いまだに気に入っています。そこで、今日、これを英語詩に書いてみました。英語の語調をととのえるために必ずしも翻訳ではないのですが、おおむね日本語の詩のとおりです。さすがに幾何学的な整然とした字面をつくることはできませんでした。力不足です。 なお、日本語のほうで「夜らが俺を」と書いています。随分以前、この詩を読んだある高校生が、この「夜ら」という言葉の使い方が疑問だといってきました。じつは、間違っているわけではなく、現代では使われないとても古い日本語なのです。万葉集にその例があります。また、高校生が使うような古語辞典にも、「夜ら」として出ています。意味は「夜」という以外ではありません。私がこの詩を書いたとき、たぶん文字数をあわせるためにこの古語を使ったのだと記憶してます。 Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights reserved.
Apr 14, 2008
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Her Sea(彼女の海)by Tadami Yamada When I look into blue eye of the girlThe innerside is the real sea, I believeHer lips trembles, it's sound of wavesDividing her lips with my third finger,I look for brilliant snow-white pearlShells glittering, bite softly my finger The girl is already shedding tears overThat's ok, we used to weep for the lover,For the truth laying in the deep of sea.We think we've been in solitary before,Wish great magnanimousness melting us.Now let me swim naked in the shining seaWhen the girl cries, I also cryWe kiss each other tasting eternityI find out the real sea in her eye A Rainy Day (雨の日)by Tadami YamadaListening rainy sound,My lonly heart bound.Hasty rain drops dance,On the cast-iron fence.Cheshire cat's gazing at it,Giving milk to a kit.Tea pot is hissingAll this while.......She doesn't callingListening rainy sound,I feel a pain all at onceI know her in sixth senseMy lonly heart bound----------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 13, 2008
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Night Bird; Omen(夜の鳥:前兆)by Tadami YamadaA night bird had uttered ill omened cry before;This midnight, the wind and the snow blowing,I again hear the bird crying, it's like splitting.Every thing to be rest, I feel like praying for.かつて不吉に鳴いていた夜の鳥雪まじりの風がふく今夜また 私はその引き裂くような叫びを聞く何事もなければよいが私は祈りたい気持ですCopyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.-------------------------------------------------『Night Bird: Omen』について; 04年1月、イラクへの自衛隊派遣反対を呼びかけるビラを防衛庁舎で配布して住居侵入容疑で逮捕され、そのまま75日間も警察留置場に勾留された3人に対して、最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は、11日、集合住宅でのビラ配りに対して住居侵入罪に問うことは憲法が保障する「表現の自由」に反しないという初めての判断を下し上告を棄却した。これによって東京高裁が下した有罪が確定した。 私は、この最高裁の判決は軽率な判決と考える。この初めての判断が、以後、判例として日本社会の自由を拘束してゆくからである。
Apr 12, 2008
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Discretion of Dream(夢の分別)by Tadami YamadaA starvelling baby on my top is kicking my head:Slapping his buttocks, "No more of that!",I should ought to scold severely so, orI should ought to resign my mind thatThere is no altenative as he is a baby.I'm thinking chewing a bone of salted salmon;Salty juice full my mouth, Soak into my mind and body.I think till when, feeling like to cry cry crySuddenly, The starvelling baby becomes myself in my dream私の頭上にいて飢えた赤ん坊が私の頭を蹴っている尻を叩いて「よせ」と叱ってやろうか赤ん坊のことだから仕方がないとこのまま甘んじていようか、と私は塩鮭の骨をしゃぶりながら考えている塩の汁が口をみたし、私の心とからだに染み込んで泣きたい泣きたい泣きたい気持でいつまでも考えると、とつぜん飢えた赤ん坊は夢のなかで私自身になる-------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 12, 2008
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ようやく雨があがったので、ひさしぶりに買い物がてら自転車に乗って外出。ここ数日の間に附近の花々の種類がガラリと変ってしまった。東京の桜はもう終りだ。桃があちらこちらで鮮やかに咲いている。桃の節句は3月3日だが、あの頃は地植の桃は固い蕾だった。つまり旧暦の桃の節句は、現代の4月にはいってしまうわけである。 我家の桃は純白なので、「あの横に並ぶようにピンクの桃がほしい」と、今朝、母が言った。ずっと寝付いていたのだが、身体の調子が良かったのか、早朝ひとりで庭の白桃を見てきたのだそうだ。 「もう樹木は無理。グミも大きくなりすぎ、お隣のほうへ伸びていたので、枝打ちしたほどだから」と私はダメ出ししておいた。枝打ちしたためか、今年は花のつきが良い。夏には大きな赤い実をたくさんつけるにちがいない。 ハナミズキも終った。木蓮がおおぶりの花をこれみよがしに咲かせている。タンポポがいちめんに咲いている。昨年、そのあたりから種を採取して家にもちかえり、てきとうに蒔いてみた。葉は出ているが、花は咲かない。なにか原因があるのだろうか。 きのうの寒さとはうってかわって、初夏を感じる。薄着にしたのに汗ばんでくる。園芸店をながめてから、これも久しぶりに大型古書店に寄る。めぼしい本はないな、と思ったら、高橋克彦氏の浮世絵殺人事件三部作の最終作『広重殺人事件』の初版の美本をみつけた。しかも100円である。この『広重殺人事件』は19年前に講談社創業80周年記念推理特別書下ろしシリーズの一冊として刊行された。私はこのシリーズの泡坂妻夫氏の『毒薬の輪舞』の装画をてがけている。そしてこれを、チェコスロヴァキア(当時はまだ分離前だったので)のブルノで2年毎に開催される国際グラフィック.ビエンナーレ展に出品した。あれからもう19年も経つのか・・・と、妙な感慨にふけりながら『広重殺人事件』を購入した。ついで、DVDコーナーで西部劇の名作、アンソニー・マン監督『ウィンチェスター銃’73』を見つける。ジェームズ・スチュアートを西部劇スターとしての新たな一面を開花させた記念すべき作品。これも購入。週末はこれを見ることにしよう。 あっ、この日記を書いていて思い出した。八百屋で初筍がでていたので帰りに買おうと思いながら、すっかり忘れていた! 焼き筍とか若筍煮とか、大好きな筍御飯とか、頭のなかで妄想たくましくしていたのに・・・。 ウフフ、これを何と言うかおわかりですかな? そのとおり! 妄想ダケ(孟宗竹)です。チャンチャン!
Apr 11, 2008
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長々と降りつづく雨ですねー。なんでしょうねー、四月ももうすぐ半ばになるのに、寒さを感じます。皆さーん、御元気ですかー。この春雨じゃ濡れる気にもならず、わたしは家にとじこもりきりです。 不精さやかき起されし春の雨 芭蕉
Apr 10, 2008
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The Unreasonable Progressive Form(頑是ない進行形)by Tadami YamadaYou disclose me a lot of your secretBut don't make the deepest clean breast,Like a gravedigger burying the dead,With false tears in looking much sadI think these are my daysBut don't rather think so,Like the old one pretending to sigh so,When to look back one's young daysSufferings are mine but are got up by meAnxiety and rest usually join each handsDespair and hope get confuse my mindThese're our problems which absorb meWe don't take the rough with the smoothAs if ornate recollections miss the truthTangles exclude the goodnessLife becomes deep darknessIs genius nimbler than insanity to come?Does the death come more quickly than life?Love and hate, like clockwork, tic away time.You and I, like mice, run down maze of life.LIfe is clumsy clumsy tumbling cormIt may rot in somewhereIt may bloom some day somewhereWorld is unreasonable progressive formThereforeHigh-minded would need degenerationThereforeDegeneration would need high-minded--------------------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 10, 2008
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きのう「なげきの雨」(The Rain of Grief)を書いて掲載したが、きょうの東京は朝から強い風まじりの雨である。二階にある仕事場の窓に、叩き付けるように降っている。5匹の猫たちは、外遊びを諦めて、家のなかでそれぞれの好きな場所でまるくなって眠っている。咲き出した庭の花たちにとっては、慈雨なのかどうか。椿が石畳のうえに二つ三つと花を落していた。 一昨日、『画家年鑑』が刊行された。日本の現代画家の作品のおおよその価格が出ている。10号(53.0×45.5cm)をひとつの目安として、1号(22.0×16.0cm)当りの評価額である。 さて、私の作品の評価額は? ハハハ、ご興味のあるかたは朝日アーティスト出版刊『画家年鑑』をごらんください。今月末くらいにはインターネット版が開設されるそうです。 『画家年鑑』The Painting Artists in Japan 2008: 定価 4.800円(税込) 朝日ア-ティスト出版: 〒164-0013 東京都中野区弥生町5-23-7-407 電話03(5328)6527 / Fax03(5328)6528
Apr 8, 2008
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きょうの詩。 The Rain of Griefby Tadami YamadaBelated rainy season has set in.Crimson roses are in the rain.The petals are falling now and then.The rural blue perspective so deepen.Being exposed to the rain,A travelar thinks of his home,Where he is absent from.Holding sadness in his breast,Does his travel continues forever?The rain shades the distant forest.Was it dyed such a grief color ever?The travelar is standing.He must be dreaming,In this dimly light of the rain.I blow a ground cherry quietly,Seeing the travelar to disappear in rain. He turns his pale face ahead firmly.Belated rainy season has set in.-----------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 7, 2008
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Apr 7, 2008
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Apr 7, 2008
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きょうの詩。To The Home Countryby Tadami YamadaThat was a hot summer dayA road white brilliantly far away,Yet my home country were weeping'Cause you returned home in dyingYou were sleeping under the new tombI was among tombs in the graveyard,Seeing an ant climing up a message card.Flowers were trembling in heat wavesThe sky suddenly broke down over wivesLet make the dead to have lasting sleepI wonder if you did sing the old song "That mountain where I drove off the rabbit,That river where I fished the crucian carp"Long ago, although we left from the habit.I'll now sing the nostalgic song with a harp The dreams gone gone away with you.Youth left, but only sorrow remainsI grew old, ha ha, very old; missed you.My tear had withered, nothing remains.The wind is blowing on the home country.***************************************Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 6, 2008
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裏山でカッコウが鳴いている。 あたたかい日射しのなかで我家の白桃が満開になった。そして朱色あざやかな木瓜(ぼけ)、椿、小手鞠、富貴草、桜草、グミ、それらが今を盛りと咲いている。屋内にはシクラメンも。 昨年はわずか二株だった桜草が、ひとりでに種をばらまいて、今年はあちらの鉢こちらの鉢にあふれている。鉢を日当りの良い場所に移すと、いままでの跡の地面にも一直線に並んで咲いている。鉢からこぼれた種の株である。まるで手植えのような几帳面さで、まっすぐ一列にならんでいるのがおかしい。 柿の木の根方にカスミソウの種を蒔いたのだが、どうやら消えてしまったようだ。土に馴染むもの、馴染まぬもの、強いもの弱いもの、・・・せっせと手をかけるわけでもなく放りぱなしなので、植物本来の性質がそのまま我家の庭ともいえぬ庭の姿となって表われている。 残念なのは二種類の蔓薔薇。毎年四月半ば頃から十一月までの間、何百何千という美しい花を咲かせてくれていたのだが、町のゴミ減量作戦にのっとってナマゴミを土中に埋めたところカビが発生し、敏感で気難しい薔薇は全滅してしまった。枝のなかから3本を選んで挿し木してみた。2本はやはり死んでしまい、しかし1本が冬を越して、いま弱弱しいながら葉を出している。2,3年後には再び満朶の花を咲かせてくれることを期待しているのである。----------------------------------------- きょうの詩。WomanA woman took a seatBy me in a local trainFaint flowery sweetImagination on the brainLovelu lovely small hands;Hesitation in looking each otherO! my fresh desireDoveA dove came from somewhereShitted on the somber spireThe TimeSolitary great sculptorGodlike egoistWho did install itsUnbreakable cardiorespirator?-----------------------------------------------Copyright Tadami Yamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 5, 2008
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きょうの詩。各国語の「いのち」という言葉で、「命」の鎖を編んでみた。漢字の「命」の形になるように。(文字入力後にアップすると、表画面でデザインが崩れてしまいます。既成システムを意識的に統御してみようという試みなのですが、何度手直ししてもどこかに崩れが出てきます。今日のところは、この程度で失礼します。) Chain of Lif (命の鎖) by Tadami Yamada Oh! language! Give me the word "life". I'll knit a chain in the word Of the word of each country. LIFE ZOE VIE INOCHI MING LEBEL VITA VIDA L I F E LIFE L I F E LIFE LIFE L I F E L I F E LIFE LIFE L I F E Z O E Z OEZO E Z O E ZOEZ OEZO E Z O E Z O E Z OEZO EZOE Z O E Z O E V I E V IEVI E V I E VIEV IEVI E V I E V I E V IEVI EVIE V I E V I E I N O C HIIN O C H I INOC HIIN O C H I I N O C HIIN OCHI I N O C H I M I N G MING M I N G MING MING M I N G M I N G MING MING M I N G L E V E LLEB E L L E BELL EBEL L E B E L L E B ELLE BELL E B E L V I T A VITA V I T A VITA VITA V I T A V I T A VITA VITA V I T A V I D A VIDA V I D A VIDA VIDA V I D A V I D A VIDA VIDA V I D A Oh! language! The form of the "life" of a Chinese character Was made in the word "life".
Apr 4, 2008
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きのう2日、児童文学者の石井桃子氏が101歳でお亡くなりなったそうだ。『クマのプーさん』や『ピーターラビット』の翻訳者である。お亡くなりになる直前まで仕事は現役をつらぬかれたようだ。 私は、童話には無縁な子供だった。児童文学はケストナーの『飛ぶ教室』とか、ゴーゴリーの『隊長ブーリバ』、あるいは大デュマの『三銃士』や『モンテクリスト伯』、そして『鉄仮面』『ニルスの不思議な旅』『鼻の小人』等々、思い出すと懐かしいものをたくさん読んだ。しかしそれも小学生で卒業。中学生のときにスタンダール『赤と黒』を読んで衝撃を受けた。以後数年は世界古典文学路線を読破してゆくことになった。 そんなわけだから、出会いの年齢の間がわるく石井桃子氏の作品はひとつも読んでいないのだが、そのお名前は深く記憶にきざまれている。映画『ノンちゃん雲にのる』の原作者としてである。 1955年の映画で、監督・倉田文人、撮影・小原譲治、出演・鰐淵晴子、藤田進、原節子、徳川夢声、大泉晃。少女が木登りをしていて枝が折れ、池に墜落する。死線をさまよい息を吹き返すまでの間の、いわば夢の物語である。 主演の鰐淵晴子さんはこのとき10歳で、すでに天才ヴァイオリン奏者として名を馳せていた。じつは私も同じ10歳だったので、スクリーンの彼女をみつめる私の目はおそらく違っていたであろう。映画のストーリーには何の感動もしなかった。ファンタジーは私の子供心を動かさない。私はこの頃すでに数年間も昆虫や植物等の自然観察に明け暮れる日常だったので、科学的論理性が構築されつつあったのであろう、ファンタジーは用無しだったのである。それでは、なぜこの映画を53年後の現在でも記憶しているかというと、映画のなかでノンちゃんを演じる鰐淵さんが、ヴァイオリンを演奏した。その素晴らしい演奏に私は圧倒されてしまったのだ。母が購読していた婦人雑誌(『主婦の友』)で、天才ヴァイオリニストと書かれていたことは、事実なのだ、と。私はこの映画のひとつのシーンによって、何か、とても多くのことを触発されたのにちがいない。 この映画を観たのは、製作されてから1年ほど経っていたと思うが、創立されたばかりの八総鉱山小学校の講堂兼体育館兼映画館においてである。土曜の夜の映画会ではなく、学校としての映画教室だったのではなかったか。というのも、私はステージに向って左端の列の中ほどに、畳茣座にすわっていたからだ。その様子が、いま、目の奥によみがえっている。 原作者・石井桃子氏のお名前はこうして私の脳裡にきざみつけられた。ご自宅を児童図書館として開放されたということも聞いた。もちろん児童文学関係の書物をひらくと必ず登場するお名前だから、そのたびに記憶はあらたになっていったであろう。 生涯現役の101歳。石井桃子氏の御冥福をお祈りする。 最近、自死もひとつの生き方だといって亡くなった「哲学者」がいるそうだ。そうかもしれないが、私の心は動かされない。自らの死に方は考えておいたほうが良いとは思っているが、それは自死するためではない。私のような中途半端では、早く死んでもなんにもならないのだ。みっともなかろうとも、のたうちながら、這いずりながら、ぼろきれのようになっても生きることにしがみついた方が良いのだ。100歳を過ぎても描きつづけた福田平八郎氏、小倉遊亀氏、片岡珠子氏、彫刻の平櫛田中氏。そして秋野不矩氏も御長命であった。私はこのような方々にこそ深く心を動かされる。
Apr 3, 2008
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先日サヴァン症候群について少し触れた。CNN・TVが今月にはいって自閉症についての認識を高めようというキャンペーン(Autism Awareness)をはじめた。CNN.com/Impactにアクセスすると自閉症に関する情報が得られる。 ひとつの例として、私も(奇才のサヴァン)の例として述べたが、映画『レイン・マン』をとりあげている。自閉症の人達のなかで特殊な能力を発揮するのは10%ほどだそうだが、CNNによると、奇才の理由はまだ解明されていない。ある人が自閉症の子供を海につれていったところ、海を見ながら心をひらいているように思えた。そこでサーフィンの訓練をしたところ大変良い結果が出てきた。現在、自閉症の人たちにサーフィンをさせる試みがおこなわれているのだという。海が、彼等の心になにか大きな影響をおよぼすらしいのである。 たしか、イルカにもそのような癒しの能力があると聞いた。フロリダにイルカとふれあう、実践的研究施設があるとか。 イルカはことのほか頭のよい動物らしい。人間の心を敏感にキャッチし、自閉症児の悪意のないというか純真というか、深層に眠る汚れない天使のような心に、強くはたらきかけてくる。私はかつてその施設の様子を撮影した映像を見たことがあるが、イルカはそれらの子供達をまるで保護するように、一緒に遊ぼうと呼び掛けるように、子供達の周囲を泳ぐのだった。 万事を男女にわけて考えるフランス語では海はラ・メール(la mer)、女性名詞である。ほとんどの民族文化が海を女性として考えている。地に大地母神あり海また母性的存在、この世は女でできているウララウララであるが、精神分析学でも海は女性の象徴だ。 貝を耳にあてて海の音を聞いたのはジャン・コクトー。胎内で羊水につかっていた胎児は海を懐かしむという説もある。赤ん坊をスイミング・プールに放り込んでも、羊水につかっていたときの身体記憶がはたらき赤ん坊はみごとに泳ぐのだと言って、そのようなベビー・トレーニングを奨励する人もいる。 文化的な理由づけはともかくとして、海が自閉症児の心に大きく作用するという事実は、私にはとても興味深いことだ。The Sea Under My Palm(掌の下の海)by Tadami YamadaThe sea being in commotionUnder my palm, the burning seaFeeling alluring mysterious dark smellsO I'll try to penetrate my finger fertilityWhich keeps remote ages secret still now!Waves roll on a creek where my finger is standing onAs if it seems to be angered, or to grieveAlso to fly in the airO pale face of the sea!'cause it's that both rejoicing & distress are so deepBlack algae on the shore!Don't become in brown like repentanceMust be a function as tender bedclothesAs the sea is the symbol of my loveDyeing loneliness on my palm, let me go!To scatter the fertile field with seeds of hopeThe sea! Be well-pleased My spirit in your abysmal deep!
Apr 2, 2008
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4月1日。日射しはあるが風の強い日だった。長い間、外出をしていない老母に満開の桜を見せてやろうかと思ったが、この風ではと止めにした。かわりに、先日頂戴した純白のカーネーションに添えて、庭から桜草を摘んで来て花瓶に投入れた。 桜草がどんどん咲き出している。木瓜(ぼけ)も咲いた。椿も咲き始めている。隣家の椿は寒椿で、半月ほどまえまでの数カ月、たくさんの真紅の花を咲かせ、その花弁が毎日のように風に乗って我家に舞い落ちていた。どれほどの花弁を掃き集めたことか。いまや隣家のそれがすっかり散りおわり、今度は我家のピンクの椿が開花しはじめたのである。グミの白い花も咲いている。ことしは白桃がおそい。しかし満朶の蕾をつけている。開花が待ち遠しい。 ここ数日、英語で詩を書きつづけている。‘PILGRIM EGG’以後、25,6篇は書いた。そのうちから数編を以下に掲載してみよう。 The MorningMorning jump in my mouthKiss of lightTaste of mint verveThe spring comes in depthAwakening giftThe fragrance of love LilyA lily bloomsDowns by headAmong tombs The Bird of PeaceSome lecture meeting in a place open air.One of the leaders before citizensGave a long speaking on 'PEACE' And then, set free a thousand doves in the air;Dove, you know, the 'symbol' of 'PEACE';Said 'To give our wishing to the bird---'Pointed at the sky under citizens' ear.Opportunely, a hot dung fell on just his head.As to go to the root of 'the bird of Peace' is just only bird.'Symbol is neither here nor there,The most important matter must be here!'Said a thousand doves, the birds in the air. ObstinatenessI don't know what makes me to long for the past,Giving a painful sigh as deep as mist.My lips are burning hot in the fire of thirst.I dread the setting sun to fall down,Gulping me down down down.I'm still a life afloat, but can't lay down.Such my life, such my heart, harder than ever.I'm getting ill with fever.I'm getting ill in my thinking.Why adhere myself to old thought;Shabby, pitiful, mean appearanceBeing coated with tears and dust?A painful obstinateness,A stupid obstinateness,It's that I can't abandon hollowness. Small WindowPolish glass of my window Put on it my fingerprintO! sorrowShut the breeze of early summerOnly imagine of love on a fingerO! imagineBeing in sorrowBreak my windowO! window I AmI wish to be at least charitable face,If I could do nothing for sorry case Do you want to know about numbers of the sand on the beach?Apply paste on your palm.Crawl around like a worm.Pick up, count up grains of the sand.With taking care of it dropping down.Don't hallow scattered food like cheep.Ah! man, Be you with keeping your cool!Don't follow strange orders like sheep.Ah! man, Be not you considerably fool!Apply paste on your palm.Crawl around like a corm.Pick up, count up grains of the sand.With taking care of cajolery of the gown. Melancholy BeastThe night train melancholy beast:The whistles like a blast,shaking sleeping people awake,letting pitch-darkness snake,comes from a long distance,dead away remaining a reminiscence.Then people wanna love for other!Hunger becomes a part of their loneliness:The olds wail over in longing younger;Their hearts are bursting with sad queer.Frightening shout, browing at teddy,Carnal desires rise from dry up body.To scoop seething tears in both palms of hands,Raise them in the calm as before of the night.A pearl rolling down from finger slits of hand,reflects red and small spots of the tail-light.Ah! the night train melancholy beast;The herald of love's tragedy, it is. A Song of NightOld well-like this night.To prick up my ears and mind,I can slightly hear sounds that,Someone take a cigarette off from lips, Pickles are well seasoned in the distance.In some how sluggish deep darkness,Half broken wellbacket is hanging down,As if waiting for something to happen. Seventeen's JourneyThe night train carrying sorrowful himis running through strange winter townsand is going through withered downs.In this early morn at a country stationHe walked the platform bosoming a Boston-bag, murmuring, counting paving stones,having fits of coughing for used desperation.Some would tell him, 'It's because of young',Whatever meant encouraging or bantering,Or one's self-scorn?'Sure I'm seventeen' he said, and dumpedthe blunt word which couldn't even ruin him.'Keep Out!''Don't Enter with Shoues on Me!'He put up notice boards on the front gate of his mind, but couldn't cast his empty bag.He had nowhere to go though,passes now through several pitch-darkness.The day dawns, it comes again.Sky lies its gigantic figure down over him,neverthless it doesn't grant his love token.To love, to know the world andhis intention of running up to the skyare the same to him, andare inseparable from each other!So every eary morn he is in a traingoing on a sorroful journey about winter town. Monkey's handI can't bear, I can't bearPlaying fool, making fanI can't bear if I wouldn't do so.Wearing old leather glovesMy hands look like monkey's hand.Just as to be a monkey.Will I stay to look up brilliant skyOn a tree in crying?I can't bear, I can't bearPlaying fool, making fanI can't bear if I wouldn't do so.Wearing old meager lovesMy heart is like a dry bord.Just say another crunchy.Will I peep into the dark hallOf my dream in weeping?I can't bear, I can't bearPlaying fool, making fanI can't bear if I wouldn't do so.Pairing old monkeis upMy skill is like the arrow of Cupid.Just I'm an ape(able) man.Will I reel a reel till to fallOn a tree in laughing? FestivalThe festival has been made preparations the day beforeThe festival has made preparations from a month agoThe bririant vigorous meeting was so;No,no, it had already been prepared since old timeIt is a day in the middle of summerIt is a day such tears coming for some otherIt is one day on my way of journey'As it's the festival' said a father'As it's the festival' said his daughterFlowers of ornamental hair pin are Overflowing from dressrd childly hair.I am seeing flowery people enjoyingBeautiful paper lanterns are shaking. I am impressed by the town's prosperity.Drams are rumbling.Flutes are pealing.'No reason for faith',Said a man in his fortiesDoo-doo-dah-dah-dah, Doo-dah-dah-dahDrams liven up all people on the street Doo-doo-dah-dah-dah, Doo-dah-dah-dahGirls are dancingBoys are singingSweat are drippingFaces are shiningI'll walk to the bitter end for ever and everTaking beautiful lights of festival on my back.'I'll prepare for my festival from just today'The festival has been made preparations the day beforeThe festival has made preparations from a month agoThe bririant vigorous meeting was so;No,no, it had already been prepared since old time--------------------------------------------Copyright Tadami Yaamada 2008. All Rights Reserved.
Apr 1, 2008
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