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美術講話の企画書を制作、午後、クリニックに届ける。 日差しは温かかったが風が強く、山際を通ると木々の細枝がたくさん折れ落ちていた。 BSジャパンで、バッハの作品とされている曲が、後妻になったアンナ・マグダレーナの作曲ではないかという説を検証するドキュメンタリーを見た。女性が芸術的才能を抑圧されていた時代に、アンナ・マグダレーナは優れた作曲をしたにもかかわらず、バッハの曲として後世に伝わったのではないか、というのである。 その検証過程をここに述べるつもりはない。が、大変興味深い番組だった。しかし、『トッカータとフーガ、ニ短調』を弟子の作曲とし、『無伴奏チェロ組曲』がアンナの作曲だと陳説していたが、私はバッハに肩入れするつもりではなく、はたして曲想までバッハの多くの真性の曲となんら違和感ないほど似て来るものだろうかと疑問に思った。 つまり私が言いたいことはこうだ。 優れた作曲者にはそれぞれ他と区別できる明らかな曲想の違いがある。バッハとヘンデル、あるいはハイドンやモーツァルトの曲とを聞き分けられない人はいないだろう。それらは言語で説明することは難しくても、あきらかに心象ないし、あえて言えば思想が異なるのである。とくにバッハの場合は、なんと言ったらよいだろう-----センチメンタルに汚染されていず、あきれるほど原理的な音列でありながら、その純粋音列がそっくりそのまま高度な音楽性・宗教性を帯びてくる。バッハは、たぶん、モーツァルトやベートーベンやショパンや、いわんやチャイコフスキーのような感情表現に意をそそぐなどということは、ほとんど無かったのではあるまいか。 そのようにバッハの曲を感じるとき、『トッカータとフーガ、ニ短調』や『無伴奏チェロ組曲』がバッハの曲ではないと言い切ることに、私は疑問があるのだ。くだんのドキュメンタリーが諸々の証拠なることを提示したにもかかわらず、私は、それらの曲とバッハのいわば真性の曲とに一貫した曲想を感じる。その曲想の一貫性をどう説明するのか? この新たな説は、応えていない。
Apr 29, 2016
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今日は半日、民生委員に関わる行事で、いささか疲れた。午後1時半から4時過ぎまでは年度変わりの最初の総会。午後6時から7時半までは場所を変えて合唱団「かしの木」の月例練習。あいにくの雨、11時半に家を出て、行きはバス、帰りはバス時間の都合がつかずに3キロほど歩いて一旦帰宅、着ていた物を取り替えてすぐに、今度は自転車で練習場に。8時過ぎに帰宅。夕食を摂ったら、もう何もしたくなくなってしまった。私の主治医のクリニックから頼まれた美術講義の企画書を書くつもりだったのだが------。 過日、文京シビックホールで開催されたチャリティーコンサートの写真をもらった。お客さんがモバイルフォーンで撮影したもののようだ。たくさん頂戴したのだが、このブログに掲載するについて団員各位の許可を得ているわけではないので、歌いおわって指揮者が挨拶している全体写真を一枚だけご覧いただく。
Apr 28, 2016
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次作の構想を練り始めた。私の作品は、-----これまで公言したことは無いが------冗談(ジョーク)と大真面目が混在している。その冗談の部分をもうすこし大胆に表出していこうというのが、今回の連作の基本的な構想だ。もちろん主題は年来のものであるが。 まあ、どんなことになるか、今のところ「やってしまえ!」という気持だけだ。
Apr 26, 2016
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朝方の雨に始まり肌寒い日だった。しかし割合にのんびり過ごした日曜日。というのも、作品制作の執筆が昨夜のうちに終了し、その出来具合をながめていた。 予定より1週間早く擱筆した。今後10日ほど乾燥を待って、最後の化粧工程に入る。待っている間に次作の準備をする。全5点の連作とする計画だ。
Apr 24, 2016
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私の主治医のクリニックが建設していた新築棟が落成し、ホールの設備も整い、今日、私にそのホールでの美術講義を頼まれた。この話はすでに2年前のまだ建設初期に内々に話があったのだが、「ようやく実現していただけることになりました」と。6月でスケジュール調整をするが、喜んでお引き受けした。 このクリニックは特に高齢者医療に力をそそいでいる。文化サロン計画は医療周辺にまで目を向けて、いわゆるホリスティックに高齢者の心身の活性化を図ろうと言う、その一環である。つまり病気の原因を患部のみに認めて治療するだけでなく、患者の生活環境や生活習慣、あるいは人生やその経験知の活性化、あるいは趣味の領域にまで目を向けて、一人の人間の全体像をとらえようという考えである。 私は、桜美林大学大学院名誉教授だった故湯浅泰雄博士から、宗教心理学や身体論において、人間存在をあらゆる方面から全体的(ホリスティック)にとらえる考えを、個人的に伺っていた。その理論は私自身の「宇宙大の人間」のイメージを補強し、森羅万象相互感応(Correspondence with everything in the universe)の感覚へと導いてきた。今、ホリスティック医療の考え方に立った主治医の実践計画に、私も画家としての人生をもってお役に立てるかもしれない、と思っているのである。
Apr 22, 2016
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熊本地震から1週間、きょうも余震が幾度も報じられている。さらに大雨が苦難に追い撃ちをかけはじめた。 東京も夕方から雨だ。 町内自治会の回覧板が来た。東と南の2カ所の、数年来つづく崖崩れに付いて報告していた。先月は小石が落下し、今月に入って樹幹の直径5センチほどの木が倒れたと言う。 私自身も実効ある対策を市に促すべきだと発言してきたが、どうやら自然災害とは現場の準備が整ったところで「さて、そろそろ崩壊しましょうかね」とやってくるらしい。こういう頭脳には私はとても付いてゆけません。日常的に落石の音がするのに、「あそこは地質的に崩落の危険はありません」と言うのだから------ 私は近所の現場を見て、鉄砲水のように勢いよくドンと崩れた場合は、土砂がこの家とこの家を押し流すだろう、そしてゆるゆるとではあるが泥流のように粘りのある土砂が崩れた場合は、孤を描くように山の斜面道を下り、道路沿いの家々を押し流すだろう、とイメージできる。専門家はおそらく土砂の量と速度を推定して、どのように密集した周辺の住宅を押し流すかを私のイメージより遙かに正確にシミュレーションできるのではあるまいか。 だが、市の防災担当者は、東京都作成の防災マニュアルを振りかざして、「ここにみんな、書いてあります」だってさ! こんな状態、担当者の頭の問題なのだろうか、行政のシステムの問題なのだろうか? 私は不思議なところに生れ住んでしまったと、-----もう永くは生きないけれど、-------ヘンな気持なのだ。
Apr 21, 2016
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作品制作は、きょう、すべての描写を終えた。今後は細部を点検しながら仕上げ作業に入る。この作品の引渡しは6月1日。予定通りの進行だ。
Apr 20, 2016
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きょうは午後から制作を始めた。 探していたモデルを弟がみつけてくれ、描き悩んでいた部分が一気に解決。観念では成立しがたいことが多々あるのだ。しかし都合良くモデルがみつからないことも多いのではある。弟に感謝。
Apr 19, 2016
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6月半ばに町内の子ども達のために「読み聞かせ」をすることになった。昨年だったか、町の人と立ち話をしたときに、子ども達のために何か私にできることをしたいのだが、子供会が望むのならとりあえず「読み聞かせ」をしたいと言った。それが実現することになったのである。 思い出せば、私は小学生の頃から、子ども達のために自宅を会場にして、いろいろな催しをしてきた。 一番最初はたしか私が小学校3年生のときの「幻灯映写会」。私は幻灯機やフィルムを持っていたのだ。窓を毛布で覆い、襖に映して見せた。影絵劇もやった。色セロハンで影絵人形や背景を自作し、「三つの願い」などの脚本も書いた。クリスマス・パーティも開催した。人形劇もやった。30cm丈ほどの指人形を作り、宮沢賢治の『夜鷹の星』をもとにして劇に仕立てた。昔のリール式のテープレコーダーを父の会社から借りて、放送劇も作った。 中学校では下級生を指導して芥川龍之介の『杜子春』を放送劇に仕立て、昼食の時間に校内に流した。脚本も音楽も私が作った。洛陽の都の雑踏のにぎわいに混じる馬車の音は、角材をゆるく束ねて転がして作り、閻魔大王の声はバケツを頭からかぶって反響させた。私の勝手ないわば自主制作だった。 私は学校の設備はことごとく生徒のものだと思っていたので(まったく何の疑念なくそう思っていた)、学校は私の勉強部屋ではあったが、道具がそろったアトリエでもあり、遊び場だった。 『蜘蛛の糸』も放送劇にした。 ------当時、我家に来てくれた子どもが、現在は60過ぎの老人になっているが、そんな私の主催した会を憶えていて、弟が同窓会で出会ったときに話していたという。 6月の「読み聞かせ」会は、町内の地区センターでおこなう。民生・児童委員の71歳の爺ちゃんが、孫のような子ども達に本を読んであげるわけだが、私にしてみれば小学生だったころから中学・高校時代、そして30代の初めの4年間にやってきたことの、長い中断のあとの再開なのである。
Apr 18, 2016
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仕事場の窓を風がゆする音を聞きながら一日中籠って制作していた。列島を強風が縦断しているらしい。 作品制作は少しずつ少しずつ完成に向かって進んでいる。たぶん今月末までに画面全体に筆を入れおわるだろう。それからさらに半月ほどかけて再び一から彩色層を重ねながら同時に細部の仕上げをしてゆく。全体をやり終えたところで、10日間ほど寝かせ、いよいよ失敗が許されない最終工程を一日で終了して完成となる。 まだまだ1ヶ月以上先の話だ。集中、集中。 すでに風は熄んで、夜の静けさが、かえって耳鳴りのようだ。
Apr 17, 2016
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熊本地震が大変なことになって続いている。大分県から熊本県にかけて大きな活断層が走っているが、このたびの地震はいくつかの活断層が複合して動いているようだ。前震・本震・余震にさらに、今朝、本震が重なった。人身被害が増加していることが痛ましい。阿蘇山が噴気ないし噴煙が通常より活発化しているという情報もあり、それがはたして地震と関連があるのかどうか。また、大雨の予報も出ている。 隣りの鹿児島県の川内原発は異常なしとして稼動をつづけているが、この原発は活火山とカルデラに囲まれ、世界的に例をみない地勢の上にある。阿蘇火山山系との連動を否定できる証拠はないはずだ。たんなる憶測は害になるが、丸川環境相兼原子力防災担当相のように異常設定基準値以下だから心配ないと言うのは、福島原発から何も学んでいないのではあるまいか。この大臣と原発関係者の言動と知性はとかく信用がおけない。
Apr 16, 2016
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日本で初めてイタリア・バロック絵画の先駆者・ミケランジェロ・カラバッジョの展覧会が開催されたのは、2001年9月末から12月半ばまでを東京都庭園美術館で、年を越して2002年12月末から2月末まで愛知県岡崎市立美術館においてであった。カラバッジョの作品7点と、いわゆるカラバッジェスキといわれるカラバッジョの追随画家たちの作品による展覧会であった。 気性が激しく粗暴であったらしいこの巨匠は、私の知る限り美術史上ただ二人の殺人者のうちの一人である。 (もう一人は、イギリス・ヴィクトリア朝時代の画家リチャード・ダッド。精神に異常を来たし、父殺しでロンドンのベドラム精神病院の格子がはめられた一室に、「刑事精神病者」として死ぬまでの42年間、幽閉されていた。) かの彫刻家ミケランジェロ・ブオナロティと同じ名前の、ミケランジェロ・メリージ、通称カラバッジョの現存作品は決して多くはない。主題もさまざまだ。が、特筆すべきは宗教関連画である。彼以前の(そして彼以後の)宗教画と一線を画すのが、モデルがごくふつうの一般庶民であることだ。マリアにしろその他の聖人にしろ、ことさら聖性をうかがわせるような高貴な顔をしていない。その時代に生き、生活している生身の人間がそのまま描かれているのである。そして、それこそが、光の扱いや重々しくも演劇的な画面創りとともに、まさにバロック美術の先駈けとなった所以である。 日本での最初の展覧会から14年が経ち(ああ! 私の目には、つい最近のように焼き付いているが----)、現在再び東京の国立西洋美術館でカラバッジョ展が開催されている。6月12日まで。 12作品が展示され、周辺画家の作品が40点余り加えられている。 カラバッジョ作品のひとつの呼び物として個人蔵の『法悦のマグダラのマリア』があり、「世界初公開」と銘打っている。しかし、これは主催者の勘違いだ(ああ、専門家にも14年の歳月か!)。前回の展覧会にも渡来している。個人蔵なので、この展覧会を逃したら、もういつ三たび渡来するか分からない。まあ、「世界初公開」の惹句に引かれて観に行くのもよかろう。 ところで、開催中の展覧会を宣伝するためにこのブログを書いたわけではない。 各紙が伝えている。未だ知られていなかったカラバッジョの作品が南フランスはトゥルーズの民家の屋根裏から発見されたというのだ。なんでもその家の持ち主が屋根の雨漏り修繕のために点検しているときに、おそらく150年間は人目に触れず埃まみれになっている絵に気づいた。2014年のことだそうだ。それから現在まで複数の鑑定家が綿密な調査をした。そして、それが非常に状態の良いカラバッジョ作品だと公表した。150億円の価値がある、と。 フランス政府は、この作品を買い取るかどうかを審議するため、同作品を海外にもちだすことを30ヶ月間禁止する措置を取ったという。痩せても枯れても美術の国フランス、やることが素早い。
Apr 13, 2016
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なんだか寒い一日だった。 夕食後、居間の椅子で一休みしていると、猫のマスクが膝に乗ってきた。私の手にしきりに頭をこすりつけて、撫でてくれと催促する。ひとしきり撫でて、そのうちに私の右手の掌にすっぽり顔を埋めて眠ってしまった。つまり私がマスクの顔を鷲掴みしているような具合である。これがマスクのお気に入りの寝方なのだ。 さて、あいかわらず作品制作に精出している。描写に入っているが、進み行きがあまり芳しくない。 何故だろうと自問して、内心に迷いがあることを自覚した。これでいいのか、これでいいのか、と思いながら筆を運んでいるのである。 こんなことは滅多に無い。問題は主となる色調。私が使ったことがない色調で、しかし描写は細部に及び始めている。迷いながらも筆を止めはしない。どんどん描き進めているのに、内心の迷いがあるから、なんとなく予定より遅れるのだ。「やりなおすなら、今ならまだ間に合うぞ」という声が聞えるから、一層始末が悪い。もう、きょうは仕事を終了して寝室に引き上げようかと思い、筆を洗いなどして片付けてから、描きかけを眺めてまたぞろ筆を入れたりしている。----------。
Apr 12, 2016
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かつて自分の健康状態など気にしたことがなかったが、母が亡くなった直後に、母の主治医が長らく看護をしてきた私の健康を気遣って診察して下さった。以来、私自身の主治医として定期的に健康診断をしてもらっている。 そうなると私の性分で、気楽ながらも自己管理は徹底してするようになり、以前この日記にも書いたと思うが、1日三食は言うに及ばず、間食も飲み物さへも、逐一記録している。また朝と寝る前と、一日2回の血圧を計測して記録し、グラフにも録っている。2012年の7月に開始したので、間もなく4年になる。 どういうわけか、このようなルーティンを私はおもしろがっている。几帳面なようだが、それこそどういうわけか、何でも遊びにしてしまうので、気が張ることはまったくない。几帳面とルーズの間を笑いながら通り抜けてゆくのは、自分の人生行路のような気がする。 ところでここ一週間程、血圧計測の記録がない。長年使って来た計測器が壊れてしまったのだ。もともとは亡母が使っていた計測器。母にとっても2台目のものだったが、とうとうここに来てたぶんIC基盤に寿命が来たのだろう。 今日の昼時に時間ができたので、あたらしい血圧計を買いに行って来た。 店頭で各メーカーのいろいろな器種を試してみて、結局、いままで使用してきた上腕計測器と同じメーカーで、器種も似たようなものにした。 このような器具は、正確ささへ求めることができれば、どう作ったところで代り映えはしないだろう。また、めったやたらに機能を増やされても、使う身にはかえって迷惑だ。 しかし、おもしろいですねー、やはり餅は餅屋だ、余計なことでない程度に少しずつ機能が進化している。今日、私が購入したものは腕に巻くバンドが、正しく巻けたかどうかがモニター画面に表示されるようになっていた。また、そのバンドがずるずる引きずらないように、ゆるい輪の状態のまま留っている金具が付いていた。 何年後かにこの計測器が壊れて、買い替えなければならなくなったとき、メーカーはどんな工夫をしているだろう。------ヘンな興味が出て来たのだった。 先日、プロモートしてくれている画廊の社長が、「ところで健康のほうは大丈夫ですか?」と聞いて来た。この言葉に、私は内心、いろいろなことを考えてしまった。そして思った。「死ぬまで描いてやる!」
Apr 11, 2016
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午後2時前から制作にとりかかった。きょうから主部の描写。おおまかな塗りで陰影をほどこしたところで早々と終了。一晩置いて指触乾燥を待つことに。 話を変える。 きのうシェイクスピアの「ファースト・フォリオ」について書いた。全3巻の戯曲全集初版である。この出版によって、シェイクスピアの34篇の戯曲が、後世に残ることになった。シェイクスピア没後7年経って、もしこの全集出版がなければ、その戯曲は後世に伝わらずに散逸し、忘れ去られてしまったにちがいないと言われている。 ところで、明星大学が「ファースト・フォリオ」を10冊も所蔵していることを、「無駄」ではないかと不思議に思われる人がいるかもしれない。1冊1億円以上はする高価な同じ本をなぜ10冊も収集する必要があるのか、と。 装丁に関して言えば、1623年に出版されたときに購入した最初の人物が所蔵していた全3巻一組の装丁は同じなのだが、所蔵家がちがうとどれひとつとして同じ装丁ではないのだ。 これはどういうことかと言えば、当時の本は印刷したシートをページ順になるように折り畳んだ状態で売られていた。購入者は各人が装丁職人に依頼して好みの装丁をしてもらっていたのである。本は高価なもので、一般庶民が気軽に買えるものではなかった。中世時代には、王族は城中に装丁職人や写本家や装飾家など製本に関わる職人を抱えていることが多く、貴族もまたお気に入りの装丁職人を雇ってい、家紋を金箔押しなどした凝った装丁本を所蔵していた。 シェイクスピアの時代にもまだこのような製本システムだった。したがって、装丁職人によってバインディング(ページを結束すること)されて、紙が化粧裁断されるとき、職人によって裁断の寸法がまちまちなのだ。紙の余白をマージンと言うが、古書蒐集家にとってはこのマージンが元の紙幅に近ければ近いほど価値があり、もちろん古書価格をも左右する。笑うに笑えない「事件」も起るのである。 というわけで、シェイクスピア「ファースト・フォリオ」と言っても、様々な装丁本があり、また本のサイズ(寸法)も異なるのである。 とはいえ、明星大学が装丁の違いに目の色変えて10冊も収集したわけではない。 じつはこれらの本にはシェイクスピア研究にとって興味深い・重要な手がかりが「記されて」いるのである。ページのところどころに所蔵家の書き込みがあるのだ。書き込みと言っても、たんなる走り書きではない。イギリス本国だけでも膨大なシェイクスピア研究が存在するが、それらに見合う見識をもってさまざまな書き込みが、まるで定規をあてて書いたのではないかと思うような几帳面さで小さな文字で丁寧に記されているのである。その本を如何に大切にしたかを窺わせる。字句の解釈であったり、登場人物についての分析であったり、またシェイクスピアの書いたフレーズから人生訓を得たり、あるいは購入した価格がメモされている。------シェイクスピアがイギリス社会に浸透してゆく様が、それらの書き込みから読み取れるのである。 明星大学所蔵本の書き込みについては、山田昭廣元明星大学教授(元明星大学図書館長、現信州大学名誉教授) の研究があることを申し添えておこう。
Apr 10, 2016
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世界で最も貴重な本のひとつとされる、シェイクスピアの死後7年目にあたる1623年に出版された全3巻の戯曲全集の初版、いわゆる「ファースト・フォリオ」が、イギリス・スコットランドの邸宅マウント・スチュアート・ハウスで発見された。CNNが伝えている。 奇しくも今月23日はシェイクスピアの没後400年目の命日。生誕452年になり、誕生したのも4月といわれているが、正確な日にちは判明していない。 「ファースト・フォリオ」は、現在、世界に231冊存在することが確認されていて、このたびのマウント・スチュアート・ハウス・コレクションの新発見により234冊となった。 じつは、その234冊のうち、日本の明星大学が10冊所蔵しているのである。 近頃やたらに巷に氾濫している言葉を使えば、「奇跡」である。いや、これは本当に「奇跡的なコレクション」と言ってさしつかえない。今回のイギリス本国での貴重な発見に「専門家らの間では喜びの声が上がっている」-----とは、CNNの言葉だ。 私は数年前、明星大学で開催された「ファースト・フォリオ」に関する学術セミナーにおいて、所蔵の「ファースト・フォリオ」を見せていただく機会があった。 じつは同大学は、今年、シェイクスピア没後400年を記念して特別展「シェイクスピアこそ人生だ」を開催しており、「ファースト・フォリオ」の一部も10月2日まで特別公開している。入場は無料だが、前もって観覧予約が必要。 明星大学は他にも多くの稀覯本のコレクションがあり、その所在場所を公表しない厳重管理下にある(銀行の大金庫室並みとだけ申上げよう)。そして、それらの公開の際は、見学者の呼吸によって室内の湿度や温度が変わることを防ぐために、あらかじめ入館者の人数制限をしているのである。 シェイクスピアの戯曲やソネットを原文で読むのはなかなか大変だが(古英語ということもあり)、日本語訳で親しんでいる一般読書人でも、「ファースト・フォリオ」を目にすることは、おそらくゼロに近いのではあるまいか。明星大学は今回の公開に、複製本も用意して、ページを繰って見られるようにしたそうだ。 ヤボなことを言うと、「ファースト・フォリオ」1冊の価格は、1億2千万円をくだらないでしょう。 ここで耳寄りなニュースを。 来る5月25日に、ロンドン・クリスティーズのオークションに4冊の「ファースト・フォリオ」が出品される。価格は1億2千3百万あたりから開始し、1億8千4百万円を越えるでしょう。昨日、出品本のニューヨーク展示会が終了しました。
Apr 9, 2016
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昨日の雨があがり、桜ふぶきの舞うなか、民生・児童委員として幼稚園の入園式に出席した。4歳児たちだから、爺さんの私にしてみればつい先日誕生したばかり、その頃私は亡母の在宅医療の24時間看護に明け暮れていたのだった。 可愛い、可愛い。にぎやか、にぎやか。思わず顔がほころんでしまう。ほころぶというより、園長先生の指人形を使っての式辞に子ども達が大声で反応するたびに、私は声を出して笑ってしまった。 昔、私は高校生時代に劇団に所属していた。子どもに見せるための劇に出演していたのだが、子ども達が劇と一体化して、声援や歓声をあげて観客席から舞台に押し寄せる反応を思い出した。 じつは民生委員の会議の席で、「ぜひ行ってごらんなさい、感動してしまいますよ!」と、入園式出席を勧められたのだ。たしかにすばらしい入園式だった。 来賓退場で、私も退場したのだが、園児達がハイ・タッチしてきました! 爺ちゃんの手の半分の大きさの手が!
Apr 8, 2016
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一日中、仕事場に籠って作品制作。今夜も更に午前0時までつづける。
Apr 7, 2016
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きょうは小学校の入学式に出席。昨日一昨日と時々雨もようだった天気が、穏やかに晴れ、学校の周辺は桜が満開、まさに入学式にふさわしい。 色とりどりの真新しいランドセルを背負って。ご両親と一緒に。ランドセルが背丈の3分の1もある! ランドセルの色といえば、60数年前の私の時代は黒か赤。ランドセルでない子も何人もいた。戦争が終わって7、8年目だもの----- 私は自転車で登校したのだが、見知った子どもはいないけれど誰彼になく「おめでとうございます!」と声をかけて行く。「ありがとうございます!」と元気な声が返ってきた。 というわけで、仕事場に入ったのは午後。 ただいま午後5時30分を過ぎてコーヒーを淹れて休憩。この日記を書いている。きょうは区切りがつくまで、午前0時頃まで筆を執るつもりだ。
Apr 6, 2016
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錦織選手、マイアミオープン優勝決勝戦は、健闘むなしく実に残念。ジョコビッチ選手に敗れてしまった。 ジョコビッチ選手のマイアミオープンの優勝は6回目。そしてATP (世界テニス・プロフェッショナル協会) マスターズ1000の優勝は19歳でデビュー以来、28回目。本当に強い。巧い。精神も強靭だ。 錦織選手とジョコビッチ選手との対戦成績は今回で----たしか----2勝7敗。3勝目をあげて、マスターズ1000で優勝することを期待しよう。 さて、私の作品制作、今日の仕事は午後5時で区切りがよいところまできたので早々と終了。まだ描写段階には至っていないが、今夜は少しゆっくり休む。
Apr 4, 2016
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午前中は休んで、午後から制作。プレミエール・クーシェとしての初層への仕掛けづくりを終了。先日、吟味をしたうえで購入した材料は、思惑通りに機能しそうだ。尤もこの基礎工事の仕掛けが作品完成時に効果を十分に発揮するためには、今後投入する制作コストがかなり割高になるだろう。腹を括らなければなるまい。
Apr 3, 2016
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核兵器廃絶を呼びかける世界組織グローバル・ゼロのジョンソン氏が、ワシントンDCで開催されている核安全保障サミットの現場から、私に宛てたメールを紹介します。 日本語訳の責任は私、山田維史にあります。 --------------------------------------------------------------2016年4月2日 06:16:09JST 親愛なるタダミ 私は、エキサイティングなニュースを、ここワシントンD.C.における核安全保障サミットから、あなたに書いています。ブラジル、エジプト、インド、インドネシア、スウェーデン、トルコ、そしてその他の国からの首脳が、核兵器を廃絶するために大胆な行動を取るべく、サミットの参加者を促しています。 私たちのメッセージは貫徹しつつあります。これは、サミット会場からわずか数ブロックのワシントンにおける、私たちの活動家が主催した大きな抗議行動に後続しています。世界中からの仲間の活動家数千人は、自国政府に請願の手紙や論説を書き、また明確なメッセージを伝えるためにオンラインを活用して、このアクションを増幅しました。すなわち、核兵器が存在する限り「核の安全」のようなものは無い、というメッセージです。 私は我々の草の根活動家の力にいつも圧倒されています。私たちが運動のために共に結束し、集団的政治的行動を取るとき、私たちは影響を与えます。 しかし、私たちは完結までにはまだ遙かに遠くにいます。----- 私たちはこの勢いを維持するつもりです。 米国は、核兵器に1兆ドルを湯水のように支出する、酒盛りの上に成り立っている馬鹿げた方針を、変更する必要があります。この酒盛りは、これらの兵器が存在しない世界を追求することに歩調を合わせることから、完全にはずれています。米国とロシアは、ヘアトリガー・アラート(触発警告装置)によって数百の核兵器を維持し、許容できない危険に世界全体を曝している無謀な冷戦政策を引退しなければなりません。そして何より私たちは、たんに民間の核物質を支える核安全保障サミットのためだけにではなく、世界の指導者を駆り出さなければなりません。しかしながら、核兵器サミットのために、初めて、エンドゲームに関してハイレベルの政治的行為者に焦点を合わせ、----つまり段階的にということですが----、全世界の核兵器廃絶を検証しました。 政府はグローバル・ゼロのメンバーの警告に耳を傾け、核兵器によってもたらされるセキュリティ上の脅威に対処し始めています。私たちの語法を話すこれらの指導者を得ることは、重要な第一歩です。今や彼らは行動を取る必要があります。 -----そして私たちは、彼らが実行するまで、押しつづけることを止めてはなるまいと思います。 私たちの前進のためにあなたが行うすべてに、感謝いたします。 デレク・ジョンソン Executive Director Global Zero 【原文】Dear Tadami, I’m writing to you from the Nuclear Security Summit here in Washington, D.C. with exciting news: Leaders from Brazil, Egypt, India, Indonesia, Sweden, Turkey and other nations are urging Summit attendees to take bold action to eliminate nuclear weapons. Our message is breaking through. This comes on the heels of a big protest organized by our activists in Washington, just a few blocks from the Summit. Thousands of your fellow activists from all over the world amplified this action by petitioning their governments, writing letters and op-eds, and taking action online to convey a clear message: There’s no such thing as “nuclear security” as long as nuclear weapons exist. I am constantly blown away by the power of our grassroots activists. When we come together as a movement and take collective political action, we make an impact. But we are far from finished -- and we’re going to keep building on this momentum. The United States must reverse course on a misguided $1 trillion nuclear spending spree that is utterly out of sync with the pursuit of a world without these weapons. Both the U.S. and Russia must retire reckless Cold War policies that keep hundreds of nuclear weapons on hair-trigger alert, exposing the entire world to unacceptable risk. And above all, we must round up world leaders not merely for a Nuclear Security Summit to shore up civilian nuclear materials, but for a Nuclear Weapons Summit that, for the first time, focuses high-level political actors on the end game: the phased, verified elimination of all nuclear weapons globally. Governments are starting to heed the warning of Global Zero members and address the security threat posed by nuclear weapons. Getting these leaders speaking our language is an important first step. Now they need to take action -- and we won’t stop pushing until they do. Thank you for everything you do to move us forward. Derek Johnson Executive Director Global Zero
Apr 2, 2016
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ただいま2日の午前1時になるところ。今日(4月1日)の制作をようやく終わった。さすがに疲れた。録画しておいた錦織選手のマイアミ・オープン準々決勝を観たいが、もう寝る。明日、時間があったら観よう。 あっそうだ。これだけは書いておかなくては。29日の日記に安全保障関連法の施行について書き、最後に次のように書いた。「たぶんすぐにも、日本の核兵器保有の是非を問うというかたちで、核保有推進論が出てくるだろう。」と。それから3日しかたたぬのに、政府は今日4月1日の閣議で「憲法9条は一切の核兵器の保有および使用を禁止しているわけではない」とする答弁書を決定した。朝日新聞が報じている。 それみたことかと、私は、安倍の政府の正体を見透かしているのでいまさら憤激はしないが、どこまで国民を見くびるかと呆れ返ってしまう。原発事故さへ収拾できぬのに、何が核兵器保有だ!【朝日新聞デジタル】「憲法は核兵器保有を禁止せず」政府、閣議で答弁書決定 2016年4月1日22時39分
Apr 1, 2016
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