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都知事選挙投票日。昼前に家人と交替で投票所に行く。どの候補者も底が浅い感じで、帯にもタスキにもならないような気がする。国にしろ地方にしろ、日本の政治土壌が素寒貧であることがようやく露呈したか? しかし1票を捨てるわけにはゆかぬ。 さて、それにくらべて個人で闘っているスポーツ選手は美しい。イチロー選手しかり、前田選手、青木選手しかり。錦織選手しかり。長友選手、岡崎選手、香川選手-------。 ロジャーズ・カップは、錦織圭選手が2年連続の決勝進出。やはり予想どおりジョコビッチ選手と対戦する。楽しみだ。 私の作品制作は予定より少し遅れている。予定では今日一点完成して、次の少し大きな作品にとりかかるはずだった。その次作は9月15日までに完成させることが絶対条件。 民生委員として、市からの依頼で20人ばかりを直接訪問して安否確認をし、報告書を提出しなければならない。盛夏の仕事としてはなかなか大変である。とはいえ、御元気な顔を見れば私も嬉しい。 とにかく忙しいスケジュールを、私自身が元気にこなしていかなければならない。
Jul 31, 2016
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主治医のクリニックで2回目の美術講話。内容は水曜日の第1回とおなじだが、原稿用紙62ページの原稿は用意してあっても、それを見ながら話しているのではない。前回とまったく同じ講話というわけでもなかろう。前回聴講した方が再び参加してくださってもいた。猛暑のなかおでかけくださり、本当にありがたい。講話をひきうけしてのお役にもたてたようだ。秋に別のテーマで話してほしいと、近く日時を決めることになりそうだ。もちろん私に否やはない。よろこんでお話しする。 話題を変える。 錦織圭選手がカナダのトロントで開催中のマスターズ1000・ロジャーズ・カップで準決勝に勝ち進んだ。時間をみつけてはずっとTV録画を再生して観ている。初戦の前のインタビューで「脇腹の痛みはまだ万全ではない」と言っていた。しかし、現在のところ、試合はこびをを見る限り、傍目には痛みを感じさせない錦織圭選手らしい技巧的な試合がつづいている。このまま決勝まで進んでくれるのが楽しみだ。ジョコビッチ選手と対戦することになるか-------? 今年のこのロジャーズ・カップは、マレー選手やフェデラー選手を欠いている。出場していないのだ。そのてんに一抹のさびしさはある。錦織選手にとって、それはどうなのだろう。もちろん試合は試合にしても------- さて、 どこか遠くで打ち上げ花火の音がしている。花火見物に出かけたことは一度もないが、仕事場の椅子にぼんやり身を沈めながら、遠花火の音だけ聴いているのは、なんとなく好きだ。 今日は土用丑の日。これから鰻丼を食べる。
Jul 30, 2016
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真夏の女性のファッションは、少なくとも街でみかける彼女たちは、あまり美しいとは言いがたい。紫外線防御のために、顔面をすっぽりおおったプラスチック製マスクはまだしもSF映画の一場面と空想して我が目をなっとくさせても、肌の露出部分をおおうさまざまな布切れは、まるでボロをまとったカカシ、もっと悪口をいうとゾンビのようだ。メインのファッションはそれなりにおしゃれをしているのだろうが、夜会用ロング手袋というより昔の事務員の腕おおいのようなものを穿き、首回りや胸元はありあわせのスカーフかショールを巻き、そのほかなんだかんだ---------全体としてはコーディネイトも何もありゃしない。なんとも哀れな街着スタイルだ。 まあ,これ以上の論評はひかえておこう。 予定どおり午前中に画材店に出かけ、おおいそぎで帰宅。脇目もふらずに歩いているつもりでも、カカシのような格好の女性達に目は向いていたようだ。 帰るや、暑さでぐったりして、冷茶だアイスドコーヒーだと何杯も飲んで、仕事場の椅子に腰掛けたまま10分ばかり居眠りをした。気をとりなおして制作にとりかかったのは3時も回ってから。6時まで執筆。ここ3日間、同じ部分をやっている。この部分だけ他とはことなる彩色技法をもちいるため、下準備を兼ねた描写を念入りにやっている。結果は、-------上出来であることを、夢見ているだけなのだが-------。今回のシリーズは、われながらいささかやりかたが強引だ。
Jul 29, 2016
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制作をきりあげて、夕方から合唱練習に行く。来年のステージのオファーがあり、そのための新たな曲の練習に入った。先生はすでにそのステージ用のプログラム案はできているようだ。渡された楽譜は、私は初めて知る曲だが、歌いたいと思う良い曲だ。楽譜を見ながら1,2度歌ってみて、まあ、大丈夫だ、メロディーはおぼえた。そのステージまでは1年ちかくある。総勢40名の合唱にしあがるだろう。 それにしても月に1度の練習では、71歳の私は忘れてしまうのも早い。しかし私個人に限っても、練習時間を増やすのはスケジュール的に無理。とにかく忙しい,忙しい。明日はちょっと急いで画材店に行かなければならない。明後日は美術講義だ。
Jul 28, 2016
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きょうは午後2時からクリニックで美術講話。みなさん熱心に聴講してくださり、私も楽しく話しができた。予定より1時間も長くなり全3時間の講話。そしてその後、感動してくださりさらに興味を深めた方々と2時間余の談話。 ハハハ、私は5時間もしゃべりつづけたことになる。しかし、楽しい時間をすごしていただけたようで、わたしにとっても嬉しいことであった。 秋にも新たなテーマでという話しもちらほら。 私の美術講話は、いわゆる一般教養講座ではない。私が長年研究してきた事柄について、あまり薄めることなくお話ししている。理解が難しいといわれれば、四方八方の切り口から理解がいきとどくまで説明をいとわない。わたしにとってはそれが楽しい。「そうか、そうなのか!」という言葉を聞くのが。 きょうは、「芸術の〈芸〉とは何だ」という質問をされた方がいらした。さあ、何とお答えになりますか、このブログをお読みくださっている皆さんは?
Jul 27, 2016
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明日27日と30日の二回、主治医のクリニックで美術講話をする。その導入部ともいうべきミニミニ展覧会のための作品を、午後、搬入した。私の作品と講話の内容とはあまり関係がないのだが、講師紹介というところだ。クリニックの予定では、CDに収録された私の作品集をスライド方式でスクリーンに映写するということだったが、そのCDには180点くらい収録されていて、全部映写しないまでも私としてはそうして紹介されるよりも、講話にたっぷり時間をとりたかった。それで急遽、作品の実物をあらかじめ展示しておき、私の紹介に代えてもらうことにしたのだ。それに、百聞は一見に如かずで、絵描きの技量は実物を観ればわかるのである。 そんなわけで、制作は休み。ちょうど一日乾燥を待ちたいところだった。
Jul 26, 2016
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制作をしながらふと思い出したことがある。思い出したというより、今になって初めて気がついたと言った方が正しい。 先日、民生委員として小学校を訪問し、校長先生と副校長先生と一緒に給食の七夕メニューをご相伴させていただいた。そのとき食事をしながら、何の話の接ぎ穂だったかわすれたが、私が学齢前の昭和26年頃のこと、家族旅行をした際、まちがって進駐軍専用列車に乗ってしまった話をした。 今、これを書くにあたってウィキペディアで調べてみると、正式には連合軍専用列車というそうで、昭和20年の敗戦後から昭和29年ごろまで、日本へ進駐してきた占領軍の国内移動の便宜のために、国鉄・私鉄の各線において、そのときに残っていた良い設備の車輌が供されていた。ウィキペディアをそのまま引用すると、日本人の乗る列車がいつも荒廃状態・殺人的混雑で走っていた中、『「戦勝国」・「軍人」専用ということで優先的に良い設備・車両が投入され、大体においては空席がある状態で走っていたので、日本国民からは複雑な目で見られていたといわれている。』 おそらくそのとおりだったのであろう。私は子どもだったのでそのような「日本人の複雑な目」を意識はしなかった。実は、絵筆を走らせながら気がついたことというのは、その日本人の目が向けられた相手側(それは主にアメリカ人であったと思われるが)についてである。 私たちは間違って乗車したにもかかわらず、空席に座っていた。私にとって初めて間近に見る夫人達をともなったアメリカ人だった。幸福そうではあったが、陽気にはしゃぐでもなく、マナーがそなわった方々だった。私がことさら目にとめたのは婦人たちのスカートから出た「素足」だった。いや、そこが私の疑問だった点で、素足のはずのふくらはぎに褐色の「スジ」がずっとスカートの奥までのびていたのだ。私は母の耳に口寄せて、「あのスジはなに?」と聞いた。母は、「素足に描いているのじゃないかしら------」と言った。 母も知らなかったのだ。それがナイロン製のシームストッキングというものであることを。母たち日本婦人が知っていたの綿のストッキングであった。肌が透けるナイロン製は、まだ日本には存在しなかったのだ。 のちになって母と私はそのときのことを笑い話にしたものだった。 さて、その話は校長先生にした。肝腎の私の気付きを書こう。 実は私たち家族は間違って乗車してしまった連合軍専用列車内で、ただの一度も奇異な目を向けられなかったのである。ただの一度もイヤな思いをさせられなかったのだ。先に私が子どもの目にも「マナーがそなわった方々」と述べたのは、そのゆえだ。私たちは目的地までアメリカ人たちとごく快適な列車旅行をした。------そのことに、たったいま、65,6年も経ってふいに気がついたのである。そしてこのことは書いておくにたる事実ではないかと。
Jul 25, 2016
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きょうは日曜日だが午前中に2時間、町内自治会と私民生委員ならびにボランティアで見守りをしてくれている気にかけネットワークのメムバーとが一体となって防災推進協議会を立ち上げる会議に出席した。 東日本大震災や中越大雪害や熊本地震における共助の教訓を活かして、まさに危険地帯を有し、しかも退避路確保が非常にむずかしい山の斜面にひろがる400世帯の住人を、どのように災害から守り、かつ、いざとなったときにどのように救助すべきかを話し合い、具体的な共助策を講じようという主旨である。日曜日ながら市役所職員にも出席してもらった。町内住民の考えと行政策をすりあわせする必要があった。 とにかく恒久的な協議会設立であったが、この第1回会議ですでにいくつもの問題点が洗い出されたかもしれない。 私、民生委員の目から見ると、この町の防災は、さまざまな事柄がリンクしていると思える。すなわち、危険地帯住人の日常的な注意喚起のみならず、高齢者問題、障害者、独居者、乳幼児の安全、そしてなかなか災害と結びつけて考えられていないが日常的なショッピング難民問題。 つまり近くにまったく商店が無いという実体である。山の斜面の全世帯のかかえている問題ながら、特に高齢独居者や障害独居者、また認知症傾向にある人たちにとっては切実な問題である。しかし、行政の各種問題に取り組んでいる担当部署は、かならずしもすべての問題を共有しているわけではなく、特にショッピング難民問題は地域開発事業に関わるはずだが、そこからどうやらスッポリ抜け落ちているようだ。 現代の若い働き盛りの人達にとっては、かならずしも自宅近辺でショッピングをしなくてもよいのである。車で繁華なショッピングモールや流行のショップに行くからである。つまり働き盛りの若い行政担当者にはショッピング難民は考えにおよばないのかもしれない。あるいは勘ぐれば、議会議員たちにとっては、商店がまったく存在しない地域に商店を呼び込んで商店街をつくろうという開発計画は、とうてい任期内で済むことではないので、立案する意志はないにちがいない。 ではショッピングがなぜ防災にリンクしてくるか? まず、ずっと奥底に、ショッピング難民は認知症傾向を誘発しやすいのではないか、という私の観察がある。 人間生活の大きな楽しみであるお金を使う、お金を数えるということが、どれだけ脳を活性させているかということだ。ショッピングのために「出歩く」ということも重要な点だ。それは散歩とは違う、必然性のともなう歩きだからである。 行政は一生懸命に高齢者問題や認知症対策に取り組んでいる。それは人間的な問題に対する「優しい行政」には違いない。が、根本的には福祉に税金がかかりすぎるので、それを軽減するためには「なるまえに対策を講じておこう」というのが本音である。 とするなら、ショッピング難民対策も高齢者問題や認知症対策の一環として考えられてもいいはずだが、さきほども述べたように地域開発となると別な問題がからんできて、誰もあえて手を出そうとはしない。 さて、それが災害時にどのような事態になるかを想像すると、言うまでもないが、彼らは食糧や日用品の備蓄にことかいているという状況が露呈することだろう。事実、きょうの会議の最中に、ある方がふともらしていたのは、「買い物をするところがないので、障害をもった高齢者には備蓄がない」と。もしかするとその人自身の悩みをもらしたのかもしれないが、一般化できる現実の「観察」である。 じつは政府の政策で、介護保険制度における介護度1~2の人、すなわち誰かに補助してもらえば歩ける人は、介護保険によって介護用具の使用を申請できなくなる。「自助努力」と政府は言うが、今までは介護用具、たとえば車椅子だとか歩行補助具などを1割自己負担で使用できたので念入りな介助者がなくてもあるていど生活できた。しかし今後は、これらの介護用具を家計と相談して使用できずに常時介助者が必要となると、じつは家庭内における介助者の負担は並大抵でなく増加する。それは目に見えている。政府はそれを知っていながら、知らないふりをして、言葉で帳尻をあわせようというのだ。 こうしてしゅったいする問題も、当然の事ながら災害時の退避勧告や避難そのものに大きく関わってくるであろう。 私は、きょう、言った。「万事がうまくおさまる社会システムをつくることは不可能だと思います。私たちの生活状況は千差万別だからどこかに過不足はでてくるのです。しかし、こことここがぶつかるから、考えるのをやめて切り捨てるのではなく、やわらかい気持で事態に当たるようにしてはいかがでしょうか」と。 だが、できるはずのことは、やらなければならないだろう。
Jul 24, 2016
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午後5時半、きょうの制作を終了。新たな作品である。今月末に完成させることができれば、8月から少し大きな、私にとっては冒険的な構想の作品にとりかかれる。冒険と言ったのは、いつものように生真面目と冗談が混在しているのだが、現代風俗に対する私の視線を冗談で強調するつもりだ。制作に1ヶ月半かける予定。きょう取りかかった作品は、その前哨戦のようなもの。つまり一週間の制作過程で冒険に飛び込む心持ちをつくりあげようというわけだ。 きょうの仕事が終わって後片付けしながら、平静のようでいてやや昂揚しているのか、ちょっと言葉で表現しにくい「悲しみが」ひたひたと迫ってきている。顔全体の筋肉がこわばっているのがわかる。どうして「悲しみ」なのだろう?
Jul 23, 2016
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午前中に少しばかり制作をし、午後、予定どおり民生委員の定例会議に出席。 来年は民生委員制度が創設されて100周年になる。その記念事業と、さらなる将来に向けての福祉支援について、全国の協議会で各々検討されている。 福祉支援というのは、これで最終だという地点がない。日本総人口1億2千7百万人の千差万別の日常生活があり、日々の生死がある限り------。 援助を求めている人に適切な支援を、そして支援が必要なのだが声をあげられないでいる人に目が行き届くことを願って、民生委員の活動はつづくのである。 私は今年11月で第1期の任期が終了する。3年前に初めて民生委員に就任したときは、1期限りで辞めるつもりでいた。画家として作品制作可能な人生の時間もさしせまって来ているからだ。これは自分の死との競争だ。画家として死ぬためには「残された時間」というのは究極の問題である。 しかし、今日、私は、ひきつづき第2期3年間を務めることの「確認書」を市長に提出してきた。その任期が終了するとき私は73歳で、民生委員として規定の定年退職年齢なのである。人生一寸先は闇ではあるけれど、73歳になっても描きつづける体力・知力はある、と自らを値踏みした。そのための自己管理は徹底しているつもりなのである。
Jul 22, 2016
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三作目が完成した。これも4日で描き上げた。さっそく次の新作にとりかかるが、終日仕事場にこもっていられるのも今日まで、明日からは民生委員としての会議や合唱練習、また二日にわたる美術講義とつづく。 そして31日は都知事選挙。卑しく下劣な政治屋たちのために東京都民は大迷惑だ。こうした選挙のたびに莫大な都民税が消費されている。なぜこんなやからばかりゴキブリのように湧き出てくるのか。 もっとも、政治というのは「人を食うもの」だ。こう喝破したのはたしか堀田善衛氏。死に体の東京都民をこのゴキブリは喰い尽くそうというのだろう。
Jul 21, 2016
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きょうは10時ちょうどに制作を始めて、昼食をはさんで、ただいま午後4時半、区切りのよいところで一日の仕事を終わった。 とんとん拍子に進んでいる。あるいは2、3日後には完成するかもしれない。 昨夜、就寝前になって思い立ち、次の作品のためのキャンヴァスのすでに一度地塗りしてある表面にサンドペーパーをかけて磨き、2度目の地塗りをしておいた。で、現在制作中の作品が完成と同時に、次の新作にとりかかれる。 さて、家人が夕食用に舌平目を買ってあると言っている。ムニエルをつくってあげよう。レモンスライスを添えて、付け合わせは茹でたアスパラガスと、椎茸と山芋のソテ(火を止めてからフライパンに入れたまま昆布出汁醤油少々をジュッとかける)、人参のグラッセ。ホウレンソウの白和え(擂り胡麻のかわりに胡桃と豆腐を合せて)。
Jul 20, 2016
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さきほどまでNHKBSで映画『ゴジラ』のディジタル修正版を観ていた。本田猪四郎監督、円谷英二特撮監督の最初のゴジラ映画(1954年)である。出演は宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬,他。 この作品、私はリアルタイムで観ている。9歳か10歳だった。八総鉱山小学校の講堂兼体育館でだ。この講堂は本格的な銀幕(スクリーン)と映写室を備えていた。土曜日の夜には社員の娯楽のための無料の映画館に変わるように初めから設計されていた。 『ゴジラ』は、公開年度から推測して、小学校開校のかなり早い時期に上映された一本だったと思う。60年以上経って思い出してみると、講堂のどのあたりに席をとって観たかまで思い出すのだが,肝腎の映画のシーンはところどころしか憶えていない。じつは今夜TVを観たのは、どのシーンを憶えているかを確認しようと思ったからだった。 鮮明に記憶していたのは、ゴジラが東京湾から上陸して、列車を破壊し口に銜えるところ。そして平田昭彦扮する化学者が発明した”オキシゲンデストロイヤー”でゴジラを死に追いやる最後のシーン。あるいは街中を市民がパニックになって逃げるシーン。 意外だったのはゴジラの顔が丸っこかったことだ。もうすこし尖っていたようなきがしていたのだが、あるいは私の記憶が、その後、実際の白亜紀の恐竜のイメージによって変形したのだろうか。それとも、第2作目の『ゴジラとアンギラス』以降、シリーズとして制作されていくうちにスクリーン上で次第に変わっていったのだろうか。 私は東宝作品の円谷英二特撮ものは、たとえば「ラドン」や「マタンゴ」や「モスラ」なども観ているが、その種の映画は弟と彼の同級生の二人につきそって「モスラ」を観たのが最後だ。先日亡くなられたザ・ピーナッツのお二人がインファンランド島(そんな名前だった気がする。つまり小人島という意)の妖精になって出演していた。「モスラ~や、モスラ~。ドンガ、ガッター、モスラ~」(?)と歌っていたのを思い出す。 まあ、そんなわけで懐かしい『ゴジラ』が、ディジタル修復されたきれいな映像で楽しめたのだった。戦後9年目の1954年のいまだ物資のとぼしい時代の映画作品を、現代の目で批評しても意味はない。海外で出版されているいわゆる怪奇映画・B級映画史の書物には、日本映画の『ゴジラ』は燦然として栄光に輝いているのである。
Jul 19, 2016
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猫の缶詰の買い置きがなくなったので自転車で買いに出た。制作もちょうど区切りがよいとこだった。外出は1週間ぶりである。その間、文字通り仕事場に閉じこもっていた。 山際の緑陰を通ると、蝉鳴がしていた。 そういえば今朝、弟がA4判に印刷した俳句を見てくれと言ってきた。その感想を述べながらあれこれ話しているとき、弟が「蝉時雨」について語感のことや何やらを言っていたのを思い出した。 私がいつも通る山際のその緑陰は、幕末に建立された馬頭観音の路傍の小社を基点に、たかだか50m程度の長さの小道である。片側のやや低くなったところは昔からの農家の庭先につづき、降り口に30坪ほどの梅林がある。蝉の声は反対側の山の斜面の雑木林から聴こえていた。雑木林を見やると、白い大輪の山百合に細竹の添え木がほどこされていた。ただ一本の丈70cmほどの白百合は、重たげな花冠を自力では支えきれずに、風が吹けばおそらく倒れてしまったであろう。誰の優しさかは知らぬ、今は細竹を添えられて緑陰の風情となっていた。 緑陰のなぐさめも僅か、抜ければきつい日差しがのっと落ちてきた。暑い,暑い。買い物を自転車にくくりつけていると、年輩の婦人達が、「熱風が足許から云々-----」と言っているのが耳に入った。 気温31℃なり。
Jul 18, 2016
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作品制作がつづくと、私の日常は、毎日がまったく代り映えしない。休日もない。今日も午前中は新たな作品の構想をまとめ、下図をつくり、午後はそれをキャンバスの写し、下塗りの仕掛けをほどこす作業をした。明日からは描写の第一段階の塗りにはいる。
Jul 17, 2016
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作品が完成した。小品ながら4日で描きあげた。力ずくで絵に仕立てたという思いがなくもない。 -------京城(ソウル)の人達はどう観るだろう。ここ3年ばかり私の作品を注視してくださっている韓国の美術愛好家もいられるという。事実、そういうコレクターに作品が引き取られてもいる。 しかし、それはそれ。私は、自分が為すべきことをやるだけだ。 さて、午後から次の作品を制作する準備に入った。 シリーズで作品をつくるというのは、テーマを追いつめるとともに、実は自分を追いつめているのだ。ふとした気持の隙間で、とでも言おうか、悲しみに固まってしまいそうになる。それを払いのけるエネルギーが、作品を描きつづけるエネルギーでもある。
Jul 16, 2016
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午後5時前だが今日の仕事はおしまいにした。朝から休みなく執筆して、思いのほかはかどり、今週中には完成するかもしれない。まるで若い頃のスピードだ。 ただし作品は、自分で描いておきながら、「これでいいのかな?」というような奇妙なものができあがりつつある。迷いながら描いているわけではない。これまで主題をこんなふうに料理したことはなかったというだけだ。ここで試しておくのも悪くはない」かもしれない。
Jul 15, 2016
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夕方,激しい雷雨。しかし、ものの数分で止む。 あいかわらず一日中,作品制作。たいへんはかどった。奇妙な絵ができつつある。
Jul 14, 2016
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きのう内心に急く気持を抑えられずに、かえって失敗してしまった新作は、今日あらためて途中からやり直しする気になれなくなってしまった。それで、その作品はいつか気が向いたら描くことにして、まったく別の新しい作品を新しいキャンヴァスに描き始めた。 休みなく作品をつくりつづけなければならないときに、構想ごと捨て去るのは我ながらどうかと思わないではない。しかし失敗を修復しているほうがもっと時間を要する。ここはグズグズしているより、一旦見限った方が良いと思った。それで午前中から制作を開始し、終日かかりきりになり、今23時、早くも第一回目の下塗りを完了した。もちろん下地に仕掛けをほどこしたり、いろいろな手順は私の常法どおりだ。 私の作品は、目の前にある実物や実景を写し描いているのではない。かといって空想を描いているのでもない。 喩えるならば、思想や思考やらが何本もの糸だとすると、それらをリアルなイメージを核にしてまとめあげてゆく。あるいはリアルなイメージを錯綜した思考を一本化するためのキッカケとする。それが私の絵だ。 したがって、じつはそのような当初曖昧なイメージ-------浮遊しているようなイメージ、-------あるいは確かさのないイメージをとらえることと、下地に仕掛けをほどこしたり、決して即興的ではない彩色技法をもちいている私の絵画組成技法とは、あまりしっくり行くことではないのである。 つまり浮遊しているイメージをとらえるには、即興的な運筆のほうが都合がよいであろうことは自明の理だ。にもかかわらず、私は私のやりかたによってしか絵が描けないのは、結局、絵画創造もまた己の好むところにしか赴けないということだ。その点で私は全然柔軟ではなく、むしろ頑固だ。 そんなことが、近頃わかってきた。
Jul 13, 2016
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「急いては事を仕損じる」--------いやはや、まさにそのとおり。 今日もずっと仕事場に籠って制作に勤しんでいた。はかどって、この分だと20日には完成するかもしれないと思った。そして午後5時半、一応区切りがついたので仕事を終わろうとした。その矢先だった。「あっ!」と、構図のちょっとした変更がひらめいた。背景の一部にひとつの要素を付加しよう、と。 思いついたのは、いい。そしてそのまま明日の仕事に回せばよかったのだ。 が、一日調子良く運んだせいもあり、よし、下絵をキャンヴァス上でこしらえてしまえと、その作業を始めた。 まず紙に小さな下絵を描き、それをキャンヴァスに貼って上からなぞり書きで写し取っていった。 写し終えて、紙をはがした。そのときだった、今日一日かかって描いた、まだ全然乾いていないところにベチャリと紙がくっついてしまった。 「アッ、やっちまった!」と言ったって、後の祭り。一日の仕事がオジャンになってしまった! 急いて、事を仕損じてしまったわけ。 その部分をすべて拭い落しながら、ほんに切ない溜め息ばかり。ワッショイ、ワッショイ(美空ひばりさんの「お祭マンボ」より)。
Jul 12, 2016
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新たな作品の塗りに入る。 その間にも民生委員としての電話相談があり、しかるべき助言をする。
Jul 11, 2016
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制作中の作品の完成が予定より2日ばかり遅れそうだと思っていたが、どんぴしゃ予定どおり今日完成した。ただし署名はまだ入れていない。 すぐに次の作品の下絵にとりかかる。 ある程度までやったところで、参議院議員選挙の投票に行く。
Jul 10, 2016
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午前中は雨。おかげで庭の植木鉢の植物に水やりしないですみ、仕事場に籠って作品制作。 明日までに1点完成させるつもりだったが、2日ほど遅れそうだ。昨日、画商の私の担当者が電話をしてきて、現在アメリカのサンタ・フェで開幕した展覧会のために描いた作品についてあれこれ話し合い、また11月の大邱(テグ)での展覧会について話した。作品の構想はほぼできているが、まだ制作にとりかかるまでには至っていない。その前に、現在制作中のシリーズを完成させなければならない。これは10月に京城(ソウル)で開催の展覧会のための作品だ。 なにかと忙しくて、今月27日(水)と30日(土)は、私の主治医のクリニックの新築成った建物のホールで美術講義をする。当初、27日だけの予定だったが、その日は医師が診療中で忙しく聴講できないので、医師のスケジュールにあわせて急遽30日の午後2時から4時まで、もう一度同じ講義をすることが決まったのである。 28日には民生委員合唱団の練習があり、29日にもスケジュールが入っている。作品制作はそんな雑用の合間にやっているので、家人は、「本末転倒じゃないのか」と言う。それにはまったくグゥの音もでない。
Jul 9, 2016
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午後1時30分から3時30分まで民生委員夏期研修。いわゆるゴミ屋敷における認知症と孤独死について、および遺品整理について、遺品整理専門業者を招いての2回目の講座。 その実情の悲惨さには言葉を失う。人間の死がすべからく尊厳をもって送れるものではないということで、私にとっては、それでは人間の尊厳死とは何かという哲学的命題を突きつけられた思いだ。おそらく現代のこのような死の環境は、これまでの哲学的回答を無効にすると思える。それはまた、宗教をも無効にするのではあるまいか。 世界が愚かしくも宗教戦争の様相を示しているが、それと関連させて考えつづけなければならないことだ。
Jul 8, 2016
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今日は七夕。お昼に近くの小学校を訪問し、校長先生と副校長先生のお話をうかがいながら学校給食「七夕メニュー」を相伴させてもらった。 五目ちらし寿司、鱚の天麩羅、キャベツと人参のおかか和え薄口醤油、七夕冷や汁(たっぷりの鰹出汁に素麺の天の川見立て、星形の蒲鉾とオクラ)、そして牛乳。 栄養士さんの説明に、だし汁にオクラを入れると一瞬にして汁が黒くなるので、それを夜空に見立てた、と。楽しい工夫だ。鱚は今がまさに旬。 この小学校(日野市立平山小学校)の給食は、おいしいことで学校関係者には有名。栄養士さんが地場産(日野市および東京産)の食材を毎日自分で発注している。 さまざまな食物アレルギーの児童もいる。その一人一人への対応は並大抵の苦労ではなかろう。そして約290食を学校内のガラス張りの調理室で作っているのである。 栄養士さんが、農家から届いた捥ぎたてのトゲのある大きな胡瓜などを調理室前に展示しておくと、子ども達は、スーパーでしか見たことがない胡瓜が、小さなトゲにおおわれているのがめずらしくて触ってみるので、展示を引き上げるときにはツルツルになっているのだそうだ。先日は学校のグラウンドの向いの畑から穫った玉蜀黍を給食に出したそうだ。 校長先生のめざす「食育」が、栄養士さん・調理師さんの努力と地域の協力で、特別声を大にすることもなく実現しているということだろう。 また、平山小学校はICT教育(集積回路技術教育)のモデル先進校で、全児童に一人一台のタブレットが貸与され、学校のみならず自宅で使用することができるシステムを構築している。 このプログラムについて、校長先生のお考えは、ICTを活用した学習環境の提供ということのみならず、世界に目を向けて国際人として活躍することを理念とした児童教育、ということのようだ。 私は諸手をあげて賛成。そう内心に想いながら、6年生の英語の授業も見せてもらった。 http://ict-enews.net/2016/07/01hirayama/
Jul 7, 2016
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国際テニス・男子シングルスの4大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープン)制覇、いわゆるグランド.スラム(Grand slam)を目標にして闘っている錦織圭選手は、ウィンブルドン第4試合(16強)でM. チリッチ選手(クロアチア)と対戦。残念ながら、傷めていた左脇腹の痛みが悪化し、試合途中で棄権して敗退した。 第2、3回戦と次第に調子を上げてきているように見受けたので、まことに残念。棄権して後のインタビューで、痛みは思わしくなかったが、他の試合だったら初めから出場しなかったけれど、ウィンブルドンにグランドスラムの目標があったので、それをモチベーションにして戦ってきた、と言っている。 錦織選手にとっては悔やんでも悔やみきれない棄権であっただろう。 それはわかる。しかし、昨年もウィンブルドンでケガで棄権し、今年度も前の大会で左脇腹を傷めている。完治しないまま国際試合を転戦していると、そのケガが持病のように定着してしまいはしないだろうか。様子を傍観していると、すでにその兆候を感じる。 アスリートが長期に戦線離脱すると、筋力は回帰がむずかしくなるほど衰える。国際的トップ・アスリートともなれば、前線復帰について心配もするだろう。激しく鎬を削って競い合っている世界だ。それを理解しないではないが、錦織選手は日本テニス界が数十年待ち望んだ逸材。いまや世界が注目しているスター・プロフェッショナル・アスリートである。しかも史上5人しか達成していないグランドスラムを目標にしているのだったら、今のうちに左脇腹に固着しつつあるケガを完治させるべく治療に専念したほうが良くなかろうか。 試合中に抑えようにも苦しくて頭をかかえている姿より、エア・ケイのような力強くコートに飛翔する姿を、世界中のファンが望んでいるはずだ。
Jul 5, 2016
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いや、ちょっと驚いた。驟雨である。午後4時過ぎ、ラベンダーに水やりをわすれていたので、ちょうど庭に出たところだった。北から南へ吹く風とともに激しい雨が降り注いだ。そういえば遠雷が聞えていた。ザーッと来て、しかしたちまち止んでしまった。呆気にとられる、という感じだった。 その雨のせいであろうか、夜に入って幾分は暑気もおさまっている。 遠雷や初七日虚し猫ちぐら 青穹 きょうもほぼ一日中、作品制作。若い女の顔を描いている。目鼻立ちはくっきりしているが、少々古典的な顔立ちになってしまったので、青いアイシャドーを入れてみた。これは私の好みではあるが、なよとして弱々しい女が嫌いで、意志的で挑戦的、理知的な色気を描きたい。「カワイイ」なんて、断然拒否。幼児じゃあるまいし。まあ、そんな女は私の目に入らないからどうでもいいのだが、私が求めるのは、心身ともに成熟した本物の気品をそなえたladyである。 今週中にも完成させなければならないが、どうも一両日、この女の顔をいじくりまわしそうな雲行きだ。
Jul 4, 2016
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36℃の猛暑。終日仕事場で制作。 真夏の油彩画制作は、媒剤の溶き油の乾燥が早く、それが利点でもあるが、筆運びが鈍くなる欠点もある。気温によって調合を変えるのだが、夏盛りの仕事終いには油壺の残りをすべて拭き取っておく。それを怠ると翌日にはドロドロになっている。 まあ、ほかにも冷暖房が使えない技法や、気温の変化が予測不可能な事態を引き起こしかねない特殊技法を、私は油彩画に併用しているのである。冬には冬の悩み、夏には夏の悩みありだ。そうしたことを統御するのも絵を描くということなのである。 話は変わる。 昨日録画しておいたのだが、NHKTVのタモリさんの番組『ぶらタモリ 会津』を観た。観光名所めぐりかと想ったら、そうではなかった。御定まりの会津案内からちょっとハズレていた。それが良かった。タモリさんがお好きらしい地形学・地勢学、あるいは地政学の観点から、「会津人はアイデアマン!?」をキーワードに、会津若松城下を探索検証するというもの。 昔住んでいた私でも入ったことがなく、まして観光客は決して知らないであろう場所や事柄を、さすがにNHKの御威光、タモリさんとともに入り込み、潜り込み、登って、面白く撮っていた。タモリさんは節度があり、適度に知的な番組になっていた。もうすこし時間をかけて丁寧に見てまわってもよかったような気がするが、しかし番組の意図は「ぶらぶら歩き」の発展形だ。これはタモリさんの独壇場だろう。
Jul 3, 2016
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7月2日。このブログを開設して今日でちょうど11年が経過した。明日3日から12年目に入る。------と、書いて、つくずく「60歳も遠くなりにけり」と慨嘆する。 さて、年はとっても忙しさは変わりない。今月中に小品を4点制作しなければならない。 小品とはいえ、画面が小さいから簡単にできあがるものでもない。むしろ大画面と同じ細密描写をするので却って気を抜くことができない。つまり大画面で4cmの目を描いたとすると、小画面では5mmくらいに描くことになる。 ボヤいていてもしかたない。画商が小品を描いてほしいというのだから、二つ返事で取りかかるまでだ。 それにしても暑い。緑茶やコーヒー(無糖)を日に何杯もガブガブ飲んで、水分補給だとつぶやいているが、さきほど体重を計測したら維持していたのより2kgも増えていた。水膨れだろうか?
Jul 2, 2016
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初七日前だが死んだ愛猫マスクの墓参に行く。午後1時帰宅。 暑い。 墓参に行くに家を出てまもなくの所で、いつも見守りをしている高齢者が歩いているのに出会った。暑いのに大丈夫かしらんと、心配になって声をかけた。 「お元気でございますか?」と言うと、「いつもお世話になってます」と、しっかりした声が返ってきた。帽子もかぶっているし、それとなく瞳をのぞくと、光があった。これなら大丈夫。 「いつも気にかけておりますよ。洗濯物が出ているかなど、確かめていますからね」 「ありがとうございます。洗濯は3日に一編ぐらいで、出ていない日もあります。家の中に干しているときもあります」 「そうですか。------それではお気をつけてお帰りください。私はこれからちょっと出かけます」 「いってらっしゃい」
Jul 1, 2016
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