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午前9時、家の補修工事のための足場組みがはじまった。家をぐるりと一周するわけだが、若い職人たちの快活な声が私の仕事場に聞こえていた。午後2時頃までかかった。 彼らが引き揚げるとき、彼らに子供がいるかどうかは判らないが、ハロウィン・バックの菓子10パックをプレゼント。 閑話休題 昨夜、映画『私があなたに言い忘れたこと(J'ai oublié de te dire...)』を観た。フランス・ベルギー・スペイン合作、2009年。監督・脚本ローラン・ヴィナ=レイモン、主演オマー・シャリフ、エミーユ・ドクェン。 オマー・シャリフの最晩年の出演作である。演じた主人公の男は、元プロの自転車競技者でツール・ド・フランスの優勝者だが、その後、画家に転身して今日に至っている。私がこの映画をここに書き留めたのは、じつはオマー・シャリフ演じるジャウメという名の老画家は、認知症をわずらい始めてい、映画の進行とともに次第に記憶を失い、行動錯誤をし、やがて死の床につくからである。 むろん私自身が絵描きのはしくれとして、自分自身に引きつけて、身につまされないではいなかったのだ。 認知症をわずらっている老人をオマー・シャリフ氏はみごとに演じていられる。昔の生気にあふれる烱々とした眼光のオマー・シャリフを画面で見てきた私は、この老いさらばえた画家を演じているのがあのオマー・シャリフ氏だとは思えなかった。タイトルに彼の名が映し出されなければ、私はもしかすると最後までオマー・シャリフ氏だとは思わなかったかもしれない。それほど彼が演じた認知症の老画家の目は、ただ宙にそそがれているばかりで、感情が無い、いわばニュートラルな表情なのだ。 認知症患者が登場する映画は内外ともに意外に多い。しかし、少なくとも私が観た作品のなかで、オマー・シャリフ氏の演技は格段に優れていた。 私は認知症サポーターの研修を受けている。実際、認知症の人を外観だけで見分けるのは難しい。親密な家族か、よほど頻繁に会っている知人でもないかぎり、言っていることがおかしいとさへ気づかないだろう。 さて、私自身は自らの行く末を占うことはできないが、砂時計の砂がホロホロ落ちるように私の記憶が脳から抜け落ちてゆくことを想像できなくもない。・・・私が亡母の在宅看護に明け暮れていたとき、母が錯誤した。私が下の世話をしていたときだった。「まさかお父様に娘の下の世話をしてもらうとは思わなかったわ・・・」と言ったのである。私は「えっ?」と、一瞬、母が何を言ったのか解らなかった。すぐに、息子の私を自分の父親と錯誤しているのだと気付いた。それはただ一度だけだったが、もうひとつ明らかな記憶の錯誤・・・むしろ幻想が事実を乗り越えてあらたな記憶として脳裏に定着してしまったと思われることがあった。戦争のさなか、母が幼い姪と甥とを連れて樺太から筏で脱出し、北海道の海岸に漂着した、というのである。・・・私は、母の心のなかで起こっていることを想像した。母は20歳そこそこだった頃、樺太で代用教員を勤めていたことは事実だ。戦争の恐怖。幼い子供を守り、救いださなかえればならないという思い。・・・おそらく、60年以上昔の不安感が、末期に向かっている記憶を書き換えている。私はそう思った。代用教員時代を思い出しながらだったろうか、ベッドに仰向けになったまま、音階名(ドレミ・・)を口ずさみながら、空中に両手をあげてオルガンを弾くまねをしていた。曲も音程も正確だった。私は、手の運動になると思いながら、「よく憶えているねー」と言いながら、エア・オルガンを見ていた。 私は、絵描きの手の運動として、両手を広げ、指折り数えるように素早く動かしている。親指から小指へ。小指から親指へと。数回繰り返す。日課である。脳の運動にもなっているかもしれない。認知症になるかならないかは・・・わからない。映画『私があなたに言い忘れたこと(J'ai oublié de te dire...)』
Oct 31, 2023
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「トリック オァ トリート!」 子供達が玄関にやってきた。「ハッピー ハロウィン!」私は応じて、ひとりひとりにハロウィン・バッグに詰めたお菓子をあげた。 あとから親御さんがやってきて、子供達が喜んで楽しかったと言っていたそうだ。 お話を聞くと、じつは学校からの指示で、子供達は戸外で遊ばないようにと言われているのだそうだ。不審者に狙われないようにとの予防のためらしいが、私はびっくりした。子供がたまたまドングリが落ちていたのを、めずらしそうに見ていたという。公園に行けば、あるいは裏山にちょっと登れば、ドングリはたくさん落ちている。しかし親たちは「拾っておいで」と言えないのだ、と。 そういえば、かつては町内のあちこちから聞こえていた子供の遊び声が、ここ10年ばかり全く聞こえない。「まったく」である。ごくごくたまに中学生のサッカーボールを蹴っているらしい遊び声が聞こえるけれど、いまや町内は・・・こんな表現をするのは我ながらどうかと思うが、・・・まるで死人の街だ。しんと静まり返っている。閑静な住宅街と言えば、そのとおりだろう。が、そこにしょっちゅう救急車がサイレンを鳴らしてやってくるのだから・・・。 なんだか日本の社会は、表面の華やかな繁栄の裏で、あるいは水面下で、悪質な嫌なものや、なんとはなしの不安感が、社会を蝕んでいるような気がしないでもない。学校の教師が教え子の猥褻写真を撮影して楽しんでいるような社会だ。子供達は学校でも安心できないというわけである。 というわけで、私は思いがけなく子供をとりまく環境について親御さんから聞くことになった。
Oct 29, 2023
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突然の雷雨である。夕暮れて5時半。そしてたちまち止んでしまった。 「春雷」という熟語がある。しかし秋雷という成語はない。雷は夏に多いとし、それに先駆けるような春の雷を特に春雷と名付けたのが真相らしい。立春の後に初めて鳴る雷は「初雷」と言う。伝統的な日本文化においては、秋に物寂しさや静けさを感覚してきた。また、雷は「霹靂神(はたたがみ)」、・・・あの「晴天の霹靂(へきれき)」のヘキレキ、思いもかけない時に突然襲ってくる不吉な出来事をもたらす神であった。平安時代には怨霊の祟りとして社会を恐怖におとしいれた。この時代の人々は、雷を心底から恐怖した。現代では信じられないような心性をもっていたのである。多くの絵巻物に表されている。したがって雷は、実際には秋にもあったであろうが、古今和歌集に代表されるように、物寂びた秋の感覚とは相いれず、「秋雷」という言葉が成ることはなかった、と私山田は推測する。 庭草のたおれ伏したる秋時雨 青穹(山田維史) 千草伏しはたた鳴りしく秋時雨『北野天神絵巻』より「清涼殿霹靂時平抜刀」北野天満宮蔵 承久本菅原道眞公の怨霊が雷となって平安京を襲った。藤原時平(ふじわらのしへい)が刀を抜いて対抗している。
Oct 28, 2023
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午前中に、一ヶ月ほど前に予約してあったインフルエンザ・ワクチン接種のため主治医のクリニックに行った。 その後、町内の子どもたちが来訪するというハロウィンのための菓子を買いに少々の遠出。というのは近所のスーパーマーケットその他の店に、アレルゲン物質が入っていない菓子が見つからなかったためである。それぞれの子供がいかなる物質に対するアレルギーかを特定せず、つまり誰にも無難なものを見つけるのが、なかなか難しい。たとえ特定していたとしても、アレルギーがある子供の親は毎日大変であろう。 とにかくなんとか5種類の菓子を見つけた。それを一人分として、35人分を用意した。さあ、「トリック・オァ・トリート」と、いつでもいらっしゃい。 ちょっとディッケンズの小説を思い出す。けちん坊で意地悪な爺さんが登場したと憶えているが、私は、・・・ウフフ。 昔、もちろん私自身が子供だったけれど、小学校時代・中学校時代・高校時代を通じて子供達のためにいろいろな、ささやかな「福祉事業」をやってきた。私の企画に、両親は何もいわずに費用を出してくれた。・・・いや、それは私がおとなになってから思ったこと。当時はお金のことなどまったく私の念頭になかった。両親は内心であきれていたかもしれない。しかし私がすることに一言の口を出したことはない。苦情を言ったことがない。両親にお金の余裕はなかっただろうに・・・。今にして亡き両親に対し、サンキューである。
Oct 27, 2023
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予定どおり来週から家の外壁塗装等の工事に入る。そのための足場組みが31日におこなわれる。その足場に邪魔になる大きな庭木が1本あり、前もって点検に来た職人は何も言わなかったが、私はさきほど昼食後にその木を伐採した。幹の太さ10cm強、樹高3mとるほどもあろうか。「伐採」と言うにふさわしい。可哀想だったが仕方がない。職人としては「伐ってくれ」とは言えなかっただろう。怪我でもされては困る。 我が家は山の上にあり、毎朝鳥たちもやってくる。先日のナナフシの卵の長距離移動繁殖の話ではないが、おそらく鳥たちの糞に種がまじっているのであろう、小庭は植えたおぼえのない花木がどんどん増えてゆく。抜き捨てはしないからだ。もともと在ったのは柿の木が1本だけなのだが、南天、千両、楮(こうぞ)、箱根ウツギ、クサボケ、椿、土佐文旦(?)、八手、ナツグミ・・・みな、どこからか我が家に居着いた樹木である。そうそう、自然消滅した木がある。ムラサキシキブと白桃である。このふたつがいつのまにか完全消滅したのは残念だったが、同時に消滅したことが不思議だった。上述の木々が雑然と入り混じっていいるので、植物間の勢力争いがあるのかもしれない。答えはわからない。 現在、土佐文旦がたわわに実っている。収穫して食べることはないのだが、先日、弟が「果実酒をつくれないか?」と言った。さて、どうなのだろう。いまのところ私は聞き流している。
Oct 26, 2023
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戦争は涙の雨を降らすいかなる戦争も結局は無益だ戦争のない地球Art by Tadami Yamada
Oct 25, 2023
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毎日新聞が興味深い科学記事を掲載した。昆虫のナナフシ(ナナフシモドキ)は鳥の餌として食べられても卵は生き残り、その鳥の糞にまじって飛翔し、かなり遠距離の地で再生することが、神戸大学・末次健司教授(生態学)等の研究チームが実験によって確認したという(三股智子氏記)。 ナナフシはメスが単為生殖で卵を産むが、その卵は硬いシュウ酸カルシウムでできている。末次健司教授によれば、最長630km離れた埼玉県と山口県で、母から子に遺伝するミトコンドリアの配列が全く同一の個体が見つかった。 ナナフシは植物の枝に擬態する羽がない昆虫である。そのため単体での移動距離は限られている。一般に移動距離が短い昆虫は、植物と同様に同一地区の個体同士のほうが遺伝的に近い関係にある。研究チームは、今回の分析で、採取地点間の距離と遺伝子型に明確な関係性を認められなかった。したがって、ナナフシの場合、植物の種子が鳥の糞にまじって移動するのと同じように、鳥に食べられることで自らは移動不可能な遠距離地点に分散、繁殖するのであろう、と。研究成果は英国王立協会の学術誌に掲載された。毎日新聞三股智子氏記事「鳥に食べられても食べられても卵は生き残る?」 ところで、ナナフシとは関係ないが、上述の記事を読みながら不意に思い出した。私が小学校1年生のとき、長野県川上第二小学校の運動場の端にあった木製の雲梯(うんてい)で、初めてシャクトリムシを見たことを。雲梯の白茶けた木の色と同じような色をした小さなシャクトリムシが、背をまるめるようにしてゆくりゆっくり移動していた。ああ、70年前の映像が前頭葉に浮かんできた。 ついでにのべれば、八総鉱山小学校の雲梯は鉄製だった。10年ほど前、星孝男先生と電話で話をしたとき、体育関係の主任だった先生が「あれが必要だ、これが欲しいと会社に申請すると、たちまち実現してくれた。ほかの学校ではあり得ないことでした」とおっしゃっていられた。雲梯や鉄棒や、遊動円木、その他2,3の校舎前の遊具は、鉄に一様に緑色の塗料がほどこされていた。推測するに、これらの遊具はもしかすると会社の工作課が製作したのかもしれない。・・・そうそう、我が家の玄関先の広場も子供遊園地になり、会社が鉄棒、ぶらんこ、シーソー、滑り台を設置した。・・・シーソーのてっぺんに座って、まだほんの幼かった末の弟と2,3人の友達が何か会議をしていた。可愛らしかったので、わたしはこっそり写真撮影をしたことがあった。まったく個人的なことである。
Oct 24, 2023
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すでに茹で栗は食べていたが、例年初栗でつくる栗御飯を今年はまだ作っていなかった。野菜籠の中につやつやとした栗が入っていた。「栗があるね、何が食べたい? 茹でるかい? 焼き栗にするかい?」と訊くと、「栗御飯が食べたい」と言う。「ああ、そうしよう。今年はまだ栗御飯を食べていなかった」 というわけで栗飯を炊いた。それから牡蠣フライをつくり、その他その他の夕食とした。 「おいしい!」 その一言で、私は充分。 渋皮をむきつ念いは栗の飯 青穹(山田維史) 渋皮を剥くはこころか栗の飯 渋皮を一心に剥いていれば、日々の芥を捨てるように心が軽くなるという思い。
Oct 22, 2023
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19日にCNNが伝えYahooニュースなどもそれを引用しているので、すでに旧聞と言ってもよいが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」や「最後の晩餐」から採取した絵の具のX線解析と赤外線分光法から、きわめてめずらしい物質が検出された。鉛ナクル石という無機化合物である この事実を仏・英共同の研究者がつきとめた。「初期の作品である〈モナリザ〉がどのように描かれたかについて新鮮な示唆を与えてくれる」、そして「レオナルドは酸化鉛の粉末とアマニ油を混ぜ合わせ、厚手の皮膜を作った。この膜が第1層には必要だった。一方、本人も知らない過程で珍しい化合物が生まれていた」とCNNは書いている。 さらにCNNは、この研究には関与していないが、米セントルイス・ワシントン大学のウィリアム・ウォレス教授の次のコメントを紹介した。「レオナルドが根っからの実験好きであるのは長年にわたって知られてきた。それ故に、彼が他の溶剤を試していることについて全く驚きはない。本人が最高の絵画技法〔しばしば非伝統的な:CNN註〕の探求に熱心だったことを考えればなおさらだ。それらの技法により、自身の手で『生気に満ちた』芸術作品を作り上げようとしていた」と。 さて、私がこの CNNニュースを引用して、この美術上の話題を俎上に載せたについて、二つの理由がある。 第一に、鉛ナクル石が天然の状態で発見されたのは近代になってからで、1889年にイギリスの二箇所の採石場で、日本では1997年に福島県の水引鉱山で発見された。英語名は、Plumbonacrite。 絵画組成の第一基層として酸化鉛と亜麻仁油の混合絵の具が使用されたのは、じつはレオナルド・ダ・ヴィンチのイタリア・ルネッサンス時代よりずっと早いのである。現在、私たちが使用しているシルバー・ホワイトが、それである。この絵の具が、鉛の特質により乾燥が早く、固着性、堅牢性に優れていることはすでに紀元前4世紀には知られていた。古代中国や日本では「唐土」と称した。いわゆる鉛白である。ギリシアでは鉛板に葡萄酒からつくった酢(酢酸)を化学反応させて酸化鉛を作ったことが知られている。(元東京芸術大学絵画組成研究室主任・寺田春弌著『油彩画の科学』昭和44年、三彩社。p.90) たしかに、レオナルドは「モナリザ」等の作品の彩色第一層に酸化鉛と亜麻仁油の混合物を使用したとき、その混合物が時間経過によって鉛ナクル石に変化することは知らなかったであろう。しかし、その混合物を彩色第一層に使用することによって、上層絵の具の発色や固着にすばらしい効果をもたらすことにについては、レオナルドの先駆性でもなければ、まして彼の発明でもない。たとえその技法を彼と同時代のほとんどの画家が用いていなかったとしても(シルバー・ホワイトは毒性がある)、レオナルドにオリジナル性をもとめるのは早計すぎる議論である。 今回の研究者は、レンブラント以降の画家に使用を認めて云々しているが、それもそのはずで、シルバー・ホワイトとピーチ・ブラック(桃の木の炭化、ないし同じ性質の葡萄の木の炭化ヴァン・ブラック)の混合による美しいグレイ(灰色)のヴァリエーションは、レンブラントの作品にみられるグリザイユ(グラッシー)技法*や、カマイユ技法(シルバー・ホワイトの基層上にバーント・アンバーによるおつゆ描き)には欠かせない、むしろシルバー・ホワイトは絶対条件的な絵の具だからである。酸化鉛と亜麻仁油の混合であるシルバー・ホワイトの厚塗りが、堅牢で上層絵の具の発色にきわめて効果を発揮するからである。 *(山田自註;グリザイユ技法は、レオナルド・ダ・ヴィンチと同年代のネーデルラント(オランダ)のヒエロニムス・ボスも用いた技法。さらにレオナルドより50年早いフランドルのヤン・ファン・エイクも用いている。ティッセン=ボルネミネッサ所蔵『受胎告知』1436年頃作など。したがって、CNNがレオナルドが用いた絵の具の溶剤や絵画技法を「しばしば非伝統的」とわざわざ註したことには、私山田は疑問がある。) レオナルド・ダ・ヴィンチがシルバー・ホワイトを彩色第一層に用いた事実は、鉛ナクル石に化学変化することは知らずとも、いま私が述べた特質については、はるか過去の絵画技法についての知識あるいはレオナルド自身の経験知によって知っていたであろう。少なくとも彼の鋭敏な知性は、自作の美的効果に対する観察眼が鋭かったことは容易に推測できる。 レオナルド・ダ・ヴィンチの彩色技法の研究でこれまで解明されていることで、たとえば下地彩色にインデアン・レッドを用いたことが判っている。その上に施される彩色をがっしりと固着する特質を知ったうえでの用法である。しかし、おそらくその絵の具の完全乾燥を待てなかった何らかの理由による性急な制作ゆえに、別の特質ゆえの経年災害(乾燥しないインデアン・レッドが上層彩色に浸出した黒ずみ。インデアン・レッドの多色への強い浸蝕力)が、作品上に現れたことは、レオナルド当人が知らない現代の我々だけが知ることである。 さて第二に、私が上に述べたことと、CNNやそのニュースに登場した研究者たちのコメントとを並べ読むとき、れっきとした研究者が「伝説」あるいは「ゴシップ」を上書きする可能性がある、ということだ。それ以上は言わなくてもよいだろう。 近代以前の画家たちは、自分が使用する絵の具は自らの手で顔料と媒剤(各種オイル)を混合し練り合わせていた。現在のように画材店でチューブ入りの出来合いの絵の具を買っていたのではないのである。レオナルドに限らず、美術史上にのこる古典絵画の画家たちの各々の技法(メティエ)は、絵画材料学的にきわめて科学的であり、現代化学の知見に耐える知性を備えているのだということは、述べておこう。人類が創造した至宝とされる所以である。「モナリザから珍しい化合物」CNN
Oct 21, 2023
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昨年7月の参院選挙における「一票の格差」が最大3.03倍であったことで、投票価値の平等を求める憲法に違反しているとして提訴された訴訟は、このブログで昨日書いたように、「合憲」とする判決が下された。 本日、報道各社はその詳細を報じている。私はその報道に接して、昨日疑問を呈したように、最高裁の判決論理はやはりおかしいと思わざるをえない。憲法に規定された条項に照らして「合憲」か「違憲」を争う訴訟において、判決理由にいわゆる「情状酌量」が入り込むことなどあり得ないはずだ。しかるに今回の(今後の判例となる)合憲判決理由には、まぎれもない「情状酌量」が入っている。 以下に、朝日新聞2023年10月19日朝刊の遠藤隆史氏の記事の後半部分を、少し長くなるが引用させてもらう。朝日新聞と遠藤氏、どうかお許しください。〈 (判決は)15年の公職選挙法改正で二つの選挙区を一つにする「合区」が2カ所で実施され、格差は5倍から3倍程度に縮み、「拡大傾向にあるとも言えない」とした。 大法廷は合区について「対象4県で投票率の低下や無効投票率の上昇が見られるなど、有権者に都道府県ごとに地域の実情に通じた国会議員を選出するとの考えがなお強いことがうかがわれる」と言及。さらなる選挙制度の見直しには一定の時間が必要と述べた。 こうした経緯を踏まえ、国会が改革の議論を続けつつ、合区を維持していることを考慮すれば、22年選挙は「違憲とは言えない」と結論づけた。ただ、「格差の更なる是正は喫緊の課題だ」とも付言し、「根本的な見直しも含めた方策」の検討を求めた。(以下略) 〉 さらに同じ紙面の磯部佳孝氏の記事の冒頭を引用させていただく。〈最高裁の合憲判決に、参院の選挙制度を協議してきた与野党から安堵の声があがった。自民党の世耕弘成参院幹事長は18日、記者団に「難しい議論だということを(最高裁は)よくご理解をいただいている」と語った。〉 この二つの記事から解ることは、なるほど最高裁の判決理由の文章は、あちらを立てたり、こちらを立てたり、苦心の跡がうかがわれる。オツムの良さがあらわれている。だが、YesでもないしNoでもないが、あらかじめ用意した「合憲」への導入のためには、それは「情状酌量」以外の何物でもなかろう。そのことは自民党の世耕氏が記者団に語った言葉に反映している。最高裁大法廷の判決は、憲法に規定された条項に照らしての判断から微妙にズレている、と私は思う。そのズレが、最高裁が今後の国会の選挙制度改革を「監視」することを意味するのかどうか。一旦「判例」をつくってしまった後で、国会に対する是正勧告が強くはたらくかどうか。・・・私は大いに疑問視する。
Oct 19, 2023
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日本国憲法は投票価値の平等を求めている。しかしながら過去の国政選挙においてその平等が実現したことはほとんどない。一票の格差が1972年の衆議院選挙では最大4.987倍に広がり、1992年の参議院選挙で最大6.586倍に広がった。この不平等な結果について選挙無効を求める訴訟が何度か起こされ、1972年12月の衆議院選については初めて最高裁の違憲判決が出た。しかしながら、(私は論理的に理解に苦しむのだが)選挙自体は有効としたのだった。 ことほどさように、これまでの「一票の格差」訴訟において、「違憲状態」「違憲」と判決が出たにもかかわらず最高裁によって選挙自体は有効とされたため、選挙がやり直しになったことは一度もない。 そして、「違憲状態」「違憲」となった場合、国会は即座に選挙制度の改革に取り組まなければならない義務と責任が生じる。つまり、国会に生じる義務と責任は、選挙民人口の移動と増減により選挙制度を絶えず見直してゆかなければならないことを意味している。だが、「違憲状態」「違憲」の判決にもかかわらず、この最高裁の(まことに奇怪な)「選挙自体は有効」というお墨付きに甘んじて、国会は本気で取り組んできたことはない。憲法の番人であるはずの最高裁は、法治国家日本の社会存立の根幹の枠組みである憲法の、その憲法が唱う「投票価値の平等」を実現するための誰しもが有無を言うことない論理的な判決を下していない、ということであろう。最高裁よ、それは何故だ? 国会は(私が思うに)少なくとも国勢調査が行われる5年に一度は、選挙制度を合理的に見直すべきで、そのように立法すべきなのだ。 さらに合わせて、なぜ国会議員たちは現行選挙制度の改革を進めることを渋るのかを、考えてみるべきであろう。改革を渋るのは、何故だ? 「一票の格差」問題を深く追求することで、憲法をお題目としか考えない、日本の三権の異常性が見えてくるかもしれない。 さて、以上は前置きである。 昨年7月の参議院選は一票の格差が最大で3.03倍だったとして提訴されていた。その最高裁判決が本日2023年10月18日に下された。「合憲」であると。 判決理由は明日報道されるであろう。はたして読むに耐えるものであるかどうか。最高裁判事たちのオツムの程度を疑わなくてよいものかどうか。あるいは最高裁判事の地位にあぐらをかいて、病んでいるかもしれない心性を、疑わなくてよいものかどうかを。【参考】日本大百科全書「一票の格差」小学館・矢野武朝日新聞「最高裁大法廷判決」10月18日
Oct 18, 2023
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谷村新司氏が去る8日にお亡くなりになっていたことが本日わかった。ご病気であったことは私も知っていたが、まさか亡くなられるとは思っていなかった。 私は谷村新司氏の歌詞が好きだ。「昴」のような大曲は言うまでもないが、「秋止符」など難しい歌だが、私はしばしば口ずさむ。短い詩のなかに青春の恋愛とも一時の過ちとも言える、しかし若い男と女との通り過ぎなければならなかった哀傷が、ピアノ(あるいはヴィブラフォンか?)の鈴のような、短音階のような前奏・間奏のメロディーのなかに浮かび、溶け込んでいる。エロティックというよりセクシャルな歌詞は、下品に墜ちず、まさにその通りという拙く痛ましい愛の光景が立ち上がる。まるで78歳の私が、自分自身の青春の蹉跌を回想しているように。「重いコートは脱ぎ捨てなければ 歩けないような そんな気が」した自らの時代を。 谷村新司氏の逝去を追悼いたします。
Oct 16, 2023
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ITだ、AIだ、と毎日のように取り沙汰され、また今や私たち一般の人の生活に深く根を張ってすでに欠かせない道具になっている。さらにこの技術問題からまったく切り離されているが、女性の社会的活動についても時事問題として日夜取り沙汰されている。 私がなぜこの二つの話題を並列したかというと、すでに衆知のことではあろうが、ITの基礎技術の発明は女性だからである。ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr;1914-2000)。そうです、映画『春の調べ』で全裸となって世の男性諸氏を悩殺し、一世を風靡した女優こそが、現在われわれが日常的に使用しているBluetooth、WI-Fi、GPS のスペクトラム拡散通信技術へと発展した周波数ホッピングの基礎技術を発明した人物である。 ヘディ・ラマーは女優から科学者へと転身し、夫でピアニストのジョージ・アンタイル(George Anthil ;1900-1959)との共同で、時まさに第二次世界大戦中のさなかに、傍受不可能な安全な無線通信技術の研究に取り組んだ。発明した周波数ホッピング技術は、1942年に米国の特許を取得した。 しかし、この先進的技術は軍関係機関からほとんど無視された。にわかに注目され、実用化へと発展するのは1960年代に入ってからだった。 彼女についてはウィキペディアを参照してほしい。また科学・工学技術史関連書籍、児童書の伝記絵本も出版されている。 さて、私がヘディ・ラマーについて衆知の事実をあえて述べたのは、じつはYouTubeで彼女が主演している映画を観ることができるからである。しかも上述の特許取得後に出演したハリウッド作品だ。 ただし、このYouTube映像はモノクロ原画をAIでカラー化している。原画に手を加えたものを私は好まないが、しかしヘディ・ラマーの映画へのオマージュとなるかもしれない。また、自動再生の日本語字幕が出る。英語の語順に訳されるのは仕方がないとしても、相変わらずの奇怪な日本語訳がすくなくない。この自動翻訳技術はまだまだ拙い。それさへ我慢すれば・・・ 『奇妙な女 (Strange Woman)』1946年 監督:エドガー・G・ウルマー、(一部の演出:ダグラス・サーク)、脚本:ハーブ・メドウ、撮影:ルシアン・アンドリオ、音楽:カルメン・ドラゴン 出演:ヘディ・ラマー、ジョ=ジ・サンダース、ルイス・ヘイワード、ジーン・ロックハート、ヒラリー・ブルックYouTubeヘディ・ラマー『奇妙な女』 ところで現代の日本、私は女性の活躍に賛辞を送っているが、しかし残念ながら女性政治家は軽薄無恥な男性政治家とまったくかわらない連中が少なくない。最近の事例をとれば、その人権侵害発言に対する批判にまったく無頓着な国会議員。これすなわち憲法違反であるにもかかわらず、国会議員として責任をとるどころか内閣の重職に着く。任命するほうもバカだから、同じ穴のムジナ。政治家が堕落するのも当然か。これを女性の活躍と言ってよかろうはずはない。むしろ女性が女性の敵となっているとみなさなければならないだろう。社会的な活躍とは、場や地位につけばそれで良いというのではない。そこには責任がともなわなければならないはずだ。軽薄無恥、そして無知、とかく易きに着く政策を政治と心得ているような連中が蝟集している日本政治の現状、と私は思うが、如何?・・・地方政治ではあるが、埼玉県自民党が県議会に提出した「子供留守番禁止条例」案は、まさに易きに着くで、なんでもかんでも禁止してしまえば安心の浅はかさ。政策政治理念というよりもそれ以前にオツムの程度が低すぎる。公金吸いという指摘も出よう。
Oct 14, 2023
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午前中のうちに先日やり残した西南の草取り。正午に終了。 椿の実割れて飛びちる種や種 青穹(山田維史) 手のひらに椿の種をにぎりしめ 老いの身に椿の種の硬さかな 昼、栗を煮る。 午後、調べ物。 地球はあちこちで戦争だらけ。何をやっているのだか、人間は。
Oct 12, 2023
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奇妙な夢を見て目覚めたのが朝の4時半過ぎ。 その夢というのは、山道かどこかを下っていると蛇の巣穴をみつけた。覗くともなく見やると、とぐろを巻いた蛇の背が見えた。私はそのまま取り過ぎようとすると、巣穴から蛇が出てきた。なんと一つの胴体の二叉頭の蛇である。頭をもたげて、少し大きい頭のほうが、「ネネ、ネネ」と言った。私に言っているようだった。私は、腹がすいているのかもしれないと思った。私はポケットから茹でたサツマイモを取り出し、半分に割ってそれぞれの口に与えた。小さい頭の方は美味そうに食っているが、大きい頭の方が、「もう少し小さくしてください」と言った。「そうかい、大きすぎたか」と私はサツマイモを小さく砕いて豆粒ほどにして蛇の口に入れてやった。・・・それから、どうも私はワープして別次元に飛んだのだが、忘れてしまった。(後記に) 目が醒めてしまったので、灯をつけて読書をはじめた。6時半まで、論文を一つ読み終えた。 必要があって、過去の作品を大量にA4写真用紙にプリント。ちょっと疲れて3時のお茶にし、再び午後5時までプリント。 今、就寝前に頭と気持ちをリラックスするためにモーツァルトの曲を連続で聴いている。かえって頭が興奮してきた。ハハハハ・・・・【後記】夢のことなど書かなくてもよかったが、書いてから気が付いた。じつは、ヴェトナムで野生のコブラを捕獲し、養殖し、中国へ大量に輸出されていると知った。中国でも養殖してい、薬品や食料にしている。貧困者が共同体を組織して行なっている「事業」だそうだ。私は養殖場の映像を見ていた。そしてもうひとつ。犬と猫を飼っている人が焼き芋を買って食べさせているのを見た。犬も猫も美味しそうに食べていたが、猫には指で丸めて食べさせていた。私が猫を飼っていたとき、その中のマリが煮栗が好きで、おねだりした。私は煮栗を砕いて指でまるめて食べさせていた。・・・一胴二又蛇に薩摩芋を食わせる夢は、私が現実に見聞したことがタネのようだ。
Oct 10, 2023
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まもなくハロウィンである。こどもたちが我が家にやってくるという。25人だそうだ。・・・というわけで、25人分のお菓子が入ったハロウィン・バッグを用意しなければならない。そこで心配になったのが、アレルゲン物質の問題である。一人ずつ確認はできないし、また確認したところで一人一人に適合する菓子を別々に用意することも大変だ。やはりみな同じにし、とにかくアレルゲン物質を使用していないものを選ぶこにする。 いや、そうは言っても、そのようなお菓子を何種類か見つけるとなるとなかなか難しい。ないわけではない。数十種類は調べがついた。ところがそれらが、必ずしも個別包装されているわけでもなく、扱っている店もバラバラなのだ。 ・・・まあ、まだ準備する時間はある。こどもたちは張り切ってやってくるだろう。喜んでもらおう。仮装して来るらしいので、私も楽しもう。
Oct 9, 2023
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午後2時過ぎから、夏の盛りから気になっていた家の周囲の草取り。除草剤を撒くと良いのだが、たくさんの飼い猫がいたので止めていた。草むらを掻き分けて家の周囲で遊んでいたからだ。最後に残ったフクが亡くなったので除草剤を撒いてもいいか、と思った。しかしヘンなもので、なかなかその踏ん切りがつかない。結局、手で引き抜いているのである。 じつは、来月、専門業者に家の外壁等の保守作業をしてもらう。そのための準備でもあった。冬になる前にやっておこうというわけだ。 ・・・草取りは、あと一方を残したところで雨が降ってきた。
Oct 8, 2023
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このところ家に閉じこもっていたので、運動のために3時間のサイクリング。秋に入って初めて長袖シャツにした。汗をかくかなと思ったが、たしかにサドルに乗っけている尻は汗になった。しかし、まあ、気持ちの良い秋日和だった。 休憩のつもりで途中の本屋に寄った。棚を見てまわり、手にとって中身の文章を一瞥するうち、ああ、これもこれもと、4冊買った。すぐれた研究の著者を発見するのは嬉しい。この歳になると、深甚な書物こそが娯楽になり、人生の終末までの時間を豊かに満たしてくれる。そう思っているのだ、私は。
Oct 7, 2023
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在野の研究者にとって、従来ならば手も足も出なかった国会図書館や各大学図書館所蔵の貴重古書・原書あるいは大学紀要などが、オンラインによって閲覧できるようになったことは、まことにありがたい。 私はすでにいくつもの大学図書館をインターネットで訪問し、貴重書を閲覧してきた。きょうも1日中、必要資料をもとめて訪問していた。主として江戸時代に刊行された漢文書を読んでいた。オンライン閲覧は、時間制限がないので、漢文や崩し書体の古書を、私の貧しい頭をひねりながら、じっくり時間をかけて読むことができる。書物によってはダウンロードして私のプリンターで印刷することも可能だ。国会図書館や大学図書館のオンライン閲覧可能な書物は、その本の刊行所や出版人、刊行年月日等々のIDがしっかり記録して公開されているので、論文執筆における出典を明記できる。論文執筆者にとってこれは重要な一事である。 読書の秋は、私はオンラインで古文書読みになりそうだ。
Oct 6, 2023
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夕方の日の光がすっかり秋の色である。白壁を金色に染めている。 秋光や禅寺の鐘澄みにけり 青穹(山田維史) 「紫雲英(げんげ)蒔く」という言葉がある。昔の季寄せでは秋十月の季語である。翌年の準備に田に肥料として紫雲英を蒔いたのだが、現在ではおそらくやらないだろう。 先日。google earth の衛星画像で会津若松市を観た。母校、会津高等学校をとりまく環境は60年前の風景をまったく留めていなかった。もちろん校舎もだ。当時、学校の三方は畑地だった。正門前の道路は第三体育館わきまでで行止り、その南方向の畑地に、春になると紫雲英が咲いた。正門を挟む桜並木の桜の向こうに、地上は一面に薄紫がかった桃色の紫雲英畑がけむるようにひろがっていた。・・・現在、正門前の細道は大通りになり、畑地などどこにもなく、住宅やその他の建物がぎっしり埋めていた。・・60年前の紫雲英畑が肥料のためだったとは思えないのだが、それより昔の秋耕のなごりだったろうか。現在の会津若松市民も60年前の会津高等学校の第一・第二・第三体育館の裏手に紫雲英畑があったことをおそらく知らないだろう。ちなみに私が在学時代、屋内体育館は新体育館を含めて五つあった。写真は60年前の会津高等学校 手前の平屋の建物は図書館現在はこの撮影位置から正面全体を撮影できないであろう ああ、そうだ、私が高校3年のときである。旧制会津中学校以来のネオゴシック風の会津高等学校の校舎が、不審火によってほぼ全焼した。その夜、石造の講堂が崩落する轟音と業火の中で、成田先生が「図書館の本を救けてください!」と叫んでいたと、駆けつけた下級生の関くんが言っていた。駆けつけた生徒たちによって運びだされた本は、正門前の畑地に積まれたのだった。 ・・・今、どこか遠くで消防車だろうか警察車だろうか、サイレンが鳴り響いている。それで上記のことを思い出した。 秋天や暮れるも早し街灯り 青穹
Oct 5, 2023
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通草(あけび) 蔓あけび切りて更地になりにけり 青穹(山田維史) 空手家の背後で割れるあけびかな たなごろに夜の卵のあけびかな
Oct 4, 2023
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ヒロヘリアオイラガの幼虫が、柿の葉を食い荒らした。その葉の画像。まあ、感心するぐらい見事に食っていた。地球上に生まれた掛け替えのない生命を、人間中心主義(Human-centralism) で害虫というのは忍びないが、勘弁な、である。2023.10.03
Oct 3, 2023
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今の時季、例年だと柿落ち葉と鳥が啄ばんだあとの半欠けの落柿の始末に、毎朝夕それぞれ2,30分の庭掃除をしていた。ところが今年はほとんどしない。わずか数枚の落ち葉を拾うだけだ。つまり、それほどヒロヘリアオイラガによる被害がすごかったわけだ。鬱蒼と茂っていた緑葉は食い荒らされてほとんどなくなってい、殺虫剤散布後に落下した幼虫は塵取りいっぱいになったのだった。それは長年の間、一度もなかったことだった。それで虫害にまったく気づかずにいたのである。 私は紅葉した柿の葉が好きだ。鞣し革のような照りと厚手の質感が好きだ。毎年紅葉の度合いがことなる葉を数枚拾って机の上に置く。ただ置くだけ。ときどきスキャンしてプリントしてみることもあるが、文庫本などのダスト・カヴァーに作れないかなどと思う。 ダスト・カヴァーは自作することがある。亡母が昔人形制作をしてい、浅草橋の人形材料問屋からたくさんの金襴を買っていた。それが死後に遺された。日本の織物の伝統柄なので、私は参考資料として処分しないで保存していた。その金襴で本のダスト・カヴァーを幾つか作り、弟にプレゼントした。 弟もそろそろ死ぬことを考えなければならないはずだが、本の購入はいっこうに止めず、本に埋もれて読書している。読んだ蔵書の数は私にはおよばないが、日本古典文学のなかには立派な本も所蔵している。じつは私が現在読んでいる『西行全集』は久保田淳編、日本古典文学会が昭和57年に刊行。A5判、1,268ページ。定価24,500円。おそらく原本翻刻西行歌集の既刊本のなかで最良の本だと思うが、これは弟から借りているのである。 ・・・柿落ち葉から横道にそれた。ヒロヘリアオイラガの幼虫が食い荒らした落ち葉も、よく見ると、よくぞここまで食ったとヘンな関心をしているが、硬い葉柄だけが残った残骸をスキャンしてプリントしておくのもよいかもしれない。
Oct 2, 2023
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ああ、10月になってしまった。いろいろな意味で感嘆詞が付く。 この一月ばかり古文と漢文ばかりを読んでいる。ときどき自分の話し言葉が古文調になり、苦笑。 読書している耳に、何度か消防車のサイレンが遠く近くあちことで聞こえていた。少し涼しくなった途端に火災が多くなったということだろうか。
Oct 1, 2023
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