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田 村 太 平 記
2002年8月刊行 石橋印刷 売切れ
序 章
戊辰戦争が終わり、そして明治という時代のはじまる頃には、この山を中心に田村郡谷田川村、同じく栃本村、そして石川郡塩田村の三つの村が取り囲んでいた。そしてこれらの村の一帯で、謎めいた次の詩による和讃のようなものが、秘めやかに唱え継がれていた。
名にし負う
雲水峰山の御社は
中は村上
弓手は亀山
馬手皇子
祭る明王
月夜田
重ね石
陣場や
残る塩田や
二ツ村
星ケ城
たふとさな
なはよ
(ハヤシ) なんちょ なんちょ。
(この詩については、一四三頁の「さまよえる神々」を参照)
しかし現在では、この詩の意味も節もそして唄自体が忘れられてしまっている。ましてや唱えるなどということは、もう誰にも出来なくなってしまっている。郡山市と須賀川市の境となっている宇津峰山の頂上、あの激動の中世の星ケ城の城跡であった宇津峰神社の前で、「毎年陰暦の四月一日の夕方、十六弁の菊の紋の入った幔幕を張り巡らせた中に集まった村の偉い人たちが、裃姿で集まって礼拝をする時に唱えられていたのだそうだ」ということが言い伝えられているのみである・・・・・。