『福島の歴史物語」

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2007.09.27
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 これに口実をつけた足利幕府は、小山義政追討の令を出したのである。周囲の南朝方の助力を得た小山氏により、この戦いは長引いたが、小山義政の自害で一旦は収まった。しかしその子の若犬丸は城外に逃がれ出た。
 田村則義はこの小山若犬丸に、「南朝の義によって立つ。応援を乞う」との要請を受けた。則義は全力を挙げるとこれの救援に赴いた。
 ——南朝はともかくとして、自己の拠って立つ所も確立せねばならぬ。
 その思いも強かった。その思いが再び則義に南朝の旗を掲げさせたのである。しかし当国の守護・木戸修理亮に執拗な攻撃を受けた。
「この戦い利あらず。もはやこれまでか・・・」
 そう話し合うと二人は足利に逃れた。
 これを知った足利氏満は、自から鎌倉を出発して下総の古河城に陣を敷いた。大軍を前にした若犬丸と則義は、南朝方の小田氏の下に逃亡した。二人は常陸の小田城に兵を結集したがまたも破れ、常陸の男体城に退いた。しかしこの城もまた陥落した。
「されば兵を温存し宇津峰に退くか」
そう決めると、二人は辛うじて則義が確保していた宇津峰城に退却した。しかしその道すがら則義らは、上州の旧南朝の諸将に「挙兵依頼」の書をしたためたのである。その書に応じて新田・脇屋などの軍勢が到着し、さらにそれを聞きつけて多くの南朝の残党が集まって来た。このためここ宇津峰城は、南朝の一大拠点となってしまったのである。
 これら南朝方の挙兵に危険を感じた足利氏満は、彼の弟・満秀を佐々河に下だすと、田村則義そして若犬丸に備えさせた。則義は南朝の滅失という事実の中で、南朝の将軍となってしまっていた。しかしそれは自分から意図してなった訳ではなかった。
 ——祖父が南朝を奉じた目的は、所領の確保と拡大にあった。それはそれで意味があった。しかし父の一生は完全に「攻めではなく守り」であった。あの「守り」の戦いが、今の自分には単なる惰性となって残っているだけではあるまいか?
 この疑問が則義を苦しめていた。
 ——小山若犬丸をはじめ南朝の諸将がここに集結しておる。三春の田村に転じた橋本正典より僅かながら軍資金も届いておる。これを蹴ることが出来るか?  出来ない! とすれば自分も単なる惰性で南朝を守っているだけではないのか?
 その思いがさらに彼を苦しめていた。
 ——今が自分の力の限界であるとすれば、若犬丸を捕らえて幕府に差し出す方法もある。さすれば、どうなる?
 今それをすれば足利幕府に恩を売ることになり、先ざき有利に働いて行くのが目に見えていた。
「しかし・・・」
 この壮絶に相反する二者択一の決着が、義であった。
 ——義とは何ぞや?
 その意義を見い出せぬまま、すでに失われていた南朝の旗をまたも掲げたのである。滅亡した南朝を後盾とした今、則義は明確に自分の孤立を意識せざるを得なかった。






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最終更新日  2007.11.15 17:08:04
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