『福島の歴史物語」

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2008.03.15
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 さて熊田白翁は、ジェンナーが種痘を確立する六年前に亡くなっている。そうすると牛痘苗が発見される前に熊田白翁が牛痘苗を意味する白翁の号を付すということは、絶対にあり得ない。そこで考えられることは、白神痘とは牛種痘苗のことではなく病気そのもの、つまり疱瘡もしくは天然痘を表しているのではあるまいか? ということであった。そう考えるとこの熊田と笠原の『白翁』という二人が付した同じ号は、年代的には五十~六十年、場所もまた福井と郡山と違ってはいたが、疱瘡で関連していた号であったということになる。これは単なる偶然の一致であったとしても、不思議な符合であった。
 この不思議な符合から考えられることは、熊田文儀の養父が『白翁』と号していた理由に、疱瘡という病気に対して一方ならぬ思い入れがあったということなのであろうか。
 ちなみに、延享元(一七四四)年には中国から鼻乾苗法が伝えられており、寛政二(一七九〇)年には筑前秋月藩医の緒方春朔が天野甚左衛門の二児に鼻乾苗法で人痘種痘を実施し、はじめて成功したその翌年、熊田白翁が亡くなっている。なお蛇足、推測になるが、二本松藩医の小此木玄智の号は天然であった。うがった見方をすれば、笠原良策が白神痘から白翁と号したように、小此木玄智もまた、疱瘡つまり天然痘から天然と号したのかも知れない、と思った。
 ──これら疱瘡に対する深い思いが『白翁』という号になり、その意志が熊田文儀に引き継がれ、そして文儀による牛種痘の実行につながっていったと考えてはどうであろうか。それに鼻乾苗法が伝えられた延享元(一七四四)年は熊田白翁が死亡した年の四十七年前であり、この長い期間中に熊田白翁が疱瘡予防に努力していたと想定することも、可能であるからである。
 そう思って図書館に行った私は、百科事典をはじめ、医療百科事典、大漢和辞典と随分探してみた。しかし直接『白神痘』という項目はなく、疱瘡で調べてようやく漢独日対称事典でそれらしきものを見つけた。
 それによると疱瘡は、ラテン語で『斑点のある』という意味の Varius からVariola と命名された、と出ていたのである。残念ながらその文字列では、白神痘と読む訳にはいかなかった。そこで頭文字がVであるから、バクシントウとは読めないかと思ってまた大漢和辞典をひっくり返してみたが、結局は空振りで終わってしまった。それでも大漢和辞典に痘とは疱瘡の意ともあったことから、白神痘イコール牛種痘ではなく、白神痘は疱瘡の意であるという感触を得ていた。なお日本では、ジェンナーが確立したVaccineを種痘と訳しているが、これをローマ字読みにすればバクシーネに近くなる。そしてこれに関連する事項として、ラテン語の Vacca(雌牛)が Vaccine (ワクチン)となったということも記載されていた。
 ──Vacca! これこそが雌牛の乳房から採取された、牛痘苗そのものを示唆しているのではあるまいか!
 私はそう思った。
 また白神の中国語読みについては、問い合わせをしていた中国語に詳しい友人の飛田立史氏より
「(中国の)共通語でbai shen (バイシェン)南方訛りでバックシン、仰せの通りハクシーネ近い音と考えて頂いて結構かと思います」
という知らせも受けていた。







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最終更新日  2008.03.15 13:03:39
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