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同じようなものだと感じていました~でもちょっと違うのですね~どう違うのかは今はハッキリとは言えないんですけどね。昨日自己尊重の2回目の講座を受けていて、漠然と思ったことです。もし何かお気づきのことがあれば教えていただけたら嬉しいです。私が思ったのは自己尊重感はありのままの自分を尊重する感情で、何かが出来るとか、何かを持ってるとかじゃなく、自分はそのままの自分で良いと今の自分を信じる感情。まさに自信ですよね~自信って自分を信じると書くんですね自己肯定感もそう言う所も含んでいるけれど、何か成功体験を積むとか、自分以外の誰かに認めて貰うとかして、得られる感情なのかな?と理解しています。私のこの解釈で良いのかなあ・・・そんなにきっちりと分けられるようなものでも、無いのかとも思うのですけどね。一つ感じるのは両者のバランスがとれていないと、自分がとても辛くなるかもと思います。自己評価が低いのも、いわゆる他者評価が低いのもしんどいけど、どちらかが極端に低くどちらかが高いと言うアンバランスな状態も、生き辛いだろうなあ~と感じます。理想は両者がほどほどの高さで揃ってることなのかしら?この前に出先で見た不思議な空2回目の講座では自分の自己尊重感を計る、自己尊重スケールと言うものをしました。色んな項目に対して、何時もそう思うとか時々そう思うとか、あまりそう思わない全く思わない等答えて、その点数を集計するものです。その結果私は「対人関係」「能力」「感情」等の項目で自己尊重感が低めに出ました。ここ数年自己評価を落としまくってきたつけなのかな・・・それとも前からかな?満点の半分ぐらいでしたね。その結果を受けてどうすると言うのでもないのですが、そう言う傾向にあるとわかるだけでも良いそうです~その分自分に優しくなって自分を大事に出来ますものね。あまりにも極端に低いと、カウンセリングなどで上げていかないと、感情を抑圧して感じないようになってしまうそうですね~息子が一番荒れてたとき自分もそれに近かったかもしれませんね~もちろんそれは長年の自分の問題なのですけどね。そして自分の自己尊重感の低さは娘にも伝わってると言うか、娘もかなり低そうです。「人を嫌な気持ちにさせてはいけない」とかなり気を使って、へとへとになってきてるようですね。最近娘と会話していて気づきました・・・次回は自己尊重感が下がる原因のようなものを探るそうです。話は変わります。今日は親の会でした。今までで一番多くて10名以上の方の参加でした。初めて参加された方もいらっしゃってました。私は何時もつい語ってしまうので(笑)今日はあまり発言しないように気をつけました。何を言っても否定されたりしないで、安心して自分の気持ちが言えるのが、この親の会の素晴らしいところだと思います。そして皆さん温かいのです。まるで自分のことのように親身になって聴いてくださいます。だから帰るときは何時も笑顔になるんです。もちろん人それぞれ歩み方は違うのですけどね最初は何か正解を求める気持ちで、いらっしゃってる方も居るかもしれません~でもこれが正解なんてことは、誰もわからないんじゃないかしらって私は思うのです。自分も未だに模索中なのです。でもトンネルは必ず抜けられると信じています。仲間がいると自分が元気になれますし、誰かに自分の元気をわけることも出来るのではないかな?そんな気持ちで毎回参加させて頂いてます。このブログを書くことで同じような経験をされた方々と繋がれて助けられてきたようにね~「子どもが不登校になってくれたおかげで知り合えた」って今日あるお母さんも言ってたけれど、本当にそうだなあって染々と感じます。近況報告のようになってしまいましたが、わりと波立ちがなく過ごせた1週間でしたね
2015.11.28
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拍手って自分でもこんなに書いたんだ!とビックリです。そしてブログを開設してから知らない間に4年が過ぎておりました。リアルに日記書いてたらそんなに続いたかどうか。これも読んでくださる方や、コメントをくださる方々のお陰ですね~何時もおこし頂きありがとうございます今日も何時も通りの日常ですが、自分の感じるままに書いてみます。この前からぼつぼつと自分の中に小さな変化は感じていたのですが、ちょっと今学びたい時期なのか、色々と講座を探していました。たまたま新聞の催し欄で見つけて1ヶ月程前に申し込んだ講座、今日が第1回目でした。開催されるかどうか分からなかったのです。最低でも3人以上集まらなければ無かったのですが、丁度3人集まって無事開催されました「自己尊重トレーニング」と言う講座で、自分を好きになる自己肯定感を高めると言うもの自己尊重はセルフ・エスティームと言われるもので、自分は自分のままで良いと言う感情なのだそうです。自己主張のアサーティブとも似たようなところはあるけれど、その前段階と言うか、「私は私のままで良い」という根っこの感情で、自分を認め、自己否定せず自信を持つ。丸ごとの自分にOKを出すと言った感情を高めるトレーニングだそうです。何となく自分に自信がない私には、ピッタリ合うような気がしています。もともと自己尊重感の高い方には必要が無いと思いますが・・・第1回目は簡単な自己紹介から始まって、講座を受けるに当たっての諸注意のようなものも受けました。講師の方はフェミニストカウンセラーをされてる方で、「私は結構口が悪いのよ~何でもはっきり言うから」って仰ってましたが、とってもさっぱりした感じで、話しやすそうな方でした。講座内で話されたことは決して外では話さない等安心感がある中でなければ、なかなか自己開示が出来ないですものね。アットホームな感じで私はとてもリラックス出来て、自分でも驚いたのです何時も初めての場所は緊張するのにね。どうしてかしら~全部で8回の講座ですが、良い学びになれば良いなあと感じています。今日の講座でひとつ成る程と感じたのは、よく「自己受容」と言われるものについてです。自分のブログでも書いて、ここ何年間かそうしたいと思ってつとめてきたことです。ありのままの自分を認めるとも言い換えられるかしら?でもね、今の自分がイキイキと出来ていれば自己受容は容易いことなのです。しかし自分が今不都合な状態にある人には、自己受容ってなかなか出来ません。だって今ありのままの自分は自分がそうなりたくない自分、嫌なところばかりが目立つ自分なんだから・・・これは私がそう感じたことも含まれてるのですが、何か問題を抱えてる人はその問題を解決していかないと、なかなか心が回復していかないそうです。そして心と体は繋がっているから、心だけを取り上げすぎるのもいけないらしいですね。簡単にですが今日講座を受けて私が印象に残ったことなどを書いてみました。もちろん感じ方は人それぞれだと思いますので、あくまでも私の個人的な感想と言うことでご了承下さいね。これからも講座で何か気づいたことがあれば、書いてみたいと思っています。具体的なことまでは書けないですが、総括的なことだけでも。今日は午前中は講座に行って、午後からは義母と仕事のことで一緒に出かけていました。今週は結構予定がつまっていて、フィットネスも1度しか行けませんでした。実家の親の病院の付き添いもあったし娘の病院もあったし。明日も朝から仕事です。でも淡々とこなせて、ちょっと動きが軽やかになったかな?少し冬眠?から覚めてきたかしらとも思ってます(笑)学びの秋にしたいなあ~綺麗な紅葉も見に行きたいです。山茶花桜の木の紅葉はまだかなコスモスはそろそろ終わりです地植えの多肉植物柿の木の葉
2015.11.20
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を見るのって怖いですよね~何で怖いのかと言うと、やっぱり自分は一寸でもましな人間で居たいって言う、見栄のようなものが常にあるからかな?って私は感じています。あんまり欲を前面に出したような人には見られたくない、出来るだけ品よく見られたいと言うか、ギラギラしてるように見られるのは格好悪いって思ってる。それは特に若い ときほどそうだったような気がします。そして今も多分そう感じてるんじゃないかな。おばちゃんになって、少しだけどそこオープンに出来るときもあるけれどね~(笑)欲って決して悪いものでは無いですよね。欲が全くない人は居るのかな?って思います。でも何となく出すのは恥ずかしいし、自分の心の中にしまっておきたくなる。そして欲が強いほど、自分が苦しくなる場面も増える。だって生きてるとそんなことばかりですものねだからお別れしたり、手放したりしなくては自分がとっても辛くなってきます。もちろん一旦お別れしてもまた次から次と違う欲がわいてくるから、無くすことは不可能です。それこそお坊さんのように無我の境地になるように、日々修行すれば別だろうけど、私のような凡人には到底無理な話なんですよね~だから最近は欲がわいてくると「あらいらっしゃい」「今は少し大人しくしててね」「後で遊んであげるからね~」と思うようにしています。悪者扱いせずに共存していく方向で。排除しようとするとより認めてほしくなってしまうから、それは辞めて。そうすると不思議と大人しくしてくれるようになりました。そして他のことしてる間に段々と小さくなる感じもします。そう感じるだけかな?決して無くなることは無いんです。でも苦しくない。闘わないからかなあ・・・そしてそうしながらも、他の人に対する欲は少しずつ手放してる気がします。特に子どもに対する欲はね。子どもを持った瞬間から長年持ち続けて大きく育ててきた欲だから(笑)手放すことは容易ではありませんでした。今もその途中だと思う。もちろん人と比べない気持ちが全く無くなった訳じゃない。自分の欲を手放さずに一生を終える方も居るでしょう。でもそれは私の人生じゃない。どちらが良いか悪いかじゃ無いんです。私は私の人生を生きるだけ。どちらが上も下も無いんですよね~それが自分で自分をジャッジしないってことかしら?在るがままってことかしら?そして子どもたちも、夫も、義母も、両親も、自分の人生がある。家族の人生を邪魔したくはない。今はそう思ってます。だから私の人生も邪魔しないでねってお願いしよう。自分が自分である欲、これが自尊感情なのかな?って今気がついたわ。少し酔った勢いで呟いてみました。多分削除はしないと思うけど・・・明日になったらまた気が変わってるかも知れないなあ~この山茶花のように清らかな気持ちの時もあれば、そうじゃない時もありますね。
2015.11.15
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自分の気持ちを表すことは、なかなか難しいことですが、ここ最近のあれこれを少し振り返ってみたくなりました。ここ1週間は何となく気持ちが下がりぎみで、でも落ち込んで閉じこもる程では無かったです。淡々と家事などこなし、仕事で掃除したり、必要なもの買いに行ったり。プライベートではフィットネス2回行って映画もお友だちと一緒に行って、両親の老人ホームに2度行きました。母からは2日に1度位のペースで電話はかかってきてました。入るときは父の方が難色を示し、今は母の方が色々と不満が出てきてます。主に父に対する不満です。狭い部屋で四六時中顔を付き合わせてるから、見ないでいいところまで見てしまいストレスが溜まるらしいです。自分の未来を見るようだわ~(笑)年取ったらお互いを労り合える夫婦が理想なんだけどなあ~今から頑張らないとですよねお友だちと一緒に観た映画は「ボクは坊さん」です。若い24才の方がお祖父さん亡き後の実家のお寺を継ぐお話で、実話を基に作られた映画らしいです。そんなに内容は解らずに観たのですが、すごく良かったです。最近仏教関係の本にひかれるのですが、お寺って気持ちが落ち着きますね。またお参りもしたいなと観ながら思った。誘ったお友だちも「良かったわ~」って言ってた。この前にも会った、息子さんをなくされた方です。色々と考えるところもあったと思う。フィットネスは2度行ったけど1度はスッキリしてよかったけど、1度はモヤモヤしました。すぐ近くにお子様の大学受験のお話に熱心なママ友同士が居たからです。久々に思い出したイヤ~な感覚でした。まだまだ自分の中にそこ気になる気持ちが残ってるんですよね~きっと。もうはるかはるか昔に自分には無関係になったと感じていたんだけどね。「子どもの問題なのにほっとけよ」と心の中で毒づく自分を確認しつつ、黙々と運動に励みましたが・・・顔は険しかったかもです(笑)あとは11月に入ってから久々に受けた人間ドッグの結果がかえってきて、予想通り色々と改善しないといけない所はありましたが、直ぐに薬とか再検査にはならず。ここ数年間自分ではかなりのストレスがあったし、健康損ねてる自覚もあったのですけど、これぐらいでとどまってラッキーだったなあ~と今は感じています。精神的には少しタフになったけど、体力的には衰えが~もっと体鍛えないとね。嫌だったのは結果が郵送できたのを義母に気づかれ、「結果はどうだった?」と即座に聞かれたことです。もっと悪い結果なら言いたくなかったかもなあ~何となく。やっぱり自分のことを何から何まで把握されて詮索されるのは嫌なんですね。子どもたちもそうなんじゃないかな?って私は思うなあ。これも子どもによるのかな?自分の覚え書きのように色々と書いてしまいましたが、多分書いておかないと忘れてしまうようなことばかりだから、書くほどのことでもないんだろうけど・・・細々した感情の動きはありましたが「ああ私は今こう思ったのね」「こう感じたのね」と自分で一旦受け取ってあげるようになったから、必要以上に大事にならずにすむようになりましたね~しゃあないしゃあない~って自分をなだめる感じですね。だからそれほどのダメージは受けず、必要なことは淡々とこなせたと思っています淡々とって良いなあ~いや、ただそう思っただけですが。お菓子やジャムも作る気持ちになりました
2015.11.13
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って朝ドラのあさちゃんが言ってたけど、私もここ最近そんな気持ちになること多いです。いや、別に何があったと言うわけでもなく、多分自分で自分を落ち込ませているだけのような気もするんですけどね・・・何だかなあってはーってため息つきたくなる感じなのです。その一因は月一のカウンセリングがお休みになってること。カウンセラーさんが病気で入院されたようでここ2ヶ月ぐらいのことなんですけどね。きっとそこでガス抜きのように気持ちを吐き出して立て直していたのが、出来なくなったことが大きいのかしら?その代わりのように実家の母の吐き出しを聞く機会も多くなってるから、自分の幅が一杯になってるのかな?娘の吐き出しもよく聴かせて頂いてるし~夫と息子と義母にはセルフでお願いしていますね。もっと聴いた方が良いのはわかってるのですが、そこまで私の気持ちに余裕が無いのかも知れませんね一杯一杯なのかな~無理は良くないよねって自分にも言ってます。無理するとどこかにしわ寄せが来ますものね。なのでブログも書く気持ちがあんまりわいてきませんでした。自分の覚え書きのようなSNSでの写真のアップはしていましたし、他の方の投稿も読んだりコメントしたりいいねしたり、そんなことは出来てたのですが。文章にすると自分の気持ちと合ってないことを書いてしまうような気がしました。私は時々そんな心持ちになることがあります。無理して笑ってるような感じです。そして後でどっとそのつけが来るような感じ・・・出来るだけ笑顔でいたいなあ~とは思っているのですけどね。自然体が難しくて~実家のつわぶきと2、3日前の夕焼け空ガラッと話は変わります。この前の日記のお返事に書いた「ソウルメイト」のお坊様の本題名は『他人の力を借りていいんだよ』という大下大圓さんの書かれたものです。色々とためになることが書かれていました。ご自身が日々沢山の方々の悩みを傾聴して感じられたことを書かれてるので、決して上から説法されてるような感じではなくてとても深く心に染みるようなお話ばかりでした。以下少し抜き書きしたのを記します。 子どもの「内なるメッセージ」を聞くことができたら言い訳しないで その思いをしっかりと受けとめてください。そのことを「受容」といい ます。その受容的心境が子どもの心を少しずつ開いていくのです。 傷つきやすいから魂が磨かれる。青年期の問題を考えるとき、いちばん 大切なことは「傷ついてもいいんだよ」「弱くてもいいんだよ」という ことをもっと強調していくことではないかと思います。 みんな結局は幸せになりたくて生きていると思うのです。でも大人に なっていくと、幸せの価値尺度がいろいろ出てきて歪んでしまうことが あります。とくに現代の大人にとって、そもそも幸せとはなにかの定義 自体が難しいのです。自分にとっての幸せとはなにか一度「棚卸し」 してみてはどうでしょう。 もともと変化するものを「絶対」だと思い込んでしまうから苦しくなる。 私たちは所有しているのではなく、1時預かって活用してるだけ。土地に しろ、建物にしろ、お金にしろ、肩書きにしろ、それはあなたのものでは なくて単なる預かりもの。世の中を生きていくための道具なのです。 だからこそ手放すこともできるのです。 同じように、たとえわが子であっても、まちがっても所有という考え方 をしてはなりません。子ども自身、日々大きく変化していきます。 親子間係も日々変化していくのです。親は子を所有しているのではなく 縁があって親子になってこの世においてともに成長する存在「縁生」を 結んでいるだけなのです。だからこそ「見守る」「ともに関わっていく」 という考え方をせねばなりません。「諸行無常」にも通じるのかしら。日々目に見えるような大きな変化は無いかも知れないけれど、少しずつ小さな変化はあって、新しく生まれるものも無くなっていくものもある。またまた朝ドラから感じたことだけど、その時の素直な気持ちを大事にしていくことが、自分を大事にすることであり、周りの人を尊重することにもなるのかなと思ったのでした。ちょっと疲れてるのかなあ~と思いながら、素直な人が眩しく感じられる今なのです
2015.11.06
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