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ホルムズ海峡で日本の関係のタンカーがイランによって破壊されたとして、もうアメリカ軍がタンカーを守ることはしない、だから自分で守れと。なぜならアメリカはシェールオイルの輸出国になったからホルムズ海峡を通るタンカーには責任が持てないというのだ。ホルムズ海峡、シンガポール沖、南沙諸島を封鎖されたら、日本は石油で干上がってしまう。それにしても安倍総理はイランに火に油を注ぎに行ったのか?拉致被害者、辺野古移転、非核化、北方4島返還、何一つ仕事をしていないばかりか、事態をいっそう深刻にしている。他にいい政党がないから安倍でしょうがない、これが国民の声だ。とにかく安倍が政権を握ってからというもの、日本は劣化し、崩壊へと向かっている。 瀬川久志
2019.06.25
2019年5月1日から、天皇の退位に伴う新元号「令和」 がスタートしたが、万葉集に収録された和歌のような、期待される令和の清く平和なイメージとは逆行する方向へ突き進んでいるように思えて仕方がない。 万葉集の歌とはこうだ。 ―万葉集「梅花の歌」― 初春の令月にして、 気淑く風和ぎ、 梅は鏡前の粉を披き、 蘭は珮後の香を薫す。 かつて「一億総ハクチ化」を指摘したのは、松本清張と大宅壮一らであったが、彼らが原因に挙げたのは、茶の間へのテレビの侵入であった。いま「一億総ハクチ化」の原因を上げるとすれば、それはスマホと劣化した政治だろう。政治が劣化すると人身もまた劣化する。 今回は、難解かつ意味不明ともとられかねないテーマを掲げたのですが、筆者は真面目くさって考えています。しかし、そもそも何が「人間的」なのか、百人いれば百通りの意見があり、人間性が崩壊すると言っても、人間性の定義に、崩壊しているかいなか、崩壊しているとして、如何に崩壊しているかの選択肢(恐らく20位はある)を掛け算すると膨大な検証を必要とする。 しかし、また、そもそも「人間とは何か」と問いかけると、性善説から性悪説へ、生物学的な人間観、医学的なそれ、心理学的なそれ、哲学的なそれ、文学的なそれ、宗教的なそれと選択肢が多く、議論をするのに収拾がつかなくなる。では令和の時代になって、人間はその人間性を向上させているのか、はたまた劣化しているのか答えを見いだすことはできないのだろうか? 70年前と比べて人間性は劣化しているだろうか? その事を証明出来るだろか? 出来るというのがここでの答えである。令和の事件簿を紐解いて見ると、平成末期から、ア 高齢者によるブレーキ踏み間違い等による悲惨な事故とその放置、イ はんぐれ集団によるオレオレ振り込め詐欺、ウ 小中高校でのいじめと放置、エ 政務活動費等不正使用、オ 公務員(警察)によるパワセクハラ、カ 国会議員の暴力など不祥事の続出等事件、キ 官邸、官僚組織による公文書偽造・隠ぺい、改竄、忖度、ク 危険煽り運転(致死)の横行、ケ 施設、家庭での高齢者虐待等が続出しており、とどまるところを知らない。これを政(まつりごと)の乱れに起因する社会人身の乱れと言わずして何と呼ぶのか。 「政が乱れると人身が乱れる」とは、政権与党のある著名な政治家の言で、天変地異が起きるというところまで拡張して論じる人もいるが、人文現象を自然現象と関連付けるのはいかがなものか。しかし人身が乱れるのに乗じて自然災害が甚大化、人災化するということはあり得る。非科学的になるかもしれないが、筆者は社会科学の分野ですでに50年の研究歴を有し、政治経済学的手法で政治に関してもことあるごとに分析を行ってきた。 現政権下で官邸に権力が集中し、この権力におもねる官僚たちが牛耳る民主主義の破壊は、歴代のどの政権よりもひどい、最悪の内閣だといってよい。というよりも、私が担当している経済学や財政学の授業をそれなりに真摯に受け止め、まとめる能力のある学生の知的水準よりもかなり低レベルの政権だと言わざるを得ない。はっきり言うと、学生たちの民主主義理解にも達しない「不可」の水準だ。
2019.06.10
今回起きた悲惨な事件に対し、被害者の方々と関係者に謹んでお悔やみを申し上げたい。週刊文春が、犯人のいとこがカリタス関係者だったことに、犯行の動機を求める記事を発表したが、今の段階では、間接的動機(遠因)であるとは言えても、断定するには少々無理があるように思う。 マスコミのコメンテーターたちが、被害者目線でしかものを言わないことは事実だ。事件の悲惨さを強調することは間違いではない。筆者も今回の事件が「悲惨」「凄惨」を超えた想像を絶する事件であると思うし、二度と起きてはならない事件だと痛感する。しかし、事件の背景に潜む要因を徹底して検証しない限り、動機は推測に過ぎない。過去にも類似の事件は起きたし、その都度原因の究明と再発防止のあり方が考察されてきた。一体、大量殺人は時代にビルトインされた「必要悪」ではないかとさえ思ってしまう誘惑に駆られるほどである。 昨年から両親(叔父・叔母)の介護問題が出ていたことも遠因には存在しているだろう。また今年2月には、4つの包丁のうち2つを買っているともいう。下見もしていたと伝えられている。定職に就かず、最近はほとんど引きこもり状態で、木の枝をめぐって近所とのトラブルもあったと言う。両親の離婚後、叔父の家でそだてられるようになったが、従兄弟が坊ちゃん狩りなのに、犯人は坊主頭にさせられ、犯人を知る人は差別的扱いを受けていたと話している。岩崎少年の小青年時代に受けた精神的屈辱はいかばかりであったろう。徐々に徐々に世間と隔絶し、両親や周囲の環境に対する恨みを募らせていったのだろう。時代は隔絶するが、「津山事件」の犯人と酷似した状況を見て取ることができる。 犯人を極悪非道な存在として、被害者をある種「美化」することは当然のことではあるが、また今後こういう事件が起きないように具体的手段を議論することは当然であるとはいえ、この際「津山事件」に劣らぬ徹底した動機の解明に力を注いでほしい、 このような報道バイアスから一歩引いて、6月1日現在で明らかになったことを総合的に考えると、私はもっと大きな社会的背景をスクリーンに写しながら考える必要があると思う。 端的に言って、事件はなぜ令和の時代に入って起き、平成の時代ではなかったのか?犯人は自宅で過去の外国の大量殺人を扱った雑誌を読んでいたと言う。犯人は70年以上前に起きた津山事件のことを知っていただろうか? 今回の事件と津山事件との共通性についていずれ詳細に言及しようと思うが、犯人は決行に及ぶ前に丸刈り、黒装束に身支度している。津山事件の犯人も身支度をして近隣住民を殺害し、犯行後自害した。犯人は社会を恨んでいた。 この事件の悲惨さの悲しみから国民が冷めやらぬ6月1日3時ころ、農林水産省事務次官のOB熊沢氏の息子で、引きこもって、スマホゲームに明け暮れ、暴力壁の息子を、刺して病院搬送後に死亡するという痛ましい事件が起きた。報道番組はカリタス事件からの誘発を否定してはいるが、こう連続して起きると事件発生の連続性が偶然に過ぎないことを疑わざるを得ない。3日の産経新聞とNHKによると、熊沢は「周囲に迷惑をかけてはいけないと思った」とも供述しているという。死亡した息子は母親を愚母と呼び、過去に母親を殴り倒したときに、快感を覚えたと言っている。死亡事件当日は父親と口論になっていたという。また、越してきた新しい家の近くの小学校の運動会の騒音がうるさいと不平を漏らしていたともいう。父親の元事務次官は、暴力の矛先が母親や小学校に向くことを恐れたのだろう。(2019年6月3日)
2019.06.01
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