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マルコ・プロゼルピオ「バンクシ―を盗んだ男」神戸アートヴィレッジ
「バンクシ―を盗んだ男」
というポスターがあった。
「バンクシー?なんなんや、それ。名前か?」
これが、最初の感想。
予告編で世界から熱い視線を浴びる覆面アーティスト、 バンクシー
という落書きの大将がいることを知った。落書きのの場所はベツレヘムの壁の、イスラエル側じゃないヨルダン側、それが「こっち」側だ。。
映画は、そこが戦場であることの告知から始まる。パレスチナ、イスラエル、そして壁。壁の上に突き出た監視塔からズーっと「こっち」を見張っている奴がいる。
壁を作りたがった人びと、壁を作った人々、今でも、壁を作りたがっている人々。監視塔を立てて、見張りたい権力者。
中国4000年の歴史を振り返るまでもなく、「壁」は権力によってつくられる。その壁に落書きをするという行為、それ自体に拍手したい気持ちが、ぼくにはある。
壁を作りたがる権力は、きっと、何かを恐れている。監視塔から見張っている、恐れている奴らは、壁に書かれた落書きを笑って見ることが出来ない。
壁には無数の落書きが書かれ始める。その中に 「ロバと兵士」
や 「花束を投げる兵士」
の落書きが生まれる。
落書きを見て、ロバ扱いされたと腹を立てる気持ちはわかる。しかし、ロバ扱いして、人びとを壁で囲い込んだのは落書き画家ではない、壁を作った権力者だ。
いつでも、何処にでも、腹を立てると無茶をする気の短い人はいるものだが、ロバの絵を壁ごと切り取った人々は、どうも気が短くてやったわけではないらしい。
壁に対する怒りであろうが、平和への祈りであろうが、権力者に対する反抗であろうが、民衆に対するからかいであろうが、すべては商品化する。
商品化した「落書き」はアートとしてオークションにかけられ、最初の姿を失う。壁を切り取ろうとする人々は 「バンクシ―」
という商品に関心があるだけで、値のつかない「落書きに」にはペンキを塗り付けるに過ぎない。それが「落書き」の始末の仕方なのだから。
「バンクシ―」
と呼ばれ、億を超える値がつけられたアートを、美術館で鑑賞するとき、人は、いったい何を観ているのだろう。
壁の表面の商品部分を、巧妙に切り取る作業をしたタクシードライバーが、分け前をきちんと支払わなかった雇い主に対してなのか、不遜な落書き男に対してなのか、騒ぎたてる世間に対してなのか、きっと、自分でもよくわからない腹立ちの虜になっている姿で映画は終わる。
ぼくは、腹立ち男に同情する。
すべてを商品化することで、見捨てられる現実。日々、壁に隔てられ、監視塔から見張られて生きている人間がいることは、いつの間にか忘れられるのだろう。
「ふざけるな!」
そう叫びたい現実が、世界を覆い始めている。いや、今や、覆い尽くそうとしているというべきか。
原題:「The Man Who Stole Banksy」
製作:2017年
製作:イギリス・イタリア合作 2018・10・20KAVC(no5)
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