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虎を描いて猫に堕す、とおぼえてゐたけれど、本当は、虎を描いてお犬に類す、らしい。とにかく絵が下手なことの喩へ。でもそれなら、ネコを描いたのに虎に見えたら、これは名人なのか。やはり下手なんでせうね。今更いうのも気が引けますが、うまいものですね。こういうウィットというか、ユーモアというかが 丸谷エッセイ の持ち味ですが、一つだけ注意事項をあげれば、 旧仮名遣い なのです。英文学、ジェームス・ジョイスの研究あたりから出発した、結構、バタ臭い世界の人なのですが、 2012年に87歳で亡くなる まで、日本語表記に関しては、最後まで 旧仮名遣い、歴史的仮名遣い を貫いた人なのですね。まあ、そこを、めんどくさいと感じる方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)。
しかしわたしの友達に言はせると、江戸時代は日本に虎はゐなかつたから、圓山應擧の虎の絵は自分の家の飼猫を見て写生したにちがひないさうである。そのせいで、猛獣でありながらどこか優しい風情があつてよろしいとのことであつた。
本当かしら。
和田誠さん とお話してゐて、わたしが、日本美には 単純美 と ゴチャゴチャ美 と二種類あるらしい、といふことを言つた。 まあ、ここまでが枕ですね。ここからのうんちくの展開が 丸谷才一 ですね。
その典型的なものは、能の舞台面の単純簡素と、歌舞伎のそれの複雑繚乱ですね。まるで違ふ。殊に対立が顕著なのは、能の橋かかりがすつきりしてゐるのに対して、歌舞伎の花道は役者(何人もの役者の場合もある)の向うに見物席があつて、そのまた向うに一段高く桟敷があつて、見物の女の人たちが着飾つてゐて、その上には桜の枝や赤い提燈と、じつににぎやかなことである。
すると 和田さん が、思ひがけないことを言ひだした。
その対立を最も極端な形で示すのは家紋だ、 といふのですね。一方には黒い丸を一つなんて、無愛想なくらゐあつけないものがある。他方には竹藪のなかに雀が二羽なんてものがある。さう言つたんです。
なるほど。いい着眼だなあ。
事典で調べてみますと、たとへば 井伊家 の 井筒 なんてのは井の字を太く書いたけ。まことにそつけない。 加藤家の一蛇目 は黒丸のまんなかが 抜いてある、ただそれだけ。 毛利家の一本矢羽 なんてのも、黒い輪のなかに黒く塗りつぶした矢羽が一つ。御存じ 島津家の十文字 は丸に十。黒い丸といふのは 黒田家のその名も黒餅 でした。 得意の展開です。まず単純な家紋が出てきましたから、当然、複雑な方は?と気になります。で、お好きな方は、ネット上に 「家紋一覧」 とかいうサイトがないか探し始めて、見つけ出します。
そしてこれに対するものは、まづ 伊達家の竹の丸に二羽雀 。二本の竹の輪のなかで雀たちも窮屈さうだし、笹の葉をたくさん描き添えなくちやならないからじつに厄介だ。 鳥居家の二本竹に宿り雀 といふのも面倒ですね。でも、こっちのほうが雀がのんびりしているか。 こうなると、 「こっちが 伊達 でしょう。」
伊勢神宮 対 日光東照宮 いろんな分野の デザイン に表れている、 単純と複雑 、棲み分けの妙ですね。 丸谷さん 、お暇ですね。でも、ナルホド、ナルホド、で、面白いでしょ。
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