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集団自決に軍関与、沖縄県民11万人余参加で決議採択高校日本史の教科書検定意見で沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述が削除された問題で、検定意見の撤回を求める県民大会が29日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で開かれた。会場周辺も含め、約11万人(主催者発表)が参加した。仲井真弘多知事は「軍の関与は隠せない事実」と強調。高校生や沖縄戦の生存者も壇上で抗議の声を上げた。県内の集会では、1995年の米兵による少女暴行事件に抗議した大会を上回る規模。3月に検定意見の内容が明らかになった後、見直しを迫る機運が高まっていた。「集団自決」に関して、何故、こういうことになっているのかを考えてみたいと思います。本日のエントリは、あくまでも「教科書への集団自決の妥当性」という点についての検討であり、沖縄県の方々の心証を害する意図や、沖縄戦の悲惨さを矮小化する意図は全くないことを、ご理解いただきたく存じます。まず、事の発端として、集団自決を軍から命じられたという証言をもとに、「集団自決は日本軍の命令が原因」とする説が発生します。これは、戦後刊行された「鉄の暴風」や「秘録沖縄戦記」、「沖縄県史」にも同様の証言が納められていることから、証言及び証言に関する書籍を史料としてのことだと推察されます。沖縄戦の混乱の中、記憶違いや誤解もあったことと思われます。本来ならば、ここで一次史料(沖縄県の公文書や軍の命令書など)を探すか、証言なり書籍の記述なりを精査・検討することが必要でした。一級史料が発見されていないこと、証言はあくまで証言であり、一級史料にはなりえないことから、「軍命による集団自決」ということがあったとすることは、少し無理があるのではないかと思われます。特に、日本の歴史学会は、史料第一主義、史料絶対主義(個人的には少し行き過ぎた部分はあるとは思いますが)であり、証言をここまで重要視する理由は見当たりません。そして、昭和60年、集団自決に関する記載で、「沖縄県史」が実質的に修正されます。解説文の中に、集団自決命令の具体的な事例を否定する記述が追加されました。これも根拠は証言ですが。これは、当時、神戸新聞(ローカル新聞ですね)が報じたようです。本来ならば、この段階で教科書から削除するかどうかの議論が、歴史教科書執筆者側、そして検定側の双方によりなされるべきでした。でも、実際は、記述はそのままで、平成の世も20年過ぎようとする今になって、表面化したわけです。もとになる史料の選別を誤ると、当然、そこから導き出される結論も変わってきます。例えば、信長様が、長篠の戦いで鉄砲の3段撃ちという戦術を使った、これが従来の定説でした。これは、「甫庵信長記」の記述を元にしたものですが、「甫庵信長記」自体が信憑性に欠けるということで、より信憑性の高い「信長公記」を元に考察した結果、3段撃ちは虚構だろうということになりました。小瀬甫庵自身も、「信長公記」の作者、太田牛一のことを「愚にして直」(正直すぎる)と評しているにもかかわらず、なぜ「甫庵信長記」を史料として採用したのか、理解に苦しみます。話を沖縄戦に戻すと、今になって、なぜ教科書検定で「軍命による集団自決」といった記載に検定意見が付くのか。本来ならば、昭和60年以降の早い時期に、教科書執筆者側が記述を変更するか、そのままであれば検定意見が付かねばならないはずです。これについては、日本の歴史学自体のシステムの限界、あるいは教科書検定制度の限界であると思います。歴史学の研究といえば、ある時代のある事件なり人物なりに特化して研究を行なっているわけで、例えば、信長様なら信長様のことを専門に研究している、豊臣秀吉のことを専門に研究している、徳川家康のことを専門に研究している、といった具合で、信長様-秀吉-家康の政策の連続性、同質性と相違点について研究している人はめったにいません。沖縄戦に限らず、歴史のトピックの数だけ専門家を揃えて書かせるということは、費用の点からも、教科書という紙面の点からも不可能に近い。だから教科書の記述は、最大公約数的なものになってしまう。(だから歴史は暗記に強いやつが点を取るんですね)特に、沖縄戦における集団自決命令の有無については、沖縄戦という大きな流れの中のごくごく細部にしか過ぎません。昭和60年からごく最近まで、双方の専門家からの指摘がなかったのもうなずけます。もうひとつは、学問上の定説が崩れはじめても、なかなか教科書の記載は変わらない、という傾向もあります。先日もご紹介しましたが、縄文時代を「狩猟採集の時代」と位置付けているくらいです。三内丸山遺跡が見つかったにもかかわらず。だから昭和60年に変えるべき記述を、そのまま放っていた、最近、集団自決命令に関する訴訟が起こったので、そろそろ変えないとまずい、ということになったのかもしれません。要は、教科書執筆者も、検定側も、取り残されていたんじゃないの、ということです。集会をやるのも結構ですが、本当に歴史の真実を明らかにしたいと望むのであれば、一級資料を探す方が先です。見つかれば、すぐに「軍命あり」教科書に戻りますよ。11万人もいるのだから、いっちょう、本気で探してみればどうですか。やっぱり長くなっちまった・・・→にほんブログ村 平和
2007.09.30
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けっこう、長期にわたって、「世襲議員であることをもって、他人を批判するのは差別に該当するかどうか」という議論・意見交換が行なわれているブログがあります。今回は、判例の観点からこの問題に関して考えてみたいと思います。(民事上の話のようなので、民事に限って話をすすめます。)ことの発端は、↓大連立的権力構造に-世襲議員町村氏の主張(11日の日記) のエントリで、ブログ主さんが、「彼が親の七光りを利用して政治家になった世襲議員だからである。」と記載したことに対するコメントがついたことからです。コメント「差別だよ。憲法に書いてあるでしょう。『生まれ・社会的地位で差別してはいけない』って。ぶっちゃけ、町村議員が『親の七光りを利用して政治家になった』という証拠はないからだ。」「彼が親の七光りを利用して政治家になった世襲議員だからである。」これが差別にあたるかどうかを検討してみたいと思います。結論は、「差別に当たらない可能性が高い」と思います。裁判所の見解から検討してみましょう。憲法 第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。この条文を、文言どおり解釈すれば、世襲議員であることをもって批判・非難するのは、差別に該当するといえます。しかし、裁判所の見解としては、一般論として述べることまでは禁じていないと解釈されます。有名な事件ですが、京都地裁におけるタクシー運転手の強盗殺人事件に関する民事訴訟の判決文中、「一般論で言えばタクシー乗務員の中には雲助(蜘蛛助)まがいの者やかけ事等で借財を抱えた者がまま見受けられること」との記載があります。(タクシー運転手は、賭け事大好きで、借金まみれの者がまま見受けられることを示す統計資料など見たことがありません。)これに対し、タクシー関連団体が抗議した結果、この判決を下した裁判官は、注意処分を受けましたが、問題となったのは、「雲助まがい」という語句に限られ、「事等で借財を抱えた者がまま見受けられること」部分については、全くのスルーです。コメント側の憲法に書いてあるから差別である、という主張はあまりにも限定的な解釈であると思われます。あえて裁判所の見解を示しましたが、憲法第14条によれば、一見、差別であるといえなくもないが、一般論として述べる分には差別にあたらない、という事例はたくさんあります。例えば、「Aは金持ちだから俺達庶民の気持ちが分からない、だからダメなんだ」という発言があったとします。経済的関係における差別であるという解釈も成り立ちますが、差別というよりも、金持ちに対する妬み、嫉みとして受け取るのが普通ではないでしょうか。あと、コメント側の事実誤認ではないかと思われる部分を指摘したいと思います。「差別」とは何か(22日の日記) >第一、積水さんの差別発言の裁判の事例はどう説明するんですか?実害なしに賠償が認められました。しかも「精神的苦痛」という理由でです。積水さんの差別発言裁判の事例は、和解しました。裁判所が賠償を認めたわけではありません。>ほう、では何故「精神的苦痛」を理由として裁判を起こす事が出来るんですかね?いわゆる「法益」の有無が問題になるのは、行政事件訴訟に関するものであり、民事上は「給付の訴え」(分かり易くいえば「お金などちょうだい」)であれば、訴えの利益がありとされます。(逆に、民事で扱わないとされているものは、歴史的な事実など、単なる事実に関すること、抽象的な法律の条文解釈など非常に限定的です。)>「差別による精神的苦痛」を訴えた原告、受理した裁判所の例を挙げてらっしゃいます。たとえ訴えの利益がない可能性が高いケースでも、裁判所は一旦、受理した上で、「訴えの利益なし」との判決を下します。ブログ主さん側にも、事実誤認と思われる部分がありますが、見れば分かる、解説不要、数が多いことから説明については割愛させていただきます。では、観点を変えて、「彼が親の七光りを利用して政治家になった世襲議員だからである。」を誹謗中傷ととらえた場合はどうでしょうか。名誉毀損の観点から検討してみたいと思います。結論は、「過去の判例に照らせば、違法性は阻却される可能性が高い」というものです。こちらは有名な判例があります。昭和60(オ)1274公立小学校における通知表の交付をめぐる混乱についての批判、論評を主題とするビラの配布行為が名誉侵害としての違法性を欠くとされた事例 裁判要旨 公立小学校教師の氏名・住所・電話番号等を記載し、かつ、有害無能な教職員等の表現を用いた大量のビラを繁華街等で配布した場合において、右ビラの内容が、一般市民の間でも大きな関心事になつていた通知表の交付をめぐる混乱についての批判、論評を主題とする意見表明であつて、専ら公益を図る目的に出たものに当たらないとはいえず、その前提としている客観的事実の主要な点につき真実の証明があり、論評としての域を逸脱したものでないなど判示の事実関係の下においては、右配布行為は、名誉侵害としての違法性を欠く。事件の概要を簡単に説明すると、ある公立小学校で、通知表の記載方法をめぐって、校長・教育委員会側と、教員側でもめていた、一般市民の人たちもこの件に、関心を持っていました。そこで、ある人が、実体のない団体名で、もめている事実を記載するビラを作って、近所の子供達に配ったり、ポスティングを行なったりしました。そのビラに、「教師としての能力自体を疑われるような『愚かな抵抗』」、「教育公務員としての当然の責任と義務を忘れ」、「お粗末教育」、「有害無能な教職員」等の表現が用いられていたこと、「通知表問題でわかった有害無能な教職員の一覧表」と題する一覧表に被上告人らの各勤務先学校名・担任クラス・氏名・年齢・住所・電話番号が個別的に記載されていました。最高裁判所はこれに対し、「名誉侵害としての違法性を欠く」としています。これをもとに、さきのブログ主さんのエントリについて考えてみます。一般的には、名誉毀損にかかる違法性の阻却要件として、公益性、公共性、真実性が挙げられます。政治家である町村さんに関する記事であり、新聞記事になるくらいなので、世間の関心もある。公益性、公共性は説明の必要もないくらい、満たしているといえます。真実性についてですが、「その前提としている客観的事実の主要な点につき真実の証明があり、」とあります。ブログ主さんが意見表明を行なっている客観的事実の主要な点は、全て新聞記事からであり、町村さんの発言を真実と信じる相当の理由ありということができます。(というか記事の半分以上が引用という著作権法に抵触しかねないような構成ですが・・・)これらのことから、名誉毀損の違法性を欠く可能性が高いと思われます。だから、上記判例でいけば、「有害無能な教職員」である証拠が必要ないのと同様に、「町村議員が『親の七光りを利用して政治家になった』という証拠」については、必要がありません。ただし、以上はあくまでも法律論からのアプローチであり、道義的、道徳的な話しは全く別に考える必要があることはいうまでもありません。※本日のエントリは私自身の法律解釈に基づくものです。反論等頂戴できれば、幸いです。今日のはたくさん時間がかかりました。→にほんブログ村 政治ブログ
2007.09.26
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先日のエントリ「なぜテロ特措法にこだわるのか」のつづきです。テロ特措法以外で、政府与党と戦うネタがないから、それまで争点にすらなっていなかったこの話を持ち出したということを書きました。本日は、もう少し小沢さんの戦略なり考えなりを考察してみたいと思います。争点になっていなかったものを無理やり争点にするということ自体、非常にリスクの高い作戦といえます。これを先の参院選の争点、「政治とカネ」「年金問題」と比較するとよく分かります。「政治とカネ」「年金問題」のどちらもですが、ほとんどの人が直感的に、問題であることを認識できます。政治家の収支を透明にしよう、という意見に反対する人はほとんどいません。年金が受け取れないかもしれないと聞いて、安心していられる人は珍しいと思います。しかし、テロ特措法はそういうものではない。少なくとも直感的に是非を判断できる問題ではありません。国際社会は、日本の活動に対し評価もしているし、継続も要請している。国連で謝意決議が出るくらいです。少なくとも、直感的には、「続けないと国際社会でヤバイ立場に立たされる」というのが大方ではないでしょうか。こういう争点、政局としては扱いにくいネタを、敢えて扱うということは、いくらほかにネタがないとはいえ、小沢さんなりに勝算があってのことだと思います。まずは世論をナントカしないと、先に進みません。世論調査では約半数が賛成です。これを切り崩す必要があります。ここで、小沢さんと民主党の行動に着目すると、米国に対する情報公開を求めたり、給油が「イラク戦争に使われていた」というようなことを言い出してみたりもしています。これは給油活動を、「テロとの戦い」ではなく「アメリカの私戦のお手伝い」と位置付けることにもつながります。これでいけば、民主党の支持者や民主党支持者以外の左の方々だけでなく、いわゆる反米保守の方々を取り込むことも期待できます。この段階では、本当にイラク戦争に使われているかどうかは問題ではなく、そういう可能性もあるかもしれない、政府の行動に対し疑念を抱かせることができればそれで目的は達成できます。次に、本当に給油がストップした場合に、全責任を政府に押し付けることができるかどうかです。これが結構難しい。今のところ、自民党は最大限、歩み寄る姿勢を示しています。政府は、国連に働きかけ、小沢さんの要求である「国連のお墨付き」を貰っています。(ロシアは反対ではなく「棄権」、中国ですら賛成に回っています。)政府与党は努力している姿勢を示しています。ここで、新法案が衆議院を通過、参議院でストップした場合、世間は自民党のみを責めるでしょうか、疑問です。逆にいえば、現在の自民党のお仕事、やるべきことは、新法案をとりあえず提出すること、速やかに参議院へ送り込むことです。これをやっておけば、給油ストップの際、国際社会の信用を失うことについての責任を押し付けられることはありません。そのため、民主党としては、何としても法案提出を阻止したいところです。テロ特措法を争点にするということは、非常に高いハードルをクリアしなければならないということであり、これまでのように、一方的に政府与党を攻撃すれば済む話ではありません。テロ特措法の論点がどこで、なにが問題なのか、もう既に分かりにくくなっています。小沢さんの頭の中では一貫した論理が成立しているのでしょうが、それは万人受けするものとは言い難い。下手をすれば、いちゃもんをつけているだけとも取られかねないほど複雑化しています。複雑化した小沢理論に、世論がついて来れるのでしょうか。それに、現在のマスコミ・世間の注目度ナンバーワンは、自民新総裁にシフトしています。現時点で、スポットライトを浴びているのは小沢さんではなく、福田さんであることを考えれば、この後もテロ特措法について、小沢さんがイニシアチブを取り続けられる可能性は五分五分といったところでしょうか。与党の小沢さん説得も、福田さんになってから更に表面化することが予想されます。今までのように党首会談拒否なんかでは通用しないでしょう。本格的な論戦になれば、複雑な小沢理論が、どこまで通じるか。それを世間がどう判断するか。このあたりを考えると、今回の小沢さんの作戦も、けっこう危なっかしいものだと思います。そもそも、今、民主党はハイリスクハイリターンのバクチを打たねばならない局面なのでしょうか。1円以上領収書や閣僚不祥事、格差社会などの小ネタでねばり、少しずつ党勢を伸ばし、そして次の総選挙に備えるという選択肢もあるはずなのですが。一体、何を焦っているのか。政権奪取と小沢さんの首相就任が、民主党にとっての至上目的なのかもしれません。このあたりは後日、改めて考えてみたいと思います。にほんブログ村 平和
2007.09.23
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小沢代表、米大使館に質問状 謝意決議も「無視」 退かぬ民主民主党の小沢一郎代表が在京の米国大使館に対して、海上自衛隊からインド洋で補給を受けた米軍艦船が、どのような軍事行動を展開しているか情報提供を求める文書を送ったことが20日、明らかになった。海上自衛隊のインド洋における補給活動を含む「不朽の自由作戦」(OEF)への「謝意」が盛り込まれた国連安保理決議が採択されたことで、政府・与党内には補給活動継続に反対している民主党の軟化を期待する声も出ているが、小沢氏は情報開示の矛先を米国側にも向け始めている。合同世論調査 海自補給、半数近く賛成今回の合同世論調査では、海上自衛隊によるインド洋での補給活動継続に賛成する意見が48・7%を占め、反対の39・1%を大きく上回った。民主党・小沢代表のテロ特措法に対するこだわりは異常としかいいようがありません。世論調査では、給油活動継続に賛成する意見の方が多いのですが、小沢さん、なぜか頑なまでに反対しています。国連が直接認めた活動ではないからダメ、というのが主な理由のようですが、これで納得できるわけもありません。与党を追い込む、与党の足を引っ張るための、反対のための反対、という見方もできますが、それだけではないようです。そこで、理由をいろいろ考えてみました。結論は、「もうこれしかないから」という凄くシンプルなものだと思います。先の参院選の争点である「政治とカネ」「年金問題」、この2つについては、もうこれ以上、政局を動かす材料にはなりえない。「政治とカネ」のほうを追求すれば、自分とこに跳ね返ってくること間違いなしです。小沢さんからして、10億円の不動産の話があり、朝鮮総連から献金を受けていた議員もいます。新人議員のさくらパパには賭けゴルフ、「ぶってぶって」の姫もいる。詳しく調べられたらヤバイ。「年金問題」もこの辺でお茶を濁しておかないと、最近は社会保険庁の職員の不祥事にマスコミの目が行っているので、これ以上やると、民主党の支持母体であり、スポンサーであり、巨大な票田である社会保険庁の労組が困る。ほんきで「社会保険庁改革だ」とやると、組合員である職員への締め付けが厳しくなる。組合員である職員への世間の目も厳しくなる。年金問題で、与党や社会保険庁の幹部連中を攻撃するのは、組合員である職員と利害が一致していますが、それ以上やると、支持してくれている人たちにメーワクかけることになってしまいます。と、なると、新しいネタを探さねばならない。そこで出てきたのが「テロ特措法反対」。これくらいしか勝負できるものがなかったんでしょう。民主党の支持母体である労組などにも受け入れられやすいネタでもあります。しかし、給油活動は、先の世論調査でも分かるように、約半数が賛成している状況です。民主党としては、「テロ特措法反対」について、もう少し世論の賛同を得たい。そこで、<鳩山幹事長>「イラク戦争に使われていた」給油継続に反対こういうことを言い出してみたりもします。それも小沢さん自身ではなく、他の人に言わせています。転んだときの保険でしょうか。ここで頑張れば、自民党の失点をつくりだし、衆院解散・総選挙へ持ち込めるかもしれない。首相も夢ではありません。となれば、国連謝意決議くらいで引き下がるわけにはいきません。だいいち、ここで退いたら、小沢さんは政局をひっかき回しただけの人で終わってしまう。だからもう反対し続けるしかない。とにかく反対することが大事、というのが民主党の現状だと思います。にほんブログ村 平和
2007.09.22
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イメージで敬遠され、安くても売れず…中国産マツタケ苦戦秋の味覚の王様、マツタケに異変が起きている。本来、主役は中国産だが、中国の食品に対する不信感が広がる中、売り上げが昨年と比べて半減している店もあれば、北米産などに切り替える百貨店もある。「出来は悪くないのに……」と、関係者からは戸惑いの声も聞こえてくる。関東など1都7県の生協でつくる「コープネット事業連合」(さいたま市)は、昨年まで中国産マツタケを店舗で販売していたが、今年8月、取りやめた。「中国産品への逆風が強い中で、組合員の需要はほとんどないと判断した」という。>「出来は悪くないのに……」出来、不出来の問題じゃなく、中国産食品全体への不信感が問題なんですよ。汚染だらけの土壌で育ち、収穫・出荷の際にどんな劣悪な環境で保管されているかも分からない。下手をすれば正体不明の薬品をかけられている可能性がある。そもそも「マツタケ」と書いてあっても、ホンモノのマツタケでないかもしれない。別のキノコに薬品をふりかけ、「マツタケ」としているかもしれない。実際はどうか、は別にして、こういう不安をマツタケに限らず、中国産品に対して日本の消費者が抱いているのではないでしょうか。これだけの不安を感じながらであれば、別にマツタケを食べなくてもいい。日本の消費者の要求する「食の安全」の水準は、非常に高い。食中毒が出てないにもかかわらず、産地偽装や賞味期限切れの材料使用であれほど大騒ぎになる日本の消費者のニーズを、食品で死者が出るのが決して珍しい話しではない中国の生産者が理解することができるでしょうか。中国産の食品に「賞味期限」や「産地表示」といった概念すらあるかどうか疑わしい。中国では、政府ぐるみで食の安全性をPRしようと躍起です。中国産品の安全性を示すデータなどを積極的に公表しています。中国の食品・医薬品関係の法に違反した者を厳罰に処しています。しかし、こういう取り組みは日本の消費者に対し、あまり効果がないようです。これは、「安心」と「安全」について、中国政府も、中国の生産者も理解していないことが原因と思われます。いくら生産者が「安全だ」「安全だ」といってみても、しょせんは生産者がいうことであり、説得力がありません。中国政府も自分とこの商品は安全だ、というのは当たり前です。日本への輸入の際に、残留農薬が基準値を超える野菜が見つかったこともあり、日本の消費者は「安心」できない。中国産品が日本で受け入れられるためには、中国の生産者が意識を変え、消費者の立場に立った生産を行なう必要がありますが、「賞味期限」や「産地表示」、「消費者の利益」といった概念すらあるかどうかすら疑わしい、安さで勝負の中国では、難しいのではないでしょうか。日本の食の安全基準は世界的にみても高い水準にあります。農薬の種類・量にしても、非常に厳しい。世界最低クラス水準の中国産品が、世界的に見ても高い水準を求める日本の消費者に受け入れられるのは難しいと言わざるを得ません。マツタケの話に戻りましょう。北米産(うちではカナダ産なのですが)のマツタケ、見た目は日本のマツタケと違いますが、味と香りは悪くない。焼いてもよし、土瓶蒸しにしてもいい。マツタケゴハンにしてもいい。値段もお手頃ですし。日本産は別として、外国産ならばどこでも同じようなもんですよ。何より、中国産品を口にするときのような緊張感、不安感がない分だけ美味しく食べられます。別にマツタケがどうしても食べたいわけではありません。が、季節もんとして年に1回くらいは食べておきたい。→にほんブログ村 平和
2007.09.17
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場所と団体名、正確な日時などは伏せさせていただきますが、最近のことです。ある駅前で、中国の人権弾圧反対を訴えるビラを撒いている人たちを見かけました。中国の人権弾圧や拷問の酷さは知っています。日中友好といいつつ、中国の悪い面に眼をつぶるのにも反対です。中国の危険性や、人が人として扱われていない状況、何とかできないかとも考えています。そういう意味では、このビラを撒いていた人たちの考えと、私の考えはそう遠いものではないはずです。しかし、この人たちの活動に、賛同する気にはなりませんでした。なぜなら、中国当局の拷問を受けた女の人の写真を、デカデカとパネルにして、通行人の目に付くようなところに置いていたからです。とても残虐な写真でした。確かに、中国共産党の残虐性を知らせるには効果的かもしれませんが、場所がマズかった。不特定多数の通行人が行き交う駅前という場所で、残虐な写真を展示するということは、幼い子供達の目にも触れる可能性があるわけです。物心つかない子供達に、よく分からない子供達に、そういう残虐な写真をイキナリ見せるという行為が適切かどうか、少し考えれば分かることでしょう。中国の残虐性を訴えるのであれば、時と場所を選んで欲しい、子供達への配慮が欲しい、と思いました。大人でも目を背けざるを得ない残虐な写真を、幼い子供に無理やり見せるようなことをすれば、子供の心に傷を残すことも考えられます。また、一緒にいる大人も目を背けてしまう。見た限り、通行人は早足で通り過ぎていました。ビラの1枚も受け取ろうともせずに。かえって目的とする「中国の残虐性を広くアッピール」することが阻害されてしまうことにもなりかねない。活動を行っている人たちの常識や、配慮の無さを疑われても仕方がありません。写真はインパクトが強いので、残虐な写真を見せる前の十分な説明がなければ、その真意は伝わりません。中国の残虐性を訴えるのであれば、中国は共産党による独裁体制であること、人権が保障されていないこと、人命が虫けら以下に扱われていることなどを十分に説明してから、インパクトのある写真を見せるべきです。時と場所をわきまえなければ、却って逆効果となりかねない、十分に注意することが必要です。食事の前に見るもんじゃなかった・・・→にほんブログ村 平和
2007.09.16
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<文科省案>小学社会に「縄文」復活 中教審部会に提示へ文部科学省は11日、学習指導要領の小学校社会科で、指導内容について、現行の「農耕の始まり(弥生時代ごろ)」からではなく、「狩猟採集の時代(縄文時代ごろ)」とする方針を決めた。縄文時代の指導は、ゆとり教育を旗印に掲げる現行指導要領で削減されていた。12日の中央教育審議会の専門部会に提示する。 縄文時代といえば、日本史を考える上で、非常に重要な時代であることはいうまでもありません。古代、北から南から、いろいろな民族・人種が日本へと流入し、「日本人」を形成していく過程、日本人の原点ともいえる時代だともいえます。我々はどこから来たのか?これは日本人にとって永遠のテーマであると考えます。このテーマを考えていく上で、縄文時代を考えないわけにはいきません。ゆとり教育ごときで、小学生の教科書から削除されるべきものではない。その意味では、今回の縄文時代の復活の方針は、とってもうれしいです。うれしいとしか表現できません。しかし、今回の方針には問題もあります。「狩猟採集の時代(縄文時代ごろ)」もはやそれは、旧態依然とした縄文観です。三内丸山遺跡からは定住生活の後や、豆などを栽培していた遺跡も発見されています。今も調査中、検証中のものを教科書に載せられない事情は分かりますが、こういった最新の情報、データを教科書に反映させてほしいと思います。本編が無理ならコラムという形でもいいです。古代史に興味を持たせるような記述を少しでも取り入れてほしいと思います。吉野ヶ里遺跡(弥生時代)などの発見で、古代史ブームが起こりました。しかし、一過性のブームか、観光客めあての客寄せに終始したのでは意味がありません。古代史ファンの層を厚くするような工夫がほしいところです。にほんブログ村 平和
2007.09.13
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先日から、護憲論者の論理について考えていました。彼らには、彼らの論理があり、はたから見ていれば「何故、そうなる」と思えることでも、護憲論者の中では論理として成立しているのではないか、ということを考えていました。ようやく少しですが考えがまとまったので、エントリを書きます。最初にお断りしておきたいのですが、私は護憲論を全く支持していません。これから書く内容はあくまでも論理上のお話しとして捉えていただきますよう、お願い申し上げます。まず、はじめに、護憲論者の論理の出発点について考えてみたいと思います。「憲法9条はただの法律ではない。」「憲法9条があるから、平和である。」これが護憲論者の原点です。何でこういう考えを原点としているか、についてはもう感覚の問題としかいいようがありません。「論理じゃないじゃあないか」という意見もありますが、それでも感覚の問題としかいえないのです。少し不敬な例を挙げて説明しましょう。私も含めて、天皇制を支持している人たちは「万世一系の皇統」が尊い、といいますが、何故、尊いのかを説明してください、と聞かれれば、多分説明がつかない。「血筋が絶えていないのが何故、尊いのか」について、説明できないはずです。それに加えて、「何故、男系でないといけないのか」についての説明となると、私には合理的な説明が思いつきません。(注:あくまでもたとえです。)少し分かりにくければ、近所の神社でも、お寺でもいいんですが、お札を1枚、貰ってきてください。それを躊躇なく踏みつけられるかどうか。多分、ぐしゃっと踏める人はあんまり居ないのではないでしょうか。ただの紙ですよ。でも信じる人にとってはただの紙ではないのです。それと一緒で、護憲な人たちにとっては憲法9条は、単なる法律のひとつの条文ではない、ということです。次に憲法9条と平和の関係について。「自衛隊と日米安保があるから、日本は平和である。」私も含めて、こういう考え方をする人はかなりいると思います。しかし、これを完全には立証することはできません。「憲法9条があるから、日本は平和である。」当然、これも立証できません。「日本は平和」「自衛隊と在日米軍がある」「憲法9条がある」これらは全て事実ですが、「日本が平和である」ことの原因は何か、を特定したうえで、完全に立証するのはできません。この2つの論は、ともに立証できない、となれば、どっちに説得力を感じるか、言い換えればどっちを支持するかだけの話です。護憲論者は「憲法9条があるから、日本は平和である。」という説を支持しているだけのことです。さて、論理学で「対偶」というものがあります。「AならばB」が正しければ「BでないならAでない」も正しいというものです。例えば、「クジラは海にいる」が正しければ「海にいないものはクジラでない」も正しい「姫は、どM」が正しければ、「どMでないものは、姫ではない」も正しい、といったものです。「憲法9条があるから、日本は平和である。」が正しいとすれば、「日本が平和でないのは、憲法9条がないから」も正しいことになります。「日本の平和を守っているのは、憲法9条」ということは、「日本が平和でなくなるときは、憲法9条がなくなるとき」、だから彼らは必死で憲法を守ろうとするのです。平和を守るための手段として、憲法9条を捉えている。憲法9条さえあれば、日本は平和である、となります。「一国だけ軍事力を削減又は撤廃をしても外国が攻めてこないと思っているのですか?」という問いに、これまでの論理を踏まえて答えてみましょう。「軍事力なんか関係ない。外国が攻めてくるのは憲法9条を削減又は撤廃したときだけだ。ただ、外国には憲法9条を知らない国もあるかもしれない。だから憲法9条を知らない国から攻められないために、知らせる必要があるので、憲法9条を世界へ向けて発信しなければならない」護憲論者にとって、憲法9条がなくなっている状態=平和ではない状態と捉えているのは、ただいま説明したとおりです。だから中国の潜水艦が日本の海域に侵入しようが、中国・北朝鮮のミサイルが日本に照準を合わせようが全く脅威ではない。憲法9条を守ることに関係ないから。むしろ、憲法9条に反する可能性の高い、自衛隊や在日米軍のほうが、平和への脅威となります。そのため、護憲論者は中国に甘く、日米に厳しくなってしまうのです。そして、昨今のいわゆる護憲勢力の衰退、というのは、世間の人々が、「憲法9条があるから、日本は平和である。」という説に説得力を感じなくなるほど、日本をとりまく国際環境が厳しくなっている、ということの証でもあります。たとえ1%でも外国が攻めてくる可能性があるのであれば、それに対する備えをするのは政府として当然のことですが、その備えの手段が、軍隊か、9条かの違い、それは改憲論者と、護憲論者の違いということです。にほんブログ村 平和
2007.09.07
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不倫報道「事実無根」…姫井議員サイドが反論>週刊文春による姫井氏の不倫報道から一夜明けたこの日、同氏の事務所に常駐するスタッフは報道の内容について「事実無根です」と反論した。>しかし、450枚という写真と、男性が実名で語る赤裸々な記事のインパクトは強い。さらに事務所サイドによると、姫井氏本人は「見たくもない」と記事や写真を見ていないという。記事内容を知らず何を根拠に「事実無根」としているのかは、まったく不明だ。『記事内容を知らず何を根拠に「事実無根」としているのかは、まったく不明だ。』全く、ダメな記者だな~。こんなこと書いてるからダメなんだ。ちょっと考えたら分かるだろう。姫井さんはなあ、超能力者なんだよ。エスパーなんだよ。分かる、超能力。知らなきゃ教えてやるよ。記事なんか読まなくても、文春のライターの頭の中に直接、アクセスできるんだよ。スゴイだろう。全く、最近の記者は超能力一つ知らないんだ。バビル2世のとこでも行って超能力の取材でもしてこい。何ならオレが紹介状書いてやってもいいぞ。というのは冗談として、文春の記事には「ゆめカフェ」(姫井さんが経営するカフェ)の運営について、相手方男性と裁判になっていることも記載されていたのですが、これも事実無根なんでしょうか。調べればすぐに分かりますよ。やっぱりよく記事を読んだ上で反論すべきだったのではないでしょうか。「読まずに事実無根」というのはどう考えても説得力ありません。結局、世間の関心が薄れるのをひたすら待ってんじゃね~の、と言われてもやむを得ません。>実際、「結局、真実は本人にしか分からないのだから、きちんと説明した方がいいと思う」と事務所スタッフも本人の説明が必要だという認識。「そのうち、人前に出てくるでしょうから、本当に何もないなら、自分の口できっちり言うように伝えます」と話した。スタッフからもこんなこと言われてますよ。そもそもスタッフ通じて「事実無根」とか言わせてる時点でもはや説明する気があるのか、ないのか。少なくとも、記事を読み、自分の口から真相の説明をしないと、世間は納得しないでしょう。あるいは、「プライバシーのことだからほっといて」と突き放すのも一つの手だと思います。支援者がどう思うかは別として、少なくともこれまでの対応よりはマシです。「取材は受けません。無茶苦茶書いていいですから。」 ↓「コメントしません」「それは・・・」 ↓「事実と歪んだ記事」 ↓「事実無根」短期間でコメントが、これだけコロコロ変わると、説得力という点で疑問符が付きます。>岡山の自宅にもマスコミが駆け付けたが「姫井の夫も『由美子がそんなことする訳がない』と笑ってました」と事務所スタッフは円満を強調した。自分の妻の他の男とツーショット写真。これで「そんなことする訳がない」と笑うだんなさん、よほど「人がいい」じゃなかった、「いい人」なんですね~普通、写真の真偽は別として、私なら事実の確認くらいはするんですが。子供たちはこの事件をどう捉えているんでしょう。ママが「不倫していてかなりのM」との報道があったら大ショックですよ。>両院議員総会に出席したほとんど議員は、この問題について沈黙。そんな中で渡部恒三最高顧問は、渦中の姫を「殺人でも15年が時効なんだから。私も議員になる前のことを追及されたら、いろいろある」とかばったが…。 全然、フォローになっていないと思います。それより渡部さんの「いろいろ」って何でしょうか、気になります。姫井さんの「不倫・かなりのM」疑惑よりインパクトがあるのか、ないのか・・・今回の報道で、オバちゃんの女性としての魅力を少しは理解できたような気がする。その点は感謝しています。→ にほんブログ村 平和
2007.09.02
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