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※当エントリは最近、注目していた沖縄戦集団自決のことを、歴史学の視点から考察したものであり、沖縄戦の悲惨さを矮小化したり、沖縄県民の方々の気分を害する目的で記述したものではないことをご理解願います。沖縄戦・集団自決に関する教科書検定で、文部科学省と検定委員会が最大限の譲歩をしたことは、先日の日記で述べたとおりです。教科書に軍強制を書かせたい人たちは、この成果を肴に、祝賀会でもやっているもんだと思っていました。泡盛パーティとか、オリオンビールで乾杯とか。ところが、まだこれでは満足できない人々がいるようです。教科書検定 評価と批判交錯 「一歩前進」「歪曲だ」「村長が命令を発する直前、(現地召集の)防衛隊員が村長に『命令が出た』と耳打ちしたのを同級生が聞いている。当時は一木一葉に至るまで軍の支配下。集団自決に軍の命令はあった」いきなり、これだ。「同級生が聞いている」ですか。失礼ですが、大笑いしてしまいました。伝聞情報では根拠として非常に弱い。もし、伝聞・風聞の類を根拠とするならば、豊臣秀頼も生存していたという説が成立することは、以前、書いたとおりです。(「集団自決」教科書会社の決断 参照)この防衛隊員は誰で、防衛隊員に命令を出した軍人は誰か。そしてそれを裏付ける史料をそろえて始めてこの証言が生きてくるわけで、そうでない限りは、これだけでは軍命令があったという証拠にはならない。「軍命をあいまいにする歴史の歪曲。自衛隊の海外派遣を恒常化させるため、軍の負の部分を薄めるのが政府の狙い」こっちはさらにぶっ飛んでいます。こういう主張するのは勝手ですが、根拠を示さないとただの陰謀論です。国際ユダヤ金融資本がどうのこうの言っている連中と大差ない。タイトルをつけるならば、さしずめ「日本政府の海外出兵のための陰謀」とでもしておきましょうか。「証言」を史料と認めない歴史学のルールを批判するのであれば、まだ理解はできますが、これでは「日本政府陰謀論」にしか過ぎません。集団自決に追い込んだ主体が日本軍と表記されたことなどから「県民大会など沖縄の動きを文科省が一定程度、理解したのだろう」と評価。それでも「軍の強制が断定されなかったのは残念」と付け加えた。おっ、ちょっとは自分達のごり押し、もとい運動による圧力を認識している人がいる、と思ったら、「軍の強制が断定されなかったのは残念」なんて付け加えています。あのなあ、子供のお年玉じゃないんだよ。「パパ、お年玉ありがとう。でもちょっと少ないなあ。もう少しくれなきゃグレちゃうぞ~」といったところです。「軍による教育・指導などで『集団自決』に追い込まれた人もいた」との注釈がついた例があったことに「当時軍の命令は絶対。『教育・指導』という表現では伝わらない」これも同じ。命令したという根拠がないのに「軍命令」という記載は、歴史学のルール上、不可能です。いわゆる「旧日本軍=絶対悪史観」からすれば、こうなっちゃうのかも知れませんが。しかし、こういう勝手気ままなことを言っている人たちを、一概に嘲笑するつもりはありません。これは現在も含めたこれまでの歴史教育のあり方がまずかった、歴史教育の欠陥に起因する部分も少なからずあります。現在の歴史学が採用している手法は「実証主義」であることは再三、述べています。これは明治時代に西欧から、他の技術・文化とともに入ってきた手法で、歴史的事実なり人物の実在を証明するには、根拠となる史料が必要、史料の記載を綿密に検証・検討した上で、実在が証明される。ところで、歴史上の有名人である「親鸞」をご存知でしょうか。名前くらいは聞いたことがあると思います。この親鸞が若い頃、越後に流罪にされる。これは真宗に伝わる史料には記載があるが、朝廷(政府)側の記録にはない。こんな重大事件が当時の政府側の記録にないことから、「親鸞は真宗が作り上げた架空の人物である」という説が台頭していた時期がありました。明治の初期、実証主義を導入した直後の話です。結局、信頼に足る他の史料が出てきたので、親鸞は実在するということになりましたが、これくらい「実証主義」というものは厳しいものなんですよ。太平記の児島高徳や大河ドラマでおなじみ、戦国時代の山本勘助など、実証主義の観点から、実在が疑われている人物はいっぱいいる。最近では旧1万円札の顔、聖徳太子も実在が疑われている。集団自決の軍命、いくら悲惨な思いしたからといって、証言ごときで歴史的事実と認めてもらおうなんて、甘すぎます。軍命令を立証したければ、信頼に足る史料を準備すればいいのであって、集会は必要ありません。しかし、今の高校の歴史の授業で、この「実証主義」を教えてはいません。歴史学という学問の基礎である「実証主義」を教えずに、どういうプロセスを経て歴史的事件を事実と捉えているかの考え方を教えずに、ひたすら年号と事件名、人名の記憶に終始する。理科で、物理法則の基礎を教えずに、実験結果を丸暗記させるようなものです。だから集会で教科書の内容を変えようとする連中が沸いてくるわけです。少しでもこういう歴史学のルールなり「実証主義」の考え方なりを知っていれば、こういうことにはなりません。まあ、習ってないもんは仕方がない。仕方ないけど、歴史学の基本を知らずに、根拠を示さずに、「集団自決に軍命令はあった」「おじいおばあがうそをついているというのか」というようなことを叫ぶ人たちと、医学的根拠を無視して「がんは感謝すべき細胞です」「牛乳を飲むとがんになる」などと主張する奴らとどこが違うのか。同類であるとしか思えません。「検定意見を撤回させなければ、再び同じことが起こる。体験者がいなくなった将来、沖縄が声を上げられるかどうか」難しいでしょうなあ。現状では歴史学の検証に耐え得る史料は存在しない。体験者がいなくなり、ゴリ押し集会を開けなくなった時点で、オシマイです。それに、あと20~30年もすれば、教科書の記述でもめていたことすら忘れられてしまう。明治44年にも、教科書の記述が問題になったことがありました。南北朝時代の記述で、「南北朝」「南朝」という記載がまずい、ということで、「吉野の朝廷」に変えられた。今から考えれば、大方の人は、「どこがまずいのか」すら分からない。論点すらもすぐには理解できないでしょう。・明治維新のイデオロギーは朱子学だった・朱子学の論理では南朝が正当・現在に続く皇統は北朝系・だから明治政府は南朝・北朝ともに正当という見解を取っていた・教育者を中心に「南朝」の扱いが軽い、という意見が起こり、政府は、当時の教科書編集に当たった責任者は休職処分、南朝をより尊敬した形で「吉野の朝廷」と教科書を書き換えた。これでも何のことか分からない、とおっしゃる方もおられると思いますが、朱子学、南北朝、皇統についてある程度、知識を有していないと、論点を把握するのも難しいのではないでしょうか。(オレも全部、理解しているとは言い難い。もめていた、ということは理解できるのですが・・・)当時の人々は、こういうことを真剣にやっていたけど、今から考えれば何のことか分からない。説明されてもよく分からない。沖縄戦の集団自決の軍命令有無についての集会も、普遍性を持ちうるテーマではなく、そのうち歴史の波に埋もれ、忘れ去られていくのではないでしょうか。◇「教育の中立」遠い新藤宗幸・千葉大教授(政治学)の話 沖縄の抗議があり、政権も(安倍首相から福田首相に)代わって今回の見直しに至ったわけだが、その経緯は、検定が「教育の中立」からほど遠いことを示した。そもそも史実に関する記述に、文科省が微に入り細をうがった注文をつける必要はあるのか。教科書検定は不要だという思いを新たにした。 歴史学の問題に、政治学者が出てくるのも不思議なのですが、教科書検定をなくすというのもまた暴論です。歴史学説の中には荒唐無稽なもの、ある程度の説得力を持ってはいるが立証されていないものもある。学説が拮抗・対立して双方決め手に欠くケースもあります。こういう異説・珍説・立証まであと一歩説をごちゃまぜにして、好みで採用したものを、もはや教科書とは呼べません。検定廃止になれば、こんな教科書ができるかも。古代日本列島は今の姿から90度回転していた。日本にはイエス・キリスト(と弟)の墓がある。日本にピラミッドがある。ヘブライ語で読める東北地方の民謡がある。ついでに万葉集は古代朝鮮語で読める。古代マヤ人は宇宙船を飛ばしていた。義経は大陸に渡ってジンギスカンになった。明智光秀は生きていて天海僧正になった。松尾芭蕉は忍者だった。鄭和は南極大陸まで到達していた。江戸時代に宇宙人が日本を訪れていた。明治維新はフリーメーソンの力によって行なわれた。坂本竜馬はメーソンの一員だった。第二次大戦も国際ユダヤ資本の陰謀だった。ノモンハン事件における日本軍の真の目的は隕石の落ちたツングースを占領することだった。南京大虐殺の犠牲者は30万人。従軍慰安婦を奴隷狩りのようにして連行した。沖縄戦集団自決は軍の命令により行なわれた。おっと、これでは教科書ではなく「ムー」になってしまう。(ちょっと早いが)あけましておめでとうございます。⇒にほんブログ村 平和
2007.12.31
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日本軍「強制」、復活せず=沖縄戦集団自決で教科書6社の訂正申請承認-文科省12月26日15時31分配信 時事通信>太平洋戦争末期の沖縄戦をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、文部科学省は26日、住民が日本軍によって集団自決に「追い込まれた」などとする表現で、教科書会社6社8点の訂正申請をすべて承認した。過去のエントリで沖縄戦集団自決のことを書いてきましたが、結果が出たようです。(過去、集団自決について書いたエントリです)「集団自決」問題の本質なぜ今ごろ「集団自決」なのか「強制」「強要」などの表現はさすがに無理だったようです。前にも書きましたが、軍の強制を示す史料がない。証言はあるが、その証言を裏付ける史料が存在しない以上、軍の強制、強要があったとすることは、現在の歴史学のルール上、不可能です。それを無理やりにでも、変えさせようとして数を頼みに集会を行なったり、集会へ参加した人数を水増しして発表したりしてもダメ。歴史学のルールを変えるか、あるいは一級資料(軍の命令書など)を探してくるしかない。集会して4万人集めて騒ごうが、悲惨だったという証言をどれだけ集めようが、ダメなものはダメ。現在の歴史学がいわゆる実証主義(または史料第一主義)を採用する以上、信用できる史料がないとダメなのは、これまでのエントリでも繰り返し説明してきたとおりです。>3月に公表した検定意見を踏まえ、軍による「強制」や「強要」などの表現は認めなかったが、軍の関与が自決の主な要因とした。>「追い込まれた」は、検定意見で削除されたり、日本軍という主語が不明確になったりした表現。各社は訂正申請で、本文や側注で軍による手りゅう弾配布や、捕虜になることを禁じる教育があったとする背景説明を加えた。このあたりが歴史学的にもギリギリ妥協できる線でしょう。検定委員会の出血大サービスといってもいいくらいの大盤振る舞い。教科書に「軍の強制」を書かせたい連中にしてみれば、最大限の譲歩を引き出したともいえます。教科書に「軍の強制」を書かせたかった人たちは、文部科学省の方に足向けて寝ちゃだめですよ。歴史学のルールと「県民感情」とやらの板ばさみになりながら下したギリギリの判断。検定委員の苦悩が伝わってきます。「沖縄戦の集団自決」について、これ以上の議論は歴史学の世界に委ねるべきだと思います。「軍の強制」を示す一級資料が見つかれば、教科書の記述も変わる、ただそれだけのことです。やっぱりなかったんだ・・・史料。→にほんブログ村 平和
2007.12.26
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ご町内の~皆様~まいど~おなじみの~「がんは感謝すべき細胞」なんだろうか~です。「ガンは感謝すべき細胞です」の原点 肉食過剰>世界に誇る日本の伝統食である「穀菜食」を捨てさせられた戦後の日本人は、>「人工の固形飼料を、幾世代にもわたって大量に与えられている」ということです。>つまり、日本人が自分で自由な意思で「選択」したのではなく、「与えられた飼料」を食べるしか自由がなかったということです。>この「与えられた飼料」とは「肉・卵・牛乳・白パン・白米」であります。ほう。タマゴも「与えられた飼料」なのか。ところで、このブログ主さんが信奉し、傾倒している森下敬一氏が主催する「国際自然医学会」の関連団体に「有限会社アオゲラ通販」があります。健康食品などを取り扱っている会社です。(サイトでは「森下健康食品取扱通信販売・取扱店」となっています。)「国際自然医学会」の左側から入れます。「アオゲラ通販・グルージア」この「アオゲラ通販」が販売している「森の鼓動」という商品、卵黄油のようです。森の鼓動原材料名:卵黄油、ゼラチン、グリセリン卵黄油とは、タマゴの黄身を長時間、炒ることによって出てくる、黒く苦味のある油で、いわゆる民間療法として、昔から伝わるものです。で、タマゴを「与えられた飼料」などと罵倒しているこのブログ主さん、「森下健康食品」とやらに「人工の固形飼料」「与えられた飼料」としているタマゴを主成分にしている商品があることを、どう説明するのでしょうか。自らが信奉してやまない「国際自然医学会」がタマゴから造った食品を認めていることについて、どう受け止めるのでしょうか。また、別のエントリではこんなことも書いています。浄血すればガンは治る 「処方箋」なお、日常の食卓にのぼる食物は、防腐剤や人工着色料など、いわゆる食品添加物の加えられた加工食品でないもの、つまり自然食品を選ぶ必要がある。さて、「森下健康食品」のなかで、「森の鼓動」と「モリジン」という商品の原材料を確認してみましょうか。森の鼓動原材料名:卵黄油、ゼラチン、グリセリンモリジン原材料名:大麦若葉エキス(大麦若葉、デキストリン)、小麦胚芽エキス(小麦胚芽、デキストリン、ウコンエキス)、野菜果実エキス(葉菜類、果菜類、根菜類、かんきつ類、大粒果実類、海藻類、ブドウ糖、デキストリン)、シソエキス(紫蘇、デキストリン、乳糖)グリセリン、デキストリンは立派な食品添加物です。「国立医薬品食品衛生研究所・食品添加物ADI関連情報データベース」にも掲載されています。グリセリンデキストリン「森下健康食品」にいわゆる「食品添加物」が入っていることを、このブログ主さんはご存知なんでしょうか。このブログ主さんの主張である「タマゴ」や「食品添加物」が悪であるというようなことは単なる「思い込み」でしかなく、その論拠としている「国際自然医学会」の関連団体ですら、タマゴや食品添加物からできている健康食品を販売しているという事実を、故意に無視しているか、それとも知らないかのどちらかでしかありません。故意に無視しているのであれば、もはや何も言うことはなく、ただ呆れるのみです。知らないのであれば、自らが論拠としている団体のことすら調べきれない、調査不足というしかありません。そして、その「思い込み」を信じてしまう人たちもいます。こういう人たちには、別の角度から物事を考えてみることをお勧めします。他人の意見を鵜呑みにするのではなく、自分なりにいろんな方面から、情報を集めて、検証することが必要だと思います。いわゆる「メディアリテラシー」って大事ですね。→にほんブログ村 平和
2007.12.24
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町村官房長官「UFOは絶対いる」 存在否定の政府公式答弁に不満タラタラ>町村信孝官房長官は18日の記者会見で、UFO(未確認飛行物体)について「絶対いると思っている」と述べたうえで、「そうじゃないと、(宇宙人が描いたとの説もあるペルーの)ナスカの地上絵なんて説明できないでしょ」と力説し、“UFO信者”としての持論を展開した。>政府は同日、民主党の山根隆治氏の質問主意書に対し「『地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体』の存在を確認していない」とする答弁書を閣議決定し、政府として初めて正式にUFOの存在を否定していた。UFO問題がここへきて、国会での議論になっているようです。発端は民主党の山根議員の質問趣意書に対する回答ですが、山根議員は平成17年の国会・総務委員会でもUFOについて質問し、麻生さんが答えていました。(←この件は、以前、当ブログでも取り上げたことがあります。「証言」だけで事実になっちゃうの? を参照)確かに、冷静に考えれば、山根議員のUFO問題に対する取り組みは、痛い。頭の痛い人かとすら思える。平成17年の質問でも、「UFOが度々もう飛来、世界じゅうに飛来している、しょっちゅうそれはテレビで、先日も私、一週間ほど前テレビでまた見ましたけれども、」と言っているように、根拠のひとつがテレビというのもまた痛々しい。国会議員の見識とは思えないくらいです。ほかに重要な案件があるなかで、ふざけているといわれてもやむを得ないような質問趣意書を提出する、これだけでも真剣にやっているのかどうか、疑わしい。UFOの存在についても、いわゆるUFOの来訪を示す明確な証拠がないことから、「『地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体』の存在を確認していない」とする政府公式答弁を支持せざるを得ません。でも山根さんを責める気にはならないのは何ででしょうか。政府公式答弁に一抹の寂しさを感じるのは私だけなのでしょうか。確かに、政府公式答弁のとおりかもしれないし、どう思うかを聞かれれば、公式答弁どおりとしか答えようがありません。しかし、夢がない。夜、ベランダに出て、星を見ながら、どこかの星に、高度な文明を持った知的生命体が住む星があって、どんな生活をしているのだろう、どんな文明を持っているのだろう。そういうことを考える、あるいは家族と話し合うことはそう悪いこととは思えません。UFOをダシにしたカルト宗教などもあり、冗談では済まない「UFO問題」もありますが、少しくらいは宇宙やUFOに思いを馳せることくらい許されるのではないでしょうか。町村さんの会見や石破さんの会見をテレビで見ましたが、本人も、記者も笑っている。笑いながらUFO問題を論じている。皆、「大人のジョーク」としてとらえているからこそ成立するUFO問題。こういうのを真面目に、真正面から返す政府の公式答弁、少しくらいユーモアの部分を入れることはできなかったのでしょうか。UFO談議、渡海文科相も「この種の話はあっていい」>「あるんじゃないか。あったら楽しい。地球の脅威にならない限り、この種の話はあっていい」今回のUFO問題、町村さんはUFOを信じていると主張、石破さんは国防問題とからめて論議しましたが、一番、私自身の考えに近いのは渡海さんの意見。宇宙のこと、無数の星たちのこと、その中にいくつか存在するであろう知的生命体のこと。安物のファンタジー小説や映画を読むよりはよっぽど想像力を刺激されるとは思いませんか。本来ならば、町村さんの発言、「ナスカの地上絵なんて説明できないでしょ」の部分、事実誤認を指摘しよと思ったけど、そういう野暮なマネはやめておきましょう。→にほんブログ村 平和
2007.12.23
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ここ数回にわたって取り上げてきた「がんは感謝すべき細胞です。」というブログ、今回も絶好調です。「銃規制」よりも「穀菜食」を!冒頭、千島喜久男医学博士の著書「血液と健康の知恵」からの引用文を掲載していますが、これがまた酷い。事実確認という作業を怠り、思い込みのみで書かれたとしか思えない著作です。>古今東西を通じて聖賢とあがめられた人々の殆んど凡てが菜食の唱導者であり実行者だった。>釈迦もキリストも、老子も孔子も、プラトン、ルソーもギリシャの哲人ピタゴラスも、文豪トルストイも、発明王エジソンも、日本では二宮尊徳も貝原益軒や禅宗の高僧たちも皆そうだった。「聖賢とあがめられた人々」の基準がばらばらで、どういう人選をしているのかとすら思ってしまいますが、やっぱり事実誤認のオンパレードです。少なくとも、貝原益軒が菜食の「菜食の唱導者であり実行者だった。」というのは完全に事実誤認です。貝原益軒の代表的著書である「養生訓」第三巻から、原文と現代語訳とを合わせて引用してみます。養生訓 (抄訳)学校法人中村学園大学>凡(すべて)の食、淡薄なる物を好むべし。肥濃・油膩の物多く食ふべからず。生冷・堅硬なる物を禁ずべし。あつ物、只一によろし。肉も一品なるべし。さいは一二品に止まるべし。肉を二かさぬべからず。又、肉多くくらふべからず。生肉をつゞけて食ふべからず。滞りやすし。羹に肉あらば、さいには肉なきが宜し。>すべての食事はあっさりしたうす味のものがよい。濃い味や脂っこいものをたくさん食べてはいけない。生もの、冷えたもの、堅いものは禁物である。吸物は一椀、肉料理は一品、副食は一、二品にとどめる。肉はたくさん食べてはいけない。生肉は続けて食べてはいけない。吸物に肉を入れたときは、副食に肉類をいれないほうがいい。「肉はたくさん食べてはいけない」とはありますが、「肉を食べるな」とは書いていません。>飲食の内、飯は飽ざれば飢を助けず。あつものは飯を和せんためなり。肉はあかずしても不足なし。少くらって食をすゝめ、気を養ふべし。菜は穀肉の足らざるを助けて消化しやすし。皆その食すべき理あり。然共多かるべからず>飲食のうちで、ご飯を十分に食べないと飢えはいやせない。吸物はご飯を食べやすくするだけである。肉は少しだけで十分である。少しの量で食欲を刺激するくらいでいい。野菜は穀物や肉類ではとれない栄養分を補い消化を助ける。すべての食品にはすべて意味があるものだ。しかし、食べ過ぎはよくない。「すべての食品には意味があるものだ。」とありますが、肉や卵など、動物性たんぱく質を諸悪の根源のように扱うどこかのブログ主さんにも、この言葉をよく聞いてもらいたいもんです。>衰弱虚弱の人は、つねに魚鳥の肉を味よくして、少づゝ食ふべし。参ぎの補にまされり。性よき生魚を烹炙よくすべし。>病弱な人は、魚鳥の肉を味よくして少しずつ食べるのがよい。薬用人参よりもいい。いきのいい、生魚をよく煮て又はあぶって食べるのがいい。魚鳥の肉の効用を認めていますが、「肉食が万病の原因」というような主張をする人たちに、この言葉をよく聞いてもらいたいもんです。また、釈迦やキリストについては、原始仏教では肉食は禁じられておらず、三種浄肉(※)であれば、食べることが許されていたようです。また、イエス・キリストが魚を集まった群集に配布したという記述(※※)も、新約聖書に見られます。これらのことから、釈迦やイエスが菜食主義であるとはとても断言できません。むしろ菜食主義である可能性は低いと思われます。(※三種浄肉)・自分が食べるために殺されるのを見なかった肉。・自分が食べるために殺されたと聞かなかった肉。・自分が食べるために殺された疑いがない肉。(※※たとえば「マタイによる福音書14章18節)1418>イエスは言われた、「それをここに持ってきなさい」。1419> そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。さて、トルストイに関する記述も無茶苦茶です。>中でもピュリタンで有名なトルストイは>「肉食して役立つのは動物的感情を高め、性欲を刺激することであり、密通と、暴飲と耽溺を増すのみだ。若し真面目な人生を送ろうとするなら動物性食を止めることだ。ここでいうトルストイとは、文中にある「文豪トルストイ」のことでしょうか。「イワンのばか」や「戦争と平和」で有名なトルストイでしょうか。レフ・トルストイ(Wikipedia)もしそうなら、トルストイはピュリタンではなく、ロシア正教徒(晩年に破門)であり、また家庭内では暴君であり、夫人との仲は険悪だったようです。「真面目な人生」って何だ?オレは結構、肉も食うけど嫁さんに手を上げたことなど一度もないんだがなあ。ブログ主さんは、これをすっかり信じ込んでいるようですが、少しでも資料の裏づけを確認するといった作業をやった方がいいと思いますよ。>引用が長くなり誠に申し訳ありません。>長崎県佐世保市でのスポーツクラブで8名が死傷した散弾銃乱射事件で、自殺した容疑者の顔写真をテレビで見て、直感的に、引用した千島先生の文章を思い出しました。さて、ブログ主さんは、事実誤認のカタマリともいえるこの著書を鵜呑みにして記事を書いています。佐世保市スポーツクラブでの散弾銃乱射事件も、「肉食過多」のせいなんだそうな。>私の推測で申し訳ありませんが、本件の容疑者は「肉食過多」で、砂糖を含有する「ジャンクフード」の常食者であります。>肉食と「ジャンクフード」とはリンクしていて、いわゆる「悪循環」を繰り返します。何を根拠に推測したのでしょうか?まさかこの千島博士が書いた「事実誤認のカタマリ」が根拠ではないでしょうなあ?>「銃規制」という「対症療法」よりも、まずは「穀菜食」への回帰ではあります。その前に、よく調べてから書いたほうがいいのではないのでしょうか。にほんブログ村 平和
2007.12.17
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先日から「がんは感謝すべき細胞です。」といった主張をされている方のブログの事実誤認の部分を指摘してきましたが、今回のは特に酷い。「殺生肉食禁断の詔勅」という「共生」天武天皇が「殺生肉食禁断の詔勅」を出して以来、歴代の天皇が4回、同じ「詔勅」を繰り返し出しています。「殺生」とは「生き物を殺す」こと、「肉食」とは「その肉を食べる」こと、つまり、この両方を禁止する「命令」です。いきなり、これですよ。天武天皇が禁止したお肉は、ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリだけで、それも期間限定(4月から9月の半年間だけ)です。当然、クジラやいのしし、シカなんかはその対象外です。>下記は「まもなく日本が世界を救います」(2007年12月15日 刊)からの引用です。本を読むのはいいけど、まともな歴史書を1冊でも読んでから日本史について書いたほうがいいよ。>その後ずっと幕末まで千二百年間も、世界で稀に見るまったく正しい基本的な国是として日本はそれを持っていきました。持っていません。寛永二十年(1643)に出版されたいわゆる今でいうレシピ集である『料理物語』には、シカ、タヌキ、いのしし、かわうそ、犬といった動物の肉の調理法が記されています。(私自身、これらの中でいのししのお肉以外、食べたことはありません。)また、江戸時代初期の社会全般について記載された『落穂集』という本には、武家も町方も、下々の食い物として、犬に勝るものはないということで、冬になると見つけ次第、撃ち殺して食べたという記述もあります。『江戸料理集』(延宝2年(1674))には焼き鳥の記述があり、「鴫類、うずら、ひばり、小鳥類、雉子、山鳥、、ひよ鳥、つぐみ、雀、鷺類、鳩、けり、鷭(ばん)」といった食材としての鳥の名称が列挙されています。「仮名手本忠臣蔵」の中にも、「これからニワトリを締めて食べよう」というような台詞が出きます。肉食が庶民の間にも浸透していたことがうかがい知れます。このように、現代よりも食べる量は少なかっただろうけど、江戸時代にも肉食は行なわれていたようです。ところで、このブログ主さんは、卵も敵視していますが、江戸時代、卵も大人気です。ゆでる、煮るといった単純な調理方法だけでなく、今の卵焼きに近いものや、千利休が考案したとされる利休卵など、現代でも通用する高度な卵料理が続々と開発されました。その集大成ともいえる「万宝料理秘密箱」の「卵之部」(いわゆる「卵百珍」)には、100種類以上もの卵料理が記載されています。>江戸時代、最後の天皇である孝明天皇までは、この「国是」が厳守されてきました。>しかし「明治維新」という「西洋従属化」に従って、明治天皇自らが「肉食」を始めました。江戸時代末期になると、肉を専門に売る店が出てきます。ただし、「肉屋」ではなく「ももんじい屋」という名称で、「肉」を薬として販売していたようです。だから、肉食禁止という「国是」は厳守されていなかったし、維新の前にも庶民の間では肉食は行なわれていたことは、先に述べたとおりです。>日本は、約1200年にも亘って、これを「国是」としてきた稀有な国です。>「あらゆる生物と共生してきた」国です。>何も難しいことではありません、この原点に回帰するだけです。無理だ。江戸時代みたいに犬やかわうそを食う気にはなれない。まあ、高校時代に戻って、日本史の勉強でもやり直せよ。→にほんブログ村 平和
2007.12.14
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以前、「がんは感謝すべき細胞」なんだろうか?で取り上げたブログのエントリ『生命全体を「いただきます」』で、その後、管理人さんである「健康かむかむ」さんと管理人さんに賛同する方から反論(?)をいただきましたので、整理してご紹介したいと思います。上記ブログのエントリで、私が提示した点がこちら。通り須賀り>是非とも、『全国でも「元気な高齢者が多い」有数の自治体である大宜味村では、「秋田農村に比べ約3倍の肉類を摂取している』件について、健康かむかむさんの見解を教えていただきたいと思います。で、これがお返事。健康かむかむ>事実関係を確認しないことには見解の述べようがありません。まず、私は大宜味村の長寿の件と、肉類(主に豚肉)の摂取量の関係を、根拠を示して提示したはずです。それも個人のブログや巨大掲示板じゃなくって、ちゃんとした行政機関のだよ。 大宜味村役場それを、「事実関係が確認しないことには見解の述べようがありません。」だと?かりにも「健康」について、「食」について、他人に指導している立場の人間が、自説に都合の悪い部分を無視したり、自説が間違っているかどうか検証することを怠ってどーすんの。「1万人に1人」かも知れないけど、あんたの説を信じている人間がいるんだろ?もしあんたの説が間違ってたとして、健康被害が発生したらどう責任とるの。あんたが頭から否定している現代医学が絶対正しいとは言わない。現代医学も間違って、たまに効かない薬を認可したり薬害発生させたりしてるけど、絶えず多くの医学者が、日々、検証・研究してんだよ。少なくともオレ自身は、自説を検証することをしないあんたの説よりも、日々検証・研究を繰り返している現代医学の方が信用できると思う。だいたい、人様に「食事指導」するのに、沖縄の長寿と豚肉の関係について、事実確認くらいはしておくべきでしょう。医者ではないにせよ、「食事指導」を行なうということは、人様の健康を預かる身。食と健康に関する広い見識を要求するするのは酷なのでしょうか。次に、管理人さんに賛同する「みっちゃん」という方。通り須賀り>確かに、「玄米は体にいい」という話は聞いた事はありますが、肉も魚も卵も、動物性たんぱく質は有害という説は学問上、認められているわけではありません。>いろいろな種類の食品をバランスよく食べることが、健康の秘訣かとみっちゃんさん>ここのブログの根拠は、千島喜久男・森下敬一両博士によって打ち立てられた生命理論に準拠しており、この説が発表されてからすでに50年以上が経過しておりますが、まともな反論は見当たりません。>そして時を経てこの説は、1977年アメリカ上院が「食と健康」について調査した全世界の膨大な数の例証(マクガバンレポート)により実証されました。アメリカ上院はご周知と思いますが、あらゆる分野の「世界最高の調査機関」であります。まず、マクガバンレポートの概要。食生活指針10大死因のうち6つの病気が食生活に大きく関連することがわかり、栄養の問題は栄養不足だけではなくなった。そして、病気にならないための食生活の目標が6つ設定された。 1 炭水化物の比率を(全カロリーの)55-60%に増やす。 2 現在40%の脂質を30%に減らす 3 飽和脂肪酸を10%に減らす。多価不飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸を10%にする。 4 コレステロールを1日300mgに減らす。 5 砂糖を15%に減らす。 6 塩分を3gに減らす。 そのために、全粒穀物、果物、野菜、鶏肉、魚、低脂肪乳を増やし、肉類、バター、卵、脂肪、砂糖、塩分を減らすことも報告した。 マクガバンレポートでは、「鶏肉、魚、低脂肪乳」を増やす、とされており、管理人さんの主張するように、動物性タンパクが全て悪というようなもんでもありません。低脂肪乳を勧めていることからも、管理人さんの主張する、牛乳=毒という説にも適合しない。さらに、管理人さんが主張する「全体食」「部分食」の概念すらない。管理人さんのいう「全体食」は、「全粒穀物、果物、野菜、鶏肉、魚、低脂肪乳」のうち、全粒穀物だけでしょう。だから、マクガバンレポートは、管理人さんの説を裏付ける根拠とはなり得ません。「千島喜久男・森下敬一両博士によって打ち立てられた生命理論」とやらは、もう説明の必要もありません。疑似科学に詳しい方なら、よく御存知のはずです。(一例を挙げれば、「細胞は分裂増殖しない。6つの形態で新生する」「骨髄造血説は誤り。造血器官は小腸の絨毛である」といった、現代の医学の常識から著しく乖離したものではあります。)マクガバンレポートに話を戻しましょう。もともとアメリカ人はよく牛肉を食う。500グラム以上を平気で平らげる。だから低カロリーの鶏肉や魚を食べましょう、というだけのことです。(当然、鶏肉を増やす、といっても、毎日、毎食、鶏肉ばっかり食っていては、当然、健康的な食生活とはいえません。)まだまだ事実誤認の部分はあるのですが、とても書ききれません。今日はこのくらいにしておきましょう。にほんブログ村 平和
2007.12.11
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