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飲んだ後に必ず行くグリークカフェがある。いつもコーヒーだけか、と言われるのでたまには、と食べにいった。不況の波をまともに被ったか、レストラン経営はジリ貧。いつもガラガラ。一番気になることは、行くたびにスタッフが変わっていること。タイからの学生アルバイトとツーショット。次回は、この人もいないだろう。社員待遇の問題なのだろうが。ということで、毎回いろいろな方とお話できるのはいいのだが、その内、このレストランがなくなってしまうのでは、と心配はしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月29日
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9・11は私の人生を変えた。ネットで真実を知るようになった。4機の内1機はシャンクビルに墜落したと正式発表され続けてきた。そこには、穴があるだけで機体の破片も死体もまったくなく、当初から撃墜されたのではと言われてきた。しかし、アメリカ政府は墜落と言い続けてきた。勇気ある乗客が団結して行動を起こしたと美談が語られた。毎年、そこで慰霊祭も行われていた。今年、9月4日のフォックスTVで、当時の副大統領(実は陰の大統領)デック・チェイニーが、実はあれは自分が命じて空中撃墜させたと告白。10年も嘘を言い続けてきた。アメリカ政府。チェイニーは、この日何が起こったのか全て把握している。10年経って、あれは嘘でした、で済むのか。アメリカ国民を、世界中の人をこんなにバカにした話もない。もう隠しきれなくなって吐露か。じゃ、ツインタワーの疑惑、ペンタゴンの疑惑はどうなるのか。アメリカ政府も日本政府も国民に真実を伝えない、そのレベルでは同等だ。不思議なのは、この告白、メディアが一切騒がない。それはメディアも同罪だから。ツインタワーで当日働いているべきだったイスラエル人4000人は一人も死んでいないと、2001年10月10日のNHKのTVで発言して、暗にイスラエルの関連を示唆した元NHK論説主幹長谷川浩氏は、その5日後にNHKのセンター内敷地で不可解な死を遂げた。検視も解剖もされず、目撃者も発表せず自殺とされた。アメリカイスラエル政府に真っ向から刃向かうとこうなるぞ、ということ。私も、そろそろ護衛が必要か。http://www.youtube.com/watch?v=I5GgZa9V0A8毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月27日
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日曜は日焼けするほど日光が強かった。フレミントンにある、カレーラクサが美味しい店にいってきた。昼間のラクサは割と楽さ、とか駄洒落を飛ばしながら一気に完食。辺りをブラブラし、パブの外の長いテーブルでお茶。形の全く整わない揚げたてのチップスを楽しんだ。世界199カ国からの移民を受け入れているオーストラリア。顔の色も食の味もそれぞれ違って溶け込んでいる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月27日
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オランダ系の連れ合いの両親は月に一度ジャーマンクラブのダンスに行っていた。父親が暫く患っていたので行けないでいたが、土曜日に久しぶりに行くことになり私たちも同伴した。ドイツ人が7割、オランダ人が3割といったところか。そこに、東村山出身の日本人が一人。嬉し事に私が最若手。張り切らざるを得ない夜。ドイツ、イタリア、ギリシャ移民たちにはこういうクラブがあって結構楽しんでいる。少数移民の日本人には望みようもない。あったとしても、ダンスなんかはいだろう。あったとしても盆踊りか。ということで、自分がもう少し高齢になったらいったどこへ行けばいいのだろうと思うことがある。いまからドイツ語とかやらないとならんかも知れない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月25日
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「タコ君は英語がごタンノウだから。」って言われたよ。中学校の父母会から帰った母が言った。常に学年トップの臼井さんのお母さんにそう言われたとのこと。「何がごタンノウだよね、まったくヘソが茶沸かすよな。」秋田仙北郡の百姓出身の母は、歯に衣着せぬ言語能力に長けていて、昔から皮肉だけをおかずに晩飯が作れるくらいの人だった。そう言いながらも母は嬉しそうな顔をした。よく学校には、自分はまったく勉強していないといいながら、実は陰では死ぬほどしていてテストでいい点を取る者がいる。しかし、臼井さんは勉強していないというのが100%信じられる人で、そしていつもいい成績を残す、箸にも棒にもかかり過ぎる人だった。天才肌の人いうのだろうか。学校の勉強だけで足りないの?みたいな雰囲気が溢れていた。世の中、この人には絶対に敵わないって人が五万といるが、臼井さんは間違いなくそういう人の1人だった。そして、奢ったところがまったくない。もうこうなったら、極楽の池の学生用蓮の上にでも乗せて拝んでいるしかない。そこへいくと私、英語に力がはいったのも、9歳のときの金髪初恋ヤンキー娘ラビン7歳と一言も会話が出来なかったことへの反発という、下心全開の動機。「タコ君は、英語の発音は私なんかより上手なんですよ。でも、テストになるとこれが全くダメなんですよね、って石川先生にそう言われたよ。」同じく、母が今度は高校1年のとき担当で英語教師だった石川先生言われたのだそうだ。もう、「タンノウ」はすっ飛んでいた。母は、短かった「タンノウ」の夢が破れてがっかりしているようだったが、私にしてみればそれが実体そのものと分かっていたので穏やかだった。因みに、これ以降、急激に学校での英語が嫌いになってしまった。でも考えてみると、こうしてオランダ系の連れ合いと、私に最後までなつかなかった我が家の老猫ルーシー 130歳に遠巻きにされながらも割りと地味に生活できたのも、あの中学校時代の不純な英語への動機と「ごタンノウ」のお陰だということで感謝はしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月24日
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一度はいたら止められないユニクロのシルキーボックスパンツ、思わず触って欲しくなるほどだ。NZ行きの際、バック紛失、2週間ぶりに戻った。ユニクロパンツなどはずっと私をメルボルン空港で待ち続けていたという。良く頑張ったと言いたかった。実は、バーコードタグが外れて行き先を失ったとのこと。慌てて荷造りしたので、ネームタグなど一切付けていなかった。ということで、次回からは常備薬、PCコード、外付けハードディスク、パンツなどは手荷物にすることにした。とんでもなくあぶらぎっている中高年なのに油断。勉強になった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月23日
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池袋パルコが出来る前、そこに丸物デパートというのがあった。そのデパートに入ったときのことだった。1968年高校一年の秋。階段の踊り場で休んでいた、体に必要以上にフィットした濃い緑色のセーターにおかっぱ頭の目のクリクリした小柄な女性に、声をかけてしまった。火事場の馬鹿力とでもいって褒めてやりたいくらいの力が働いた。後にも先にも、こんな経験はない。若いうちに卒業できてよかったと思う。因みにこの日は教会の集会の帰りだった。神様が味方してくれたのだろうかとさえ思えた。小林さんといった3歳年上の栃木のお針子さんには、「肉の力に負けないように、菜食主義者になった方がいいですよ。」との貴重なアドバイスの手紙をもらって最後になった。そういう意味では人生の恩人、できるならもう一度お会いしてお礼が言いたい。しかし、恐ろしいもので「野生の叫び」とでもいうのだろうか、似たようなシーンに出会うともう気持ちは老狼男。ただし、気持ちだけ、行動も体の機能もついていけない。もう余生なのか、、、、、毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月22日
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昼のアルコールはどういう訳か良く効く。二人で赤ワイン、シラーズを一本空けたら眠気に襲われてしまった。夜には絶対ないことだが。毎日、飲んだ後に禁酒、断酒しようと思っているタコのようなぬらりくらりの日々。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月21日
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思いやりの心と甘い物。ということで、医者の忠告を笑顔で無視して甘い物。赤ワインを止めれば帳消しになるのだが。人生、難しいことが多すぎる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月19日
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Friends are very important !仲良きことは いいことなり毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月18日
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投宿した友人宅から出て、一人で海辺を散歩した。知らない人が、笑顔で挨拶してくる。どの人も親切だ。ニュージーランドの小さな町。人は小さな所では皆親切になる。知った人ばかりだろうから。メルボルンが本当に大都会に思えた。25年前、ニュージーランドへの移住も真剣に考えていた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月15日
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生でラグビーの試合を観るのは26年ぶりだった。サラリーマンを自ら下りた翌年、オーストラリア行きを準備していた年だった。1985年1月15日の決勝で新日鉄釜石が7連覇を成し遂げた時のゲームだった。高校時代、体がでかかったので一度ラグビー部から誘われたことがあったがいかなかった。運動部の中では最も過酷といわれていたことで怖気づいた。今回は、本場のNZでの観戦だった。日本の友人が送ってくれた鉢巻きは荷物が出て来なかったので使えずがっかりしていた。そうしたら、NZの友達たちが「じゃ、自分たちで作ろう。」と言い出して当日作ることになった。ユニクロで買った薄手のダウンジャケットも出て来なかったので、いろいろ借り物で身を包み、会場近くのパブでしこたまビールを飲んで競技場へ。あんなに大きな声で歌ったことのない「君が代」に酔い、試合中叫びまくってしまった。一時期、4点差まで迫ったときは、もしかしたらフランスに勝つのでは、と思ったりもしたが。友人たちのお陰で、本当に楽しいNZラグビー観戦となった。16日は日本対NZだ。友人の妹ケイさんが、「私は、日本を応援するわ。」と言ってくれたのが嬉しかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月14日
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7日からNZのオークランドに予定通り行ってきた。予定通りじゃなかったのは荷物。出て来なかった。こういうことは、他の人に起こることと思っていたことが私に当ってしまった。因みに、いつか自分に起こるあの世行きもこんな風に起こるのだろうと思った。洋服、靴、洗面具、コンピューター関連(バッテリー、デジカメコード、外付けコンパクトハードディスク)、傘、スポーツギアー、そして、ユニクロで買ったシルキーボックスパンツ。(この下着は最高で履きまくっているもの)、友人の家族宅に泊まるためのお土産、そして、飲まないと大変なことになる薬。出て来なかったし、いまだに出て来ない。ラグビーワールドカップ観戦の興奮が半減以上。一番辛いの薬だったが、5月6月の父の49日などと写真がハードディスクにあったこと。飛行機会社は前はパシフィックブルー、バージンエアライン。昔から、バージンは怖いと思っていたこが、、、、って冗談言う気力も削がれる。ということで、メルボルンに戻って来る日の国際線の荷物は、まるで隣町に買い出しに行くような感じになってしまった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月12日
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9月10日のラグビーワールドカップ、日本対フランス戦の応援に行く。最後にNZに行ったのは、メルボルンで永住権を模索していた時。一旦、海外に出ないとならないので、オークランドに1週間行った。その頃はアジア人は少なかったが、今は留学生でごった返しているらしい。当時は、食文化が貧しくて閉口したもんだが、今は様変わりのようだ。帰りの飛行機は9・11、あれから10年の記念日だ。無事に帰って来られるよう願っている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月06日
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元気になったオランダ系の連れ合いの父親、昨日はこちらの「父の日」で、家族が集まった。度数35度のエガマイスターの一気飲みからスタート。それぞれの家族が持ちよった料理を、見動きが取れないほど(?)赤ワインの力を借りて食す。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月05日
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「タコ君、夏目雅子に会わせてやろうか?」サラリーマン時代の直属の部長がある日そう切り出した。私は、思わず乗り出しそうになった。後で、先輩の前川さんがこう言っていた。「部長な、あんなこと言ってるけどさ、まだ夏目雅子に会ったことないんだよ。ただ彼女のお母さんがさ、六本木でゴルフショップをやっていてさ、そこに行ったことがあるだけなんだよ。」私は、実は少しだけ期待をしていたのだが、当然会うことは叶わなかった。夏目雅子は、初めて伊集院静に会った時、「私はこの人の嫁さんになる。」と決めていたそうだ。そうして、2人は結婚したのだが、そういうことってあるもんなのだなと、ある意味では心踊る気持ちにもなる。今からなっても仕方のないことだが。「私、この人と結婚するために生まれたって思う人が会社にいるの。」1976年8月に、会社の同期の亜由美と付き合い始めて3回目のデートで、小雨降る善福寺川の川沿いで寄り添ったとき、彼女はそう言いながら大粒の涙を流した。夏目雅子の話を読んだら、実は私もそういう立場に立たされたことがあったと思いだした。問題は、その相手が私でなかったことで、これはその後長く尾を引くことになったということ。ところで、男も「この人と会うために生まれて来た」と思うようなことがあるのだろうか。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月04日
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「えっ?MさんもWさんも、会社をたたんでどこにいるか分からないのですか?」「えっ、Yさん、もうリタイヤされていたのですか。」仕事の業界、15年目を迎えているが、会社の世代交代や閉鎖などいろいろあったようだ。私の業界も含め、殆どが日本人相手の仕事ゆえ、このところの不景気の多波を被ってしまっている。元々業界最長老の私は、周りを見回したら「誰もいなくなっていた」状態に陥っているようだ。寂しい限りだ。「えっ、タコ社長、まだ生きてたの?」とか言われない内に身を引かないとならない、というメッセージが送られてきているのだろうか。とはいえ、辞めて力仕事とかできる訳でもないし、日本のようにシルバーとかで自転車整理とかの仕事もなさそうだし、なんとか業界が上向いてくれるように願いながらやっていくしかないようだ。ということで、今夜も飲み会、相手を模索中。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年09月01日
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