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1969年10月、私は東京の国立にある都立高校の2年生の修学旅行に参加した。帰ってきて中間試験があった。その初日にバリケード封鎖未遂騒動があった。不穏な動きを察知した教師たちが前の日から泊まり込んで阻止したのだ。それから、12月の末に収束するまでの2カ月、毎日毎日、来る日も来る日も討論が行われた。最終的には、受験を控えた3年生の脱落などもあり、勢いが削がれて自滅していった。私は、生徒心得改正委員長として制服の完全廃止をしたり、生徒心得の簡素化などを実施した。結局は、女生徒のミニスカート導入に寄与したことぐらいのことでしかなかったが。学園紛争が続く中、ひっそりと心を寄せていた長身で痩せ型の同級生Mが過激な運動へと突き進んでいった。3年になってから放送室を占拠して全校放送で学校改革などを訴えていた。Mには二年片思いしていた。彼女には活動家の彼氏がいて、手も足もでなかった。因みに、昔からこういう男には絶対叶わないと思われるタイプの男が五万もいる。長生きせんと。Mに心を寄せたのは、1年の時の文化祭。薄水色のセーターに制服のスカートを長くはいてギターを抱えながら歌っていた曲が、「いいじゃないの幸せならば」だった。その時は、長いお下げをボーイッシュに切ったばかりで、可憐な感じが静かに漂う女学生だった。「1969 」というタイトルの由紀さおりのレコードが、アメリカとイギリスで流行っているという。思わず、iTune ダウンロードで購入してしまった。何度も何度も聴いている。個人的には、いしだあゆみの「ブルーライト横浜」がいい。思わずサンバ。そしてこの中に、聴いている私の方には全く見向きもせずにMが一心に歌っていた「いいじゃないの幸せならば」も入っていた。http://www.youtube.com/watch?v=iDAJ8IgQzuA&feature=related毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月30日
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広島の古い友人N女史より、メルボルンの私の元にメールが届いた。御歳暮と書かれていた。http://blog-imgs-29-origin.fc2.com/g/o/l/goldentamatama/000216.jpg私への個人的な励ましのメッセージとかではないようだ。日本はダントツの最下位。どうなってしまっているのだろう、と私が悩んでも仕方のないこと。この満足度の難点は、男性女性、どちらへのアンケートか分からないこと。これに拠って随分変わる筈。私が分析しても、何の役にも立たないが。全く他意はないがギリシャが一番だった。N女史の来年の御歳暮に期待したい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月29日
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日本最後の夜は、眼の玉が飛び出るほど高いピザの宅配。今は、母と二人で食べている。本日、メルボルンに戻ってきた。毎回、飛行場から直行するのはカールトンのラ・ポケッタという安いピザ屋。なんだか、このパターンが座りよく馴染んでしまっている。日本とオーストラリアをまるでピザが結び付けているような。それにしても、オランダ系の連れ合いに日本のピザの高さを言っても信じてもらえなさそうだが。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月27日
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25日、今年最後の日本ウォーキング。所沢を歩いていて何軒かの店に変化が。高級カラオケ店が廃業していた。半年前に店を閉めた弁当屋、未だ空店。間もなく、ユーロが崩壊することは間違いないようだ。それから、世界大恐慌。85歳の母にも、都市銀行の口座のお金は下ろすように言った。そんな仲で一つ気になった店。和服店が、美容院になっていた。1929年世界恐慌の時、飲食店と美容院だけは潤っていたという。どんな時にも食べなと生きていけないし、女性は美しさを忘れない。今回の帰国で湯上りの母の髪をドライヤーで乾かすことが何度かあった。よーし、今から美容師になろうか、などと血迷った訳ではないが不況に強い業種には興味がある。日本の街を歩いていると、いろいろと刺激が多い。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月27日
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3歳年上の友人Aさんと男二人で、老人の原宿、巣鴨に出向いた。暖かな一日、すっかり馴染んでしまう年になった私たちは、大手を振って歩きまわった。塩大福豆抜き切りもちイナゴの佃煮白豆など母の好物を購入。毎回の帰国に欠かせない場所になっている。「マレーシアにロングステイに行こうと思っているんですよ、タコさん。」退職して悠々自適のAさんは、先日ロングステイ財団が主催したセミナーに参加されたとか。マレーシアに大いに興味あるそうだ。回りは60、70代の女性ばかりの店で、有名な焼きそばプラスおはぎのコースを食べながら、将来の話などが尽きないひと時となった。Aさんのロングステイの話を参考にできるのは、私の場合はまだまだ先の話。少なくとも、オランダ系の連れ合いに話せるようなことではない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月23日
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「やっぱり、タコさんの日記は食べ物でしょう。」ということで、若干のフォトアップ。暫くは、納豆と大根おろしとかでいいような、悪いような。日本滞在あと一週間。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月20日
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1980年からスタートした日本とオーストラリアのワーキングホリデー制度。私は、年が規定を超えていたので使うことはできなかったが、今でも多くの日本人の若者たちがこの制度を使って渡豪している。今は30歳までとなっている。河口湖にも、大人しそうなオージーのワーホリ君がいる。今年の6月には、どうやら色の白い方と不倫をしていたようだ。そして、オーバーステイも気になっていた。ワーホリは、6カ月以上、同じ職場で働いてはいけないことになっている。因みに、この制度、日本からのワーホリの数がオーストラリアからのより10倍以上の片思いになっている。オージーワーホリは貴重な存在。今回の旅行で、なんとあのワーホリ君がどこにもいなくなっていた。大変な修羅場までも予想してしまった。そして、どうやら元の彼女同士が仲良くなっているようだった。この二人がどういう関係か、などとヤボな詮索をすることなく、そのまま朝のウォーキングを続けた。次回の訪問ではどんな展開になっているのか待ち遠しい。2010年7月2011年6月2011年11月毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月19日
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オランダ系の連れ合いの叔父からYou Tube の動画が届いた。ビールはこうやって造っていたのか、と思った訳ではないが、この東洋趣味の動画に魅入ってしまった。こういう情報は、今年78歳になる連れ合いの父親経由で私に届く。先日まで体を壊して入院していたが、元気になってまたPCの前に座っているようだ。因みに、連れ合いの母親が飛行機がダメなので、二人は50年の間に1度しかオランダに帰国していない。いつかオランダに行って、ニシンの酢漬けなんかをビールだガンガン流し込みたいものだ。しかし、海外に行く機会が与えられるなら、今は日本以外は考えられない。http://www.youtube.com/watch?v=L722zuURmdw毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月17日
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今回の帰国のメインイベント、二人あ合わせて144歳の親子河口湖、富士レークホテルへの旅。所沢でレンタカーを借りた。近場で、しかも良い温泉なので、大好きな草津へは足が遠のいているが来られて満足だ。これからも、できる限り二人で来たいと思っている。「何もしなくていいし、喰っちゃ寝、喰っちゃ寝で極楽だね。」毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月16日
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日々の食事に欠かせない海鮮料理。日本人から海鮮料理を取ってしまったら何が残るのだろうか。今回、スーパーでの買い物では、できるだけ外国産などの魚を買う事にしているが、レストランではどうしようもない。こんなことを考えないとならないなんて、本当に酷いことになってしまった。我々、大人の責任は本当に重い。「シラスとか骨ごと食べる小魚は、できるだけよした方がいいよ。危ないから。」85歳になる母にそう言った。「でも、あったかいご飯の上にかけて食べるのは美味しいよ。お父さんも大好きだったよ。」母にもうそれ以上言うことはできなかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月15日
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もう23年以上前の話だろうか。BDの頃の話だ(オランダ系の連れ合い以前の話)。住んでいた家の隣と接する塀が強風で倒れた。翌日、隣の家と話し合ったら、強い風のなかタコが庭に出ていたから、きっとタコが倒したんだろう、と言われて。開いた口が塞がらなくなったことがあった。今、連れ合いと住んでいる家は10年目。裏庭の塀で接するジョンの家とは交流はまったくない。否、10年間で2度塀越しに会話した。2回共、木の葉が庭やプールに落ちるから木を切れ、というものだった。ジョンの先祖は「キコリ」に間違いないと思った。半年ほど前、市役所からジョンの家が3階建5棟のアパートになるが、問題があれば申し出よ、というレターが回った。右隣のクリスさん、左隣のバリーさんなどが集まりクレームレターを市役所に出した。数カ月後にこれは市側からは理解がえられたが、ジョンが調停に持ち込んだ。勝つ確率は20%という狭き門。メルボルンは郊外にアパートを建てて行く都市計画を発表している。そういう流れのなかで非常に不利だ。但し、私たちの家は静かな住宅地にあり、こんな所に3階建のアパートはどだい無理な話。9月に調停で双方が意見陳述する場があった。私には無理があるので、バリーさんに代表してもらったが、ちょっとだけ情に訴える意見を30ワードくらいで述べた。庭の野菜畑に日が当らなくなる、というのが一つの意見だった。日本に来る前に、調停員からレターが来た。「勝訴」だった。ということで、赤ワインで乾杯となった。勝った理由の中に、私の家の野菜畑のことも書かれていた。帰国したら、本格的に菜園?始めないとならない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月14日
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「タコさん、私はね英語のペーパーバック400冊は読みましたよ。」さすが英語の達人で英語学習の本も出版されているMasa Sumide(住出)さん。しかし、彼の場合はそれでは終わらない。アコースティックギター界では知る人ぞ知る有名人なのだ。天も時々不公平、我々中高年の世代では、1970年代のフォークグループ、シグナルの「二十歳のめぐり逢い」と言った方がよくわかる。80万枚のベストヒット。今でも多くの人に歌われている。http://www.youtube.com/watch?v=Jb-A_I9Y0Yc住出さんは、メルボルンに6年ほどおられ、私も一緒に餃子を食べたりカラオケに行ったりさせていただいた仲。昨日、神田の岩本町でコンサートがあったので行ってきた。エバラ健太という、将来ブレーク間違いない若いミュージシャンとのジョイントだった。住出さんは、漫才界でやっても生きていけそうな方、冗談が絶えない本当に楽しいコンサートだった。忙しい中、少しお話もできた。今回は歌が中心のコンサートで、あの「二十歳のめぐり逢い」も先月出演されたBSバージョンで中高年になった住出さんが、若い高音の声で歌ってくれた。乗って騒いでお腹空いたので、終わってから近くの中華料理屋でニンニクの効き過ぎた餃子を食べ、超満員の中央線タイムスリップして乗って帰ってきた。http://www.youtube.com/watch?v=KOLw57ILB8I&feature=related毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月12日
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帰国の度に外せない、甚五郎の蕎麦うどん。いつもは蕎麦なのだが野菜盛りはうどんだけだったので、うどん。その量にもビックリ、久しぶりにやや残す。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月11日
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「ソフィア・ローレンはどうなの?」先日、近所のイタリア系のビクトーリアさんと話していたときそう訊かれた。私は、子どもの頃からイタリア女優ジーナ・ロロブリジダに惚れていると話した後のことだった。「大き過ぎて、ちょっと。」赤ワインの力で、訳の分からない答えになった。実は昔は、相撲取りのような大きな女性が好みだったが、今は、波打ち際で30メートルくらい先から走っていって抱き上げて3回転半くらい振り回すことのできるくらいな軽量級が好みになってきている。但し、好みといっているだけで、全く他意はなく現状変革を目論んでいるなんてこともない。イタリアといえば、メルボルンで10年近く前にオペラを歌われておられた平井富士子さんという方が、今はソプラノオペラ歌手としてローマで活躍されている。3年に1度くらいメールのやり取りがある。このブログも、それくらいの頻度で見ていただいているようだ。「お前が、オーストラリアから帰ってきているのをブログで知っているらしいよ。」エリザベスと同じ年85歳の秋田出身の母が言った。エリザベスとは、メルボルンの家の三軒隣のエリザベスおばさんとかのことではなく、世界の陰の支配者一族のあのエリザベス女王のこと。因みに、未だに憧れているあの金髪マリリン・モンローも大正15年生まれ。生きていたら、どんなになっていただろうかと思うと全身がサメ肌状態になる。美人薄命、モンローは永遠の30代。ダイアナさん然り。話しがなかなか先に進まない。今日は焼酎がよく効いているようだ。母の実家の秋田から、お米が送ってきたのだ。私のブログで察知していいタイミングで送られていきたようだと母が言う。ブログが、こんな形で役に立っているようで、一族の一員として嬉しくおもうし、まだまだ続けて書かないといけないという気持ちにもさせられる。ということで、西はローマから、東はノースキャロライナまで。そして、北は秋田から、南はメルボルンまで多くの方々にご支援を受けながらこのブログを書かせていただいている。嬉しい限りだが、ゆめゆめ女性に振られた話なんかを書き連ね過ぎて、縁が切れるようなことがないように心してやっていかないとならない。今日は、イタリアの話から真面目にベルルシコーニ首相の辞任の話、彼の頭髪、私の毛染め趣味などの話を書こうとして不発に終わってしまった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月10日
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「ここは昔、あんみつ屋さんだったですよね。」池袋のキンカ堂の側にある靴屋さんのオヤジさんに思わず訊いてしまった。「よくご存知ですね。でも30年以上前の話ですよ。」学生時代、「一人であんみつ屋に入りたい病」とでもいうのだろうか、患った時期があった。あの頃は、今と違って糖尿病とかメタボとかの心配は一切しなかった。池袋は、子どもの時から馴染んでいる。「お子様ランチ」の街。17才のとき最初で最後のナンパをした街。19のとき、一つ年上の女性に恋をした街。映画館文芸坐で「追憶」を一日に4回も観たことのある街。世を拗ねて、エロ映画館の前にあったニューサカエという喫茶店でバイトをした街。帰国の度に必ず一人で歩いてみる。自分だけはあの頃と変わっていないように感じるのに、周りは3回くらい脱皮してよそ者に向ける視線で迫ってくる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月09日
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Ipadで、池袋の東武デパートの屋上でかいている。オランダ系の連れ合いに言ったら褒めてくれるだろうか。そんなことはないだろうな。学生時代、よくここで一日中学友とトランプをしていたもんだ。今もあまりかわらないような気がするが。母の好きなお茶と、ういろうを買って帰ることにする。今日は、昼抜きで対応している。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月09日
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毎回、帰国の際の早朝ウォーキング、所沢リンリンハウスの女性従業員達にご挨拶。今回も、いろいろあったが無事に帰国でき、そしてウォーキングもできたことを、4月に亡くなったあの世の父に感謝。今朝の6時に3人ほどの男性が、何か密談。この不況の中、どの娘を解雇しようかとか話し合っていたのだろうか。切なく身悶えする時代になってしまったもんだ。次回の帰国まで、女性従業員全員無事でいてくれることを願いながら、雨の降りそうな朝のウォーキングを続行。何せ、母の作る田舎料理を心ゆくまで食べるには、それに見合う運動量が要る。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月08日
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ガラガラのカンタスのQF21便、エコノミー真ん中の4席を使って少し寝ることができたが、結構揺れたので熟睡できず。気持ちも揺れていたし。オランダ系の連れ合いにトラ刈りにされた髪の毛、秋津駅の1000円床屋で短髪に。気持ちがいいが、顔のデカさが目立つ。昼前に着いて、早速母の手料理。朝から作って待っていたという母。総入れ歯を入れ変えて食が進んだようでやや太っていて安心。約1時間昼寝したら、地震の夢を見た。潜在意識も日本入りだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月07日
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メルボルンのラウンジで赤ワインを飲みながら書いている。しかし、いつもと違う。赤ワイン一杯で何だかフラフラするのだ。今回は酒は飲まずに行こうか。どうしたのだろう、気持ちの高ぶりだろうか、老化現象だろうか。いずれにしても、これからシドニーに行き、そこから国際線に乗り換えて成田に向かう長い旅。様子を見ながら、飲めるような一気に飲んで爆睡していきたい。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月06日
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久しぶりにカレーを作ってみた。なかなか味にうるさいオランダ系の連れ合いの両親、特に母親がいたく好んでくれた。滅多にないことだ。ところで、最近日本から買ってきた「ウコン」錠剤が無くなってきており、今回の帰国でも購入のよていだ。因みに、赤ワイン1本空けて車で帰るときは、このウコンとブレスケアーをガンガン飲んで、気持ち悪くなってしまったことがある。日本の母の味カレー。何とこのカレー粉は半分くらいがウコンだったという。じゃ、飲んだらカレーを食べるといいのだろうか。もう日本から買って来なくていいのだろうか。いずれにしても、過ぎたるはなお及ばざるが如し、飲み過ぎ、食べ過ぎには気を付けないと。ウコンもあまり飲み過ぎるとよくないらしい。トイレに駆けつけ間違っても「うこん」とか言わないようにしないとならない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月06日
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もうすぐ日本ということで、スタッフと中華料理。昔は、これでカラオケとかだったが、今は割と地味にまとっている。ところで、私のブログ、食べ物の写真が多すぎるとのクレームがついているがどうだろうか。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月05日
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「はい、そこまで!」自転車に乗った警備員さんの方に言われた。新宿御苑には門限があったのだ。やっと成れた大学生、1年の春、付き合い始めた一つ年上の早苗との夢のような日々。出会ってから手を握るのさえ覚束ない、恋愛無免許の私だったが昭和47年5月の3日、新宿御苑で唇を、、、、。その時だった、安い三文映画を見せられているように、車輪をガラガラいわせて警備員さんが現れた。カフェのフルコースでお腹がきつくなるほど食べてしまった。心の中では「はい、そこまで!」と思っていたのだが、どうしてもデザートに手が出てしまった。何とも言えない妖しい味だった。「そこまで」、で止めておくべきものと、ズルズルにのめり込んでしまい収拾がつなかくなってしまうものとの区別が、この年になってもなかなかつかないでいる。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月05日
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6日に日本に発つ。今回は短い3週間。母と温泉、イトーヨーカドー、ユニクロ、甚五郎の蕎麦。夢を持ってやっていくことにする。http://www.youtube.com/watch?v=kRJdNDs0AFw毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月03日
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友人のロシア人とNZ人のカップルと、ブリッジロードのカフェに。勿論、Internet Deal だから半額以下。どうやってレストランはやっていけるのか、などと考える余裕もない一夜。こちらは、オランダ系と日本人。この4人の組み合わせ、面白い。でも、こちらでは普通。198か国からの移民がいる国だ。大きな声では言えないが、食べ過ぎて眠りが浅くなってしまった。もう、胃腸も中高年。限度をもってやっていかないと。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2011年11月01日
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