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ここのところ新たなプロジェクトが入って、やたらと時間を捕られます。 申し訳ありませんが、淡海の話は明日以降ということで、乞う、ご期待!
2006.11.30
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琵琶湖という呼称は、測量技術が発達した江戸以降、その形が楽器の琵琶に似ていることから呼ばれるようになった名称で、古くは淡海の海(あふみのうみ)と呼ばれ、近江(おうみ)の語源となっています。面積は滋賀県全体の1/6を占め、県のほぼ中央に位置するところから、周辺地域を湖南、湖東、湖西、湖北の4つに区分して風物が語られます。 滋賀の気候は琵琶湖の存在によって、少なからず左右されているのですが、一般的には湖北、湖西地区が裏日本、北陸型気候を示すのに対し、湖南湖東地区は表日本、太平洋型気候の感じが強い。おもしろいのは、湖東地区では湖に流れ込む川を一本一本わたるごとに、気候が少しずつ変化することです。典型的には、冬の雪の量ですが、川一つごとに10cm~20cmぐらい積雪量が変わる。湖北地域が1m~2mの積雪を記録しているとき、湖南地域では積雪なしということは、毎年起こるのです。したがって湖南の県庁所在地である大津から北へ湖を臨むと、こちらは冬の太陽が照り輝いているのに、湖の北半分が比良山系から近江八幡の長命寺山にかけて、どす黒い雪雲に一面に覆われているという光景を見ることになります。 さらにこれに湖によると思われる滋賀特有の気候というか、風景なのですが、例えば京都盆地や奈良盆地に比べて、空の青さがずいぶん違う。春や秋に京都奈良方面から、車で滋賀に入ると、まずその空の青さが強く印象に残ります。これは私の想像ですが、湖が盆地特有の温度変化の激しさを、相当低減しているせいなのではないかと疑っています。京都奈良などいつも空は霞がかかったように白っぽいのですが、滋賀の空は、あくまで蒼穹ですよ(別に京都奈良をクサしているわけではありません、奈良盆地特有の朝霧は古代文化を空想させるにもってこいの気候ですよね)。 さて、南北100km東西50km足らず、広さ4000平方kmほどの狭い地域に、裏日本気候と表日本気候を同居させている滋賀県は、同時に地勢的には北陸と京都、岐阜、三重と京都、大阪を扼する位置にあり、古来戦略的に重要な位置を占めてきただけでなく、東西南北の人や物資の交通流通の通過点として、さかんに利用されてきました。 人や物の往来が賑やかということは、他所の情報もさかんに入ってくるということで、滋賀に近江商人や伊賀甲賀の忍者のような、主として情報をネタに生計を営む集団が出てきたのには、明らかに滋賀の地勢的要素があるのです。 私はかつて大津の営業所で仕事をしていたとき、滋賀県全域を車で、しょっちゅう駆けずり回っていたのですが(京都も奈良も大阪も同じように、ほぼ全域、てんびん棒ならぬ、軽四輪に商材を積んで)、その気候が川一つ隔てて変わるように、住民のカルチャーがずいぶんと変化する。湖南の大津、草津がベッドタウウンとして、京都、大阪からの流入人口が多いぶん、いろいろな意味で都会化しているのに対し、湖西なら堅田、湖東なら近江八幡あたりから以北は、あきらかに地の匂いが漂っています。また湖南地域も水口あたりでカルチャーが変わるように思う。 そこで滋賀の人も含めた原風景を探るには、まだ京阪神からの流入が多くない湖東、湖西以北(南湖と北湖を分けている琵琶湖大橋より以北)を見るに限るのです。 ― つづく ―
2006.11.29
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昨日は、久しぶりの出張でUPできませんでした、すいません。 今年の秋は、すでに冬にさしかかっているのに、異様な暖かさで、何かこのしっぺ返しが、別の形で出て来るのじゃないかと、私などしぜんに身をすくめてしまいます。 ―― ところで、私は列車の車窓が大好きで、子供のころは窓を独占してゆずらないと、親によく叱られたものでした。つぎつぎと現われる自然は、単調に見えても私を飽きさせず、ちょっとした谷や橋を見ると、たちまちそこに連なっている人や自然の生活系を想像して、風景の向こう側に広がる世界を空想したものです(今や、京都から大阪、神戸あるいは神奈川から東京、千葉または埼玉にいたる都市風景には、車窓を楽しむという景観は何一つなくなってしまいました)。 昔、川端康成でしたか、東京から大阪へ帰ってくるとき、「関が原をこえて近江路に入ると、山の形まで丸く優しく見える」みたいなことを書いていましたが、確かに新幹線で伊吹山の裾野を越えて、琵琶湖が望見できる彦根あたりに入ると、山並みがゆったりしたスロープを描いていることに気づきます。滋賀と岐阜、三重を隔てるのは鈴鹿山系ですが、岐阜県側からみると牙々として、そそりたってみえる山容が、滋賀県側ではお盆の縁のように緩やかになっている。琵琶湖の水面は海抜で80メートルほどの高さがあって、鈴鹿山系をはじめ周囲を取り囲む山々が支え合って、琵琶湖を盛り上げているように見えます。 もともと琵琶湖は三重県側に開いた湖(内海?)だったのですが、鈴鹿山系の隆起とともに出口をさえぎられ、しだいに北へ向かって湖水が移動し、北西側の比良山系につきあたって現在の琵琶湖があるといわれます。したがって湖の南東にかけて広がる水口丘陵(甲賀、伊賀地域)は古琵琶湖の湖底にあたり、湖に流れ込む最大の河川である野洲川は、もともと伊勢湾側に逆方向に流れていたのでした。盆の底が南東側(鈴鹿山脈)が持ち上がって、北西側にちょっと傾いだ形になっているのです。したがって、琵琶湖は北西側が深く、南東側が浅い湖底を成していて、新幹線や東海道線や名神高速は、その南東側を走っているのでした。そこから見る山や湖面が全体的に低く丸く見えるのは、傾いだ盆の底を横切っているからです。これは対岸に屏風のように連なる比良山系の、急峻な景観と著しい対象を成しています。琵琶湖の風景はこちら 隆起によってふさがれた琵琶湖の出口は、結局、京都南方の宇治方面に流れ出て大阪湾(瀬田川-宇治川-淀川)に注いでいるのですが、瀬田洗堰(あらいぜき)から宇治にかけての川筋(瀬田川)は錯綜して急流をなし、水上交通路としての用は成しませんでした。水運は陸上交通が発達する明治までは、物資の大量輸送手段として重要だったのですが、江戸時代まで大阪の荷物は宇治川のほとりである伏見に荷を下ろし、瀬田川をさかのぼることはありませんでした。琵琶湖上は北へ南へあるいは西東へと、自由に航路を取れますが、四周は山に取り囲まれて容易に外界に出ることが出来なかったのです。 現在でも滋賀県は瀬田川が京都側に流れ出ていることで、近畿の水がめとして近畿地方に属していますが、地勢的には京都大阪から見れば、近畿の北辺に位置し、何となく独立的な異文化の匂いがある。空想して、これが仮りに三重県側に流れていたらどう見えたかとか、福井県側(若狭)に流れていたらどう見えたかとか、いろいろ考えてしまうのですが、いずれにしても四周を山に囲まれて周囲の文化を享受はするが、そこから発信することはない、一種ブラックホールのような文化圏を築いたであろうとは思うのです。 というわけで、琵琶湖を含む近江盆地は、古代以来、日本の東と西、あるいは北と南をつなぐ(あるいは遮断する)地勢を成していて、それは小さい県のわりに、近江の文化の多重性にも結びついていますね。 ― つづく ―
2006.11.28
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私の好きな、多面的な歴史の見かた、あるいは多様性のある思考方法を話してみようと思って、このカテゴリを書いているのですが、世の中が何だか騒がしくて、ちっとも進みません。 人がすぐれて大脳=想像力で、行動している生き物であることを何度か話し、また他者(外部)への想像力の欠如が、最近の社会的事件の根本原因であるような話をしているのですが、いろいろ書いているうちに、どうもそうではなく、みんな一応の想像力は持っているにも拘らず、行動を起こさないだけなのじゃないかと思えてきたのです。 それが端的に現われるのが、電車での優先席の周囲での我々のふるまいです。お年寄りが乗ってきたときの、電車内の気まずい雰囲気、誰が席を立つのか、見て見ぬふりをしながら周囲を探ります。誰かが席を立つ、お年寄りが大仰に感謝を表わすのを振り切るようにして、プイとまるでゴミでも扱うような形相であっちへ行ってしまう。取り残されたお年寄りが席に座ると、その周囲がまたまた居心地の悪い雰囲気に満たされる、というのは日常見られる今どきの風景ですよね。 私自身も席を譲って、気まずい気分を晴らすために、たいていしかめっ面をして立っているのですが、この不愉快さはいったいどこから来るのだろう、と思ったものでした。別に他の人が譲らないのに腹を立てているわけではありません、本当にしんどければ座っていればいいので、それは誰も文句は言わないでしょう。 どうも日本人はこの種の譲る、受けるの行為に上下関係を射程するようです。ひと言で云えば、「譲ってやる」「座らせていただく」という感覚でしょうか。逆に座らせるのが当然とばかりに轟然と前に立たれると、これもまた困るのですよね。大阪のおばちゃんだと、目の前で聞こえよがしに「最近はみんな気配りせえへんな、こんなんで、もうかるかいなァ」(ほっとけ!)と、窓に向かって吠えます(モモコみたいに)。これも「譲る」「受ける」の感覚の逆転現象で、このおばちゃんに降参して席を譲ると、たいてい会釈もそこそこに「勝った、勝った、得した!」とばかりに、すました顔をして座ってしまう。それはないやろう、と眼をむきますが、あとの祭りというわけです。 韓国のように儒教の倫理規定が、今だに牢固として生きている社会では、お年寄りを敬う、あるいは席を譲るというのは、云わばオートマティックな行為で、また西欧社会のボランティア精神、あるいはイスラーム社会の喜捨の精神は、神の命ずるところから発するので、こうした気まずい雰囲気というのは起こりようがないのです(逆に異世界の人たちに対しては、イヌ畜生以下の取り扱いをしても、少なくとも心理的には何とも思っていません)。 それはさておき、日本における敬語、尊敬語、丁寧語、謙譲語とに分けられますが、使いかたを誤ると「その言いかたはないやろう」とばかりに、内容のことなど、どこかへ吹っ飛んでしまって、とにかく双方の立ち位置の確認が最優先になってしまいます。受注側と発注側、大手と下請け、監督官庁と企業群などなど、立ち位置がハッキリしたとたんに、片やは傍若無人、片やは媚びへつらって(男芸者なんて言葉があります)、物事が動き出す。 日本人はどうしても、ワンちゃん同士が吠えあって、互いの上下関係をハッキリさせるように、お互いの立ち位置を上下関係でハッキリさせないと、居心地が悪くてしょうがないようです(「各々其ノ所ヲ得、…」という表現が、昔ありましたな)。 電車の中というのは、ひょっとするとお互いの立ち位置が一番ハッキリしないところで、行動するときは取り合えず、仮でも上下関係を立てないと、行動できない。そこで片やはゴミを扱うような表情で、あっちへ行ってしまい、片やは過剰な感謝を述べたてて座って、気まずい空気だけが周囲を取り囲むという仕儀に相成ります。 これを見ていると、私は自分も含めて、日本人は想像力が不足しているなんてものじゃなくて、むしろ周囲に対して過剰なほどの想像力があって、かえって行動を阻害しているのではないかと思えてきました。 いじめっ子も、いじめられっ子も、それを取り囲む周囲の子も、はたまたそれを見つめる先生や、親御さんたち、あるいは教育委員会や文科省も、おびただしい想像力に幻惑されて、立ち尽くしているように見えます。小中高生は自分の立ち位置を、周囲への想像力の訓練で、次第に固めていくのだと思うのですが、それを指し示しめすべき大人は、じつは電車の中で毎日フリーズしているのでした。 ― つづく ―
2006.11.24
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美しい日本の私 「美しい日本の私」とは、川端康成がノーベル賞受賞の記念講演の表題でした。 川端の「美しい」とは、2000年の日本の歴史と風土を踏まえた、想像力豊かな「美」でありました。私は川端の詩とも散文ともつかない小説が苦手で、ほとんど読んでいません。ただこのたびの「美しい国、日本」というキャッチコピーが、これを意識して謳われているのは明らかで、ここに用いられた「美」について考えてみたいのです。 前にも触れましたが、もし書き割りのような富士山とか里山の風景を、静止した画像で美しいとするなら、日本的な意味での「美」は、ほとんど取りこぼしてしまうことになります。静止した風景なら、日本よりすごい景観や風景は、世界にごまんとあるでしょう。 そこで和辻哲郎の「風土論」のように、モンスーン型気候に彩られた、明白な四季の移り変わりに「美」を見出す、日本人の美的感性に話が及びます。美意識に時間の概念を入れることで、なぜ日本人は桃の花ではなく桜を愛でるのか、明らかにしたのでした(ちなみに桃や李は、大陸では古くから厄除けの植物として、桜よりはるかに大いに愛でられてましたね。日本にもその影響はあって、「古事記」では桃の実は、魔物退治の道具になってますし、桃太郎伝説は言うもがなです)。 しかし、すぐに散ってしまう桜の花より、はるかに長く咲きつづける桃の花に美的価値を見出す、大陸の感性は、美を静止したもの(永遠)で捉えるもので、これは日本をのぞくユーラシア大陸中部全体(ということは人類の大半)の感性でもあります。その根本には、自然は人間にとってコントロールしうるという前提があって、彼らの関心が常に人間であったことは、中国3000年の歴史や、ヨーロッパの民族興亡史に、自然がほとんど登場しないことで明らかです。ユーラシア大陸では、自然は本来的に存在すべきもの(Land)で、人に従属しているものでした。 大陸の自然のイメージとは、森に象徴されます。古代大陸において、森は燃料資源(鉄の生産)として貴重であるとともに、開発されない森には狼がおり、はるかケルト的風景には狼が、自然の化身として登場しますね。しかしこれは日本のように、神々にもどうしょうもない自然ではなく、切り倒すことができるレベルの自然でした。結果として、古代大陸の人間は、その東と西の両端で大量の森を切り倒すことで、その文明を築いたのです。 その伐採の痕は、中国では砂漠化、ヨーロッパではギリシャ・ローマにおける禿山の連なりによって、見てとれます。(中部ヨーロッパ、フランス、ドイツ、イギリスなどの森は、いったん伐採しつくしたあとに、植林しなおした人間の森なのです) したがって、大陸での人間の営みの主たる関心は、人と人とのこすれあいにあるので、現実問題として中国では、大陸中原で農耕を営む漢民族は、北方から年中行事のように、収穫にやってくる騎馬民族との攻防が、歴代政権の大きな課題でした(そこで貝塚茂樹さんは、共産中国と当時のソ連は相容れないと喝破したのですが、それはおそらく今の中国とロシアとの関係をみるうえで、依然としてまだ生きているでしょう)。 ヨーロッパ史とは、同じLand(土地)をめぐっての、各民族間の興亡史とみることもでき、民族ごとにそのIdentity(存在証明)を必要としました。王様貴族がゆるやかに統治していた18世紀から、国民国家の概念が現われた19世紀始めのナポレオンの時代は、政体(State)の概念が人々に浸透していく時期にあたるので、彼らにとってStateとは選ばれるべきもの、獲得せらるべきものなのです。 このあたり、Landに対する概念を、無思慮にStateの概念に同一化し、郷土への愛着を容易に政体への忠誠に結び付けうる、今の愛国教育法は危険という以前に、思慮が足らなすぎるので、これを回避するには、やはり多様な想像力が必要でしょう。そして多様な想像力には、多様な知識が必要だと思うのです。 「美」の話から、何だか離れてしまってると思われるかもしれませんが、日本的美の感性は日本人の思考や行動様式を、大きく操っているので、これは大陸の人たちが主として倫理的動義づけで、思考したり行動するのとは大いに異なるのです。「美」的動義づけで考え動くのが、日本人なのでした。 そこには「美」の底に死の恐怖を見てしまう、日本人の感性があるように思えます。 ― つづく ―
2006.11.22
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想像力と想起 いろいろ行きつ戻りつしながら、歴史や絵画や音楽、文学のことを、今の自分と時代に、どうやってリンクさせていくか?考えています、なんておおげさな言いかたはしないにしても、それにしてもヒトの場合、そのふるまいや行動を決定する動因が、ほとんど大脳の想像力から来ているらしいのには、驚くばかりですね。 食欲とか性欲とか睡眠などは、生き物に共通した行動原理で、動物では小脳その他の原始脳から、ストレートに行動として出てくるのに対し、ヒトは人間特有の大脳の透過を経ることで、この時間世界から飛び出そうとしているようです。 想像力とは、例えば絵画や音楽のような、美的想像力もあれば、歴史や文学のような知的想像力、あるいは宗教や哲学のような倫理的想像力といった、さまざまなアプローチがあります。 子供のころ、めんどくさいお遊戯の練習や、お絵画きなど、何でこんなことに付き合わねばならないのか、子供心に何とも憂鬱で、かんしゃくを抑えかねていたことが、何度かありました。先生はもちろん何でそういうことをするのか、などという説明はしませんから、子供のストレスは解消されません。以前もふれましたが、私は自分が、小学校のとき登校拒否に陥った原因の一つはこれではないかと疑っています。 結局、一言で云えば、幼児期から小学校にいたる、一見めんどくさい、さまざまな行事は、外部に対する想像力の訓練だったのでしょう。中学高校にいたっても他者との付き合いは、結局他者への想像力の多寡によって決まるので、大人になるとは、この想像力の獲得ということなのかもしれません。 私たちは日常、自分の行動の決定要因の大半が、外部への想像力によってなされていることを、あまり意識しません。人の言ったことの中味を、字面でなく、相手の言った表情、声のトーンなど、こちらの五感の想像力で補って、判断しています。はたまた、こちらがしゃべるときも、ある程度これなら察してくれるだろう、分ってくれるだろう、というものの言い方を、時にしてしまいます。(これのわからん奴を、鈍感だとか、にぶいとか罵倒するのですが、我が事務所にも一人二人…) それはさておき、最近ちょっと話題になっているアスペルガー症候群といわれる、軽度の自閉症患者の人たちの行動パターンが、こういう言葉のアヤとか、行間というものに、まったく想像力がはたらかなくて、逆にある一つのパターンに対して、ものすごく執着する、あるいはいったん決まった事柄の変更を極度に嫌がる、というのも、何かわれわれヒトをヒトたらしめている大脳の深遠のようなものを見せられているようで、考えさせられますね(ベートーベンやアインシュタインが、アスペルガー症候群特有の行動パターンを持っていたとは、つとに言われている事柄ですね。ヒトの進化とは、やはり何らかの突然変異体によって、進行するのかも知れません)。 今どき、教育基本法が改訂されて、愛国教育が喧伝されていますが、それと現実にいま小中学の学内、はたまた高校大学にいたるまで、発生している自殺だのイジメだの、そしてそれを取り巻く社会との間の距離は、あまりにも大きく、政治家や役人がいかに現実を見ていないか、想像力が欠如しているか、ということの証明のようになってしまいました。 国の概念であるLand(国土)とState(政体)の区別もつかない、想像力の働かない大人が、いくら愛国心で若者を矯正しようとしても、もちろん若者はついていかない(想像できない)。貧寒な想像力で形作られた政体(State)の概念が、八紘一宇であったり大東亜共栄圏のようなものであれば、たちまち崩れるものであることは、もうすでに経験済みのはずですが。 ― つづく ―
2006.11.21
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今日はちょっと緊急会議で、「独り言」は、お休みにします。悪しからず。 今後の予定は、絵画のほうで「Horizon-地平線-シュールな世界」音楽では「オペラについて」歴史のほうは「世界史の捉えかた」科学は「マンデルブローのフラクタル空間」…など予定してます。乞うご期待!
2006.11.20
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私どもの子供のころ、男の子が必ずやったのが、お医者さんごっこと、女湯のノゾキ見でありました。今やこれらも、ほとんど死語に近いですね。 お医者さんごっこは、だいたい幼稚園までに、近所の女の子や、うちの姉とやる(だいたい女の子のほうが、ごっこ遊びは積極的でした)。ノゾキ見は中学生以降に、近所に銭湯がない場合は、たいてい修学旅行などで、先生や旅館のおっさんの目をかいくぐって、チョイ見を敢行する(これは完全に男=オスだけ)。 不思議なもので、小学生の3、4年まで銭湯では、母親と姉たちといっしょに女湯にはいっていたはずですが、性を意識しないころの身体への好奇心は、なぜか鮮明さに欠けている。確かに見たはずの映像が、男湯に移ってからハッキリと浮んでこないのですね。むしろ魚や虫の映像や感触が記憶に強く残っていて、そのころの外界への関心が、どのあたりにあったのかを示しているようです。 男の子の性的関心は、夢精の始まりよりは、陰部の発毛を発見したときで、友達の中には、修学旅行の前など、みんなの発毛の有無を聞きまわったりしている奴もいました。当然のことながら、ながらく拝見していない女の子のオッパイや陰部が今どうなっているのか、否が応でも関心が高まるわけで、これは男=オスの習性というよりは、ほとんど執念に近い。 裸で境界の岩をよじ登って(たいてい上が開いていて、声は聞こえる)、「見えた」とか「見えなかった」、「大きかった?」「脹れてた?」…と言い合うのですが、これまた遠距離からのノゾキですから、はなはだ鮮明さに欠ける。というわけで、双眼鏡を持ち込む奴もいて、何とか確認しょうと身を乗り出すと、たいてい敵(女の子)と眼が合う。そのあとは、だいたいネズミを取り逃がした「猫」と同じてんまつをたどるのですが…。 いずれにしても、このころの云わば(チョットだけ)垣間見えた女の子の裸の映像というのは、大人になって本当の女性を知るまで(Sexをしたとか、してないといった意味ではありません)、やはり薄ぼやけた記憶のまま残っていて、それを求めて男=オスは長い航海をしているようなものです。 今はどうか分りませんが、どうもこの禁止に対する男の渇望というのは、神話時代からの男=オスの習性であるようで、前にも触れた黄泉の国の伊邪那美神(イザナミノミコト)の「我をな見たまいそ(見ちゃダメ!)」の禁止を破って、夫の伊邪那岐神(イザナキノミコト)は死んだ妻を見てしまう。あるいは海幸彦山幸彦(ウミサチヒコ、ヤマサチヒコ)の有名な龍宮伝説で、火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)が、海神の娘、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)と龍宮で結婚し、その子の出産に際し、例によって「我をな見たまいそ」という豊玉姫命の禁止を破って、産屋の中を覗いたところが、姿を変えた八尋和邇(ヤヒロワニ=サメ、イルカ?)が這い回っているのを見て逃げ出す。 この禁止(タブー)を破って離別するというストーリーは、世界各地に見られる神話伝説の典型の一つで、聖書やギリシャ神話をはじめ、フランスなどのメルシナ型(Melusine)民話にも見られるものです。例によってWikipediaによれば、― 異類の者と結婚をした男が、見るなのタブーを犯して異類の者の本当の姿を見てしまい、それが元で離別するという話は…多くは、二人の間の子孫が王などの始祖となったという建国神話となっている。―というのですが、私にはむしろ、これは男=オスの大人への変身を表わす、通過儀礼にみえるのです。知ってしまうまでの渇望と、知った後(喪失感でもあります)の異世界へ入っていく男=オスの感覚、これはすなわち時間の経過の感覚に他なりません。 さてブグローの画いたヴィーナスの裸身というのは、ボッティチェッリの云わば平面に流れていく時間(画面に画かれている時間)の一瞬ではなく、見ているこちら側の男=オスが以前見たことがある裸身なのでした。それは女性を知らない時代の、男の子の記憶に刻まれた映像に近いので、ここでは時間は平面ではなく、垂直に緩やかに流れている(画面でなく、見ている側のこちらに立ち昇る時間)のです。 したがって、脇から胴部、ひざにかけての女性の映像はぼやけているのでした。それに比べて足指の鮮明なこと、私は女性が手指、足指にネイリングする意味が、何となく分りました。女性の手指、足指は、男=オスの映像の中で、ぼやけている女性美の入り口みたいなもの、なんてね。 考えてみれば、私たちは日頃ほとんどものを見つめる、凝視するということはしません。まして相手がヒトであれば、たいてい目線が交錯した瞬間に、その少し上下に移動させてしまいます。裸体(Nude)というのは凝視を跳ね返す力を持っているので、それがどのあたりから来るのか、考えたくてあちらこちらしてきたのでした。 ブグローが、そのあたりどれぐらい意識していたかは、知る由もありませんが、対象を見つめる自分の眼を意識しているのは明らかで、それはヴィーナスとエロスと覚しき「作品」では(原題はどうもYoung Girl…となっているのですが、どう見てもこれはヴィーナスとエロス)、母としてのヴィーナスは力強く鮮明ですね。この肢体は、その衣装も含めて、明らかに「ミロのヴィーナス」をなぞったものです。 私はもちろん美術の素人案内をやっているのではないのですが、もしブグローをゆっくり堪能されるのであれば、Wikimedia Commonsの「ブグロー」を見てごらんなさい。 今日、世にごまんとあふれかえっている、Nude画像のポーズや衣装、手指の所作まで、ほとんど19世紀までのヨーロッパで確立された世界標準なのでした。しかしこの世界標準は画家の手を離れることによって、対象から垂直に立ち昇る時間を奪い、何もかもが平板に剥ぎ取られた裸体(Naked)になってしまいました。ファインダー越しの写真というのは、対象を見つめる、凝視するという作業を、芸術家から取り上げると同時に、写される人間(女性)も、ノゾク人間(男=オス)も平板化した方法でしか、相手とつきあえなくしてしまいましたね。 ― Nude論 おわり ― 「女性なるもの」について、いろいろ書いているうちに、いつのまにやらNudeの話になってしまいました。たまたまWikipediaで見つけたブグローの「ヴィーナス」にかこつけて、自分勝手の相当大汗ものの話をしてきたのですが、結構おもしろかったですね。 しかし依然として「女性なるもの」の中味には、たぶんそのトバ口にも立ってないと思うので、こちらのほうはまだまだ続くのです。
2006.11.17
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世の男=オスどもは、私やうちの若年寄をはじめとして、まことに御し難いとは、我が美女?事務が、つとに強調するところですが、こうしたセクハラ寸前の話をしたり、画を見たりしていると、たちまち軽蔑の眼を残して、プイと、お使いに行ってしまいます。 しかし彼女たちが毎日まとってくる衣装や化粧は、もちろん自分を美しく見せるためでしょう?その美しさの基準とは、いったいどこから仕入れているのかというと、云わずと知れた雑誌やテレビ、そしてNETに数多現われる美女?の大群でしょう。ではこれら美女といわれる人たちの、美の基準とはいったい何なのでしょう?ことのほかSEXYさが強調される昨今のファッションは、とてもじゃないが女性解放論者が、つとに強調するところの自立した女性像とは程遠いものに見えるのですが。 この世に自分と奥さん(恋人)の二人しか存在しなければ、お互いに相手は世界でいちばん美しい(マントヒヒであっても!)と思ってもかまわないわけで、アダムとイブは美を意識する必要はなかったのでした。今や画像の氾濫で、世の男女は常に美への渇望に追い立てられるという仕儀に相成ります。人はどうやら集団であることで、お互いにこすれあっていることで(満員電車のようなフィジカルな意味でなく)、人たり得、また経済行動や性行動や政治行動が発生するもののようです。 さて、ボッティチェッリのあと、ルネッサンス期のNude絵画として、ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」をはずすわけにはいきませんが、ご覧のとおり、この横たわるヴィーナスには、女神の威厳などどこにもなく、明らかに娼婦の目線と肢体をしています。このポーズはその後の世俗化した(神話、聖書をはずした)Nude絵画の原型をなすもので、例えば、アングル「横たわるオダリスク」、クールベ「オランピア」あるいは、ゴヤの「裸のマハ」に連なるものです。 これらは、見られるものとしての裸体の表現として、明らかに娼婦(見世物)のポーズに近寄っています。その女性美をどう見るかは、好みになりますが、古代女性美の豊饒性とか、母性といったイメージは剥ぎ取られて、男=オスに指し示された存在としてしか画かれていません。これはそのまま現代のNudo写真に連なるものでした(写真技術が現われて、今やNude絵画は存在理由がないのです)。 ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」について、衣服をまとう(性を知る)寸前の女性美、という言い方をしましたが、これは画面に時間の流れを導入したもので、それまでの中世の静止した画面(あるいは時間を無視した画面、現在、過去、未来が同時に並存するような画き方)から、一瞬の瞬間を捉えたルネッサンス期のスナップショットとも言うべき技法でした(そういえば、さきの横たわるNude群は、あまり時間の推移が感じられませんね)。 ブグローのヴィーナスは、同じように貝の上で「なりなりて成れる」瞬間を扱っていますが、時間はボッティチェッリより、少し緩やかに流れているように見えます。 それは構図ではなく、その描法によるので、写実でありながら、前にも云いましたが、より選択的な画き方をしている。早い話、ツメの先まで鮮明に画かれた手や足指に対して、わざとボカされた脇の下から胴部、膝下まで、ボッティチェッリの一様に鮮明な線の描画とは著しい対照を成しています。これはブグローの目線(心理)を表わしていると思うのです。 ― つづく ―
2006.11.16
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ブログというのは、おもしろいですね。自分が思いついたことがらを、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしながら、いつどこへ向かおうとしているのかも定かならず、さながらGoogle Earthのように任意の空間を浮遊しているみたいな気がしてきました。 かと云って、このあっち行き、こっち行きの部分をはずして、ある目的意図を持ったカッチリした文章を書けば、たちまち自分の気分から遠く離れてしまい、気の重いことになるでしょう(実はそういう書き方をしたことが、何度かあってしんどかったですよ)。とはいえ、これに付き合ってくれている読者の方が(もし仮にいるとすれば)、あまり野放図な脱線は迷惑この上ないので、そのあたりのかね合いだけは忘れずに、続けていくとしますか。 さて、お待ちかね!?のNude論であります。 写真がなかったころは、偉い人や美しい人を、末永く刻印するのは、絵画と彫刻だけでした。そこで要求されるのは、今でいう写真のように生き写しの画像で、いかに現実の映像に近く画けるかが、画家、彫刻家の力量でありました(現在でも基本的には一緒ですね、デッサンでしたか)。 ブグローの「ヴィーナスの誕生」は、典型的な古典的写実の手法を守りながらも、さすがに19世紀の耽美的な風潮も無視できず、さらにはまた2000年以上のヴィーナス像の歴史も充分意識したものでした。同時代、すでに印象派の光と色彩があふれて、新古典主義といわれたアカデミックな画風は、当時でも古風なものだったでしょう。 ヴィーナス(ウェヌスVenus)は、ご存知のとおりローマ神話の美と愛の女神とされ、ギリシャ神話のアプロディーテと同一視されています。前にも触れましたが、アプロディ-テは古くは東方の豊饒多産の女神(アスタルテ、イシュタル)の系統を引く、大地母神としての性格をもっていたのですが、ギリシャでは繁殖と豊饒を司る性格から愛(エロス)と美の女神に進化し、数多くの逸話で語られていますね。 一般に神話は性的イメージで繁殖豊饒を語ることが多く、古代においては女性の持つお産の力と、大地が生み出す収穫は、人間を超えた自然のもたらす力の、もっとも具体的な現れでした。日本神話でも「古事記」での「国生み、神生み」の創世神話は、現代人にはとても使えない直截な性的イメージで語られていて、それが今もって神話が人を引きつけて止まない大きな理由でしょう。 アプロディーテはギリシャ神話では、巨神族クロノス(農耕神)によって切り落とされた、その父ウラノス(天空神)の男性器にまとわりついた泡から生まれたと言われ、絵画では古くから、生まれたばかりのヴィーナスが貝にのって、風に吹かれてキプロス島に流れ着く場面がよく画かれます。S・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」はその代表ですね。 この場面は、正しく伊邪那美命(イザナミノミコト)の「わが身はなりなりて成れる身」を表わしていて、母体から生れ落ちたのではなく、生娘としての大人の姿で泡から「なりなりて」現われたので、その表情は、いきなり地上界に現われた驚きこそあれ、恥じらいはまだないのです。ボッティチェッリはそのあたりの機微をよく心得ていました。それまでもその後も「ヴィーナス誕生」は、いたく画家の絵心を刺激したものとみえて、似たような場面が数多く画かれています。 それらは多かれ少なかれ地母神としての威厳を引きずって、女性美に欠けたり、逆に娼婦的なエロティシズムに彩られて女神としての魅力を失ったりしました。(「ミロのヴィーナス」は紛れもなく、母性の威厳と美であって、その後現われたローマ時代のエロティックなヴィーナス像とは大いに異なります。私たちは失われた両腕によって、その母性の力をオッパイからオヘソにかけて充分堪能することが出来ます。) ボッティチェッリは、衣服をまとう(性を知る)寸前の女性美を、神話に仮託して捉えたので、これは15世紀の新興支配勢力(メディチ家)の好みにあった、多分に異教徒的雰囲気の作品でもありました(事実、他の多くの彼の作品は焼かれたようです ― Wikipedia)。これは同時に画く側の、ボッティチェッリの女性美に対する考え方もよく現しています。この構図とヴィーナスの表情はボッティチェッリの心理の反映なのです。 では19世紀のブグローはどうだったのでしょう? ― つづく ―
2006.11.15
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小中学校でよく画かされた写生とか、静物画、あるいは友達の肖像画、私はそれ以来、長く画くことはしていませんが、絵や彫刻他を見るのは好きなほうです。 秋になるとオルセーだの正倉院だの、いろいろな展覧会が開かれていますが、実際に見に行って自分が前もってイメージした美術の世界に入り込むことは至難の業で、せいぜい実物を見たかな、という程度の記憶しか残りません。雑踏の中で美術の世界に浸り込むことは不可能なようです。それでも実際に本物を見に行くというのは大事で、あとになって美術本やWikipediaなどで来歴を調べたりしていると、不思議とざわついた中で見ていた絵画や彫刻品の中で、ありありと蘇ってくるものがあるものです。 これも学生時代、高槻の西武百貨店で開かれていた「カンディンスキー展」は、その後何度もカンディンスキーを見る機会があったにも拘らず、今でも私の記憶の中では、鮮明な映像として残っています。もう題名も忘れてしまいましたが、彼の得意の抽象絵画の中に一つ、書道のように墨で画きなぞったような絵があり、たちまち自分のお気に入りになってしまいました。抽象画について、いろいろ聞きかじり、その面白味もある程度分ったつもりでしたが、美しい書が私たちを捉えるポイントと、抽象画との関連は新鮮だったのでした(これはまた改めます)。 ところで ――、 先日、ふれたブグローの「ヴィーナスの誕生」ご覧になりました?時代錯誤的に写実的な肢体の描き方、ここまで女性の裸体というものにこだわった理由というのが、何なのか? よく見るとブグローの画く裸体、注意深く描出が選択されていることがわかります。 写実画というのは便利ですね、写真と違い自分の画きたい部分を、取捨選択できる。実際の映像から抽出して、自分の内部にあるイメージを思い切り膨らませることができる、というのが写実画でした。昔、小中学校で画かされた風景画とか静物画でも、ジャマな電信柱とか、リンゴの虫食いの痕は構図から外して、自分が抱いているイメージに合わせている。おもしろいのは実物をパチリと写したはずの写真より、スケッチでも手書きで残した画のほうが、後で見てみると自分の記憶に残している映像に近いことで、そのとき自分がどんな気分で画いていたのか?そのときの周囲の雰囲気、匂いまでもが蘇ってくるのです。 私だけかもわかりませんが、写真はなぜか、そのような想起作用がありません。絵の場合、手書きで漢字を覚えるのと同じように、描出の作業を手でやるために、脳に何らかの刻印の働きがあるのかもしれません。 写真は事物の記録として、普通これほど正確なものは無いと、一般的に信じられていますが、人の記憶への作用に関しては、どうも絵画ほどの想起作用はないようです。これは人の記憶が、事実をもとに構成されているというよりは、脳の主観によって形作られていることを示しているようです。 だだし、今どきの社会は、写メールやデジカメを筆頭として事物の写しまくりの時代ですから、自分の本来持っている記憶の想起作用を、誤ったもの、事実に反するものとして、逆に封印してしまうことが多い。 運動会の子供の写真をあとで見てみて、「あれっ、こんなんやったかいな」と思うことが、時にあるのですが、こういう場合、たいてい私たちは「まあ、そうやったんやろう」で済ましてしまいます。記憶の想起作用は封印されてしまうのです。今どき交通事故映像でも、事実と反する映像記録が残る場合があるとも、ささやかれているのですが。 ともあれ、私たちは本来持っている記憶への刻印、事物を自分の目で見つめる(凝視する)、という作業を忘れかけようとしているみたいです。 ― つづく ―
2006.11.14
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胃弱性の主人に飼われた猫が、ネズミ一匹獲れずに台所をメチャメチャにするように、我が事務所の若年寄は、自分のメタボリックは無能なトップの無理難題のプレッシャーのせいだと言わんばかりです。 しかしいくら飼い猫や飼い犬が、その主人に顔や性格まで鏡のように似てこようと、彼らがその原因を主人のせいにすることはなくて、その身一つで自分の運命をDNAの命ずるままに受け入れるでありましょう。物言わぬ生き物は(動物も植物も)、己の指し示された運命にはいたって従順で、言葉を獲得した人間だけが、運命に抗い人生の結果を他人のせいにしようと躍起になっています。言葉の獲得が、ヒトを自然から引き離す第一歩でした。それをもたらしたのも遺伝子のせいだ、なんてね。 今日、人のことを一言でサラリーマンだの、主婦だの、学生だの、一般名詞と変わらない名称で概括しては、自分もその一員になっていると確認して、みんな安心しているみたいなところがあるのですが、こうしたサラリーマンとか、主婦だという人称代名詞は、普通名詞といっしょで、人という種族の判別以外、ほとんど何も表わしていない。それでも新聞などで主婦が~したとか、学生が~したと書かれたとたんに、たちまち主婦族、学生族すべてがそれをやっているかのような概括性を帯びてしまうのです。 いつぞや、主婦売春!?とか学生キャバクラなる名称が、週刊誌を飾って、何を勘違いしたか、ほんとの普通の奥さんや女子学生が、その道のアルバイトに走りかけたことがありましたが、云うまでもなく元OLの主婦以外に、元売春婦の主婦もいるし、学校自体がキャバクラ(失礼!)化したような女子大もあるのです(不法就労者のための大学もありましたな)。 言葉というのは、それが発せられた瞬間に、実体とは関係なく呪力を持つもののようで、世のコピーライターやエディターは、新しい呪文を見つけようと、ウの目タカの目なのであります。イジメや自殺予告など、言葉だけの呪力に躍らされて、世の中を嘆いたり、罵ったり、あげくの果ては、我が身もその道に嵌まってしまわないように、気をつけたいものですが、今や言葉の詐欺師集団の力もバージョンアップして、何が本物で、何がニセ物か、素人には大抵判別できなくなってしまいました。 世の中の大抵の騒がしいことは特殊で、ほとんどの人は普通の感覚で生活している、イジメなんてものはケンカの一種で、昔からあって(原始時代から)、今もあり、将来もなくならないのであって、何でもかんでもイジメはダメという無茶な論理だけは、まかり通ってほしくないというのが、正直な感想です(別にイジメを奨励しているわけではありません。争いごとは生き物の間では、その刻印された遺伝子によって、絶対無くならないといっているのです。これが無くなるときは、生き物が生き物で無くなる時です)。 またまた何を勘違いしたか、例の文部大臣がしゃしゃり出て、自殺予告の手紙に「自殺するな」と呼びかける、特殊事例を、万が一にも自殺されたら、自分のせいにされるという保身(大臣も文化省も教育委員会も)のためだけに、大騒ぎに騒ぐ、それに躍らされて普通の生徒までが、さらにバージョンアップした手紙をよこして騒ぎを大きくする、本当に何て軽薄なことをやっているのでしょう。この世を何とか我が意図するところへ、もって行こうとする政治集団の社会感覚と判断力とは、この程度のレベルなのでした。 間違っても人間以外の生き物(キンギョもタンポポも)は、こんな騒ぎは起こさないでしょう。私は騒いでいる少数より、黙して語らない多数の生活者のほうが、よほどまともで、それに波風立てるのは、ええかげんにせんかい!と怒鳴りたくなってしまいます。 こうした騒がしい世の中の有為転変に対しては、やっぱり「猫」のように身をすくまして(首を引っ込めて)、苦沙弥先生の胴間声をやり過ごすしかないのですが、我が若年寄の猪首はこれ以上引っ込みようがないようで、困りましたな。
2006.11.13
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オタンチン・パレオロガス 今や空前のペットブームで、通勤通り沿いにも朝の散歩と称して、ワンちゃんを連れたお年寄りや若奥様?が、シフトダウンしたテンポでこちらに向かって歩いてきます。当のご主人様よりワンちゃんのほうが、どうも周囲への気遣いがあるようで、渋面の我らが戦闘員の顔色を伺いながら、うつむき加減で遠慮しながら歩いています。 愛玩用にどれだけ交配を重ねて、変形加工されたワンちゃんであっても、周囲を見回して人を含めた生き物の序列を瞬時に嗅ぎ分けるDNAだけは保持しているようで、イヌとしての最後の存在感(Presence)だけは失っていないのでした。 よけいなおせっかいですが、それにしても今どきの人間、みんなよほど寂しいのかなあと、他人事ながら思ってしまいますね。自分の子も含めて、他人と擦れあうことを極端に忌避しながら、家では擦れあうためだけに、変形加工されたワンちゃんと日がな一日、じゃれあって過ごす。見られるためだけに加工された裸体(Nude)を見ては、一喜一憂しているうちの若年寄の生活スタイルと、何となく似ているような気がするのですが(アンタも好い加減にせんと結婚できまへんで、ほんまに)。 リアルな感触というものが、私の住んでいる新興住宅地をはじめとして、どんどん希薄になっているのです。その代わりとして電脳空間が、私たちの生活空間の大半を占め(我がブログは平日の昼間の2時間と決めているのですが、うちの家内に到っては生活時間の1/4は間違いなく、自分のブログに費やしています。あまり大きな声では云えませんが)、きれいに刈り取られた公園に、変形加工されたワンちゃんが集うのを見ていると、今どきの都市の風景とは、やはり脳化社会(仮想空間)の露出したもので、美しすぎる落ち葉を踏みしめていても、果たして本当の落ち葉なのか、あらかじめしつらえられた落ち葉なのではないかと、自信がなくなってしまいます。 今年の秋は本当に気持ちがいいですね。こんなに好い天気がつづくと、何かで手痛いしっぺ返しがくるのではないかと思ってしまうのは、美しさと表裏一体の恐怖の味を知っている日本人の感性のなせる業でしょうか?時間の推移は容赦なく、美と安寧を奪っていきます。 本来、地面に舞い落ちた枯葉は腐葉土となって、次の命の糧となるのですが、アスファルトの上の枯葉は、もちろん清掃されて行き場がないままに廃棄されます。この公園の枯葉に存在感(Presence)はないのです。そこに集うワンちゃんや、それにつれ添う人々が朝霧につつまれて希薄になっていくように。 人同士、生き物同士が、濃密にこすれあって、生きているとは、どういうものなのか?例によって過去の文章を引き出してみましょう。例の「猫」の中に、泥棒に入られた苦沙弥先生と奥さんの会話で、ちょっと長いですが、ほとんど「くまさん、はっつぁん」の世界ですよ。警察に盗まれた品物を申告するのに、最初からけんか腰の苦沙弥先生に対して、奥さんも負けていない、―― 「何ですって」「オタンチン・パレオロガスだよ」「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」「何でもいい。それからあとは――俺の着物はいっこう出て来んじゃないか」「あとは何でもようござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かしてちょうだい」「意味もなにもあるもんか」「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」「愚な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えてちょうだい」「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」「そんなら、品物の方もあとはありません」 ―― 青空文庫より(「我輩は猫である」の五、一部ひらがなに改めてます) そこへ、もとここの書生であった多々良君がやってきて、ふくれて書斎にこもった苦沙弥先生は、ほったからしで、奥さんや子供たちと長々おしゃべりをします。早くも機嫌がなおった奥さんに(女の人はほんとに気分の切り替えが早い?)、―― 「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻が俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奥さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」「しかし奥さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」「顔でそんな事がどうして分ります」「分らんばってんが――それじゃ奥さん少しも舐めなさらんか」「そりゃ少しは舐めますさ。舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」「ハハハハそうだろうと思った――しかしほんのこと、泥棒は飛んだ災難でしたな。山の芋ばかり持って行ったのですか」「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不断着をみんな取って行きました」「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。奥さん犬の大(ふと)か奴を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕りますか」「一匹もとった事はありません。本当に横着なずうずうしい猫ですよ」「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさい。わたしが貰って行って煮て食おうか知らん」「あら、多々良さんは猫を食べるの」「食いました。猫は旨うござります」「随分豪傑ね」 ―― 同上 これを聞いている猫が、興奮して、その夜、ネズミを獲ろうと決意します。 ―― 吾輩はとうとう鼠をとる事にきめた。 せんだってじゅうから日本は露西亜(ロシア)と大戦争をしているそうだ。吾輩は日本の猫だから無論日本びいきである。出来得べくんば混成猫旅団を組織して露西亜兵を引っ掻いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕れる。―― 同上 というわけで、その晩、東郷大将気どりの猫が、しでかしたてんまつは中味を読んでいただくとして、相当衰弱気味の英語教師と奥さん、あるいは実業界に乗り出した元書生、それと我が猫もふくめて、濃密な擦れあいとはどういうものか、そして前にも云いましたが、これが日露戦争の最中の作品であること、明治という時代の精神が相当タフで、脆弱化した今どきの日本とはずいぶん違ったものであったと、あらためて思ってしまいますね。
2006.11.10
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― 脳の質量は体重の2%程度だが、血液の循環量は心拍出量の15%、酸素の消費量は全身の20%、グルコース(ブドウ糖)の消費量は全身の25%と、いずれも質量に対して非常に多い ― とは、Wikipediaの脳に関する解説の一部ですが、一般成人の心拍出量が5リットル/分程度とすると、人間の場合、毎分750cc前後(ペットボトル大瓶の2/3)の血液が、首を通って頭に送り込まれていることになります。 他の動物に比しても、エネルギーの大食漢である脳は、すぐれて人間が脳(情報系)に依拠している存在であることを示していて、早い話が、体を動かさなくても、何か集中してものを考えていると、むやみにお腹が減りますね。 しかし、うちの若年寄はご多分に漏れず大のゲームマニアで、脳のエネルギー消費量の相当部分を、ムダにCO2に変換して地球を汚染しているのですが、メタボリック寸前のその体型から推し量ると、どうもデジタル型のゲームはあまり脳を活性化してないみたいですね。 囲碁や将棋のプロ棋士を見ていると、スマートな体型の人が多い。身体の大部分のエネルギーを脳髄に送り込むプロ棋士の脳は、いったいどんな血液循環と酸素消費を行っているのか、覗いてみたい気分に誘われます。 さて ――、行きつ戻りつ、歴史の時間感覚のようなものを、ずうっと考えています。 昔、司馬遼太郎さんが、大まかでしか思い出せないのですが、 「現在の日本の生活スタイルは、おおむね室町時代以後に確立されたもので、畳とか障子、床の間、あるいは小笠原流の作法という形で、今も継承されている。したがって我々の想像力は室町あたりまでは、あまり困難を感じることなく、その匂いまで嗅ぎ取ることができるが、それ以前の鎌倉、まして平安時代以前となると、私にはまったくそのころの人の像が浮んできません。」(出典忘れました、すいません)でしたか、義経を扱ったのが1冊あるだけで、それ以外は確かに戦国時代以後の小説ばかりでした。 生きた人間の香りを復元するような、司馬さんの小説作法であってみれば、登場人物が作者の横に寄り添って、かってに動き出すほど具体的に想像できなければ、書く気がしなかったのでしょう。 確かに平安時代以前というのは、「源氏物語」をはじめとして、世界的にもすぐれた文学を輩出しているのですが、緑色の御簾(みす-すだれ)のたれた板の間の御殿に住まう貴族や、「伊勢物語」に出てくる、すぐ大泣きに泣く侍連中の生活スタイルや心理というのは、我々とは相当かけ離れた時間と世界感覚に棲んでいると考えられ、はたしてこれが本当にかつて日本で起こっていたことだったのかと、著しい困難を感じざるを得ません。 私もご多分にもれず、「源氏物語」は受験参考書でしか、チョイ見していないクチですが、原文を生きた文章として読みこなすのはほぼ不可能。現代語訳の印象は、日本文学というよりはむしろ外国文学の翻訳に近い。もう少し云ってしまえば、翻訳文学に共通する時間の流れのようなものを、先に感じさせられてしまいます。 別に翻訳文学を排斥しているわけではありません。それでもドストエフスキーの長大なモノローグ、プルーストの審美眼、ジョイスの度外れたダジャレなど、間違いなく原文でしか享受できないでしょう。翻訳とは結局、原作とはまったく別の文学作品を読むことだと、ほとんど絶望的な気分になってしまいます。 「源氏物語」の現代語訳はそれに近いと思うのですが、たぶんそれぞれの言葉の持っている呼吸とか、時間とか、言葉の背景に潜むイメージが今の日本語とは違うからで、「源氏物語」は「古事記」と同じように、別の日本語で書かれた、隔絶した固有の時間世界の中にあって、目の前に立ちはだかっていますね。 ― つづく ―
2006.11.09
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聖護院の土塀云々などといっていたら、昨日は各地で竜巻などが吹き荒れて、何だか最近の気候は、日本の世相を反映したか、移り行きがどうも以前にくらべて荒っぽくなっているようです。 日本の風土は地震や台風をはじめとして、圧倒的な自然の力に対して、人間は(神々も含めて)屈服せざるを得ない。これは歴史の始まる以前の神話時代から、日本の風土に深く摺り込まれているので、自然の暴力的なふるまいに対する一種の諦念を持った受容性は、日本人が根強く共有する感覚でした。 不謹慎な言い方をすれば、第二次大戦における無差別的空襲も、阪神大震災も、日本人の受け取り方は、感覚的には一種の天災だったのです。繰り広げられた惨状を嘆く以上に、復興を急ごうとする心理は、ケガレから早く逃れたい、新鮮な朝を迎えて生まれ変わりたいという、古来からの日本人の習性の現われでありました。 諸外国は(とくにアメリカは)完全な人智による大量殺戮に対して、日本人がそれを黙々として受容しているのを、たぶん多少の不気味さを持って見ているでしょう。広島や長崎の反核運動が(一部の運動家を除いて)反米運動につながらないのは、諸外国の論理から言えば非合理極まりないのです。 同じように阪神大震災における政府役人の初動における拙劣さというのは、諸外国ならば革命が起こりかねまじきレベルだったと思うのですが、誰もあまり指摘しません(神戸の人は当時の村山政権を許してはいません。「想定外だった」とか「初めての都市直下型震災」だったとか、いろいろ「仕方がなかった」論理で、役人は言いくるめていますが、早い話、田中角栄であれば、あのような拙劣なリーダーシップは取らなかったでしょう)。 私はいつも思うのですが、広島長崎の原爆慰霊碑も、阪神大震災の慰霊碑も、はたまた各地に残る災害(人災を含む)で亡くなった人たちを祀る、古来からの祠の類は、ことごとく死者の魂を、ひたすら鎮めるためだけ、に置かれているような気がしてならないのです。死者が自然といっしょに荒ぶる神になって、ふたたびこの世に現われないで、できれば祖先の御魂や神々といっしょに我々を守ってくださいと、願っているように見えます。 全宇宙を操る全能の神を想定すれば、人智のなせる大量殺戮はとことん追及されるべきものでありました。一神教の世界では、神の摂理(Providence)は他者(人、物)へ対峙することを余儀なくさせるので、他者は常に交渉の対象であっても、同じ神に屈服しない限り、融和の対象ではありえないのです。したがって一神教世界の慰霊碑の類は、千年万古の復讐と征服(神の証明)を誓う記念碑でもあり得るのですが、言いすぎかな? 例によってここにまた、まだら模様に自然とつながった多神教世界の日本の特異性が、看て取れます。よく云われることですが、神様にもどうしょうもない圧倒的な自然のふるまいに対しては、「水に流すしかしょうがない」。 そしてまた圧倒的な自然は、日本では普段はあまりにも美しくまた優しいでしょう。日本以上に美しい自然や驚異の景観は、世界中にごまんとあるのですが、美とケガレ、優しさと恐怖を、一体で合わせ持った自然というのは、やはりあまりないでしょう。 このあたり、考えてもしょうがないことは早く忘れて、復興(張リボテの)を優先する指向性が出てきます。ここから逆に周辺諸国からは、日本人は反省しないとか、すぐ忘れるとか、同じ失敗を繰り返すとか、さまざまな警戒感を持って指摘するのですが、日本という国土がそういう自然環境に有史以前からあって、今後もよそに引っ越すことがありえない以上、この感覚はカインの刻印のように、日本人の感覚から消えることはないでしょう。 まことに日本の国土は、日本人でなければ棲息できないのです。別に外国の人を排除しているわけではありません。しかし一神教的世界観では、なかなか住みづらいと思いますよ。 ― つづく ―
2006.11.08
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暦年の始まり 何だか最近、おまえの話は難しくて分らん!という声が、ちらほら聞こえてくるのですが、我ながらこれは携帯やパソコンで大忙しでチョイ見するには、ちょっと重いかしらん?しかし半年ほどヨシナシゴトを書き連ねていて、何となく全体的な自分の庭のようなものが、見えてきた気もするので、もうしばらくガマンしてください。 ブルックナーの9つの交響楽を、人は教会の大伽藍に例えますが(9曲とも聴きようによっては、全部同じに聞こえる)、もちろん私はブルックナーではありませんが、自分の漠然と抱いている想念のようなものが、せめて箱庭程度にも明瞭な姿で眺められたらと、大伽藍ならぬ聖護院の土塀程度(嵐ですぐ崩れる)の囲いで、周囲を囲えたらなあと思っているのです、なんてね。 私たちにとっても自分の身の丈で測れる時間とは、せいぜい私で50年、区切り10年を物差しにして過去や未来を測っていっても、直接測れるのはせいぜい70~80年。お祖父さんから聞いた、そのお祖父さんの話は、同居してなかったこともあって、あまり記憶がなくて、今やお墓だけが残っています。 私のいとこに、三木谷さんじゃないですが、「老人殺し」の人がいました(先般、大腸がんで亡くなりました)。普通、私たちの世代はお年寄りが苦手で、敬遠することが多いのですが、このいとこは若いときから、お年寄りと話するのが上手で、とてもじゃないが私には真似できないなと思ったものです。老人の話を聞くのが上手い、老人の話題を豊富に持っているというのは、私からみると脅威で、どこでそんな話を仕入れてきたのか、中国の典籍などの話がごく自然に出てくるのです。 考えてみると、彼のお父さん(私の叔父)は戦争で亡くなり、祖父に育てられたのでした。この祖父は、私も親元に遊びに行ったときなど、いろいろ気安く話の聞ける人で、サンフランシスコ大地震(1906年)の話題などが、今見てきたような臨場感で聴けました。いとこの「老人殺し」ぶりは、どうやら祖父との日常の付き合いで出来上がったようです。 ところで ――、文字のなかった、あるいは使えなかった古代人にとっても、自分が何であり、どこから来たのか、というのは、エデンの園から追い出された身であってみれば、大問題だったはずで、彼らは親からの口伝てや、ムラの長が口承する話で確かめるしかなかったのでした。口承では祖父の祖父以前の世界は、必然的に無時間の神話的世界に繰り込まれ、周囲の自然と一体化して、彼の想念を形作っていたでしょう。 私は暦年が登場し、時間が過去から現在、未来へと続く、一方通行の流れと捉えられたのは、それを書き記す文字が、社会に一般化した時期に重なると思っているのです。前にも少し触れたことがありますが、都市(都城国家)の成立と文字の成立は一体で、都市において木簡等に記された公文書に用いられたのが、日本の文字の始まりでした。都城国家を成立させるには、周辺からの安定した収奪システムが不可欠で、そのための版図内の土地と収穫量及び人の数の、文字による記録が基本となります。 律令制を敷いた当時の中国(唐)は、その意味でも古代随一の近代国家で、例えばその周辺を荒らしまわった匈奴のような騎馬民族が、農耕民族の収穫を年中行事のように収奪しに来るシステムとは、根本的な差がありました(帝国主義時代のスペイン、ポルトガルとオランダ、イギリスの違いともちょっと似てますね)。 文字が万葉仮名を経て、どれぐらいでムラ社会の周辺まで及んだかは、知る由もありませんが、過去にあったことを口承ではなく、文字に書き記すことで、人は祖父の祖父以前の過去を、意識することが出来るようになったでしょう。それは同時にムラの周辺にあまねく棲んでいた祖先と神々の魂を、時間軸の中へ送り込んで整列させ、人間界の出来事を、神事(カミゴト)から切り離すことになりました。神様は祠に祭られ、祖先は年に一回だけこの世を訪れることになったのです。 文字による暦年の概念の成立は、人の時間感覚を、過去→現在→未来の一方通行の流れに整理し、世の中の出来事は時系列に沿って生起しているという、時間世界に移行させたでしょう。 たぶんこれが古代人の神話的時間感覚から、歴史的時間感覚への移り行きだっとろうと思うのですが。 ― つづく ―
2006.11.07
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神話と歴史 自分とは何か?どこから来て、どこへ向かうのか?とは、自分が時間の推移の中にあり、肉体の有限(死)を知った、人間だけが持つ疑問であります。他の生き物(動物、植物、微生物を含めて)には、目前を生きるための行動原理だけがあり、過去を振り返ったり未来に思いを馳せるということはありません(一部の鳥や獣に、獲物を蓄える行動があることは知られていますが、もちろんそれは未来を考えた人間の貯蓄保険行動とは別のものでしょう)。 人がいつごろから、こうした疑問を抱くようになったのか ――、同じ霊長類であるサルには、死んでミイラ化した子供を連れまわす母親ザルの行動が記録されていますが、この母親ザルにとってこの子はまだ死んでいないので、これは我々がお葬式をだした後、死者の魂を無事にあの世に送るために、四十九日だの三回忌だの、何度も鎮魂を繰り返しながら、次第に生者の仲間から死者の世界へ送り出すのと、少し似ていますね。 これは死者の魂が生きているからではなくて、生きているこちら側の我々にとって、死者が生きているからでした。本人の肉体的な死への移行と並行して、死者の魂の記憶は、残された生者にとって、生からまだら模様に死へ移行していくものなのです(同じようにひょっとすると人間とおサルさんの境界面も、まだら模様につながっているようです。日本人はわりとこれを素直に受け入れそうですね)。したがって肉親の死は、他人の死よりも時間がかかります(これは養老孟司さんが云われていることです、この人、ご自身のお父さんの死を受け入れるのに、30年以上かかったみたいですね)。 それはさておき、暦年や時間の概念のなかった古代人にとって、死者と対峙するとは、どういうことだったのでしょう。前にも触れましたが、古代日本人の鎮魂は、イネの定置農耕の映像に深く彩られており、新嘗祭は五穀豊穣と太陽の復活を願う(御魂振りの)祭りとして、天皇(スメラミコト)に限らず、古代の権力構造にとって極めて重要な行事でありました。 死者はこの世から失われたものではなく、今、生者の横に(とりあえず隠れてはいるが)生きて在るので、古代人はその住処としての黄泉の国を想定しています。伊邪那岐神(イザナキノミコト)が、死んだ妻の伊邪那美神(イザナミノミコト)に会いに黄泉の国に行ったように、死と生は古代人にとって、ひとつながりに繋がっているのでした。イネが土に蒔かれて(いったん死んで)復活するように、太陽が冬至を控えて弱まり、ふたたび復活するように、死者も毎年よみがえって生者を活性化すべき存在でした。 毎年の収穫は古代においては、決して必ずしも保証されたものではなく(今でも本当はそうです)、生者はもちろん死者も神々もこぞって祈念し奮い起こすべきものだったでしょう。同じように生まれた子供たちの成人に到るまでの生存率は、今では想像できないほどに低く(モーツァルトの時代、18世紀でさえ半分以下!)、鎮魂とは魂(生命)を振り起こす行為でした。 大事なことは、多神教の日本では天照大神といえども、全知全能ではありえないことで、この神様も含めて、皆で自然に対峙していたことです。これは一神教の神様が全知全能を謳うことで、宇宙をも操る存在として、他の神々を排除したのとは大いに異なります。この世で少しばかり人の手に負えない存在、人の力量を超えた存在は、基本的に日本では神様でした。日本の自然は、神様が操れるほど甘くはなかったのでしょう。 とはいえ神話的時間では、過去は常に今のそばに存在しているのであり、歴史的時間とはおのずから異なります。「古事記」で云えば、三巻のうち第一巻めの神代(天地創造から天孫降臨まで)がそれにあたり、二巻め以降の人代に到って、初めて暦年の経過が語られます。旧約聖書でも天地創造からノアの箱舟あたりまでは神話的時間が支配していて、昔見た映画「天地創造」でも、後で語られるアブラハムの話がユダヤの歴年の開始である点で、かえって古く見えたのは、そこに流れる時間が、その前までの話と異なっていたからです(まあアダムとイブは裸ですから、歴史もへったくれもないのですが)。 古代人にとって時間で推し量れる過去とは、おそらくお祖父さん(お祖母さん)から生で聞ける、お祖父さん(お祖母さん)のお祖父さん(お祖母さん)の話あたりが、過去を測れる最長不倒距離であって、それより彼方の話は神話的時間に繰り込まれて行ったのでした。私たちが歴史を暦年単位で、過去から未来への一方通行の時間経過で捉えているのとは、ずいぶん違っていたのかもしれません。 ― つづく ―
2006.11.06
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身体や歴史の話を拡げるうちに、何となく収拾がつかなくなってきました。 しゃべりたいことは山ほどあるはずなのに、本題になかなか入れないというのは、何かがガードをかけているからで、さしあたってメタボリック寸前のウチの若年寄のほうを睨んだりしますが、今回はどうもそれとは関係なく、いつの間にか自分のブログに課した禁止空域のようなものに、私自身が踏み込もうとしていて、躊躇しているのだと思います。 「スタートレック」では間違って中立空域に入ると、たちまちクリンゴンの艦隊に警告なしで攻撃されるのですが、我がブログ空間には、ほとんど警告らしいものはなく(実は時々あるのですが)、さながら全能空域を行くがごとき感があります。 我がブログの3原則(1.書いていて楽しい中味、2.書くに値するものを書く、3.できるだけ出典を明らかにしておく)は、誰かが読んでいるだろうということを前提にしているのですが、どうも本当に書くに値するものを書いているのかどうか、人に読んでもらえる中味なのか、自信がなくなってきました。 ブログの持っている全能感覚は、電脳空間全体に通有の特性であるようで、テレビゲームはいうに及ばず、先に触れたGoogle Earthにもそれに近い性向があって、ともすれば時空に局限された自分の身体を忘れさせる甘味な誘いに連れて行かれそうになります。電脳の末端の向こう側に身体を持った読者がいることを、もう一度確認して、気を引き締めて書いていかねばと思っているのですが。 こんな話をするというのは、例の高校の未履修問題に関連しての校長の自殺、あるいはイジメに事かけた中学生の自殺など、はたまたそれに対処する学校側の右往左往ぶりを見るにつけ、何となく日本の社会全体の脆弱性を見せられる思いがしてガッカリしているところがあるからです。自殺した人たちのことを、どうのこうの云う気は私にはもちろんなくて、一言で云えば日本全体に生命力が弱っているんじゃないか、ということでしょうか? 身体同士がこすれあって成り立っているのが、我が身ならぬこの世の常で、こすれあっている以上、言い争いや喧嘩は必ずありえるので、それをお互いが傷つかずにどうやり過ごすかというのが、ここ3000年ほどいろいろ考えてきた人の知恵だと思うのです。脳とそれの仮想的露出媒体である電脳空間は、どうもこの身体的知恵の蓄積を、人から簡単に奪う特性と魅惑を持っているようで、私はこれに対して大いに警戒感を持つ側にいるようです。 この世に捨て置かれた側の我々としては、自殺を選択する人の心理を分析する気には、とてもなりませんが、誰でも一度や二度は、我が身を消してしまいたいと思ったことはあるでしょう。私も一度ならず、世の中を下らないと判定して、我が身をお開きにしょうかと思ったことはありますが、それを考えている我が身がいかにも下らなく、はたまた迫ってくる相手を消去してしまいたいと思っても、その肝心の相手が消去に値するものなのかどうか、何となくバカバカしくなって止めてしまう、という繰り返しをやっていたように思います。 電脳空間(脳内)では、消去はボタン一つで一瞬で済みますが、身体はそうはいきません。仮想現実が半ば以上、世の中に浸透している今の世の中は、我が身の身体も、電脳の向こうの末端にぶら下がっている無数の他人の身体も、いかにも軽くさせてしまい、思考回路が仮想空間にほとんど占拠されかねまじき事態になっているのかもしれません。 校長先生も中学生も、それらを取り巻く学校や家族、教育委員会他、文科省のお役人も含めて、思考回路が仮想現実の中でしか作動しなくなっているように見えます。これをすべて戦後教育システムのせいにするわけではありませんが。 一瞬たりとも同じである身体は存在しない、身体は日々生まれ変わりを繰り返し、永遠不変であることはありえないということは、3000年前にインドの賢者たちが(恐怖の覚醒として)、見つけた知恵でした。シャーキャ・ムニは、これを人に伝える困難さに躊躇し、同時に死後の世界を語るのを嫌いました。この世に捨て置かれた人間が、死後を論じる無意味さを知っていたのです(何だか今の理論物理学者と似てますね)。 というわけで例によって、美女!事務の止めるのも聞かずに、さっそくウチの若年寄をつかまえて、イジメたりしてね。
2006.11.02
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Naked or Nude Nakedとは衣服を剥がされたもの、つまり拘束ないし剥奪の意味があり、逆にNudeとは積極的に見せるために、飾られた裸体ということができるでしょうか? 0.2mmの皮膚表面の攻防に、見せるための仮想現実を想定すると、必然的に裸体というものに話が及びます。女性美なるものには、神話の時代から女性に対する性的意味合いが色濃く、ここで話してもよけいな邪念が入るので、性的仮想についてはまた別の機会にふれます(残念でした!) 日本では裸体に対する禁忌(Taboo)は、あまり強くなくて、西欧や中国の人に比べると、日常裸の風景をしょっちゅう見ることができる(街頭にNudeが飾られていても、まず誰も文句を云わない)。これはやはり神話時代からの多神教的世界が、西洋や中国あるいはイスラム社会のような一神教的倫理世界とは無縁のままに、今に到っている日本の特異的現象で、裸であることへの羞恥心は、あちらでは私たちが考える以上に強いようです(イラクのアブグレイブ刑務所での裸体写真が、イスラム社会への最大の侮辱であることは、アメリカ人なら兵隊でも知っているのでした)。 西欧では裸であることは、神にだけ曝すべき人格の露出であって、それ自体に反教会、反宗教の色合いがあります(中国はすぐれて人間中心主義の文化で、裸体は非人間=自然=ケモノに近い)。日本ではもともとの禁忌意識が低いので、一部の写真家などが一時目指した、反権力としての裸体写真は大した力を持ちませんでした。 NakedとNudeの違いを邪念を入れずに考えるために、例えばお相撲さんの裸体を想定します。 まわしを着けただけの裸体が、不自然でなく見えるのは、それが究極の人体改造の結果であることを、私たちは意外に忘れがちです。早い話、私も含めて普通の人が、まわしだけで歩いてごらんなさい。これぞ曝された肉体であって、人格がNakedされて見える。 お相撲さんは、ちゃんこと稽古と寝ることを繰り返すことで、特殊な肉体を造りあげ、裸体であってもケガをせず、人に観られても人格を曝すことのない肉体を、云わばまとっているのです。これは積極的に見せる飾られた裸体、つまりNudeです。 このあたり、薬物による筋肉増強禁止云々が叫ばれる今日この頃、けっして力士の身体に良いとは云えない肉体改造が、あまり話題にならないのはなぜでしょう?スポーツ医学の異常なる進展は、薬物使用ならずともアスリートに究極の身体改造を施しかねず、ほとんどスポーツマシーン化したアスリートも珍しくなくなってきました(良いとか悪いとかは別として)。 それはともあれ、積極的に見せる裸体なるものとは、文字通りNude写真が日本にはあふれていますが、被写体である彼女たちの肢体は、ほとんどの場合パターン化したNakedであって、厳密にNudeといえるものはあまりありません(私の見るかぎりでは!?)。 このあたり身体を見せるものとして、着飾った裸体に煮詰めていったのが西欧のNude絵画でした。宗教的禁忌をかいくぐるぶん、題材はギリシャやローマ神話に題材をとっていることが多いのですが、彼らの目指すところが奈辺にあったのか、例えばWikipediaのW・A・ブグロー(1825~1905フランス)作「ヴィーナスの誕生」を見てごらんなさい。 ― つづく ―
2006.11.01
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