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暦の話 というわけで年甲斐もなく、古典の言葉つきに、心惹かれている今日この頃ですが、若い時のように肩肘張って硬直して構えて読んでいたころと違い、ずいぶん自由な気分で読めるのが面白く、またしんどくなればいつでも止められるというのが、気軽でいいですね。古典は今どきの情報系と違って、私たちを煽るようなことはしません。煽るまでもなく、云わば傲然と山のように屹立しています。近づくには登山のように準備が必要ですが、倭建(ヤマトタケル)よろしく徒手空拳で取り付いても、その相貌の余韻とか、後味を感じることはでき、また準備の仕方やこちらの気分で、そのたびごとに別のSoundを響かせます。 これは古典(Classic)が変わらないのではなく、いつも我々の横にいて今あるので、それを聞くか聞かないかは、こちらの気持ち次第のようです。 またまた音楽の話ですが、たとえばバッハなど、相当今様の音楽に変形されたりして演奏されることも多いのですが、それでもいかように変形されてもやはりバッハはバッハのSoundを響かせますね。これは同時代のバロック音楽のヘンデルその他の作曲家とずいぶん違うので、それがどこからくるのか、現代の音楽家あるいは音楽研究家は格闘しているようです(闘いすぎてちょっとおかしくなった指揮者もいましたな)。 バッハの厳かな声楽やオルガンの宗教音楽ではなく、平均律を駆使した云わば(宝物を見つけたときの子供のような)遊びの音楽は、時代を超えて私たちに降りかかってくるので、ベートーベンやモーツァルトに比べても、はるかに古さを感じさせません。これは彼の音楽が歴史性よりも神話性を帯びて、魔術的に現在に示現するからです。まあしかし、この話はまた別の機会にしましょう。 ところで、年も押し詰まって今年のブログのUPは今日でお開きです(年明けはいつからにしましょうか?)。今年のおしまいに暦の話をしたいのです。 皆さんは1年の区切りが、なぜこの冬の前半に置かれているのか、不思議に思われたことはありませんか?現在一般に使用されている暦は、16世紀のトリエント公会議で決定されたグレゴリオ太陽暦ですね。キリスト生誕の8日後であることでキリスト教との関連も考えられますが、この暦の起源がローマ帝国時代の紀元前45年から開始されたユリウス暦であること、さらにユリウス暦の100年ほど前から1年の区切りを、冬至に近いこの時期にしていたことから、キリスト教とは関係なく季節的な冬至近辺の移り行きが、西欧社会で考えられた年の区切りだったと考えられます。 これには太陽の日照時間が最も短くなる冬至近辺が、古代人にとって世界の死と復活を祈念する重要な時期であったことと明らかに対応するので、日本において新嘗祭が収穫の感謝と来年に向けての祈念の祭りとして重要であったように、おそらくキリスト教以前の古代西欧社会にも、同じような祈年祭があったでしょう(キリスト生誕をわざわざ12月25日に持ってきたのは、明らかにこの古代の世界感に、新しい宗教を密着させるためだったでしょう)。 子供のころはなぜ新年を初春というのか、不思議に思ったものですね。周囲はどうみても、これから冬本番の時期なのに、どうして新春などと言祝ぐのか、わからなかったのです。 これは太陽暦(グレゴリオ暦)の世界観に、旧暦の行事を無理矢理当てはめた結果生じた感覚のズレで、四季の移り行きの変化に乏しい中近東から西欧地域では、天体の観測から導かれた抽象的な暦の発想が自然なのに対し、日本では目に見える季節の変わり目こそ年の初めなのでした。これもよく言われることですが、日本には天体をモティーフにした神話や物語が少ない、織姫彦星やかぐや姫は大陸由来の説話ですね。 これは私の妄想ですが、日本のように地上の風景の移り行きが激しいと、のんきに天体を眺めているヒマはなかったんじゃないかと思うのです(今でも)。逆に砂漠のように何もないところでは、人間の存在の取っ掛かりは天体を観測するほかなかったのかなあ。 前にも触れましたが、日本の古代人にとっては、時間とはアメのように横に伸びているのでなく、主体的に日々更新していくものでありました。お祈りやお供えは日々更新するべき時間を(ほっといたら夜は永遠に明けないかもしれない)、神様といっしょに憮活し、奮い起こすためでした(古代では一日の始まりは日没からだったのです)。 旧暦の立春は現在の太陽暦の2月4日ごろにあたり、季節感としてはまさしく春の気配が、ほの見える時期を新年としていたのです。古くはイネをトシとも呼んでいたようです。イネの栽培は2月4日ごろを基準に、八十八夜とか二百十日とか測られますね。 「豊葦原の瑞穂の国」ではイネを中心とした、周囲を取り巻く映像の変化そのものが時間の移り行きだったのでした。 ― おわり ―
2006.12.29
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古典の姿形 昨日はまたまた私事でUPできませんでした、すいません。 さて、これは音楽だけでなく、絵画や文学にとっても同様で、かつては見向きもしなかった古典の原文の響きが、なぜか突然心地よく立ち昇ってくる、ということは時々あるようです。かつては古文法や注釈や脚注がジャマで、まともに作品の中に入っていけなかったのが、意味は相変わらず解読不能なのに、原文を通読していると、自づから立ち昇ってくる言葉の響きやリズムが、最近、不思議なほど私の耳朶(じだ)に、心地よく入ってくるのですが。 ご存知、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の英雄物語、 ―― 父の景行天皇に西方征伐に続き、東国平定を命ぜられた倭建命(ヤマトタケルノミコト)は、出発に際し伊勢神宮の斎宮(イツキノミヤ)である叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に会いに行って、云うには「天皇(スメラミコト)既(スデ)に吾(アレ)を死ねと思ほす所似(ユヱ)にか、何(ナ)ぞ、西の方(カタ)の悪しき人等(ヒトドモ)撃(ト)りに遣(ツカ)はして、返り参上(マイノボ)り来し間(ホド)、幾時(イクダ)も経(ア)らねば、軍衆(イクサビトドモ)をも賜(タマ)わずて、今更に東(ヒムカシ)の方の十二道(トヲマリフタミチ)の悪しき人等を平(コトム)けに遣(ツカ)はす。此(コレ)に因りて思惟(オモ)へば猶(ナホ)吾を死ねと思(オモ)ほし看(メ)すなり。」とまおして、患(ウレ)へ泣きて罷(マカ)りたまう時に、 …倭比売命(倭建命の泣訴には直接には答えずに)、草那芸剣(クサナギノツルギ)を賜ひ、亦(マタ)御嚢(ミフクロ)を賜ひて、「若(モ)し急(トミ)の事有らば、茲(コ)の嚢(フクロ)の口を解きたまへ」と詔(ノ)りたまひき。―― 「古事記注釈」西郷信綱(ちくま学芸文庫)より 「古事記」全段の中でも、もっとも私たちの心を打つ瞬間ですが、すでに先の死を予感した主人公と、それを慰めるのではなく、英雄としての倭建命(ヤマトタケルノミコト)を送り出すべく、気遣う叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)の関係がストレートに伝わって、何だかギリシャ神話の英雄アキレウスと、その母である海の精霊テティスとの関係を思い出してしまいました。英雄は古今東西を問わず、死ぬことによって、英雄に祀り上げられるのです。 このくだりがあることで、それまで実の兄を縊り殺して投げ捨てたり、熊襲建(クマソタケル)をだまして刺し殺したり、若く猛々しいだけの倭建命の姿が、後半の東征物語からは急速に悲劇の相貌を帯びてきます。 それにしても古代における父と子、あるいは兄弟の関係というのはエディプス・コンプレックスのような心理学で覆い尽くせない、動物に近い生存本能のニオイを感じるので、早い話、タカのヒナは同時に生まれた兄弟を殺そうとしますな。―― 無敵の裏付けである草那芸剣を、美夜受比売(ミヤズヒメ)のもとに置きっぱなしにして、素手で伊吹山の神の化身、白猪(シロイノシシ)と闘う。しかし神の剣を持たない倭建命はすでに無敵ではありえず、神々の論理は貫徹されるのです。2500年前のギリシャなら野外劇場の舞台の周囲を取り囲むオルケストラ(合唱隊)が、「ここにゼウスの託宣は成就せり」と詠うところ、かな? ―― そう云えば、「古事記」の特に神代の部分は、記述が行為中心で、詠嘆とか感想とか、心理的な記述がありません、これは「古事記」の母体である「帝紀」「旧辞」が、行為=舞踊ないし演劇の台本のような性格を持っていたであろうことと無関係ではないので、古代祭祀における詠と舞という演劇的要素が、ここに強くこだましているのです。 前にも触れましたが、これは「古事記」が猿楽の元祖、天宇受賣命(アメノウズメ)と猿田毘古神(サルダヒコ)の直系といわれる稗田阿礼(ヒエダノアレ)が誦習したものを、「忌人(イワイビト)=神事のひとつ、天皇を守護する役職」を祖とする高級文官、太安萬侶(オオノヤスマロ)が書き記したとされることからも、神楽や雅楽の原型ともなった古代祭祀の、万葉仮名への固定の目的が奈辺にあったのか、明らかでしょう(このあたり西郷信綱氏説)。 それはさておき、伊吹山の神に氷雨で散々にやられて、山を降りてきた倭建命ですが、あまりの疲労で杖を突きながら歩いていたところが、置き忘れた太刀に気付く、と同時に神に見放された我が身に気付いて、倭建命の東征物語は急速に終局に向かいます。死期を悟った倭建命の云わば辞世の有名な歌―― 倭(ヤマト)は 国のまほろば たたなづく 青垣(アヲカキ) 山隠(ヤマゴモ)れる 倭し 美(ウルハ)し 愛(ハ)しけやし 吾家(ワギへ)の方(カタ)よ 雲居(クモヰ)立ち来(ク)も 嬢子(ヲトメ)の 床(トコ)の辺(ベ)に 我(ワ)が置きし つるぎの太刀(タチ) その太刀はや その後のいわば定式化した、口調の良い五七調の短歌と違って、古代歌謡は言葉つきとリズムにゴツゴツした力があるように思えるのですが。また和歌一般に頻出する枕詞も「古事記」では、一種の言祝ぎ(コトホギ)の呪力が込められていて、枕詞の出自を探るうえでも、関心を惹きますね。 というわけで、三重県の能煩野(ノボノ)で死んだ倭建命は、―― 是(ココ)に八尋白智鳥(ヤヒロシロチトリ)に化(ナ)りて、天(アメ)に翔(カ)けりて、浜に向きて飛び行(イ)でましき。爾(ココ)に其の后(キサキ)と御子等(ミコタチ)、其の小竹(シノ)の刈杙(カリクヒ)に、足斬り破(ヤブ)るれども、其の痛みをも忘れて、哭(ナ)きつつ追ひいでましき。… 故(カレ)其の国より飛び翔けり行(ユ)きまして、河内国(カフチノクニ)の志幾(シキ)に留(トド)まりたまひき。…然(シカ)れども亦(マタ)其地(ソコ)より更に天に翔けりて飛び行でましき。… ―― と、白鳥(しらとり)に変じて、どこまでも空高く天翔けて行くわけですが、元祖英雄伝説の最後にふさわしく、その後の行方は誰にも分らないのでした。 ― つづく ―
2006.12.28
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クラシック音楽 私にとってクラシック音楽とは、世に云う古典派ではなくて、繰り返し聞くに堪える音楽という意味です。音楽に限らず文学でも絵画でも建物でも、繰り返し享受できるのなら、それはクラシカルな存在なのでした。 したがって、バッハもシェーンベルクもクィーンも聞く側の私にとって、常に心地よく耳の後ろから響いてくる間はクラシックであって、かつて聴きまくっていたとしても、たぶん二度とは聴かないであろう、ヴィヴァルディやシューマンやピンクフロイドは私の中では、無いも同然、LPキャビネットの中で完全に死んでいます。これは世に云う主観主義とはちょっと違うので、ちょっと気取って云えば主体主義とでも云う考え方でしょうか?(どっかで聞いた主体思想とは違いますよ) 日本では主体的と主観的という概念が、素人の感想ですが、明確には区別されてないようで、作品と享受者の間には一種の相互作用があると思うのです。享受者が一方的に気に入って聴きまくる音楽(はたまたそれを前提に造られた、肌触りの良い音楽)は、聞き手の主観によって聴かれるので、しばらくすると飽きて誰も聴かなくなります。 ところが不思議なことに、そうして聴きまくっては忘れていく音楽の中に、ずーっと耳の後ろにこびりついて、云わば体内時計のように、自分の身体のリズムに合わせて、かってに鳴り響いている音楽もたまにありますね。歩いていたり歯を磨いているとき、かってに口ずさんでるって奴です。私など学校から家までの間をドボルザークの「新世界」第1楽章を、口ずさみながら時間を測って、今日は脚が速いだの、遅いだの、体調が良いだの、悪いだの、どうでもいいことを考えたりしてました(友達は迷惑そうな顔をしてました)。 しかしそういうくり返しとはまた別に、たまに思い出したように聞きたくなる音楽というのもあるので、10年20年経つと、まったく別とは云わないまでも、ずいぶんと違った音楽に聞こえる作品もありますよね。 これは作品が変わったのではなくて、こちらが変わったとしか思えないのですが(現に聴いているのは20年前のLP)、実はそうではなくて作品も、聞き手の私によって変貌しているのです。これを相互作用といいます。この受け手の側の享受の仕方を、ずいぶん喧しく言うようになったのが、60年代から70年代にかけての主体主義で、対象(作品)と享受者との関係を厳密に相互作用の関係と捉えました。作品は享受者の行為(態度)で、その都度立ち現われてくるというのです。 これは逆にいうと、その都度立ち現われない作品は、作品と呼ぶに耐えないので、はじめに私が云った「繰り返しに耐える音楽だけが、私にとってのクラシック」とは、そういう意味です。すぐれた作品は聴く側に、何度でも新たな音楽を聴かせてくれる、多面的な風貌を持っているのですが、その多面性は聴く側の態度(行為)で、マヨネーズのように自在に変化する。 享受者の態度(行為)とは、たんに知識とか経験とか意欲とかではなくて(もちろんそれらもあったに越したことは無いのですが)、もうすこし原初的な云ってみれば、時間あるいは風雪の結果とでも言うしか、しょうがないものでしょう。 話が何だか難しくなりますが、昔見向きもしなかったモーツァルトが、ある日突然まったく別の相貌をもって、耳の後ろから響いてくる。まあ今年は生誕250年とかで、ずいぶんあちこちで演奏されて手垢がついた感じですが、それでも数々流れるモーツァルトの中に、新たな自分を聞いた人も多いでしょう。 これは過去のモーツァルトと自分の関係が、云わば否定されて、新たな関係が成立した瞬間なので、これが相互作用というのです。この感覚というのは物理的な時間とは違う意味で、自分が別の次元に移っている、この感覚を主体的な時間体験といいます。 ― つづく ―
2006.12.26
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究極のクラシック 高校時代、例のLPレコードのクラシック仲間が言うには、「究極の音楽鑑賞て、どんなのか知ってる?」「何やそれ。」「究極のクラシックファンは、どんな鑑賞のしかたをするか、ということや。」こういう問いを発せられたときに、まともに原典版がどうのとか、古楽器がどうのとか、はたまたオーディオに関するこだわりとか、で答えてもダメで、こちらを脅かすネタをたいてい持っているのです。「椅子に座って、スコアを繰るだけや!」「それやったら、音楽聴いたことにならへんがな。」「アホやな。究極のクラシックファンなら、スコアを繰っていくだけで、頭の中を音楽が流れていくんや。割り箸を一本握って、スコアをめくる、自分の理想の音楽が体中を駆け巡るという仕掛けや。ヘタにオーディオで聞くと、かえって邪念が入って、素直に音楽に浸れん、というわけやけど。」 これに近い好事家のような趣味人というのは、昔は田舎にも、わりとたくさんいたような気がします。シルクハットに鎖付きの懐中時計、ステッキを持って町を練り歩く。外から見える(ワザと?)家の書斎は洋書の山でWebsterを横に置いて、何やらJapanese Englishでつぶやく。LPレコードの店で何度か出会うことがあったのですが、それこそ悠揚迫らぬ構えでクラシックを試聴する。町の名士兼名物の人でしたから、店の人もあきらめている。いらいらしているのは、次の試聴を待っている私たちだけという仕儀でした。何だか「三四郎」の明治の光景のようですが、何度も云いますが、昭和30年代後半(1960年~1965年)の田舎の話です。 この人が音楽をスコアだけで鑑賞していたとは、とても思えませんが、このテーマは作品とは何か、作品を享受するとは何か、を問いかけているようです。 早い話、音楽作品とはスコアを指すのか、演奏を指すのか、聴いたものを指すのか、どれなのでしょう。上のような好事家がいたとして、スコアだけを見て音楽を享受したと言えるのかどうか、そうではないとしたら、作曲家とは作品を生み出しているといえるのか、どこまでが作品といえるのか、量子力学じゃありませんが、観測不能なものは無いに等しい(というより無いことにする)という世界に入ってしまいそうです。 これは何も音楽に限らず、文学にしてもそうで、今どきの言葉で書かれたものならいざ知らず、「古事記」や「源氏物語」を持ち出されら、たちまち文学を享受するとはどういうことなのか、はたして我々にとって「古事記」や「源氏物語」は本当に享受できるのか(存在しているのか)、モダンアートなど観ることによって初めて作品として成立するような、建築物なら人が住まうことでしか存在し得ないような作品が多いのです。 ここでは出来上がった作品よりは、それを享受する(観る、聴く、住む、読むなど)側の態度とか、行為によって、作品が作品として存在するかどうか決まる、というのですが、早い話、享受しない人(観ない、聴かない、住まない、読まない人)には、作品は無いも同然、存在しないのです。 ― つづく ―― Epistemeとはギリシャ語のépistémê + logos(学問)から来た言葉で、哲学の一部門である認識論を指します。認識論とは、真理や知識の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)を考える学問ですが、Wikipediaによれば――、認識論で扱われる問いには1.人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。 2.人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。 3.ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。 4.人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。というのですが、それはさておき、今、発せられて、そこにある音やモノや建物は、どうやって私たちに降りかかってくるのか、というようなことを考えています。 最近どうも下世話な話が多くなったので、できるかぎり浮世離れした話を考えてみたくなりました、なんちゃって!
2006.12.25
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今朝この事務所ビルの所有者との「覚書」取り交わしが済んで、一応一息ついたところですが、相手方のビル所有者や裁判所、あるいは弁護士などに聞いていると、今もなお15年前のバブル崩壊の影響が、こんなところにも残っているのだな、と改めて思いました。 このビルは15年前のまさしくバブル崩壊の時期に、今の所有者が自分の土地に7億円ほどで建てた建物らしく、相当額を銀行から借り入れたもののようです。法務局で調べると、その銀行が第一抵当権を設定しています。この所有者は駅周辺の古い地主で、かつては町議会にも名を連ねて、その銀行の支店を自分の土地に誘致するだの、自分の土地の周辺を再開発地域にするだのに際し、ずいぶん力を振るったようで、いわば地の顔役だったみたいですね。 まあそれはともかく、時代がすすんで例のバブルの時期、土地価格が急騰して固定資産税も相続税も跳ね上がる。古い地主の持っている広大な山林や田地は、一部市街地となって、名目上の資産は莫大なものとなりましたが、土地というのはそのままでは何も生み出さない。名目上の資産を担保に資金を借りて、何か事業を起こして、価値を生み出していかないと、たちまち税金が待ち受けているという状態で、そのなかから出てきたのが、このビル事業だったようです。 ところがバブル崩壊で地価は下がる、不景気でテナントは出て行くというわけで、当初所有者も銀行も見越していた償却の予定は、はるかに遅れたでしょう。私が入った時期は、その崩壊後の最底辺にある時期で、駅前であるにも拘らず、びっくりするような家賃で入れたのでした。それでも結構テナントさんの出入りの激しいところで、このビルだけでなく周辺の古い建物はもっと安くなっていました。 私のような超零細でも、駅前の事務所に入っていられるというのは、そういう事情があるのです。 それはともかく、3年ほど前から銀行が、貸付金の一括返済を言い出したようで、これは例の貸し剥がしの時期に当たります。貸し剥がしは一般に大手企業ではなく、政治的ルートの弱い、おとなしい中小企業ないし個人資産家に対して、より苛烈で、それまでのいろいろ入り組んだ銀行と地元との関係もものかわ、極めてドラスティックな迫り方だったみたいですね。ひと言で云えば、真面目にやっているところに貸し剥がしが集中して、うるさいところは後回しになる。 ビルの持ち主が当初の返済計画通りにと言っても、一切聞かない、とにかくすぐに一括返済してくれと言うわけで、すったもんだしているうちに、銀行側が抵当権を楯に裁判所に持ち込んだみたいですね。これは一種の揺さぶりで、伝家の宝刀を振り回して、周辺国を脅しまくるという手法は北朝鮮と酷似したやりかたですが、この銀行については私も別のことで知る機会があったのですが、表のスマートさとは裏腹に銀行というのは一般にエグいところですね。 これは何もここのビルの持ち主に味方しているのではなくて(ここの社長は、もう80歳を越えたお祖父さんですよ)、先祖代々の土地を守るためだけに存在してきたような地主さんが、自分たちが何もしてないのに、かってに土地の値段が暴騰し、その維持のために慣れない商売に手を染める、失敗すれば競売で資産は売り飛ばされて丸裸にされる。ただ同然の資産に、わけの分らない資本が入ってきて、ワンルームマンションのような短期回収だけが目的のような、めちゃくちゃな建物を建てる。こんな状況がたぶん日本の各地で(とくに大都市周辺の古い町で)、同じように進行しているので、土地を介した資本主義が、その論理を貫徹すれば、日本という国土は資産運用のガレ場と化して、ボロボロに荒廃するでしょう。 美しい日本の残像は、そうした資本からも見捨てられた僻地にだけ、残されるのかもしれません。
2006.12.22
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昨日の事案が、今日も続行していて、こちらのUPをする時間がありません。明後日、てんまつを報告します。 すいません。
2006.12.21
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プリンター騒ぎが終わったと思ったら、今度は借りている事務所のビルが競売にかかっていて、来週にも裁判所執行官が各テナントを見に来るとか。 青天のへきれきで、隣りの弁護士事務所にも聞いたのですが、もうひとつピンとこない答え。ここはプロに聞こうということで、知り合いの不動産屋さんに聞いたところが、出来れば今すぐにも出たほうが良いとのこと。現場のノンキなムードとは違って、大阪ではこの手のことは日常茶飯事で、人手に渡れば入居時に交わした前の家主との契約はすべて無効で、すぐに退去ということはなくても、新たに契約を結ばねばならず、まず間違いなく前の家主に預けた保証金は返ってこないでしょう、というのです。 元の家主に早速ただしたところが、なんと電話に出てきて「これは銀行との行き違いで、うちとしては、毛頭売りに出す気はありません」と。「執行官が来ても、絶対中に入れません」と力むのですが、すでに競売事案として裁判所が入ってくるということは、この家主の手から離れているということですから、とても信用するわけにはいきません。 他のテナントさんはいざ知らず(ただでさえ年の瀬で、せわしないのに)、うちのような超零細にとっては、わずかとはいえ預けた保証金は貴重ですから、これから元の家主と交渉に行ってきます。 シナリオとしては ――1. ここを出る気はないが(家賃は払うが)、民法上は保証金の持ち回り(引き継ぎ)はできないので、今の状況が落ち着いて、新たな家主が確定するまで、保証金はうちに戻してもらう。2. その保証金を新たな家主との契約の原資にする。3. 新たな家主が、元の家主の保証金の持ち回りを認めるなら(まず無い)、預かった保証金は元の家主に戻す。4. 元の家主が保証金を戻さない場合、家賃は保証金相当額(10ヶ月分)払わない。期間中の家賃相当額は、法務局に供託する。新たな家主が確定した時点で、供託金を新たな保証金に充当する。5. 元の家主が買い戻して、競売が失効した場合は、預かった保証金はそのまま家主に戻す。6. いったん保証金を戻すことを拒否する場合は、元の家主に「念書」を書いてもらう。― もし新たな持ち主が、持ち回りを認めない場合は、保証金を全額返します ― (この念書は紙切れになる場合が、ほとんどでしょう) 概略こんな内容なのですが、はたして――、元の家主も、おそらく例のバブル崩壊の直前に大金を銀行から借り入れて、このビルを買ったに相違なく、おそらく弱っているでしょう。 しかし、ここはけんかしてでも、身内を守らないといけないので(はなはだ心許ない身内ですが)、場合によっては、この事務所を引き払うことになるかもしれません。こういうとき信用ある不動産屋さんを仲介しておくと、テナントの手間は省けるのですが(仲介手数料というのは、本来この分も含まれる)、今どきテレビによく出てくる不動産情報の会社など、全然当てにならないと、先の知り合いの不動産屋さんは云ってましたよ。 まあとにかく、気分よく本業に専念できる環境を仕立てるのが私の役目ですから、いやですが元の家主に合ってくるとしますか。それにしても、よけいな用事をつくりやがって!頭にきた。 美女!事務は落ち着けと例の団扇ですが、まあけんかは最後の手段、どのあたりで矛を収めるか、そのサジ加減が難しいですね。何だか北朝鮮相手の交渉のような気がしてきました。
2006.12.20
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プリンターつづき 若年寄が昨日メーカーに、故障したプリンターを持ち込んだところ、新製品を持って帰ってきました。わけを聞くと、修理代7,350円也と新しい同型商品の値段がいっしょだというのです。それでインクタンクとヘッドはどうしたと聞いたら、必要ないからそのまま置いてきました、と――。この感覚どう思います?うちは新しいプリンターに倍の値段を払ってますよ、と言っても、彼はキョトンとした顔をするばかり。 うちの若年寄もメーカーも感覚がずれてる、といっても、修理の採算より、新製品を渡したほうがサービスだと思っているメーカーの論理が優先するのです。モノに対する取り扱いが雑駁になり、使い捨てがあたりまえというのが今ふうであるなら、いったいこうした感覚はいつごろから出てきたのか、保守派のクソジジイとしては考えざるを得ません。 私の感覚では、こうした使い捨ては、携帯電話が最初ではないかと疑っています。機器の購入に関しては、ほとんどタダに等しい価格で手に入り、使用料でボッタくる。結果、上のプリンターもそうですが、むやみと希少資源が無駄に捨てられるという仕儀に相成るのです。私はどうもこの種の感覚が気に入りません。 別にMottainai!運動を推奨するつもりは、毛頭ありませんが、携帯では通信料でボッタくり、プリンターではインク代(ある機種のインクタンクなど1個5,000円ですよ)でボッタくって、機器本体は次々と新製品を投入しては、旧製品を廃棄する。 うちの若年寄をはじめとして、値段が電脳空間を走っているだけで、実際にモノが次々と廃棄されていくという、事実に無感覚になってる。これが今をときめく資本の論理だとすれば、やはりいつかどこかで痛いめに合うんじゃないかと、私などどうしても思ってしまうのですが、どうなのでしょう? クソジジイの繰り言と云われるのを分って、なおかつどなりたくなる衝動を抑えることができません(さっそく気配を察して、若年寄は営業?に出かけてしまいました)。 電脳に犯されるというのは、何もテレビゲームだけでなく、日常の機器類に関しての取り扱いにも、ひたひたと押し寄せているので、2年ともたず新しい機種に変更を迫る携帯電話に、モノとしての愛着を感じよと言っても無理でしょう。今まさに、こうして使っているパソコンなるものに到っては、機器もソフトも使い捨てで、常に最新であることを強要されます。 昔、「トムとジェリー」というアメリカのテレビアニメがありました。ボケ猫トムと、キレ鼠ジェリーのドタバタですが、いつもすんでのところでジェリーが上手くやり過ごす。しかしよく見ていると、この2匹は一種共存的関係にあるので、猫は追いかける者として、鼠は逃げる者として、お互いをビジネスパートナーとしているのでした。 早い話、ジェリーを捕まえたら、たちまちトムの商売は消滅するのです。両者、永遠に追いかけ、追われることで、互いの存在価値が成り立っているのでした。 「トムとジェリー」は走り続けることで、多少体力と知力の増進という付加価値を生み出すのかもしれませんが、今日の電脳空間では、もちろん体力など消耗するわけもなく、まして知力はその断片を切れ切れにまき散らすだけで、新たな価値などどこからも生み出しません。せいぜいエロサイトがオスの精液を、無理矢理増進させる程度のことでしょう(そのわりには子供の数は増えません)。 その意味では、今どきの資本主義、モノ造りの矜持などここから先もなく、ひょっとすると娼婦並みの媚びだけで成り立っているので、我々はその見せかけに踊らされて、電脳空間にお金を投げ捨てているのかもしれません。 またまた繰り言になってしまいましたが、それにしても真空管のアンプや3ウェイ・スピーカー、D.D.プレーヤーに一喜一憂していたLPレコードの時代の、機器類の確固とした質感はどこに行ってしまったのですかね。
2006.12.19
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淡海の話に戻ろうと思っていたのですが、プリンターが壊れたり、不愉快なニュースが続いたりで、なかなか進みません。このまま北へ上って湖北から湖東へ周るか、いったん南へ下って湖南から湖東へ入るか、迷っています。実際に車などで琵琶湖を周る場合もそうなのですが、書いていてもその経路順でずいぶん気分が変わりそうな感じなので、なんちゃって。 このプリンター、買ってまだ2年だというのに、たちまち写らない。インク切れかとタンクを取り替えても一向に写らないので、販売店に問い合わせたら、インクヘッドが磨耗したのだろうと。念のためメーカーにただすと、一概にヘッドだとは云えないと、例によって逃げの返答。 それでもヘッドだけの費用ならと、大急ぎで取り寄せて(店頭に置いてない)、印刷したところが、悪夢のように一向に写る気配なし。頭にきてメーカーに電話したら「受付は平日の午前9時から午後5時~」の録音メッセージ。 というわけで、先ほどまでメーカーに電話していたのですが、このサポート修理センターなるしくみ、保障期間が過ぎている機器は、送料別で一律7,350円だと。持込みだと当日修理が可能だが、大阪までの往復交通費を考えるとどちらが安いのか、頭をひねっているうちに、そうか!修理代に材料費(インクタンク、ヘッド)を含めたら新しいプリンターの値段と変わらへん、と気付いてさらに頭に血がのぼり、手馴れた口調の電話嬢の応対に腹を立てて、電話を切ったのでした。 いっそメーカーの名前をバラして、ウサを晴らそうかと思ったりもしますが、例によって平和主義者の若年寄が「まあ今どきの電器製品、買ったときの値段が、この故障を前提にしたような値段ですから。」などと、いやにメーカー擁護の意見など云うので、ますます頭にきて「それじゃ、大阪へ営業ついでに、これ持って行ってこい。」と、故障した機械を袋に詰めさせて、送り出したのでした。 美女!事務は、なにしろ印刷ができないのを、困った困ったと執拗に訴えてきますが、どうせ年賀状くらいだろうとたかをくくって、顔をあっちに向けておきます。 それにしてもプリンター、パソコン周辺機器では一番機械的動作が激しくて、壊れやすそう。しかし一流メーカーだからこそサポートセンターのレベルの低さに腹が立つのです。そもそもインク代がやたらと高いような気がする。普段は使っているから、そんなものかと思っていますが、故障して万が一でも器械ごとオシャカになれば3,000円~4,000円(新製品には型式が合わないときている)、今回のようにヘッドまで含めたらプラス4,000円(計)8,000円それに電話の手間賃入れたら、考えるだけでうんざりしてしまいますね。 サポートセンターとは、器械の修理というよりは、体よくユーザーをなだめすかして、新製品を売りさばく営業部門なんだなと、あらためて確認したのでした。でなければ7,350円なんて修理代は出てこないですよ。 しかし自社の製品を、作りっぱなしであまり粗略に扱うと、そのうちしっぺ返しを喰らいますよ。まあ私はそこまで暴れる気はありませんが。メーカーなのに製品に対する愛がないのです。一度つくれば一丁あがり、さて次の売れ筋は、では開発者の方もモノ造りの意義など感じるわけもないでしょう。メーカーの姿勢というのは、表のこぎれいなパンフレットやビデオじゃなく、サポート領域での応対でハッキリ現われます。 これもしかし、どこかの誰かみたいに、おおいにわめきたてれば、無駄金のインク代、ヘッド代くらいは、取り戻せるのでしょうが、そんなヒマがあるわけもなく、たいていの人はしょうがないで、あきらめるのでしょう。作り手がそういう顧客を前提にモノを造っているのなら、中国韓国並みになって、日本のメーカーは終わりですよ。 とりあえず、今回は美女!事務の団扇もあって、黙っていることにします。
2006.12.18
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またまた、怒られてしまいそうですが、Mo Cuishleという「呪文」とイェーツの詩句が、映画の中味とマッチしすぎているというのは、それがこの映画の説明になりかねないからです。 内容の説明はかえって、この映画の多面性を平板に限定しかねず、観ているほうの自由な想像力の飛翔を妨げるおそれがあるのでした。私はこうした「呪文」や詩句は、それを入れるなら、さらにイメージを膨らませるような使い方をしてほしかったのです。むしろ「ミスティック・リバー」のほうが、タイトルそのもののニュアンスが映画の中味を暗示していて、私は好きです。 ところで、J・フォードで思い出すのは、「駅馬車」が劇(Drama)の傑作であるのに対し、「荒野の決闘」が映像詩(Poem)に近いことで、有名なO.K.Corralのガンファイトも風景の一部であって、全体として立ち昇ってくる西部の風物に完全に溶け込んでいるのです(子供のころガンファイトだけを楽しみにしていた私には、はなはだ不満が残ったことを覚えています)。 筋書きとか史実の再現にあまり拘泥せず、事物をいわば自然物のように並べてみせる、というのはすぐれて詩的な表現法だと思うのですが、これが成功するのはJ・フォードといえども、そう多くはありませんでした。映画というのは個人の試みではなくて、集団の営みなので、もともと詩的表現には不向きなのかもしれません。それをやるにはフォード一家や黒澤天皇のような、一種秘密結社のような結束が必要であり、キューブリックの「2001年宇宙の旅」や、コッポラの「地獄の黙示録」は途中で破綻してしまいました。 いずれも説明なしの映像の断片の繋ぎ合わせで、多面的な想像力を刺激するという点では似ているのですが、かと云って宇宙との出会いや、戦争の狂気の後味が、夢のように立ち昇ってくるには到ってない。これをやるにはまったく個人的な営みである画家とか詩人になるしかないのかもしれません(そう云えば黒澤はもともと画家志望だったそうですね)。なかなか難しいところですな。 さてあまり話が遠くへ羽ばたいていってしまっては、終われなくなるので、ふたたびイーストウッドに戻ります。 彼はたぶんJ・フォードや黒澤のような、個人的な詩的飛翔を映画に求めていないので、気の合う仲間と造れば、どんな映画ができるか?常に楽しみにしながら造ってきたようにみえます。多くの監督が肩肘張った画像を作ろうとする中で、随分ゆるやかなトーンが流れているので、その中には(特にはじめのころ)随分陳腐な画像もあったのですが、今ではどんな映画を撮ってもハイレベルなクラスを維持しています(「硫黄島」2部作を作ったことで、彼が手をつけていないジャンルは、ひょっとするとアニメぐらい)。 どこかに書いてあったのですが、ものを分ったふうのリベラルが嫌いで、なおかつ硬直した共和党を哂い飛ばす彼の政治姿勢は、意外と人を結集しやすいようで、フォードや黒澤より守備範囲が広い。 「ミリオン・ダラー・ベイビー」について云えば、彼が求めて詩的に表現したというより、彼に惹かれて結集した映画人が、そうしたトーンを作り出したと云えなくもないのです。前にも云いましたが、これは映画を創るうえでの監督の力量というのが、主義とか主張である以上に、すぐれた映画人を結集する器量だという気がしてきました。 「ミスティック・リバー」が「駅馬車」に似て、ドラマの傑作とすれば、そういう映画人がイーストウッドの周りに結集した結果であり、それじゃあ「ミリオン・ダラー・ベイビー」は「荒野の決闘」と対置できる「詩」になり得ているかというと、これはまだ時間が短すぎる、100年ぐらいして、観ている人の上にMo Cuishleという「呪文」が、自然に舞い降りてくるなら、間違いなくその位置にあるといえるのかもしれません。 「硫黄島」2部作が、どんな映画か知りませんが、ちらほら批評も出始めているようですね。彼のつくる映画ですから、間違っても絶叫型の反戦映画ではないと思いますが(彼の性格からいって、興奮して観客に過度の感情を強要するということはしないでしょう。日本映画はよく監督や俳優が興奮するのです、私はそういうのはパスです)、それにしても多面的なものの見方を社会に対して発信する、今のアメリカにあまりにもピッタリな企画なので驚いてしまいます。 スピルバーグの「プライベート・ライアン」が、9.11以降のアメリカを予見したような愛国映画になりおおせているのとパラレルですね(やっぱりスピルバーグのマジな映画はあまり好きになれない、まあ国粋派のT・ハンクスだからそうなったのかもしれませんが)。 彼が「硫黄島」の撮影にクレジットを連ねているのを見て、観に行くかどうか、ためらっているのです。 彼の「ポルター・ガイスト」とか「ジュラシック・パーク」を観てから、「プライベート・ライアン」の冒頭上陸シーン30分を観ると、いくら血が飛び、手足がもぎ取られても、一種の見世物に見えてしまう、と思うのは私だけでしょうか?映像を知り尽くした男の手にかかると、すべて見世物臭く(うそ臭く)見える。 60年前の日本人がそういう画像で処理されるのなら、ちょっとつらい部分があるのです。まあしかしこれは別の話ですね。 ― おわり ―
2006.12.15
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Mo Cuishleというゲール語の響きに惹かれて、ながながとしたおしゃべりになってしまいました。 C・イーストウッドは生粋のアイリッシュではないのですが(生粋のアイリッシュといえば、何と云ってもJ.フォードとJ.ウェインのコンビ、西部劇の定番がきら星のごとく並んでいますが、アイルランドを舞台にした「静かなる男」、おもしろいですよ。腕っ節はやたらと強いのに、女をよう口説かないJ.ウェインが、気の強い相手M.オハラに、ある日プッツンして村中を追い回す。それを村人たちが見物がてら、はやし立てながら大勢で追いかけるシーン、度外れた感情の激発とはこんなものかと、今でも見飽きません)、彼の演じた役がヒット作の「ダーティー・ハリー」をはじめとして、組織にどうしても馴染めない奴とか、社会的にはスポイルされた役が多かったのは、そのポジションに共感する部分が多かったからでしょう。 これは同時にアメリカ映画がもっとも好む人間像の一つですが、通常ならばそこから這い上がって男になるAmerican Dreamにするところ、さすがにイーストウッドは、J・フォードの時代とは異なる今を意識して、リファインされた映画に仕立てています。 「ミスティック・リバー」のラストシーン、殺されたデイブを除いた当事者たちが、奥さんやチンピラも含めて、一同に会してパレードを眺める、行方不明の夫を探す奥さん(M・G・ハーデンですか、すごい演技でした)、刑事が指差す主人公が自首するのかどうか、すべてが流れる川のシーンに収斂されて、タイトルそのものが解決編であることを暗示する、簡単には大向こう受けは狙いませんよ、というイーストウッドの声が聞こえてきそうなラストでした。 同じようなラストが「ミリオン・ダラー・ベイビー」でも用意されていて、語り部のM・フリーマンが誰に語っていたのか明らかにされる、その老トレーナーの娘とおぼしき人影は、カーテンに隠れてハッキリ見えないまま終わるのですが、実はこの娘はM・フリーマンにとって、どうでもいいので、語る相手は自分と観ているあなただと、そして語っているのは監督のイーストウッドだと云っているようです。 オペラでテノールやソプラノ歌手が、最後に絶唱して拍手喝采を浴びるような、お決まりの盛り上げかたをするなら、「ミスティック・リバー」なら主人公の結末まで、「ミリオン・ダラー・ベイビー」なら成功の瞬間をもっと詳細に、尊厳死と宗教問題をもっと前面に出せば、さらに大論争が巻き起こるところでしょうが、エンドタイトルですべてを完結すれば、人はそこでこれは夢空間だったとすべてを忘れる――、イーストウッドはそうした終わり方を拒否しているのです。こうした終わり方は、昔フランス映画などでよくあったのですが、ともすればいやみな感じも受けるので、アメリカではあまりやりません。 そう云えば、彼の「スペース・カウボーイ」、タイトルと出演者を見ただけで、私など拍手喝采のクチだったのですが、後半ちょっとシリアスになってあまりおもしろくなかったですね。どうせやるなら、それこそカウボーイよろしく逃げまわる牛ならぬ宇宙船を、投げ縄でひっつかまえるほどのドタバタがほしかったのですが。 それはさておき、映画館の云わば夢空間が、現実と地続きに繋がっている(映画館に入るときと、出て行くときに外界が変わって見える)、というのはテーマが衝撃的だからとか、論争を挑んでるからとかいうレベルではなくて、映画の作り方のセンスで捉えるべきなので、だからこそ「ミリオン・ダラー・ベイビー」の前半の成功物語と後半の悲劇との接着が成功しているかが、核心なのでした。そこでは現実のボクシングはこうだだの、尊厳死はこうだだのといった論争は、あまり意味がなくて、早い話100年もたてば、そうした論争は無意味でしょう。 100年後(あるいは200年後)に、この映画が、例えばJ・フォードの「荒野の決闘」のように、時代を乗り越えて、眼前に舞い降りてくる(=神話)ように見ることができるのかどうか(誰も現実のOK牧場の決闘が、映画どおりだったなどと思っていない)、どうなのでしょう? こんな話が出てくるというのも、例の老トレーナーが、ケルト語の復活を目指したイェーツの有名な「イニスフリーの湖島」の一節を口ずさんだり、呪文のようなゲール語(Mo Cuishle)が出てくるからで、― イニスフリーの湖島 ― The Lake Isle of Innisfree ああ、明日にでも行こう、あの島へ そしてあそこに家を立てよう。 壁は泥土、屋根は草葺きでいい 豆の畑は畝を九つ、蜂蜜用に巣はひとつ その蜂たちの羽音のなかで独り暮らそう。 ああ、あそこなら、いつかは心も安らぐだろう 安らぎはきっと、ゆっくりとくるだろう ―― 加島祥造訳両方とも、ちょっと映画の中味とマッチしすぎて、私はあまりこういう使い方は好きではありません。 ― つづく ―
2006.12.14
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とは云え、その後のアイルランドの歴史というのは、横に大英帝国を控えているという地政的状況もあって、近代産業革命以後の歴史は悲惨の一語に尽きます。 古代の精霊を残している国というのは、近代には不向きなようで、とくに19世紀半ばの「ジャガイモ飢饉」は、ほとんど国を破るような事件だったのですが(餓死者100万人以上、国外移住者200万人以上、現在の人口が400万人ですから、まだ当時の人口激減から充分立ち直ったとは云えない)、併合した大英帝国の無策はアイルランドに大きな恨みを残し、今に至っています。 それにしても、かの大英帝国、今でこそ成熟した民主主義国家として、すましていますが、世界帝国だった19世紀、アジア、アフリカで行った植民地政策だけでなく、ヨーロッパ周辺においてもずいぶんなことをやっていますね。頼るものは砲艦(武力)だけとばかりに、周辺国を脅してまわる。16世紀世界を二分して、植民地をスペインと分け取りしていたポルトガルなど、イギリスにだまされて19世紀に国内資産を完全に収奪されて、なかばイギリスの植民地となってしまいました。E.C.に東欧が入るまで、ポルトガルは長くヨーロッパの最貧国でありました(基本的には現在も変わってないでしょう、最貧国の数が増えただけ)。 それはともかく、ブリテン諸島で反イングランド(反アングロ・サクソン)=独立が、アイルランドやウェールズ、スコットランドで叫ばれるとき、必ずその象徴として出てくるのが、古層ヨーロッパである古代ケルト=St.パトリックの緑なのです(そう云えばスコティッシュ・プレミアリーグの中村俊輔のセルティック‐Certicも緑のユニホームでしたね)。アメリカで3月17日(St.Patrick’s Day)に誰でも緑のマークをつけて練り歩くというのも、そもそもアメリカがイギリスと戦争して建国したという歴史があるからかもしれません。 話がどんどん広がってしまい収拾がつかなくなってきました。横に抗いようもない大帝国を控えた国民というのは、世界的にみても感情が屈折して、劇的な芸術表現を生み出すようで、例えばロシア帝国の周辺ではフィンランドやハンガリー(マジャール)、東アジアでは中国を控えた朝鮮半島やベトナム(安南)がそうでした。政治経済的に抗いようがない場合、人は感情の激発によって、気分を昇華させるもののようです。 アイルランドの場合、それはドルイド以来の詩を中心とした文学で結実させたので、おおざっぱにイギリス文学といわれる作品の多くが、実はアイルランドの文学であることを忘れてはいけません。J・スウィフト、J・ジョイス、B・ショウ、O・ワイルド、W・B・イェーツ、S・ベケットなど、これらは英語(被征服語)で書かれたアイルランド文学なのです(この不条理!)。人口の減少というのは悲惨で、母国語で書くことを(市場にならないので)不可能にするのです。これはフィンランド文学がスウェーデン語で書かれるのと、よく似ています(これはまた触れます)。 J・スウィフトの奇想天外で、皮肉たっぷりな「ガリバー旅行記」、J・ジョイスの世界語?(日本語も含めて)を駆使した諧謔、B・ショウの皮肉とぺシニズム、O・ワイルドの耽美主義、W・B・イェーツのゲール語への回帰、S・ベケットの不条理など、動かしがたい現実の不条理を昇華するために、彼らの文学はとてつもない想像力と皮肉と諧謔を必要としたのでした。 先にも触れましたが、新大陸のアイルランド人もまた、先行したW.A.S.P.(White Anglo‐Saxon Protestant)に社会の枢要を握られて、アメリカの上層へ顔を出すことは容易ではありませんでした。ただしカトリックの厳しい避妊堕胎への禁忌によって、驚くような多産系家族をなし(ケネディ家のような)、少なくとも数的には今のアメリカの白人社会では間違いなく優位でしょう。 私たちがアメリカ映画に見る典型的なアメリカ人像(J.フォードの反骨性とか、組織に馴染まない、とか独立精神)の相当部分は、アイルランド(Certic Green)の気性を引き継いでいると見ていいでしょう。映画に限らずアメリカのスポーツも含めた芸能界が、最上層部のW.A.S.P.ではなく、そこに入っていけないアイリッシュ、ユダヤ、イタリア出身が中心なので、当然といえば当然ですが(最近はそれにアフロ・アメリカンやヒスパニックが参入していますね)。 ― つづく ―
2006.12.13
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映画の話はおもしろいので、やたらと長くなっています。まあ他もそうですが。 それにしても、彼のブレない志(こころざし)というか、ずうっと一貫して流れているトーンというのは何なのでしょうか?それを私は「ケルト的悲哀」というような感じで見てしまうのです――。 アメリカにおけるSt.パトリックの緑、すなわちCertic Greenというのは、どんな位置づけなのでしょう。これについて司馬さんが「アイルランド紀行」と「ニューヨーク散歩」でしたか、さかんに触れられていましたが、本国(400万人)よりもはるかに多くなってしまったアイルランド系移民3,400万人(アメリカ人のおよそ15%)の新大陸での社会的ステイタスというのは、長くW.A.S.P.の下、ユダヤ人と同等ないし、さらにその下であり続けたので、アイルランド系とイタリア系のギャングの争い(ギャング・オブ・ニューヨーク)は、云わばプア・ホワイトの社会現象の代表のようなものです。 今でもアメリカの警官と消防署員の大半はアイルランド系で占められ(N.Y.のクィーンズ地区はその代表ですね)、組織に馴染まない、とてつもない感情の起伏、度外れた妄想癖などなど、さまざまに語られますが、アメリカという多層国家にあって、アイルランド系というのは、その性癖ゆえにユダヤ系や日系と異なり、なかなか社会の上層に上って来れないというイメージがつきまといます(別に警官が誹職であるわけではありません、ただしその汚職、規律の乱れはアイルランドを抜きにしては語れない)。 このイメージについては、どうしても本国のアイルランドの歴史に話が及ぶので、司馬さんは大国イギリスに随伴せざるを得なかった、アイルランドの悲哀のようなものをSt.パトリックになぞらえたのでした。 St.パトリック(Saint Patrick西暦386年~493年)とは、アイルランドに元々存在したケルト的宗教観に、キリスト教を融和させる形で布教したとされる司教で、アイルランドの守護聖人です。緑の3枚葉のクローバー(シャムロック)を手に三位一体を説いたので、シャムロックと緑色はアイルランドの象徴であるとともに、征服されないケルト的土俗の象徴でもあったでしょう。 ケルト人というのは紀元前1000年より以前から、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族とされ、古くは紀元前1世紀のローマ皇帝カエサルの「ガリア戦記」や、ゲルマン系のアングロサクソン人との抗争に登場する、云わばヨーロッパの古層を成す民族です。これは西欧社会がキリスト教やギリシャ・ローマ文明を受け入れる前の、原ヨーロッパ文化を表わすもののようで、アイルランドに限らず、紀元前5世紀ごろまではヨーロッパ各地に存在したと考えられています。 その後、大陸のケルトはラテン系のローマ帝国に同化されますが、帝国の衰退とともに、帝国に同化しなかった北方ゲルマン民族に圧迫され、西のガリア地域に移動しました。現在のフランスです(古層のケルトにラテンの血が混じっている)。同じく、島のケルトはゲルマンの一派であるアングロサクソンに侵攻されて、その一部のイングランド地域はアングロサクソンの支配を受けたのです。しかしブリテン島の北部、西部はその支配下にはなかったので、スコットランド、ウェールズはイングランドとは別呼称で今でも呼ばれます(彼らをイギリス人-Englshと呼んではいけません、怒られますよ)。さらにアイルランドはもともとローマの支配も受けていなかった地域でありました。St.パトリックとは原ケルト人に会った最初の文明人だったかもしれないのです。 ケルト人はもともと自然崇拝の多神教(ドルイド教)であり、St.パトリックはドルイドの祭司を、駆逐せずにキリスト教に同化させることで、教化したのでした。したがってアイルランドのカトリックは中央に円形を刻印された十字架(ケルト石造十字架)に象徴されるように、ローマ・カトリックとは若干の差異があるといわれます。-Wikipediaより しかし今大事なのは教義の違いではなくて、アイルランドが他では失われたヨーロッパの古層の文化を、今も残しているということで、それは妖精(Fairy)やレプラコーンなど他では見られない、想像力豊かな伝承として残っていて、「ハリー・ポッター」や「指輪物語」はたまたロールプレイング・ゲームの登場人物として、今もさかんにスクリーンやボードを賑わせてますね。 これらの表徴は文明化に抗する想像力の源泉として、現代人を刺激して止まないようです。 ― つづく ―
2006.12.12
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「モ・クシュラ」とは、ご存知のとおりイーストウッドの「Million Dollar Baby」で、老トレーナーが女ボクサーの緑のガウンにつけた名前でした。ゲール語(ケルト語)で、女ボクサーがさかんにその意味を問いただす、なかなか答えない老トレーナーが、彼女を死に(生に)送り出すときに、答をささやく ―― 私の愛する者、私の血(My darling, my blood) ――。 この伏線は、前半から挿入されていて、ボクシング・ジムの事務室で、老トレーナーがゲール語の本を開いたり、アイルランドの詩人イェーツ(「ローハイド」のイーストウッドと同じ名前)の詩を口ずさんだりしているのですが、ボクシングの場面や尊厳死の取り扱い、あるいはこの「モ・クシュラ」の綴り方についてまで、さまざまに異論が出ていましたね。 しかしそれを云うなら、そもそもゲール語(ケルト語)を勉強する老トレーナーという設定自体が、非現実的と見ることもでき、要は映画の中に素直に入って行けるか?(共感できるか?)というタネは、この映画のあちこちにばらまかれていて、イーストウッドはすました顔をして観客を試しているようにも見えます。これは監督をするようになってからの彼の得意技の一つで、云わばハリウッド的禁忌(タブー)を一つ一つさりげなく破ってきたのでした。 初期のころ、ずいぶんと陳腐なタブー破りをやっていたのですが(主人公が女を崖から突き落としたり、悪役を背中から撃ったり、男が涙を流して泣いたり)、気張って破壊する(「イージー・ライダー」みたいな)というのでなく、すましてやるので、かえって共感できない(入っていけない)という部分があったのです。したがって私には「許されざる者」も充分にカタルシスを得るというには、ちょっとしんどいところがあったのです(ウェスタンを神話伝説的に夢見てしまう世代としては、ということです。テンガロン・ハットにコルト45の二丁拳銃、革のローハイドに拍車を付けたモカシン、開き戸の酒場でバーボンの一気飲み、テーブルをひっくり返してのけんかに、町の通りでの決闘…。まあ、これは好きずきですが)。 しかしそれも20年以上も続けていくと、見るに耐えるものも出来てくるとみえて、私は前作の「ミスティック・リバー」には感心しましたね。刑事ものの推理仕立てが利いていて、最後まで引っ張って行く、途中何度か現われる伏線や、挿入された連れ去っていく車や川のリフレイン、その題名も含めて最後に用意された解決編など、いつの間にこんなに上手い映画が作れるようになったのかと思いました。 ひらたく云えば、最後までイーストウッドの云わば素人臭い演出を感じずに、観ていられる。映画の流れに、出てくる俳優や台本が溶け込んで、自然に「ミスティック・リバー」という題名に込められた主題が浮かび上がってくる、という仕掛けになっているのです。 台本が良かったなどという陰口も、ちらほら聞かれますが、そういう台本も含めて、すぐれた俳優や演出家を結集できるというのが、彼の力量なのでした。したがって登場人物が自然に息づいて見えるのです。まあこれは彼の得意の監督作法のようですが。 「ミリオン・ダラー・ベイビー」は「ミスティック・リバー」で、大きな完成をみたイーストウッド作法をそのまま引き継いだような作品で、淡々と流す手法は同じなのですが、主題は尊厳死という重い内容になって、こちらのほうで新たな挑戦を試みたようにみえます。 よく言われるように、前半の成功物語としてのボクシング映画の部分と、後半の尊厳死を扱った部分が、はたしてどれだけ自然につながっているか、というのが、この映画の核心なのですが、いろいろ議論があるみたいですね。 ご存知のようにアメリカにはボクシング映画の一つの伝統のようなものがあって、さまざまな名ボクシング映画があります。B・ランカスター、K・ダグラス、P・ニューマン、R・デ・ニーロ、S・スタローン、D・ワシントンなどボクシングの名優のような系譜とともに、名場面も数多く残っていますね。H・スワンクが最初の女ボクサーの名優になったことは間違いないのですが、それこそ唐竹割りのように一撃で、それを打ち切る。前半のボクシング場面が、上のようなボクシング映画の伝統に、新たなページを加えていると思えるくらいに、上手くできているので、その唐突な遮断に観ている側は、すっかり戸惑ってしまうでしょう。 成功の瞬間に絶望に叩き込む、間無しの時間進行が利いているので、後半にはボクシングの回想シーンは一つもなくて、終わりごろには、これは一体何の映画やったんかいな、と思わせるほどですが、いずれにしてもそれが自然につながっていれば、観るほうとしては納得なのですが、どうなのでしょう? 「ミスティック・リバー」のように俳優が自然に息づいてくるというのではなくて、後半ではH・スワンク(顔だけの演技!以前にD・ワシントンが「ボーン・コレクター」でやってましたね)やM・フリーマン、イーストウッド自身の名演技が、主題の重さに負けて浮いてくるように見える、というのは私だけでしょうか?これは何も、この映画をクサしているわけではありません。多面的な見方をさせる(素人の私のようなものでも、いろいろ言いたくなる、あるいは考えさせる)、それだけで優れた映画としての価値はあるので、ここ最近のアメリカ映画には、この多面的なものの見かたという視点がなかったのでした。 優れた映画とか小説とか、要するに芸術には必ず、それを享受する側に、多面的なものの見かた(考え方)を与えるという部分があるので、9・11以降のアメリカには、その余裕がなかったのでした。どんなに趣向を凝らしても小手先のCGや、以前のリメイクあるいは日本他の外国ネタでは、すぐ飽きてしまいます。本質的な新鮮さがないからです。これを提供できるのは、たぶんブレない志(こころざし)、云うなれば自分を持続して内省する思考態度でしょう。イーストウッドはその点で、ブレない志を20年以上、あるいはもっと以前から持ち続けてきたように思えます。 ― つづく ―
2006.12.11
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湖の話はひとやすみして、C・イーストウッドの話です。 近ごろのアメリカ映画、ほんとにつまらなくなりましたね。9・11以降のアメリカの思考停止状態は、まだ続いているようです(もう5年前の事件ですよ)。私は彼が2003年のイラク戦争開始直後から、ブッシュの政策に反対を表明していたことに、かつてのアメリカの良心を感じます。「硫黄島」2部作がどんな戦争映画になるのかは知りませんが。 今でこそ、中間選挙で共和党が大敗し、対イラク政策の抜本的見直しが進んでいるようですが、ラムズフェルドに代表されるネオコンの強面政策が幅を利かせて、その他の言論を(意気地なしとばかりに)封殺するような雰囲気があった中での発言だったから意味があるのです。この種のタフさこそアメリカ人だと思うんですがね。 今やすっかり巨匠の雰囲気を漂わせて、アメリカ映画唯一の良心を体現しているように思える、この俳優兼監督。私にとってはテレビ映画の「ローハイド」でのロディ・イェーツ役、ちょっととぼけた兄ちゃんふうのカウボーイ姿がなつかしく、うちの母は当時彼のファンでありました(今はBSで再映してるみたいですね)。 当時テレビといえば、アメリカ製のホームドラマ、コメディ、西部劇、ギャングものなどなど、午後5時にスイッチを押せば(5時まではテストパターン、放映してなかった)、ほぼ間違いなく、このどれかにあたるという時代で、前にも触れましたが、相当アメリカかぶれしていたものでした。なにしろ西部劇だけで、今思い出しても「ローハイド」を筆頭として「シャイアン」(C・ウォーカー)「幌馬車隊」(W・ボンド)「ブロンコ・ビリー」(O・マーフィー?)「ガン・スモーク」(J・ガーナー)「拳銃無宿」(S・マックィーン)…、ちょっとお子様向きでは「ララミー牧場」(淀川さんが解説してました)「ライフルマン」「ローン・レンジャー」「リンゴー・キッド」…これ全部西部劇ですよ。 というわけで、小学校では放課後、麦わら帽子をカウボーイ・ハット(本当はテンガロン・ハットと云うそうですな)風につばを折り曲げたり、バンドを二重巻きにしてガンベルトよろしく片方を下にずらしたり、各自趣向を凝らした手製の拳銃(竹竿だの、三角定規だの、鉛筆のキャップを繋ぎ合わしたものだの)を持って、机の間を転がりながら撃ちまくる。相当やかましかったはずですが、不思議と先生はどなりに来ませんでしたね。 したがって野球の王、長嶋と、西部劇のヒーローは等価でありました。織田信長の「桶狭間」よりは、W・アープの「OK牧場」ほうが身近にあったことを覚えています。チャンバラが学校で禁止されていたことを別にしても、時代劇は何となく陳腐なイメージだったような気がします。要するにカッコよくなかったのでした。 テレビほどではないにせよ、当時の映画スターも西部劇が重要な役どころで、ハリウッド一の早撃ちはG・クーパー、ライフル銃のスターはJ・ウェイン、殴り合いならK・ダグラス、さらにはH・フォンダやR・ミッチャム、K・ゲーブル、R・ウィドマークなどなど、西部の砂埃にまみれた革のチョッキとジーンズの似合う俳優は沢山いました。今の俳優はハリウッドと云えども、ウェスタン・スタイルはちょっと想像できませんね。たった40年ほどですが何が変わったのでしょう。西部劇は映画発祥のときから、活劇の重要なジャンルだったはずですが。 私は70年以降に作られた数少ない西部劇は、それまでの牧歌的な(日本風に云えば、髷もの的)語り口を奪われてしまったのではないかと思っています。一つにはネイティブ(先住民)に対するオールド・リベラルな贖罪感、J・フォードが60年代に早くも「シャイアン」で見せていましたが、ニューシネマ風の「ソルジャー・ブルー」以降、何となく牧歌的な西部劇は作れなくなってしまったようです。一つには観客の嗜好の変化もあったでしょう(アメリカの価値観がヴェトナム戦争で揺らいでいました)。 しかしC・イーストウッドが(ハリウッドで売れなかったので)、例のマカロニ・ウェスタンに出てから、私のような筋金入り?の西部劇ファンは、たいそう違和感を持ったでしょう。イタリア風のどぎつさは、それまでのハリウッドにはなかったもので、逆輸入でハリウッドの殺人シーンも(西部劇に限らず)、血しぶきが吹き出し、肉片が飛び散るあざとい画面が増えました。60年代のアメリカは「ローハイド」でも「アンタッチャブル」でもそうですが、ずいぶん人を簡単に殺しますが(しかも死ぬときに、必ず首を横に傾げる、教室でも殺られたら同じポーズをしてました!)、血しぶきには禁欲的で、これは映画でも同じでした。イタリア風「血糊の美学」は、それまでの西部劇とは異質のもので、「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」のコテコテの映像には、ハッキリ云って辟易しましたね(それを今やNHKのBSが放映してるんですよね、公共放送の矜持はどこに行ったんですかね)。 というわけで、彼に対する関心は急速に薄れていったのですが、それと並行して彼が監督しだした初期の映画、ずいぶんとこれまたB級以下の作品ばかりで、何を血迷ったかと思ったものでした。トップスターが監督するというのは、当時でもP・ニューマンやR・レッドフォードなど、いくつかあったのですが、彼らの作品と比べるまでもなく、何を好んでこんな映画を作るのか、弱ったことになったと(関係ないのに)、かってに気を揉んだりしてましたね。 そんな中で、彼の姿が焼き付いた映画がありました。「ハートブレイク・リッジ」です。海兵隊の古参兵(軍曹)役だったのですが、はじめのほう、酒場でMarines風の短髪に、例の皺だらけの横顔で座って、黙って酒を飲んでる彼の姿がずいぶんと新鮮で、久しぶりやないか!という気がしたものです。映画そのものは何の記憶もないのですが(要するにたいしたことはない)、この老け役の姿を見ているだけで、筋金入りの軍曹のニオイが出ていて(今となっては、それが彼の定番ですが)、とても気に入ったのでした。それまでのダーティー・ハリー的アクションを抜け出たのかな、と思ったのです。 ― つづく ―
2006.12.08
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昨日は湖西地区が、湖東に比べて湖により接近して生活していたのではないか、という話をしたのですが、それは湖周辺の港にちなむ地名(津)が、多く湖西、湖北地区に偏っていることでもわかります。湖南の大津、草津を北陸からの物資の集散地として一体で考えるとすれば、あと例えば今津とか海津、塩津など北陸(越前、若狭)から京へ運ばれる物資は、いったんこれらの港で舟に積まれて、おそらく琵琶湖の西岸沿いを南に下ったでしょう。 例の白鬚神社は、道祖神として航海・交通の安全を司る猿田彦命(サルダヒコ)を祭神とした古い神社で、湖北と湖南を結ぶ中間点に位置し、有名な湖上の大鳥居は湖上を渡る舟から、直接詣でられることを意図したものでした。 猿田彦命については天孫降臨に際し、国ツ神として天ツ神である邇邇芸命(ニニギノミコト)の先導役をかってでたのですが、そのとき天ツ神の偵察役の天宇受売命(アメノウヅメ)に仲介を頼んだとされ(例の得意のストリップに幻惑されたか)、大和平定物語の重要な役回りを負っているのですが、ちょっとこっけいな風貌(天狗の元祖ともされます)も含めて、いつか改めて触れたいと思っています。 湖西の湖上は比良山系の変わりやすい天候(比良降ろし)に左右されやすく、水難事故は決して他人事ではなかったでしょう。昭和16年の旧四校(現金沢大学)のボート部員11人遭難事故も、このあたりでしたね。 それはさておき、湖の西岸から北部にかけて、急峻な山と湖に挟まれて、自然のふるまいに無関心であることが、湖東地区に比べて許されなかったのは、想像に難くないので、明治以降(物資の流通ルートが、湖東の東海道、北陸両線の鉄道に集まることで)長く滋賀の産業構造からは、取り残されていたのでした。 湖西唯一の平野である、安曇川デルタ地帯は、今や「里山」と「かばた」ですっかり有名になってしまいましたが、主たる産業がなかったことが、昔ながらの生活スタイルを今に残すことにつながったわけで、これは日本各地で見られる現象です。産業新興が地域文化を根こそぎ破壊するというのは、近代資本主義の云わば生理のようなもので、理由のない高速道路やバイパス道路が、地の町を見る影もなく、醜くしているというところは枚挙にいとまがありません。 湖西地域が、今に至るも葦原の日本の原風景を残しているというのは、たまたま日本的近代産業構造から外れたというのではなく、私に言わせれば琵琶湖と比良山系がそうさせたのではないか、と思っています。湖西の風物を見ていると、そう思わせる力を感じてしまいます。 湖西には江戸時代まで、湖上交通だけでなく、もう一つ大事な陸上交通ルートがありましたね。若狭と京を結ぶ朽木街道(鯖街道)といわれる道です。 若狭からの魚を琵琶湖まで到らずに、途中で朽木谷を通って比叡山の裏(洛北)へ出る道なのですが、安曇川の典型的なV字谷の鞍部を通る街道で、両側(小浜、京都)の峠越えは今でも難所です(冬はほとんど雪に閉ざされる)。この道は江戸時代まで湖上交通と並んで流通が盛んだったのですが、不思議と歴史に顔を出すことはほとんどなく、唯一(西暦1570年)信長が浅井朝倉両軍に敦賀金ヶ崎で挟撃されて、馬一頭で京都まで逃げ帰った記録があるくらいです。戦略的にも平坦な湖東地域から湖北を押さえるほうが、北陸への備えとしては合理的だったようですね。 というわけで、何かと騒がしい湖東の地籍に比べて、湖西は歴史の表に出ることもなく、しかし歴史を裏から支える北陸(かつては大陸)と都を結ぶ交通路としての面影と、古代以来の日本の原風景を、今も沈黙した姿のまま、あちこちに残しているようです。 湖西の風物を眺めるなら、世の腕利き写真家が、あちこち数多く載せているので、そちらでお楽しみください。例えば「湖西風景写真コンテスト」など…。どれもこれも思い入れの強い写真ぞろいで、私などが下手な文章で話すより、たぶんよほど早い。 ― つづく ―
2006.12.07
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昨日の三上山(ミカミヤマ)、その近江にしては特異な形から、古くから信仰の対象となっており、この山を御神体とした御上神社(ミカミ神社)は山の西麓に位置し、天之御影命(アメノミカゲ)を祀っています。例のアマテラスとスサノオの誓約の際に、天照大神の八尺勾玉(ヤサカマガタマ)から生まれた五柱の男神のうちの一柱である、天津日子根命(アマツヒコネ)の子であるとされ、鍛治をつかさどる天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)と同一視されています。 さらに平安中期、有名な平将門の乱平定(西暦940年)に活躍した、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)または俵藤太(たわらのとうだ)の「百足退治」伝説が有名ですね。―― wikipediaによれば、 近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えたものであった。 娘は龍神一族が三上山の百足(ムカデ)に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、三上山を七巻き半する大百足が現れた。藤太は二本矢を射たが大百足には通じない。最後の一本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射ると、ようやく大百足を退治することができた。 藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、将門を討ち取ることができたという。―― 三上山は琵琶湖南部からは、どこからもその異相を眺めることができ、古代人にとっては(これは中世伝説ですが)どうしても湖の底ツ神(龍神)とからめて、崇め奉るべき神体であったでしょう。それにしても山を七周り半する大ムカデ、三回めに矢を唾で願をかけて退治するなど、古代以来の神話的イメージが平安京の時代も生きていたことを現していておもしろいですね。 さて、古代人の映像はさておき、今の近江は県庁所在位置である大津が、京都から山を2つ隔てているにもかかわらず、電車で10分足らずに位置していることもあって、完全に大阪京都の文化圏に繰り込まれ、独自の町の匂いを嗅ぐことは難しいのですが、先にも云いました大津でも湖西なら堅田以北、湖東なら近江八幡以北ぐらいから、云わば近江独自の香りが漂ってきます。 Deep滋賀、深近江を感じるならこれより北、さらに安曇川だの湖北地域に足を踏み入れると、まさしく時代をさかのぼっていくような風物と風景に出会うことになります(Deep大阪を知るのに、天王寺以南の河内に入らないと分らないように。天王寺から羽曳野、太子町をかすめて葛城山を越え、奈良の当麻町、橿原神宮にいたる近鉄電車に乗ってごらんなさい、リファインされた船場の大阪町人とは違った古代浪速のカルチャーが感じられますよ)。 なぜ堅田にこだわるかというと、中世から江戸期にかけて湖の水運を扼する中間位置にあって、湖上交通の利権を独占し繁栄を極めた地域だからです。海賊ならぬ「堅田湖族」の勢威の跡は、浮御堂に到る堅田の旧市街を歩けばわかる、私は湖西地区が湖東に比べ、より湖に寄り添って生計していたのではないかと思っています。 近江米と称される水田耕作は、湖東の緩やかな平地において産生されるので、比叡山から比良山系と続く湖西の山並みは急峻に湖に迫り、安曇川のデルタ地帯を除いて、田地には適しません。雄松ヶ崎から白鬚神社にかけて山並みは湖面に迫り、淡々とした表日本の表情から、急速に裏日本の引き締まった表情に変わるのが、車で走っていてもすぐ分ります。 ― つづく ―
2006.12.06
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淡海の風景にかこつけて、滋賀の風物などを語ろうかと思っていたのですが、考えてみると他の人たちの語る以上の滋賀の歴史、風物など私が知るわけもなく、屋上屋を重ねる話はしたくないので、新味のある話題はないかいなと思案しています。いつぞや司馬さんが、例の「街道を行く」シリーズの冒頭に近江の道を取り上げ、戦前の教室で高天原=近江論のようなことが、まことしやかに語られていた、というようなことを書いていたので、昨日来の話をしているのです。 ところで、―― 古代人はその背景に、無限とか永遠とか、黄泉の国につながっている幾何学的な直線を意識しながらも、日常接する周囲の風景をどのように見ていたのでしょうか?彼らの目線は常に水平で、上空からの映像というのは山に登らないかぎり、眺めることはなかったのでした。そしてそれら山々は例えば、伊吹山のように、古代では神として崇められ、畏れられたでしょう。日本神話では、山に限らず岩(磐)や坂(比良)あるいは樹木に到るまで、人智の及ばない事物には、ことごとく神を見出したので、一般の人たちがむやみに山に入るということはなかったでしょう(鉄をつくる人たちは、農耕社会とは別の集団と見られていました。彼らは鉄の製作のために大量の炭=樹木を必要としたので、異種の山の民と見られていたでしょう)。 天皇(スメラミコト)が、小高い丘(山)に登って国見するというのは、文字どおり統治している領地を眺めわたすのであって、これは大事な行事であったでしょう(記紀、万葉には国見の歌が、たくさん詠まれています)。これは逆に言い換えれば一般の農作民は、小高い丘や山に入ることは、簡単には許されなかったことをも示しているのです。 ところで「淡海幻想」のはじめに、近江の山々が、丸みを帯びて優しく見える云々の話をしましたが、その地形的な理由とは別に、もうひとつこれらの山々がことごとく照葉樹林(これは西宮市の甲山森林公園ですが)のブナ科のクヌギやナラ、シイ、カシの木などに覆われて、こんもりして見えることもあります。 富士山のような高山は別として、日本のように山という山が樹木におおわれて、こんもりした姿をしているのは、世界的にはむしろ少数で、さきにもふれましたユーラシア大陸では、多く森林が燃料として伐採され、地肌を露出した山々ドイツポルトガルが多いのです。 というわけで、日本では山は樹木と一体で姿を成していることが多く、全体に丸みを持ったイメージで眼に写ったことでしょう。下は湖東の名神高速の横にある三上山ですが、とんがった山が樹木でずいぶん柔らかく見えますね。 ― つづく ―
2006.12.05
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古代人が時間を理解するのに、歴史感覚ではなく系譜による把握をしたように(本人のお祖父さんのお祖父さん以前の話は、過去ではなく神話伝説的世界に繰り込まれる)、その周囲を取り巻いている自然に対する理解も、ごくフィジカル(身体的)な感覚で把握されたでしょう。 ギリシャ神話では、自分たちの棲むこの世の周囲は大海原で取り巻かれており、さらにその先は滝となって地底=黄泉の国につながっていると考えられていました。日本神話でも同じような世界観を持っていて、海原は海神(ワタツミ)の住まうところ=黄泉の国と同一視されていたのです。このイメージは縮尺や分度器で計測した観念的な視覚で(Google Earthのような)、世界を把握している現代人とは大いに異なります。巨大な球面は身体感覚的(フィジカル)には無限に続く平面でしか理解できません。 ギリシャでも日本でも、自分たちの住まう世界の周囲を取り巻く大海原の水平線(Horizon)の映像は、ときに日常生活に顔を出す無限とか永遠とかの非日常の感覚を、常に呼び起こしたはずで、目に見える範囲あるいは足で歩いて行ける範囲の彼方、祖父から直接聞ける話のさらに彼方はどうなっているのか?ということは、今でいう神話的理解でしか把握しようがなかったのでした。 時間や世界をごく身体的感覚(目、耳、足、手)で理解しようとしていたという意味で、古代人は今どきの観念(脳化社会)に浸された現代人より、はるかに詩人ないし芸術的感覚を持っていたのかもしれません(どっちが好いとか悪いとかいう話ではありません)。 話はずいぶん変わりますが、昔アメリカのテレビ映画で、「世にも不思議な物語」だの「ミステリーゾーン」だの、いわゆる超常現象を扱ったドラマがたくさん放映されていて、そのタイトルバックに必ず無限とか永遠とかを表わす、画面を横切るHorizonが出てきましたね。 昨日もいいましたが、恐竜の画像の背景に画かれた水平線ともども、私にはものすごくこの直線の向こう側がミステリアスに思え、震えながら見ていたものでした。Horizonが永遠とか無限とか、子供が抱く自己存在の不安(自分はどこから生まれ、何であり、どこへ向かうのか?)を、直截に示す映像として迫ってくるからです。Horizonの彼方が、これを明らかにする扉のように思えたものでした(皆さんはどうですか?)。 ダリはどうもそのへんの身体的感覚を、相当正確につかんでいたようで、彼の絵にはよくニュアンスに満ちた水平線や地平線が画かれます。どうも上にあげたテレビ映画は、ダリの画像感覚を取り入れたみたいですね。若いころダリに惹かれたのには理由があったみたいです。 余談ですが、昨日も云いましたが、今となってはダリの絵にまったく感興が沸かないというのは、そのあまりにも心理分析的な構図によるのでしょう。彼の絵から受ける印象は、絵画を見て感じる色彩とか、素材とかの美しさとは別のところにあるので、悪く言えば説明的に過ぎる(ひらたく云えば、右脳の感覚を刺激するというよりは、左脳の情報系に先にリンクするみたいな)、早い話がダリの絵を自分の家の壁に飾ろうという気にはならないでしょう。セザンヌやカンディンスキーは、こちらの感覚脳を心地よく刺激してくれるので、どこでもいつでも見ることができますね。 話がそれてしまいました。子供が物心がついて、最初に持つ素朴な疑問と、古代人が周囲の環境を身体的に理解するために、描いたであろう世界像は、たぶん似ていたので、「葦原ノ中ツ国」という呼称は、天上界と冥界の中間に住まう人間界を現したもので、それは同時に、稲作を営む古代人社会の周辺を取り巻く、地面でも海原でもない中間地帯=葦の生え広がった沼地の映像だったでしょう。そしてその沼地から彼方へ広がる海原は水平線の映像(Horizon)として、黄泉の国に確実につながっていると古代人は思ったでしょう。 琵琶湖には(海ではありませんが)古代人が日常接していた、この葦原の風景が、今もところどころ残っています。皆さんにはどう見えますか? ― つづく ―
2006.12.04
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ただでさえ、せわしない月末に年末が重なったうえに、あらたなプロジェクトが舞い込んで、なかなか我がブログがすすみません。若年寄も美女!事務たちも、眼を吊り上げて走り回っているのを見ていると、こちらの頭までおかしくなりそうです(それを指示したのが私であるにしても)。 ここはひとつ自分だけは正気を維持して、見張り番の役だけは果たそうと思っているのですが、たった4人ほどの超零細会社でも、10万トンのタンカーよろしく、いったん切った舵を修正するのは、なかなか難しく、結局土曜日を出るハメになってしまいました。誰でも(バカでもチョンでも)高速で突っ走れるように、道路を整備しておくのは(とくにウチは前も見ずに、すっ飛ばす奴が多いので)、私の役回りです。 今日はしたがって、サリエリ特別編です。 ところで――、 滋賀の風物を語るというのには、私自身の琵琶湖を含めた風景に対する、強い思い入れがあるのでした。その思い入れとは、どうも湖の水面が作り出す幾何学的な直線(Horizon)と、その背景をなす山々の不連続線(Fractale)の対照にあるようで、例によって視覚に対する私の執着癖が、頭をもたげているのです。その対照とは例えば、「雪の琵琶湖」のような風景です。 私は自然界に突然現われる幾何学的な直線(Horizon)に、なぜ惹かれるのか、以前から関心を持っていました。誰にでもある湖の風景に感じる情感というものが、どこから来るものなのか、以前にも取り上げましたがW・B・イェーツの「クルー湖上の白鳥」に詠われた、―― 木々は紅葉の錦をまとひ、杜の小径は乾けり、秋十月の夕まぐれ薄明のもとにして、水は静けき空を映す。岩間に湛へし水の面には五十あまり九羽の白鳥… ―― 山宮充訳(白凰社)よりという句は、私たちの原風景のどこかに潜んでいる光景なのですが、私には琵琶湖の湖面はそれを思い起こさせるのです。 子供のころ見た動物図鑑のなかで、ことのほか私の想像力を刺激したのは、ご多分にもれず恐竜図鑑でありました。恐竜本体の姿形ももちろんですが、私は恐竜の背後を彩っている風景に、ことのほか気を惹かれたようで、シダ類の大木に覆われた森の向こうに、たいてい火山が噴火している、さらにどうかするとその横などに広々と広がる水平線が画かれているのでした。 今のこの世のどこにも存在しない風景のなかで、この水平線で画かれた海ないし湖は、さらにその向こうに連なる異世界の情景を空想させるのです。これに似た情景にS・ダリの「記憶の固執」のような夢の風景があるのですが、画面を二分する幾何学的な直線(Horizon)は、ダリに限らず画家の絵心を刺激するもののようです(これについては、別にHorizonという題目で話するつもりだったのですが、今回それに絡めて、昔好きだったダリの画像を見てみたのですが、どうも昔のような感興が沸いてこないのです。若いとき、ことのほか好んでいても、今となってはまったく受け付けないというのは、絵画に限らず、音楽でも小説でもたくさんあります。これはまた改めます)。 自然の背景をかたどる雲や山々の一見無秩序(Fractale)な風景の背景を、真横につらぬく幾何学的な視界である水平線とか、地平線(Horizon)には、異世界への入り口が見えるのです。古代人が海原を黄泉の国につながっていると考えたように。 ― つづく ―
2006.12.02
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