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話がまたまたあちこち遊離してしまいますが、Human Errorのことです。人間がすぐれてミスを犯す動物であることを前提に、主として事故原因の調査の手法として、40年ほど前からアメリカで確立された航空機事故対策の考え方ですが、その淵源をたどっていけば、第二次対戦のアメリカの戦略論にも行き当たるし、ひょっとするとキリスト教的宗教観にもとづくものであるかもしれず、以前から興味をもっていたことの一つでした。 これをたんなる事故調査の手法や方法論にとどめずに、物事のとらえ方とか考え方(文化論)にまで高めたのが、確か元NHK記者の柳田邦男さんの一連の「事故調査もの」の本で「マッハの恐怖」は愛読書の一つでした。事故原因の解析の手順やその分析の精密さの面白さもさることながら、私はむしろその背景にひそむ日本とアメリカの考え方の相違に強く関心があったので、事故原因が操縦士なり運転士なりの個人の操作ミスによるものであった場合、日本ではミスを犯した当事者に対する責任追及が主となって、結局その背景にひそむ構造的な組織の問題とか設計段階の致命的な欠陥にまで話が展開しない。 それに対してアメリカでは、個人に対する追求以上に、なぜミスを犯すにいたったのか、その個人を取り巻く組織や操作機器の設計思想にまで立ち入って、その事故原因を明らかにしようとする、このあたり私など戦争中の日本とアメリカの考え方や振るまいの違いと、どうしてもリンクしてとらえてしまうので、最近でこそ「失敗学」といった呼称で事故調査や組織の構造解析を行う手法はだいぶ広まってきたとはいえ、まだまだ根本の考え方は浸透していないんじゃないかというのが私の感想です。 人と機械の接点(Man-Machine Interface)で生じる軋轢というか、人と機械の振るまいの齟齬というのは、航空機事故や原発事故のような典型的な巨大事故の原因究明の方法論に留まらず、個人と組織の間の軋轢や齟齬を構造的に解析し、改善していくのに援用できる考え方だと思うのですが、そこで何よりも必要とされるのは、個人の思い込みや願望をできるだけ排除した証言なので、本当のことを言わせるには、脅迫ではなく保証が必要なのです。罰を前提とした追及では、誰しもできるだけ身を守ろうとするのはあたりまえで、結局本当のことは永久に出てきません。 このあたりアメリカの証言台で、証人が神に真実を言うことを誓う、といったキリスト教の背景を論じる文化論もありますが、私はそれでは問題の本質にはまったく迫れていないと考える、少なくとも日本での方法論の確立にはまったく役に立たないと思うたちです。実際証言台で真実のみをしゃべるなどということが可能かどうか、実際の法廷を眺めればすぐ分かることです(日本でもアメリカでも)。 というわけで、事故調査ではアメリカは個人の罪を問うまえに、全体の安全を守るための方法論が発達したみたいですね。いうなれば、本当のことを言わせるシステムのようなもので、そこから司法取引のような発想も出てくるのです(良いか悪いかという価値論は別です)。 日本ではまだまだ個人は組織に従属した位置関係にあるので、江戸時代以来の儒教的人倫関係に絡みとられた組織内では、本当のことをしゃべるというのは、並大抵ではないでしょう(ミートホープでは、辞めた役員の指摘によって事が露見しました、社内で堂々とというのは不可能なのです。たいていの企業はこの会社について、下手な辞めさせ方をしたバカな会社と思っているでしょう)。 お役所の組織など、その中でも典型なので、江戸時代の道徳は国どころか、私の感想ではむしろ地方のほうがもっと強く残っているんじゃないかと思っています(残念ながら税金の地方移譲とか、ふるさと納税とか論議するのはまだまだ早い。地方に下手な金が行くと、却って地方は壊れますよ。この話はまた別)。 こんなことを言うというのも、先日来の「年金問題」、社保庁職員のボーナス返上だの、安倍さん以下閣僚の給与減免が取りざたされていますが、「ケジメ」という大義名分でこんなことをしてもらっては困ると思っているのです。こんな「ケジメ」をつけられてを何も解決しないので、社保庁問題はその解体と一連の悪者処分で一丁あがりの気分にもっていこうとする雰囲気が問題なのです。これが参院選挙向けの世論誘導であるのは間違いないので、私に言わせると、このまえの繰り返しになりますが、ボーナス返上も給与減免もしていらんから、「本当のことを云え」ということになるのです(歴代の社保庁長官も含めて)。 一般第三者の溜飲を下げさせることで、物事の本質や根本原因を打っちゃるというのは、日本が開国以来繰り返してきた失敗の典型的パターンで、第三者(国民)もほとんどそのあたりはじつは分かっている、分かっていても年金の本質的な問題には眼を向けたくないので、取り合えず気散じで済まそうとする、問題はますます増大して結局取り返しのつかない失敗をしでかす、というのは敗戦を見るまでもなく、ついこのあいだのバブル崩壊で充分懲りたはずなのですが、またもや全国民レベルで熱狂を繰り返すとはどういうことなのでしょう。 ― つづく ―
2007.06.29
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例によって、できるだけ浮世離れした話をしようと思って、続けているブログですが、世の中は選挙前ということもあって、ますます騒がしくなってきましたね。 それにしても、年金と社保庁問題、ほかの消費税とかバイオ燃料にからむ食糧問題とか格差問題とか教育基本問題とかをすっとばして、今や社保庁総バッシングの状態で日本中がヒステリーを起こしているように見えます。確かに社保庁の内実は相当ひどいもので、「役人の振り込め詐欺」などと罵倒する声もちらほら聞こえますが、私はどうもマスコミをはじめとして日本中の声がいっきに同じ方向を向くときというのは、危うさを感じるタチで、何か誘導されているのではないか、ミスリードをたくらむ奴がいるのではないか、あるいは大きな見落としをみんなしているのではないか、と思ってしまうクセがあります。 これは小泉さんの第一次内閣、例の田中真紀子vs鈴木宗男騒動のときの、外務省バッシングの雰囲気と酷似していて、その間ほかの問題はすっとばしてしまう。そのあいだに規制緩和にのって、未整備な法体系の隙間をついてITバブルの亡者が、雨後の竹の子のように現れて、一般国民はいつの間にこんな格差ができたのと目を丸くする、という仕儀に相成ったのでした。 それはさておき、ある話によると強制加入の年金保険制度というのは、もともと前の戦争中に戦費の財源確保のための手段として出発したのが最初のようで、年金制度という名のもとの、国民からの国の収奪システムであったようです。 これは実は「銃社会と刀狩り」のところで、話しようと思っていたことがらなのですが、秀吉の時代に農民=国民から刀を奪い、専門集団にだけ武器を持たせるというのは、国家統治のうえで極めて重要な施策だったのですが(現に一向宗や本願寺のような自立共和制の勢力がいることは、天下統一にとっては大きな脅威でした)、武器を奪ったうえに徹底的な被統治民にたいする抑圧政策は、その後の日本人の考え方や振るまいに大きな影響をあたえました。戦国時代までの農民は、決しておとなしくはなかったのです。というよりおとなしくない農民の中から、盗賊めいた武士集団があらわれて覇を争っていたのです。 徹底的におとなしくさせるために、用いられたのが換骨奪胎した儒教であったのは良く知られています。武士とそれ以外を完全に分離すれば、武器を持った官僚が強くなるのはあたりまえで、この官尊民卑の風というのは、明治以後も敗戦後も形を変えながら、官のほうには考えかたとして、今に至るも残っているようですね。 とはいえ私は、だから今の社会保険庁をつぶしてしまえ、という話にウッカリ乗っかることができないというのは、つぶしてしまったら何も分からなくなるんじゃないか、ということなのです。私たちがごく自然に戦後教育で理解していた公僕としての官僚という概念は、この世に存在しなくて、彼ら(高級官僚)の感覚はあきらかに政治家を上回る権力者としての階級意識であるようです(私からみると、政治家もほとんど彼らに取り込まれているように思えます。それほどに権力というのは甘い汁ということでしょう)。 ヘタにつぶして、事件の原因をうやむやにするよりは、徹底的に構造的な原因解明をしなければ、必ずまた出てきますよ、こういう問題は。だから短兵急に歴代の社保庁長官の責任追及とか賠償などと騒がずに、司法取引ではないですが、賠償せいとは言わないかわり、本当のことを全部言え、といったほうが好いと思うのですが。 航空機事故の事故調査というのは、ヒトはエラーをする存在であるという前提で調査するので、原因究明の目的は責任を問うことではなく、エラーが再び起きないように構造解析をすることにあるようです(もし責任追及が目的になったら、間違いなく誰も本当のことを言わなくなるからです)。 罰して収まるというのであれば、問題は簡単なのですが、私はどうも社保庁だけを叩くだけ叩いて、溜飲を下げるというだけでは、物事は何も見えてこず、したがって歴史が新たに展開するということも期待できないと思うのですが。ここは悔しいですがやはり「罪は赦す、しかし本当のことを言え」、というのがより生産的なんじゃないかなあ。 もっとも今の騒ぎは国民のほうが、年金問題や財政問題にまともに向き合うのがイヤで、ウサ晴らしで騒いでいるのであれば、上のような話はもとより無いも同然ですね。ある種の誘導(ミスリード)を感じるというのは、こういうことなんです。この騒ぎで何か他に目くらましをされてないか、もう一度政府の周辺全体を見つめなおす目が必要なんじゃないですか。 でないと江戸末期の「ええじゃないか」ヒステリーと同じ意識レベルになってしまいますよ。そのレベルだとまたもや三度めの敗戦(二回めは90年代のバブル崩壊、敗戦後築いた財産をことごとく潰した)を早晩迎えそうな気がするのですが。
2007.06.25
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河瀬直美監督の「殯の森」で、ちょっと話題の「殯(もがり)」のことですが、これは古代日本で行われていた葬送儀礼で、隋書東夷伝・倭国には「貴人は三年外に殯し、庶人は日を卜(ぼく)してうずむ」(Wikipedia)とあり、本葬まで死者を長いあいだ屋内に安置した期間があったことが知れます。 一般的には、これは死者との別れを惜しみ、最終的な死を確認する期間と解されていますが(今日の通夜が、その名残りとされるゆえんです)、それにしても貴人は三年間お棺に安置したままとは随分長いですね。 しかしそれが実際に行われていたであろうことは、隋書東夷伝だけでなく「古事記」の神代に頻出する「ウジたかれ、サバエなす」死者の映像によっても明らかで、一説には貴人の場合、本葬のための墳墓の建設に時間を必要としたなどということが言われますが、やはり本質的なところでは「死と再生」の願望が根本にあったでしょう。三年という期間は別としても、年をまたいで復活を言祝いだであろうことは、イネを年ごとに言祝いで再生を祈念したことからも間違いなかっただろうと思われます。天皇の即位式が、毎年の収穫祭である「新嘗祭」を大規模化した一世一代の「大嘗祭」として執り行なわれることは、よく知られていますね。 「古事記」に現われる生々しい死者の映像は、たんに古代では腐乱した状態の死者が野山に放置されて、それにまみえる機会が多かったであろうということとは別に、こうした殯のときの映像の記憶を強く残しているのは間違いないところで、このあたりこの神話が古代の祭式に強く刻印されていることは、よく指摘されるところです。 これは何も神話が祭式の引き写しであるということを言っているのではなく、お互いがこだましあいながら、別々の展開をみせていったと見るべきで、だからこそ「古事記」神代の物語を、時系列や大陸との交渉史などに当てはめて、単純に論じるのは危険なのです(私はむしろなぜ「古事記」が、古代律令制の制定時に編まれねばならなかったのか、ということのほうに興味があります。これについては前に天武天皇のことで触れたことがあります)。 「古事記」が編まれた時代というのは、すでに漢字や暦年、律令制、仏教といった大陸文化が、ひろく大和平野に浸透していた時代で、「古事記」の中味がそのまま古代日本の記憶であると、単純に信じるわけにはいきません。ことがらは重層的で、腑分けして何がもともとの記憶として残されているのかということを分析するためには、あるいは社会人類学や生命工学の知識の支援も必要かもしれず、まだまだハッキリしないことが多いのです(人文系の知識は科学系と違って、ハッキリ結論が出るということはあまり期待しないほうが好いみたいですね。かといって止めてしまえというわけにはいきません。日本人の行動原理の根本を探り、それが人類一般の振るまいと、どのあたりでつながっているのかということ知ることは、やはり必要なのです。何だか偉そうな話になってしまいました)。 ― つづく ―
2007.06.21
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「生成と消失」あるいは「死と再生」の映像は、古代人にとっては地中から毎年生え出る作物や、季節の移り変わりとなって映じていたでしょう。しかしこれらは決して予定調和的に保証されたものではなく、ときに自然は恐るべき旱魃や飢饉をもたらしたでしょう。 それゆえに古代人にとって周囲の自然と何とか折り合いをつけ、振るい立たせて更新し、翌年も同じように収穫を得ることを祈念するというのは、集団の存立をかけた重大事でありました。祈念して折り合いをつけるのに成功すれば、翌年もふたたび収穫を得ることができたでしょう。この毎年同じようにイネやムギを収穫するという願いは、容易に「死と再生」は繰り返すという概念と結びつくものです。 集団とそれを取り囲む自然全体を支配する「魂」が、大地に依り憑いて作物を復活させるのと同様に、赤子は新たに誕生するのではなく、ヒトに依り憑いて再生するものでありました。赤子が親や祖父(祖母)に似ているのは、まさしく死者が「魂」と結びついて、再び生れ出たものと映ったでしょう。 「魂」は現在からはるか過去へ遠ざかっていくのではなく、毎回振るい起こして冥界から引っぱり出してくるもので、古代日本人の場合、それは海原の彼方からであったり、葦原の周囲の沼地であったり、急峻な山坂であったりしました。いずれにしても「魂」は、時間的にも地理的にも遠く離れた存在ではなく、周囲にあまねく存在し、しかるべき手順で大地やヒトに依り憑き、コメや赤子に化身するものでありました。 というわけで、古代人にとって「魂」とは、その集団をその周囲の自然も含めて、存立成らしめている何ものかであって、決して個体に独自の具有物ではありませんでした。これを一般にアニミズム(Animisum)と呼んだりして、近代西洋思想においては未開人の原始宗教のひとつと分類されたりしてきましたね。 しかし20世紀に入って人類学の進展や、何よりも2つの世界大戦による西欧思想の危機感から、これら原始宗教は再度見なおされ、神話学や社会学(あるいは動物行動学や生命工学までも)とも結びついて、新たな段階に至っているように思えます。 しかし宗教の分類や構造分析など、とても私の手に負える代物ではないので、これ以上は話しません。要は古代人にとって周囲の自然や、命の誕生はどのように映っていたのか、ということを多少でも頭を更地にして考えてみたかったのです。 さて、周囲をあまねく取り囲む「魂」は、同時に時間を越えて、今に示現する祖霊の存在を感じさせたでしょう。祖霊というといっぱんに祖霊信仰として、死者を一定期間殯(もがり)=通夜にして本葬したあと、さらに長い供養の期間をすぎてのち、生前の個性を失った「祖霊」として祀って行く信仰で、日本では今に至るも、お盆やお彼岸などで広く見られる信仰形態です。 しかし私に言わせると、これは暦年と系譜が誕生し、時間が過去から未来へと一方向に動き出した歴史時代以降に、あとから出てきた一種の祖先崇拝で、私のいう古代人の世界での祖霊というのは、遠い過去の霊ではなく、今そこにある集団をその周囲の自然ともども、存在成らしめている大いなる「魂」=大御霊(おおみたま)として捉えていたのではないかということです。 神話の特色は歴史物語と違って、常にそれが今示現して目の前に現われるように語られることで、前にも話しましたが、日本神話にしても旧約聖書にしても「神代」や「創世記」の中を流れる時間は、歴史の果てに存在する過去ではなく、別の宇宙を構成していて、その後につづく暦年人代史全体を包み込むように存在することです。 というわけで、旧約聖書ならアブラハムあたりから、古事記なら神武東征ぐらいから、暦年と系譜によって語られるぶん、かえって古く感じられるのは、そこを支配する時間が神話から歴史へ変換されているからです。 ― つづく ―
2007.06.19
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美女の世界標準!? 森理世さんがミス・ユニバースに選ばれて、またまた日本女性の元気さが喧伝される今日この頃ですが、正直言いまして今どきの美女の世界標準なるものは、私にはちっとも本当の美女の基準になっていないのではないかというのが本音です。誤解を覚悟で言うならば、ミス・ユニバースにおける美の世界標準とは、真の美の標準ではなくて、American Show Bizの美の基準であって、選ぶほうも選ばれるほうも、どうやらその前提で行動しているみたいですね。 ひらたく言えば、プレイメイツやハリウッドのセックスシンボルに代表される、知性のかけらもないセクシーさこそ世界最高の美女と思ってる(あるいは思い込まされている)アメリカの男=オスの標準に媚びながらも、それと差別化するための言い分けのようにして、気の利いた会話や語学力、あるいは社会貢献活動のようなことが加味される(これが女性差別論者の反発を回避するための方便であることは、少し考えればすぐ分かることですが)。本音は彼女たちのその後の活動を見ればすぐ分かる。 要するに参加する美女たちも含めて、商業的女性美の登竜門のひとつとして存在するので、それ以下でも以上でもない。世に打って出たい女性(及びその周囲の人々)にとっては、こういうイベントがいろいろあるに越したことはないのです。 だからあまりマジメに、こんなことにいちいち憤慨するのはバカらしいのですが(アメリカのごく標準的な男性諸氏があんまり相手にしていないと願うばかりですが、それに変わる美的標準が彼の国にはないのかなあ)、困ったことは日本には今だに世界一の美女という世界標準なるものが、この世にあると信じ込んでいる人たちがいることで、だから久しぶりの世界一などというバカなコメントが出てくるのです。 それにしても今回のミス・ユニバース、大半の日本人が森理世さんが世界一美しいと言われても、ほとんど戸惑うばかりで、世界標準とはこんなものかと実は内心で思っているにもかかわらず、何となく従っている(振りをする)。これは日本人の悪いクセです。 こういう行動様式は環境問題その他の世界会議や、商業捕鯨に関する交渉ごとでも出てくる日本人の「あいまいな賛同」という一番悪い振るまい様式で、「外ではこう言ったが、実はこう思う」というのはDubule Standerd(二枚舌)と見なされて、最も不信をまねく。 だから!と力むわけではありませんが、誰か一人くらいあのメークは醜いとか、ひどい英語力とか言う人があってもよさそうなのですが、そこは勝てば官軍、分けのわからない権威に骨抜きにされて、騒ぐマスコミにワル乗りして早くも広告の依頼が殺到しているとか。これが世界標準と言うなら、私は倖田來未さんや菊地凛子さんのほうが、はるかに知性も主張もあって美しいと思うのですが。彼女たちのメークやファッションには、他の誰でもない自分の主張があるのです。 いずれにしてもAmerican Show Biz=世界標準のレベルの低さについて、我々は相当心してかかるべきで、これはそうしたShow Bizを支持する標準的な世界の知的レベルの程度も表わしていることを知っておく必要がありそうです。 ちなみにこれは森理世さんを批判した話ではありません。彼女はプロですから、そうした今どきの世界標準に対する完璧な戦略で成功したので、その部分に関しては彼女は偉い。ただし彼女を通して立ち現れた、典型的な今どきの世界標準なるものが、いかにも偏頗(ヘンパ)でハッキリ言えば醜いと思ったので、こんなことを書いてしまいました。 それじゃあ、おまえの美の基準は何なんや!と凄まれそうですが、それはまた別の機会ということで。 ― つづく ―
2007.06.17
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さて「ものごとの生成と消失」という推移を、古代人はどう理解しようとしたか、あるいはどう折り合いをつけようとしたのでしょうか。科学的知識を持たないぶん、彼らはこれらの事実に今よりもはるかに具体的に向きあわなければならなかったでしょう。 その向きあう中味とは、彼らを取り巻く周辺の過酷な自然であったり、母体の胎内から生まれ出る赤子であったり、腐乱して朽ちていく死者であったり、常に具体的な事像であったわけで、もちろん本やパソコンから知識を得て解決するというわけにはいきませんでした。彼らは日々向きあうこうした自然の「生成と消失」に敏感にならざるを得ず、時に森の闇から漏れる獣の足音や風の音に戦慄し、時には土から立ち上がる稲の穂に歓喜したでしょう。 これらと折り合いをつけて、なし得るならば収穫を維持できて、いつまでも生存したいというのは、誰しも願うことで、その解決策として現れたのがカミでした。宗教の発生にはさまざまな説がありますが、人智を越えたすべてのものに畏怖を感じるとともに、それとうまく付き合っていくというのは、種族を維持していくうえで、絶対要請なものとしてあったでしょう。 もちろん時代を経るにしたがって、人間の社会の知識は少しづつでも蓄積し伝承されていったわけですが、逆に考えれば、知識を伝承したり、カミと折り合いをつけることのできた種族だけが、今に残っているのかも知れず、かつて数種類は存在した人類の仲間は、われわれ一種類を残してすべて滅んでしまいました。ひょっとするとネアンデルタール人は宗教を持たなかったのかも知れません。 してみれば今にいたる人間というのは、少なからず宗教的特質を持った種族であるのかもしれず、少なくとも他の生き物で宗教的振るまいを示すものは、イルカやサルといえどもいないのです。(今のところ?あるいは彼らの行為の中に人智のまだ及ばない振るまいがあるかもしれません。死んでミイラ化した子供を抱いて離さない母ザルや、娘の骨を取り囲む母ゾウの振るまいは、あるいは現存する生き物たちに共通する生存因子なのかもしれないのです) まあそれはさておき、古代人が見た子供とはいったいどういう存在だったのでしょうか。私たちは遺伝学の知識でもって、ごく自然にわが子が自分に似ている、あるいは相方(奥さん?ダンナ?)に似ていることを何とも思いませんが、古代人にとってわが子とは祖先の再来だったかもしれないのです。祖先という言いかたは、今ではことがらを過去から未来へと流れる時間にとらえる恐れがあるので、あえて言い直せば古代人の周囲をあまねく取り巻く人智を越えた自然(Mana)の化身したもの、あるいは死者の生まれ変わりととらえていたでしょう。 これは古代人の周辺を想定すれば、それほど現代人にとっても想像不可能ではなさそうで、死者は腐乱して土に返るのに、新たに生まれてくる赤子は、明らかに親や祖父(祖母)に似ている、であるなら赤子はまったく新しい生というよりは親や祖父(祖母)も含めた、より大きな共通因子が化身したもの、つまり再生したものととらえるのはそう無理な想像ではなさそうです。この共通因子を古代人は「魂(たま)」と呼んだのでした。 古代エジプトのファラオのミイラは、ファラオ(現人神、人間ではない)の魂を呼び戻すための一種の衣装であるとも言え、また古代インドの輪廻転生思想も、魂は次々と肉体を借りる(人であったり虫であったり)ので、死者の腐乱した肉体は魂の抜け殻にすぎないという発想から出てきたとも考えられるのです。 こういう世界観では、現代人が考える時間とか、過去とか未来という概念はまったく意味を成さなくなります。 ― つづく ―
2007.06.16
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今どきの私たちは科学の知識でもって、「遺伝」と「遺伝子」という概念を当然の常識としてもっていて、疑いもしないわけですが、考えてみると、科学的な知識がない時代でも、生存生活から多少なりと離れた人間のなかには、自分たちが何であり、どこから来て、どこへ向かっているのか、ということを真剣に考える人たちがいたわけです。 前にもふれたことがありますが、今につながる人類史的な思想が生まれたのは、人間が狩猟採集生活から定置農耕生活へ移行し、さらに階級的分化をとげた紀元前6世紀前後といわれます。直接的な生産活動を行わず、単位部族集団の統率と維持をもっぱらとする階級で、それは王様であったり貴族であったり僧侶であったりしました。例えばインドのシャーキャムニ、中国の孔子、ギリシャのソクラテス、あるいはキリストの前身といわれるイザヤが現われた時期です。 このころ今日明日の生存のために動物に近い狩猟採集生活を続けていた集団が、農耕栽培による生存方法をみつけて定住し、長い期間をかけた定置農耕の発達で生産力が増し、余剰の人々を生み出します。大量の集団は生産者と非生産者ないし統率者に階層化し、それを根拠づける思想が求められていたのでした。シャーキャムニやソクラテスは偶然出てきたのではなくて、社会的欲求から現われたのです。彼らの周辺には数多くの哲学者やバラモンがいたことはよく知られていますね。 「遺伝学」というのは、ものごとを過去から未来へという一方向の「時間の流れ」を前提とした概念なので、近代科学というのは、この世のすべてが時間内存在であることを前提として成り立っています。子供は親の個体の遺伝子の半分を受け継いで行くというのは、そのほうが種の生命多様性が保たれて、遺伝子の生存にとっては有利だというのは前にもふれたことがあります。 ところで、科学的知識のなかった古代において「時間(ものごとの生成と消失)」というものが、どういうふうにとらえられていたのかということは、今どき理解するのはなかなかやっかいなのかもしれません。定置農耕が発達し余剰が生まれたといっても、自然の推移というのは人智を超えた力で、人間社会を脅かしているわけで(実は今でも)、古代にかぎらず人間は常に飢えと飢饉にさらされてきたのです。太陽と水の安定は定置農耕の基本要件で、古代人にとってこれらは所与のものではなく、そのつど獲得し更新されるべきものでありました。さらには個体としては避けがたい「死」というのは古代人にはどう映っていたのか、ということも大事な要件であったでしょう。 科学知識を持たない古代人が、こうした自然と人間との関係に折り合いをつけ、秩序だてるために現われたのが、神話であり死と再生の通過儀礼でした。 ― つづく ―
2007.06.15
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私事に半ば公事もからんで、長いこと書き込みを休んでいます。私のささやかな楽しみであるブログ日記は、書き続けることにほとんどの意味があるので、かつて私が自分のブログに課した三原則 1.自分にとって楽しい中味を書く 2.書くに値するものを書く 3.できるだけ出典は明らかにするというのは、書き続けている間の原則であって、こうして長いこと休んでしまうと、かえって書くのが億劫になってしまう、そういうことがあるのかということが、今回何となく分かったような気がします。こうして画面に向かっていても気が重いのです。 人にはリズムというのがあって、書くリズム、しゃべるリズム、仕事するリズムなどなど、さまざまに生起するのですが、ここ最近の私は明らかに生きる精気が減衰しているので、仕事が忙しいから(もちろんそれも少なからずありますが)書く暇がないというわけではありません。忙しいといえば去年のほうがもっと忙しかったので、むしろ問題は忙しさの中味みたいですね。 といってこれ以上しゃべると、わが若年寄への愚痴になってしまうので、このことについては書きません。 さて書きかけの項目も何件か放りっぱなしなのですが、それらをまとめるのは先にして(いったん放りっぱなしにすると、なかなか元に戻るのが難しいというのも、今回発見したことでした。書いていた時の気分や意図していた結論のようなものが、さっぱり思い出せないのです。)、またしても浮世離れした話ですが、言霊(コトダマ)のことです。 古い蔵書を探し出してきて、かつて読みっぱなしで気付かなかった事柄で、今になって何となく分かりかけたかなと、何となく興奮しているのが西郷信綱氏の「詩の発生」(未来社)の中の言霊論と、それに付随した「源氏物語」六条御安所(ろくじょうみやすんどころ)の「もののけ」論で、古代日本人にとって「心」と「魂」は別物だったという話です。 結論から云うと、古代人にとって「心」というのは心臓や脳みそや胃袋と同様、個人に付着した感覚をつかさどる臓器の一種のような捉え方で、したがってヒトが死ぬと当然「心」=感覚も死ぬ。ところが「魂」は個体とは別個に存在していて、つどつど個人の肉体や山や樹木に付着する、例の南洋諸島に見られるマナ(Mana)のような考え方をしていたのではないかと言うのですが、これは今ではほとんど見られなくなったとはいえ、祖先の魂を呼び起こす憑依(ひょうい)はかつてシャーマニズムのような儀式などで世界各地に見られたものでした。 「源氏物語」の作者はもちろんすでに「古事記」の時代の人ではなく、平安朝最盛期の都人であったわけですが、この嫉妬深い六条御安所(ろくじょうみやすんどころ)の生霊(いきすだま)が、源氏の一夜のお相手の夕顔に依り憑いてたちまち呪い殺す、あるいは源氏の正妻である身重の葵上(あおいのうえ)に依り憑いて、これまた呪い殺す、はたまた死んだ後も死霊(しすだま)となって、源氏最愛の紫上(むらさきのうえ)に依り憑いて病に伏せさせる、といったぐあいに「源氏物語」五十四帖全篇を負の通奏低音のようにふわふわと飛び回っているのです。 ともすれば、「竹取物語」や「今昔物語」のような、いまどきの人間にはちょっと荒唐無稽になりかねない遊離魂のテーマなのに、紫式部の手にかかると現代の心理分析家が描いた神話劇のように(ワーグナーやトールキンみたいに)心理的妥当性の裏付けが周到に用意されているので、とりあえず物語に引き込まれざるを得ない。 これは平安時代にまだ遊離魂が信じられていたということとは別に、それを客観的に見つめる紫式部の目というものを強く感じさせます。科学的思考というものが存在しなかった1000年前の平安京であっても、論理的な思考態度や情緒の客観的な分析が可能であったことを知るだけでも、式部の天才(ひょっとすると世界に冠たる)に感じ入るほか無いのですが、残念ながら今の私にはそれを原文で読みこなす力はありません。 というわけで、ろくに読んでいない「源氏物語」の中味については、世に数多ある解説書や批評あるいは現代語訳で享受してもらうとして、ここで取り上げるのは先にも触れた古代人の「魂」の捉え方、あるいは時間感覚のようなことです。 ― つづく ―
2007.06.12
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