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バンクーバーオリンピックの女子フィギュアスケート、これは、浅田真央選手が実質1位である。国家ぐるみで、裏で手を回して獲った金メダルなぞ、例え1番でも、意味はない。全てにおいてアンフェアで、我が国を競技結果以外の記事で落とし入れ、因縁を吹っかけるヤクザ国家。それが如実に表れた、このフィギュアの結果だろう。だいたい、審査員に朝鮮人が2人いるというのが、どう考えてたって、おかしい。何故に日本人が入っていないのかというより、朝鮮人がフェアに審査できる人種か判断できないのだろうか?そう考えると、どうやったって裏でいくらか包んで、IOCに手を回したとしか考えられない。キム・ヨナ選手が下手だとは言わないし、努力してないとも言わない。確かに稀有な才能の選手だと思うし、韓国にとっちゃ、国のシンボルみたいなもんだし。しかし、あの点差は、公平な審査によって弾き出された点数だとは、どう考えても全く思えない。あからさまな贔屓であろう。誰も、2番だからって責める人はいやしない。今回に関しては、実質1番みたいなものなんだから。それにしてもキム・ヨナ…。料簡の悪さが顔に出てて、インタビューでの浅田選手に対して、上からの物言いが、非常に腹立たしかった。目つきに何となく、朝青龍に近いものを感じたし(笑)、あのままじゃ、完全につけ上がって、品格も知性もスポーツマン精神のかけらもない、相当ひん曲がった人間になりそうで、ますます嫌だ(笑)。まあ朝鮮人だから、元々ひん曲がってるか、料簡は。それにしても、儒教の教えってアンフェアなのかね?朝鮮半島の今日の繁栄は、我が日本国のおかげだって知ってて「反日教育」してんのかね?困ったもんだ。とにかく、浅田選手、お疲れさまでした!
2010年02月26日
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「誕生日 冥土の旅の 三里塚」今日で、またひとつ、歳をとってしまった。まあ、この1年も健康で過ごせたから良いのだが、この歳(30代)になると、だんだん、何となく恥ずかしいやら、みっともないやらで、他人様に言えなくなってきた(笑)。しかし、世間はオリンピックで盛り上がっているが、日本勢はイマイチ。スノーボードのあのバカだって、大口叩いて8位じゃね…。「腰パン」(だっけ?)が悪い、という訳ではなく、空気が読めないというか、状況判断が出来ないというタイプのバカだったみたい。記者会見もああだし。もっとも、スノボーの試合は偶然見ていたのだが、選手全員腰パンだった(笑)。スノボーをする上では、あれが正式なユニフォーム…というか、ああいう形状でないと、おそらく危なくて滑れないのかもしれない。だから、腰パンを悪いとは言わないが、日の丸を背負って「お国のために」という姿勢がゼロなのが、ケチョンケチョンに叩かれる要因だったんだろう。もっとも、成田空港にあの格好で来た時点で、連盟のお偉方が陰に呼んで、注意を促すべきだったんじゃ?と私は思ったけど…。まあ、ああいうバカは、死ぬまで反省しないだろうな。反省するとき(あるいは考え方が変わるとき)は、例え話だが、それこそスノボー中に大怪我して、全身麻痺とかになって、体が動かせなくなったときくらいではなかろうか?…まあ、そこまで叩く事もないけども(笑)。そんなことより、「藤田まことさん急死」のニュースは、玉置先生の訃報のショックが冷めぬうちに、私の頭をまたぶっ叩いた。「俺のあんかけの時次郎が!」「俺の中村主水が!」「俺の音やんが!」「俺の安浦刑事が!」「俺の秋山小兵衛が!」…と嘆き悲しみ、天を仰いだファンは、日本全国に数多くおられることだろう。勿論私もその1人。私は「剣客商売」の大ファンなので、もう2度と秋山小兵衛が観られない…と思うと、気が狂いそうな悲しみに襲われる。どのドラマでも、重厚な演技からコミカルな演技まで、幅の広さと親しみやすさで、様々なドラマファンを楽しませてくれた功労者だと思う。生まれは東京だが、本拠地は大阪だったので、標準語と大阪弁が両方使える、というのも、役者として大きな武器だっただろう。確か、標準語と大阪弁を完璧に使いこなせたのは、森繁先生とまこやんだけだったはずだ。勿論、出はコメディアンだから、歌やコントも完璧で、たまにバラエティー番組に出てきて、はじける姿がまた素晴らしかった。喜劇人の中でも、歌の上手さはピカイチだったから、地声でフランク永井なんかの歌を歌うだけでなく、東海林太郎、ディック・ミネといった先輩歌手の物真似をやっていたのも、テレビで見た事がある。…とにかく、本当に大きな財産を失った。これで私の「テレビドラマを観る頻度」が、ガクッと落ちることだろう。テレビが、またダメになった。藤田まことさんのご冥福を、心よりお祈り致します。
2010年02月22日
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今年に入って、これが2回目のブログ更新(苦笑)。実は年明け早々、私の職場で大問題が発生し(それも人間関係のトラブル)、それの対応に四苦八苦。私は関係なかったのだが、こういうトラブルになるとあちこちで相談を受けたりすることが多くてね…。その上、昨年末から何となく体調が優れないところがあったので、ここが完全にほったらかしになっていた。2月も半ばになり、そろそろいい加減書かなくては…と思っていたところだった。…そこへ、この、あまりに悲しい衝撃的な訃報。森繁先生以降、なぜにみんな、私が心から憧れたり尊敬してた人が、次々とあの世へ旅立ってしまうのか。大きなショックはここ最近、立て続けに受けていたが、今回のショックが、下手すると一番大きい。森繁先生みたいな大往生じゃないし、何てったって直にお話させて頂いたことが数回ある方だからだ。日本一の名司会・玉置宏先生。この先生がいなかったら、今、私はここにいない。「それなら、お前はどこにいるんだ?」と聞かれたら、それはそれで返答に困るけど(笑)。思えば私は、小学校4年生のときから昭和の歌謡曲(戦前~昭和30年代)の大ファンになり、数多くのテレビ番組を録画したり、レコード盤を買い漁り続け、早、今年で22年目になる。大ファンになったキッカケは、勿論テレビの歌謡番組。その司会をされていたのが、玉置先生だった。様々な曲のイントロに乗せて、心地よい名調子を聴かせてくれて、観客やテレビの前の人を、鮮やかに「歌を聴く姿勢」に導いてくれた。私は玉置先生に憧れ、小学校5年生のとき、クラスの「お楽しみ会」で初めて司会をしたほどだ(笑)。中学2年生に進級したその日の晩、テレビ東京で「昭和歌謡大全集」の第1弾が放送され、ますます私は昭和の歌にのめりこんでいったのだった。つまるところ、歌謡曲が好きになったその日から、いつもテレビの中には玉置先生がいたのだ。…この後の話は、完全に自慢話になってしまうが、どうかご容赦戴きたい。今から7年ほど前だが、ひょんなことから噺家の柳亭市馬師匠と知り合いになり、その縁で玉置先生に池袋の東京芸術劇場の楽屋で、初めてお目にかかることができた。ほんの僅かな時間ではあったが、心から憧れていた玉置先生に、直で歌謡番組の裏話を伺うことが出来、涙が出るほど嬉しかった。そのとき「昭和歌謡大全集」のことも伺えたし、何より私と(歌謡曲関係の)友人たちのことを、驚きながらも楽屋に温かく迎え入れて頂けたのは、歌謡曲ファンとして、今でも私の勲章だ。そのあと、館長を務めていた「横浜にぎわい座」で談志師匠と春野百合子先生の二人会があったとき、帰り道で会って「ああ、市馬さんのお友達の!」と覚えていて下さったことも、これまた感激だった。そのとき私は、白山雅一先生と一緒で、白山先生が「○○君(←私)、ついに談志と仲良くなったんだよ」と玉置先生に言い、玉置先生が「ああ、そう!そりゃあ良かった!」と、何故だか喜んでくださった。リップサービスだったのだろうけど、あの瞬間は心底「歌謡曲ファンで良かった、演芸ファンで良かった」と思えた瞬間だった。それだけに、玉置先生があのような形で一線を退き、このような形でこの世を去り、自らの手で「晩節を汚して」しまったのは、本当に残念でならない。NHKの「ラジオ名人寄席」の音源不正使用事件の顛末は、関係者サイドから詳しい話を聞いている。それを聞くと、どうやっても玉置先生を庇うことは出来なかった。不正だと分かってて、120本だか放送していたというのだから…。こんなこと言いたくないが、「放送人として一番やっちゃいけないこと」に近かった。ましてや横浜にぎわい座の館長という要職に就きながら、それをやったらダメだろう!ということだった。その責任を取って、「昭和歌謡大全集」は29弾で打ち止めになり、玉置先生は一線から身を引いた。もっともその前から、入れ歯が合わなくなったのか歯切れの良さがなくなって来たのも、ファンとして非常に心配だった。今月の2日、にぎわい座で市馬師匠の独演会があり、白山先生がゲスト。私は会社帰りに出かけたのだが、中入りのときに、ちょうど帰宅する玉置先生を、私は目撃している。とても老けてしまったな…という印象だった。あまりにもスッと帰られたので、先生に声をかけるタイミングを失ってしまったのが、今となっては本当に残念でならない。その2日後に先生は脳幹出血で倒れ、1週間後にとうとう天国に旅立ってしまわれた。ネット上では、上記の音源不正使用事件の件で一線から身を引いて、なおかつ体調を崩しがちになった…ということからだろうが、玉置先生を糾弾した落語関係の2人が槍玉に上げられていた。中には「あいつらが殺したんだ」みたいなことを書いている人も見受けられた。しかし、それはやっぱり間違っている。死者に鞭打つ訳ではないが、あれはどうやっても玉置先生が悪い。本当だったら「にぎわい座」の館長も辞めるべきだったのではないか?と思うほどのことだったのだから。でも、ほとぼりが冷めたら、例え歯切れが悪くとも、もう一度大晦日の「年忘れにっぽんの歌」の司会にカムバックしてもらいたかった。リズム音痴で、抑揚がなくて、ジャイアンツの事をいちいち話したがる現司会者とは比べものにならない、あの鮮やかな名調子を、もう一度でいい。聴きたかった。コロムビア・トップ師匠や玉置先生のような名調子の曲紹介は、もう2度と聴くことができないだろう。今の司会者は、はっきり言って、全員ヘタクソ。何だか知らないが、聴いててイライラするだけ。上にも書いたが、誰も観客や視聴者をスマートに「歌を聴く態勢」にさせてくれない。それは、曲紹介を「単なる歌の紹介」としか思っていないからだ。トップ師匠や玉置先生は「曲紹介」という名の「話芸」であり「名人芸」だった。玉置先生の曲紹介は、何というか、高級ベッドに揺られているような(??)、絶対的な心地よさと安心感があった。その語りは、もう2度と生で聴けない。玉置先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2010年02月14日
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