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私は2度(だったと思う)新宿末廣亭の高座で拝見しただけ。昔は落語を一席演ったあと、ノコギリ演奏だったと聞いてるが、私が見たときは「ノコギリ演奏オンリー」の高座だった。落語家として、ノコギリ演奏家として、そして演芸関係の音源・SP盤のコレクターとしても有名だった、落語芸術協会の至宝、都家歌六師匠が、3月31日に亡くなっていたという。享年87。死因は老衰だったそうな。元々は「田端の師匠」三代目桂三木助師の弟子。三木助師とは合わなかったらしく、三木助師没後に三遊亭圓遊一門になって、昭和44年に真打昇進された。-----------------------------------------------------------------------前回、ここでオカッパルのことを書いたが、芸協の寄席通いを頻繁にされていた人なら、『あこがれのハワイ航路』という歌、オカッパルの声より、歌六師匠のノコギリ音のメロディーでの記憶のほうが強いんじゃないかと思う(笑)。大阪の「横山ホットブラザーズ」もノコギリ演奏で有名だが、あちらはノコギリを”曲げながら叩いて”演奏するスタイル。片や歌六師匠は、ノコギリを”曲げながらヴァイオリンの弓で弾いて”演奏する形。だから「演奏」という意味では、歌六師のほうが、グレードとしては数段上だと思っている。…大阪のお笑いを見下すわけじゃないけどネ。あの「音が微妙~~にシャープしたり、フラットしたりしながら…でも何だか音が合っている」独特の音色(笑)が、私の耳に今でも残っている。なんか淡谷先生の声っぽいというか(笑)。淡谷先生は、別にシャープしたりフラットしたりしないけども、あの震える音質が、何となく淡谷先生の声を彷彿とさせた。------------------------------------------------------------------------明治~昭和初期の、演芸のSP盤復刻に関しての功績も大きい。私も復刻音源のLPを何枚か持っているが、名前しか知らない明治~大正の噺家の声が、ラッパ吹込ゆえの「何を言ってるのか聞き取れないレベルの録音の悪さ」があるにせよ、いま現在でも残っているのは、本当に素晴らしいことだと思う。膨大なコレクションも散逸してしまうのかなぁ…もしかしたら既に散逸してしまっているのかもしれないが…。もしまだだったなら、誰か一手に引き受ける大金持ちのSP盤蒐集家に出てきていただきたいものだ。------------------------------------------------------------------------落語や漫才は、後継がたくさんいるからいいが、こういう一藝の藝人さんが亡くなると、藝ごとあの世に持って行ってしまうからホントに堪らない。大事な寄席の藝種だったんだけどねぇ…勿体ないし残念だ。都家歌六師匠のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2018年04月27日
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今日の『笑点』の前半コーナーは、5月1日から真打になる3人の真打昇進披露口上。新真打は桂夏丸・神田蘭・三遊亭好の助の3人。司会は昇太師匠で、小遊三・好楽の両師匠が並んでいた。フリでも何でもなく、夏丸さんに「歌うんじゃねえぞ!」と私はテレビの前で念を送ってたのだが、その願いは…簡単に打ち砕かれた(苦笑)。「伍代夏子」の小噺(というほどでもないが)も、私は前からテイトの楽屋とかで「あれはあんまり言わないほうが…」って言ってたんだが…。よくやったよ、あの空気の中で!!好の助さんの挨拶の後、昇太師が「何かあったんでしょう…」と呟いたのには、もう笑い転げた(笑)。まあ何度でも言うが、あの騒動に関しては、海老名家は何にも悪くない。好の助さんも悪くない。これは、好楽師にほぼ100%非がある。それだけヨ。-----------------------------------------------------------------------さて、今日はもうひとつ、驚きのニュースが入ってきた。この話、前々から薄々聞いてはいたけども、いざ本当となると実に感慨深いものがある。落協の爆笑王の一人・三遊亭歌之介師匠が、来年3月下席から「四代目・三遊亭圓歌」を襲名することが発表された。「『山のアナ』の圓歌」の次は「鹿児島の圓歌」になるのね。とにかく「寄席の爆笑王」と言っていい1人の歌之介師匠。目の前にいる人を、何が何でも笑わせる…というスタイルを、圓歌師匠から最も継いでいる1人といっていいだろう。「爆笑龍馬伝」「B型人間」などの地噺・漫談風のネタにおける爆笑度合は、ホントに生半可なもんじゃない。個人的には長嶋茂雄監督のネタと、森喜朗元総理のとこで、いつも涙ぁ流して笑い転げてしまう(笑)。古典では、だいぶ前に末廣亭のトリで「竹の水仙」を聞いたことがあるが、これも結構なもんだった。1年先の話だが、今から楽しみな襲名披露になりそうだ。詳しい話は、近いうちに司に聞いておこう(笑)。
2018年04月22日
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1日遅れの報告になってしまったが、昨夜は本当に大騒ぎ!クタクタのボロボロになったが、面白パーティーに列席でき、非常に充実した時間を過ごすことができた。久々に入った、東京は新宿副都心・京王プラザホテル。18時開宴だったが、私は17時キッカリにロビーに。こういうセレモニーは早めに行くのがコツなのよ。ギリギリで行くとすんごい混むから。ロビーに着くと、もうそこには既に井上新五郎正隆先生がおられた(笑)。まだ殆ど人はおらず、H君と座る場所を探していたら、主役の夏丸師匠が目の前を横切った(笑)。「おめでとうござンす!」と声をかけたら「あっ!どうも!今日、余興で歌うんで、これからリハ」だとさ(苦笑)。こういう大事なセレモニーでも、歌を歌うことっか考えてねえんだからさ…ホント困っちゃう(苦笑)。受付が始まっていたので、祝儀袋を手に向かおうとしたら、顔を存じ上げないご夫婦がお声をかけてこられた。誰かと思ったら…なんと夏丸師匠のご両親&妹さん!!これには驚いた。妹さんは以前、テイトの「夏丸演芸館」でお会いしたことあったので(非常に美人なんで)覚えていたが…。なので、井上さんと丁寧にご挨拶。お父さまもお母さまも、Twitterやブログなんかで、私の顔をご存知だったらしい…かなり恥ずかしいネ、これ(苦笑)。保田先生や読売の長井さん、各協会の噺家のお師匠さん方、夏丸追っかけ軍団など、いつもの面々が顔を揃えたところで開場時間。入口で幸丸・夏丸・紅・蘭・小遊三の各師匠方に、これまた丁寧にご挨拶。これが中に入った直後、入口から撮った写真。相当な広さの会場であることが分かる。…私が写真撮ってンのに、目の前を堂々と横切る我が師、保田先生(爆笑)。------------------------------------------------------------------------んでもって、18時になったら披露宴がスタート。これが、後方入口から新真打2人が入場してきて、登壇したところの写真。…なんか妙な新郎新婦という感じ(笑)。最初は小遊三副会長の挨拶。本来ならば、歌丸師の出番だが、体調が優れないので代打…ということだろう。----------------------------------------------------------------------その次は来賓スピーチ。落語協会会長、柳亭市馬師匠!歌と演芸と相撲をこよなく愛する夏丸さんの、直の先輩みたいな人だもの(笑)。私も2009年以来(原因不明の)絶縁状態が続いていて、2012年以降は全く会ってもいなかったが、昨日…ホント6年ぶりくらい??に、久々に喋った。なんとな~く…というよりゃ、相当ギクシャクした感は否めなかったけどね、向こうもこっちも。昔のような、懐メロ仲間の関係に戻るこたぁ、100%無理だぁね…。余談だが、市馬師がいた落語協会テーブル、居並ぶ面々の物凄さに恐れおののいた。金馬・木久扇・小満ん・圓丈・小里ん・馬生だもの!豪華すぎでしょ(笑)!その隣の落語協会テーブルが、歌る多・吉窓・小せん…そして末席に林家たけ平師匠(笑)。他にも昇太師・圓楽師の『笑点』メンバーもおられたし、萬橘師匠に挨拶もした。お手伝いをしてる二つ目さんも、友人・知人大集合(勿論、真紅さんもいるし)だったから本当に疲れた。------------------------------------------------------------------------話を元に戻す。そして浅草演芸ホール社長挨拶~鏡開き~乾杯の音頭と続き、中締めの挨拶が、まあビックリ!大正14年生まれ!大重鎮であり、夏丸さんの大師匠でもある桂米丸師匠!御年93歳!まあ元気元気!全く淀みない喋りと頭脳明晰さは、衰え知らずといっていいだろう。これだけ白ジャケットが似合うのは、灰田勝彦か米丸師だ…と隣席の友人は言っていた。その通りだと思う。------------------------------------------------------------------------その後は、放送作家の和田尚久さんのスピーチ、元フジのアナウンサーだった花田景子さんの挨拶(当初の予定では旦那の貴乃花親方が来る予定だったらしい!)などが続き、余興では新真打2人が歌いまくるという…なんだかカオスな披露宴であった(笑)。新真打って、頭ぁ下げてるだけかと思ってたんで…。私は今回、初めて「落語芸術協会」の真打披露パーティーに行かせてもらったのだが、やっぱりパーティー会場の空気も、落語協会とは全然違うんだな…ということに驚いた。-----------------------------------------------------------------------夏丸さんも、これで第一段階が一段落(?)というとこに来たんだと思う。5月1日からの披露目が、桂夏丸師匠のスタートになるわけで、ここを身体を壊さずに乗り越えていかなきゃならんわね!夏丸師匠・蘭先生!改めておめでとうございます!
2018年04月15日
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「狂気」を含んだ魂と眼と持った、最後の藝人だったと思う。「破天荒な生き方」というところで「東の談志・西の可朝」と言う人もいるが…。談志家元は、作為的に「狂気」を無理して自己演出してたという感じだったが、可朝師匠は…全く自己演出がなかったとは言わないが、なんか「持って生まれたもんが狂気を含んでる」感じがあった。噺家として、タレントとして、あるときはギャンブラーとして、あるときは犯罪者として(苦笑)、本当~に波乱万丈の生涯を送られた月亭可朝師匠が、3月28日に亡くなっていたという。急性肺線維症が死因とのこと。享年80。あれだけ(良きにつけ悪しきにつけ)破天荒で、何をするにも目立っていた人なのに、静かにひっそりと旅立たれたってのが意外な感じを受けた。2月号の『東京かわら版』の巻頭インタビューが可朝師だったが、随分と風貌が変わってしまい「歳ィとったな…」とは思ってたが、亡くなるほど体調が悪いとは思ってなかった。だから訃報を聞いて結構驚いたのが、正直なとこ。-----------------------------------------------------------------------私は二度だけだが、生の高座を見ている。今となっては、本当に財産だし、いいものを見られたという思いでいっぱいだ。その生で見た二度の高座とも、作家で演芸評論家の吉川潮氏が関わっていたのは、何かの因縁かねェ(笑)?一度目は新宿末廣亭の3月余一会、吉例だった「三派連合落語サミット」のとき。何年前だか失念してしまった(苦笑)。少なくとも、10年は経っているかと思うが…。確か、昼の部に市馬師匠が出てて、私は夜になったら帰ろうと思っていた。そしたら市馬師に「ダメだ!絶対に夜の部もいろ!可朝師匠を末廣亭で見られるなんて、もう滅多にないチャンスなんだから!」と言われたのだ。…今となっては大正解(笑)。あれを逃したらエラく後悔するところだったろう。市馬師の言うことを聞いといてよかったヨ。可朝師は夜の部の中入の出番。そしたら『ゲイシャ・ワルツ』の出囃子で、扇子広げて、踊りながら高座に上がってきた(笑)。カンカン帽にメガネ、口ひげ。そして粋な着こなしの和服姿。…どう見たって、マトモな人じゃない(笑)。座布団に座ってからが、またスゴイ!饒舌なのかと思ったら、これがあんまり喋らないのだ。「いや…もうね…ホンマに…ホンマですわ」みたいなことを延々言い続けて、10分ほどでサラッと『秘伝書』(東京で言う『夜店風景』)演って降りちゃった…(笑)。そのエンディングで、その日の出演者で楽屋に残っていた人が出てきた際、もう一度出てきて『嘆きのボイン』を、ひとっ節歌われて、客席がヤンヤの大喝采になったのは覚えている。--------------------------------------------------------------------------もう一度は、2012年5月26日。こっちは明確に覚えている。浅草木馬亭での「川柳川柳・月亭可朝二人会」!この直前、何かの落語会で日本橋劇場に行ったとき、客席で吉川先生に会ったら「こういう会があるんだけど、来ない?」と誘われたのだ。タダでチケットもらって(笑)。この会は凄かった!ちゃんとギター抱えて『嘆きのボイン』も歌ったし、米朝師の高弟として本寸法の「住吉駕籠」も演った。これに物凄く感動したのが印象に残っている。川柳師、吉川先生と3人での鼎談でのギャンブル話(ここには書けないレベルの話!)も物凄かったなぁ…。--------------------------------------------------------------------------昨今はコンプライアンスだの何だのがあって、結構好き勝手に生きることは禁止されている状況に等しい。どう考えたって、清廉潔白に生きてなさそうな輩が、有名人が浮気だの何だのする度に、匿名をいいことに”自らに火の粉はかからない集団イジメ”をネット上で展開しているわけで。可朝師の死去により、「こういう生き方が許される藝人」は絶滅したということになるだろう。…可朝師が、関西で許されてたかどうか知らんがネ(笑)。浮気に賭博にストーカー。選挙に出た際の公約は「一夫多妻」「銭湯の男女の仕切りをなくす」(笑)。それが月亭可朝!もう…ちょっと、真似しようったって無理でしょ、これ(笑)。また日本の演芸界が少し寂しくなり、凄くつまらなくなった。月亭可朝師のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2018年04月11日
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本日4月7日(土)の、読売新聞夕刊の文化面に「セーラー服女性洋装化に寄与」という特集記事が載っている。いま、女子中高生が普通に制服として着ているセーラー服。それまでは、矢羽の着物に袴…という『はいからさんが通る』みたいな制服が主流だった中、セーラー服を「女学生の制服」として、初めて採用した学校が判明した…という内容ね。今までは、福岡県にある「福岡女学院」が起源だという説が一般的だったそうなのだが、名古屋市にある「金城女学校」(現・金城学院)が福岡女学院より3か月早く、セーラー服を制服に制定したのが最初…ということが分かったそうな。大正10年(1921年)9月のことだという。このことを発見し、論文を書いたのが、日本大学の准教授(日本史学)であり、服制の歴史…というか、幕末~明治の和装→洋装への転換期の様々(合ってるのか?これで)を研究されている、刑部(おさかべ)芳則氏。恐ろしく硬い口調で紹介したけども、この刑部准教授こそ、私が長を務める「懐メロマニアグループ」の副会長であり、私の親友である!ええ!?どうだ!凄いだろ!この「虎の威を借る狐」状態!!…『ドラえもん』のスネ夫か、私ゃ(苦笑)。このブログで「私の懐メロ仲間のOさん」というイニシャルが、何回か出てきたのを覚えておいでの方もいるかもしれないが、このOさんこそ、何を隠そう刑部准教授!友人になって15年たつが、ここまで刑部さんが偉くなるとは思わなんだ。年がら年中会って、メシ食べている間柄の人が、手の届かないところへ行きそうな、変な不安すら感じる(笑)。----------------------------------------------------------------------世間の人には、本当~~にどうでもいい話だが、ウチの懐メロマニアグループの主要メンバーというのを、ざっと紹介する。名誉会長が、東海林太郎歌謡芸術保存会の会員で、浜松生まれでいま現在は大阪にいる、サラリーマンのYさん。Yさん当人は、よく自己紹介で「不名誉会長です」とか、ワケわからないことを言ってるが。んでもって、会長が私。そして、副会長が刑部准教授と、年中このブログでイニシャルが出てきてる(笑)Iさん。Yさん・私・刑部准教授・Iさんが…いわばウチのグループの「四天王」ってことになる(自分で言うな!という話だが)。この4人の共通項は…もう大半の方はお気づきだろうが、テレ東『なつかしの歌声』でつながっている友情関係である(笑)。ほかに『歌で綴る』のチラシを作ってくれている、私の右腕のH君がいて、あとは東京・神奈川に1人ずつ、千葉県に2人、石川県に1人、愛知県に2人、大阪に1人、兵庫県に1人…と主要メンバーがいる。この方々とも『なつかしの歌声』でつながっている関係ネ(笑)。SP盤時代の歌を愛好していながら、SPコレクターをやってる人間が少ない(笑)。代わりに全員『なつかしの歌声』のことになると、我を忘れて狂ったように喋りだす人ばっかしよ(爆笑)。だから、我々の集まりというのは、まあ…奇人・変人の集合体になってしまうところもある。…ホントの変人は呼ばないけどね(苦笑)。我々は、夏と年末(まれに正月)に、地方の人も含めて一堂に集まって大宴会をやったりしているが…これがまたカオス。カラオケ屋を貸しきって、私とYさんでトップ・ライトの司会を再現し、歌うマイクぁSONYのC38!OPは『なつかしの歌声のテーマ』を合唱して、フィナーレは『東京音頭』の合唱!これが集まりの決まり(苦笑)。かつては、声帯模写の白山雅一先生、『なつかしの歌声』で毎週指揮をされていた水谷良一先生なんかも遊びにきていただいた。カラオケ大会とは別に、『なつかしの歌声』の貴重映像や音源を内々で見る会というのもあり、これのほうがカラオケで歌うより盛り上がるわね(笑)。-------------------------------------------------------------------------まあ、刑部准教授のことと全然関係ない話になってしまったが、刑部准教授の着眼点というのは、大学行ってない私でも、本当にいいところに目をつけたなぁ…と思わずにはいられない。服制研究の第一人者として、これから、ますます”出世街道”を爆進していくことだろう。イヨッ!
2018年04月07日
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会社の昼休みにネットニュースを見ていたら、呆れた記事が載っていた。日本テレビの朝の情報番組『スッキリ』内で、写真の取り違えがあったそうな、今朝。例の「オフィス北野」の内紛のことを取り上げた際、軍団の面々の顔写真が並んでいたらしいのだが、グレート義太夫の写真が、今は亡きウガンダ・トラになっていたという…。おそらくスタッフが、ネットで画像を探したか何かで間違いが起きたんだとは思うが、何故なんだろう…(苦笑)。ウガンダの写真を、どこから引っ張ってきたのかも分からんが、本番前に誰も気がつかなかったというのが、不思議でならない。その程度の常識(って言葉で表していいのか分からないが)もない連中が、テレビ作ってるのだろうか??その話題で急な動きがあって、慌てて資料を作ってて間違えた…ってことは考えにくいネ。だって、ここ数日で急に盛り上がった話題なんだもの。情報番組なんだから、事前の資料収集はすると思うし、そのときに誰かしら気づけよ!って話だと思うんだが。-----------------------------------------------------------------------昨今のテレビ番組、テロップの誤字脱字は…緊急性の高いようなニュースなどで見かけることはある。これは、チェックの時間も少ないから、やむを得ないこともあろう。しかし、最近はあまりにも「芸能関係」での名前の表記ミスとか、顔写真の取り違えなどが、かなり目立つような気がしてならない。視聴者のほうが、すぐ間違いに気付くような、そういうレベルのミスが多いような感じを受ける。この言葉、若い世代に言っちゃいけないとは言うが「テメエら!そんなことも知らねえのか!」と言いたくなることばかりよ。勿論タレントもそうだ。でも、生まれた時代が違うんだから、昔の芸能のことを知らないのは仕方ない。それに対しては、怒れないし、絶対に怒っちゃいけない。でも、その言われた人物や…例えば映画とかを知らなかった…ということに対して「日本人として恥ずかしい」という意識を持たない奴ぁ、私はイヤだ。----------------------------------------------------------------------以前、有吉弘行がフジ『正直さんぽ』で…街はどこだったか失念したが…繁華街の真ん中にあるお寺(だったと思う)に入ったとき、そこの住職が確か元作曲家で、水原弘に楽曲を提供したことがある人だったことがある。そのときの、有吉の返しが素晴らしかった!その住職に「水原弘さんって…お名前しか知らないんですが、確か1回目のレコード大賞をお獲りになった方ですよね?」と言ったのだ!これが、テレビに携わる人間として(表方・裏方関係なく)「正しい普通の」受け答えであろう!周りにいた生野アナとゲストは「有吉さん、すご~い!」とか何とか言ってたが、有吉は(芸能に携わる人間として)普通の返しをしただけだ。有吉は、たぶんおミズの歌も知らないだろうし、酒のせいで若くて死んだこととかも知らないだろう。恐らく、どこかで名前を聞いてて、それが頭の片隅に入っていたから、咄嗟にああいう返しができたのだろう。これが正しいのよ。おミズを知らなかった周囲がおかしいのだ。テレビの仕事に就いているのにもかかわらず!----------------------------------------------------------------------テレビに携わってる人は、国民からしたら”時間の無駄”以外の何物でもない「安倍内閣を退陣させるゲーム」を、ニュースとワイドショーで頻繁にやる暇があったら、もう少し”芸能IQ”を高める訓練をしたほうがいいんじゃないの?支那・朝鮮にゴマするだけの、左側に振り切れた売国思想で脳ミソのお花畑を埋めるよりゃ、俳優や歌手や芸人などの名を「広く浅く」頭に仕入れておくほうが、よっぽど役に立つと思うけどね。東海林太郎ファンになれとか、古今亭志ん生を理解しろとか、黒澤映画を全部見ろとか言うわけじゃないんだから(笑)。そういや、こないだテレ朝の朝の情報番組で、東進の林先生が「曽我兄弟」のことを話したら、スタジオ内のアナウンサーやコメンテーターが全員「曽我兄弟」を知らなくて、林先生が呆れて絶句してた…と母親が言っていた。私は見てなかったが。----------------------------------------------------------------------それにしても…なんでウガンダの写真だったんだろうか??ヒゲを生やしてて丸顔の人は、み~んな同じに見えるようなスタッフがいたのかね?まあ、これ以上怒っても仕方ない。次回は『なつかしの歌声』のことを、また書こうかな?
2018年04月04日
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『なつかしの歌声』の映像に固執することなく、開き直ってデレーッとした心持ち(笑)で見たら、結構面白く見られた。「歌謡特番」ではなく「歌をテーマにしたバラエティー」だと思って見たからよかった(笑)。これ、ギスギスした気持ちで見たら、テレビの前で大暴れするような中身だもの(苦笑)。もう『なつかしの歌声』のことを、ハナからキレイに忘れて見ないと…。ここ4~5日、体調崩してて最悪だったから、怒りモードに肉体を持っていきたくないってのもあって(笑)。難点を言えば、歌謡曲関係の秘蔵映像が大量にある局なのに(それをある程度調べたのは私だが)、他局からの借り物や、いわゆるPVが、やたらに挟まっていたこと。これは駄目。こういうとこ見ると、毎度しつこくこのブログで言ってるが、今のテレ東のスタッフが「自局の歌謡関係の映像の希少価値が全く解ってない」としか思えない。こういう特番は、テレ東の映像オンリーで構成しなきゃ、意味がないと思うんだが…。「『なつかしの歌声』『年忘れ大行進』を流せ!」と、今さら騒いだってバカバカしいだけだから言わないが、他局の映像やPV流すなら、『ヤンヤン歌うスタジオ』『演歌の花道』に、もっとヘンな演出の映像はあったんじゃないかと思う。---------------------------------------------------------------------ビックリした映像は少しあったが、いちばんは荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』が、昭和61年12月31日『第19回・年忘れにっぽんの歌』の映像だったこと!玉置先生の司会が、しっくり来てなくて面白かった。あれがトップ先生だったら、どんな司会をしたんだろう(笑)??「大ベテランの歌を期待している客」の前で、今をときめくアイドルが歌うというのは、相当キツかったんじゃないかと…私は思う(苦笑)。あの舞台、藤山先生『白鳥の歌』、市丸姐さん『天竜下れば』、ミネ御大『夜霧のブルース』、林伊佐緒先生『麗人草の歌』、バタヤン『玄海ブルース』などが歌われている。まだ大御所がこんなに出まくっているときだから…。昭和55年大晦日の『ダンシング・オールナイト』もそう(笑)。途中、客席が抜かれてたが、あんまり喜んでなかったもんね。藤山・淡谷・ミネ・市丸・伊藤・渡辺・霧島・灰田・二葉・林・田端が居並ぶ番組に、あの歌は不釣り合いだったろう…。----------------------------------------------------------------------もう、かつてのテレ東の歌謡特番を支えてきた、戦前~戦後のお歴々の名曲は「3秒どころか、全部聞いても分からない歌」になったのだろう。『青い山脈』も『あこがれのハワイ航路』も『お富さん』も出てこないんだもの。辛うじてひばり・三波・島倉の3人がいたけれど、春日・三橋ですらお呼びじゃないんだから…。『なつかしの歌声』にも、こういうバラエティでイジられることが可能な(?)ヘンな演出ってあったんだけどね。前にも書いた、昭和45年10月の「東海林太郎先生、収録中に泥酔しまくりトップ・ライトにカラむ」アレとか、昭和44年大晦日の「客席インタビューの異常な反応の薄さ」とか(笑)。後者なんか、いま見ても大笑いなんだけどねぇ…。そういう映像が出てこないというのは、もう人物が古すぎて分からない…という局の判断だろう。実に残念なことだ。
2018年04月01日
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