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全長3400m以下、全幅1480mm以下、全高2000mm以下、排気量660cc以下、定員 4名以下、貨物積載量350kg以下という日本独自の規格で存在している軽自動車。2017年度にはホンダ N-BOXが22万3449台を販売し、登録車を含む新車販売台数においてもナンバーワンになるほど売れに売れています。そんな軽自動車の存在を一目で見分けることができたのがナンバープレート。古くは1975年以前まで存在していた小型番号標(小板ナンバー)や、それ以降に制定された黄色のナンバー(事業用は黒字に黄文字)で認識することが容易でした。 そもそも、軽自動車が普通車と異なるナンバーだったのには訳があり、かつて車検が義務付けられていなかったり、16歳から取得できた軽自動車免許が存在していたりと、普通車でないことを一目で見分けることができるようにという配慮でした。 高速道路でも軽自動車は最高速度が80km/hまでだったことも最近までありましたね。もちろん、現在でも一部有料道路などでは軽自動車料金が設定されているため、遠目から見てもすぐに判別できるように目立つ黄色が採用された経緯もあるようです。 しかし、2017年2月13日受付開始、同年4月3日から順次交付となった2019年日本で開催されるラグビーワールドカップを記念した特別ナンバープレートや、2020年に開催される東京2020オリンピック・パラリンピックの記念ナンバープレートが出てからは様子が一変。 なんとこの図柄入りナンバープレートを申請すると、軽自動車でも白地に緑文字のナンバーが交付されることになったのです。 軽自動車ユーザーの中には新規登録以外にもわざわざ白いナンバーを付けるために変更手続きを取る人も多く、あっという間に白いナンバーを装着した軽自動車が増殖。これには軽自動車に乗っているというコンプレックスを感じている人の多さを表すことともなりました。 軽自動車とはいえ、総額で200万円を軽く超える車種もあり、装備的にも性能的にもコンパクトカーに劣るどころか大幅に上回るものを持っている車種が存在しているにもかかわらず、です。 これには本人の感じる部分とは別に、軽自動車だからと煽ったり、幅寄せしたりと悪質な運転をするドライバーが未だに存在することも影響しているのかもしれません。甚だ残念なことではありますが…。 また、これにより、全国の料金所などで軽自動車と普通車の判別がつきにくくなる事案も当然発生。多くの車種はETCを装着しているとはいえ、なかにはETCに対応していない有料道路も存在しているため、混乱が生じているようです。特にダイハツ ミラジーノとミラジーノ1000なんて、結構なマニアでも遠目で見たら判断できませんからね…(一応軽自動車は分類番号の2桁目が8になりますが)。【オートックワンから引用】 最近、軽自動車で白いナンバープレートをつけているのを見かける機会が増えました。これは、本文にもありましたようにラグビーW杯や東京五輪を記念したものだそうですけど、つけている人はそれらの記念ナンバープレートが欲しいというよりも、『軽四の黄色のナンバープレートがダサすぎる』という理由によるものなんでしょうね。 本文にもありましたが、今の軽四の黄色ナンバーは1975年に軽四の排気量が550ccになったことをきっかけにそれまでの白い小型のナンバープレートに代わって登場したもの。それ以前の360ccのときは白いナンバープレートだったのですが、小型車や普通車のそれと比べてふたまわりほど小さなもので、ナンバープレートの表記も例えば小型乗用車だったら『大阪55 さ 12-34』のような表記が、軽四乗用車なら『88大阪 さ 12-34』のような少し変わった表記になっていたんですよ。(軽四貨物車なら、88のところが66) 我が家のセカンドカーのワゴンRは、昨年購入する際には白いナンバープレートにすることなんて考えませんでした。妻曰く「軽自動車なんだし、黄色でいいじゃん」とのこと。でも、世の中はその黄色のナンバープレートが嫌な人もいるんですね。 車に詳しい人でなくても、車の大きさを見れば白いナンバープレートをつけていても、軽四かどうかの見分けはつくと思いますが、車に詳しくない人はわからないでしょうね。だから、ひき逃げや当て逃げがあった際に当該車が軽四だったか小型車・普通車だったかわかりづらいと思いますけど、その辺はどうなんだろうか。 あと、バスやタクシーといった営業車は本来は緑ナンバーなのですが、これにもラグビーW杯や東京五輪を記念したものがあるそうですけど、ここまでいくとやりすぎに思えてしまいます。白タクや白バスに見えてしまって、ある意味滑稽です。私は東京都内でみましたけど、なんのギャグなんだって思いましたよ。 それから、本文にはありませんでしたが、ご当地ナンバープレートとして絵入りのナンバープレートも発行されるとか。私の住む奈良県は、鹿の絵の入ったものだそうで・・・。ナンバープレートで何を遊んでいるんだろうって思います。絵入りなんかにすると、デザインによると逆に見えにくくなることもあるだろうし、私はとてもそんなナンバープレートをつけたくありません。ノーマルのもので十分、せいぜい私の好きな番号にしたいくらいかな。 ちなみに、私の車って希望ナンバーが採用されるまでは、ほぼ高い確率で「4」や「9」が入っていました。縁起を担ぐわけじゃないけど、個人的には避けたいと思っていたのに入っていましたね。希望ナンバーになってからは自分の好きな数字にしているので入っていませんが、希望ナンバーではないワゴンRには入っているなぁ・・・。 話を戻して、ナンバープレートはつけなければならないものだけど、元々の規定とかけ離れたことはしないでほしいんだけどなってね。ややこしくてかなわん・・・。
2018年06月05日
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私のデリカSWが先日22万キロを超えた話は、先日のブログでも触れました。ここ数年は故障がちですが、それでも欲しいクルマがないのでこのまま乗り続けたいのです。しかし、天井やフロント部分の塗装がかなり傷んできました。 天井は、このように元の紺色の艶はすっかりなくなり、クリアがとんでしまった状況です。このまま放置すると錆びてくるかも・・・。 フロント部分もこんな感じ。黒い塗装の部分と紺色の塗装の境目付近の塗装がヤレてきています。 向かって左側のヘッドライトの上部分には、サビコブになっています。 拡大するとこんな感じ。二箇所にサビコブがでています。 このため、天井部分とこのフロント部分を塗装するにはどの程度かかるかを見積もりを取ろうとしています。ディーラーでは絶対高いだろうし、セカンドカーのワゴンRを購入したモータースさんの話では20万円以上かかるとのこと。丁寧にしてもらえるのはありがたいけど、この先どの程度乗ることができるかわからないし、とりあえず「錆びなきゃいいや」っていうことで、なるべく安い価格でお願いできるところがないか探しています。 色も、紺色にこだわらず、違う色になっても個性が出ていいかなって思っているくらいなので、どこかいい感じの価格で引き受けてくれるところ、ないかなぁってね。 ちなみに、天井って面積があるからどうしても高くなるんだろうけどね・・・。いっそのこと自分で塗ればいいんだろうけど、そんなに器用じゃないからな~
2018年05月21日
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私のデリカSWは、1996年5月に新車で購入以来、23年目で22万キロを達成しました。 信号待ちで慌てて撮影しましたが、メーターの表示は「220000」を指しております。 去年は車検以降トラブルや故障が多かったわけですが、まだまだ乗りたいので大切にしていきたいと思います。 ただ、錆こぶや塗装がかなりヤレてきているので、なんとかしたいんですけどね・・・。
2018年05月19日
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俳優の坂上忍(50)が17日、自身のブログを更新し、平日に限定されている免許証の更新手続きに「お役所仕事を、いつまで当たり前のように押し付けているのか」と私見をつづった。 坂上は「若干、腹が立ったりするのです」のタイトルで記事をアップ。「ちょっと、困っているのである。この数ヵ月で、プライベートでいろいろやらなければならないことがありまして…。要するに、免許の更新だなんだといったことなんですが」と切り出し、「平日の限られた時間までしか受け取りができないモノがあり…。本人でなければ、ダメと…。そんなこと、言われてもね。物理的に、間に合わなかったりするわけですよ」とつづった。 平日はフジテレビ系の昼番組「バイキング」(月~金曜・前11時55分)のメーンMCを担当するなど売れっ子の坂上だけに「ある日突然葉書が来て、『いついつまでに…』って言われても…。すでに、数ヵ月先まではほぼほぼビッチリ埋まってしまっているわけで…ええ。じゃあ、決まっているお仕事を無理矢理ズラせばいいのかと」と困惑。 「まぁ、どこかでなんとかしなければいけないのでしょうが…。こういったお役所仕事を、いつまで当たり前のように押し付けているのかと…ね。若干、腹が立ったりするわけです」と心境を明かし、「従いますけど、ね。もちろん、嫌々ですけど…。所詮、我々などは一市民でしかないわけですから」とつづった。 【スポーツ報知から引用】 自動車の運転免許を持っている方なら、5年に一回とか3年に一回は更新をしなければならないことはよくご存知だと思います。免許センターに行けば即日交付、最寄りの警察署なら二回行かなければならなかったかな、とまぁ確かにいろいろと面倒なわけですけど、今に始まった話ではないわけで不便と思いながらもそれにあわせていますよね。このうち、警察署における更新も即日交付は無理としても、せめて休日も対応してくれたらいいのにとは思いますけどね。 さて、本文にあった坂上の戯言に付き合う必要もないんですけど、この人って自分の言うことがなんでも正しいって思っているのかな。何様なんだろうって思うんだけど、とりあえず突っ込ませてもらうと、『すでに数ヶ月先までほぼびっちり埋まっている』という用事をずらすしかないでしょうな。車を運転したいんだったら。免許センターだったら、日曜日にも対応しているわけだし、一週間毎日仕事っていうわけじゃないでしょ? おそらく『自分の趣味などプライベート>免許の更新』っていう図式だから泣き言言っているんだろうけど、そこを調整したら何ら問題なし! それが嫌だったら、免許返上したら? 売れっ子なんだし、運転しなくても運転してもらったらいいじゃん。そうしたら、免許の更新でうだうだ言わなくても済むわけなんだし。 あのね、平日仕事しているのは、あなただけじゃない。みんなそうなの。そういう人を救済するために免許センターで休日対応しているんだから、お役所も十分対応しているわけ。それを利用しないあなたは、自分の予定を最優先しているわけだから文句を言う筋合いなし! 単に怠慢なだけだろが! ホント、こんなのが帯番組やっているって、どうなんだか・・・。
2018年05月17日
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先日来、デリカSWのエンジンのかかりがよくないなぁと思っていました。バッテリーが弱ってきているのかと。そこで調べてみると、今のバッテリーは2012年11月に交換してそれ以来そのままということがわかりました。(このブログで確認) バッテリーは、だいたい3年くらいで交換するのがいいようですけど、倍近く持たせていたんですね・・・。いつ死んでしまうかわからないし、この先エアコンを使う夏となるので、思い切って交換することにしました。 今のバッテリーもオートバックスで交換しましたが、今回も同じ店へ行って交換。115D31Rの巨大なバッテリー、ありました。とても大きいし重いんですよ・・・。値段も前回と同じ29000円。結構つらいよなぁってね。でも、突然車が動かなくなるよりはマシかということで。 ところで、今日は雨が激しく降るあいにくの天気。交換作業も空いているかと思いきや、混んでいました・・・。みんな考えることは同じのようで。
2018年05月13日
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スポーツカーといえば、MT(マニュアルトランスミッション)車を想像する人が多いのではないでしょうか。しかし最新のスポーツカーではほとんどがAT(オートマチックトランスミッション)モデルとなっています。 今でも根強い人気のある、漫画「頭文字D」や映画「ワイルド・スピード」シリーズでは、劇中に必ずといってよいほどマニュアルシフトのギアチェンジをするシーンが登場します。いかに、スムーズにギアチェンジをしながら加速していくか、急カーブを攻めるのかが見所でもあるからです。 そのイメージとは裏腹に、昨今のスポーツカーはAT車のみのモデルが増え、最近ではシフトレバーはおろか、レバーの代わりにボタン式やダイアル式に切り替わってきているモデルも多くなっています。 実際に、ホンダ新型「NSX」をはじめ、フェラーリなど多くのスポーツカーに「ボタン式」のシフトスイッチが普及しています。【くるまのニュースから引用】 私のデリカSWはMT車で、私自身もMT好きというのはこのブログをご覧の皆さんはよくご存知かと思います。運転して楽しいのは、MT車。クラッチを踏んでギアを入れてスピードに合わせてシフトアップしていく、あるいはシフトダウンしていくという「車を運転している」という意識にさせてくれるのは、MTしかないでしょ。自動変速だったらそんな思いはないと思うんですけどね。 スポーツカー好きはMT乗りって思っていたのですが、実際には違うんですね。それじゃあ、スポーツカー好きな人は、運転が好きではなくてあの形が好きなだけ? なんだかがっかりだよ! そういえば、私が子どもの頃に見かけたスカイラインジャパンのマシンX仕様の車両、中を覗いてみるとAT車だったのを見てひどくがっかりしたのを思い出しました・・・。 確かに、国内で販売している車の90%くらいがAT車という状況、最近は路線バスでも普通にAtだし、トラックでもAT車が増えてきているようですしね。先日行ったいすゞでもそのような感じでしたし。MT好きのMT乗りには、なんだかさみしいものです。 話を戻して、メーカーにしてみたら自動変速でエンジンの特性を生かして走ってほしいという思いもあるんでしょうけど、そんなの、MT乗りには関係なし!「運転して楽しいかどうか」、それに集約されていると思います。 こんなニュースをみるたびに、この先MT車ってメーカーも作らなくなるのではないか、そんなことを心配してしまいます。「クラッチ踏まないと死んじゃう」人もいますから、細々とでいいからMT車は作り続けて欲しいと思います。
2018年05月10日
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ISUZU PLAZAの2階には、他にも貴重な車が展示されていたのですが、いすゞの乗用車の中で異色の自動車といえばこれでしょう。 そうです、117クーペです。 トラック・バスのメーカーが作ったと思えないくらいのスタイル。しかも登場時期が1968年ですからね、そんな時期に日本車でこんな車があったなんてすごいです。 ついでにいうと、初期モデルは、ハンドメイドで作られていた部分が多かったとか・・・。 奇しくも展示されているのは、初期モデルなんです。 1972年以降のモデルチェンジからはアメリカのGMと提携した関係もあってか量産化部分が増えたそうで、さらに1977年からの最終モデルはヘッドライトが角目になったりしながらも1981年までの13年にわたって作られた名車なのです。 この初期モデルのカタログは、自動車のカタログでありながら有料だったと聞いたことがあります。それくらいこだわりにこだわったモデルだったんですね。 カタログつながりで、やはりトラックのカタログを。 これは、フォワードのカタログ。この写真のモデルは、1970年に登場した初代のモデルチェンジバーション(1972年)ですが、このマイナー後のモデルはなんと1986年までの長きにわたって作られていました。今のミニバンのように少し鼻がでたようなモデルで、私は「おっさん・フォワード」とよんでいました。おっさん顔でしょ、見た目が(笑)。そんなおっさん顔が好きだったんですけどね。 こちらは、4代目のフォワード。形式が810だったこともあって、テレビCMでは「810フォワード(走れ・フォワード)」とよばれていました。このモデルは、私が大型免許を取りに行っていた時に教習車として乗りました。運転しやすかったですよ。 少し時代はさかのぼって、1967年頃のいすゞの商用車のカタログだそうです。私が生まれた頃のものですね。 トラックは、先日紹介した初代エルフのマイなチェンジ後のもの。ヘッドライトが4灯になっています。 後列右端は、マイクロバスのスーパーライトバスです。このバスは、私が堺へ引っ越してきた時、周りに買い物できるところがあまりなかったことから、少し離れたスーパーが運行していたのを時々母親と一緒に乗っていました。 スーパーライトバスの左は、エルフのルートバンかな。ルートバンは、エルフの荷台がバンタイプになっているもので、今のエルフにはラインナップされていないみたいですね。 あとの2台はベレットのライトバンのエキスプレスです。そういえば、ベレットは展示されていなかったなぁ。117クーペと並ぶいすゞの乗用車の名車の一つなんだけど・・・。 壁面には、文字ばかりがランダムに表示されていますが、よく見るといすゞの車名やキャッチコピーが描かれています。 さて、自動車メーカーの博物館って初めて行きましたが、なかなか面白かったです。特に、いすゞの場合は、ベレットや117クーペのような魅力的な乗用車を作りながらも、トヨタのような販売網が少なかったり、トラック・バスメーカーの悲しさか乗用車部門に注力してもらえなかったのか、いい車なのにそこまで売れなかったのはもったいないと思いました。 いすゞは、前にも書きましたが、亡き父が記念すべき初めてのオーナーカーだったこと、たまたま会社の車がいすゞの乗用車だったりトラックだったりしたこと、私も教習車として乗ったことなどいすゞの車両には何かと縁があるなぁってね。 今度は、ほかのメーカーの博物館にも行ってみたいと思いました。
2018年04月07日
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いすゞのボンネットトラックTX80のあとは、今やいすゞのトラックの代名詞ともなっているエルフの初代を見ました。 初代エルフは、1959年に登場。ディーゼル車はその翌年にラインナップされたそうです。1968年まで製造され、後期型はヘッドライトが2灯から4灯になりました。 ドアの開き方が今の車両と逆になっているところにも注目です。このタイプは、今ではすっかり見かけませんが、しっかり閉まっていないとドアが開いてしまう欠点があったとか。 車体の真ん中には、いすゞのマークとELFの文字が。この当時の車両って、コストカッターなんていう言葉なんてクソ喰らえっていう感じでちょっと贅沢なおしゃれをしていますよね。 ドアのところに取り付けられていた朱色の丸が気になって近寄ってみると「DIESEL」と書かれていました。さすが、『ディーゼルはいすゞ』というところ、こういったところも手を抜いていないんですね。 今のトラックなら、荷台が低い「スーパーロー」仕様もありますけど、この時代はこの高床タイプが普通でしたね。荷物の積み込みも大変だったと思います。 テールランプは、ブレーキランプとウィンカーが一緒になったコンビネーションタイプ。ただ、これはオリジナルではないような・・・。というのも、このコンビネーションタイプは、2代目のエルフに使われていたのはよく見たんですけど、初代も使われていたのかな・・・? ちなみに、このコンビネーションランプは、私の実家の塵芥車において長らく使われていました。こだわりなったのかな・・・。 エルフの横には、以前このブログでも紹介したベレルが展示されていました。1962年から製造され、いすゞとしては日産のセドリック、プリンスのグロリア、トヨペットのクラウンに並ぶ車格をイメージしたのに、車体などのトラブルなどからなかなか販売には繋がらなかったとか・・・。 そんな不運の車だったわけですが、スタイルはなかなか個性的。三角のテールランプって、ありそうでないんですからね。 その三角のテールランプにつづくラインも、今見るとより個性的かと思うんですけどね。 展示されているベレルは、もちろんディーゼル仕様。 私の亡き父が乗っていたベレルもディーゼルだったそうです。母親の話では、さすがに車体色は黒ではなく、ベージュと白のツートンだったようです。でも、この写真を見せたら、「あぁ、この車だったね。最後は、どれかのドアが外れてしまってね・・・」って、どこまでボロボロだったんだろうか。 運転席を覗いてみました。亡き父もあのハンドルを握って運転していたんだろうなってね。 母親と私は後席だったんだろうなってね。私は夜泣きがすごかったそうなので、毎夜この車に乗せられていたそうです。ただ、車に乗ると機嫌が良くて、逆に寝てくれなかったとか。その当時から車好きだったんですね、たとえディーゼルでとんでもなく振動する車であっても(笑)。 ところで、TX80、エルフそしてこのベレルとも、稼働可能だそうです。今度は動いているところを見てみたいし、亡き父が運転していたベレルを運転してみたいって思いました。
2018年04月06日
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ISUZU PLAZAの二階には、体験ゾーンやいすゞの歴代の車両が展示されていました。 いろんな体験ゾーンがあったのですが、私が一番気に入ったのがこれ。 エルフのキャビン部分を塗装するものです。もちろん、実際に塗装するのではないのですが・・・。 塗装のタレもリアルにみえるというもので、これは何度かやってうまくできたものをアップしました(汗)。 それから、ドライブシミュレーターもありました。モデルは6×2のGIGAです。コースは、高速のルートと海までのルートの二種類ありました。この日は、平日ということもあって予約した人だけということで混雑しているわけではなく、両方のルートを行いました。 こちらが、海までのコースの結果です。「S」というのはなかなか素晴らしい成績だそうですよ。 高速道路のルートも「A」でした。 これでも一応、中型免許を持っていますからね(笑)。実車の運転はないけど・・・。 ただ、二つのルートの共通して言えるのは、システム上仕方ないところですが、バックミラーの位置が実車とは違うので、その違和感がありました。要するに、左折するときの左の巻き込み確認だったら、私は首をしっかりミラー側とその下の方を見るようにしているし、左に曲がってからも右後方のオーバーハングも右側のミラーで見る癖をつけているので、その確認ができないところがとまどいました。 もう一つは、6×2というロングボデーですから、後ろの長さの間隔がつかみにくいところでしょうかねえ。その辺は、最初の交差点や画面に映るミラーで確認できましたけどね。 さて、展示車両の中では、昭和のはじめのバスも展示されていました。 これは、スミダM型という車両で、いすゞの前身の石川島自動車製作所が1929年に製造したもの。 乗車定員20人と今のマイクロバスよりも乗れなかったんですね。 この時のテールランプって、ひとつだけだったんですね。っていうか、バックランプがないのは大丈夫だったのかな? いすゞの昔のトラックといえば、個人的にはボンネットトラックのイメージがあるのですが、このTX80型は1948年に登場したモデルです。 最大積載量は5t、こんなに大きく見えるけど5t積みだったんですね。 後ろから見るとこんな感じ。省略されているのかもしれませんが、テールランプとバックランプがありません。 ボンネット部分に取り付けられているいすゞのマークです。昨日紹介したいすゞのマークと異なりますね。このデザインもわるくないですよね。 TX80のカタログです。ヂーゼル自動車工業となっていますが、その横にはいすゞのマークが・・・。1949年にいすゞ自動車と改称するまでは、ヂーゼル自動車工業だったようです。(そのあたりは、ウィキペディアを参照) 我が国の戦後復興は、このようなトラックが担っていたんでしょうね。 貴重なカタログも展示されているとは、さすがいすゞの博物館ですよね。
2018年04月05日
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先月、東京で勤務していた時に休みをいただいて神奈川県藤沢市にある「ISUZU PLAZA」に行きました。ここは、あらかじめ予約をしておかないといけないのですけどね・・・。 最寄駅は、小田急江ノ島線の湘南台駅。ここから専用のバスで向かいます。バス停の行き先には「いすゞ」と書かれています。 やってきたのは、いすゞの観光バス、ガーラ。(写真を撮ったのは、ISUZU PLAZAですが) これで向かいました。 いすゞのマークです。古い車両にはこのエンブレムでしたね。いすゞはこのマーク以外にもありました。そういえば、私が子どもの頃は「ゞ」が「ご」に見えて、「いすご」だと思っていました。 早速見学に行きます。一階にはいすゞの歴史ある車両と最新の車両が展示されていました。 これは、いすゞが最初に作ったトラックの「ウーズレーCP型」。正確には東京石川島造船がイギリスのウーズレー社と提携して1924年に作ったものだそうですが、日本の自動車の歴史はトラックやバスから始まっているんですね。 いすゞの路線バスのエルガです。地元の奈良交通はいすゞの車両を多く入れているし、最近はいすゞと日野自動車がバス部門を統合してJ-BUSを作ったため、日野製であってもいすゞ製と外観も中も変わらないのが残念ですけどね・・・。 車内です。あまりにもお馴染みすぎるのですが・・・。 ノンステップバスが全国的に増えていますが、中扉から後ろへ行くにはステップがあるんですよね。 自衛隊に納入されているSKWです。ベースはGIGAかな・・・。 このSKWは、東日本大震災の時に海沿いの基地において浸水の被害があったものの、多少の修理ですぐに動いたとか。強靭な足回りとエンジン周りなんですね。 運転席にも座ることができました。 今は、自衛隊のトラックといえどもATなんですね。もちろん、PWも標準でしょうし。 ところで、屋根って幌仕様なんですね。もちろん、鋼板仕様もあるんですけど、幌仕様があるとは知りませんでした。 荷台部分は、こんな感じ。簡易な椅子もあるんですね。 快適装備は、エアコンくらいでしょうけど、これとて最近のものでしょうね。 もちろん、現行の車両も展示されています。 これは、小型トラックのエルフ。小型トラックの代名詞みたいなものですね。このクラスは、三菱のキャンター、トヨタのダイナがあります。他にも日産のアトラス、マツダのタイタンがありますが、これらはエルフのOEMになっています。 こちらは、中型トラックのフォワード。パッと見はエルフと同じスタイルになってしまいました。 先ほどのエルフもそうなんですが、フォワードも運転席に座ることができます。 ただ、小型トラックも中型トラックもATなんですね・・・。 運輸業界もMTでははやらないのかな・・・。MT車好きにはなんとも肩身が狭いものです・・・。 そんな中で気になる一台が。これはタイで販売されているmu-xというSUV車です。 堂々としたスタイルはいいですね。全長4850×全幅1860×全高1830とかなり大きいです。 なんとこの車、MTだったんです。やるじゃん、いすゞ! バックのギアの位置が1速の左上にあるちょっと特徴的なシフトパターンなのですけど、実際にクラッチ踏んで操作してみると、「やっぱ、MTだよな」ってMT乗りでも思います(笑)。 ちなみに、この車について日本での発売について質問してみたところ、販売予定なしとか。なんとも残念です。もう少しダウンサイジングすれば売れると思うんだけどな。ただ、MT車ということもあって「同じような要望はよくあります」とのことでした。 さて、2階には別の楽しい展示がありました。(続きはまた今度)
2018年04月04日
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運送会社のトラックや路線バスなどの商用車で知られる「いすゞ自動車」。いまや世界有数のトラックメーカーだが、かつては乗用車も手がけていた。個性的なデザインで品質にもこだわった往年のいすゞ製乗用車たち。頑丈な設計と丁寧な整備でいまだ現役の中古車には、根強いファンがいるという。2月中旬に横浜市西区のパシフィコ横浜であったクラシックカーの催し「ノスタルジック2デイズ」(芸文社主催)では、会場に並んだピカピカのいすゞ車が来場者の注目を集めていた。 1937年創業のいすゞは戦前からの名門メーカーとして、トヨタ自動車や日産自動車とともに国内自動車「御三家」と呼ばれることもあった。53年、英国メーカーと提携したノックダウン生産による中型セダン「ヒルマンミンクス」で乗用車市場に参入。トラックで技術の蓄積があるディーゼルエンジンを乗用車にもいち早く導入したり、提携先である米ゼネラル・モーターズ(GM)傘下の欧州メーカーと車体を共用しながら、21世紀のグローバル企業の世界戦略車を先取りしたような開発手法で小型セダン「ジェミニ」を投入したりするなど、先進的な取り組みで知られた。しかし、価格帯が高い少品種生産にこだわり販売シェアは低迷を続け、93年に自社生産から撤退。細々と続けていたSUV生産やホンダからのOEM供給販売も2002年までに終了し、トラック専業メーカーとして経営再建を図った。 自動車検査登録情報協会によると、いすゞブランドの乗用車の保有台数は、17年3月時点で2万1783台。07年同月は8万3398台だったので、この10年間で6万台超が廃車になり、スクラップになったりしたとみられる。それでも、いまだ2万台前後のいすゞ乗用車が日本の路上を走っている計算で、中には長年乗り続けている熱心なファンも少なくないだろう。 いすゞ車を専門に取り扱う中古車販売店「イスズスポーツ」(東京都羽村市)は、小型セダン「ベレット」、4人乗り高級クーペ「117クーペ」、その後継車「ピアッツァ」の3車種を「ノスタルジック2デイズ」に出展。いずれもすぐに乗り出しが可能な、整備の行き届いたクルマだった。【朝日新聞digitalから引用】 今はトラック専業となっているいすゞ自動車。そのいすゞがかつては乗用車を作っていたことは、若い子はあまり知らないでしょうね。私が免許を取ったときは普通にいすゞのディーラーでジェミニやアスカ、ビックホーンなどを買うことができたんですけどね・・・。スタイルは好き嫌いがわかれるでしょうけど、ディーゼルエンジンについては、さすがによくできたものでした。 かくいう私も免許取って以降車を買うためにいろいろカー雑誌などを見ていましたが、いすゞだったらジェミニのディーゼルがほしくて試乗に行ったくらいです。ただ、その当時はFFジェミニしかなく(街の遊撃手のCMで有名)、私はFRのジェミニがほしかったのでその点は残念でした・・・。また、ビックホーンも三菱パジェロやトヨタのランクルやハイラックスサーフなどに隠れていますが、なかなか魅力的な車だったと思います。でも、価格的にちょっと高かったかな~ ちなみに、私の職場の先輩も車好きだったのですが、いすゞのピアッツァに乗っていました。かなり特徴的な車でした。また、私の亡き父も最初のオーナーカーは、このブログでも紹介しましたがいすゞのベレルでしたし、亡き父の話では教習車は本文にあったヒルマンだったとか・・・。 そんないすゞも1993年に乗用車の自社生産から撤退、トラック・バスのみの製造となり、その後バス部門は日野自動車と共同でJバスとなって、今はエルフやフォワード、ギガといったトラック専業となっています。 さて、乗用車の自社生産から撤退して25年も経過しているいすゞですが、根強い人気があるんですね。本文にもありましたが、117クーペはトラックを作っている会社とは思えないくらいのシルエットでしたよね。また、本文にはありませんでしたが、ベレットは小さなパッケージながらよく回るエンジンと取り回しがよかったそうですね。もちろん、先にも書きましたがジェミニもよくできた車だったし、今思い出してもいい車を作っていたと思います。だからこそ、今でも根強い人気があるんだと思います。 ただ、今の我が国の古い車に対する仕打ちは醜いものがあると思いませんか? 古い車を丁寧に長く乗って行くことがエコだと思っているのですけど、税金にしても13年を超えれば早く買い換えろとばかりに重い税金(重税)となっています。私も古い車に乗っていますが、ふざけんなって思いますよ。まだまだ乗れるわけだからね。最近はよく故障するけど(苦笑)。 いすゞが乗用車生産から撤退しても、今でも乗っている人がおられて、今でもきちんと整備してくれる整備屋さんがあって、部品もまだあるというならこんなに素晴らしいことはないと思います。これからも長く乗ることができたらいいですね。
2018年02月22日
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先週の日曜日、買い物から帰る際に同じ色のデリカSWとすれ違いました。 これは、ドラレコで撮影したものです。家に近い交差点を右折した際に同じ色のデリカSWが先頭に止まっているのを見つけました。大事に乗っているんだなぁと思ってみていたら、その車の助手席の方が私の方へ手を振っていました。また、運転席の方も手を振っていましたので、私も思わず手を挙げて答えました。 ちなみに、全然知らない方なのですが、こういうのってなんだかうれしいものです。むこうの車も20年以上の車歴になっていると思いますが、私の車よりも塗装はきれいでした。車庫保管されているのか、大事にされているようです。私のは天井や前の部分の色落ちが激しいです・・・。 もしかしたら、同じ町内の方なのか近隣の方かもしれません。そのうちどこかのショッピングセンターの駐車場でお会いするかもしれませんね・・・。
2018年01月20日
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先日、約13年の活躍に終止符を打ったサンバークラシックに変わって、ついに車を買い換えることになりました。サンバーを購入した近所のモータースさんにお願いしていたところ、2007年式のスズキワゴンRを紹介され、妻と一緒に見に行きましたが、その後検討した結果、価格的にもこちらが考えている価格であったことから購入することにしました。 本当は、MT車にこだわりたかったのですが、なかなかMT車は数が少ないことから断念することとし、AT車で探すことにしました。そうすれば選択肢の幅がグンと広がるので。 そう考えると、今年何度も車検の代車やレンタカーで借りた三菱ekワゴンが乗りやすかったし、妻が希望する「室内高がある車」にも合致するわけですが、ekワゴンは現行型になることから中古といえども高いんです。 そんな状況で紹介されたのが2007年式ワゴンRだったのですが、36200kmの走行でフロントバンパーにタッチアップの痕があったり、左リアのタイヤハウスあたりにエクボ傷がある以外はきれいでした。 色がシルバーなのですが、シルバーのワゴンRって意外と多いんですよね。だから妻からのリクエストは、「前出のバンパーの傷と合わせて、ボンネットとバンパーを別の色に塗って欲しい」というものでした。その部分の塗装費用はプラスアルファーになるのですが、これも何とか思っている額だったことから塗ってもらうことにしました。 ちなみに、シルバーに合う色って? 私にはわかりませんでしたが、そのあたりのセンスは妻の方が圧倒的にありますから(苦笑)、妻に任せることにしました。そして、モータースさんと調整の結果、「原稿のスズキハスラーのオリーブ色」になりました。それを聞いたときに「えっ?」って思いましたけど、途中経過で組み付ける前の状況を見に行った時にたまたまバンパーの仕上げ前だったのですが、単体で見ても悪くないかなって思いました。 そして今日、引取りに行きました。 天井は塗らなかったのでこんな感じですが、なかなかどうして悪くないかなって感じです。 数多くあるシルバーのワゴンRの中で、この塗り分けをしている車はほとんどないと思うので、妻の話では「個性が出て、しかも大きな駐車場に置いてもすぐに見つけやすい」とのこと。そして、色合いについても「思っていたとおり!」と喜んでいました。 ナンバープレートも、最近では軽四といえども例のラグビーW杯や東京五輪の特別ナンバープレートで白いものもありますし、軽四でも希望ナンバーの車もありますが、うちは普通のナンバーです。ハスラーのオリーブ色にしたおかげで、ナンバープレートの黄色もよく目立ちます。あとは、主に乗る妻に大切に乗ってもらえればと思います。 ところで、私が免許を取った1986年当時に中古車屋巡りをしましたが、1976年あたりの10年落ちの車って見かけませんでした。もしあったら、私のことだから330セドリックやグロリアとかスカイラインジャパンを買っているはずですからね。だから、だいたい探してみても古くて1980年ころの430セドリックやグロリア、910ブルーバードなどをギリギリみかけたかなって感じだったように記憶しています。 すなわち、私が子どもの頃の車って、10年落ちというと二束三文どころか、そもそもそんなに走っていない、つまりもっと早いタイミングで買い換えていたと思うのですが、走っている車をみても普通に10年以上経過しているものが多いですよね。中古車でも10年前の車が普通に売っているっていうこともなかったと思います。 それが今や、中古車屋でも普通に10年以上経過した車を売っていることがあるし、ニーズもあるっていうことは、車の性能が良くなって10年程度では壊れなくなったということと、アベノミクスかアベノリスクだか知らないけど、景気が良くなったというのはごく一部でしかなく、一般的には景気回復が感じられないから車の買い替えもおいそれとはできないので、とりあえず不便もないことからこのままで行こうと考えているのではないかと思いました。 話を戻して、このワゴンRも10年落ちの車、どの程度持つかはわかりませんが、サンバーでも24年も持ったのですからそれに近いくらいは持ってほしいなと思っています。
2017年12月16日
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困ったことに、ウインカーを出さずに車線変更や右左折するクルマが増えているという。クルマが走行中に進路を変える時は必ず方向指示器(ウインカー)を出すことを義務づけている。これにより、交通が円滑に回っている。しかし、どれくらい横行しているのか。(中略) 興味深いことにJAFの調査によれば地域差があるという。日本で1番ウインカーを出さないのは岡山県で、調査に回答した半分の人が「ウインカーを出さず右左折するクルマがとても多いと思う」という返答を得ている。しかし”クルマの走行中にウインカーを出さずに右左折して反則切符を切られた”という話はあまり聞いたことがない。 実際、ウインカーを出さずに右左折や車線変更をすると、反則金6千円+交通違反点数1点の『合図不履行』という明らかな違反になるのだけれど、大きな危険運転と思っていないのか、警察は熱心でないように思う。 例えば鳥取県警の場合、『合図不履行』での検挙数はここ5年間の平均だと1年間当たり75件だという。たくさん走って目を光らせているハズのパトカーや白バイの隊員が認知した合図不履行は、鳥取県警全体で毎月6回ほどしかないということになる。(中略) この合図不履行より大きな問題と思うのが、いわゆる「あおりハンドル」の左折。自動車教習所などで左折の際、一旦右にハンドル切ってから左折する運転は「絶対にダメ」と習うハズ。けれど街中では頻繁に見かける人も多いことだろう。 100歩譲って大型車などが細い道路で左折するなら仕方ない。これは内輪差によって後輪が歩道などに乗り上げるのを防ぐためだ。しかし、余裕で曲がれそうな軽自動車まで”あおりハンドル”をしているのをよく見かける。 このあおりハンドルをなぜやるのか一度調査してみたら「カッコ良いから」だという。あおりハンドルを行う多くの人が「左折時のテクニック」みたいに認識しているようなのだ。加えてあおりハンドルをキチンと取り締まるのはかなり難しいから困ったもの。 あおりハンドルは一旦右にハンドルを切った後、左にハンドルを切るためウインカーと両立させにくい。そうなると左折時にウインカーを付けずに曲がるということになる。結果、斜め後方を走る自転車やバイクにとっては非常に危険な状況になってしまう。右に行ったと思ったクルマがウインカー無しで左折するのだから非常に怖い。【オートックワンから引用】 年末に向けて車の数が多くなっています。事故に気をつけて走っているつもりですけど、私自身が気をつけても仕方ない、みんなで注意しないといけないんだけど、車に乗っていると時々いますね、とんでもない運転するアホが。 今日も左折レーンが混雑しているのを知っているはずなのに、直線レーンから無理やり左折かましていたプリウスのヤツ、割り込まれたアルファードの運転手が激おこだったけど、シレっと走り去ったよな。あんなのが、あおり運転→暴行事件に発展するんじゃないかって思うんだけどな。 さて、その正しい左折の仕方。教習所で習ったはずですけど、覚えていますか? 逆にやってはいけないこと、覚えていますか? やってはいけないこと、それは本文にあった「一旦右に切ってから左に曲がる」でしたよね。左にウインカー出しているのに、右に膨らんでくれば後ろを走っている車もそうだけど、二車線道路だったら右側車線の車もびっくりするよね。ところが、この運転が「かっこいい」だって? ホント、アホですか?(呆) ちなみに、私は別の意味だと思っていましたけどね。こんな運転をするヤツって、 私は車の幅も長さもわからんから、 こんな曲がり方しかできない下手くそです!って、アピールしているんだと思っていましたよ。 だって、いきがって走っている割には、左折時にこれみよがしに右に膨らんで左折するアホを何回か見たことがあって、そのように思いましたからね。 もちろん、車の長さに対して左折しようとする道路があまりに狭いために右に膨らまざるを得ない場合もあるでしょうけど、それだったらもう少し慎重に走る、すなわち減速した上でゆっくり右に膨らみつつ左折するはずだからさ。 さて、本文にも書いてあったウインカーを出さないヤツも多いよね。本文では岡山県の話が書いてあったけど、私は香川県の国道を走っている時にウインカーを出さない車にもう少しで追突するところでした。しかも、その車のブレーキランプが切れていて何をしたいのかわからない状況でした。しかも、こちらは7人のフル乗車でブレーキも甘い状態、今思い出してもひやっとする状況でしたよ・・。 なぜウインカー出さないのかわかりませんけど、後ろから突っ込まれる可能性もあるのに何考えているんかねぇ。ウインカー出すのも面倒だったら、車に乗らなかったらいいんじゃね?
2017年12月09日
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今日は、朝からいつもお世話になっているモータースさんのところに行きました。サンバーを廃車にして次の車を考えていたのですが、サンバーと同じような軽バンはなかなか高くて、かつ走行距離が半端なく、ついでにMT車も少ないということで諦めました。 っていうか、MT車にこだわると選択肢が極端に狭くなるということと、妻のクラッチの使い方が今ひとつ気になる(クラッチディスクを早くすり減らしてしまう?)ことから、AT車で考えてみることとしました。そうすれば各メーカーともいろんなものがありますからね。その中でも、妻の希望であるハイト系のワゴン、すなわちサンバーの前に乗っていたムーブなどを探してもらうように依頼していました。 前置きが長くなりましたが、モータースさんのところに行くと3代目のワゴンR(MH21)が止っていまして、これが最近下取りで入ってきたとのこと。2008年式で3.6万Kmの走行でした。試乗もさせてもらいましたが、エンジンの吹けもエアコンからの異臭もせず申し分無かったです。一緒に行った妻もまずまずの評価でした。 ただ、色がシルバーなのと、バンパーとボンネットの先に小キズ、室内にも引っかき傷があるのがやや気になるところ。シルバーはワゴンRではよく見かけるので、ありふれているというところなんです。ちなみに、妻はボンネットとバンパーを色分けして個性的にして欲しいとのことでした。 この車に決めるかどうかは、価格と色分けにかかる費用を勘案して考えたいと思います。 午後からは、妻の親戚のところの軽トラを借りて荷物を運びました。荷物は、下の子どもの通学用の自転車を家から学校近くの最寄駅まで運ぶというもので、軽トラをレンタカーで借りるよりも妻の親戚のところの軽トラを借りようということで、妻の親戚のところも快諾してくれました。 妻の親戚のところの軽トラは、ダイハツのハイゼット。やはり軽トラはいいですね、個人的にはサンバーの代わりには軽トラがいいんですけどね・・・。このハイゼット、今年3月に新車で購入されたものだそうで、ATというのが残念ですけどよく走りますね。いずれは、セカンドカーとして軽トラを持てたらいいなあと思います。 それにしても、一日で軽ワゴン車と軽トラに乗りましたが、ホント最近の軽自動車はよく走ります。燃費もいいしね。
2017年12月02日
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2001年から私の家のセカンドカーとして活躍していたサンバークラシックが突然廃車になりました。 今月の初めに私が出張先から帰る際に、妻から電話がありましたが、その内容を聞いてあっけにとられるというか、信じられませんでした。 「車が動かなくなった」←ここまでは原因がわからないのですけど・・・。その次の一言にキレました。 「メーターの針が『H』を指している」←何をオーバーヒートさせとんじゃ!! そうです、オーバーヒートしてしまったら動くわけないし、そもそもオーバーヒートする前にメーター(水温計)を見ていたらそんなことになることはない。私のデリカSWもそうですけど、車が古くなってくるとそういったところにも気を使わなければならないし、普段からの挙動をしっかり見ていたらわかるはず。ところが、そういうところは全然気にしていなかったようですね。 やむを得ずJAFを呼んで車をいつも整備をお願いしているモータースさんに運びましたが、オーバーヒートしていることと、修繕のためにはエンジン積み替えになってしまうとのこと。サンバーのエンジンはかなり使い込んでいるものが多いし、費用もかなりかかる。 もうひとつ気になるのは、24年前の車ということで次にどこが壊れるか全く予想不能であること。私のデリカSWなら自分で乗っているから、普段の状況を把握しているからちょっとした挙動の変化がわかるけど、サンバークラシックの場合は妻が乗っているため、そういったところがわからないし、MT乗りの割にはクラッチの扱いがあまりうまくない(苦笑)。そのため、次はクラッチがダメになるときついかなと思いました。 そこで、まだまだ乗り続けたい車であるけど、泣く泣く廃車にすることにしました。数年前からオイル漏れや妻が短距離ばかり乗ったことによるエンジン不調も気になっていましたし、私のデリカSWも今年に入って調子が悪いこともあって、乗り続けるのは難しいと判断しました。 思えば2001年に7年落ちでやってきたサンバークラシック、元々欲しいクルマであったので当時乗っていた4年落ちのムーブを手放してでも手に入れたものでした。 私の子どもたち、特に上の子どもにとっては突如としてムーブがサンバークラシックに変わったことをよく覚えていましたし、保育所に迎えに行くと子どものお友だちがこの車を見て喜んでいました。最近の車にはないユニークなスタイルだし、カラーリングですからね。 最後の最後まで廃車にするかどうするか悩みましたが・・・。 オーバーヒートになんかならなかったら、まだまだ乗れたんだけどなぁ・・・。 悔やんでも悔やみきれない別れになってしまいました。 サンバークラシック、17年間どうもありがとう・・・。
2017年11月27日
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18日に緊急修理となったデリカSW、原因は燃料噴射ポンプの不具合でした。経年劣化により燃料が漏れてしまったのをたまたま雨が降っていたので気がついたんです。普段の様子をよく見ていたわけですが、なぜ気がつかなかったんだろう・・・。 これが燃料噴射ポンプです。 引取りに行った際にディーラーの方と話をすると、噴射ポンプは前触れなく壊れるそうで私のデリカSWの場合、20万kmでこのようになったのはかなり持ったほうだそうです。大概は15万kmあたりで故障することがあるようです・・・。 この下側から燃料が漏れていたようで・・・。 ポンプ自体はこのブロックの中に入っているわけですが、それを構成している部品同士をつないでいるシール材が経年劣化したようです。 こんな大きい部品だとは知りませんでした。 これを取り外して、リビルド品を取り付けることになりました。この部品は、バラして修繕した後にリビルド品としてストックされるそうです。 ちなみに、この燃料噴射ポンプの取り付けには熟練した技術がいるようです。というのも、時間的に今日修理上げにしないといけないし、失敗したら大変なことになることから、この西宮の工場の人ではなく、同じ系列の宝塚の工場の超ベテランの方が対応してくれたそうです。 修理して乗ってみると、今までと全然変わらず、変な挙動もなくスムーズでした。 ただ、昨日のekワゴンと比べるとやはり音はうるさいし、振動も大きい。技術の進歩ってすごいなぁって思いました。
2017年11月23日
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今日の夕方、急な家の用事で車が必要となりました。しかし、私のデリカSWは緊急修理中、妻の車も不調であるということで、急遽レンタカーを借りることにしました。 レンタカーって当日貸渡ってあるのかなって思いながら、ニッポンレンタカーに相談してみると空きがあれば借りれるとのこと。そこで、高速の乗り口に近い営業所として思い出したのが近鉄上本町。ここからなら、阪神高速の高津から乗ることができるということで、連絡してみると軽四の空きがあるとのことでした。 今回借りたのは、三菱のekワゴン。今年は車検やその後の不具合の修理などで三菱のekシリーズによく乗っているので、安心感があります。夕方に借りて和歌山~奈良~上本町と雨の中移動したので写真は撮っていませんが・・・。 それにしても前にも書いたかと思いますが、最近の軽自動車はよく走りますね。乗車人員が1~2名だったらなんのストレスもなく走りますし、室内も広い。燃費もいいですからね。長い距離はしんどいかもしれないけど・・・。 およそ200km走って返却しましたが、燃費は約20km! いやはやすごいわ~
2017年11月22日
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私のデリカSW、今年に入っていろいろな不調が一気に出ていますが、今日もまたその不調が・・・。 雨が降っていたので、自宅から駅近くに借りている駐車場へ行って車を降りた際に燃料のにおいが・・・。そのにおいのある方へ行ってみると油の漏れた痕がありました。そして、そこは私が車を動かした場所でもありました・・・。っていうことは、油が漏れているじゃん、っていうことで急ぎの用事を終わらせて慌てて戻りました。 いつもお世話になっている西宮市の三菱のディーラーへ連絡すると燃料ポンプ等の不調が考えられるとのこと。保険屋を経由して積車でディーラーへ運んで状況をみてもらうと、やはり燃料ポンプがダメになっているとのこと。デリカSWの場合、だんだん部品がなくなってきているらしいのですが、かろうじてリビルド品があるということで手配してもらいました。 ただ、問題点が。今度の23日に車が必要なのでそれに間に合うかどうかはハーフハーフ。それがわかるのが21日になるとのこと。どうかひとつ、間に合わせて欲しいとお願いしました。費用は14万円くらいかかるとのこと。ホント、どこまで金がかかるんだろう・・・。 次に大きな故障があったら、諦めないといけないかもしれないなぁって思っています。でも、MT車で状態のいいやつってなかなかないんですよね・・・。
2017年11月18日
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車は「走る・曲がる・止まる」ができて当たり前。そのために重要なパーツとしてタイヤがありますが、これを定期的に交換する必要があって、そのタイミングが難しいところです。私のデリカSWは前回、164千kmで取り替えましたが、あれから約5年が経過して走行距離が215千kmを超えました。そして、車検の際、先日のオイル交換の際、それにいつもタイヤを見てもらっているタイヤ館でも「そろそろタイヤの交換を・・・」ということを言われました。 やはり、5年が経過していると、タイヤ自体が硬くなって柔軟性が失われてくるようで、溝が残っていても良くないそうです・・・。そして、今月末に長距離移動する予定もありますので、このタイミングに変えることにしました。 約5年使ったタイヤです。こんな感じで溝が残っているんですけどね・・・。 でも、さすがブリヂストンです。とても長持ちしてくれました。ということで、今回もブリヂストンです。 ところで、これまで2回はDUELER AT694というモデルだったのですが、私のデリカSWにピタリとハマる大きさがなくなってしまったとのことで、その後継のモデルにしました。 これが今回交換したDUELER AT001です。これまでのモデルよりも性能が上がっているとのこと。ロードノイズはこれまでと同じく大きいようですが、デリカSWの場合エンジン音も大きいから全く気になりませんけどね(爆)。 ブロックパターンもこれまでとは違っています。ショップの方の話では、前モデル同様ウエット面ではやや制動が長くなるとのことですけど、雨降りの時はあまり飛ばさないからなぁ(笑)。 価格的には、8万円くらいしましたけど、冒頭に書きましたように「走る・曲がる・止まる」で重要な部分は金をケチるわけにはいきませんからね。こ
2017年11月11日
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最近、クソたわけな運転手が煽って運転してきて、その挙句に事故や障害事件になることがありますよね。一週間のうちに何度もそんなニュースを見ているんじゃないかって思えるくらいです。そんな状況ですから、私もついにドライブレコーダー(ドラレコ)を付けることにしました。 さて、ドラレコのメーカーって調べてみるといろいろあるんですね。ラジオのCMでよく聴くユピテルとかアマチュア無線やオーディオでもお馴染みのKENWOODなど、いろいろあってそのメーカーごとの特徴もあるようです。 私も今回、ネットで評判や使い勝手を確認しながら購入したのはこれです。 コムテックという会社のZDR-014です。コムテックは日本製のドラレコだそうですけど、それはあくまで上級モデルだそうで、これは多分日本製ではないと思います・・・。 取り付けにあたっては、ルームミラーの近くの適当なところっていうことでここにしてみましたが、サンバイザーとの接触を考えずにつけてしまったんです・・・。でも、奇跡的にサンバイザーに当たることはありませんでした。 前から見たらこんな感じ。こんなのにお世話になるとは思わなかったけど、クソたわけな奴に対抗するにはこれくらいのことはしないといけないのかってね。 付けてみての感想、いやぁなかなか面白いですよ。上級モデルではないから画像はそこまできれいではないけど、十分許容範囲だと思っています。サイドもよくみえるし、助手席側のミラー(デリカSWの場合、バスやトラックのように縦長のミラー)に後ろの状況も映るんです。 それと、家のPCで状況を見ることができるので、どんなルートだったなど改めて確認することができるのです。思いがけないものが映ることがあるかもしれませんね。 ただ、純正のメモリーカードでは容量が小さいので、16Gのものを買い足して入れています。これだったら、3時間くらいは連続で映像に残せますからね。 ところで、今回ドラレコを買おうとすると、例の事件が多いからかネットショップでも品切れのところが多かったようです。私は値段的に15000円前後でということで探していたら、堺市の業者が取り扱っていることを発見。「大阪なび工房」というショップで、注文してすぐ連絡があって送金、2日後に商品が送られてくるという迅速な対応でした。ちなみにこのお店、私の実家の近くで、しかも実家に帰った時によく燃料をいれに行くスタンドの近くにありました・・・。 それから、荷物配送は「ダンボールの箱の角がなくなるくらい取り扱いが雑」との定評のある佐川急便でしたが、こんな状況でした。 きれいに角が残っているでしょ。最近の佐川は、取り扱いがよくなったのかな? 今年の初めに、草野球のミットやグラブを買った時も佐川だったけど、ちゃんと角があったもんなぁ~
2017年11月08日
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私のデリカSWは、6月に走行距離が210千Kmとなりましたが、今日現在で215千km超え。オイル交換のタイミングということで、草野球の試合が終わってから西宮市の三菱のディーラーへ行って交換してもらいました。ついでに、今月末に広島まで行く予定があることから点検もしてもらいました。タイヤがかなりやばくなってきているということでした・・・。 そんなこともあって、家に戻ってから香芝市にあるタイヤ館へ行ってタイヤの交換のための見積もりをお願いしたところ、自分の考えていた値段でできそうだったのでお願いすることにしました。今のタイヤは164千Kmのときに交換したので、タイミング的にはいいようでした。 このデリカSWも22年目、まだまだ乗り続けたいからオイル類やタイヤは金をケチらずにちゃんと交換していかないとね。 ところで、オイル交換が終わってから、甲子園球場近くの中華料理の「百楽」へ。西宮へ行けばこのお店に行くのも楽しみの一つです。 いつも注文している麻婆丼です。これは、私が甲子園に住んでいた時に、このお店でよく食べたものなんです。 それから、前に住んでいた浜甲子園団地の方へも行ってみました。って言っても、私が住んでいた団地はすでになく、すっかり様変わりしていますが、道路はその当時のままですからね。結婚して約3年住んでいたところですから、ちょっと懐かしかったです。さらにその近くの団地もいつの間にか取り壊されていて、更地になっていました。甲子園から引っ越して20年近くが立ちますからそりゃ変わるでしょうけどね・・・。
2017年11月05日
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車のナンバーを見えにくくする違法カバーを販売したとして、京都府警は30日、同府舞鶴市の会社員、大機慎也容疑者(37)を道路運送車両法(自動車登録番号標の表示義務)違反ほう助容疑で逮捕した。府警によると、昨年4月の同法改正でカバー装着が禁止されて以降、販売業者が摘発されるのは全国初。 逮捕容疑は昨年5月~今年7月、インターネットオークションを通じて京都市右京区の男子大学生(21)ら3人にカバー6枚を販売し、カバーを装着した違法運転を助けたとされる。府警によると、容疑を認めている。 府警は購入した3人も今年10月までに同法違反容疑で書類送検した。「取り締まりから逃れたかった」などと話しているという。 府警交通捜査課によると、大機容疑者は昨年4月以降、1枚あたり約1万円で計約200枚を販売していた。カバーを装着した車は、速度違反の自動取り締まり装置などでナンバーの読み取りができなかったという。【毎日新聞ネット版から引用】 「取り締まりから逃れたかった」だと? ホンマ、せっこいヤツやのう! 今でもナンバープレートにカバーをかけて走っているバカタレがいてるけど、あれもみんなこんなせっこいヤツと同じ考えか? 中には、番号や分類番号のところ「だけ」が隠れるようなさらにせっこいカバー付けとるヤツもいるけどさ。 ついでにいうと、トラックなんかでナンバープレートが半分以上隠れるような覆いを付けているヤツもいたなぁ~ まぁ、これらまとめて、「全部取り締まってくれ!」っていうところでいいんじゃない? だって、昨年の改正で全て違法ということになったわけだから、片っ端から問答無用で取り締まってほしいね。2019年のラグビーW杯やその次の五輪を見据えて、今のうちからしっかりと取り締まっておかないといけないんじゃないかってね。 ちなみに、このナンバープレートのカバーってフロントだけではなく、リアにもつけているんだよね。ここまでくると悪質としかいいようないんだけどさ・・・。
2017年10月30日
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スズキがこのほど、主力小型車スイフトのスポーツバージョン「スイフトスポーツ」を投入した。珍しくマニュアルミッション(MT)仕様が販売の過半を占める硬派なコンパクトハッチ。いまや「絶滅危惧種」ともいえそうなこのマニアックな一台に試乗しながら、今あえてマニュアル車を選ぶ意味を考えた。(中略) ところが、アクセルを踏み込んで得られる加速感は痛快そのものだ。クラッチを介してエンジンの回転がそのまま前輪に伝わるようなダイレクト感はMTならでは。シフトレバーはショートストロークで、小気味良くギアチェンジする。往年のMTのように、手応えがあいまいだったりガリガリと金属音が鳴ったりすることも皆無だ。一方で、低回転からトルクが湧き上がる今どきのターボ過給の恩恵で、シフトチェンジを怠って3速のままでも常用域はカバーできてしまう。 このように、ドライバーのシフト操作一つでクルマのキャラクターを自由につくれるのがMTの魅力。渋滞や長時間のドライブは確かに疲れるが、ジェントルな変速で同乗者に配慮した穏やかな車内空間を演出したり、低いギアで高い回転を維持しながら峠道を駆け抜けて人車一体感を味わったりと、両手足をあくせく動かして自らの意思をクルマに伝え続けることで得られる万能感に満ちた操縦感覚は、MTでしか得られない楽しみだろう。 近年、ドライバーの不注意や判断遅れをリカバーする予防安全技術の進化は著しい。その一方で、路面状況やエンジン回転数を常に意識しながら能動的な操作をドライバーに要求し、それでいて、急アクセルで誤発進しようとするとエンストしてちゃんと止まるMT車の美点も、もう少し見直されて良いのではないだろうか。加えて新型スイスポは、MT車にも自動ブレーキや車線逸脱抑制などの安全機能をきちんと備えるのだから、その手堅さには拍手を送りたい。【朝日新聞digitalから引用】 私は、MT好きで今のデリカSWも22年目に突入していますし、89~93年に乗っていたギャランもMTでした。本文にありましたように、MTはクラッチとシフトの操作があって煩わしいと思いがちでしょうが、なれたらそんなことはないし、むしろ「車を運転している」「車って運転するのは難しい」っていうことを実感できるものだと思っています。 でもかく言う私も、87~89年と93~96年までは私もAT車に乗っていました。87~89年はカリーナクーペ、93~96年はデリカSWでしたが、いずれも昔のAT車ですから大した性能ではないし、いずれも走らない車でしたからストレスだけが溜まるという状況で、「絶対ATには乗らない!」って思ったくらいでした。もっとも、自動車学校へ行っているときは、クラッチに慣れなくて「免許取ったら、絶対にATにする!」って思っていたんですけどね・・・。運転できたら、MTの方が面白いってわかったんですわ~ さて、スズキが投入したスイフトスポーツには、MTメインのラインナップになっているとか。私が運転免許を取った1986年当時なんて、そんなの当たり前でしたけどね。時代は変わってMTのラインナップすらない状況。日産や三菱なんてほぼ100%の車種がAT車じゃないかって思えるくらい。そんな中であえてMTを投入するというのは、潜在的なMTの需要があると判断したんでしょうね。その英断、好きですよ! ネットのコメントでも、その英断に対して好意的なコメントが並んでいました。やはりMTを欲している人が多いんだなぁって思いました。そりゃそうですよね、右を見ても左を見てもAT車ばかり。Dレンジに入れてアクセルを踏めば誰でも簡単に動かすことができる。その気になれば、マンガ読みながらでも、スマホでゲームしながらでも、ハンバーガー食いながらでも運転できるわけです。(→良い子はマネしないでね) そんな車、運転していて楽しいか? そんな状況で運転なんてつまらんでしょ、運転手雇って後席で踏ん反りかえりながら、マンガでもスマホでも楽しんだほうがいいんじゃないの? シフトチェンジもクラッチ操作も、渋滞での運転も、坂道での発進も、みんなATに比べて面倒だけど、MTには「車を運転している」という感覚があっていいんですよね。だから、いろいろ煩わしくても「その全てが楽しい!」っていうことなんですよ。 私のデリカSWはまだまだ元気だし、この先もまだまだ乗り続けたいのですけど、もう22年目214千kmを超えていますから、いつ何時急な別れがあるかもしれない。そんな時に、ATしか選択肢がないのは真っ平御免なのですが、まだまだMTのラインナップがある限りは選択肢があるのはうれしいものです。買えるかどうかは別ですが・・・。
2017年10月17日
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先日来、無謀な運転をした車が逆ギレして善良な運転手をおそうというクソたわけな事件が取り上げられるようになりましたね。youtubeなんかでもアップされてさらされていますが、いつ何時自分自身がそんな目に遭うとも限りません。もっとも、あんなクソたわけなヤツら、警察がもっとビシバシ取り締まってくれたらいいんですけどね。 ちなみに、今朝も近くの交差点で明らかな信号無視をして(対面の信号が赤になって15秒くらい経っているにもかかわらず)、かっとんでくるシルバーのワゴンRをみましたけど、少し前だったらこんなクソたわけはベンツかクラウン、アルファードなどだったんですけど、最近は軽四でも突っ込んでくるからタチ悪いですわな。 それはさておき、一時期検討していたドラレコ、本当につけたほうがいいかもしれないなって、再度考えているところです。でも、ホントピンキリですよね。どうせ買うならそこそこのものって思ったりもするけど、耐用年数がどの程度かわからんし、困っています。安くてもそこそこ持ってくれるんだったらいいんだけどね・・・。 ドラレコもそうだけど、タイヤもそろそろ変えないと危なくなってきているし、いろいろ金かかりますわ~
2017年10月16日
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先日行った石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、商用車が数多いことは以前も書きましたが、今回は各社の商用トラック(軽自動車以外)を紹介します。私が子どもの頃によく見た車両で、スーパーカーよりも私はこっちが好きな子どもでした(笑)。 まずは、日産のダットサン521型です。ダットサンは、日産を代表する小型トラックの代名詞でしたね。ダットサンにはダブルキャブといって、運転席・助手席の後ろにもドアがあって最大6人(コラムシフトの場合ですが)が乗れるようになっているバージョンがありました。この写真のダットサン521型にはドアはありませんが、運転席・助手席の後ろにも座席がありますね。その分、荷台は狭くなりますが・・・。 ダットサン521型のさらに前のモデルはこちら。右側の青いダットサンが1958年製、左側の白いダットサンが1961年製となっていまして、いずれのフロントマスクも当時のダットサンのセダンといなじものなんです。右側はダットサン211、左側はダットサン310でして、ダットサン310はすなわち初代のブルーバードにあたります。 これは、トヨタのコロナマーク2のトラックです。コロナマーク2といえば、コロナの上級モデルとして登場したのですが、ライトバンやワゴンの設定のみならず、このようなトラックもラインナップされていたんですね。 ちなみに、このコロナマーク2も運転席・助手席の後ろにも座席があって、この当時の商用車ってバリエーション豊富だったんですね。 こちらは、トヨタのミニエース。エンジンは空冷式で、「プクプクプク・・・」という独特のエンジン音を響かせて走っていたのを覚えています。今のトヨタで言うとタウンエース・ライトエースよりも下の車格になるのではないかと思うのですが、軽自動車よりも少し大きな普通車ということでモデル的にも中途半端かなってね。それでも、意外とよく見かけたように思います。 これもトヨタの商用車で、左がスタウト、右がトヨエースです。 このトヨエースは2代目のモデルで、写真のものは後期型のモデルになりますが、前期型は丸目の2灯でした。1~1.5t積みのトラックで、今のタウンエースやライトエースのようにセミキャブオーバーのスタイルですね。 写真のスタウトは、2代目のモデルで1t積みのボンネットトラック。この時代はこのようなトラックもよく見かけました。私にとっては、宮形霊柩車とか電電公社の工事用の車両でよく見かけたお馴染みのトラックでした。 この写真の右側のトラックは、3代目のトヨタのトヨエース。今でも普通に見かけるキャブスタイルになっていますね。トヨタらしい無難なスタイルは、この頃からなんでしょうか。 左側は、日産のキャブライト。3代目にあたるモデルだそうです。日産のトラックの名称には「キャブ○○」というものが多かったですね。 この写真の右側は、日産のホーマー。元々はプリンス自動車工業だったんですけど、1966年に合併以降は日産になりました。丸目とユニークな表情がいいですね。 この当時の商用車って、見ただけで車名がわかるし、子どもにも興味を持ちやすいものだったと思います。実際、私は商用車の中ではこのホーマーが好きでした。 左側の車両が切れてしまっていますが、トヨペットライトトラックだったかな・・・。 最後に、これは日産のジュニアトラック。1t積みのトラックですが、車両の横に書かれた看板にもあるようにパノラミックウィンドウ、すなわち曲面のガラスをフロントガラスに使用したモデルなんですね。商用車にパノラミックウィンドウを採用するなんて、思い切ったことをしていたんですね。 この車両が登場した1956年当時って、日本の道路はまだまだ未舗装が多かったと思うのですが、石を跳ねて割れた時はかなりの交換費用になっただろうなって思います。 商用車好きな私なのでかなりのボリュームになってしまいましたが、商用車ってボロボロになるまで乗って、最終的にはスクラップという流れでほとんど記憶にも残らないかもしれません。そんな商用車を大切に残してくれているのはありがたいなぁと思っています。
2017年10月12日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、今では乗用車を製造していないいすゞの乗用車も展示されていました。「走れ 走れ いすゞのトラック♪」というCMがありまして、若い子にはいすゞってトラックやバスのメーカーと思われているかもしれませんが、乗用車も作っていました。 先日紹介した亡き父が一番最初に購入したベレルもいすゞですが、写真のベレットがいすゞを代表する車の一つかと思います。 ベレットは、1963年に登場して1973年までの10年間にわたって作られていたので、何度かモデルチェンジをしている関係で、フロントやリアのデザインが異なっています。 そのベレットの上級モデルが写真左端のフローリアン。この当時にしては珍しい異型ライトが特徴的で、亡き父の会社のライトバンがこのフローリアンだったのを覚えています。 真ん中の白い車がジェミニ。当初は、前出のベレットの後継モデルということでベレット・ジェミニという名前だったそうです。ジェミニもよく売れましたね。特に1980年前後の第二次オイルショックの時は、ジェミニのディーゼルをよく見かけました。やはり亡き父の会社の車がジェミニのディーゼルでしたし、私も免許を取った時の候補の一つとして考えていました。 ところで、この角目の押し出しの強い車、これも前出のフローリアンのモデルチェンジしたものです。1977年という年式の割には古めかしい感じですよね。確か、シガープラグが乗用車用の12Vではなく、トラックやバスと同じ24Vだったと思います。だから、カー用品で12Vオンリーのものには「フローリアンには使えません」という注釈があったのを見かけたことがあります。 最後に、ジェミニといえば、FFになってからアクロバットをきめるCMを覚えている方もおられるのではないでしょうか。今でもYOUTUBEで見られますが、CG無しの本気のスタントですからね。とても印象深いし、いすゞも相当このモデルには力を入れていたんですね。かくゆう私も、このFFジェミニも好きで、購入を検討したことがあります。もちろんディーゼルでね。 ところで、この他にもピアッツアとかあったんですけど、根っからのセダン好きということで写真を撮るのを忘れていました・・・。
2017年09月17日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、先日紹介した東急くろがね工業や愛知機械工業など、今ではお目にかからないメーカーが作った車両も保存されています。 この車両もその一つ、オオタが製造したトラックなのです。 立て看板のところに「飛行機の発明家」ということが書かれていますが、大田祐雄氏が創業者のオオタ自動車工業は飛行機の研究開発をしていたそうです。その後、飛行機研究ではなく、自動車へ展開していくわけですが、戦前はダットサンのライバル会社だったとか。私も以前の本でそのあたりの話は読んだことがあるのを思い出しました。 このトラックは1953年製造ですが、すでにこの頃には経営破綻へと転がり始めていたそうで、ついには1955年に会社更生法の適用を申請して倒産してしまいました。その後を引き継いだのが、先日紹介した東急くろがね工業だったということなんですね。 今の時代に自動車メーカーが倒産することはありませんが、この時代はそんなことがあったんですね。いつだったかのドラマでもこれに似たような話があったかと思います。 それにしても、トラックなど商用車って、古くなってくれば廃車にして解体処分というのが多いかと思いますが、よくぞ生き残ってくれたって思います。
2017年09月14日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、三輪トラックとしては軽自動車だけでなく小型トラックもありました。 軽自動車の三輪トラックの代名詞がダイハツのミゼットなら、小型トラックはマツダのこの三輪トラックですよね。T1500といいますが、これはよく見かけました。この展示車の荷台はそんなに長くはないのですが、材木屋さんで使われていたタイプは13尺というかなり長いものがあったのを覚えています。 こちらはダイハツの三輪トラック、マツダのものとよく似ていますが、ちょっと角ばった感じですよね。 ボンネット部分には、ダイハツの文字と大阪城のマークが描かれているのがユニークです。ダイハツは、発動機製造株式会社という会社名で、大阪に会社があったことから「ダイハツ(大発)」になったとか。 こちらもダイハツ製の三輪トラック、でもドアがありません。このモデルは1956年式、先ほどのものは1959年式だそうで、ドアが付けられたりハンドルの形状が変わったりとモデルの変遷もみることができるんですね。 こちらは、先のマツダの三輪トラックのさらに前のモデル。1957年式だそうです。ヘッドライトの形はそのまま引き続き次のモデルに移行したんでしょうね。このモデルは、ダイハツとは違ってドアはありますね(窓はないみたいだけど・・・)。 こちらは、「みずじま」の文字と三菱のマークがあるのでわかるかと思いますが、三菱のみずしま号という1952年のモデルだそうです。三菱らしい無骨なデザインで、先日紹介したダイハツミゼットのデザインを先取りしたようなものに見えます。ミゼットの方がもう少しあとに登場しているし、デザイン的にはミゼットの方がいいかなぁ・・・。 こちらは、くろがねKP型という1957年のモデル。くろがねとは、東急くろがね工業という1957年から1962年まで存在した自動車メーカーで、現在の日産工機になります。我が国の戦後の自動車の歴史は、このように今では聞いたことがない自動車メーカーがほかの会社に負けじと自動車を生み出していたんですね。 さて、こうして三輪トラックをみてきましたが、戦後の経済復興と高度成長を下支えしていたのは、この三輪トラックではなかったかと思います。当時の日本の道路は今ほど整備されているわけではなく、狭い道路が多かったことに加えて、四輪車よりもタイヤ1本分の経費を削減できるというメリットがあったのではないかと思います。 前タイヤが1本しかないので安定性の悪さはあったでしょうけど、そんなに飛ばす車ではありませんから、そんなデメリットは気にしていなかったのではないでしょうか。 しかし、経済がさらに成長して物流が活発になってきて、それと並行して道路の整備が進んでくると、積載能力と安定性に欠ける三輪トラックに変わって、もっとたくさん積めてスピードを出しても安定がよい四輪トラックが各メーカーとも投入してくると、三輪トラックはだんだん廃れていくようになりました。 今ではイベントでみかけることくらいで、なかなか現役で走っている姿を見るのはまれですけど、今なお現役で使われているものもあるそうです。部品の確保とかかなり難しくなっているかと思いますけど、いつまでも大切に使って欲しいですね。 また、この日本自動車博物館においてこのように大事に保存されているのは、車としての希少性だけでなく、日本の経済を支えた功労者としても大事にしてほしいなぁと思っています。
2017年09月12日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、三輪トラックもたくさん展示されていました。私が子どもの頃は、見かける機会は少なかったものの、それでも三輪トラックを見かけることがありました。就職した1986年ころになるとその数もめっきり減りましたが、毎週木曜日の朝に出勤するときに阪和線鳳駅近くで荷台にダライ粉(金属の切削屑)を積んだ三輪トラックをよく見かけましたものです。 今では、車で走っていても見かけることはないですよね・・・。 さて、三輪トラックってよくみるとバイクの延長ともいえるかと思います。 例えば、これは1938年式のマツダGB型トラックというのですが、バイクの後ろに荷台をつけたような形ですよね。戦前からこのような形の車があったわけですが、当時の我が国の道路事情を考えれば、小回りの利く車両を考えてば、このような形になったんでしょうね。 もうこの角度から見るど、ホントにバイクですよね。 戦後の三輪トラックの代表格と言えば、ダイハツミゼット。これは、初期のもので屋根はあるものの、やはりバイクのようですよね。 バイクのよう、っていうのはこんなところにも。ハンドルが丸型ではなくて、バイクのようなバーハンドルとよばれるものになっています。この形状のハンドルは、追突事故をお越した時に運転手のお腹を直撃して悲惨な状況になったとか・・・。う~ん、ちょっとそれはいやだな。 それでも、たくさん売れたそうですね。昔の映像を見ていると、必ず映っているような気がします。 でも、ミゼットといえば、このスタイルですよね。 立て看板にもありますが、大村崑さんがCMキャラクターを務めていたことでも有名なミゼット。 「稲村ジェーン」でしたっけ? 映画にも出ていたそうですね。(私は見ていないけど・・・) こちらは、ダイハツではなく愛知機械工業のジャイアント・コニー。1960年式だそうです。愛知機械工業は、今では日産自動車の子会社として存在していますが、かつては軽自動車の製造メーカーでした。ダイハツやマツダ以外にも、製造していたメーカーがあったんですね。 これらは軽自動車に分類される大きさですが、小型トラックのものもありました。それももちろん展示されていましたが、それについては次回紹介したいと思います。
2017年09月09日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、各メーカーのものが数多く展示されているのですが、マツダの展示車について三輪トラックは別に紹介するとして、ここでは乗用車を紹介します。 昔のマツダ車で思いつくのがこの写真の右側に写っているキャロルです。こんな小さな車なのですが、この当時2サイクルのエンジンが多かった軽自動車の中で4サイクルのエンジンというこだわった車でした。 リアデザインも特徴的で、リアウィンドウが直角に立っていますよね。 ちなみに、赤い車体はファミリア。ファミリアといえば、あの爆発的に売れたFFのファミリアを思い出しますが、元々はこんな感じのセダンやライトバンの小型車でした。 そのキャロルよりも前の軽自動車といえばこのR360クーペ。っていうか、私は本では何度も見たことがあったのですが、実物を見るのは初めてでした。今の軽自動車と比べてもかなり小さな車で、道路の狭い日本に合った車なんですよね。 これは、先の赤のファミリアの次の世代に登場したファミリア。マツダといえばロータリーエンジン。マツダでは、サバンナのようなスポーツカーだけではなく、ファミリアのようなファミリーカーにも搭載していたのが特徴です。だから、見た目は普通のファミリーカーなのに、やたら速い!ということだったんですね。 そういえば、私の職場の先輩職員が最初に買った車がこの型のクーペだったそうで、「速い・安い・止まらない」の三拍子揃った車だったとか。止まらないというのは、ブレーキがあまりにもチープだったそうで、そこは手を入れて使い勝手を良くしていたのかもしれませんが・・・。 これは、マツダの最高級の位置づけになるルーチェ。今見ると普通のファミリーカー的な感じですよね。 ちなみに、このルーチェは刑事ドラマ等でカースタントに用いられているのをよくみた記憶があります。 最後に紹介するのが、この写真の左側に写るカペラ。これまた刑事ドラマにおいてカースタントで用いられていた車なのですが、1970年当時にこんなスタイリッシュな車があったんだって思いました。キャッチフレーズが「風のカペラ」ですからね。展示車はクーペでしたが、セダンもありました。 今のマツダも最近のデザインがなかなか特徴的ですが、その流れはずっと以前からあったんですね。そういえば、最近の車はATしか設定がないものが多い中で、マツダは意外とMT車の設定も残してくれているのがいいですね。
2017年09月05日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両には、各メーカーのものが数多く展示されているのですが、三菱車はやや少なかったような・・・。私が乗っていたE30系ギャランも名車の一つだと思うのですが、いずれ展示されるかな? さて、展示されていた車両は、私にとってお馴染みの車両でした。 すみません、右端に映るギャランFTOが切れてしまっていますけど(汗)、その左側のオレンジはギャランGTOです。ここでは、フロントしか見られませんが、リアデザインがかっこいいんですよ。 それから、さらにその左側はコルトギャラン。これもキビキビと走る車でした。私の亡き父が代車で借りてきましたけど、よく走る車でした。 一番左端がデボネア。1964年に登場して、22年間若干のデザイン変更だけで販売していたというもので、「走るシーラカンス」なんて言われていましたね。となりの上牧町で時折動いているのを見かけます。 これは、ギャランラムダ。角目のヘッドライトでシャープなデザイン、室内も特徴的なハンドルと個性的な車でした。高校の時の先輩がこれに乗っていて、格好良く見えました。その先輩曰く、「三菱車はマイナーな車だけど、丁寧に作っているから初めに買う車だったらおすすめ」って話していたのを覚えています。 最後に紹介するのが、ランサーEXターボ。通称「ランタボ」です。車体は、ランサーEXというごくごく普通のファミリーカーなのに、エンジンはその車体には似合わないくらいのレベルのターボエンジン。実は、こんな車って個人的には好きなんです。見るからに早そうな車ではなく、見た目は普通の車なのに、走り出したらとんでもない運動性能を見せるという車が好きなんですよ。まぁ、そこまでのうではありませんけどね(苦笑)。 ちなみに、E30系ギャランに乗っていた時に借りていた駐車場の隣に停まっていたがこのランタボでした。だから、車の中を覗かせていただきましたが、本当にシンプルな飾りっけのない車で、元々がランサーEXと共通の車体ですから、ドアも同様ということで、昔の三菱車によく見られたペラペラのドアでした(ドアを閉める音でわかる)。 それにしても、今の三菱ではこんな個性的な車を作ることはできないんでしょうね。ゴーン傘下になってしまったようだし・・・。残念だなぁ~
2017年08月26日
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先日行った日本自動車博物館、いろんな車がある中で刑事ドラマでよく見た車もありました。よく見たっていっても、「カースタントで」ということなんですけど。 まずは、セドリック130(後期型)です。これは、「大都会パート2」でよく見ました。渡哲也さん扮する黒岩軍団でよく使われていて、激しいカースタントでもみかけました。あれだけボコボコ壊されたけど、大事に乗っている方もおられてこうして展示されていてよかったです。 同じセドリックならこちらの330も「大都会パート3」や「西部警察」でよく使われていましたね。西部警察では、カースタントでも活躍していました。 ちなみに、「大都会パート3」や「西部警察」では同じセドリックの230が一番のお気に入りだったのですが、ここには展示されていませんでした。 こちらは、クラウンの40系。「太陽にほえろ!」では、カースタントでよく見かけました。だから、これらの車が出てくるとどのようになるのか、ドラマの流れも然ることながら当時子供にもかかわらずそういうことを気にしながら見ていました(苦笑)。 ところで、このクラウンは私が4歳まで住んでいた住吉区我孫子町の家の近くに乗っている方がおられて、しかもそこの家の女の子と仲が良かったこともあって、よく覚えています。 最近のドラマでは、カースタントを見る機会が少なくなってしまいましたが、昔のドラマはカースタントが多かったのでとても画的には面白かったと思っています。
2017年08月15日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両の中には、私が免許を取った時に欲しかった車も展示されていました。 それは、スカイラインです。それも、スカイライン・ジャパンが欲しかったんですよ。 写真は前期型のスカイライン・ジャパンで、後期型は角目ヘッドライトになりましたが、その後期型がほしくてね。でも、族車と化してしまったものが多くて、ノーマルのものってなかなかいいのがなかったのを覚えています。 そんな中で、当時同じ部署だった先輩職員がまさしくスカイライン・ジャパン(しかもMT)に乗っていたので、買い換えるなら譲って欲しいってお願いしたこともありました。 しかし、結局は他の車で妥協してしまった私、スカイラインには縁がありませんでした・・・。 こちらは、スカイライン・ジャパンから2代前の通称ハコスカ、これも好きだったんですよ。中学の時の部活の顧問がこれに乗っていました。ちなみに、私の住んでいる町内にも大事に乗っておられる方がおられます。 ハコスカのさらに前、日産自動車と合併する前のプリンス自動車工業当時のスカイラインです。 1964年の第二回日本グランプリで、ポルシェを抜く(その後抜き返される)という伝説を作った車なのです。元々がファミリーカーだったスカイラインのフェンダーを無理やり伸ばして、そこに同じプリンスの高級車のグロリアのエンジンを積むというなんとも不格好なスタイルながらも、あのポルシェを追い回したんですからね。まさに伝説の車、ですよね。 さらにその前のプリンススカイラインも展示されていました。 歴代のスカイラインの中でどのモデルが好きか、っていう話を車好きですると、この通称「ケンメリ」っていう人が多かったような・・・。私も嫌いではないのですが、やはりジャパンかなぁ。 私が「スカイライン」としていいなぁって思っているのは、このR32まで。それ以降は車体が大きくなりすぎて今ひとつ好きになれませんでした。R32も欲しいスカイラインのひとつでしたけど、その当時はすでに車を持っていましたからね、もう少し早く登場してくれよって思いました。 今でも日産には「スカイライン」の名前はありますが、う~ん、私が憧れていた頃のスカイラインではないからなぁ、ちょっとどころか全然違うなぁって思っています。
2017年08月10日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた展示車両の中には、私のセカンドカーのスバルサンバーのご先祖さんも展示されていました。 これは、1962年製の初代のスバルサンバーです。ちょっと下唇が出たような感じの風貌がユニークですよね。しかも、ワイパーが運転席だけだったり、運転席・助手席のドアの向きが今とは反対だったりと、これまたユニークです。この当時は、このような感じの車がサンバーだけでなく他社の車でも見ることができました。そのあたりはまた別の機会で紹介したいと思います。 でも、私にとってのサンバーといえば、こちらの顔(2代目サンバー)なんです。私と同じくらいの世代の車好きの方なら多分わかると思いますけど、いかがでしょうか。ホットドックの販売車やたこ焼きの販売車でみかけませんでしたか? 私はよく見かけたんですけどね。もちろん、普通に商用車で使われているのも見ていましたし、写真のトラックの場合は、畳屋さんの店先だったり酒屋さんだったり、ホントよくみかけましたよ。 そして、ちょっと頼りないエンジン音と白煙を吐きながら走る光景は、今でもよく覚えています。サンバーは1961年に登場以来、リアエンジン・リアドライブをかたくなに守っていたわけですが、2012年からはダイハツハイゼットのOEMを受けることになってしまって現在に至っています。 私のセカンドカーのサンバーは5代目にあたるのですが、この2代目の時のイメージを感じることができるので気に入っています。ただ、このところ小さなトラブルが増えてきているのが気がかりですが・・・。 それにしても歴史の流れとはいえ、ライバルだったメーカーからのOEMにより、今でもサンバーの名前を引き継いでいるのはなんだか悲しいものがあります・・・。
2017年08月07日
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先日、石川県の日本自動車博物館で見かけた車の中で、亡き父が乗っていた日産ブルーバード510も展示されていました。 ブルーバード510は、1967年に発売されたブルーバードとして3代目になりますが、すっきりとしたデザインでたちまち人気車種となったモデルで、歴代のブルーバードの中で最も人気のあったモデルといっても過言でないと思います。 展示されていたモデルは、グリルのバッジから想像するに1969年に登場したモデルチェンジ版(ブルーバード510は、細かくモデルチェンジがなされていた)にあたると思います。 私の亡き父は、1968年にモデルチェンジされたダイナミックシリーズというモデルの1600DXで、グリルのところに「D」のマーク(ダットサンを表す)の入ったものでしたが、基本的なスタイルはこの写真のモデルと一緒です。色はガンメタで冷房はもちろんのことなくて、今のような夏の時期は暑くてたまらなかったのを覚えています。 車内の様子は近寄って見ることができないので確認できませんでしたが、亡き父の乗っていたモデルは、この当時の日産のモデルによく見られた横長のスピードメーター、ホーンリングのついたハンドル、コラムシフトのマニュアル車でした。 でも、私はこのブルーバード510が好きで、ウインカーランプが赤一色だったこともあって、「流れるテールランプ」がリアに増設されていたのも他のブルーバードにはないものだったので長く乗ってくれるものと思っていたのですけど、1977年にブルーバード810に乗り換えられてしまいました。 ところで、ブルーバード510の横には、1963年から発売されたブルーバード410が展示されていました。登場時期が4年違うだけでこんなにデザインが違うんですね。ブルーバード410は、フィアットによく似たモデルだと思うのですが、デザイン上の問題があってなかなか販売面では苦戦したモデルだったのです。 その原因がこれ。後ろに行くほどややラインが下がっているように見えますよね。この「尻下がり」というデザインが受け入れられなかったということで、モデルチェンジの度に少しづつ改善されていったようですけど、根本的な改善にはつながらなかったようです・・・。 亡き父は、ちょっと変わったこのブルーバード410も気に入っていたようで、コルトライトバンから買い換える際には510か410か迷ったそうです・・・。買い替え時点のことを考えれば510になるんでしょうけど、後年になって話をしたときに、410のデザインも気に入っていた(尻下がりであっても)ようです。 ちなみに、ルパン三世の「カリオストロの城」で登場する埼玉県警のパトカーや、「ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE」での銭形警部の車として登場しているのがこの410でしたね。ちょっとバタ臭く見えるんだけど、それがなんだかいい味を出しているからそれはそれでいいのかな。 話を戻して、亡き父が乗っていた愛車を見ることができてよかったと思っています。
2017年08月05日
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先日の日本自動車博物館で見かけた車についての続きです。 各メーカーの車が展示されていることもあって、三菱の古い車も展示されていました。その中から亡き父が2代目の愛車だった車を見つけました。(展示されていたのは輸出仕様でしたが、亡き父のは日本仕様でした) 三菱の車ですから、よっぽどの車好きくらいしか車名はわからないかもしれませんね(苦笑)。 これは、三菱コルト1500です。コルト1500はヘッドライトがデュアルヘッドライトになのですが、1100はシングルでした。このコルト1500のヘッドライトはよくみると、少し角度を変えた表情を作り出しています。これがまた特徴的で、私が物心ついた頃から1972年ころまで乗っていました。 もっとも、亡き父の車は写真のセダンではなくライトバンで、しかも塗装もブルーでしたが、1500だったのでフロントマスクはこの表情でした。コルトも古い車のイベントでは1100はたまに見かけますが、1500の方は少ないような気がします。だから、こうして実物の1500を見るのは本当久しぶりでした。
2017年07月29日
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今日は、5年に一回の運転免許の更新に行ってきました。即日交付が可能な運転免許センターへ行きましたが、ここは全国的にもそうだと思うのですけど土曜日はやってないんですね。土曜日にやってくれたらいいんだけど、やはり土曜日に仕事という人も多いことから日曜日にやっているんでしょうね。 奈良県では、近鉄橿原線の新ノ口駅東側にある奈良県運転免許センターの一箇所だけ、日曜は朝と昼からの二回対応しておりますが、案内のはがきには「日曜朝は混雑します」と書かれてありました。実際、今回は朝に行きましたが、9時前の時点でかなりの人がやってきていまして駐車場もほぼ満車状況でした・・・。 さて、5年ぶりの免許更新ということですが、5年前は中型限定解除をしたところでした。今回は、それの初めての更新ということで、前回も行いましたが中型免許(今年から加わった順中型も)や大型免許、二種免許には「深視力」というものがあります。これも前に説明しましたが、要するに3本の縦線のうち真ん中の線が前後に移動、三本揃ったところでボタンを押すという遠近感を検査するものです。その測定する機械に慣れていれば、あるいはきちんと見えておればなんてことはないのですが、意外と見えていない、あるいは深視力は苦手という方がおられるのも事実です。先日乗ったタクシーの運転手さんと話をした時にもこの話題がでまして、「苦手なんですわ~」ということを話しておられました。 そんなこともあってyoutubeをみていると、実際にそれっぽい装置を使って解説してくれていたり攻略法を教えてくれていたり、とあったのですけど、実際の装置を使って練習ができないかなって思っておりました。眼鏡屋さんによっては、そのお店でメガネを作ってくれたら無料で練習させてあげますよとか、一回3000~5000円で練習できるなんていうものもありました。その中で、京都で練習させてもらえる眼鏡屋さんを発見、先日行ってきました。そこで何度も練習した結果、基準の±20mmの中に収まっていることが実感できるようになりました。(っていうか、練習する前からほぼその基準値内に収まっていた) 前置きが長くなりましたが、実際に順番が来て装置を覗き込むと、普通の視力表による検査が終わると「はい、次の手続きへ」と係りの方に言われました。あれれ? 深視力やっていないんだけど、別室で行うのかなと思いながら次の手続き場所へ行って書類を提出してしばらく待っていると、私の名前が呼び出しに・・・。行ってみると、「深視力の検査がなされていないので・・・」。でしょうね、ってかやはりあの場所でするんやったんかい!! 仕方なく再び並んで、先ほどの装置を覗き込んで深視力(その前に再度視力表による検査を実施)の検査。ちゃんと真ん中の線が前後に動いていることもはっきりとわかったし、コツも掴んでいたので難なくクリアできました。ちなみに、数値的には基準値±20mmに対して、2mmが二回と13mmが一回と基準値クリアしただけでなく、2mmとほぼツライチに並んだところでボタンを正確に押していたことに係りの方も「おっ、いいですね」と言っておられました。(先日の練習でも、「0mm」というのを何度も出していたので、きちんと見えさえすれば問題ないっていう自身もありました) その後は、写真撮影をして場所を変えて講師から30分間のありがたい(?)講演を聞きました。最近の奈良県での死亡事故では高齢者が横断歩道でないところを横断してその途中にはねられて死亡する事故が多いとのこと。その状況は「車が停まってくれる」「(車の方が)見えているはず」「(この距離なら)車が来るまでに充分横断できるはず」という勝手な思い込みによる事故が多いように思えました。それを聞いて、私の母親は大丈夫かなって思いました。 さて、できあがってきた新しい免許をみると、5年のあいだに髪型は変わったし、やはり老けたなぁってしみじみと思いました。まぁ、仕方ないよね、来月50歳になるんだからさ。 向こう5年間、トラブルなく運転することができるようにしたいと思っています。
2017年07月23日
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先日、北陸方面への出張の際、一日休みをいただいて石川県の粟津にある日本自動車博物館へ行ってきました。ここは日本車・外国車あわせて約500台が展示されており、スポーツカーだけでなく商用車やセダン、トラックや軽自動車まで、日本の戦前戦後を支えてきた自動車が展示されているというところで、前々から機会があれば行ってみたいと思っていたところでした。元々商用車好き・セダンの車好きな私にとっては、時間をかけてじっくりと見たいところだったのですが、時間に限りがあったのでほぼ写真を撮るだけになってしまいましたが。 その限られた時間の中で、私が気になった車をシリーズにして紹介していきたいと思います。まず、その1として、亡き父が初めてオーナーカーとして購入した車を見つけました。 まずいきなりリアデザインから。ここでこの車の車名を当てることができたら、かなりの自動車通なのですけどいかがでしょうか? この三角のテールランプが特徴なのですけどね。 この車は、いすゞのベレルという車です。 ベレルは、トヨタのクラウン、日産のセドリック、プリンスのグロリアに匹敵するサイズと車格を目指して作られたそうですけど、造りに甘さがあったりデザイン的にも垢抜けないところが災いしたのか売れ行きは今ひとつだったのですが、いすゞお得意のディーゼルエンジン車があったために、タクシー業界では多く導入されたとか。ただ、これとて音や振動がひどくて運転手はたまらなかったとか・・・。 そんなマイナーな車だったのですが、私の父親は母親と結婚した1966年頃に中古車で購入、先に書いたディーゼルエンジン車だったそうです。本当はセドリック(H30型)やブルーバード(410型)が欲しかったそうですけど、おそらく少々高かったんでしょうね。ベレルなら前出のとおりあまり売れていなかったし、中古車としても人気がなかっただろうから手に入れやすかったんでしょうね。ちなみに、ナンバーは東京の足立ナンバーだったそうです。 前から見るとこんな感じ。このベレルが造られていた同時期のセドリック(H30)に似てないことはないのですが、タクシーに使われるくらいですから大きさ的には申し分ないものだったでしょうね。私は、この車に乗せてもらっていた頃の記憶は全くありませんが、夜泣きのひどかった私を乗せて毎晩のように当時住んでいたアパート(現在のJR阪和線我孫子町駅近く)から地下鉄御堂筋線のあびこ検車区(当時)あたりまで走っていたそうです。ただ、困ったことに車に乗って走っている分には泣きもせず、機嫌よく車に揺られて楽しそうにしていたそうですから、当時から車がすきだったんでしょうね(苦笑)。 ちなみに、これがセドリック(H30)です。手前の緑色が後期型、左側の黒色が前期型です。ところで、私の実家のアルバムには、赤ちゃんの頃の私がこの後期型のセドリックのボンネットの上で座っている写真がありまして、私はてっきりその当時亡き父が乗っていた車がセドリックだと思っておりました。しかし、その車は近所の人の車だったようです・・・。 それにしても当時の車って、見ただけで車名がパッと出てくるくらい特徴のある形ですよね。 話を戻して、この亡き父が乗っていたベレルも、最後はギアの調子が悪くなったり、ドアロックが甘くなって車内が荒らされることもあったことから、廃車にして今度は三菱コルト1500ライトバン(もちろん中古)に買い換えました。こちらの方はよく覚えています。
2017年07月22日
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米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)は13日、新型スポーツ用多目的車(SUV)「キャデラックXT5クロスオーバー」を10月28日に日本市場で発売すると発表した。全長4.8メートルと大型で、左ハンドルの設定しかない海外仕様のままとした。GMの2016年の日本販売は1000台超と苦戦しており、右ハンドルを設けなかった新型車が、どこまで反転攻勢の起爆剤になるかは未知数だ。(中略) トランプ米大統領は今年1月、日本での米車の販売シェアが低いことに「不公平だ」と批判したが、日本の自動車関税は既にゼロで、競争条件は同じ。日本の自動車メーカーは、米車の低迷に対し「日本の道路事情に合う右ハンドルの設定など、売るための努力が足りないのでは」と口をそろえる。【Sankei Bizから引用】 トランプのオヤジにしてみたら、「ドイツ車は日本で売れているのに、アメ車がなぜ売れないんだ。不公平じゃないか」って単純に思っているんだろうね。確かこのオヤジって、ビジネスマンだよね。なぜアメ車が売れないかって、上の本文に答えが載っているだろうが。もしかしたら、その意味がわからない? もうね、アメ車がドイツ車のように日本で受け入れられない理由なんて、とても単純な事なんですよ。アメリカ本国と同じものを売ろうとしても、日本の道路は狭いし、通行区分も違う。そんなわかりきったことを一切お構いなしに売りつけるのは、タチの悪い押し売りと一緒ってわからないかな。そんなことしたって誰も見向きもしないわけで、そんなことでは販売シェアが低くて当たりまえ。まだ買っていただける方がおられることに感謝しないといけないんじゃない? 私は外国車にはあまり興味はありません。なぜなら、日本で販売されているそのほとんどがAT車だから。本国ではMT仕様だと思うのに、日本でもMT仕様を発売してくれたらいいのにね。MT仕様だったらいいなぁって思うのが、ベンツのVシリーズかな。とても高くて買えるわけないんだけどね。 話をもどして、アメ車のシェアを伸ばしたかったら、もっと日本人のこと・日本市場のことを勉強するしかないんじゃないかな。あと、過去の失敗(サターンとか、キャバリエとか)から学ぶことも必要だと思うけどね。 でもまぁ、大統領自ら以上の内容が理解できないようでは、アメ車が日本で劇的に売れるようになることはないね。 いっそのこと、メルケル首相に相談したら? 「なぜドイツ車は日本で売れるのに、アメ車は売れないんだ?」ってさ。メルケル首相も困るだろうね、「えっ? マジで言ってるの?!」って。
2017年07月15日
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私の愛車のデリカSWは、走行距離が21万kmを達成しました。 タイミングよく信号待ちで撮影することができました。 ここ一ヶ月の間、約1000kmを走行していたのですよ・・・。だから、思ったよりも早く21万kmになりましたよ。 今年に入って細かなトラブルが多くなっているのと、塗装がかなりヤレてきているのが気がかりですけど、まだまだ乗り続けたいです。
2017年06月17日
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私の愛車、デリカSWが再び点検に入った話は昨日のブログに載せましたが、今日の夕方、なんとか完成しました。クランクシャフトプーリーの交換で復活、安心しました。ディーラーの整備担当者の方の話では、写真をみせてもらったところ、かなり危険な状況になっていたとのことで、ゴムで接着されているところの全体の3割程度しかまともなところがなく、要するにゴムが剥離してほかの箇所にあたっていたのが異音の正体だったようです。っていうことは、あの異音に気がつかなければもっと大変なことになっていた可能性もあるということ。普段から平常の時の音や振動、匂いなどに気をつけていないといけないということですね。 値段的には39,000円ほどかかりましたが、長く乗っているとこのようなトラブルはつきものかなって思っています。ディーラーにとっては、車検後にトラブルが見つかるケースが今回に限っては多いことから、かなり恐縮していました。今回の部品も、タイミングベルトを交換する際にあわせて交換する方法もあるそうですが、劣化度合いがそれほどでもなかったことから見送ったそうです。この辺の見極めは、私にはわかりませんが、ゴムは経年劣化するものと思えば早めに交換してもらってもよかったのかなと思いました。 さて、今回借りたekスペース、今年3月に新車で登録されたものだったようで、借りた時点では800kmの走行距離だったのですが、今日運転している時に1000kmになりました。 借りた車ですけど、こんなタイミングもあるんですね。 それにしても、新しい車はナビもついて便利なようですが、ほとんど活用していませんでした。表示させているだけで、見ることもほとんどありませんでした。まぁ、デリカSWにはナビなんてありませんから、「ナビを頼りに運転する」という運転方法は、私にはありませんから。
2017年06月05日
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今日の草野球の試合にデリカSWで行ったのですが、駐車場で車の下部から異音がしているのに気がつきました。ファンベルトが緩んでいるような感じだったので、ちょうどオイル交換のタイミングもあったことから西宮市の三菱のディーラーへ。 みてもらうと、衝撃の話が・・・。「クランクシャフトプーリーに異常がある」とのことで、最悪の場合、タイミングベルトにも影響があるとか・・・。おいおい、またかよ~っていうところですが、車が古いから仕方ないですわな・・・。車検の時に分かればいいのですが、なかなか難しいところなのかな・・・。 ということで、今年3回目の代車です(爆)。今回も軽自動車のekスペース、しかも座席が革張りなのです。革張りの座席って、今までのオーナーカーでは乗ったことがないのでちょっとうれしいですね。この車も、ディーラーさんが手配してくれました。というのも、明日どうしても家の用事で車が必要なので・・・。 さて、車の点検をしてもらっているあいだは、昼食にディーラーの近くにあるラーメン屋さんで昼食をとっていました。西宮市の小曽根線沿いにある「ラーメンまこと屋」です。鶏醤のラーメンで青ネギが載ったものにしました。
2017年06月04日
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日本では、セダンの車種が少なくなっているようです。あるトヨタ系のディーラーでは「昔と比べ、いわゆるコンパクトセダンの車種が減ったこともあり、現在の販売割合としては全体の1割ほど」と話します。 そもそもセダンは一般的に、ボンネット、車室、トランクがそれぞれ独立した、いわゆる3ボックス型の乗用車を指します。関東地方で営業している別の自動車販売店は、「セダンは好みはっきり分かれます。高級車を中心に、売れているものは売れていますが、一般的なクラスでは、ファミリー層はやはりミニバンやワンボックスのような機能性を重視したクルマを選ぶ傾向があります。そのためセダンの車種が減り、販売台数も伸びない状況です」と話します。 一方、普通免許の教習車では、自動車メーカー各社の様々なタイプのクルマが教習車として採用されるなか、セダンタイプをよく目にします。そこに理由はあるのでしょうか。【乗りものニュースから引用】 確かに街中で見かける車って、私が子供の頃は圧倒的にセダンの車が多かったものです。しかも、各社特徴的なスタイルだったので、シルエットでほぼ車名を言い当てることができるくらいでした。今では、各社ともミニバン系統や2ボックスの車(軽四含む)が多くて、しかもスタイル的にも似たような車が多くて、「次に買い換えるならあればいいなぁ」って思えるようなものは、私にとっては皆無です。ましてやセダンの車って、最近はかなり少なくなっているし、販売されているのも何があるかなって考えないといけないくらいです。 そのような状況なのですが、教習所で使われている車はセダンタイプが多いですよね。私の上の子どもが行っていた教習所もトヨタ・コンフォートだったし、同じ奈良県内の教習所ではマツダ・アクセラなどセダンタイプばかりです。このあたりは、「基本的な車の取り回しを覚えるには、セダンタイプが車の基本だから」ということなのでしょうか。 ただ、実際に販売されている車でセダンタイプが少ないことや、免許を取ればセダンは乗らないだろうということを考えれば、ミニバンタイプの車で教習するというのもありかなって思ったりします。例えば、セダンタイプの車で免許を取ったとしても、私が乗っているような1box車やミニバンに乗ろうとすると目線の違いや車に受ける風の状況などセダンではありえないようなことを感じると思うのですよね。もっというと、最初から軽四しか乗りませんっていう人なら、セダンの車で免許の講習で四苦八苦するくらいなら、昔のような軽免許のような仕組みもありではないかと。 「免許をとってどんな車に乗りたいか」ということで、教習車の種類が選べたらいいんでしょうけど、特にそれがなければ、やはり無難なセダンタイプになってしまうのかな。いや、セダンタイプの車は今では少ないんだから、2boxの車で練習する方がいいのかもってね。 ところで、話の本筋からは外れますが、ネットのコメントを見ていると、「教習所ではどのような車が教習車だったか」というものがありました。年配の方と思われるものでは、日産セドリックやトヨタクラウンのコラムMTという方がおられましたし、トヨタマーク2や日産ローレル、マツダカペラという方は私と同じくらいの世代かな。最近の方だったら、前出のコンフォートや日産クルーというのもあったかと。ディーゼルの教習車というところもありましたし、そういったコメントを見ているだけでも面白かったです。 ちなみに、私が行っていた教習所は、マーク2(GX61)のセダンでしたが、それより前はずっとセドリックでした。今はコンフォートですね。 脱線ついでに、今年から「準中型」とう免許区分ができましたが、この準中型の教習車って何を使っているのかな、って調べてみると、いすゞエルフや日野デュトロのダブルキャブのところが多いようですね。準中型は普通免許を持っていなくても18歳から受けられるとのことだから、私の下の子どもにはそっちで受けさせようかな。MT車だし、私の家の車は二台ともボンネットがないから(笑)。 話を戻して、現在販売されている車の主流に合わせて、教習車も変えてくれたらいいなと思いました。タクシーでさえ、今後はミニバンタイプが多くなると言われているくらいですから。
2017年05月20日
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4月29日にクラッチ不具合のために、再び修理に出したデリカSWが本日戻ってきました。クラッチのマスターASSYというポンプのような部品の交換となりましたが、部品代だけで工賃は無料ということに。 まぁ、車検上がりにクラッチの様子がおかしいのではないか、と再調整してもらったにもかかわらず、ということもあるのでしょう。運転席に乗り込んでクラッチを踏むと、車検前の状況に戻っていたし、ついでにいうと車検前から1速や2速に入りにくかったのも解消されていました。おかげで、ギアはスコスコ入ってくれるようになりました。 さて、代車で借りていたデリカD:2は、結局500kmを超える走行となりました。GW中は和歌山などに行ったりしてかなり乗りましたからね。さすがに燃料がかなり減って警告表示も出ましたので入れてみると、約30リットルしか入らない! このデリカD:2はハイブリッド仕様でしたので、おそらく電池があるために燃料タンクも小さめになっているのではないかと。 それにしても、さすがハイブリッド仕様ですね。燃費がすごい! ATの組み合わせとしてはいいのでしょうね。燃費の良さは認めるけど、「運転して楽しいか」というところは「全然楽しくない」ですよね。それと、スタート時に電池で動くのかエンジンで動くのか、ややタイムラグがあって、そこは最後までうまく感覚というかタイミングがわからなかったなぁ。そこがわかればもっと燃費はよかったかも。 運転は楽しくなかったのですが、せっかくだから何か運転しながら楽しもうということで、ブレーキを踏んで「カックン」ってならないように心がけていました。運転の下手な人って、ブレーキの踏み方で酔うっていうでしょ。上の子どもはあまり気にしないんだけど、妻は新車の匂いやブレーキで酔う人なので、そこをきちんと扱っていましたので、酔うことはありませんでしたよ。 話を戻して、デリカSWで家に帰りましたが、やはり自分の車がいいですね。車の振動(うるさいけど)、アイポイントの高さ(ワンボックスだから)、車の揺れ(これもワンボックスだから)。古い車で快適装備はエアコンくらいだけど、運転して楽しいのはやはりこっちかなってね。
2017年05月07日
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4月29日のブログにも書きましたが、車検後に私の愛車のデリカSWのクラッチの不具合により、今年のGWは台車生活を余儀なくされてしまいました。元々GWは、混雑するからあまり車の利用は控えるようにしているのですけど、今年は上の子どもが和歌山から戻ってきて買い物や散髪、和歌山までの送りなど使わなければならない状況となりました。 今回借りたのは、デリカD:2。スズキソリオのOEM版で、運転席ドアの内側に「SUZUKI MOTORS」のメーカーズプレートがありました。また、このデリカD:2は、ハイブリッド仕様となっておりました。 今年2月に登録された新車でして、借りた時点で1500kmちょっとだったのですが、GWの今日までの間に約500km走行、2000kmを超えました。ちなみに、ハイブリッド車に乗るのはこれが2回目、一回目は試乗車で初代プリウスが登場した頃に乗ったことはありますが、ここまでハイブリッド車に乗ったのは初めてです。さすがに燃費は良さそうですね。 まだ新車の匂いがして、妻や下の子どもには「その匂いで酔う」とのことでしたが、上の子どもは全然気にしていませんでした。私も久しぶりの新車の匂いでちょっとうれしかったです。 それから、最近のスライドドア車には当たり前のことなんでしょうけど、自動ドアで使い勝手はよかったです。20年前の車とは違いますね(爆)。 車内も意外と広くて、ATというのが残念なんですけど、子どもが就職や進学して夫婦二人だけになれば、これくらいの車で十分なのかもしれないですね・・・。 それにしても、車検と今回のように車検後の不具合で約2週間近く、GWをはさんで代車生活をしていると、すっかりとこれらの車に慣れてくるのですが、やはり自分の車が恋しくなりますね。 明日、デリカSWを引取りに行きます。ちゃんと直っていたらいいんですけどね・・・。
2017年05月06日
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私の愛車、デリカSWは、先日車検が完了したのですが、その帰りにクラッチの違和感を感じていたことはこのブログでも取り上げました。そして今日、エンジンかけてクラッチを踏み込んだところ、ペダルが戻ってこない! 以前、クラッチの油圧が全部抜け落ちるというトラブルに見舞われたことがありましたが、それとほぼ似たような症状でした。 それでも、車で出かける必要があったことから、車を動かしてみるとギアはつながるのでそのまま出発。しかし、どう考えても途中で止まってしまう可能性が否めないことから、諦めて車を駅前で借りている月極駐車場へ置いて、草野球の試合に行きました。 戻ってきてから、再び車の状況を確認すると、状況は一緒ということで再点検を依頼すべく、西宮市の三菱のディーラへ連絡。GW中でしたが5月1日まで営業ということで、症状を説明すると車を引き取って確認するということに。ディーラーから台車を積車に積んできてもらって、その積車にデリカSWを積んでいくこと方法で行うこととし、自動車保険のロードサービスに相談すると、そのパターンでは保険は使えないとのこと。あくまで、保険屋手配のレッカーを使用しなければならないとのこと・・・。う~ん、うまくいかないなぁ。 ただ、私はJAFの会員ですので、JAFのロードサービスによるレッカー移動(15km)と保険屋のロードサービスによるレッカー移動(50km)を組み合わせれば、自己負担はほとんどないということだったので、その方法で運んでもらうことにしました。 奈良県のJAFのサービスカー(積車)にデリカSWを積んで、西宮へ出発。来てもらったJAFの方の話では、私のように他府県のディーラーなどに運ぶケースというのはあるらしくて、奈良市内から愛知県の岡崎まで運んだ例があるとのこと。ちなみに、JAFのロードサービスは、50kmを超えると1kmあたり720円もかかるそうです。岡崎まで運んでもらった人、およそ15万円近い出費になったんでしょうね・・・。それでも、やはり故障した車を出先のディーラーでみてもらうよりは、自分の知っているディーラーで見てもらおうということなんでしょうね・・・。 ところで、この積車は三菱ふそうのキャンターなのですが、排気量3000ccで6速デュアルクラッチ機械式ATのDUONICでした。最近は、トラックといえどもATだそうで・・・。また、JAFの方のお話では、エンジンはフィアット製とのことだったので、調べてみるとほかの方のブログに『フィアットグループのFPT社とダイムラー、そして三菱ふそうが共同開発した2,998cc直列4気筒・DOHC16バルブ・直噴コモンレールインタークーラーディーゼルターボエンジンで、最高出力・最大トルクが:4P10(T6)型 129kW(175PS))、トルクが430Nmこのエンジンには、再生制御式DPFと、小型トラッククラス初の尿素還元システムBlueTec(ブルーテック)システム』というユニットとのことでした。私は商用車好きということもあって、西宮までの約1時間は車の話をしていました(笑)。 さて、西宮の三菱のディーラーに到着して、確認してもらいました。どうやら、油圧のポンプの部分が劣化してきているようでした。以前、クラッチの不具合があった時にはホースなどを交換していますが、ここは交換していなかったようです。 それから、私がクラッチの違和感について連絡して以降、クラッチで考えられる故障にかかる部品の在庫を全て確認してもらっていたようで、当該部品も在庫があって5月1日に到着予定とのこと。ただ、GWということで部品到着とか作業の関係(5月2~5日まで休業)から、今日は代車を借りて帰ることにしました。 車検直後の不具合ということで、ディーラーもかなり平身低頭でした。まぁ古い車だし、あまり急かしてまた何かあっても困るので、今年のGWは代車生活となりました(苦笑)。代車の話は、また別の機会に。
2017年04月29日
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私のデリカSWは、来月22日が車検の満了日なのですが、その1ヶ月前の4月22日に出しました。いつも見てもらっている西宮市の三菱のディーラーまで持って行きました。これで10回目の車検、208千キロを超えましたが、まだまだ元気に走っています。例の排ガス規制のために、見かけることは少なくなり、ディーラーの担当者のNさんの話でも私のデリカSWが唯一の入庫だそうで・・・。そりゃそうですよ、以前の神戸ナンバーのままだったら車検通せませんからね。 今回の車検にあわせて、シャシーブラックといって下回りに錆止めをしてもらうことにしました。車って、底からさびてくるので、数年に一回このようなことをしてもらっています。こういったことも長持ちさせるためのひとつのテクニックかなってね。 不具合なところってないのですが、気になるのは冬場にエンジンがかかりにくいところ。今は暖かくなっているので再現性がないんですけどね・・・。 さて、今回の車検の代車はekスペースでした。天井が高いいわゆるハイトワゴンで、本当に室内が広かったです。 リアのドアは助手席側が自動ドアになっていて、私にとってはこのパターンは初めてでした。私の妻もびっくりしていましたが、今のスライドドアの車は普通に装備されているんでしょうね・・・。私の車も妻のサンバークラシックも20年以上前の車なので、そんな装備はありません。もっとも、私のデリカSWには社外品であったのですが、確か15万円くらいと高額だったし、仮にそんなの取り付けたらただでさえ仲間からは「バス」って言われているのに、それはまずいかと(苦笑)。 22日に借りてから、堺の私の実家や職場野球部の練習のために大正へ行ったり、23日もガゼルスの試合に行ったりと300km近く乗りました。以前の車検の時にはekワゴンを借りましたが、最近の軽四はよく走りますね。エンジン音も私のデリカSWがディーゼルということもあるんでしょうけど、かなり静かでしたから、音だけ聞いていたら何キロでているかわからないくらい(苦笑)。 さて、本日車検があがってきました。幸い追加料金もかからず、16万円強でした。半分近くが税金なんですけどね・・・。それでも新車なんてとても買えないし、欲しい車もないですからこれでいいんです。 ただ、車検上がりで気になったことは、クラッチです。調整したのか半クラッチの位置が微妙に違うような・・・。これまで20年以上も乗っていますから、微妙な変化って気持ち悪くて。でも、そのうち慣れるのかもしれないけど。 あと気になったのは、1速や2速に入りにくいこと。これは車検前からだったのですが、それが顕著になったような・・・。亡き父が「入りにくい時はクラッチをパコパコと空踏みしてから入れたらいい」と言っていたのを思い出してやってみたらまぁまぁ入るのですけど、これまでそんなことしなくても入っていましたからね。 車検を通したので、大きな故障がなければ2019年まで乗れるわけですが、いたわりながら乗っていきたいと思います。
2017年04月25日
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1957年4月に発売されたセダン「スカイライン」が60周年を迎えたのを機に、日産自動車が歴代全13モデルを一堂に集め、20日に東京・六本木ヒルズで記念イベントを開いた。 スカイラインは日産で最も長く販売している車種で、現在13代目。累計販売は300万台を超え、今も国内で20万台以上が走る。若いカップルが登場した「ケンとメリーのスカイライン」の広告にちなみ「ケンメリ」の愛称で親しまれた4代目が代表格だ。 この日のイベントに参加した俳優の浅野忠信さんは、箱形の外観から「ハコスカ」と呼ばれた3代目との思い出を披露した。「中学のころの友達の兄が免許を取り、乗せてくれたのがハコスカ。出会いを鮮明に覚えている」 若い世代に支持されたスカイラインも、昨年の販売は約4千台と最盛期の40分の1。2015年度の日本自動車工業会の調査では、車を持たない若い世代の7割が「車に関心がない」と答えた。日産の星野朝子専務執行役員は「日本の若者の熱情を集めた車がスカイライン。いまの若い人たちにも楽しさが伝わるといい」と話した。【朝日新聞デジタルから引用】 スカイラインといえば、私にとっては「見ているだけで走りを感じさせてくれる車」でした。プリンス時代の伝説のS54はさすがに知りませんが、ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、ニューマンと私の年代くらいの自動車ファンならどんな車かすぐに形が浮かぶと思います。かくいう私も免許を取ったらスカイライン・ジャパンが買いたい、って思っていまして、一般的には人気の高い2ドアではなく、4ドアが好きだったので中古車屋さんで探して歩いたものです。でも、私が免許を取ったのは1986年。ジャパンの最終型でも1981年ということと、意外と距離が伸びているのもあってなかなかいいタマがなかったのを覚えています。今みたいにネットもなかったですし。 その後、スカイラインはニューマンのあとに登場した7thでなんだか方向が変になってしまった(個人的には嫌いではなかったのですが)のを、R32が再び「スカイラインってこうでなくっちゃ」というような走りを感じさせるフォルムで復活してくれました。ちょうどこの時期に、私は安月給なのに新車を買ったのですが、タッチの差で三菱ギャラン(E35)を買ったところでした・・・。もう少し待ったらよかったかなぁってね。 R32では、スカイラインの最高峰ともいうべきGTRも復活、バルブ期ということもあったのでしょうけど、車の造りもよかったことからよく見かけたと思います。 でも、それ以降は再び見た目が重く感じる(3ナンバーになったせいか)デザインになり、ゴーン氏が日産の社長になってからは、すっかり別の車になってしまった感じです(乗っている方、すみません)。だから、スカイラインとして名前はありますが、全くデザインが思い出されません・・・。まぁ、最近の車に興味がなくなってしまった私ですから仕方ないのですけど・・・。 だから、本文にあったように、販売台数も最盛期の40分の1っていうことになるのでしょうね。もうスカイラインには、かつてのような走りを感じさせるものは日産も求めていないんでしょうかねぇ。だったら、セドリックやローレル、ブルーバード、サニーといったかつて日産を支えた車名がゴーン社長就任以降次々となくなっていったのとあわせてくれたらよかったんだけどね。 ちなみに、本文に「日産で最も長く販売」って書いてありますが、自動車ファンの方はご存知のようにスカイラインはグロリアとともに、元々はプリンス自動車工業の車だったわけで、1957年発売当初はプリンスの車でした。1966年に日産と合併して初めて「日産スカイライン」となったのですけど、その時点からカウントしたとしても、車名の年数としては日産の中では一番長く続いているみたいですね。 脱線ついでに、私の中学の時の陸上部の顧問も、スカイラインに乗っていました。ハコスカがメインで、家の方もジャパンに乗っていたのか、時々ジャパンで学校にやってきていました。 また、私の亡き父は、車検の時はケンメリの4ドア、しかもGTではなくて1800GLというテールランプが6連×2のものを借りてきていました。スカイラインといえば丸目のテールランプですが、この1800GLのテールランプも独特のもので、スカイラインの象徴とも言うべきサーフィンラインもきちんと入っていました。 憧れの車のひとつだったので、とりとめのない文章になってしまいましたが、オーナーカーとして所有したかったなぁって今でもそう思います。
2017年04月21日
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金箔(きんぱく)などで豪華な装飾を施した「宮型霊柩(れいきゅう)車」が減少している。近年では、派手な葬送が敬遠され、住民への配慮から、条例で火葬場への入場を禁止する自治体もあるという。最近は、簡素な葬儀や密葬も増え、派手な装飾がない「洋型」や「バン型」が増え、宮型の存在感は薄まっている。 今年1月、宮型霊柩車の衰退を象徴する出来事が起きた。一部有識者から宮型の“元祖”とも評される大阪市鶴見区の霊柩車製造会社「セガワ」が、裁判所から破産手続きの開始決定を受けたのだ。大正9(1920)年創業で、業界では霊柩車製造の草分け的存在として知られていた。 代理人弁護士によると、霊柩車単価が下落し、受注減少による採算の悪化が影響したとみられる。かつて主力だった宮型も近年、需要は少なくなり、100年近く続いた同社の霊柩車作りは静かに幕を閉じた。 「全国霊柩自動車協会」(全霊協)によると、昨年4月時点で、全国にある霊柩車は計約5千台。洋型とバン型が約8割で、宮型は約650台と霊柩車全体の約1割だ。宮型はピークの平成12年には約2150台あったというがその後減少。21年ごろには洋型を下回った。料金体系は宮型、洋型ともに距離10キロで2万~5万円程度だが近年は減少傾向が続く。 全霊協が16年ごろに加盟業者の協力で行った調査では、全国150以上の火葬場がすでに宮型の入場を規制していた。大阪府枚方市や埼玉県越谷市は条例で火葬場への出入りを禁止。宮型霊柩車を敬遠する住民に配慮する自治体が増えている。 『霊柩車の誕生』の著書がある国際日本文化研究センターの井上章一教授によると、宮型は大正期、大阪の会社「駕友(かごとも)」が始めたのが通説とされているが、今年1月に倒産したセガワや他県の業者が元祖とする説もあるようだ。 大正末期、路面電車が普及すると、ひつぎを輿(こし)で担いで自宅から墓地まで葬列をなす「野辺の送り」が線路をふさぐ迷惑行為とされ、自動車の発達で火葬場が郊外に増え、遺体を運ぶ役目は輿から車に代わる。井上教授は「当初は、死体を車の積み荷にするようなやり方は抵抗があったが、車を使うしかない背景もあり、せめて飾りを付けようと始まったのが宮型」と説明する。 宮型が減少した理由について、井上教授は「自宅での葬儀が減ったこと」を挙げる。霊柩車が同じルートをたどって郊外の火葬場に向かうため、1日に何度も見かける住民が「死を連想して不吉だ」と考え始め、嫌われる存在になったようだ。さらに「社会の洋風化」が日本の宗教、死生観を変え、衰退を加速させたとみている。井上教授は「人の気持ちが時代とともに変わるのは仕方ないが、社会から宮型がなくなるのは寂しい」と話していた。【産経新聞ネット版から引用】 宮型霊柩車ってご存知ですか? 宮型っていってもピンとこないかもしれませんが、「車の後ろに日本家屋のようなものが乗っかっているような霊柩車」です。まぁ、This is 霊柩車っていう感じのやつね。その宮型霊柩車の数が減っているとのこと。私が子どもの時は、トヨタスタウトというトラックをベースにした宮型霊柩車をよく見たんだけど、最近は言われてみれば見かけることは減りました。私の父親の葬式の時も、宮型霊柩車ではなかったです。っていうか、宮型霊柩車は別のところから呼んでこないといけないっていう話だったので、その葬儀屋にある洋式の霊柩車(しかも色は黒ではなくて、白)にしました。 さて、本文によると、宮型霊柩車が減った理由として、葬儀の簡素化ということがありましたけど、人生最後の旅立ちくらい日本家屋のような宮型霊柩車に載せてあげてっていうことはないのかな。かくいう私のところはそれができなかったけど・・・。 それ以上に気になったのが、自治体によっては宮型霊柩車が火葬場への乗り入れを禁止しているところがあるとか・・・。あの押し出しが強すぎるデザインがダメなのか? う~ん、よくわからんな。確かに、インパクトありすぎるけどね。 そういえば、かなり以前に読んだ雑誌に廃車になった宮型霊柩車が海外に出されて、Japanese camping-carとして紹介されているのを見たことがあります。日本では考えられないことだけど、海外ではインパクトあるデザインなんでしょうね。 話を戻して本文にもありましたが、最近は葬儀も簡素化や密葬というのが増えてきているようなので、人生最後の旅を演出する霊柩車に対しても、そこまで派手ではなくていいという考えなんでしょうね。私もその点は理解できます。私も最後の旅立ちは、普通に軽トラの後ろで適当に運んでくれたらいい、って思っているくらいですから。 そうはいっても、宮型霊柩車がだんだんなくなっていくのは、それはそれでさみしいものだなって思いました。
2017年03月15日
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