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こんな話があります。> ある人が自己紹介をしたら、凄い話をしているんです。> > それなのに当の本人は、> 「全然すごくないですよ」> と全然認めようとしない。> > それどことか> 自分のできないところを一所懸命に探してきたかのように> わざわざできない部分を強調して自分は何もできないということを認めさせようとする。 これって、当の本人は、謙遜しているわけでもなく、本当にすごい感じていないんですね。 たとえば、私はピアノを弾ける人をすごいって思うけど、ピアノが弾けてもそれをすごいとは思わない人もいます。実は、すべての人がそうなわけではありません。本人もすごいと思う場合もあるんですよね。 その違いは何かというと、その本人の中の基準なんです。 自分の持っている基準以上なら、本人もすごい思うんです。でもたいていは、そんな基準を持つ前に今の状態になっているから、その状態は本人にとっては当たり前の状態(基準)になっているわけです。どうしてもそれ以上がすごいとみなす基準になってしまうので、本人はまったくすごいと感じられないわけです。 たとえば、ピアノコンテストに参加できるけど入賞できない人は、周りの人から見たら、参加できるだけですごい思うのに、本人は、『入賞できない自分なんてぜんぜんすごくない』って感じているかもしれません。 たとえば、あなたがこれまで何の苦労することもなく、今、人前で普通に話すことができる人になっているとしたら、そのことをすごいと感じることは難しいでしょう。でも、もし吃音を持っていて、努力の末、自然に話せるようになったのだとしたら、すごいという実感を持てるかもしれません。 自分にとって当たり前のことは、気づきにくいっていうのは、普段は空気の存在に気づかないのと同じですよね。 そして、自分にとって当たり前のことが基準になり、目標に満たない自分をダメだと思ってしまうのは、人の価値を誰かの期待を基準に決めているからです。 そして、基本的に他人の評価を基準に生きているから、その期待に満たない部分にフォーカスしてしまうんですね。その結果、わざわざできない部分だけにフォーカスしてできない自分を認めさせようとする。ということになってしまいます。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 24, 2006
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人を意識として捉えると、夢というのは意識を知る良い手段になります。 人の意識は、顕在意識と潜在意識に分けて考えられますが、顕在意識は体裁意識、潜在意識は本音意識っていう見方もできると思います。 そして、夢には自己の潜在意識や深層意識といわれる部分の表現が出やすいのです。 夢占いというのがあって夢の内容に意味づけしていますが、それは一般的な意味であって、それぞれの人にぴったりと当てはまるものではないと私は思います。 たとえば、一般的に言ってライオンを知らない人がライオンの夢を見ることはないはずです。なぜなら、その人の意識に存在しないものだから。ということは、夢に出てくるのは、その人の意識の中に存在する概念であり、その人の持つ概念(または定義)に従って出てくるはずです。 ということは、ライオンを恐ろしいものだと思っている人の夢に出てくるライオンとライオンが好きでライオンとじゃれあうムツゴロウさんの夢に出てくるライオンとではその意味が違ってくることは容易に考えられます。 ですから、夢から自分の意識を知るには、夢占いの定義などに頼らずにその夢の中で自分がどう感じていたかを自分で確かめていくのがいいと私は思うんですね。 たとえば、私が今朝見た夢に悪いことをした人が車で逃げようとするところにそれを阻止しようとトラックが相手にぶつかるのも気にせずぶつかっていくシーンがありました。これと同じシーンの夢をいろいろな人が見たとしてもそのシーンにどう感じるかは人それぞのはず。 たとえば、『いくら逃亡を阻止するためだとしても、相手の車にぶつかったら相手がケガをするかもしれない』と感じるかもしれないし、『自分もケガをするかもしれないのにすばらしい正義をしている』と感じるかもしれないわけです。 それを自分は 肯定的に捉えているか否定的に捉えているかで自分の愛がわかります。 たとえば、その夢の中で悪いことをした人が知り合いであれば、自分の現実と比較してみれば、自分が現実の中で悪いことを止めたいと感じていることの表れかもしれないし、夢の中のトラック運転手に対して『私にはできないことだけど・・・』と感じていたとしたら、誰かにその人を止めて欲しいと思っているのかもしれないわけです。 そんなふうに自分の夢を本当に理解できるのは、自分の気持を知っていて、夢の中で自分がどう感じていたかがわかる自分だけだと私は思います。 夢に現れてくることは、その人の本当の気持ちなのだから、夢日記をつけたりして、いろいろと自分の本当の気持ちを探ってみるのもいいですね。 VOICEから出ている「バシャール」という本にはこんなことが書いてあります。-----------------------------------------------------------------------すべての感情というのは、固定観念に対する反応です。すべての感情が単なる反応です。(1-P183)ですから朝起きた時にある種の感情を持って目覚めた時には、それはなぜかというと、夜の間に観念をプロセスしていて、そのために朝起きた時にその先入観念に対する反応として、ある種の感情を感じているのです。夢の中でそういう観念をプロセスしているわけです。(1-P183)すべての感情というものは、もうすでにこれが真実であるとあなたが信じている先入観念、固定観念に対する反応なのです。(1-P183)----------------------------------------------------------------------- ちなみに、以前は仕事に遅れる夢や大学を留年する夢とかを見たりしていたのですが、穏やかな心を手にした後はそういう夢を見なくなり、朝起きてみると夢の感動で涙してた、なんてすばらしい夢を見たりします。 これってなかなかすごいですよ。(^^)映画や本で感動する時って、確かにその世界に没頭しているのだけどどこかにその映画や本の世界と別に存在する自分っていうものを感じているところがあると思うんだけど夢の場合は、全身その世界の存在ですからね。 これが恐怖体験だとたまりませんが(^^;至福体験だと最高です!(^o^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 24, 2006
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私は通常はマイナスの感情という言葉を使いません。 どんな感情であっても、感情それ自体はあるがままでプラスでもマイナスでもないと考えるからです。 プラス、マイナスというのは、目的があって基準があって初めて言える言葉です。 私は肯定的な感情(ポジティブ感情)、否定的な感情(ネガティブ感情)という言い方をします。 これは、何かを肯定したから生じた感情をポジティブ感情何かを否定したから生じた感情をネガティブ感情と呼ぶということであってたとえば、悲しみの感情が否定すべき感情だということではありません。 最初に述べているように、どんな感情であっても、感情それ自体はあるがままで目的なしには、否定すべき感情があるわけではないからです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 20, 2006
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昨日は、オープンしたてのレンタル店で映画のDVDをいつくか借りてきて映画三昧をしていました。 その中にはジム・キャリーの「ブルース・オールマイティ」と「ライアーライアー」と「 I am Sam」がありました。 今朝の夢で、その意味がわかりました。 所有、特に『愛する人を自分だけのものにしたい』という思いがあります。でも、今朝の夢で気づいたことは、愛する人を所有しても、本当の思いは遂げられないということです。 その本当の思いとは『愛する人に愛されたい』ということです。人は愛する人に愛されているとき、幸せを感じ、一緒に時を過ごしたいと思うものです。 単に所有しても本当の思いは満たされないのです。 ましてや、代償のためにニ重に自分をごまかして物を所有することで心を満たそうとしてもそれはどこまでいってもやっぱりごまかしでしかありません。 愛する人を自分のものにしたいのなら、まず、相手を所有したいという気持ちを手放さなければならないんです。 映画の中でブルースは、神様の前で彼女を自分の物にすることではなく、彼女の幸せを願ったとき、彼女は戻ってきました。 こう言うときっと「現実は映画みたいにそんなに甘くはないよ」という人がきっといることでしょう。でも、その人は本当に相手の幸せを願う努力をしない人です。 「私は自分の幸せではなくあなたの幸せを願ったのに、あなたは私を好きになってくれない」と言っている時点で、『相手の幸せを願っていない』ことを証明しているようなものですからね。(笑) ここに二極化の罠を引き起こす仕掛けが潜んでいるのですが、実は、本当に相手の幸せを願うということは、相手が幸せになることが自分にとって幸せだと感じるということなのです。 つまり、結局のところ「自分が幸せに感じることをしている」のに、結果的に「相手の自由意志を尊重している」とき、それまでの流れが逆転し始めるのです。 それは恋人に対してだけではありません。子供でも部下でも友達でも同じことです。 そして、その根本には自分に対する不足感がなくなっていること。つまり、あるがままの自分を愛することができていることが必要なんですね。 前に映画を見た方も、そんな視点で見直してみるとまた違った面白さで楽しめるかもしれませんよ。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 18, 2006
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人は出来事によっていろいろな気持ちや感情が湧きあがりますが、恥ずかしいとか、罪悪感とか、そような気持ちや感情の違いの多くは、社会的な教育によるものなんです。 たとえば、今の日本で女性が脚を出す服を着ても、恥ずかしいと思う人は少ないですが、昔の日本の女性は脚を出すだけで恥ずかしかった時代もあります。一方、アマゾンの裸族の女性なら、おっぱい出していても平気です。 「パパラギ」という本に出てくる部族は個人所有の概念がないそうですから、人のものを勝手に使う罪悪感というものもないということになります。 つまり、今の自分の気持ちや感情の多くは、社会的な正しさや考えなどを基準に社会的に作り上げられたものなんです。 そんなことを自分なりに深く考えてみてください。 これまで当たり前だと思っていた気持ちや感情についての見方が変わるかもしれません。 そんなあやふやなものに振り回されてい苦しんでいるなどというのはバカらしいと私は思います。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 16, 2006
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相手の人を不快にしないように、日常会話の中でマイナス言葉を口にしないよう注意をしながら過ごしている。という人がいます。 人間関係を円滑にするためには、とても良い心がけですね。(^^) でも、「これが失敗したのはあなたが××したせいよ」と言いたいのにがまんをしても、あなたの雰囲気などからその思いは伝わってしまうものです。 当たり前のことですが、マイナス言葉が出てしまうのは、その人にはそのように見えているからです。 つまり、基本的な考えがそのようにプログラムされているってことです。「○○の状況の場合、相手に責任がある」と基本的な考えにプログラムされているから、そのように見える→そのようなマイナス言葉が口に出るという結果になるのです。 言いたくなったマイナス言葉を途中で止めても、否定的な気持ちは生じてしまっています。 ですから、そのようなマイナス言葉が出るプロセスを途中でぶっちぎるよりも、基本的な考えをプログラムし直す方が、精神的にもストレスにならないし、永続性があってお得ですよ。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 15, 2006
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サンジ「こいつの鍵はおれに任せろ お前にできねェ事はおれがやる おれにできねェ事をお前がやれ!!!」 (尾田栄一郎「ワンピース」第414話より) サンジが「ウソップ」改め「そげキング」間違え「そげップ」間違え「鼻ップ」(笑)に言ったせりふ。 自分に自信がない人は、ほかの人は何でもできて、自分は何にもできないように感じがちです。 「私はなんにもできないから、いつも誰かにやってもらってばかり・・・」という言い方をすると確かにそう思えます。そのような視点から見ると確かに何もしていないということになります。 ところが、おせっかいな人っていますよね。そんな人は、共依存的な理由から「手を出さずにはいられない、しないではいられない」のです。 いつも誰かにしてもらってばかりの人との関係を、そんなおせっかいな人を基準にした視点で見ると「手を出さずにはいられない人」にしたいようにさせてあげている人という解釈もできます。 おせっかいな人にとっては難しい「しないでいること」をできる人なのです。 つまり、視点を変えれば必ずすべての人は何かができる人なのです。すべて人に得意なことがあるのです。 こんなお話もあります「わたしのお母さまへ」 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 12, 2006
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相手の気持ちや反応が気になって、自分の言いたいことを言えずに悶々としてストレスをためていませんか?なかなかNoと言えずについつい誰かに引きずられている人はいませんか? 以下は、私がメールレクチャーをしているある方からいただいたメールの抜粋です。> お休みは、自分の思う通りに過ごしました。> 友達からの誘いがあったのですが、> 「今回の休みはお家でまったり過ごします」ってメールして> 「誘ってくれてありがとう」ってありのままの気持ちを書きました。> 自己主張できたのでとてもすがすがしかったです。(^-^) これまでの悶々とした気持ちから解放されて、すがすがしい気持ちで過ごせた心地よさが伝わってきますよね。(^^) この方もこれまでは素直に自分の気持ちを伝えられない人でした。でも、レクチャーを通して自分の考え方を変えていくことで、だんだんと素直な自分、自然な自分を出せるようになってきました。 すると特に努力することなく穏やかな心になっていくんですね。感情的になってしまう心をムリヤリ穏やかにしようと努力してもそれはムリです。でも、ありのままの自分を認めてあげることで、自然に穏やかな心になっていくんです。 その結果、周りの人に対してもやさしい気持ちで接することができるようになります。 始まりは有りのままを認めて素直になること。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 12, 2006
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昨日の「同じ基準」のブログにご意見をいただきました。ありがとうございます。> 相談者が「同じ基準」という記事を見たとき> 共感してくれるなら、最高です。 相談者からは、「文章にしてもらったからわかりやすくなった」というメールをいただきました。> しかし、共感を得られなかったとき> あなたは、その相談者の生涯に責任をもてるのですか?? まず、どんなものもそれ自体は中立です。受け取る人が意味を決めています。最終的な決断は自分で決めているのです。ですから、どんなことも自分自身が責任をとることが必要です。 たとえば、銃で脅されていたとしても、最終的にどうするかは自分で決めています。踏み絵をさせられ隠れキリシタンの中には殺されても踏まないという選択をした人もいます。> 例えばあなたが書いた記事が> なんらかのいきさつで> 当事者に伝わった時> その人の心を> あなたは癒すことがますか??あなたは、あなたのこのメールで私が傷ついたら私を責任を持って癒すつもりで発言したのですか?日常の些細な言葉でも傷つく人もいます。私たちにできるのは、その時点の自分にできる限りの誠意をもって対応することです。そして、無条件の愛を理解すれば、すべての人がベストを尽くしているという世界観になるはずです。つまり、そこに罪を認めることはなくなるのです。(特定の目的を基準にしたときは別つまり、法律に照らせば罪だ、という見方とかはできます)> わしは、誰かが不幸になるブログは> ないほうがいいと思います。 誰かの存在が誰かを不幸にしたら、その人は死んだほうがいいのですか?この地球にとってみたら、人間は害を与えるだけの存在だそうです。人間は絶滅したほうがいいでしょうか? すべての人は考えが違いますから、受け取り方も違います。ですから意味づけも違います。 誰かを不幸にするだけのブログなどありはしませんよ。どんなものにも良い面と悪い面があります。 それは言い換えれば、基準を変えればどんなものもきまったく逆の受け取り方ができる。ということです。「神のとの対話」という本にはこんなふうな言い方で載っています。その「悪い」ことがみな、正しくなる例をいくらでも見せてあげられるよ。(『神との対話2』P57) 自分とは何かを決めるために「正しい」ことと「悪い」ことをつくりあげているのだということが、理解できたかね?そうした定義、つまり境界なしには、あなたは何者でもなくなる、それがわかるかな?それに、わたしと同じで、あなたの場合も、自分とは何者かという考えが変化し、それにつれて境界も変化していることがわかるかね?(『神との対話2』P59)「腐ったリンゴ」などというものはない、ということだよ。あるのは、あなたの考え方とは違う考え方をする人、違う世界のモデルをつくりあげている人だけだ。いいかね、どんな者でも、自分なりの世界のモデルにてらせば、何も間違ったことはしていない。(『神との対話2』P61) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 10, 2006
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『この一冊で「宗教」がわかる!』という本に仏教の最初の説法「初転法輪」の中の中道についてこうありました。 中道の教えとは「世の中には二つの極端がある。一つは、欲望の赴くまま快楽にふけること。第二は、自分で自分を苦しめることに熱中すること。この二つは共に無益なことであり、仏陀はこの二つの極端を捨てて中道を悟った」という教えです。(大島宏之 著『この一冊で「宗教」がわかる!』P45)1.欲望の赴くまま快楽にふけること。2.自分で自分を苦しめることに熱中すること。読めばこの二つの意味はわかるので、わかったつもりになりますが、なぜそうしてしまうかのメカニズムが解らないと実際にはそれを止めることは難しいはずです。 でも共依存のメカニズムが解れば、対応が楽になります。 一つ目は、共依存の「何かをしないではいられない」という特徴そのものです。外側の正しさからの逃避です。二つ目は、外側の正しさに従い正しい自分になることで、ダメな自分を認めてもらおうとする考えが根本にあります。 欲については、「そうしないではいられない欲」と「いつでも自分の意思で変えられるしたいこと」との区別を明確にすることが大切です。 つまり、どちらもその根本にあるのは『基準を自分に置く』ということなのです。 それを具体的に説くときこのような言い方もできるということなのです。 釈尊の最期の言葉が「自分をよりどころとしなさい」というものであったことを考えれば釈尊はずっとただ一つのことを説き続けたということになりますね。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 10, 2006
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職場で仕事のやり方が変わったのに前のやり方をしている人がいたので、電話で注意するとこの人は自己弁護ばかり始めるのです。前に電話したときも言い訳っぽい話し方だと思ったですが、今回ははっきりと自己弁護ばかり。 おそらく注意されることがその人にとっては「お前はダメだ」と烙印を押されているように感じられているのでしょう。 ちょっとしたことでも自分の評価を守るために必死に自己弁護を繰り返す人生は大変でしょう。私自身が以前にそうだったからよくわかります。 他人の評価、考えはそれを考えているその人自身のもの。そのように自他の境界をはっきりさせることができれば、他人の評価に振り回されることはなくなります。 そのためには、どんな評価も受け入れる覚悟が必要です。そしてそのためには、自分自身の基準をしっかり持って、自分の心に恥じない生き方をすることです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 10, 2006
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知り合いからこんな相談を受けました。 「これまで親しくしてくれていたある人から無視されている気がする。どうしたらいい?」 どうやら、相談者はこのことで傷ついたらしいのです。だからその人を許せず、さらに、相手を悪く思う自分がまた許せないのです。 相談に答えるために、「具体的に誰がどうしたの?」と訊いてみると、話をはぐらかして具体的なことを一切言わないのです。 この時点で相談者の心の中で何が起こっているのかがだいたい分かりました。 相談者は、相手の名前を挙げてやったことをいうのは、告げ口をしているように感じられる、つまり、してはいけない悪いことをしていると感じるから、できないんですね。 この部分をもう少し考えて見ると、たとえば、その人の基本的な考えの中に告げ口、相手の悪口を言うと相手が傷つくからいけない、つまり、「相手が傷つくことをしてはいけない」という禁止令があるわけです。 今この相談者は、相手に無視されていると感じて、そのことで心が傷ついたと感じてます。つまり、この相談者の中の基本的な考えにある「相手が傷つくことをしてはいけない」という禁止令に相手が抵触しているから相手を許せないわけです。無視することと、悪口を言うこと、その表面的な部分は違うのですが、その人の心の中のくくりである「相手が傷つくことをしてはいけない」という部分で同じ基準があるわけです。 この相談者が本当に相手を許すことができるのは、自分が相手がしたことを事実は事実として話すことができるようになったときなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 9, 2006
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佐田弘幸さんの話です。 長時間瞑想をするようになった頃、面白いことが起こりました。あるとき、いつものように瞑想していると、スーッ、スススーッという、何か潮騒のような音が聞こえてきました。暗室だから外の音は聞こえないし、私以外に誰もいないのです。「あれ、これは何の音だ?」と思いながらしばらく聞いていると、やがてこれは信じられないことに自分のいびき、寝息だとわかりました。「あれ、ぼくは寝ているのかな?でも自分のいびきを聞いているぞ」と思ってからだを動かそうとすると、金縛りのように、からだは動きません。「そうか、これは意識は起きているけれども からだは寝てしまっていてしまっている状態なんだ」 脳でいえば前頭葉が起きていてほかが寝ている状態です。実はこの状態が、いわゆる意識とからだが分かれる第一歩だったのです。佐田弘幸「すべてはうまくいっている」P6より こんなことがあるんですね。ふつう私たちの身体と意識はシンクロしていて、このようなことが起こらないので気づかないんですね。 ここでは、前頭葉が働いている、つまり、意識は脳の働きで生じている、という前提を崩していませんが、臨死体験者の意識が身体を離れたとき、脳波も止まっています。 身体が眠っていても、意識は活動していることがある、身体が死んでいても、意識は活動していることがある、この繋がりから、身体と意識の関係をどう考えるか? おそらく、この意識と身体の関係で、科学的に証明できるのは、身体は眠っていても前頭葉が働いているから、というところまでです。 「脳を含む身体」と意識は別物だ、ということを科学的に証明することはできないはずです。 あとは、自分が何を信じて前提とするか、ということです。 意識の世界を信じることができるのならば、意識の目的を優先することが可能になります。 しかし、信じられないならば、たいていは身体、物質を優先した生き方になってしまわざるを得ないことでしょう。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 5, 2006
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> 若くして一生治らない病にかかりで親に迷惑をかけてしまうような男はどう幸せになればよいのですか? こんな質問をいただきました。 多くの人は、この「病気(の世話)は迷惑をかける」のように「○○は、△△」というように固定的にものごとを決め付けています。 言い換えると絶対視なんですね。 ところが、本人は「自分が勝手に決め付けている」とは感じていないことが多いのです。それはその人のフィルターを通して見ている世界がその人にとっては当たり前の世界で、すべての人が同じ世界を見ていると思っているからです。 だから「意外」という言葉があるんです。 フィルターとは、その人の基本的な考えです。基本的な考えはその人の過去の体験から創り上げられたもので、その人にとっては当たり前の考えです。 すべての判断結果は、そのような考え、定義と外側の条件との「関係性」で相対的に決まるものです。 たとえば、「高校生が髪を染めるのは悪いことだ」「人を殺すのは悪いことだ」というような判断結果は、人によっても違うし、正当防衛などの外側の条件によっても違いますよね。 でも、そういうことで無意識でいると絶対視してしまうんですね。 今回の「幸せになれるかという質問」について言えば、「一生治らない病気(の世話)は親に迷惑をかける」という考えと「親に迷惑をかける自分はダメな奴だ」というような考えの両方をもっていたら、その判断結果は、「自分は幸せではない」とならざるを得ません。 ところが、親は子供のためにする世話は、親は迷惑だと感じていないということもありますよね。また、魂の視点(目的)からしたら、迷惑という課題を与えることで、親が無条件の愛を選択する手伝いをしているという見方もできます。 実際、はっぴーわーるどというサイトをやっているときに知り合った女性は、そのお子さんが障害をもって生まれました。 かかってきた電話に出ているちょっとした時間、子供から目を離したら、部屋中がうんちまみれになっていたこともあったそうです。(その子がうんちをして、さらにそのうんちを手で部屋中にまいたりなすりつけたりしたから) そんな状況の中、その女性はあるがままを無条件に受け容れるということができるようになりました。 その子がかけた(肉体的な)迷惑が、魂としての成長を助ける助力となったといえますよね。 人は、身体と精神(心)と魂の三位一体の存在です。どの目的を優先にするかで、相対的な判断結果はまったく違ったものになります。 同じ条件の中で幸せを感じることが可能になるんです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Jun 3, 2006
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