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私たちは、自分たちの周りに起こることに意味付けをしています。 たとえば、「いじめで中学生が自殺した」というような事件が起きると、テレビでさかんにコメンテーターが「誰が悪い」という原因追求をしています。そして、あれが良い、これが悪い、と評価判断を下します。 私たちは、そのように自分のいる世界に自分なりに評価判断した意味付けをしています。 そして、その意味付けは、あたかもそれ自体が持っている意味であるかのように見えているのです。 意味とは、評価判断の結果ですから、そこにはその評価判断した人の価値観が反映しているのですが、その部分が見えていない人がほんどなのです。 これを絶対視といいます。 ほとんどの人は、人間関係においてコントロールドラマをしています。そして、そのコントロールドラマの駆け引きの中で意味付けをしているのですが、コントロールドラマの渦中の人には、それが見えないんですね。 その結果、コントロールドラマに乗っかって、自分の意思とは無関係に感情に引きずられ、振り回されて、苦しみを味わうことになってしまいます。 メールレクチャーを受けた人が、「どんどん楽になってきました(^^)」というメールを下さるのですが、それは、そのコントロールドラマが見えてくることで、意味付けが元々あるものではないことも見えてくるからなんですね。 ただ、レクチャーの途中で見えてくるときは、かなり意識的になることで見えてくる状態です。 この状態は、まだ自分のモノになっていない状態ですから、ちょっと気を抜くと戻ってしまいます。 コントロールドラマに乗ってしまうのは、一種の癖、パターンですから、それは意識を変えることで、思考パターン、行動パターンも変えることができます。そうすると、見える世界も自然に変わってくることになります。
Oct 30, 2006
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私は、今、「コーチング」の通信講座を受けているのですが、コーチングは、ヒカリズムに共通する部分がとても多いです。 コーチングとは、アメリカにおいて1950年代の後半頃、スポーツのコーチの概念をビジネスに取り入れ、次第に体系化されていったものです。 コーチという言葉が使われているように、コーチングの特徴は、成長と自己実現を支援するための仕組みが体系化されていることです。 そもそも、コーチ(Coach)とは、馬車という意味で、そこから「その人を望むところまで送り届ける」という意味が生れたのです。 その人のこうありたい自分に導くお手伝いをするのがコーチングということですね。 コーチングとヒカリズムに共通するものとして人間観があります。コーチングでは、「人は誰もがすばらしい価値を持って生れてくる」と考え、その人の観念が、その人の価値や長所の発現をコントロールしていると考えます。 違いとしては、ヒカリズムにおいては、さらに、本性としての価値は存在せず、その人が選択した基準に相対的に価値が生じる、というところまで見抜きます。 両者とも潜在意識に存在する、成長を妨げる観念を変えることで、成長と自己実現をしていくことになります。 また、上記の人間観の当然の帰結として、一人ひとりの個性を認める、つまり、「違いを認める」ということがコーチングでは言われます。それは、あるがままを認める、と同じことになります。 コーチングもヒカリズムも、「自己承認(自己肯定感)」の大切さを説き、そこから始まると考えます。 しかし、大きな違いがひとつあります。 それは、基準となる自分というものについてです。 当然のことながら、コーチングにおいては、物質世界に生きる人間を自分だと考え、肉体としての自分をどう生きるかを考えますが、ヒカリズムにおいては、生まれ変わる意識としての自分の存在を仮定として信じた上で物質世界に生きる肉体としての自分をどう生きるかを考えます。 この違いは、競争の苦しみに巻き込まれるか、競争もプロセスとして楽しむか、という違いになって現れます。 しかしながら、いつも私が思うのは、茶道、剣道、何々道、のようにその道を極めた人、というのは、最初は肉体としての自分を基準としていても、何かしら、物質を超えた存在を感じ、そういうものを大切にするようになるような気がしてなりません。 コーチングにおいても、もともと、受け容れるということを含む考え方ですから、その考えを極めていくと、本当に大切なものが見えてくるのではないかと思うのです。 ですから、コーチングを単に目標達成のノウハウと考えるか、コーチングの前提としての考えを素直に受け容れていくかで、まったく違うものになるような気がします。 最近では、コーチングの本もいろいろ出ているようですし、サイトもあるようですから、興味のあるかたはごらんになるのもいいと思います。
Oct 24, 2006
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「人はなぜ謝れないのか」という本があるようです。(読んでないけど(^^;) 人がなぜ素直に謝れないのかというと、いろいろな理由は考えられるでしょうが、根っこにあるのは、自分の存在価値に対する自信のなさです。 自分自身で、『私はありのままの私でいいんだ』と思えないから、自分の価値を他者の評価に頼ってしまうのです。 それは、親や先生から認められて初めて自分に価値がある、と思うようにしつけられてきたからなんですね。 他者から高い評価を受けるために手っ取り早いのは、一番になることです。 ナンバーワン競争を勝ち抜けば、有無を言わせず、そこに価値を見出せるのです。 ですから、『負けるわけにはいかない』という思考パターンが出来上がっているのですね。 そして、タイトルにもある「謝る」ということは、自分の負けを認めることに繋がるのです。 つまり、自分の価値が相手以下だと認めることに繋がるのです。 もちろん、そのことには無意識のままで気づいてはいないのですが、潜在意識にそういう考えがあるために、素直に謝ることができないのです。 自分の存在意義に不安を手放し、ありのままの自分の価値を認めること、もっと言えば、存在することそのこと自体に価値があるのだ、とか、すべての価値は、その価値を評価する人の考えに対して相対的に生じているだけで、それ自体には価値などないのだ、と気づくことが悟りなんですね。 そのことに気づくと、誰でも素直に謝ることができるようになります。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 14, 2006
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私は、多くの方に幸せを感じて生きて欲しいと思い、メールで幸せを感じる生き方をレクチャーしています。 メールレクチャーを受けて幸せになりたいという方は、当然ほとんど間違いなく、今、苦しさの中にいるわけです。 つまり、新しい生き方を身につけることで、幸せになろうとしているわけですが、それは、これまで自分を苦しめてきた思考、行動パターンを変えようとすることであり、もっと簡単に言えば、今の自分を変えること、と言えます。 自分を変えるということば自体は誰にでも理解できますが、では、具体的に何をどう変えるか?となるとほとんどの人はあいまいになってしまうので、自分を変えることができないんですね。 幸せになるために、自分を変えるとは、自分を不幸にする考え方(正しさ)を変えるということです。 たとえば、『仕事をして活躍したい』という希望がある女性が「女性は、家庭を守るべきだ」という考え(正しさ)を持っていたら自分らしくイキイキと生きることができなくなって充実感、幸せを感じることができません。 ですから、メールレクチャーを活かしきるためには、メールという性質上、こちらから強く働きかけることができませんから、まず本人に『今の自分を変える』という強い意志が必要になります。 このメールレクチャーは、最初の三回は無料でお試しいただけるので、まず、無料の三回コースから始めるのが普通です。 この三回の間に自分に合うかどうか、決めてもらうことができます。 気に入らなければ、無料コースだけでやめればいいし、気に入ったら、気に入った回数のコースを選べばいいわけです。 たいてい、この三回のメールのやり取りの中で、私は、『この人は変わっていけそうだな』とか『有料コースに進むかもしれないけど、大変だぞ』とか『お試しコースで終わりそうだな』というのがわかってしまいます。 お試しコースだけでやめてしまう人は、「自分を変えよう」という気持ちが見えないんですね。口で「変わりたいんです」とか「自分を変えたいんです」とか言っても、言葉の端はしに『自分が苦しいのは、~のせいだ』と主張があり、『私が正しいということを認めて欲しい』という気持ちが見え隠れしているからです。 上で、自分を変えるということは、今持っている自分の正しさを変えることだといいました。それなのに、『自分は正しい』と思っているということは、変える気がないということですからね。 たいていの人は、自分を変えるということが「自分の持っている正しさを変えることだ」とはわかっていませんから、一見別のことに思えるこの二つのことの矛盾に気がつかないのです。 それは、顕在意識では『自分を変えたい』と思っていても潜在意識では『自分を変えない』と主張しているということなのです。 顕在意識では『苦しいから変わりたい』潜在意識では『自分がダメだと認めたくないから、考え(正しさ)を変えない』と言っているということなのです。 メールレクチャーを試してみたいという方、他の方法で『自分を変えたい』という方、このことをよく心に留めて、強い意志で自分の間違いを認める気持ちを持ちましょう。(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 9, 2006
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仏教に、四苦八苦という言葉があります。「四苦」とは、a:生b:老c:病d:死 誰もが避けられない苦(と感じられるもの)として、老いひ、病気、死、そして、それらが、生じるのはこの世に生まれたから、ということで、生。 この四苦に加えて、やや副次的な(しかし重要な)4つの苦が追加されます。e:愛別離苦(あいべつりく)・・・・愛するものとの別離は苦である。f:怨憎会苦(おんぞうえく)・・・・怨み、憎む者に会わなければならぬのは苦である。g:求不得苦(ぐふとくく)・・・・・求めるものが得られないのは苦である。h:五陰盛苦(ごおんじょうく)・・・物質界と精神界のいっさいの事物・現象が苦である。この四つの苦が追加されて、根本的な苦は「八苦」となり、四苦八苦です。 この言葉は多くの人に知られているので、多くの人は、お釈迦さまがこの世を苦しみの世界だとみなしていると思っている人が多いのではないでしようか? でも、お釈迦さまは、この世にいながら、悟りを開き、苦を手放しています。 つまり、私たちが一般に考えているような世界観を持っていたのではないのです。 もちろん、悟りを開く前は、私たちと同じでした。ですから、この苦の解釈は、悟りを開く前の人に説明するために、凡夫の目から見えている世界を説明しているものだと言えます。 仏教の世界観は、この世界のぃっさいのものには、それ自体に美しいだとか、醜いだとか、良いものだとか、悪いものだとか、そのような性質は一切ない、というものです。 ですから、たとえば、死、それ自体に恐れて苦しみを私たちに与える性質は備わっていない、ということです。 私たちが、自分の考えの中でそのように定義をするから、その定義を持った人には、そのように感じられているだけなのです。 つまり、私たちの世界観は、私たち自身の考え方に依存して、相対的に生じているのです。 悟りとは、そのことを腑に落とすことなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 8, 2006
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ららぽーと豊洲がオープンしたというのをテレビで見ました。 「ステキだな」と思ったのが、ここの開発のガイドラインです。 そのひとつに、「歩道は直線にせず、曲がり道にする」というのがあります。 『えっ、なんで?』と思われる方もいらっしゃるかもしれません。 なぜ曲がった道にするかというと、名前からもわかるように、ここは海に面した場所です。 そこにある曲がりくねった道を歩いていくと、初めは道が曲がっていますから、当然、先に何があるか見えてきません。 その道を散策して最後のカーブを曲がりきると、「バッと広い海の景色が目に入る」という仕掛けなんです。(^^) 直線だと最初から海が見えてしまって、今歩いている道を楽しむ、行き先の景色を想像してワクワクする、という楽しみがありませんよね。 道を曲線にすることで、そういう楽しみを演出しているだそうです。 ステキですよね。(^^) これって人生にもそのまま当てはまります。 先がわかっていたら人生つまらないし、今を楽しめない人生もつまらない。 悟りのひとつに、今を楽しむこと、今を生きること、というのがあります。 わかっていてもなかなかできないことです。ついつい、目標を達成することがすべてになりがちです。 でも、本当は私たちには、今という時間しかないんです。だから、今を生きること。 それが幸せのコツ(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 6, 2006
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10月7日(土)日から全国一斉ロードショーになるオリバー・ストーン監督の映画「ワールド・ トレード・センター」の予告編をちょっと見ました。 2001年9月11日、あの同時多発テロの標的となったワールド・トレード・センターの地下で、逃げ惑う人々を必死に誘導していた二人の警察官が、ビル崩壊によって地中深く閉じ込められながらも、無事生還した勇気ある男たちの実話だそうです。 二人は、あの大惨事の中から奇跡の生還を果たしたのですが、、極限状況の中、二人は何を考えていたかというと、家族のことだったそうです。そして、愛する家族のために最後まで希望を捨てず、二人で励まし合っていた。 それで、思ったのは、人生とは、結局、人とのふれあいであり、個人の幸せなんだということです。 凡夫はさまざまな欲に振り回されていますが、お金にしろ、名誉にしろ、結局のところ、人とのふれあいを手に入れるための手段なのだろうと思います。 ビル・ゲイツが、財団を作って儲けたお金を人々に還元していますが、それにしたって、本人がそうしたいからしているはずです。自分が儲けたお金をほかの人のために使うのが不愉快だったら、してないですよね。 結局のところ、それぞれの人の状況でさまざまな形をとっていたとしても、人とのふれあいを求め、それが自分の幸せであるからこそ、それを求めているのだ、ということを再確認しました。 とても逆説的なのですが、自分の幸せを犠牲してまで他人のためになることを目標にしている人は、相手が自分に感謝してくれないと不満をもらすことになり、結局他人のためではなく自分のためにやってることを露呈してしまい、逆に自分の喜びのためにしていることが、結果的に他人のためになっている人は、相手の反応で落ち込んだり、文句を言ったりしないので、結果的に心から他人のために行動できるんですよね。 人は、自分のために生きている、そう理解した人が、愛になれるんです。楽天ブログランキング ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 5, 2006
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コミックで人気となり、前編後編として映画化されているデスノート「DEATH NOTE」。(後編はこれから11月より全国松竹・東急系公開予定) この作品のテーマとも言えるのが、「正しさとは何か?」という哲学的な問いではないかと私は思います。この作品テーマに対する答えが、私が提唱している「ヒカリズム」の考えと同じなんですね。 ヒカリズムでは、「すべての人が正しく生きようとしている」(自分の正しさにそって生きようとしている)と考えます。 一般に、多くの人は、漠然と「絶対的な正しさ」というものがあるような錯覚を持って生きています。この作品は、まさにその錯覚に鋭く切り込んでいると言えるでしょう。 これまでの生き方は、「正しさ」を基準に、正しく生きることでした。でも、その正しさって、どこにあるの?誰が決めたの? 正しさは、地域、時間、人、いろいろに違います。 ヒカリズムの基本は、「幸せに生きること」です。 このふたつ、それぞれの深い意味、つまり、正しさとは何か?幸せとは何か?を深く理解していないと、まったく理解できないはずです。 デスノートを読んだ人ならわかると思いますが、キラによって、社会の正しさ、それはつまり、多くの個人の考えとしての正しさが変化していきます。 そして、最後にニアが、正しさとは何か、では、どういう正しさを生きればいいのか?について、おそらく作者である大場 つぐみさんの考えであろう答えを言葉にします。 これがすばらしい。(^^)某所でこの作品に対するさまざま評価がありました。 中には、「これが評価されること自体が不思議でならない」というような評もありましたが、これはテーマが読み取れていないんでしょうね。『人は正しく生きようとしているけれどでは、いったい正しさとは何んなのか?どう生きたらいいのか?』そんな深いテーマをもった作品なんですね。 そのテーマの答えこそ、悟りです。その答えを得たものが、「なぜ主人公がどういう世の中にしていきたいのか? そこに信念や志はまるでない」なんて当たり前です。(笑) むしろ、すべての人が協力して作り上げるべき絶対的な理想的な世の中の形などを提示しないことこそ、「どういう世の中にしたいか」という作者の答えだと言えるでしょう。 つまり、作者はもうニアを通して、信念を語っているのに、「なぜ主人公がどういう世の中にしていきたいのか? そこに信念や志はまるでない」と言う人は、それが読み取れていないってことなんですね。 このテーマが読み取れると、この作品のすごさ、人生に対する見解のすごさが伝わってくると思います。 そして、『では、自分なら何を選択するか?』という課題が生まれるようになっています。 『自分の生き方を深く考え、創り上げていかなくては!』という思いになるはずです。 うーん、深いですねえ。楽天ブログランキング ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Oct 2, 2006
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