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「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本がありますが、まっくそのとおりです。 「しんか」という言葉に、「進化」という字を当てていますが、もうひとつのしんかとして「深化」という言葉があります。 私たちは、進化(分化)と深化(合一化、ワンネス)を繰り返しているという考え方があります。 その考え方からすると、悟りとは、私たちは元々ひとつであるということに気づくことだと言えます。 物事の考え方も、複雑を統合した単純なものになります。 お釈迦さまは、苦しみについて四苦八苦という言葉で説明しました。それは一般の人がわかる視点から見た、進化(分化)した見方です。 その上で、お釈迦さまは「苦しみ」という概念に対して、サンスクリット語で「ドゥフカ(duhkha)」、パーリ語で「ドゥッカ(dukkha)」という言葉を当てました。その原語を解釈すると、「思うがままにならないこと」という意味だそうです。 お釈迦さまは、苦の正体を見抜き、シンプルに表現したのです。 私たちが、自分では「思うがままにならないこと」を自分の中の正しさ「こうあるべき」で思うがままにしようとして、でも、できないときの心が、そのまま苦しさなのです。 生老病死の四苦と愛別離苦(あいべつりく)・・・・愛するものとの別離は苦である。怨憎会苦(おんぞうえく)・・・・怨み、憎む者に会わなければならぬのは苦である。求不得苦(ぐふとくく)・・・・・求めるものが得られないのは苦である。五陰盛苦(ごおんじょうく)・・・物質界と精神界のいっさいの事物・現象が苦である。を合わせた八苦は、それを具体的に表現したものに過ぎません。 具体的な解釈だと、それぞれに対策が違いますが、シンブルにその根源を見ると、苦を超える対策は、「こうあるべき」という絶対視を止めることだとわかります。 それをお釈迦さまは、縁起でこう説明しています。 これあるが故にこれあり。 これ生ずるが故にこれ生ず。 これなきが故にこれなし。 これ滅するが故にこれ滅す。 簡単に言えば、苦は、その人の考え方に相対的に成立しているのだから、苦を超えるには、考え方を変えれば良いというシンプルなことなのです。 でも、それが難しい理由は、今、心理学がその答えを持っています。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 28, 2006
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私が思うに、悟りということを一言で言うと、それは「自由であること」です。 その自由とは、今、多くの人が思い浮かべる自由という言葉とはちょっとニュアンスが違います。元々、「自由」という言葉は禅語で、「自分に由る」ということだそうです。 私たちは、自分がしたいことをしているつもりで、実はそうしないではいられなくてそうしているということがあるのです。 自分がしたいことには、二種類あります。1.本当の自分がしたいことと2.偽りの自分としてしないではいられないことです。それは、それぞれ1.愛と2.怖れを原因としています。 共依存の特徴のひとつに「何かをしないではいられない」という強迫観念と呼ばれるようなものがあります。 潜在意識に怖れを持った人は、その怖れから逃れるために「何かをしないではいられない」状況になることがあります。その怖れとは、幼いときの怖い思い出とそのときに同時に刷り込まれた「こうあるべき」です。 そのような怖れが本当の自分であることを拒んでいるのです。 悟りとは、本当の自分であり、その自分らしく生きている状態なのです。そのとき、人は光輝くことができます。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 21, 2006
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悟りであれ、愛であれ、ポイントは、目的に合致しない「こうあるべき」「こうすべき」をやめることです。 なぜ、「こうあるべき」「こうすべき」なのかというと、そのあるべき状態が正しいと思っているからです。 正しいということは、目的に適っているということです。 目的は、人によって違います。目的が一致している場合は、「こうすべきだよ」と言ってもいいんです。なぜなら「こうすべきだよ」とは、「これが正しいよ」ということであり、つまり「これが目的に適っているよ」ということだからです。 誰かに対して『こうすべき』と感じたとき、どんな目的に適っているから正しいかを明確にしてみてください。そして、その人がその目的を持っているかどうかを確認してください。 たとえば、子供に対して『勉強すべき』と思ったとき、それはどんな目的に適っているからそうすべきなのか、そして、その目的を持つことを納得しているかを確認することです。 たとえば、子供は先のことを見通す力がまだあまりありませんから、親が補ってあげて説明してあげてそれでも納得しなければ、その結果は、選択した子供の責任です。 そのことを納得した上で選択したものであれば、強制は逆効果でしかありません。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 13, 2006
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高校生の子供がNHK合唱コンクールに向けて練習しています。この合唱部の先生が「昼休みも練習するから」と言ったとのこと。(夏休み前の話) でも、「昼休みにしたいこともあるから」との学生の意見で、昼休みの練習は自由参加となりました。 ところが、昼休みの練習の参加者が少ないのでしばらくすると「なんで練習にこないの!!」とキレかかっていたとのこと。(^^; 先生にしてみれば、『あなたたちのために昼休みまで練習してあげているのに』『コンクールで良い成績を出すことが一番大切』とかいろいろな思い(自分の中の正しさの論理)があるでしょうが、相手を自分の思い通りにしたいというコントロールドラマの典型的な例だと思います。 ところが、自分の中の正しさの論理が絶対的な正しさに感じられているので、自分が自分勝手に相手を自分の思い通りにしようとしているという感覚があまりないのが普通です。 このようなコントロールドラマが見えてくることでコントロールドラマから抜けることができるようになります。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Aug 6, 2006
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