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'24 3月のちょい乗りは、3月16日(土)に、井原市の田中美術館に行ってきました。朝食は、浅口市の「ぶしの花道」で、朝定食で大飯食らっちゃおうって思ってたんだけど、なんと、準備中もしかして、モーニングやめちゃったのかここを今日のツーリングの集合場所にしてたんで、少し同行者を待ってみたけど、誰来ないな。本日ソロツー決定。今日のツアー催行アナウンスが昨日の午後だったからね。さすがに昨日の今日じゃ参加できんわな笠岡まで来て、フェリー乗り場前の「山ちゃん」へ。ここは早朝から開いてるはずだか・・・。まさかの準備中この流れ、前もあったな・・・。しかもマスターの体調不良で営業スケジュールも変わっとる。今日の休みもマスターの体調不良が原因か・・・。モーニング難民になってしもうた・・・。笠岡駅前まで出て、「坂本」へここの開店は9:30のはず・・・。開店時間前だけど、ヘルメット脱いでたら、暖簾が出た。バイクの音が聞こえたのかな?ラッキーここ「坂本」は、創業昭和33年から続く笠岡ラーメンの有名人気ラーメン屋さんです。暖簾が出た途端、みんなが続々やって来た。急げ店内には常連さんが、もうすでに座ってました。開店時間前でも準備が出来たら開けてるのかな?ここは日曜定休日で、月~土の営業時間は9:30~13:30頃スープか、麺が無くなったら、おしまいって事ね。メニューは潔くって、大盛700円と普通盛600円のみ。しかも大盛は10:00までだって。もちろん大盛をオーダー。醤油ラーメンはスープの色が濃いかと思いきや、味は鳥の旨味たっぷりのいつ食べても飽きないあっさり懐かしい味です。なんと坂本のスープは、カシワ・醤油・水だけでつくられているんですよ。僕のあとから入って来た福山のライダー2人組。この後ろのRCカラーの赤銀のマシンってなんだ?すごいコンパクトなんだけどホンダのV型となるとVTR1000なのか?井原市まで北上して、田中美術館へ。ここは、前回11月に紅葉を見に来たね。前回紅葉時は、鏡獅子の本物が帰ってきてなかったからね。前回紅葉時には、2月に帰ってるのが分かってたから、美術館はパスしたんです。平櫛田中(1872~1979)は岡山県井原市に生まれた、近代日本を代表する彫刻家です。本名を倬太郎(たくたろう)と言い、田中家から平櫛家に養子に入ったのち、田中(でんちゅう)と号しました。107歳でその生涯を閉じるまで、明治・大正・昭和の三代に渡って活躍しました。 岡倉天心と西山禾山に思想的な影響を受け、伝統的な木彫技術と西洋の彫塑を学んだ田中の作品は、観る者を引き込む緊張感と、人間味あふれる豊かな創造性を持っています。 六代目尾上菊五郎をモデルに約20年の歳月をかけて完成した《鏡獅子》(東京国立近代美術館蔵、国立劇場展観)は、平櫛田中の代表作として知られています。この鏡獅子が、東京国立劇場のリニューアルのために、一時的にここ田中美術館に里帰りしているのです。本物を間近で見ることができる絶好のチャンスなんです。じっくり鏡獅子を鑑賞できました。美術館の外には岡倉天心先生が釣り竿もって立ってます。田中は天心先生を本当に尊敬していたんですね。美術館に隣接する田中庵。紅葉の時には、ここへ櫂の木を見に来ましたね。公園の中に、代表作や田中の名言がちりばめられています。今日は、車検のために、F8をデーラーに持ち込まなきゃいけないので、あんまり時間が無いのよね。だから寄り道は、どーしても行ってみたかった神辺の古民家カフェ「アンジン」さんへ江戸時代の庄屋屋敷をリノベして、昨年の10月にオープンしたカフェ。築200年以上の歴史的建物で、一息入れるには最高の場所です。お庭の管理も行き届いています。珈琲もたくさんあるし、ランチメニューにも惹かれたんだけど、朝ラー大盛食べてあんまりお腹空いてないのよね・・・。濃い目の珈琲と固いプリンをチョイス。このプリンが食べたくて、ここのお店寄ったんだけどね。お庭を見ながらの、まったりタイムがええね。せっかく天気もいいので、下道で帰りました。帰りにディーラー寄って、車検に出して帰りました。なにもかも値上がりしてるけど、車検も値上がりしてた。いままで8万弱だったのが、9万超えてた!!やっぱりオイルは自分で交換します・・・。明日は消防操法大会の区予選だ
2024年03月16日

'24 3月のちょい乗りは、3月10日(日)に、お好み焼き三笠に、カキオコを食べに行ってきました。お店は、岡山ブルーライン虫明インター出口右すぐです。お店の上の高架は、ブルーランです。インター出て高架下を目指せばすぐです。注文は、テーブルに着いて、テーブル横の注文札を親父さんが焼いてる鉄板の横に持っていきます。牡蠣丼(\1,000)が来ました。牡蠣丼と牡蠣汁とサラダに漬物が付いてます。牡蠣がこれでもか!!ってくらい載ってます。牡蠣丼食っても食っても牡蠣が減らない・・・。一体何個入ってんねん。程なく牡蠣玉(\1,000)が来ました。こいつも牡蠣がこれでもかっ!てくらい載ってます。表面のカリッと焦げてる部分は全部牡蠣です。一体何個入ってんねん。鰹節と青のり、マヨ、追いソースは各卓にあるのでセルフサービスです。ああ、お腹いっぱい。このカードを持っていけば、精算してくれます。ここの親父さんは、牡蠣漁師なんです。直営店?なんで、この量が載ってくるんですね。今日の昼食で、今年1年分の牡蠣たべましたわせっかく出てきたんで、ちょっと寄り道して帰りましょう。邑久長島大橋を渡って長島へこの島には、2つの国立ハンセン病療養所があります。1907年7月に、日本を5つの区に分割し、それぞれの区に療養所を設置することになりました。第三区域:京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、三重県、岐阜県、 滋賀県、福井県、石川県、富山県、鳥取県、和歌山県第四区域:島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、 愛媛県、高知県この第四区域の療養所に該当するのが長島愛生園です。もう一つの邑久光明園は、第三区の療養所として大阪に建設されていましたが、1934年(昭和9年)9月の「室戸台風」により壊滅してしまい、大阪ではなく、ここ長島に再構築されたものです。日本で初めての国立ハンセン病療養所、長島愛生園。1930年に作られたこの建物は、園の運営に関する業務を1996年まで行い、現在は長島愛生園歴史館として開館しています。見学は無料です。私が見学していた時は、係の人は不在でした。時間もたっぷりあったので、資料館の映像室のDVDをすべて見たんですけど、これが一番勉強になりました。これを見て館内を見て回るのが一番わかりやすいです。ハンセン病は、らい菌という抗酸菌がおこす慢性の感染症です。おもに皮膚、末梢神経を侵しますが、眼、鼻・のど・口などの粘膜、一部の内臓にも病変が生じます。1873年に菌を発見した医師ハンセンにちなんで、ハンセン病という病名が用いられています。昔は有効な治療法がなく、国の政策として療養所への隔離が行われていました。現在ハンセン病は薬によって完全に治癒する病気となっています。現在入所している方は、ハンセン病による後遺症を患っている方です。資料館ではハンセン病の歴史や、社会的弱者に対する偏見や差別、患者の生活の様子や、法律を変えるための運動や事件などが、わかりやすく解説されています。多くの入所者が上陸した収容桟橋の跡。入所時、家族などの付添い者もこの桟橋までしか入ることができず、入所者にとっては社会や家族との別れの場所でした。入所するとまずこの収容所に収容され、各種の検査や入所手続きが行われます。現金などの禁止物品の取り上げ、消毒風呂への入浴、持ち物の消毒なども行われました。持ち物はすべて消毒されており、家族に持たされた時計なども消毒され、錆びて使えなくなったそうです。入所者は、まずここで、消毒が完了するまで、約1週間もすごしていたそうです。 昭和6年(1931年)「癩予防法」が制定されました。各地に療養所が建設され、療養所への全てのハンセン病患者の強制収容が進められていきました。全国各地でハンセン病患者をゼロにすることを目的とした「無らい県運動」が官民一体となって活発に行われるようになりました。昭和28年(1953年)、「癩予防法」は「らい予防法」に改正されました。この頃には有効な治療薬が普及しているにも関わらず、強制隔離を続け、退所規定が設けられませんでした。一度療養所に入所したら一生そこから出ることができなかったのです。この法律の存在が世間のハンセン病に対する偏見や差別をより一層助長したといわれ、患者はもとよりその家族も結婚や就職をこばまれるなど、偏見や差別は一向になくなりませんでした。また、ハンセン病であることを隠して療養所の外で暮らしていた方々も、差別を恐れ、また、適切な医療を受けられないなど大変な苦労をしました。ハンセン病患者の隔離政策が終わったのは、「らい予防法」が廃止がされた平成8年(1996年)です。 平成10年(1998年)入所者などによって、らい予防法違憲国家賠償請求訴訟が提起されました。「らい予防法」は日本国憲法に違反するものであるとして国家賠償を求める裁判を起こし、平成13年(2001年)に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出されました。国は控訴断念を決めるとともに、患者、元患者に謝罪しました。こちらは監房。開園と同時に設置され、秩序を乱した者や逃走した者が収監されていました。総合案内所の中にある、ハンドリップの珈琲、地元の野菜を中心に丁寧に作った週替わりの定食が人気のカフェ「さざなみハウス」。自家製ケーキやその他ドリンク、モーニングもしていますよ。オーシャンビューの窓際席がすべて埋まっていたのがちょっぴり残念。島の道路沿いのあちこちに立っているスピーカー。ハンセン病の後遺症により目が悪い入所者が多いので、島道のいたるところにスピーカーがあって、放送が流れるようになっていました。海の先にぽっかり浮かぶ手影島は、潮がひくと、道が現れて渡ることが出来るんです。島の長島神社の鳥居のシルエットと相まって、何だか神秘的な眺めです。今日は潮加減がちょっと無理っぽいですね。島には野生の鹿がたくさんいるんです。しっかりお見送りしてもらいましたよ
2024年03月10日
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