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母の傘寿のお祝いに、弟家族と温泉津温泉に行ってきました。温泉津温泉を盛り上げようと、若い人達が入って来て、前に行った時と比べて、すごく町が明るくなってる。石見銀山の一角にあり、往時は積み出し港として賑わった温泉津。「温泉」を冠する名が温泉地としての歴史を示しています。町並み保存地区に指定された温泉街は全国で唯一です。夕食はレストラン&カフェバー「色 Siki」さんでディナーを予約してました。ワインで乾杯ここのデザートのバスクチーズケーキが絶品でした。早風呂組は、近くの神社ので演武される、石見神楽を見に行きました。遅風呂組は、薬師湯で温泉タイムです。時間があったら、薬師湯さんの隣のカフェでコーヒーでもって思っていたんですが、ゆっくり浸かりすぎましたかね。ちょっと時間切れでした。夜の温泉街をぶらっと散策します。各宿のランプがいい感じで黄昏感を演出しています。洒落たバーが出来てました。ここ以外にも、お洒落なお店が増えていて、町全体の好感度が上がってますね。一人旅なら、バーへ寄っていますが、今晩はみんなで部屋で飲む約束をしてるんで。まあ、明日も帰路4時間の運転が控えてますんで、程々にして就寝です。朝はちょっぴり早起きして、朝風呂に向かいます。今回の宿は、ドミトリー「WATOWA(わとわ)」。ドミトリーの2Fにある4名用の和室2部屋を準備しました。昨日、散策した温泉街を抜けて、薬師湯を超えて、薬師湯は朝は8時からなんですよね。朝6時からやってる湯元温泉へ6時過ぎに来たのに、地元の人で一杯ってどーゆーことさて、朝風呂組が帰宿したところで、朝ごはんへ行きましょう。温泉津の町の入口にある港の食堂「KAN」さん港の町で、「Kくう・Aあそぶ・Nねる」をコンセプトにした港の食堂」兼「ゲストハウス」です。【朝の部】7:30 ~ 9:00【昼の部】11:30 ~ 14:00【夜の部】17:30 ~ 21:00の3部構成で、夜は居酒屋もやってます。名物 温泉津(漁師)めし定食 1800円 を頂きます。家族が頼んだ、釜揚げ・しらす丼定食と半分個しました。 宿に帰るついでに、温泉津の町を散策します。昨日神楽の演武を見た龍御膳神社。背後に大きな岩がある。この岩、見る角度によると龍が吠えてるように見えます。この龍岩のすぐ下にあるのが、龍御前神社の本殿だそうです。宿をチェックアウトして、石見銀山に向かいましょう。銀山のある大森集落は、自動車乗り入れNGなんで、車は周辺駐車場に駐車して、乗り合い電気カートか、自転車での移動になります。集落の一番奥の山の手に間歩(銀山洞窟)があるので、何かしらの移動手段は必要なんです。前回来た時はケチって、普通の自転車にして間歩までの上り道で、すげー苦労したので今回は電動自転車をチョイス。自転車レンタル屋さんに駐車もさせていただきました。電動アシスト自転車を馬鹿にしてました。反省。こんなに楽なの!!80の婆も電動自転車をバリバリに乗りこなしていました。石見銀山で弟家族とはお別れ。今回は山陰に住んでる弟に、各予約をすべてお任せでした。スムーズにいきました。ありがとね。往路は尾道から北上しましたが、復路は米子経由で帰ろうかな。帰り道の道の駅で、地元のものをあれこれ買い込んだんだけど、先日のケンミンショーでやってたバラパンがない。ナビで検索したら、帰り道に作ってる「(有)なんぽうパン」があったから、寄ってみたら、「ここは事務所で売ってないから」、って近所のスーパーを案内してくれて、見事ゲット。車中で美味しくいただきました。まあ、ここまで来たんだから、大社寄って、10年前に古希のお祝いに来た時の願掛けのお礼をして、稲佐の浜で足を冷やして帰りました。あんたたち、ここって国譲り、国引きの神話で知られる浜で、この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜だってこと知ってんの?無事帰宅。やれやれ長い運転だったわい。米麴で作った地ビールで乾杯だ。前回は玉造、今回は温泉津だったから、次回の卒寿のお祝いは島根のどこにするかね。
2024年05月25日

'24 5月のちょい乗り【番外編】は日本のエーゲ海と言われる牛窓に行ってきました。奥さんのスマートを点検に出したら、A200が代車で出てきたので、この春から仕事の担当になった、牛窓界隈を回ってきました。「超」久しぶりの牛窓オリーブ園。高台にあって、この半島の周りを、ぐるっと見ることができます。牛窓は海沿いの高台にあって、地中海に似た雨の少ない乾燥した気候から、「日本のエーゲ海」と呼ばれています。牛窓って、果樹や野菜の栽培が盛んなんだけど、この農業用水って、この山々の向こう側のさらに向こう側の吉井川から延々とパイプラインで圧送してるんだってその距離って何キロになるんだろ展望台の下はオリーブ関係の売店とお土産屋さんになっています。このお土産屋さんでは、オリーブの苗木を売っていて、自分の結婚式の植樹の儀用に苗木を買いに来て以来だな。27年ぶりかあのオリーブの木は、転勤先にまで持っていって大事に育てていたんだけど、プランターの中で、大きくなりすぎちゃって、枯れちゃったなあ。実家の庭にでも定植してあけたらよかったな。牛窓のロッサさんへランチへ行ったんだけど、予約でいっぱい。前回もダメだったけど、今回のダメか。なかなか縁がないね。ロッサさんから何店か回ったけど、どこも丁度一杯。いつもなら店の外に列が出来てる「かいぞく」が、珍しく並んでないそ。ちょうど、ライダーご一行が出て来て、すんなり入れちゃった。「海賊ランチとえびめし」を頂きました。左の「えびめし」は大盛ね。ランチの後は、ちょっびり散歩。牛窓神社に参拝しましょう。ここって、参道が海水浴場の横から階段で上がっていくんだけど、途中から木々のトンネルをくぐっていくからちょっぴり神々しいんよ。階段を登り切った所に本殿があります。裏に駐車場があるから、階段上らなくても参拝はできますよ。でも、階段の途中にある展望台からみる、絶景は見えないけどね途中、奥さんと運転を変わるために、瀬戸内市立美術館の駐車場に車を入れたんだけど、「大森浩平展」をやってる!ここ瀬戸内市美術館って、館長さんがユニークで、いろんな面白いネタを自分の足で仕入れて来ては、展示してくれるので、気にしてる美術館なんです。この大森先生の鉛筆画も、以前ここ瀬戸内美術館でスポット展示している時に見に来て気になってたんですよね。しかも、初の個展とな。昔々、ちょっと絵描き(デザイナーね)を目指していた私としては、心惹かれますわ。シルバーの色目が鉛筆画には適しているのかな?このスーパードライの缶の絵も、製作動画をよくネットで見るな。このボルトの絵がネットでバスって、大森浩平の鉛筆画を世界に発信した絵。この日、たまたま先生本人が来てて、作品解説してた。少しだけ話が出来た。今回の個展用に書き下ろした「Gショック」時間や日付が個展のスケジュールを表している。自分的に今回の一番は、このスニーカーかな。近寄って見たときの、このレザーのシボ感の表現がすごいのよ。迷惑なくらい、近寄ってかぶり付いて見たわどっちが絵か、わかんなくなってきたケトルの表面に移っているのは、私ね。美術館は、役場の隣に立ってるんだけど、役場も含めて地中海風なんです。今日はA200も含めて、ラッキーDAYだったな
2024年05月19日

先々週アタックした【片上鉄道ロマン街道編その1】の積み残し分のリベンジのチャンスはすぐきました今日も子供の部活の送迎で、備前市まで来てます。今後も、ここがメイン会場になりそうな感じ。ここ湖ではなく、海なんですよ。片上湾は穏やかですね。いつもどおりここで朝食たべて、今日は日生を経由。県内のサイクリングの魅力を発信するプロジェクト「ハレいろ・サイクリング OKAYAMA」の中では、県内の8つの主要ルートと、周辺の37のサブルートが紹介されているんだけどその主要ルートの1つとして紹介されている「片鉄ロマン街道コース」では、ここ日生町の港が見える丘公園からみえる頭島~片鉄ロマン街道~津山市までの76㎞がコースとして設定されています。さて、片鉄ロマン街道の終点の「柵原ふれあい鉱山公園」にやって来ました。かつての片上鉄道の「吉ヶ原駅」は、公園内でそのまま保存されています。鉱石採掘の材料の揚げ降ろしや人員の昇降を担った竪坑櫓のレプリカ(高さを実物の約半分・12mに圧縮)がお出迎え。これで半分のレプリカなの廃線になっているので線路内に降りて歩いたり、レアなアングルでの撮影をすることも可能。写真映えを狙える、知る人ぞ知る穴場フォトスポットです。この日もたくさんのカメラマン達が、スタンドバイミー的な写真を撮ってました吉ヶ原駅から400m西へ行ったところにある黄福柵原駅は、在りし日の片上鉄道の駅舎を再現したベンガラ色の三角屋根で、昭和初期の雰囲気の休憩所兼駅舎です。この黄福柵原駅は、片上鉄道保存会が毎月実施していた、保存車両の試運転のために、吉ヶ原駅から西の廃線部を利用して作られました。駅から駅への試運転なんで、復刻感が増しますね。ただし、現在試運転イベントは休止中です。ちなみに、黄福柵原駅の"黄福"は、たまごかけご飯で知られる美咲町を象徴するたまごの黄身の黄色と、幸せを呼ぶといわれる黄色にちなんだもので、黄色で幸福をという意味の造語です。昔ながらの車両と駅が残っているので映画やドラマのロケ地としてもちょいちょい使われています。最近では映画「マンハント」や「とんび」で使われていましたね。さて、走り始めましょう。吉ヶ原駅から南下します。吉井川にかかる鉄橋跡を確認。ここは川の中に足が残っているだけです。前回の途中辞めした矢田まで走って、戻ってきました。赤磐市吉井町の台湾料理屋さんで腹ごしらえをして再び、吉ヶ原駅を目指します。食後の休憩は、吉井川の河川敷でまったりタイム。漁協さんの注意喚起看板が立ってました。さあ、戻ります。吉ヶ原駅まで戻って来たんですが、あの三角屋根の鉱山資料館が気になります。鉱山資料館は、東洋一の硫化鉄鉱山として栄え平成3年(1991)に閉山となった「柵原鉱山」の歴史や文化が学べる施設になっています。硫化鉄鉱は、硫黄や硫酸の原材料として利用され、江戸時代は鉄砲の火薬、明治時代以降にはマッチの材料や硫酸の生成材として重宝されていましたが、石油精製技術の向上で、安価に生成が可能となり採掘も役目を終えました。1Fの展示室に入ってすぐの場所にあるのは、鉱山町のにぎわいを再現したコーナー。柵原鉱山街の当時の暮らしが紹介されています。昭和30年代へタイムスリップしたみたいですね。部屋の中まで本物そっくりの鉱山社宅や、日用品が並ぶ供給所、自転車店やホルモン焼き店など、昔なつかしい町の雰囲気が体感できます。自転車店や居酒屋など、それぞれの建物に近づくと生活音が流れてくる演出もされていました。それでは坑内へ進みますか。この後の順路が地下なんですが、エレベーターも、階段も凝ってますね。エレベーターの表示も「坑内」と「地上」になっていて徹底してます。エレベーターを降りると、そこはもう地下400mの坑道の中。採掘作業と鉱脈の説明をしてくれています。ゴール地点の「吉ヶ原駅」へ戻ってきました。この駅舎は、国指定の登録有形文化財(建造物)なんですよ。そもそも片上鉄道は、正式には同和(どうわ)鉱業片上鉄道線といい、備前市と久米郡柵原町を結んでいた、路線総延長33.8km、7駅を有する民営鉄道です。1919(大正8)年、当時の片上町の有志が片上軽便鉄道の建設を計画します。それに片上町と柵原鉱山を所有していた藤田組(後の同和鉱業)が協力し、片上鉄道株式会社が創立されたことが、片上鉄道の始まりです。駅構内は実際に入って見学ができます。ホームに設置された木製の駅名標やベンチ、待合室、石造りの改札など、当時の姿のまま保存されています。当時使用された電車もそのまま展示されており、線路もそのまま残っています再び備前市へ戻り、子供をピックアップして帰ります。今日も暑かったんで、帰り道にある醤油屋さんで醤油ソフトクリームを食べて帰りました。
2024年05月18日

子供の部活の試合会場が交通の便の悪いグランドだったので、その送迎の隙間時間を利用してポタって来ました。朝イチ、子供を試合会場で降ろして、まずは無料駐車場がある備前市のサイクルステーションへ。本日のポタ会場は「片鉄ロマン街道」です。「片鉄ロマン街道」は、1991年に廃線した片上鉄道跡を利用して作られた、JR西片上駅付近から和気駅を経由し柵原ふれあい鉱山公園まで続く距離約34kmのサイクリング道です。以前は、柵原鉱山から港に鉱石を運ぶために敷設された片上鉄道がありましたが、それが廃線になり、自転車・歩行者専用の一般県道備前柵原自転車道として整備されました。ほんの一部一般道を走りますが、ほとんど自転車・歩行者専用のサイクリング道は、鉄道跡なので、起伏が緩やかで初心者の方でも思う存分楽しめますよ。サイクルステーションから、ゼロ起点へ出てここから34Km先の柵原ふれあい鉱山公園を目指します。老舗のお菓子屋さんで途中の休憩用に甘いものを買って出発です。本日は5月5日子供の日ですからね。廃線跡ですから、トンネルもあれば、鉄橋もあって、駅もありますよ(笑)途中に大きな井堰がありました。和気町の備前矢田駅までやって来ました。ちょうど全行程34Kmの半分くらいかな。今、お昼過ぎです。これからゴールの柵原ふれあい鉱山公園まで行って、帰ってくるとなると、ちょっとお迎えの時間に間に合わないかな今回は半分制覇として、残りは次回としますか。再び、備前市方面に来た道を戻ります。備前焼の狛犬さんも、ちょっぴり悔しそう。廃線ですが、信号が残ってました。天瀬駅まで戻ってきました。ここ天瀬駅は、地元が駅舎を綺麗に管理してくれてるんです。ここでお昼のお弁当にしましょう。駅中には、マンガ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』の作品に登場するキャラクターが和気町出身ということで、キャラクター看板が立ってました。来るときに渡った、鉄橋を横目に和気町の町中をショートカットします。いや、逆に遠回りか無事、サイクルステーションに戻ってきました。本日の走行距離は、約半分の距離17㎞×2(往復)で34㎞でした。休憩込みの4時間弱で34Kmなら、まあまあのペースかねさて、子供を迎えに行きますかね。大会終了までもう少し時間があるみたいなんで、カフェで時間潰しますか。備前市のカフェ「東風」さんで、うまいコーヒーのアフォガードを頂きます。大会が終わったので、会場で子供をピックアップ。今日はお互い暑かったんで、サイクリングロードの横の国道で、再び和気町に戻って温泉で汗を流して無事帰宅しました。次の大会も、同じ会場みたいなんで、次回の送迎時に残り半分を制覇ですね。
2024年05月05日

'24 5月の遠征ツーリングは、 「高砂パワースポット巡り」ツーに行ってきたよ。8:30 山陽道下り線、瀬戸PA着。瀬戸PAは現在改装中。誰もおらんね。今日はソロツーかもね。第二集合場所へ急ぎましょう。9:30 姫路バイパス下り線 別所SA着。そもそも、県北発組との待ち合わせ用にここを第2集合場所にしてたんだけど、下道で先乗りしていた2台と合流。県北組は参加なし。今日はこの3台で回ります。第1のパワースポットは、生石(おうしこ)神社。神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られた時に、二神が相談し国土を鎮めるに相応しい石造りの宮殿を建てようとしたとさ。一夜のうちに現在の形まで造ったが、工事半ばで阿賀の神(あがのかみ:播磨の土着の神)の反乱が起こり、宮殿造営を止めて現在の神爪地区に多数の神様を集めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことがでなかったそうな。しかし二神は、宮殿が未完成でも二神の霊はこの石に籠り、永劫に国土を鎮めんと言明されたとな。以来この宮殿は石宝殿(いしのほうでん)、鎮の岩室(しずのいわや)と言われるようになったそうじゃ。第10代崇神天皇の御代に、日本全土に悪疫が流行して人民死滅の危機になっての、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を齋き奉らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあったので、此処に生石神社が創建され、以来悪疫も終息して天下泰平となったとさ。石の宝殿は、国の史跡で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物。石の宝殿は、宮城県鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の塩竈、宮崎県霧島東神社の飛地境内の天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)とともに「日本三奇」の一つとされています。水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれています。誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていません。宝殿山の山頂へ行ってみましょう。上からみたら、この石の宝殿の巨大さや、突飛さが分かります。本当にここにポンっておいてある感じ。それよりも、この山頂への参道が、巨石に階段を彫り込んであるのがすげーな。また、岩盤の山頂が、だだっ広くて素晴らしい。ここだけ別世界だな。大正天皇が来られていた。行幸の碑が建立されている。この辺りは、古墳の石棺や石橋などの材料となる竜山石の産地で、周囲の山には、削られ垂直に切り立った山肌がみられます。現在も建築や造園用の資材として採石が続けられています。山頂からは、海岸沿いの高砂の工業地帯が一望できます。御神体のパワーを頂きたいなら、脇にある御神体の分岩「霊岩」へ。全身の力を込めて霊岩を押した手で、体の弱いところを撫でると、御利益があるといわれています。さて、第2のパワースポットは、鹿嶋神社へ。鹿嶋神社のシンボルといえば、こちらの大鳥居!!通常鳥居と言えば木や石で作られていることが多いですが、この鳥居はチタンでできています。高さは26mにも及んでおり、日本全国の鳥居の中でも第5位とされています。ちなみに気になる第1位は熊野本宮大社(和歌山県)。2位は大神神社(奈良県)、3位は彌彦神社(新潟県)、4位は最上稲荷(岡山県)と続いているようです。鹿嶋神社は、昔から「かしまさん」と呼ばれ身近な神様として、地域に親しまれているようです。 特別な一つの願い(受験・就職・手術の成功など)を必ずかなえてくれる「一願成就」の神様としても有名です 。この鹿島神社は境内から裏山の高御位山へつながっており、登山の方も多くいました。鹿嶋神社の右手から登り、百間岩を登り鷹の巣山を越えていくコースで、ここ一帯は、播磨アルプスと言われています。あれか…。駐車場から高御位山頂まで約2時間のコース。今日は時間的にちょっと無理だな…。祈祷殿前の巨大な石碑には南面(参道側)に「鹿嶋大神」、北面(祈祷殿側)に「一願成就」の文字が刻まれていました。巨石碑の横の祈祷殿では、車の交通安全祈祷の真っ最中でした。木々に包まれた参道は清々しい空気が流れる。びっしりと並んだ苔むした石灯籠は壮観です。階段を登ると本殿が見えてきます。御祭神は鹿島神こと武甕槌命(タケミカツチノミコト)と、香取神こと経津主命(フツヌシノミコト)。ここは、本殿に摩ると願掛けが成就する「摩りダルマ」様がいらしゃるからダルマを推しているのかな参道の、どのお店でもダルマを売ってた。だるまみくじにチャレンジ中吉が出ました。色々と心に刺さることが書いてあります。その昔、月に一度、神社に農家が餅を奉納していたことに由来して、ここは柏餅が名物なんですね。それで参道の売店では、どこも柏餅を作っているんですね。つぶあん、こしあん、よもぎ、焼きもちなどバリエーションも豊かで、「春まで落ちない縁起の良い葉」カシワの葉で餅を包んでおり、受験などに縁起の良い食べ物とされています。ここの柏餅は、上皇様が皇太子の時に行幸された際に献上されたそうです。出来立ての暖かいのを頂きました。甘くなくて、うまい。さて、高砂の古い街並みにやって来ました。加古川河口の港町である高砂は、海運と加古川水運との結節点として栄えました。高砂港には、北前船も寄港しており、高砂市は日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の追加認定を受けていました。いまもなお、江戸時代に造られた町割りが残り、兵庫県歴史的景観形成地区に指定されています。レトロな商店街にやって来ました。高砂といえば焼きあなご播磨灘から明石海峡一体にかけて良質な豊漁区に恵まれ、昔から脂ののった、あなごが獲れていました。香ばしい香りと風味豊かで柔らかな歯ごたえ、素朴なのに深みのある味を明治35年から守っている「下村商店」さんへ。お昼前なんで、もう売り切れかな?って思っていましたが、なんとか「焼きアナゴ」残ってましたよ。「焼きアナゴ」をゲットして、更にディープな商店街へ凸入します。DEEPでしょ(笑)ここ「そらまめ」さんでアナゴ料理を頂きますか。なんと!予約完売となそらまめさんの対面の模型屋さんがいい味出してんのショーケースの中は珍品、名品が目白押し私が若きモデラーだったころ、買えなかった品がゴロゴロあるし、今だったら、これら幾らすんの?っていうか、展示品の箱の中にキット入ってんの模型屋に後ろ髪惹かれましたけど、かなりお腹がすいたのと、次の店も完売だったら路頭に迷うので、次のお店に急ぎます。もしかしてと思って、アナゴのお店を数店ピックアップしておいて良かったわ次の店は、昔街並みの高砂堀川湊横にある「かき幸」さん思っていたよりも大きなお店で、なんとか大丈夫みたいです。もちろん、狙いは「名代穴子重膳」ね。創業大正9年の、高砂町の老舗料理店。店内はJAZZが心地良く流れ落ち着いた雰囲気で建物を含め老舗感を醸し出してます。「名代穴子重膳」登場!穴子様しっかり入っております!当たり前ですが、美味しくいただきました。御馳走様でした高砂神社はすぐ目の前です。松どころ高砂でも特に有名なのが、高砂神社の相生の松です。高砂神社は、社伝によれば神功皇后が出兵のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎮護のために大己貴命を祀られたのが始まりで、創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。相生の松とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥の二神 が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになりました。御神木いぶき。謡曲「高砂」の登場人物である阿蘇の神主友成が杖にしていた木を地面に突き刺したところから発芽したといわれています。ここはめでたい謡(うたい)として結婚式に欠かせない謡曲「高砂」の舞台で、物語は高砂神社の相生の松によせて、夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい謡です。物語は九州阿蘇宮の神官らが都へ上る途中、高砂の浦で、松の落葉を掃き清めている老夫婦に出会った。その松は、高砂と対岸の住吉(現在の大阪市)の両方にあり、場所は離れているのに、同じ「相生の松(あいおいのまつ)」と呼ばれていた。なぜ松の名前が同じなのか神官らが尋ねると、老人はこう答えた。「私は対岸の住吉の者、妻はここ高砂の者でございます。松と同様、海を隔てた夫婦ですが、時と場所をへだてても、心が通い合う夫婦の愛は変わりございません。」そう言うと老人は「住吉で待つ」と言い残し、舟で沖に去っていった。実は、老夫婦は松の精であった・・・・・・・・・・。夫婦愛、長寿の理想をあらわした謡曲であり、高砂神社は縁結びのパワースポットと呼ばれているんですね。江戸時代の高砂の実業家、工楽(くらく)松右衛門(まつえもん)(1743~1812年)が着工し、工楽家3代にわたる55年をかけた工事で、1866(慶応2)年に完成させた高砂港向島突堤が、土木遺産に認定されたとのことなんで、県立高砂海浜公園へ高砂港向島突堤は、工楽松右衛門築造の高砂港防波堤の一部が改修等を重ねながら残されており、港湾築造の技術を現代に伝える貴重な土木遺産です。このまま、高砂の銭湯に寄って帰る予定だったんだけど、今日クッソ暑いのと、銭湯の開店時間まで2時間ほどあるのとで、今日は帰りますか。相生の埠頭で、デカいクレーン船を発見かなり遠くからアームが見えていたんだけど、近くにきたら、本当にデカいのよ。これって、第二音戸大橋を運んで来て、ポイっと架設したクレーン船やね。大規模な海洋土木の現場の写真に必ず写ってる、深田サルベージ建設さんの「武蔵」どうやってもカメラのアングルに全部が入りきらんのよ。下道をおさふねのサービスエリアまで戻ってきました。お家まで、あともう少し。ここ、あと2日で建て替えの休業に入るんです。レストランは何回か来たことあるけど、温泉は初めて。約2年のリニューアル工事を経て復活の予定です。無事帰宅。約250㎞のツアーでした。ガソリンは明日入れに行きます。今日のお土産は、「下村商店」さんの焼きアナゴ。その日のうちに再び火入れして、酒の肴で美味しくいただきました。付いていた山椒もよかったけど、個人的には、ワサビで食べるのが美味かったな。最後の切れ端は、小さきく刻んで、ひつまぶしみたいにして食べました。高砂神社で、疾風巡拝もすまして、ご刻印を頂いて帰りましたよ。
2024年05月04日
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