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【青春18きっぷで行く京都路】の2日目です。ホテルでゆっくり朝食食べて、遅い出発です。泊付の醍醐味やね。朝イチは三十三間堂からスタートです。本堂は、和様入母屋(いりもや)本瓦葺の総ヒノキ造り。南北118.2mという長大な伽藍はまさに壮観!奥行16.4mの平屋建てながら、かなりの迫力です。本堂を正面外側から見ると、柱の間数は三十五あります。三十三間堂の通し矢は、お堂西縁の南端から120メートルの距離を弓で射通し、その矢数を競ったものです。特に江戸時代に流行した「通し矢」は夕刻に始めて翌日の同刻まで、一昼夜に何本通るかを競うもので、軒下を通すことから「通し矢」と呼ばれるようになりました。通し矢は軒天井に当たらぬよう矢を射抜く必要があるので強弓を強く射なければ軒下を射通すことができないことから弓術家ひいては武家の誉れとして、各藩が自らの威信をかけて武芸者を送り込み、特に尾張、紀州の二大雄藩による功名争いは人気を呼び、京都の名物行事となりました。弓術家達の誉れとされた通し矢。その伝統を今に伝えるのが「大的大会」です。現在は1月15日に一番近い日曜日に「楊枝のお加持」大法要と共に行われています。古の通し矢とは異なり本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」として行われます。新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面はこの大的大会の光景なんです。お堂の中央に鎮座されている巨像は、国宝の「千手観音坐像」。1000体の千手観音立像に囲まれて中心にいらっしゃることから「中尊」とも呼ばれています。像高335cm、手の数42本の木造千手観音坐像は、鎌倉時代に大仏師湛慶(たんけい)が弟子と共に完成させた大作。この大きな千手観音坐像の裏側には、等身大の観音様がいらっしゃいます。表からは見えませんが、内陣の裏側へ回った時に見ることができます。この千手観音坐像と、背中合わせの等身大の観音様は一心同体!あわせて1体とされているため、三十三間堂の千手観音は合計1001体と数えられています。三十三間堂といえば千体観音。国宝「千手観音立像」が有名です。中尊の左右にそれぞれ500体(前後10列×50体)、計1000体の千手観音様が並ばれた姿は、圧巻です。千手観音立像には手が40本あり、中尊と同じく穏やかな表情で合掌しています。特に注目すべきポイントは、1000体すべてお顔が微妙に違うんです。京阪乗って出町柳まで来ました。鴨今日は、下鴨神社の「みたらし祭り」の日なんですね。その前にちょっとかき氷でブレイク。今日も猛暑です正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。賀茂川と高野川が合流する場所に鎮座します。賀茂川の下流にあり、古くから賀茂御祖神社を表す際は「鴨」の文字が使用されたことから、下鴨神社(しもがもじんじゃ)とも呼ばれます。京都を拓かれた神様として信仰され、平安京遷都以降は国家鎮護の神社として、皇室や朝廷からも篤い崇敬を受けました。現在では国宝の本殿2棟をはじめとした多くの文化財や、太古からの植生を残す「糺の森」など、古代の息吹きを今に伝える京都の古社です。井戸の井筒の上に祀られていることから井上社と呼ばれる社殿前の御手洗池では、賀茂祭で斎王代の禊が行われ土用の丑の日には「足つけ神事」(御手洗祭)が行われます。御手洗池の底から湧き出る水泡をかたどったのが「みたらし団子」だといわれてます。土用の丑の日にこの池の清水に足をつけると疫病や脚気にかからないと信仰されています。御手洗池は、7月の土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでるところから、鴨の七不思議にかぞえられています。受付でお供え料をおさめてロウソクを受け取り、靴とロウソクを手に持ち、御手洗池へと向かいます。御手洗池にかかる輪橋の真下からいよいよ水の中へ。真夏とはいえ、この御手洗池は地下から湧き出る冷水が流れていて、涼を感じることができます。その冷たさに心身共に清められていることを体感できますよ。最終地点の御手洗社(井上社)前の祭壇にロウソクを献灯、そして無病息災を願います。ここに祀られている瀬織津比売命(せおりつひめおみこと)は罪、穢れを祓ってくれる神様ですのでしっかりお祈りをしましたよ。池から上がったところでご神水をいただきます。この水を頂けば無病息災、延命長寿にあやかることができますよ。旅の最後は、お気に入りの東洋亭で、ハンバーグステーキを頂いて帰りましょう。前菜のまるごととトマトサラダは、一つ一つ丁寧に湯剥きしたトマトをよく冷やし、ツナサラダの上にのせ、朝作りのドレッシングをかけた東洋亭の人気メニューです。これ旨んですよ。スパークリングワインで頂きますビーフシチューソースとハンバーグ、シチュー肉を一つ一つ丁寧にアルミホイルで包み、鉄板の上でパンパンに膨れ上がった状態でやって来ました。アルミホイルを開けた瞬間のソースの香りとジューシーなハンバーグがたまらんね。赤ワインで頂きます無事帰岡。途中京都→姫路の新快速の乗った車両の空調が不調で凄く暑かったトラブルはありましたが、姫路で買い足したビールでクールダウンしながら帰ってきました。青春18きっぷでリーズナブルにしっかり楽しめました。
2024年07月28日

長女がカナダへ短期留学中だったんで、鬼のいぬ間に青春18きっぷで京都へ行ってきました朝7時前の電車で岡山を出発。姫路で新快速に乗り換えて約2時間半程で京都入り。京都駅では京都パープルサンガ列車がお出迎え。梅小路公園駅で下車。最初の目的地は「京都鉄道博物館」ここね、ずっと来たかったんよ。念願かなって、やっと来れました。懐かしの0系新幹線がお出迎え。この0系は東海0系。同じ0系でも西日本版(ウエストひかり)は窓の下に1本青いラインが入っていたの知ってた?今日も暑いわ💦場外ブースに食堂車を発見。ちょっと混んでるけど、待ちますか。なつかしの「ブルートレイン」。今や死語やもんね。今日は車じゃあないから、朝から飲むよ場外ブースを散策して、山陽側ではあまりお目にかかれないDD54型1966(昭和41)年から40両が製造された大出力のディーゼル機関車。山陰本線、福知山線での使用を念頭に、非電化亜幹線用の牽引機として開発されたもので、「1000馬力のエンジンを2つより、2000馬力のエンジンを1機搭載する方がメンテナンス等が容易である」という、当時のヨーロッパの考え方を取り入れ、旧西ドイツで開発された大出力エンジンと、それに対応した液体式変速機を搭載しています。顔が西洋ぽいでしょ特殊な装置が災いしてメンテナンスが難しいために故障が多く、製造から間もない1978(昭和53)年までに、早々に全機が引退。現在は33号機が交通科学博物館を経て、京都鉄道博物館で保存されています。懐かしの0系新幹線はコックピットに乗れます。元祖、夢の200㎞/h超特急の、椅子がチャチいの。運転手さん、これで東京博多間を運転してたのこれまた、メーターパネルも寂しい感じ。もっとメカメカしてるのかと思ってたけど、そもそも0系って、1964(昭和39)年10月の東海道新幹線(東京~新大阪間)開通に合わせ誕生した車両なんだもんね。操作系のレバーも3本だけの超絶シンプル構造。自動列車停止装置(じどうれっしゃていしそうち、ATS: Automatic Train Stop)の説明もありました。クソでかい0系新幹線のATS。運転席の後ろに鎮座。懐かしの手書き図面の設計図もあった。これまた、懐かしの青焼き図面だし。さて、いよいよ館内に参りましょうか。館内は古いのから、お世話になったのから、乗れなかったのから、あこがれてたものまで、幅広く展示されています。中には乗車できるものもありますが、基本的には、車両保存を目的として展示されていますので、御触りまでですよ。昭和の駅の再現や、ホームの再現もされています。様々な種類の信号や、踏切の展示や、色々な分岐機や、電車のモーターや、様々な形式の鉄橋の紹介や、懐かしの鉄橋の遺構などが展示されています。特急の名盤や、蒸気機関車の機関車番号を見ながら2Fへ機関車番号は、エスカレータに沿って貼り付けられています。2Fへ上がったら、鉄道を支える駅の改札や、集中管理室、各車両のソファーの進化や、寝台列車の進化、食堂車の変遷など展示してあります。超でかい鉄道模型のジオラマが2つ。1つは子供の操作体験用、もう一つはショウイベント用。楽しみにしていたシュミレーターは、予想どおり完売。まあ、夏休みど真ん中だから、まず駄目だとは思っていたけど・・・。やっぱり残念・・・屋上に上がってきました。京都駅沿線の車両基地に隣接して作られているので、屋上から本物もたっぷり見れますよ。それでは、「扇型」を見に行きますか。その前に、トワイライトエクスプレスとブルトレ寝台列車がお出迎え。やって来ました。「扇型車庫」。ここの凄いところは、「扇型」に格納されているのが、全部SLだってことここまでSLだらけって、ここだけじゃねしかも、色んな種類があって、全部手入れが行き届いてる。こんな超旧式もあるし、現在、メンテ中の機関車もメンテ中を見せてくれる。とにかく車両が綺麗。蒸気機関も配管や車輪周りがとにかく綺麗。公園とかの屋外に永久陳列されている車両は、配管類や駆動部品を分厚く全塗装して、劣化防止してるから塗りたくった感で機械として美しくないんだけど、ここのは綺麗で、芸術品。萌え~車庫の煙突フード。実物初めて見た。何台かは、運転台に座れます。運転台も綺麗。機関士側も綺麗。椅子もひじ掛けも綺麗。こんな感じで、運転台から運転台に梯子できますこれだけの台数に乗れるのも珍しい。とにかく圧巻の扇型車庫でしたね。途中、クーリングを兼ねて、中華ランチをゆっくり食べて徒歩で西本願寺に向かいます。この日は超暑かったのよ。西本願寺は、本名は竜谷山本願寺。だから、敷地の中に竜谷大学の図書館があったり、道の反対側に竜谷大学の付属中、小学校があったりしたのか。竜谷大学は、本願寺阿弥陀堂の北に僧侶の教育機関として設立した学寮を起源としているんだって。西本願寺は、文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建。その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大阪天満から移転してきました。先に豊臣側についた正当な後継者の三男側の本願寺「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」唐門(国宝) です。境内の南側、北小路通に南面して建っている。境内東側の御影堂門、阿弥陀堂門がそれぞれの堂への入口であるのに対し、唐門は書院(対面所)への正門。前後に計4本の控え柱をもつ四脚門形式で、屋根は檜皮葺き、正背面は唐破風造、側面は入母屋造の「向い唐門」。そもそもこの門が最初に本願寺に現れた年代や事情ははっきりしていないのがミステリー。西本願寺から東本願寺へ向かう仏具店が並ぶ門前町エリアにそびえ立つ、赤レンガが特徴的な本願寺伝道院です。生命保険会社の社屋として明治45年(1912)に建築され、銀行や診療所などを経て、現在は僧侶の教育施設の場になっています。設計は東京帝国大学の教授・伊東忠太によるもので、レンガ造りで、インドのイスラム様式のドーム、イギリスの建物をイメージしたレンガ壁など、さまざまな建築様式を取り入れつつ、千鳥破風を石造りした日本建築の意匠も見られます。東本願寺まで、歩いてきました。慶長7年(1602年)、徳川家康から烏丸七条に寺領が寄進されたことによって建立。豊臣と折り合いの悪かった長男を中心に、徳川側についた大谷派が後に東本願寺となります。「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」この日はあまりに暑かったので、奥さんは西本願寺で別れてバスで先に帰宿。私もそろそろ宿へ帰りますか。京都駅の向こう側までもうひと歩きです。宿へ着くと、着替えを購入してきた奥さんと一緒になりました。今日の宿は、大浴場付だったたので、一っ風呂浴びて、今日の主の目的は、次男の内定祝。コロナ真っ只中で大変な大学生活だったけど、内定おめでとさん。待ち合わせをしてホテル隣の銀座ライオンで乾杯居酒屋梯子して夜は更けていきました・・・・・・・・・・。
2024年07月27日

たまたま、ぽっかり1日予定が空いたので、急遽夏休みを取って、'24 7月の遠征ツーリングで浦富ジオパーク巡りに行ってきた。天気も何とか持ちそうだし、遠征に出てみますか。美作市から奈義町経由で智頭から鳥取道に乗って、道の駅「かわはら」で休憩。黒尾峠の山越えで雨にパラつかれたけど、山陰側に降りてきたら晴れてる。梨ソフトで一息。今日も暑くなりそうだ。浦富海岸の遊覧船乗り場に到着。このジオパークを海側から船で巡るのです。この赤色の航路の「小型船、冒険クルージングうらどめ号」に乗りたかったんだけど、強風のため欠航してる。欠航してるのは、出発時にネットで確認済みだったんだけど、風が強まっていて、「遊覧船、浦富海岸島めぐり」も欠航にかるかもしれないとのこと。受付のお姉さんが、12時の便は就航するけど、13時の便は分からないって言ってるから、昼食は後回しにして、先に遊覧船に乗ることにした。船尾の屋外席も惹かれたけど、この暑さの中、航海中約40分間ずっと外にいるのはしんどいかな。乗り込むとき船員さんが、「一番よく見えるのは一番前の席です。」って言ってたから、一番前の右側に陣取りました。右御回りだから、内側をゲットね。さて、出航。消波用のテトラポットの大きさが瀬戸内海とは、全然違う。デカい!!港から外海に出たとたん・・・。波がすごいの小型船であの穴の中にいるときに、この波がきたらひとたまりもないな遊覧船は負けずに東進していくんだけど、ドンドン波が強くなってくる。船長さんが、出航からマイクで、ずっと遊覧案内してくれるんだけど「今日は遊覧船でなく、何かのアトラクションだと思ってしっかり手すりにつかまって、航行をお楽しみください」って。一番前だから、一番揺れるのよ。もうジャンプ、ジャンプ状態ここで、遊覧を切り上げて帰港することになりました航路の半分しか遊覧できなかったから、半額返金されました。受付のお姉さんの言った通り、遊覧船も次便から欠航になりました。さて、お昼にしますかね。遊覧船乗り場横にある「あじろや」さんへここの港の「網代港」にちなんで「あじろや」さんかな?海鮮丼とイカ丼と悩みに悩んで、海鮮丼にしました。浦富特産のモサエビが食べたかったんよ。モサエビは5月までがシーズンだから、今日はないかもって思ってたんで、モサエビがある方をチョイスしました。美味かった食後、遊覧船乗場併設のお土産物屋さんで、お土産を物色して外へでたら、がらーん。まあ、遊覧船が全便欠航だから誰もおらんなるわね。一番目的の小型船で冒険できてないし、また今度やね。さて、次のお楽しみに向かいますか。さっきの遊覧船乗り場の看板にあった温泉を覚えてる?源泉かけながしの「岩井温泉」ね。この岩井温泉、田舎道に突然登場するのよ。こんな感じの、老舗の温泉宿がこの一角だけ、突然登場するの。オレンジが「明石家」さん、白い方が「岩井屋」さん鳥取県岩井温泉は、1300年の歴史を誇る山陰最古の温泉で、「湯かむり」という頭に手ぬぐいを乗せ、柄杓で湯をかむるという江戸時代から伝わる珍しい風習があります。温泉は、泉源から湧き出たそのままのお湯を浴槽に流しっぱなしで効能もたっぷりです。老舗旅館は2館とも日帰り入浴ありで、2館とも素敵な温泉を持たれていますが、ちょうど14時って両館とも日帰り温泉入浴できないんです。明石家 15:00~20:00岩井屋 12:00~14:00(要予約)大丈夫、ずっと開いてる共同浴場の「ゆかむり温泉」がありますよ。ゆかむり温泉は、昔より人々に親しまれ受け継がれてきた歴史ある共同浴場です。源泉は駐車場の一角にあり、47.6℃で湧いていて、湯船でちょうど適温になります。100%源泉かけ流しです。汗が引くまで、休憩室でゆっくりさせてもらいました。温泉街を散策していて気になったポスターがこちら。どうも地元の高校生が書いたポスターみたい。お昼にイカ丼食べなかったから、どっかでイカ焼き食べてやれって思って海岸沿いを戻って来たんだけど、イカ焼き屋がないな。浦富海岸まで出てみたんだけど、露店のイカ焼き屋さんはなし。ここ浦富海岸は、25年ほど昔、津山に住んでた時に泳ぎに来たこがあるな。懐かしいね。ジオパパークな海岸線を横目に、網代港まで戻ってみたけど、結局、イカ焼き屋は、無し。思い切って賀露港まで戻ってみたけど、大型水産物特売所「かろいち」は16時までで丁度閉まった所だった。残念。隣接する大型農産物直売所「わったいな」でアレを食べよう。わったいなのジェラート屋さんは、地元大山乳業の白バラ牛乳をベースに、地元産の果物でジェラートを加工販売しています。今のシーズンも期間限定で、ここの名産のスイカジェラートを販売しています。これ、前回夏にこれ食いに来た時に、期間が済んでて食べられなかった奴よね。やっと食べられました後は弾丸で帰るだけ。いつものスタンドでガス満タンにして戻ってきました。310㎞か、思い付きで出た割には結構走ったな~やっぱり思い付きで出ると、宿題がたくさん残ちゃうな
2024年07月04日
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