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雪雲に覆われて数日見えなかった山が、今日は見えました。那須連山が以前よりも白くなっていました。12月にしては例年よりも雪が多いようです。茶臼岳と朝日岳、福島県との県境の山は真っ白です。ナズナ、毎日、氷点下の朝でもフユシラズは咲いています。
2024.12.25

低山の3回目は古賀志山を歩きました。途中までは北コースを歩き、広場から中尾根に出ました。冬枯れの中にヤブコウジの赤い実を見つけました。中尾根から、これから向かう559ピークが見えてきました。559ピークからの古賀志山、気温は高いようですがそれでも今は冬ですから、風を避けて休みました。遠くには筑波山、「雲海」などといっている人もいましたが昼近い時間ですから、おそらく霞でしょう。日光方面の山、家の方からは男体山と女峰山が連なって見えますが、ここからは二つの山の間に大真名子、小真名子が見えますし、日光白根山も見えます。これから先の540ピーク、手岡峠(ちょうかとうげ)まで行ってから下ります。振り返ると559ピークが見えてきました。こちらからは衝立のように見えます。脚が重くなってきたころに540ピーク到着、ここからは日光方面の山はもちろんのこと、皇海山も見えました。559ピークから北を歩く人は少なく3人とすれ違っただけでした。峠から100mくらい下るとすぐに林道です。かなりの下り坂で歩幅が伸び、歩く速度も自然に速くなるほどでした。「人生下り坂最高」と言っていた故、火野正平さんの自転車旅での言葉が頭に浮かびました。北コースでは葉っぱだけだった冬イチゴが、ここでは赤い実をつけていました。森林公園の駐車場まで戻ると、朝は駐車場所を探すほどの車でしたが、50台くらいに減っていました。
2024.12.22

昔に比べれば天気予報の当たる確率は格段にあがっていて、信頼できるようになりました。信頼できるとはいってもそれは、晴れか雨か、気温か高くなるか低くなるかといったことで、台風の進路が迷走し直前まで分からないこともありますが、そこは仕方がありません。私が信じてないのは冬の最低気温です。昨日は氷点下4℃の予報でしたが実際は氷点下6.5℃でした。今朝は氷点下1℃の予報でしたが氷点下3.4℃まで冷え込みました。夏なら最高気温が低い方へ、冬なら最低気温が高い方にブレるのなら問題はないのでが、夏の最高気温がより高く、冬の最低気温がより低くなるのは非常に困りものです。雨(雪)が降らないのも、ほぼ毎日のように晴れて乾燥するのも関東地方の冬の天気、最低気温が連日氷点下なのも当地では当たり前の朝の寒さです。冬は寒いものだと身構えればいいのですが、最近では天気予報で身構えるようになってしまっているようです。今日の最高気温の予報は9℃、なによりも風が弱いので外に出るにはいい日です。城山からのぞむ高原山、釈迦ヶ岳山頂のお釈迦様像も雪に埋もれているかも知れません。今日は12月16日、城山で最後に赤くなるカエデが見頃です。全く手入れのされていない花壇の菊の花、作ったのはいいが管理をする気はないようで荒れ放題になっています。お役所仕事の典型のようです。土塁のヤマブキの葉がいい色をしています。ロウバイは蕾を膨らませて咲く時を待っています。このままいけば年末には咲くかも知れません。
2024.12.16

久し振りに兄が来ました。兄は建築関係の仕事をしていますが大工さんではありません。若い時に2級建築士の資格を取っています。古い日本家屋の冬の寒さ対策から断熱の話になり、最近話題になっている那珂川町の「馬頭広重美術館」を見に行こうという事になって出掛けました。高名な建築家の隈研吾氏が24年前に設計したらしく、最近はテレビやYouTubeにもアップされ、その劣化具合が話題の建物なので何度も目にするようになりました。美術館の前の広い駐車場は疎らに車が止まっていました。乗用車の他に軽トラが何台か混じっていますから、地元の人が昼休憩に利用しているのだろうと思いました。第一印象はテレビで見た感じそのものでした。大きな平屋の屋根の、格子状の木材が黒っぽい灰色というか古さが目立ちました。遠目には古い倉庫に見えなくもありません。一目見て外観は分かったので美術館に入ろうと思ったら、赤い大きな休館の文字が目に入ってきました。たしか月曜が休館日だと出掛ける前に調べてきたのですが、展示物の入れ替えでもやっているのでしょうか金曜日まで休館のようです。こうなれば建物を見て帰るしかありません。お寺の門の方に坂道を登ると裏側の屋根がよく見えました。欠損や朽ちて折れている部分もありました。コケが生えています。24年間何もしなかったのでしょうか?、格子状の木が乗っている鉄骨の骨組みにペンキ塗りは出来たのでしょうか?、おそらく屋根に木を乗せて見栄えを良くした装飾なのでしょうね。木にペンキを塗れば木質は失われ、木を使う意味がありません。だからといって木に耐久性を上げる加工をしないと劣化は急速に進むのは、素人にも分かりきっています。兄が言うには、木材を野ざらしにすればこうなるのは当然だというのです。施工の職人さんは分かっていた、いや、設計の段階で分かることだとも言いました。補修するのに3億円もかかるというのですから小さな町がざわつくのは当然です。屋根の上の飾りのようなものですから、撤去だけなら安くあがるでしょう。当初は町もメンテナンスの事まで考えていなかったのかも知れません。公共の建物はここだけではなく、町の施設それぞれに保守点検が必要ですから、人口1万3千人余りの町には大きな負担になるでしょう。格子は外壁部分の装飾にもありました。ここも黒っぽい灰色、木の質感は全く無いので木材を使う意味がありません。手入れのされていない大きな古民家に見えます。外部はかなりの劣化ですが、美術館の内部は木質が生かされてきれいなのでしょうね。美術館で話題になることといえば、普通は有名な画家の高額な作品とか、本物かニセモノかという問題がほとんどです。展示されている美術品ではなく、美術館の建物が話題になることはかなり珍しいことでしょう。「歌川広重」は次回に、隣町ですから30分ほどで行けるので出直しです。帰りは道の駅・馬頭で「かけそばランチセット」を食べて帰ってきました。直売コーナーで見たコンニャク芋はカボチャのような大きさ、買う人いるのかな?、
2024.12.14

作家の司馬遼太郎が、ヨーロッパは丘の文化であり、日本は谷の文化であると彼の著書「日本のかたち」で読んだことがあります。広い視野で見ると確かにそうでもあり、細かく見ると様々でもあります。人が生きるためには水が必要であり、稲作をするためにも水が必要です。耕地を求め水を求めて上流へ上流へと行きつくと山に突き当たり、そこに山村が生まれます。麦の文化圏のヨーロッパとは大きく違うところでしょう。茨城県常陸太田市持方集落、ここはこの辺りで2番目に高い白木山の山懐にあります。田んぼの跡らしきものは見ますが明らかに耕作放棄地となっており、畑ばかりのようです。持方の南に位置する同市の安寺集落、ここはこの辺りで3番目に高い高崎山の山懐にあります。以前、ここには学校があったそうで持方集落とは山道で繋がっていて、持方の子供が通っていたと聞いたことがあります。平成の大合併で今は常陸太田市になっていますが、以前は水府村だったようです。道の側はイノシシの掘り起こした跡が至る所で見られました。当然、畑は柵で囲ってあります。旧道は舗装はされていますがデコボコで山道は車1台分の幅しかありません。部分的に広くなってセンターラインがあったり狭くなったりする新しい道もできていますが、ほとんどすれ違う車もありません。
2024.12.13

持方の駐車場を10時過ぎに出発しました。他に車は無く登山者は私だけでした。気温は5℃くらいでしょうか?、10時を過ぎているのに日陰では霜が残っていました。標高は約500mですが山ではこんなものなのでしょう。大円地越のケヤキ林がゲートのように立っている中を登って行きます。尾根に出ると冷たい風が吹いていました。電波塔のある男体山が見えました。ブナの大木の下を下ります。切れ落ちた狭い谷にいくらかの紅葉が見えました。男体山の南面はいたるところが断崖です。所々にやせ尾根があり注意は必要ですが、南側に展望が広がります。富士山は見えるのか、山頂に着いたのは11時過ぎですから期待はしていませんでした。いや、山頂に着く前から気になって南西方向を何度も眺めました。小さい三角山の右上の辺りに何か有るようでもあり無いようでもあり、目を凝らしても分かりませんでした。冬でも9時頃までなら見えることが多いのですが、太陽が上から照らすような時間帯は、余程条件がよくないと見えないようです。山頂は冷たい風が吹いていました。筑波山、奥久慈の山なみをのんびりと眺めていたい所ですが冷たい風が下山を促します。山頂から来た道を戻りました。大円地越まで戻ると、大円地へ下る道に紅葉が残っているのが目に入りました。100mほど下ってみると奥久慈に多いモミジ谷でした。もう少し先はどうなっているのか知りたいところでしたが私が下るのは反対側、登り返すのが大変になるので引き返しました。山頂で3人、下山途中で4人に会っただけの静かな山でした。持方に戻ると車が2台、バイクが1台増えていました。早朝は寒いので皆さんゆっくりなようですが、低山といっても日が傾くとすぐに寒さが襲ってきます。
2024.12.11

今朝の栃木県北東部の当地は氷点下3℃でした。昨日もその前の日も氷点で、晴れれば放射冷却で内陸部は冷え込みます。冬型の気圧配置になると強風が吹き荒れて体感温度はかなり下がります。東京都心もこの冬の最低気温になったようで今朝は2.5℃になったそうですが、東京でも都心から離れればかなり冷え込んでいるはずです。神社の皇帝ダリアが咲いていました。この季節、風のある日は神社に限ります。神社の森が北風や北西の風を遮ってくれます。朝は毎日氷点下の気温で何度も霜が降りているので、他の皇帝ダリアはほとんど終わっています。おそらくここは夫婦杉という大木の庇が霜から守っているのでしょう。ニシキギ、ジシバリ、キツネノマゴ、北風の当たらない陽だまりではまだ花が見られます。宇都宮地方気象台では7日夜に初雪が降ったとの発表がありました。私の住む地域でも雪が降った可能性はありますが、まだ見てはいません。寒くなったとは言ってもまだ冬の入り口です。
2024.12.09

那須町の道の駅・東山道伊王野にお米を買いに行ってきました。よく見ると、「とうざんどう」ではなくて、「とうさんどう」とローマ字表記がされていて、ずっと読みを間違えていたことに気がつきました。週末とは違い平日ですから駐車場は空いていました。お米も高くなりました。物価も上がり、農業資材も値上がりしているようですから、お米が高くなっても仕方がありません。生産者の高齢化や休耕田の増加などの諸問題が、買取価格が上がることによって農家の生産意欲の向上に繋がればと思います。お米は地元の道の駅でも買えるのですが、伊王野の道の駅で売っているお米は中山間地域のお米、地元の那須野ヶ原のお米よりも少しだけおいしいので(私的な感想)、いつもわざわざ買いに出かけるのです。3㎏で1800円のお米を買いました。キロ当たり600円ですから、現在のお米では良心的価格だと思います。今回買った生産者のお米は、以前にも買ったことがあります。ここ1ヶ月の間に、前回買った生産者のお米は3㎏で2100円になっていて、前回よりもキロ当たり100円高くなっていました。去年はほとんどの生産者がキロ当たり500円の値をつけていました。今年は一気に高くなった感が否めません。同じ地域で取れた同じ品種のお米でも生産者によって値付けは違い、キロ当たり700円をつける人もいれば、はぜ掛け米(自然乾燥米)はキロ当たり800円でした。新米の出始めた9月の頃は、お米が手に入りにくい時期でもあったので10㎏のお米も並んでいましたが、今は2キロや3キロの小口包装が多く、さすがに10キロはありません。一人当たりのお米の消費量は年々少なくなっていますが、私は1日お茶碗一杯(1膳)しか食べません。帰り道で見たコスモスは今年の見納めになるのかな?、週末から気温はぐっと下がるようで、最低気温は氷点下の日が続き、最高気温も10℃前後の予報です。栃木県北東部の当地も今までは温かな日が多かったのですが今はもう師走です。
2024.12.06

袋田の月居山(つきおれさん)が、わたしの低山シーズンの始まりです。月居トンネルを抜けた東側の駐車場には、平日とはいっても10台くらい止まっていました。体調を計りながらはじめはゆっくりとゆっくりと、前山へ登っていきます。滝川の対岸の山が見えてきました。向こうの山にも山道が通っていて、岸壁の上が「のぞき」といわれる袋田の滝を上から眺められる場所です。10時を過ぎても気温は10℃にはなっていないでしょう。冬の雑木林は日が差していいですね。何という菊でしょうか?、花の名前は分かりませんがコアジサイの黄葉、その奥に紅葉はいいものです。月居山の紅葉は見事でした。賑やかな山頂を男体山方向に下りました。下りながら見上げる紅葉が一番でした。大きなカメラを構える人達はそれを良く知っているようでした。久慈川流域がよく見える岩の上でのんびりと過ごしました。風も無く気温も上がり、とても初冬とは思えない穏やかな日和です。一番いいのは静かなこと、時折り登山者が立ち寄りますが気にはなりません。今年は何時がいいのか迷いましたが12月2日の今日でした。月居山の紅葉は今週でしょうね。
2024.12.03

今日から師走、厚みのあったカレンダーも1枚だけとなってしまいました。朝夕の寒さも本格的で、昨日の朝は氷点下3.1度でした。明るくなったころに庭の芝生を見ると白くなっていて、ああ、今年もこの季節がやって来たんだとしみじみ思いました。神社の森も色づいています。ナデシコの返り咲き、タツナミソウのようだが上手く撮れません。春には見なかったので秋咲き?、あんなに暑かったのに季節は巡り今は冬の入り口に差し掛かっています。街中のイチョウも色づいています。
2024.12.01
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